フォロワー

2020年4月29日水曜日

人間は弱いから何を思ってもいいと思う。けれど垂れ流さないようにしないと:岡村隆史風俗発言に心が痛い

私は心の弱い弱虫に過ぎないので,<ああ,自分だけに都合の良い世界になったらいいなあ>と心に思うこと自体は止められないし,責められないと思います。<あんなことやこんなことが起こったらいいなあ>とは私も思います。けれど,それは正しいことではないので,公然とメディアに乗っけて発言しないのが大人だと思うのです。とくに,自分がやられて嫌なことを人に強要する発言はしないとか,自分だけ助かって他人はひどい目に遭えばいいと発言しないとか。どんなに黒い気持ちがあっても,そこだけは守らないと。岡村隆史さんの発言は,そう言うことだと思います。

 もし,ある種の性的指向を持つ人が,「コロナ明けたら、なかなかの<没落した芸人さんが>短期間ですけれども、<男性芸人がM風俗>やります。これ、何故かと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなった時に今までのお仕事よりかは」と公言したら,岡村さんは嬉しいでしょうか。<仕事なくなって食い詰めた岡村が風俗に出てきて,あんなことやこんなこともやり放題になる。岡村を鞭で打ったり,ろうそく垂らしたり,踏みつけたりもし放題になる>,だから「いろいろ仕事ない人もアレですけども、切り詰めて切り詰めて、その時の3カ月のために頑張って、今、歯食いしばって踏ん張りましょう。そうしたら、コロナ明けた時に、その3カ月、見てみ?行ってみ?」「僕は、僕はそれを信じて今、頑張っています」とメディアで垂れ流されたら,岡村さんは嬉しいかと。辛い気持ちにならないかと。もし,自分に置換えたらちょっとでも辛いと思うのなら,言わずにおこうとするのが,大人だと思うのです。繰り返しますが,黒い気持ちがあってもしかたがないと思います。それは否定しません。でも,それを心の中だけに封印して,決して垂れ流さないことが大切じゃないかと。


0 件のコメント:

コメントを投稿

岡橋保信用貨幣論再発見の意義

  私の貨幣・信用論研究は,「通貨供給システムとして金融システムと財政システムを描写する」というところに落ち着きそうである。そして,その前半部をなす金融システム論は,「岡橋保説の批判的徹底」という位置におさまりそうだ。  なぜ岡橋説か。それは,日本のマルクス派の伝統の中で,岡橋氏...