5 紙切れや数字上の存在がどうして貨幣になるのか
ここまでの話から,また疑問がわくと思います。まず,金塊ならとにかく,紙切れや,数字上の存在に過ぎない預金が,どうして貨幣として認められ通用するのかということです。それも,民間銀行が発行した数字までもです。これの答えを一言で言うと,「手形だから」となります。別の言い方をすれば「信用できる支払約束だから」となります。もっと日常用語で言えば,支払われそうな債務証書,または借用証書だからと言ってもいいです。
そう言ってもわかりにくいですから,まずは,何かが貨幣として認められる理由としてありそうなものをあげていきましょう。1番目は,それ自体価値がある商品であるから,です。これは金や銀などの貴金属に当てはまりますね。2番目は,それ自体は紙切れとかデジタル信号であっても,貴金属と交換できる場合です。これがいわゆる兌換紙幣です。銀行の窓口に持っていけば金貨などの本位貨幣と変えてくれるようなものです。3番目は,国家によって受け取りを強制されている場合。それによってみんながお金と認めることにした場合です。江戸時代の藩が発行していた藩札や,軍隊が発行する軍票にはこのような性格があると言われます。現在も,このような側面もあります。たとえば日本銀行法第46条第2項は,「日本銀行が発行する銀行券は,法貨として無制限に通用する」と定めています。また別の法律では,効果は額面価格の20倍までに限って法貨として通用すると書かれています。硬貨を21枚以上出して払おうとすると拒否されてもしかたがない,という話を聞いたことがあるでしょう。
さて,これらのほかにもう一つ,根拠があります。それは,発行者に信用がある手形だからというものです。ここでおおざっぱには手形を債務証書と広く言い換えてもかまいません。実はこれが現代の貨幣には当てはまります。預金とは,実は銀行の債務証書なのです。また,中央銀行券とは,中央銀行の債務証書なのです。
さて,現代の通貨制度は管理通貨制度であり,金本位制は停止されています。金本位制の場合は,いまあげた根拠の1番目と2番目が機能しますが,管理通貨制度では機能しません。中央銀行も銀行も,中央銀行券や預金を金と交換してくれないからです。
なので,現代で現金や預金通貨が流通する理由としては,3番目と4番目が候補として残ります。実は,ここで経済学者の見解は大きく分かれていますので,両方を紹介します。3番目の,国家の強制通用力と,それを受けて人々が承認することが根拠になるという考えは,経済学では多数説を占めています。これを強制通用力説と言います。4番目の,信用ある手形だからというのを主要な理由,強制通用力を副次的な理由とする説は,経済学では少数派です。ただし,銀行業界ではおそらく多数説で,ねじれた状態にあります。こちらは信用貨幣説と呼ばれます。私はこちらの見地に立って,本日お話ししています。
以下,少し長くなりますが,「信用のある手形,債務証書は貨幣になる」というすじみちを,説明していきます。
図 1をご覧ください。いまAさんとBさんの二人がいて,それぞれ事業を営んでいるとしましょう。Aさんが,原料の仕入れなどビジネスのためにBさんから商品を買うとします。そして,現金ですぐ支払うのではなく,手形を発行してBさんにわたし,支払いを約束します。「Aは,何月何日まで1万円支払います」と言った約束をするのです。Bさんは期日になったらAさんにこの手形を提示します。Aさんは現金で支払い,BさんはAさんに手形を渡します。Aさんは自分のところに戻ってきた手形を破棄します。自分のところに自分の債務証書が戻ってきたのですから,もう支払う必要がなくて,無効にできるわけです。これが,手形取引のもっとも単純な原理の説明です。現在では紙の手形は電子手形に変わっていますが,このような取引は頻繁に行われています。
図 1 商業手形のしくみ
出所:川端作成の講演スライド。以下全て同じ。
さて,手形取引がもう少し発展すると,信用のある手形は流通するようになります。図 2をご覧ください。今度は,やはり事業を営むCさんとDさんにも登場してもらいましょう。AさんがBさんから商品を買って,自分あての手形を渡すところは先ほどと同じです。今度は,BさんがCさんから物を買う必要があると想定します。この時,Bさんは,Aさんの手形をCさんに渡すことで商品を買います。Cさんが,「Aさんの手形ならば信用できるから,それでいいよ」と言ってくれれば取引は成立します。Cさんは,同じことを,Dさんから商品を買う際におこない,Aさんの手形で買います。Dさんがやはり「Aさんの手形なら信用できるからいいよ」と言ってくれれば取引成立です。そしてDさんは期日になったらAさんから代金を回収し,手形をAさんに戻します。Aさんは手形を破棄します。これが手形の第1の原理です。
ここで大事なことは,BさんがCさんから,CさんがDさんから物を買う際には,貨幣なしで買った,正確に言うと手形が貨幣の代わりになったということです。なぜそんなことができるかというと,貨幣には支払い手段機能があるので,買う瞬間と支払う瞬間は分離できるからです。この分離を現実にする役割を手形が果たすのです。ここで見た,商品を流通させる手形の場合,手形は支払い手段機能を根拠にしつつ,ものを流通させる機能を代行しています。
図 2 商業手形の流通
さて,もう一段階話を進めます。今度はAさんとBさんにだけ登場してもらいます。図 3をご覧ください。Aさんは手形でBさんから商品1万円を買います。しかしBさんも商売の都合上,Aさんから別な商品をやはり1万円分,Bさんが発行した手形によって買うとします。支払期日は同じです。この場合,AさんとBさんは,互いに自分の持っている手形と相手の持っている手形を交換すれば,支払いは済んだことになります。それぞれ自分の発行した手形を取り戻して破棄して,支払いは完了です。当たり前だと思われるでしょうが,ここで肝心なことは,結局,ほんらいの貨幣は全く登場せずに取引が完結したということです。裏返して言うと,手形は貨幣として機能しました。なぜそれができたかというと,債権と債務が相殺されたからです。債権・債務の相殺によって支払いを完結させるのが,第2の手形原理なのです。
ここまでをまとめると,信用ある手形,支払い約束,債務証書が貨幣になるのは,購買と支払いを分離し,債権と債務を相殺するという手形原理のおかげです。
まず,商品を買いたいという必要に応じて手形が発行されるます。信用がある主体ならば,自分あての債務証書を発行して受け取らせることができる。信用がある手形は商品を流通させ,債権債務が相殺される限りでは支払を完結させ,貨幣の代わりをするのです。
ただ,一般の企業が発行する商業手形では,流通する範囲に限界があります。なので,商業手形は,今日,通貨としては認められません。しかし,もっと信用のある手形ならば,流通範囲が
図 3 手形を用いた債権債務の相殺
広がって,貨幣の代わりをより高いレベルでつとめ,貨幣そのものと認められるようになります。それはどんな手形なのかというのが,次の話です。(続く)
■補足
*私の信用貨幣論は,商品経済における手形から出発するものである。ここは,マルクス経済学の伝統的な信用理論と同じである。「いろいろ言われているが,結局,古い理論の方が正しい」最たる例だと考えている。
*信用貨幣の国定貨幣説はいきなり国家の課税からはじめて,人々が,納税に使えるものを貨幣と認めるところから貨幣一般と信用貨幣の成立を説明する。しかし,前資本主義社会からの歴史的経過ではなく,資本主義社会における信用貨幣の成立を説明するならば,「貨幣とは商品経済を成り立たせるもの」というところから始めなければならない。商品経済,あえて今風の用語でいうならば市場経済の発展とともに貨幣も発展するのであり,それと全く別に国家から貨幣を説明すれば,商品/市場/資本主義経済の発展と貨幣の発展は,まったく連関のないものになってしまうだろう。
*ただし国定貨幣説にも正しいところはある。それは,「わが国の通貨名は×××である」という価格標準の質的設定(そういってわかりにくければ「通貨単位の命名機能」)は国家によるものだ,というところである。ついでにいうと価格標準の水準設定(金○ミリ=1円だぞ)も国家によるものである。後者は現代社会で停止しているが,それで商品経済が成り立たないことはない。しかし,前者は現代も必須のものであり,それなしに商品経済は成り立つことができない。この点で国家は重要なのである。クナップ『貨幣の国家理論』は,「国家が単位名をつけるから貨幣が成り立つのだ」と言ったところが正しいが,「だから貴金属の価値と貨幣価値は関係ない」と言ったのは勇み足であった。