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2018年11月6日火曜日

「事務職になりたい」は過去へのあこがれだが「転勤がないように働きたい」は未来への要求だ

 「超売り手市場なのに「事務職志望の女子学生」があぶれる理由」という記事を読んだ。タイトルがことの核心を言い当てていない。実は「一般職事務職志望の女子学生」の話である。「一般職」で「転勤がない」というキーワードを落とすと,この話は分からなくなると思う。

 最初読んだ時には1998年ころの記事の再録かと思った。言うまでもなく,「漠然とした事務職」は非正規化,IT,そしてうまくいけばAIによって職そのものが減っていく。非正規化は止められてもITやAIは止められない。程度とスピードはとにかく,傾向として減ることは疑問の余地がない。

 その一方で,転勤のない地域限定職(=地域限定正社員)は,これから増えると予想されるし,すでに導入している会社もある。働く側からすると,ライトな場合はワークライフバランス,ヘビーな場合は親の世話のためにニーズが大きい。ただし非正規では生活が成り立たないから正社員にはなりたい。他方,会社側もすべての正社員をメンバーシップ型雇用にして,具体的スキルを一から育成して活用し,終身雇用する見通しはない。両者のニーズはそれなりに一致する部分がある。そして,社会的潮流として正規と非正規の格差縮小の要請があり,これは安倍政権から共産党までだれも否定しない課題だ。ニーズと社会的要請がうまく合体すれば,地域限定職,職務限定職は増える。

 よって,まず求められるのは,企業側の雇用システムの変化だ。新規学卒採用の在り方が変わろうとする機会に,従業員のキャリア設計も見直すべきだろう。
 障壁は,雇用保障の考え方を転換しなければならないことだろう。日本の雇用保障や解雇制限は,「長く一緒に働いていた人の雇用を保障」という属人原理で構成されている。しかし,地域限定職もある程度そうだが,職務限定職ならなおさら,「就いている仕事が存在する雇用を保障」にしなければならない。自分がそのためにやとわれた仕事が存在して,正常に遂行できている限りは雇われることが正当だ。つまり,非正規を5年で雇い止めるなどは不当ということになる。逆に,特定の仕事や職場がなくなった場合は,解雇されうる。従業員側が当然に配置転換を求めることは難しい。この,これまでと相当異なる原理に移行するのは,労使とも容易ではないだろう。

 学生の側には何が求められるか。この記事の観点だと,女子学生には,バリキャリをめざすか,ミスマッチで職がないかの選択肢になってしまう。それでは適切でない。女子学生がかわいそうだから助けるべきとか甘えているから厳しくすべきという話ではない。女性が活躍できないと労働力不足はどうにもならなくて日本経済がだめになるのだ。

 女子であれ男子であれ,若年層に漠然とした事務をさせる余地はもはやない。漠然とした「事務職になりたい」というのは甘えだ。そう言って言い過ぎなら,もう帰ってこない過去へのあこがれだ。しかし,地域限定・職務限定で様々な仕事をやってもらう余地は大いにある。若者は,その求人に明示される一定の仕事能力を身に着けることが求められる。それは一部は当人の責任だが,一部は,学校教育が職業教育の比重を増やして担わねばならないだろう。そして,ワークライフバランスや家族を重視して地域限定で働きたいというのは甘えではなく正当な要求だ。個人の権利というだけではなく,社会経済の改善につながる未来志向の要求なのだ。その要求がかなえられた時にこそ,日本経済は少子高齢化のもとでもそこそこ成長でき,雇用が安定した社会に着地できるからだ。

2018年11月9日表現を修正。

服部良祐「超売り手市場なのに「事務職志望の女子学生」があぶれる理由 ITmediaビジネスONLiNE」2018年11月5日。

2 件のコメント:

  1. 大学事務職員から
    産業革命時に職人に未来はないと嘆いたように、AIが事務職を奪うだろうか?今年定年を迎えるが、公務員試験に受かて「地方大学」を最終的には就職先に選び、20年して大学で働く面白さを見つけた。学問知を創造・伝承する共同体としての大学は実に面白い。事務だからではなく、働く場としての魅力だ。大学運営を支えて当たり前に事務職だけど、コンピテンシーにだけ目を奪われるのではなく、学問知に裏付けされた自律した市民を育てるることができる大学だからこそ、ルーチンワークだって楽しい。知的好奇心をくすぐる大学はおもしろい。

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  2.  おっしゃるとおりで,事務職の中にもいろいろな仕事があります。私は2年間,部局の教務委員長をやり,教務係の事務職員と一緒に仕事をしました。教務係の仕事の中にはIT化できる部分もありますが,そうでないもの,例えばセンシティブな対応を要する対学生リレーション業務もあります。それらは人間がやるべきで,人間の能力が必要だと思います。
     この文章で申したかったのは,一方では,参照先の記事が言うような「漠然とした事務職希望」,つまり積極的に目指すものが何もないから「事務でもやって静かに安定した暮らしを送りたい」という希望はどんどんかなえられなくなるだろうということでした。こうした消極的姿勢では,もちろん大学の複雑な事務仕事もできないでしょう。
     他方,もっとも言いたかったことはワークライフバランスの希望や家族の世話もあるから「転勤なし」で働きたいというのはもっともで,これからの社会でかなえられるべきだということでした。

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