1 問題の所在:マルクス派信用貨幣論とMMTが対話する必要性
私は,現代の貨幣のほとんどを信用貨幣,すなわち流通する債務証書として説明する立場である。この立場は,近年台頭している現代貨幣理論(MMT)も唱えるところである。ただし,私の立脚点は,貨幣と金融システムについては,日本のマルクス経済学で発達した信用貨幣論である(※)。マルクスは信用貨幣論とMMTには重なるところもあるが異なるところもある。以下のノートは,私が理解するマルクス派信用貨幣論の論理を説明し,それがMMTとどこが一致し,どこが異なるかを明らかにしようとする試みである。その目的はMMTを論破して否定することではない。私はMMTが,主流派経済学の問題点を衝き,ケインズ派の財政政策を創造的に発展させようとしていることに肯定的な立場である。そして,MMTの理論的な創造性は信用貨幣論にあると考えている。理論的対話を通して信用貨幣論という共通の財産を育てることが,このノートの目的である。
あらかじめ要約しておくと,マルクス派信用貨幣論とMMTの,理論の深いところでの相違点は以下の2点である
1)マルクス派信用貨幣論は,資本主義経済を説明する際に,価値を持った特殊な商品が貨幣になるという商品貨幣論から出発したうえで,貨幣の発達の結果として信用貨幣がもっぱら流通するようになると考える。対してMMTは,商品貨幣論を誤りとして否定したうえで,理論の出発点から信用貨幣論に依拠しようとする。
2)マルクス派信用貨幣論は,通貨が流通する根拠をまずは民間経済に求め,これを補完するものとして政府を位置づける。対してMMTは,現代の金融の動きは信用貨幣論で説明するが,通貨が流通する根拠は「租税が通貨を起動する」という表券主義によって説明する。
以下,詳しく見よう。
2 マルクス派信用貨幣論の論理構成
まず,あまり一般には知られていない,マルクス派信用貨幣論の基本論理を,私の理解によって説明しよう。
(1)商品貨幣から出発し,信用貨幣を説明する
マルクス派は,価値を持った特殊な商品=金などが貨幣として用いられることを基本モデルに置く。つまりマルクス派の基本モデルは商品貨幣論である。しかし,この商品貨幣が,発達した資本主義では流通せずともよくなり,通貨の大半が信用貨幣になるという重層的理論構成をとる。発達した資本主義を説明するには,まず商品貨幣からはじめ,手形を説明し,貸し付けを説明し,産業資本のみならず銀行資本の存在を踏まえた説明することが必要である。そうして,発達した信用機構が,プリミティブなモデルでは必要とされる商品貨幣の流通を,もはや必要としなくなる理由をも説明するのである。
なお,ここでいう基本モデルとは,「かつてはそうだった」という時間的先行性を表すのではなく,あくまでも現在の資本主義経済を説明する際の,論理的に出発点となるモデルのことであることに注意して欲しい。これはMMTの説明との対比で重要な意味を持つ。
さて,商品流通の発達とともに,貨幣の代用物が様々に用いられるようになるが,とくに注目すべきは,商業手形が貨幣の支払い手段機能を果たすようになることである。商業手形は商品の購入にあたって債務者が振り出すもので,債権者を起点として一定範囲で流通する。そして,通貨による返済や債権債務の相殺によって決済される。手形が普及した経済では,債務証書で支払うことや,財・サービス購入をしてから,事後に決済することが可能になる。さらに,信用機構が発達し,利子を取ることを追求する銀行資本が登場すると,銀行が手形を発行する。すなわち,当座性預金と銀行券である。当座性預金は,銀行が企業に対して貸し付けを行う際と,商業手形の割引を行う際に設定される。当座性預金を企業が引き出すと預金が減額され,その分だけ銀行券が発券される。貸し付けが返済されれば銀行券も当座性預金も消滅する。預金や銀行券も手形原理に依拠しているが,購買の際ではなく,信用供与の際に発行されるところ,一覧払であるところが独自の特徴である。当座性預金や銀行券は正貨を代用する購買手段や支払い手段となり,また,インフレーションというリスクを抱えるので不完全ではあるが,価値保蔵手段ともなる。
さらに,一社会全体の支払い決済と信用供与システムを維持するために中央銀行が成立すると,中央銀行当座預金と中央銀行券が成立する。多くの場合,銀行券の発券は中央銀行に集中される。商業手形は流通範囲が狭く,信用供与期間が短く,企業間流通にしか用いられないため通常は通貨と認められないが,より信用度が高く一般的流通に投じられる当座性預金や中央銀行券は通貨と認められる。中央銀行当座預金は一般には流通しないが,銀行間の決済と銀行への信用供与を通して一社会の金融システムを統一し,支える。
(2)管理通貨制度においても,信用貨幣は決済可能である
それでは,管理通貨制度の下で,金貨などの正貨流通が停止されると,信用貨幣は流通できなくなるのであろうか。マルクス派の中にも,そのように考える研究者はいる。金本位制の下では銀行券は信用貨幣だが,金兌換が停止されれば信用貨幣ではなくなるというのである。この見解では,現在流通している預金通貨や中央銀行券は国家が強制通用力を付与した価値シンボルだとされる。しかし,正貨流通が停止されても,信用貨幣は信用貨幣のままだというのがマルクス派の信用貨幣論である。
正貨流通が停止されるというのは,具体的には預金や銀行券が金兌換されないということである。では,金兌換されない預金や中央銀行券が,どうして信用貨幣なのだろうか。それは,信用貨幣に表されている債務の決済方法が元々複数あり,正貨での決済はそのうちの一つに過ぎないからである。
債務としての信用貨幣を決済する方法は,3通りある。第一に,正貨との交換(正貨による債務の返済)である。兌換紙幣の金兌換はこれに該当する。第二に,債権・債務の相殺である。中央銀行や民間銀行の口座内で債務と債権が相殺されれば一方的返済は必要なくなる。また,信用貨幣を用いた貸し付けを信用貨幣で返済することも一種の相殺である。例えば銀行から預金通貨で借り入れを行った企業は,借り入れを行ったという点で債務者である。と同時に,当該銀行の預金を所持しているという点で銀行に対する債権を保持している。この借入を預金通貨を用いて返済するのは,債権と債務を帳消しにする行為と理解できる。第三に,債務を,債務者の債務よりもより信用度の高い債務証書で返済することである。債務には,債務の流通する範囲による階層性が存在する。個人の債務よりは企業の債務(手形など),企業の債務よりは銀行の債務(当座性預金や銀行券),銀行の債務よりは中央銀行の債務(中央銀行当座預金や中央銀行券)の方が流通する範囲が広い。この関係を利用し,個人や企業の債務は,債権者に対してより上位の債務,例えば銀行預金や中央銀行券を引き渡すことで決済できるのであり,銀行が他行や中央銀行に負う債務は,中央銀行当座預金や中央銀行券で決済できるのである。
管理通貨制度の下では正貨流通が停止しており,兌換は行われない。しかし,債権債務の相殺や,より信用度の高い債務証書への置き換えは可能である。なので,預金通貨や中央銀行券は,管理通貨制度でも依然として信用貨幣としての機能を果たすのである。この機能を安定させるために必要なことは,悪性インフレーションの防止であり,債務の階層構造の安定である。
3 マルクス信用貨幣論とMMTの違い
(1)MMTの特徴:表券主義
さて,上記のマルクス派信用貨幣論とMMTは,現に流通している預金通貨や銀行券が信用貨幣だとするところ,債務の階層(ピラミッド)構造による決済を認めることでは一致している。大きく異なるのは,マルクス派は信用貨幣の流通根拠を債務の決済可能性に求めていることであり,それは民間経済内部で可能になっているとすることである。対して,MMTは通貨の流通根拠を表券主義で説明する。政府が国民なり住民なりの人々に対して租税債務を課し,その租税債務の支払いに使えるものとして通貨を発行し,流通させるのだというのである。租税債務の支払いに用いることができること,その可能性を政府が保証することが,通貨の流通根拠なのである。
私は,租税債務の支払いに用いられることが,法定通貨の流通根拠の一つでありうることは否定しない。マルクス派の理論構造になかには,これを否定するものはない。しかしマルクス派の信用貨幣論では,信用貨幣生成の論理の中に流通根拠が含まれているので,表券主義を必要としないのである。
この両説の違いには,どのような理論的背景があるのか。
(2)共時的・論理的説明と通時的・歴史的説明
まず,マルクス派は,現代の通貨の流通根拠を,共時的に,現在のシステムが成り立っている論理的説明として行うのに対して,MMTは,過去から現在に向かっての通時的・歴史的説明として行うという違いがある。
マルクス派の内部でもこの二つの説明方法については長年の論争があるが,信用貨幣論が依拠するのは共時的・論理的説明である。説明すべきは現代の通貨であり,現代とはつまり資本主義社会であり,管理通貨制度である。管理通貨制度を,より抽象的なモデルから具体的なモデルへという順序で,商品通貨から出発し,商品経済における手形の論理を加え,さらに資本主義経済における貸し付けの論理を加えて,実際の複雑な金融システムを説明しようとするのである。
対してMMTは,前資本主義社会や資本主義社会の初期に商品通貨が用いられていたことを否定し,過去から現在まで政府が租税支払いに使えるものとして発行した政府通貨が用いられてきたことを,現代の資本主義経済における通貨の流通根拠の説明に用いようとする。歴史的に,政府通貨が租税支払いにもちいられてきたことが現在の通貨の表券主義的説明の根拠なのである。
ここに両説の違いがある。私は,説明の仕方として,現在のシステムが成り立っている根拠は,あくまでも現在のシステムの論理的説明によるべきであり,システム成立の歴史的経過の説明によるべきではないと考える。
(3)信用貨幣論による説明と表券主義による説明
次に,マルクス派は信用貨幣論から出発し,信用すなわち債権債務の決済の論理で通貨の流通根拠を論じる。対して,MMTは貨幣本質論措定は信用貨幣論なのだが,通貨流通根拠論になると表券主義を強調する。MMT派はそうは考えていないであろうが,私には信用貨幣論と表券主義は異なるものであり,MMTは二元論的説明を行っていると思える。
信用貨幣とは,流通する債務証書が貨幣の役割を果たすものである。それが流通するのは,債務証書が債務証書として健全だからであり,端的にいって決済が可能だからである。したがって信用貨幣の流通根拠は,債務証書としての決済可能性に求めなければならない。私の意見では,それが上記の三つの方法であり,管理通貨制度の下ではそのうち二つが機能しているということである。
MMTの表券主義は,租税債務の支払いに使えることを通貨流通の根拠としている。しかし,それならば,信用貨幣でなくとも,国家が強制通用力を付与した価値シンボルでよいはずである。政府の債務としてでなく資産として発行する通貨でもよい。中央銀行券でなく国家紙幣やコインでもよいはずである。いずれでも租税債務の支払い手段として認めることは可能である。
つまり,MMTの主張する表券主義の政府通貨は,必ずしも信用貨幣でなくともよい。表券主義の基本論理は,信用貨幣論を必要としていないのである。MMTは,租税債務の論理を信用貨幣論と接続させているようであるが,私の見るところ,その接続は十分ではない。信用貨幣とは,債務を負う側が発行する債務証書である。しかし租税の場合,債務を負うのは人々であり,通貨を発行するのは国家の方である。これでは,政府の債務としての信用貨幣の成立を説明することにはならない。政府通貨は信用貨幣でなくても成り立つのである。
マルクス派信用貨幣論は,現代の通貨の流通根拠自体を信用貨幣論によって説明する。信用貨幣が生成する論理の中で信用貨幣の流通根拠も説明するのである。対してMMTは,現代の金融システムの説明には信用貨幣論を駆使するが,通貨の流通根拠自体はそれとは別に表券主義で説明する。以上が両説の違いである。私は,表券主義による説明自体について否定するものではないが,信用貨幣論を駆使するのであれば,信用貨幣の流通根拠は,信用貨幣生成の論理の中で明らかにすべきだと考えている。
※マルクス派信用貨幣論の中にもまたヴァラエティがあるが,ここでとくに念頭に置いているのは,岡橋保,村岡俊三,吉田暁,松本朗の学説である。本ノートで記したことはこれらの先学に多くを負っている。ただし,いずれとも完全に一致するわけではない。
※このノートを書いた後,類似の問題意識による飯田和人「MMTおよび内生的貨幣供給論における貨幣把握について-現代貨幣の流通根拠を巡って-」『政経論叢』90(1/2),2022年(飯田和人『現代貨幣論と金融経済:現代資本主義における価値・価格および利潤』日本経済評論社,2022年に収録)が発表されていることを知った。拙論とは見解が異なるが,参考になる。
続編:「続・マルクス派信用貨幣論とMMTの対比:信用貨幣の流通根拠は手形が債権債務の相殺機能を持つことか,それとも納税に使える国定貨幣であることか」Ka-Bataブログ,2022年9月8日。