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2022年3月17日木曜日

私は無事ですが,研究室が……

 3月16日夜の地震後も,私は無事でおり,ネットアクセスも維持できております。しかし,研究室は突っ張り棒を多数かませていたにもかかわらず本棚が倒れ,修復に一週間から10日ほど時間を要しそうです。



2022年3月16日水曜日

再論:コルレス契約が制限されない限り,SWIFT排除だけでは国際決済からの排除にはならないことに注意すべき

 ロイターの記事「情報BOX:ロシア、SWIFT代替手段に限界 決済コスト上昇不可避」(2022年3月8日)は,SWIFTから排除されたロシアの銀行が使う代替手段には限りがあると指摘している。確かにその通りだろうが,逆に言うと代替手段がないわけではないことには注意を要する。今後も,ロシアの政府・銀行は様々な抜け道を探るだろう。だから代替手段について研究しておくことは制裁の効果を見極めるうえで有意義である。

 記者が気づいているのかどうかわからないが,この記事が最後に紹介している手段が,実は最もオーソドックスである。

「ロシアの銀行にとってより適切な代替手段は、ロシア製品を輸入した業者から代金を受け取り、ロシアの輸出業者に支払いを行う海外の取引銀行との間で、電話やファックス、メッセージングアプリを使った特別の送受信システムを構築することだ。」

 これは特別なことではない。「メッセージングアプリ」を「テレックス」にでも置き換えれば,単に「昔に戻る」だけのことである。

 以前にも書いたように,SWIFTは国際決済システムそのものではない。通貨が国ごとに異なっており,金や貴金属の現送での支払いがもはや行われていない世界では,世界通貨が存在しないからである。なので,国際決済は,必ず特定の通貨で,特定国の中央銀行の預金システムを介して行わねばならない。だから,各国の銀行は決済を行う国の銀行とコルレス契約を結び,共通の中央銀行に預金を持つコルレス銀行同士で決済してもらうのである。SWIFTは,ICTとメッセージ標準化により,これを効率化するシステムであって,それ以上でもそれ以下でもない。これはICTが未熟だからではなく,世界が諸国に分かれて別の通貨を用いているという制度の問題である。

 この記事が紹介している方法は,コルレス契約を使った決済を,SWIFTをつかわずにやるだけのことである。恐ろしく面倒で,コストがかかるから小口取引が排除され,時間がかかり,不正確になるだろう。しかし,原理的に不可能ではない。

 もちろん,現実にはSWIFTからの排除だけでなくロシアの銀行との対外送金業務自体が制限されているので,決済ははなはだしく制約される。しかし,SWIFTからの排除自体が国際決済をただちに不可能にするものではないことは,この記事からも読み取っておく必要がある。

「情報BOX:ロシア、SWIFT代替手段に限界 決済コスト上昇不可避」REUTERS,2022年3月8日。


2022年3月14日月曜日

金融政策の限界(2)リフレーション政策は有効か:動画・現代資本主義におけるマクロ経済政策第23回

 金融政策の限界(2)。「量的金融緩和で通貨膨張を起こせばデフレから脱却できる」というリフレーション政策論への批判。言いたいことは3点。

1)中央銀行が買いオペレーションをすれば通貨供給が必ず増えるというメカニズムはない。

2)現実の需要が増えるよりも先に「インフレ期待」が起きるという想定は転倒している。

3)そもそも中央銀行の金融政策ではインフレは起こせないのだから,信じろという方が無理。

 もはや政策の現場では多くの人が認めていることだが,そもそも理論的に問題があったことを確かめておくべきだろう。

 1)は深刻で,リフレーション派が「金融政策は,通貨供給量を外生的にコントロールできる」という仮定に依拠していたことへの批判である。しかもこの仮定は,マクロ経済学の主流派が漠然と想定していた仮定でもあった。リフレーション派の中に,やけに居丈高で「われこそは経済学の本流。理解しないやつは不勉強」という態度をとる論者があったのは,パーソナリティの問題を除けばここに理由があった。

 私は,どんな学問でも主流の理論はそれとして尊重されるべきあると思う。しかし,主流の理論の基本的な想定が間違っているということもありうるのであって,そういうときは「根本からまちがっている」と指摘せざるを得ない。もう少し丁寧に言うと,モデルが抽象的過ぎて現実と合わないという場合ならば,とくに否定されるべきではない。議論の抽象度や解像度を踏まえて論じるのであれば,モデルと現実がずれていても,そのリアリティは必ずしも否定されるべきではない。しかし,露骨に現実と異なっているモデルで直接に現実を説明しようとし,あげく「これが主流の議論だから従え」ではイデオロギーである。

 2)は「まず中央銀行の強いコミットメントでみんなに『インフレが起こるぞ』と信じさせればいい」という議論は,現実の前に「まず,とにかく信じよ」というところがおよそ社会科学らしくない。それでも信じるべき根拠があるならいいのだが,1)により,そもそも中央銀行がいくらコミットしたところでインフレになるメカニズムがない。3)なので非伝統的金融政策によるリフレ論とは,事実上,「嘘を100回言って信じさせよう」というものである。かなり正確な意味で呪術経済学だったと言わざるを得ないのである。

  いま私はそれなりに丁寧に批判したつもりであるが,それでもあまりに否定的だと思われるかもしれない。そこで,もう少し生産的に,対案を提示しながら言おう。問題は「政府もしくは中央銀行が貨幣供給をコントロールする」という想定にある。この想定の問題は,一体,貨幣供給をどのような取引によって行うかをオミットしていることである。

 いうまでもないことで,中央銀行は,中央銀行-銀行-企業や家計というルートで,貸し付けと返済,または債券の売買(信用代位)を通して行う。そして政府は財政支出と課税を通して行うのである。管理通貨制度を扱うマクロ経済学は,基本モデルにこれを含むべきである。これが対案である。これ以上,何も捨象してはならない。

 金融システムについて言うならば,『銀行による貸し借りだ』というところを勝手に捨象して『政府や中央銀行が市場に貨幣を供給している』というモデルにしてはならないのである。抽象モデルだからいいということにはならない。これは合理的な抽象,つまり本質的なものを維持してそうでないものを捨てる抽象ではなく,本質を歪めて余分なことを密輸入する誤った抽象だからである。貸し借りによる通貨供給とは,「借りたいという希望がなければお金を貸しようがない」という性質を含んでいる。これを「中央銀行は自由にお金を供給できる」という風にすれば話は歪み,中央銀行が突然万能になる。ここに誤りがあったのである。

金融政策の限界(2)リフレーション政策は有効か 現代資本主義におけるマクロ経済政㉓



2022年3月11日金曜日

金融政策の限界(1)利子率が下がれば必ず投資と消費が促進されるか:動画・現代資本主義におけるマクロ経済政策第20-22回

  伝統的・非伝統的金融政策の説明と,その限界「その1」の動画。

 2000年代の日本で始まり,アベノミクス=黒田日銀で大々的に展開された非伝統的金融政策には,いくつもおかしい点がある。一つは,金利が下がれば投資が増えるだろうという仮定していることだ。投資は,実質金利と,資本の限界効率との関係によって決まる。そして資本の限界効率には,ケインズが美人投票の比喩で述べたように,集団心理によって左右される不確実性が存在する。端的に言えば,「投資したところで製品が売れそうには思えない」と経営者が悲観しているような経済情勢が長く続くと,既に名目上ゼロにまで下がっている金利を多少引き下げたところで,投資は盛り上がらない。経営者が悲観してしまう理由の方を取り除かねばならないのである。それは将来不安による消費の手控え,そして消費者がそのように行動しているという経営者の認知である。ここを変えることは金融政策ではできない。財政政策,社会政策,産業政策に頼らざるを得ない。

 だから1990年代からうわごとのように繰り返された「景気が悪いのはデフレのせいだ」は転倒した議論であった。単純に需要が盛り上がらないから物価が上がらなかったのである。これが根本要因である。

 とはいえ,「デフレが悪い」という側面も副次的にはないではなかった。経営者が設備投資よりも,現金の積み上げ,株式投資,せいぜいM&Aによる産業再編(これはマクロ的には投資ではない)に走るのは,その方が利益率が期待できるからであり,そこには物価が上昇しないという環境が作用しているからだ。

 しかし,「デフレが悪い」という話がある程度までは正しくても,「だから金融緩和でインフレにすればいい」というリフレーション論は,さらに大きな間違いであった。まず先に需要が盛り上がっている状態ならば,金融緩和でさらなる投資・消費の拡大と物価上昇を促進することはできるだろう。しかし,需要超過がないところで,まず最初に「金融緩和でインフレにする」ことはできないのである。これは第23回のテーマである。

伝統的金融政策とその行き詰まり 現代資本主義におけるマクロ経済政策⑳




非伝統的金融政策とは何か 現代資本主義におけるマクロ経済政策㉑




金融政策の限界(1)利子率が下がれば必ず投資と消費が促進されるか  現代資本主義におけるマクロ経済政策㉒



2022年3月9日水曜日

The End of Post-Cold War Globalization: Shaking by U.S.-China Conflict, Blow by Russian Invasion and Western Economic Sanctions

As Ian Bremmer says on March 4  (Ian Bremmer, Putin may win the battle for Ukraine, but he has already lost the war, GZERO World with Ian Bremmer, March 4, 2022), Putin's invasion of Ukraine is riddled with miscalculations. The Russian army is weak, Ukrainian resistance is stubborn, the West is tightly united, and Russian civil life suffers. "Putin's likely 'victory' on the battlefield guarantees that he will never achieve his core political objective and the one reason he chose to invade Ukraine in the first place: to make Russia great again." I would like to see Russia withdraw militarily, but even if that does not happen, I think that Russia's power will be weakened politically through this war.

 But if Putin's regime and Russia's political power are weakened politically, what will be the economic consequences? The changes brought about by sanctions against Russia will be irreversible, and the effects will be felt throughout the global economy. As Bremer puts it, "The rapid and forced decoupling of the Russian economy from the global trading and financial system will head toward severe economic stagnation (i.e., double-digit recession and inflation), impoverishing both ordinary Russians and oligarchs alike." The problem is that it is unlikely to be just during this war. Unless Putin's regime falls and a Western-friendly government is immediately installed in Russia, this decoupling will continue to some extent even after the war comes to some conclusion. Russia may try to return to the global economic system. Still, it will consider the global economic system dominated by the U.S. and the EU. Moreover, it will try to build another economic bloc with countries with the same awareness of the problem, i.e., China and its friendly countries.

 Of course, this is not a reversion to the Cold War economy. The Russian economy does not carry the same weight in the world as the Soviet economy did in the past. Nor is Russia or China a planned economy, nor do they intend to build an economy that is closed to the outside world. Nevertheless, the war of aggression against Ukraine and the sanctions to Russia will result in a more fragmented world economy than we have seen so far. I don't want that to happen, but as an economist, I predict it.

 The world economy may well be at the end of post-Cold War globalization. While some may argue that globalization is economically inevitable, a distinction must be made between globalization in general and "Post-Cold War globalization" in particular. We must not close our eyes to the difference between the two. However, since the term "globalization" itself is ambiguous, I will limit my discussion here to economic globalization, i.e., the actual progress of trade and investment liberalization based on policy guarantees.

 Economic globalization in the post-Cold War era means the following. After the end of the Cold War and the collapse of the Soviet Union and Eastern European planned economies, the economic development strategies of most countries in the world had to be based on trade and investment liberalization with certain political reservations. This period, which lasted for about 30 years, does not mean that the universal truths of market fundamentalism and economics of freedom of trade and investment have finally been realized. Even after the collapse of the Soviet and Eastern European regimes, various regimes continued to exist in world politics. China and Vietnam continued to advocate socialism politically, although their economic reality is capitalism with strong state intervention. Some countries had broken away from socialism but still favored authoritarian rule, such as Russia. So while Branko Milanovic said that "Capitalism Alone" remained in the world, there was not single free, democratic market economy like a textbook, but rather a competition between "liberal meritocratic capitalism" and "political capitalism." There are two kinds of capitalism, no matter how small the estimate. And it is possible to think of much more varied capitalism, and they are being discussed.

 Economic globalization in the post-Cold War period was not automatically realized because economics was right. Nor was it because a single regime covered the world with agreement on the details of the political regime and the market economy. Globalization, in general, is a kind of abstraction. In reality, post-Cold War globalization has promoted trade and investment liberalization for the past 30 years while maintaining a political consensus that dares to put aside political and diplomatic differences. There was a widespread political agreement to pursue the economic interests of both sides, with "market economy" and "trade and investment liberalization" as somehow common terms. Of course, there were various interpretations of the terms "market economy" and "trade and investment liberalization." But an agreement to remain committed to those terms was crucial. Some might say there was no agreement, only compromise, but either is acceptable here.

 This agreement or compromise was already crumbling due to the U.S.-China confrontation. It became impossible to put aside differences in political and foreign policy for free trade of semiconductors for 5G base stations and smartphones. It became difficult to choose the location of semiconductor factories based solely on economic calculations. And now, a rapid collapse is coming. The U.S., EU countries and Japan can no longer tolerate the Russian central bank managing foreign currency reservations, Russian banks conducting international payments through SWIFT, and Russian aircraft flying over Europe.

 Even in this phase, it is possible to defend the benefits of globalization in general from the standpoint of economics, or rather economics alone. For example, the "second unbundling" promoted by ICTs, which Richard Baldwin describes in "The Great Convergence: Information Technology and the New Globalization" or the benefits of the international division of labor between processes, continues to exist. So it is possible to ask public opinion and policymakers to respect economic rationality. However, it is no longer possible to persuade them to put aside political and diplomatic differences solely based on mutual benefits from economic rationality, as has been the case for the past 30 years. It became gradually more difficult at the time of the U.S.-China decoupling and is unthinkable now in the face of the Russian invasion of Ukraine. Just as considering economic interests objectively, it has become challenging to promote globalization if one looks at current international politics objectively.

  Post-Cold War globalization is coming to an end. The era in which liberalization of trade and investment can be promoted with the involvement of almost all countries of the world, leaving political and diplomatic conflicts aside, is coming to an end. I do not want it to happen, but I think it will be a high probability.


2022年3月6日日曜日

ポスト冷戦期グローバリゼーションの終焉:米中対立による揺さぶり,ロシアの侵略と西側諸国の経済制裁による一撃

 イアン・ブレマー氏が3月4日に発表した文章で言う通り(Ian Bremmer, Putin may win the battle for Ukraine, but he has already lost the war, GZERO World with Ian Bremmer, March 4, 2022),プーチンによるウクライナ侵攻は誤算だらけだ。ロシア軍は弱く,ウクライナの抵抗は頑強で,欧米諸国はおおむね結束しており,ロシアの国民生活が被害を受けている。「戦場におけるプーチンのあり得べき勝利は,彼が,自らの核心的な政治目標であり,ウクライナを侵略することを選択した一つの動機であること,すなわち『ロシアを再び偉大にする(make Russia great again)』ということを,決して達成できなくする」。私も,願望としては軍事的にもロシアに撤退して欲しいが,それがかなわないとしても,この戦争を通して政治的にロシアの力は弱まるだろうと予想する。

 だが,政治的にプーチンの体制とロシアの政治力が弱体化するとして,その経済的結果はどのようなものだろうか。ロシアへの制裁がもたらす変化は不可逆的であり,またその影響は世界経済全体に及ぶ気配が濃厚だ。ブレマー氏の言う通り「グローバルな貿易・金融システムからのロシア経済の急速で強制的なデカップリングは,深刻な経済停滞(すなわち2桁の景気後退とインフレーション)に向かい,ロシアの普通の人々とオリガルヒ(新興財閥)をともに困窮させることになるだろう」。問題は,それがこの戦争中のことだけとは思えないことだ。プーチン政権が倒れてロシアに欧米と融和的な政権が直ちに成立でもすれば別であるが,そうでない限り,このデカップリングは,戦争が何らかの終結を見た後も,ある程度継続するだろう。そして,ロシアはグローバルな経済システムに復帰しようとするだけでなく,むしろグローバルな経済システムはアメリカやEUが牛耳るものとして一層警戒し,おなじ問題意識を持つ諸国,つまり中国などとともに別の経済圏を構築しようとするかもしれない。

 もちろん,それは冷戦期の経済への逆戻りではない。ロシア経済には,かつてのソ連経済ほどの世界における重みはない。またロシアも中国も計画経済ではないし,対外的に全く閉じた経済を構築するつもりもないだろう。しかし,それでも,このウクライナ侵略戦争と,それに対する制裁がもたらすものは,これまでよりも分断された世界経済になるだろう。私はそうなることを希望しないが,経済学者としてそう予測する。

 世界経済は,ポスト冷戦期グローバリゼーションの終わりを迎えるのかもしれない。グローバリゼーションは経済的に不可避だと主張する人がいるかもしれないが,グローバリゼーション一般と「ポスト冷戦期グローバリゼーション」は区別されねばならない。両者の違いに目をつむってはならない。ただし,どう形容してもグローバリゼーションという言葉自体が多義的であるため,ここでは話を経済的グローバリゼーション,すなわち貿易・投資の自由化を政策的に保証したうえで,実際にそれらが進展することに限る。

 ポスト冷戦期の経済的グローバリゼーションとは,冷戦終結とソ連・東欧の体制崩壊の後,世界のほとんどの諸国の経済開発戦略が,一定の政治的留保の下で貿易・投資の自由化を基調とするものにならざるを得なかったことを意味する。約30年間継続してきたこの時代は,普遍的な真理である市場経済と貿易・投資の自由がついに実現したことを意味しない。ソ連・東欧の体制崩壊後も,世界政治には種々の体制が存在し続けた。中国やベトナムは経済的実態は国家介入の強力な資本主義なのだが,政治的には社会主義を標榜し続けた。社会主義とは縁を切っても,ロシアのように権威主義的統治を良しとする諸国も存在し続けた。だからブランコ・ミラノヴィッチは世界に『資本主義だけ残った』(Capitalism Alone)としながらも,そこでは教科書のような単一の自由と民主主義と市場経済があるのではなく,「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義」が競っているとしたのである。資本主義はどんなに少なく見積もっても2種類ある。そしてもっと様々な資本主義を考えることも可能だし,現に議論されている。

 ポスト冷戦期の経済的グローバリゼーションがグローバリゼーションでありえたのは,経済学が正しいから自動的にそうなったのでもないし,政治体制と市場経済のあり方について細部まで合意ができて,世界が単一の体制におおわれたからでもない。グローバリゼーション一般は一つの抽象である。現実に過去30年間推進されたのは,政治・外交上の相違を敢えて脇に置くという,それ自体政治的な合意を維持しながら,貿易・投資の自由化を推進したポスト冷戦期グローバリゼーションである。「市場経済」と「貿易・投資の自由化」を何とか共通の言葉として,双方の経済的利益を図ることでの政治的合意が広く存在したのである。もちろん「市場経済」や「貿易・投資の自由化」という言葉の解釈もさまざまであった。しかし,その言葉にコミットし続けようとする合意が肝心であった。合意などなく妥協だけがあったという人がいるかもしれないが,ここではどちらでも構わない。

 この合意・妥協は,米中対立ですでに崩れつつあった。政治・外交方針の違いを脇に置いて,5Gの基地局やスマホ用の半導体を自由に取引し,経済計算のみによって半導体工場の立地を選ぶことはすでにできなくなりつつあった。そしていま,急速な崩壊が訪れつつある。ロシアの軍事行動の是非を脇に置いて,ロシア中央銀行が外貨を運用し,ロシアの銀行がSWIFTで国際決済を行うこと,ロシアの航空機がヨーロッパを飛ぶことを,アメリカやEU諸国や日本は容認できなくなった。

 この局面にあっても,経済学的に,むしろ経済学だけの見地から,グローバリゼーション一般の利益を擁護することは可能である。例えば,リチャード・ボールドウィンが『世界経済 大いなる収斂』で述べる,ICTが促進した「第二のアンバンドリング」,つまり工程間国際分業の利益は,いまなお存在し続けている。だから,世論や政策担当者に対して,経済合理性を尊重しろということは可能である。しかし,過去30年間のように,経済的合理性による相互利益のみを理由に,政治・外交上の相違を脇に置けと説得することは,もはや困難である。米中デカップリングの時点で徐々に困難になりつつあったし,ロシアによるウクライナ侵略については考えられない。経済的利益が客観的に考えられるように,現在の国際政治を客観的に見れば,グローバリゼーションの推進を図ることが困難になったのである。

 ポスト冷戦期グローバリゼーションは終焉を迎えようとしている。政治や外交を脇に置いて,貿易・投資の自由化を,世界のほとんどの諸国を巻き込んで推進できる時代が終わろうとしているのである。私はそうなることを望まないが,そうなる確率が高いだろうと考えている。

2022年3月5日土曜日

政治経済学の独自の視点:資本主義への道,アソシエーションへの道 第9回(最終回)

 マルクス経済学入門講義の最終章。私のマルクス経済学理解として,念頭に置いていたことは以下の2点である。もっとも講義では時間がないしあまり複雑なことは言えなかった。

1.私の『資本論』理解は浅いものであるが,東北大学における『資本論』研究の伝統のかけらくらいは意識しているつもりである。一方で,この講義では,宇野弘藏氏の提起した命題,つまり,資本の一般理論は「できる限り資本形態の理論,あるいは純粋資本主義の理論として叙述されるべきである」ことを認める(※1)。しかし,「原理論は資本の運動が永久に繰り返されるかのように叙述するべきである」という宇野氏のたどり着いた結論には否定的である。ではどのように展開するのかというと,「できる限り資本形態の理論,あるいは純粋資本主義の理論として叙述されるべきであるが,どうしてもそうし切れないところはそのように指摘する」のである(※2)。それはいまふうに言うならば,「資本主義には,どうしても市場によっては決定されない側面が含まれている」ということである。『資本論』第1巻の範囲だけで行っても,

・剰余価値率の水準は,経済的に一義的には決まらない。標準労働日をめぐる闘争や国家の介入によって政治的・社会的に決まる(※3)。
・起こるかどうか不確定なイノベーション(生活手段生産部門での生産力上昇)なしには資本主義は発展できない。
・産業予備軍は労働力の再生産費を賃金として受け取ることができないから,資本と市場によっては再生産されない(※4)。

などがこれにあたる。

2.さて,それでもできる限り資本の運動法則が貫徹するものとして叙述しなけばならない。そうした叙述は,一方で上述のように理論的限界に突き当たるが,他方で歴史的限界につきあたる。つまり,資本の法則が歴史的・社会的要因によって修正を受けることがある。その最たる例は,賃金は労働力の価値に等しいという賃金本質論であり,開発経済学ふうに言うならば生存賃金説である。

 この資本の法則が労働運動をはじめとする社会的要因によって修正されたことはまちがいない。賃金が資本の費用としてのみならず,経済成長を支える購買力としても作用するようになり,また労働者家計も貯蓄を持つようになった。そして,資本はこれらを新たな前提条件として資本蓄積の態様を変えていったのである。このような修正によって,資本主義にも様々な局面が生まれる。私はこのように理解するので,例えば大量生産・大量消費による経済成長を歴史的に認識するレギュラシオン・アプローチや社会的蓄積の構造理論(SSA)には肯定的である。

 プラグマティックに言うと,正直,この2がないと授業が成り立たなかった。学生が「なんか資本主義は地獄みたいですが」と質問して来るからである。その先は二つに分かれる。一つは,「とても生きられる気持ちがしなくて絶望的になります」というもので,もう一つは「現実がそこまでひどいと思えないんですが」というものだ。2の視点を持っていることで,この疑問に一応,経済学的に答えることができた。

 この程度の理解しかない奴に講義をさせるなというご意見はあるかと思うが,マルクス経済学の講義がまったくなくなるよりはましということで,ご勘弁いただきたい。

※1 東北大学では,田中菊次氏と原田三郎氏が,宇野氏の問題意識と格闘されたうえで,宇野氏と異なる結論に達した。そのため,両氏の理論を受け継ぐ研究者も,例え宇野派でなくても宇野氏の問題意識を尊重するのが普通の習慣となった。他大学のマルクス経済学者の方には意外かもしれないので記しておく。

※2 ご本人がどう思っているかわからないが,私は守健二氏からこの観点を教えられたつもりである。

※3 それは服部英太郎氏と服部文男氏の受け売りではないかと言われればそうである。

※4 それは原田三郎氏の受け売りではないかと言われればそうである(近年になって梅本克己氏もこの論点を宇野氏に対して提起していたと知った)。

政治経済学の独自の視点:資本主義への道,アソシエーションへの道 第9回(最終回)




2022年3月2日水曜日

ロシアとの関係は大事だが,グローバリゼーションの利益は手放せない中国政府:迷いのある綱渡りをする理由

 Reuters BreakingviewsのコラムニストYawen Chen氏は,「中国はロシアへの対応で綱渡りを強いられており、しかも足を踏み外す危険がどんどん高まっている」「中国がロシアを手助けし過ぎると、自らも火の粉を浴びかねない」と評価している。これは主に,貿易取引を人民元建てで決済することに即した話だが,経済制裁全般に言えることだ。

 ロシアのウクライナ侵略に対する経済制裁の結果は,経済的な意味でのグローバリゼーションの中断か終焉かもしれない。とすれば,中国が対応に迷うのも当然だ。中国は,過去30年間,WTO加盟をはじめとする貿易・投資の自由化へのコミットメントを通して経済発展を遂げた。国家権力の利益の観点からあちこちに留保をつけることはあっても,全体としてはグローバリゼーションの受益者であった。そのためのルールづくりがアメリカや西欧諸国に握られていることを不満に思い,これを自らの手に奪いたいという要求は強めているが,経済的グローバリゼーションを否定する立場には立っていない。だからCPTPPにも加盟申請をしているのだ。

 したがって,中国政府は,政治的にはアメリカやEUよりロシアに親近感を覚えるとしても,経済的グローバリゼーションの中断や終焉につながる行為には加担しづらい。この危機にあって中国とロシアの経済関係は深まらざるを得ないが,まだ中国とロシアとそれに協調する諸国だけで,グローバリゼーションの新ルールを確立できる局面でもない。中国の経済発展の見地からすれば,ロシアの行為はどんなによく見ても早まったものであり,普通に見れば近視眼的で余計なことであろう。しかし,だからといってアメリカとEUに同調することも政治的に難しい。これが中国政府が,今回,迷いのある綱渡り的対応になる経済政策上の理由であると思う。


Yawen Chen「コラム:ロシア対応「綱渡り」の中国、制裁の火の粉浴びる危険も」ロイター,2022年3月2日。



2022年2月27日日曜日

ロシア中央銀行に対する金融制裁:どのように行うのか,どこまで有効か,金と中国元は抵抗要因になるか

  欧州委員会,フランス,ドイツ,イタリア,イギリス,カナダ,アメリカの共同声明(※1)によれば,ロシアへの金融制裁として,いくつかの銀行に対するSWIFTからの排除と,中央銀行の国際準備資産運用の制限が実施される。

 SWIFTからの排除とはどのようなものであるかについては前稿で述べた。ここでは,国際準備資産(金+外貨準備)の運用制限とは何に対して,どのように行われるのかを考えよう。

 日本では外貨準備高は外国為替資金特別会計がほとんどを持ち,日本銀行が一部だけを持っている。私はロシアの制度に疎いのだが,どうもロシアでは連邦中央銀行が管理しているようである。というのは,ロシア連邦中央銀行のバランスシートを見ると,外貨建て資産がやたらと大きな割合を占めているからである。総資産は54兆2888億8600万ルーブルだが,そのうち32兆5364億8700万ルーブル,59.9%が「非居住者に預けられた資金と非居住者によって発行された証券」,つまり外貨建て資産である(※2)。ロシア国内への貸し付けよりも,ロシア国債保有高よりもはるかに大きいのだ。よって,今回の制裁はロシア中央銀行の行動を縛るものとなる。

 国際準備資産の運用とは,金の国際取引か外貨準備をもちいた為替介入であり,主要には後者だと考えられる。為替介入資金の決済は,介入に用いられる通貨を発行している中央銀行預け金勘定間の振り替えによって行われる。その作業にもSWIFTは用いられるようだ(※3)。

 今回の制裁では,欧米各国の中央銀行が,この振替をできなくするということだろう。例えば,ロシア連邦中央銀行がドル売り・ルーブル買いやユーロ売り・ルーブル買いを行おうとしても制限される,ということなのかと思う。

 この場合,ルーブルの対ドルレートや対ユーロレートが下落することが予想できる。ただ,これによりロシア中央銀行の国際準備資産価値がどれほど毀損されるかは,よく考えておく必要がある。国際準備はドルとユーロだけで構成されているわけではないからだ。

 公式データによるとロシア連邦中央銀行の国際準備資産は以下の通りである(※4 2022年1月31日。単位は100万ドル)。

国際準備 630,207
 金 132,256(21.0%)
 外貨準備 497,951(79.0%)

そして外貨準備の構成は以下の通り
 外貨 468,631
    SDRs   24,085
    IMF準備 5,235

 まず金が21.0%とかなり多いことが目を引く。ロシアについては国際準備(International reserves)と外貨準備(Foreign exchange reserves 金含まず)はわけておかないと混乱しそうだ(ちなみに日本では金を含めて外貨準備と呼んでおり,金の割合は3.5%。※5)。

 外貨準備はドル,ユーロ,中国元などからなる。近年はドルの比率を急落させ,ユーロ比率も低下させており,かわって中国元比率を上げている。上記の表より少し古い2021年の6月30日現在の公式データによると(※6),金と外貨準備合計を100%とした際の比率は以下の通り。

金 21.7%
ユーロ:32.3%
ドル:16.4%
中国元:13.1%
ポンド:6.5%
日本円:5.7%
カナダドル:3.0%
オーストラリアドル:1.0%
スイスフラン:0.3%

 金は本当に金の現物で保有されるが,外貨は現金で保有されるわけではない。その形態は同じく2021年6月30日に以下の構成を取る。

海外の政府証券または政府保証証券 38.0%
外貨預金 24.1%
金 21.7%
海外非政府証券 10.3%
国際機関証券 4.1%
対外リバースレポ(債券担保貸付) 0.7%
IMFポジション 0.7%
ロシアの取引相手に対する外貨請求権 0.1%
海外の取引相手に対する外貨供給請求権 0.0%

 もちろん,対ドル・対ユーロレートが暴落すれば資産価値は毀損される。しかし,ロシア中央銀行は中国元や金もかなり抱えているので,この危機に際しても,中国元とのレートは相対的に安定させやすいかもしれないし,国際準備の枯渇,対外債務支払いの困難という事態に直ちに直面するとは限らない。そして,対中国元レートが相対的に安定すれば,民間経済主体も中国との取引を選ぶように動機づけられるだろう。

 この制裁がロシアの対外金融取引をどこまで困難に追い込むかは,よく観察する必要がある。

※1 Joint Statement on Further Restrictive Economic Measures, Statements and Releases, The White House, February 26, 2022.

※2 Bank of Russia, Statistical Bulletin, No.1(344), 2022p. 75

※3 日本銀行金融市場局為替課「日本銀行における外国為替市場介入事務の概要」2018年3月。

※4 International Reserves of the Russian Federation (End of period), Bank of Russia.

※5 財務省「外貨準備等の状況(令和4年1月末現在)」2022年2月7日。

※6 Bank of Russia Foreign Exchange and Gold Asset Management Report, No.1, 2022, pp. 6-7.


2022年2月26日土曜日

ロシアのSWIFTからの排除で何ができて,何はできないか

 ロシアに対する経済制裁の選択肢としてSWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除が話題になっている。しかし,上垣彰先生の示唆で気づいたのだが,どうも一般にはその作用が過大に理解されているように思える。

 どこが過大か。それは「SWIFTから排除されるとロシアは国際決済ができなくなる」かのように報道されたり語られたりしていることである。私は『報道ステーション』だけでも少なくともこの種の説明を2回聞いた。しかし,そうではない。「国際決済が非効率で不便になる」のであり,それ以上でもそれ以下でもない。

 公式サイトの日本語ページにあるように,SWIFTとは,「金融メッセージングフォーマットの標準と、メッセージングのためのプラットフォームを業界に提供し、そのネットワークへのアクセスと業務との統合、認証確認、データ分析、法令遵守を容易にする製品とサービスを提供」するものである。「SWIFTはお客様の代理として資金の保持あるいは口座の管理をいたしません。」とも書いてある。SWIFTは国際決済を担う金融機関ではないのであって,金融機関同士が決済する際の効率をあげるプラットフォームと技術を提供しているものである。だから「SWIFTのメッセージサービスは,それまでのテレックスに取って代わった」などと言われるのだ。

 なぜ,SWIFTはこのようなものであり,このようなものでしかないのか。それは,諸国に分かれた世界経済には,国際決済を直接行える国際通貨も超国際的金融機関も存在しないからである(※)。いくらITが発達してもないものはない。国際送金はドルなりユーロなりの特定通貨で行うしかない。もちろん,ドル札を飛行機や船で運ぶわけではないので,預金口座で決済する。しかし,預金口座というのは基本的に各銀行のものであり,直接には互換性がない。たとえ同じ国で同じ通貨を使っていてさえも,A銀行とB銀行が存在するだけでは送金はできない。もちろんA銀行からB銀行に現金を輸送すればできるが,まったく現実的でない。銀行どうして銀行振替をする必要があり,それには両銀行が共通に口座を持っている中央銀行が必要なのである。例えばA銀行からB銀行に1億円送るのであれば,A銀行の中央銀行当座預金を1億円減らし,B銀行の中央銀行当座預金を1億円増やす預金振替によって行うのだ。

 では,A銀行とB銀行が異なる国であったらどうか。共通の中央銀行はない。そもそも通貨も異なっている。では,いったいどうやって国際決済するのか。SWIFTが決済するのではない。間接的な取引を積み重ねて,最後に,共通の中央銀行口座を持つ特定国の銀行同士で決済してもらうしかない。これを可能にしているのがコルレスバンキングというしくみである。

 例えば,日本のa社から,アメリカでないB国のb社にドルで送金しようとする。a社の取引銀行である日本のJ1銀行からb社の取引銀行であるB国のB1銀行に送金しなければならないが,直接送金はできない。なので,J1銀行もB1銀行も,アメリカ国内で中継地点となってくれる銀行を必要とする。こういう中継地点となる契約を結んでいる相手をコルレス銀行,コルレス先という。 

 送金のためには,J1銀行のコルレス先アメリカのUS1銀行から,B1のコルレス先アメリカのUS2銀行に送金してもらえばよい。US1銀行とUS2銀行の間の決済ならば,両銀行が連邦準備銀行にもつ当座預金を使って行うことができる。そして,US1銀行-J1銀行-a社の間で預金残高を調整し,US2銀行-B1銀行-b社の間で預金残高を調整する。もちろん,この時為替レートの影響を受ける。そして,複雑な国際手続きになるので,時間がかかったりエラーが起こったりしやすい。

 SWIFTは,標準フォーマットや情報技術により,この取引を効率化するものである。それ以上ではない。具体的な取引の実務には私も通じていないが,ロシアの銀行をSWIFTから排除すれば,ロシアと各国の間での国際送金は不効率になりコスト高になり,遅くなり,不正確にさえなることはまちがいないだろう。しかし,コルレス契約を拒否されなければ(各国や銀行はその措置もとるだろうが),国際決済が不可能になったり禁止されたりするわけではない。不正確を承知でたとえるならば,業界共通の情報システムへの入出力ですむしくみが,取引先ごとに異なる端末とフォーマット,最悪の場合各社各様の伝票の山に戻るとか,そういう類の不便さと考えていいと思う。それはそれで重大なことであり,企業・金融機関がロシアとの取引をためらう理由になるかもしれない。しかし,SWIFT排除だけで国際決済が不可能になるわけではない。あくまでもそういうものとして,SWIFTからの排除は論じられるべきではないか。

※日常用語ではドルは国際通貨と言われる。しかし,この記事を最後までお読みいただくとわかる通り,直接に国際的支払手段となるものとそうでないものを区別する立場に立つならば,前者の意味ではドルもドル建て預金も国際通貨ではない。

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