イアン・ブレマー氏が3月4日に発表した文章で言う通り(Ian Bremmer, Putin may win the battle for Ukraine, but he has already lost the war, GZERO World with Ian Bremmer, March 4, 2022),プーチンによるウクライナ侵攻は誤算だらけだ。ロシア軍は弱く,ウクライナの抵抗は頑強で,欧米諸国はおおむね結束しており,ロシアの国民生活が被害を受けている。「戦場におけるプーチンのあり得べき勝利は,彼が,自らの核心的な政治目標であり,ウクライナを侵略することを選択した一つの動機であること,すなわち『ロシアを再び偉大にする(make Russia great again)』ということを,決して達成できなくする」。私も,願望としては軍事的にもロシアに撤退して欲しいが,それがかなわないとしても,この戦争を通して政治的にロシアの力は弱まるだろうと予想する。
だが,政治的にプーチンの体制とロシアの政治力が弱体化するとして,その経済的結果はどのようなものだろうか。ロシアへの制裁がもたらす変化は不可逆的であり,またその影響は世界経済全体に及ぶ気配が濃厚だ。ブレマー氏の言う通り「グローバルな貿易・金融システムからのロシア経済の急速で強制的なデカップリングは,深刻な経済停滞(すなわち2桁の景気後退とインフレーション)に向かい,ロシアの普通の人々とオリガルヒ(新興財閥)をともに困窮させることになるだろう」。問題は,それがこの戦争中のことだけとは思えないことだ。プーチン政権が倒れてロシアに欧米と融和的な政権が直ちに成立でもすれば別であるが,そうでない限り,このデカップリングは,戦争が何らかの終結を見た後も,ある程度継続するだろう。そして,ロシアはグローバルな経済システムに復帰しようとするだけでなく,むしろグローバルな経済システムはアメリカやEUが牛耳るものとして一層警戒し,おなじ問題意識を持つ諸国,つまり中国などとともに別の経済圏を構築しようとするかもしれない。
もちろん,それは冷戦期の経済への逆戻りではない。ロシア経済には,かつてのソ連経済ほどの世界における重みはない。またロシアも中国も計画経済ではないし,対外的に全く閉じた経済を構築するつもりもないだろう。しかし,それでも,このウクライナ侵略戦争と,それに対する制裁がもたらすものは,これまでよりも分断された世界経済になるだろう。私はそうなることを希望しないが,経済学者としてそう予測する。
世界経済は,ポスト冷戦期グローバリゼーションの終わりを迎えるのかもしれない。グローバリゼーションは経済的に不可避だと主張する人がいるかもしれないが,グローバリゼーション一般と「ポスト冷戦期グローバリゼーション」は区別されねばならない。両者の違いに目をつむってはならない。ただし,どう形容してもグローバリゼーションという言葉自体が多義的であるため,ここでは話を経済的グローバリゼーション,すなわち貿易・投資の自由化を政策的に保証したうえで,実際にそれらが進展することに限る。
ポスト冷戦期の経済的グローバリゼーションとは,冷戦終結とソ連・東欧の体制崩壊の後,世界のほとんどの諸国の経済開発戦略が,一定の政治的留保の下で貿易・投資の自由化を基調とするものにならざるを得なかったことを意味する。約30年間継続してきたこの時代は,普遍的な真理である市場経済と貿易・投資の自由がついに実現したことを意味しない。ソ連・東欧の体制崩壊後も,世界政治には種々の体制が存在し続けた。中国やベトナムは経済的実態は国家介入の強力な資本主義なのだが,政治的には社会主義を標榜し続けた。社会主義とは縁を切っても,ロシアのように権威主義的統治を良しとする諸国も存在し続けた。だからブランコ・ミラノヴィッチは世界に『資本主義だけ残った』(Capitalism Alone)としながらも,そこでは教科書のような単一の自由と民主主義と市場経済があるのではなく,「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義」が競っているとしたのである。資本主義はどんなに少なく見積もっても2種類ある。そしてもっと様々な資本主義を考えることも可能だし,現に議論されている。
ポスト冷戦期の経済的グローバリゼーションがグローバリゼーションでありえたのは,経済学が正しいから自動的にそうなったのでもないし,政治体制と市場経済のあり方について細部まで合意ができて,世界が単一の体制におおわれたからでもない。グローバリゼーション一般は一つの抽象である。現実に過去30年間推進されたのは,政治・外交上の相違を敢えて脇に置くという,それ自体政治的な合意を維持しながら,貿易・投資の自由化を推進したポスト冷戦期グローバリゼーションである。「市場経済」と「貿易・投資の自由化」を何とか共通の言葉として,双方の経済的利益を図ることでの政治的合意が広く存在したのである。もちろん「市場経済」や「貿易・投資の自由化」という言葉の解釈もさまざまであった。しかし,その言葉にコミットし続けようとする合意が肝心であった。合意などなく妥協だけがあったという人がいるかもしれないが,ここではどちらでも構わない。
この合意・妥協は,米中対立ですでに崩れつつあった。政治・外交方針の違いを脇に置いて,5Gの基地局やスマホ用の半導体を自由に取引し,経済計算のみによって半導体工場の立地を選ぶことはすでにできなくなりつつあった。そしていま,急速な崩壊が訪れつつある。ロシアの軍事行動の是非を脇に置いて,ロシア中央銀行が外貨を運用し,ロシアの銀行がSWIFTで国際決済を行うこと,ロシアの航空機がヨーロッパを飛ぶことを,アメリカやEU諸国や日本は容認できなくなった。
この局面にあっても,経済学的に,むしろ経済学だけの見地から,グローバリゼーション一般の利益を擁護することは可能である。例えば,リチャード・ボールドウィンが『世界経済 大いなる収斂』で述べる,ICTが促進した「第二のアンバンドリング」,つまり工程間国際分業の利益は,いまなお存在し続けている。だから,世論や政策担当者に対して,経済合理性を尊重しろということは可能である。しかし,過去30年間のように,経済的合理性による相互利益のみを理由に,政治・外交上の相違を脇に置けと説得することは,もはや困難である。米中デカップリングの時点で徐々に困難になりつつあったし,ロシアによるウクライナ侵略については考えられない。経済的利益が客観的に考えられるように,現在の国際政治を客観的に見れば,グローバリゼーションの推進を図ることが困難になったのである。
ポスト冷戦期グローバリゼーションは終焉を迎えようとしている。政治や外交を脇に置いて,貿易・投資の自由化を,世界のほとんどの諸国を巻き込んで推進できる時代が終わろうとしているのである。私はそうなることを望まないが,そうなる確率が高いだろうと考えている。