1. まず,直接の損失が政府・国民にどう及ぶかだ。ETFに含み損が出れば,日銀はバランスシートの負債・純資産側に引当金を積む。損失を確定する場合には,資産側からETFを,負債・自己資本側から引当金を同額だけ消去しなければならない。つまり,日銀のバランスシートが毀損され,自己資本比率は下がる。また,日銀の毎年度の利益(剰余金)が減少したり,マイナスになったりする。日銀は剰余金を政府に納付することになっているので,剰余金が減る。直接に起こるのはこういうことである。
したがって,政府の側から見ると,ETFの損失を税金で穴埋めする必要はない(繰り返すがETFは税金で買っているのではない)が,日銀からの納付金が減って,国庫収入の減少につながる。日銀の国庫納付金は世界金融危機後の2010年度に落ち込み443億円,それ以後は5000億円台から7000億円台で推移している。2017年度は7265億円,2018年度は5576億円だ。まずこの国庫納付金の減少が,中央政府に与える直接の損害であり,その意味で国民負担となる。
2. 次の問題は,失われた機会についてだ。「その2」で述べたように,そもそも財政政策を日銀が行うのはおかしなことであり,ETFを購入するのに日銀が発行したお金(日銀当座預金と日銀券)は,もっと別のことのために発行すべきだったのかもしれないし,発行すべきでなかったのかもしれない。例えば,国債を買い支えて政府の支出拡大に貢献し,政府が国会の議決に基づいて財政拡張を行った方が,より優れた方法でデフレ脱却に寄与したかもしれない。そこまでいかなくとも,ETF購入などしなかった方が日本の産業構造転換を促せたかもしれない。最大の問題はこの,失われた機会である。ETFなど買わない方が,財政民主主義上も市場経済の運営上も望ましかった。日銀と中央政府を合わせた統合政府として見た場合,「お金の使い道を誤った」のである。
コロナ危機に際してもそうである。コロナ危機に際して,ようやく金融政策の限度が認識され,債務が増大しても財政を拡張しなければならないことが諸国政府の共通認識になっている。政府と中央銀行が協調しており,インフレと為替暴落を起こさない限り,政府債務は持続的拡張できるのであって,財政支出の程度と中身は国会で与野党が争い,決めるべきだ。それが財政民主主義だ。失業者の救済,個人の生活と自営業者の営業の維持,企業の運転資金の確保,感染症対策にこそ,国債を発行してでもお金を使うべきだろう。日銀は,国債引き受けをせずとも,買いオペで政府を支えるだろう。
これまでは,中央政府と国会が,財政赤字を拡大してはならないという呪文にとらわれているうちに,その背後で,日銀はETF購入のために通貨という政府債務を発行していた。そして今も,株式市場で抜き差しならなくなり,相場の下落の下で通貨を発行して買い向かっている。これは明らかにお金の使い方を誤っている。
もちろん,財政民主主義も万能ではない。財政がお金の使い方を誤れば人々の不安は収まらず,感染症の流行は収束しない。また,各社会階層の代表が集合する議会においては経費膨張法則が働き,経済危機と感染症流行の後にも必要以上に財政を拡張してインフレを招くかもしれない。しかし,だからと言って国会とは別に,日銀が勝手に財政政策を行い,上場企業と株式投資家を優先的に救済するために通貨発行を行うことは,これまでもまちがっていたし,これからもまちがいだろう。この「お金の使い方の誤り」によって失われた機会,これから失われる機会こそが最大の損失である。
なお,残された問題として,損失額が大きくなって日銀のバランスシートが毀損された場合に資本増強が必要になるか,なるとすればどのような手段によるのかということがある。これはかなりテクニカルな問題を含むので,続稿ないし別の機会としたい。
その1
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf1.html
その2
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf2.html