1.管理通貨制度と信用貨幣
現代資本主義では,様々な形での本位貨幣制が停止され,管理通貨制度となっている。管理通貨制度の消極的特徴は本位貨幣が想定されないことであり,積極的特徴は,通貨が信用貨幣だということである。すなわち,価値物ではなく,何らかの主体の債務証書が貨幣として購買手段,流通手段,支払手段,価値保蔵手段として用いられるということである。
この考えは,管理通貨制度についての通説的理解とは異なっている。通説的理解では,管理通貨制度においては,無価値の価値章票である不換紙幣,いわば価値のシンボルに過ぎない紙切れが流通しているとされる。流通する根拠は,国家の強制通用力,あるいは人々の共通の信認に基づくとされる。
しかし,そうではない。管理通貨制度の下での通貨,すなわち中央銀行券や預金通貨は,手形の原理に基づいて流通しているのである。誰もが知っているように,企業の債務証書の一種である商業手形は企業に対する信用に基づいて流通する。まったく同じように,中央銀行の債務証書である中央銀行券は,中央銀行に対する信用にもとづいて流通するし,銀行の債務証書である預金は,銀行に対する信用に基づいて流通する。貸し出しによって債務証書の流通量,すなわち貨幣の流通量は増え,返済によって減少する。債務が返済された場合には,債務証書は効力を失う。日本銀行は債権回収や売りオペレーションによって得た日銀券を自分の資産とはできないし(単なる紙としてはできる),銀行は自行の預金証書を自らの資産とはできない。強制通用力説や単純な信認説では,そもそも預金通貨の存在が説明できないし,国家の行為ではなく銀行の貸付・返済によって貨幣流通量が増加・縮小することが理解できず,回収された債務証書が消滅するしくみを説明できない(岡橋保)。
通貨が信用貨幣だということは,通貨は誰かの債務だということである。通貨供給量が増えるということは,誰かの債務が増えるということである。したがって,経済活動が拡大すれば,誰かの債務は必ず増大する。個々の主体の純債務はともかくとして,経済全体の総債務は必ず増大する。総債務の増大自体を不健全なことと考えるのは誤りである(井上智洋『MMT』)。
債務の決済は,互いの債務の二者間,あるいは多角的な相殺と,より信用度の高い債務への置き換えによって決済される(※1)。本位貨幣,つまり正貨が存在しない以上,最終的に正貨で支払われることはない。信用度は,通常,個人より産業企業が高く,産業企業より銀行が高く,銀行より中央銀行が高い。だから企業の債務は銀行預金か中央銀行券で支払われ,銀行の債務は中央銀行当座預金か中央銀行券で支払われる(ランダル・レイ『MMT』)。例えば,企業が手形債務を決済するには,他の企業の手形と相殺するか,あるいは銀行預金を用いて支払うか,中央銀行券を用いて支払う。自社と支払先企業の取引銀行が異なっていて預金決済を行った場合は,銀行間に新たに債権債務が発生し,それは双方の銀行が持つ中央銀行当座預金を通して決済される。
ここで注意すべきは,中央銀行の債務よりも上位には,正貨も債務も存在しないことである。したがって中央銀行の債務は中央銀行の債務で支払うしかない(レイ『MMT』)。これは奇妙な事態に見えるが現実である。本位貨幣制度の下であれば,発券銀行の債務証書としての兌換銀行券を持ち込めば,金や銀でできた本位貨幣と交換することができる。これは,銀行券という無期限一覧払債務を,金や銀という本位貨幣で返済したことになる。しかし管理通貨制度の下では,民間銀行は多くの国で銀行券を発券しない。発券するとしても,その不換銀行券を銀行に持ち込んだところで,交換してもらえるのは金貨や銀貨ではなく,中央銀行券である。そして中央銀行券を中央銀行に持ち込んで債務の返済を求めても,得られるのはやはり中央銀行券であり,意味がない。
企業は債務を返済するために,自分と同等以上の信用を持つ企業の手形を入手するか,より高い信用を持つ銀行預金残高,または中央銀行券を入手しなければならない。銀行は債務を返済するために中央銀行預金残高または中央銀行券を入手しなければならない。これに対して中央銀行は,債務が自国通貨建てである限り,返済するためにより上位の債務証書を入手する必要がない。中央銀行当座預金を設定するか,中央銀行券を発券するかして支払えばよいからである。これが管理通貨制度の下での中央銀行の特異な位置である。
ただし,対外債務がある場合は別である。基軸通貨国以外の中央銀行は,対外債務を返済する際には,自国通貨との交換により基軸通貨を調達しなければならないからである。
2.管理通貨制度における通貨供給
管理通貨制度における通貨の基本構成は以下のとおりである。
まず統合政府(中央銀行+中央政府)の債務が存在する。このうち中央銀行の債務は,金融機関が中央銀行に持つ預金と,紙で発行される中央銀行券である。中央政府の債務は,政府発行紙幣や補助貨幣である。
次に銀行の債務が存在する。家計や企業が民間銀行に持つ預金と,国によっては民間銀行が発見する銀行券が存在する。
預金通貨は中央銀行や銀行の債務であり,これらによって創造されたものであることに注意が必要である。中央銀行も銀行も,信用を供与することによって預金を創造する。もう少し具体的には,貸し付けを行うか,あるいは中央銀行の買いオペレーションや銀行の手形割引のように,債券・手形を購入して他者の供与した信用を代位することによって預金を創造する。これは,何の元手もなく可能な行為である。現時点で現金を持たない企業が手形を振り出してものを買うことができるように,中央銀行や銀行は自己宛て債務としての預金を元手なしに創造することができるのである。逆に言えば,銀行は,まず預金を集めて,預金を貸し出しているのではないということである。ただし,貸し付けを受けた企業が預金を引き出そうとする事態に備えて,銀行は中央銀行券を保有しておかねばならない (※2)。
この信用供与,つまり貸し借りとその肩代わりの原理をとおして,信用貨幣は流通に投じられる。まず中央銀行は銀行に対して貸し出しを行い,また債権・手形の購入を行う。そのために必要な銀行券や預金は,わずかな費用で作り出すことができる。中央銀行による貸し付けや買いオペレーションによって中央銀行当座預金が増加し,返済や売りオペレーションによって減少する。
ただし,これだけではまだ市中への通貨供給量は変動しない。無利子または低利子の中央銀行当座預金の増大が,民間銀行の貸出インセンティブを強化し,実際に貸し出しが増加すると,次に見る預金通貨が増大して通貨供給量が増大する。あるいは,市中銀行が紙の中央銀行券を必要とする事態になると,中央銀行当座預金の一部が中央銀行券で引き出され,それが市中に供給されて通貨供給量が増大するのである。つまり,中央銀行は金融取引を通して,間接的にのみ通貨供給量の増減に関与することができる。
市中の銀行は,主に企業に対して,副次的には家計に対して貸し付けを行う。貸し付けはほとんどの場合,預金を創造してそこに貸し付けた金額を振り込むことによってなされる。この預金口座はわずかな費用で作り出すことができる。この貸し付けの返済は中央銀行券または他行の預金からの振り込みによってなされる。他行からの振り込みの場合,振り込み先銀行には振り込み元銀行への債権が発生し,これは両行が持つ日銀当座預金によって決済される。また銀行は,支払期限と宛先が限定されている商業手形を割り引いて,自らの無期限・一覧払債務である銀行預金に置き換えることができる。銀行は手形を持ち込んだものにかわって,手形債務を取り立てる。
これらの銀行のオペレーションを通して通貨供給量は増減する。すなわち,貸し付けや手形割引によって預金通貨の供給量が増大し,返済や取り立てによって縮小する。
これらとは異なる原理によって通貨供給量を増減させることができるのが,狭義の政府,つまり中央銀行とは区別される政府である。狭義の政府は,借り入れ・返済の原理の他に支出・課税の原理によって通貨供給に関与する。狭義の政府は企業や家計に対して,一方では財政支出を行う。財政支出を行うことによって政府債務が増大し,民間経済主体の銀行預金や手持ち中央銀行券が増大する。逆に課税を行うことによって政府債務は縮小し,民間経済主体の銀行預金や手持ち中央銀行券が縮小する。政府が支出のみを行えば通貨供給量は増加し,課税のみを行えば通貨供給量は縮小する(レイ『MMT』)。
なお,狭義の政府は借り入れ・返済の原理でも通貨供給に関わることができる。政府が国債を発行して市中銀行がこれを引き受ける場合,市中銀行の中央銀行当座預金が減少して政府預金が増大する(※3)。政府債務が増大して市中銀行が債権者となる。また,国債を中央銀行が引き受ける場合は,中央銀行は政府預金を設定して国債代金を振り込む。政府債務が増大して中央銀行が債権者となる。ただし,これらのオペレーションは政府預金と中央銀行当座預金だけに関わっているので,直接には通貨供給量を増減させない。あくまでも,政府が支出することで通貨供給量が増え,課税することで減るのである。
※1 カール・マルクス『資本論』は,銀行券の流通が手形を基礎としていると述べた。マルクス経済学者はこれを,商業手形の割引によって銀行券が発生するという意味に理解したが,ここではその理解を採っていない。マルクスに即して言うとすれば,<手形を基礎とする>とは,信用によって債務証書が流通し,債務は債務によって決済されるという意味に理解すべきである。村岡俊三の口頭での示唆による。
※2 ここで銀行の方が企業に貸し付けを行ったのであるが,その際,預金という銀行債務が設定されているので,銀行は債務も背負っているのである。預金を引き出すというのは,預金者が,預金という銀行の債務の返済を迫ることである。銀行は預金債務の返済のために,より信用度の高い中央銀行券を用いねばならないのである。
※3 <国債発行によって民間貯蓄が吸収される>という常識化した説明は,実は誤りである。国債が吸収するのは市中銀行が中央銀行に持つ当座預金である。その減少によって,市中銀行の貸出能力は原理的に制約を受けない。レイ『MMT』参照。個々の事情により銀行規制が課せられている場合は別であるが,それは一般的な理論モデルの問題ではない。
*在宅ワークの制約で,出所を厳密に注記していないことにご容赦をいただきたい。
川端望のブログです。経済,経営,社会全般についてのノートを発信します。専攻は産業発展論。研究対象はアジアの鉄鋼業を中心としています。学部向け講義は日本経済を担当。唐突に,特撮映画・ドラマやアニメについて書くこともあります。
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