フォロワー

2025年10月1日水曜日

溶融還元法らしき新技術を開発中の製鉄ベンチャーHertha Metals社

 アメリカにHertha Metalsという会社がある。MITで機械工学と材料科学の学位を取得したLaureen Meroueh氏が設立した鉄鋼ベンチャーである。同社が開発中の技術Flex-HERSは,溶融還元法の一種のようであり,現在は天然ガス,将来は水素で鉄鉱石を還元する製法のようだ。注目すべきは,同社が,DRIグレード(高品位鉄鉱石)のペレットを使わずとも,低品位鉱石からでも粉鉱石からでも,ワンステップで磁石用高純度銑鉄や低炭素合金鋼を製造できると主張していることだ。

 鉄鋼業は現代の社会生活に不可欠の産業であるが,炭素で鉄鉱石を還元する過程から二酸化炭素が排出されるために地球温暖化を促進するという問題を抱えている。水素による直接還元法はその解決策の中心を担うとされているが,現在開発中のプロセスでは,高品位鉄鉱石を使わないと,高コスト,低歩留まりになってしまうという弱点を持っている。産出されるのが固体の還元鉄であって不純物が混じったままであるためだ(伝統的な高炉では溶けた銑鉄が生産されるので,不純物=スラグは浮かせて除去することができる)。

 ところがFlex-HERSの場合,説明やテストプラントの映像を見る限り,産出するのは溶銑または溶鋼である。プロセスが溶融還元法なのでスラグは除去できるということだろう。わからないのは,Hertha Metalsはどのようにして天然ガスによる高温の溶融還元(溶融状態の直接還元)を実現しているかである。そこはまだ秘匿されているようだ。技術についての同社サイトの説明は具体的ではない。

 Hertha Metalsは,すでに1700万ドルの資金を調達し,現在はテキサス州で日産1トンのデモ生産を行っている。次の段階では年産50万トンの工場を設置するとのこと。果たして商業生産の域に到達できるのかどうか,注目する必要がある。

Hertha Metals社公式サイト
https://herthametals.com/


2025年9月22日月曜日

日銀による保有ETFの売却発表によせて

 日銀が,保有するETF(信託財産指数連動型上場投資信託)とJ-REIT(信託財産不動産投資信託)のゆるやかな売却を発表した(「日銀 ETF売却開始を発表 植田総裁「全売却に100年以上かかる」NHK NEWS WEB,2025年9月19日)。その保有残高は昨年度末(3月31日現在)でそれぞれ37兆1862億円と6657億円だ。これらは当初は信用緩和,後には質的金融緩和と称して白川総裁時代に始まって黒田総裁時代に加速,昨年3月までに買い付けられたものである。その目的はリスク・プレミアムの低下とされたが,私は不適切な政策であったと考えている。なぜならば,ETFやJ-REITに組み込まれる上場企業株式や大手不動産「のみ」を買い支える,特定企業,特定物件優遇策だったからであり,中立性が求められる日本銀行に許されない偏向であり,議会の決定を通さずに行う財政政策だったからである(※1)。もはや購入せず,むしろ売却するという植田日銀の決定は妥当であろう。

 ただし,ここで一言いいたいのは,いったん買ってしまったETFとJ-REITからは,日銀が最大の利益を追求すべきだということである。日銀が利益(剰余金)を出せば,それは国庫に納付され,日本全体のために使用されるからである。また,とくに金利がある時代に復帰したいま,日銀は財務リスク,正確には財務に関する評判リスクを抱えており,財務状態の悪化を避けた方がよいからである。少し詳しく言うと,日銀は銀行ではあるが,その主要収入は貸出利息ではなく,長期保有する国債の利息と,ETFの運用益である。現に昨年度決算では,それぞれ58億円,2兆774億円,1兆3826億円であった。他方,支出側には補完当座預金制度利息,つまりは銀行が預けている準備預金の一部に対する金利があり,これが1兆2517億円に上っている。国債の多くは固定金利であるため,金利が上がっても日銀が長期保有国債から受け取る利息は変わらない一方で,支払うべき預金利息は膨れ上がる。日銀は,原理的には準備資産を持たずとも運営できるが,日銀の財務状態の悪化は日本という国の信用悪化とみなされ,市場での円や国債の信用を揺るがしかねない(※2※3)。

 だから,ETFとJ-REITの売却に当たり,日銀は,市場にショックを与えないように配慮しつつも,日銀自身が(結局は国庫が)最大の利益を得られるように売却を行うのが妥当であろうと,私は考える。日銀は,ETFやJ-REITを買うべきではなかった。しかし,買ってしまったものからは利益を上げるべきである。倫理的にはねじれた話であるが,このように言うべきだと私は思う。

※1 川端「日銀のETF購入は上場企業優遇の財政政策ではないのか:日銀のETF購入(2)」Ka-Bataブログ,2020年4月16日。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf2.html

※2,3  川端「通貨供給システムとしての金融システム」研究年報『経済学』pp. 39-40 ( https://doi.org/10.50974/0002003359 )。また日銀総裁その人による植田和男(2023)「中央銀行の財務と金融政策運営 日本金融学会2023年度秋季大会における特別講演」。この講演の見地は,日本銀行企画局(2023)「中央銀行の財務と金融政策運営」として日銀公式見解となった( https://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2023/ron231212a.htm )。




2025年9月19日金曜日

ウルトラ兄弟の永遠と純粋,人間の有限性と美醜:『ウルトラマンタロウ』第24-25話が描いたもの

 『ウルトラマンタロウ』第24話「これがウルトラの国だ!」,第25話「燃えろ!ウルトラ6兄弟」は,脚本:田口成光,監督:山際永三,特殊技術:佐川和夫という,第1話と同じ黄金トリオによる前後編である。以前より書いているように,『タロウ』は第1話でタロウが生まれ,最終回にいなくなるという裏設定がつくりこまれているのだが,この前後編はウルトラの国とウルトラ兄弟という,堂々たる表の設定をパワー全開で振り切ったものである。ウルトラの国の設定は,劇中でも内山まもるのマンガまで挟んで解説されたが,放映前から小学館の学習雑誌等で大々的に宣伝され,小学生だった私を含む視聴者の期待を煽りに煽ったものである。

 しかし,痛快で楽しいの夢の国に見えて,よく見るとリアルな世界も描かれていて,両者が融合して成り立っているのが『タロウ』の特徴である。宇宙であり近未来にして1973年の日本なのだ。

 この前後編では,宇宙蛾の大群と怪獣ムルロアによって地球が襲われる。そして光を嫌うムルロアの吐いた黒煙によって地球は闇に包まれてしまう。このムルロアとたたかうタロウの物語が,怪獣に翻弄される岩森家の小学生6人兄弟や,タロウ不在のもとでムルロアに立ち向かうZATの物語と並行して進行するのである。

 本編に登場する岩森家の小学生6人兄弟は,家でも町内でも「ウルトラ兄弟」と呼ばれている。その両親(なぜか父親は石堂淑朗氏が演じている)は結婚以来初めての二人きりの旅行に出るが,宇宙蛾とムルロアに襲われて飛行機が遭難し,亡くなってしまうのである。兄弟たちは,ムルロアの黒煙で暗闇に閉ざされ,電気も水道も止まってしまった自宅に残される。その上,タロウ=東光太郎が下宿する白鳥家の井戸に水をもらいに行った長男は,蛾にとりつかれたトラックに轢かれてしまう。一方,宇宙科学警備隊ZATは神出鬼没のムルロアと宇宙蛾に苦戦するばかり。ついに,未完成の,推進装置もついていない新型爆弾AZ1974を生身で怪獣に飛び降りて取り付けるという奇策に出る。その役を買って出た上野隊員に荒垣副隊長は「ちゃんといのちだけは持って逃げるんだぞ」と声をかける。

 その頃,一度はムルロアに敗れたタロウは,ウルトラの母に導かれてウルトラの国に到着する。そこでは,バードンに倒されて死んだはずのゾフィーが復活した姿を目の当たりにする。タロウは兄弟と多重合体して,ウルトラタワーの奥深くに隠されたウルトラベルを取り出し,その神秘の音色で地球を取り巻く黒煙を一掃するのだ。

 ここで対比されているのは,永遠に近い命を持ち,一度死んでなお生き返るウルトラ兄弟と,限られた命しか持たない人間たちである。ついにムルロアは倒れ,岩森家の兄弟は,長男も回復して笑顔を取り戻すが,両親はもう帰って来ないのだ。たとえウルトラ兄弟たちが守ってくれるとしても,人間は限られた命を生きる以外にないのである。

 しかも,対比はそれだけにとどまらない。ウルトラベルは,地球を守ろうとするウルトラ兄弟の純粋な気持ちに反応して作動した。しかし,人間は純粋ではない。そもそも怪獣ムルロアは,「ヨーロッパの或る国」が行ったトロン爆弾の実験で破滅したムルロア星から襲来したのである(※1)。呼び寄せたのは人間の行為である。ムルロアと宇宙蛾は光に引き寄せられ,光を嫌う。ZATは電灯の使用を禁止したが,断水している街で一山当てようとした水売りは,ヘッドライトをつけてトラックを動かす。そこに宇宙蛾が群がって運転を誤り,岩森家の長男を轢いてしまうのだ。また,ムルロアに襲われた第3コンビナートは,他社との競争に負けたくないために,光をともして操業を再開する。コンビナートの従業員に至っては「アニマルだよ,アニマルになってがんばらなくちゃ,日本はだめになっちゃうんだ」とわめきながら蛾を払おうとして,再出現したムルロアの吐く液を浴び,骨まで溶けてしまう。ウルトラ兄弟は,どんな人間も命がけで守ってくれる。しかし,地球と日本には,優しい両親もいれば助け合う兄弟もいるし,勇気をもって怪獣に立ち向かう人々もいるが,私欲に捕らわれた人もいるのだ。

 こうしてこの前後編は,ウルトラ兄弟の永遠と人間の有限性,ウルトラ兄弟の純粋さと人間の美醜の交錯を対比した(※2)。私たちは永遠でも純粋でもないが,それでも生きているし,生き続けようとするのだ。

※1 実際にフランスがムルロア環礁で1966年から核実験を行っていたのであるから,そのまんまの名称である。しかも,ウルトラシリーズマニアの方ならすぐわかるように,ムルロアは『ウルトラセブン』第26話「超兵器R1号」のギエロン星獣と同じ立場なのである。田口氏が「超兵器R1号」の設定を借りたのは,ネタに詰まってのパクリではあるまい(私は,中高生の時はそう思っていたことを,このたび深く自己批判する)。この前後編は「超兵器R1号」と異なり,軍拡競争のもたらす破滅性を問うのではなく,そのかわりに,ムルロアに襲撃された日本に暮らす大人たちの,欲にまみれた姿を描いたのである。

※2 なお,この前後編は特撮のレベルも高く,本編とよく融合している。もちろん,アニメ合成の部分やウルトラの国のミニチュアなどにおもちゃ感はある。しかし,第3コンビナートに陽が昇るシーン,全身から黒煙を吐き出すムルロアの描写などがかもしだす画面の立体感はテレビとは思えない。そして,宇宙蛾の大群。ミニチュアで蛾の雰囲気を出すのは一般的にも難しい上に,円谷プロの人々にとって鬼門である。かつて『怪奇大作戦』第2話「人喰い蛾」で,人が溶けるシーンと蛾の飛び具合が円谷英二の不評を買い,撮り直しとなった大事件があった。当然,山際監督も佐川特撮監督も知っていたはずである。しかし,この前後編では同じ轍をふまなかった。まず,影絵のように大量の宇宙蛾が迫ってくる特撮シーンが実におぞましい。そして,どうしてもおもちゃっぽくになる本編の操演の蛾も,もっぱらナイトシーンで,人や電灯やコックピットガラスにまとわりつくことで,リアルなうっとおしさを醸し出していた。『怪奇大作戦』では,操演のおもちゃに人喰いという役割まで背負わせたのところに無理があったのであり,山際・佐川両氏はそこに気づいたのであろう。見事なリベンジであった。


2025年9月19日現在特別配信中

第24話「これがウルトラの国だ!」
https://www.youtube.com/watch?v=zOYdQS4u5qw

第25話「燃えろ!ウルトラ6兄弟」
https://www.youtube.com/watch?v=uKECUF5LDmg

2025年9月9日火曜日

マルクス経済学における世界経済論の出立:原田三郎論文の電子化公開に寄せて

 この夏,東北大学機関リポジトリTOURの遡及入力によって,古典的存在ともいえる著作が電子化されてDOI(デジタルオブジェクト識別子)が付き,ダウンロード可能となった。私にとっての古典と言えば,例えば以下の論文である。

原田三郎(1953)「いわゆる 「資本論のプラン」 と世界經濟論の方法」研究年報『経済学』27,24-51。
https://doi.org/10.50974/0002004563

原田三郎 (1957)「世界経済論の方法における根本問題―松井教授の批判に答える―」研究年報『経済学』43,29-63。
https://doi.org/10.50974/0002004651

 原田三郎教授(1914-2005)は,東北大学経済学部の経済政策論担当教授として,1977年まで勤務された。後に,岩手大学学長を務められた。私は『東北大学百年史』作成のための座談会を開催した際に,一度だけお目にかかった。

 この二つの論文は,マルクス経済学で世界経済論または国際経済論をどのように論じるかについての,戦後直後の模索の過程を表現している。またそれは,原田教授が宇野弘蔵氏による三段階論の提起と格闘され,一度はそれをおおむねうけいれながら,ついに別の道を選ばれた過程をも記している。

 今日,ほとんどの人は問題にすることはないが,よく考えてみれば,マルクス経済学には次のような理論問題がある。「マルクス経済学では国際経済や世界経済を,国民経済を単位とした関係論として論じるのか,全一体として論じるのか」という問題であり,また「マルクス経済学では国際経済論であれ世界経済論であれ,近代経済学と同じく一般理論として論じられるのか(理論的な教科書も書けるのか),それとも歴史的段階や局面としてしか論じられないのか」ということである。この問題を鋭く提起されたのは,宇野弘蔵氏である。そして,宇野氏その人は,前者に「国民経済を単位とした関係論」と回答され,後者に「歴史的段階としてしか論じられない」と回答されたと理解できる。宇野氏の後継者の純粋資本主義派の方々もおおむね同様と思われる。また宇野氏の後継者の世界資本主義派の方々や,海外であればイマヌエル・ウォーラーステイン氏であれば,前者に「全一体としての世界経済論(世界システム論)」と回答し,後者に「歴史的段階や局面としてしか論じられない」と回答するだろう。原田教授は宇野氏の提起を受けてこの問題に戦後直後から格闘され,前者に「全一体としての世界経済論」と回答され,後者に「一般理論として論じられる」と回答されたのである。この回答を引き継がれたのが私の師の一人,村岡俊三氏であった。また前者に「国民経済を単位とした関係論」と,後者に「一般理論として論じられる」と回答されたのが木下悦二氏であった。村岡氏や木下氏,また国際価値論研究に従事した研究者は,マルクス経済学の世界経済論や国際経済論の構築に努力された。

 原田教授が「世界経済論の出発点としての帝国主義の成立」『国際経済』2, 1-14,1951年(この号はJ-Stageに登載されているのだが,なぜか26ページ以降しか収録されていない)と,上記の研究年報『経済学』所収の二つの論文で最初から強調されているのは,マルクス経済学において論じるべきは「国際経済論」でなく「世界経済論」だということである。ただし,1953年論文までは宇野弘蔵氏の段階論の問題意識を半ば受け入れ,世界経済論は段階論として論じるべきものとされていた。例えば以下の文章は難解だが,そういうことを言っているのである。

「われわれが科學的経済學の一分科として世界経済論を研究する場合、「ブルジョア社會の内的編成」=「資本論」に對しては、国家論と全く同様、段階論規定によって媒介されるのであり、従って、「資本論」がすでに明かな形でもっている本源的蓄積についての段階論規定、「資本論」がただ含蓄されただけのものとしてもっている産業資本主義ないし資本主義一般についての段階論規定の再把握,さらに「資本論」が現にはもっていないが當然にもつべきであったし、また現に「金融資本論」ないし「帝国主義論」としてもたれているところの、帝国主義的資本主義についての段階論規定,に基づいて、これら諸段階に特有な世界経済に關する諸規定を打出すことでなければならない(原田,1953,pp. 45-46)。」

 その後の思索を経て,原田氏は1957年論文では宇野氏と別れ,世界経済論は一般理論として獲得可能と見るようになった。例えば以下の文章も難解であるが,そういう意味なのである。

「すでに前節で明らかにしたように、「国家」以降の後半の「体系」のもっこのような歴夊的性格は、あらゆる時代のあらゆるブルジョア社会に、歴史的に必然的な側面にかかわるものであって、まさしく、一般的理論体系のうちに獲得されうるし、獲得されなければならないものである(原田,1957,p. 63)。」

 かくて,マルクス経済学において,世界経済論を一般理論として獲得することの可能性は開かれた。この先に,国際価値論,国際分業と貿易論,国民的生産性格差論,賃金と物価の国際的相違論,対外直接投資論,外国為替論などが展開される。それらの一般論としての展開とともに,帝国主義論の適用範囲,戦後経済体制論などが段階の理論として具体化される。

 私を含むかつての村岡ゼミの院生は,少なくとも1980年代までは上記3本の論文を必読文献として,なぜ世界経済論なのか,なぜそれは段階論でなく一般理論として獲得できるのかについて,原田氏の理論的変遷のうちに学び取ろうとした。それから,国際価値論,国民的生産性格差論,国際分業と貿易論(比較生産費説のマルクス的理解),賃金の国民的相違論,対外直接投資論,国際労働移動論,外国為替論などの,より具体的な理論を学んでいった。もう遠い昔の話である。これらの勉強は空理空論ではなく,私が及ばずながら世界経済に対する自分の見方を構築していくうえでの根本的発想として,大いに役立つことになった。

「原田三郎教授近影・(退官記念号)刊行のことば・原田教授略歴および著作目録」38(4), 1977年。

https://hdl.handle.net/10097/0002004939

「【記念座談会】私の経済学修業 ―原田三郎教授を囲んで―」研究年報『経済学』38(4), 153-173, 1977年。
https://hdl.handle.net/10097/0002004938


2025年8月31日日曜日

日本製鉄傘下のUSスチールによる電炉製鉄所の建設計画について

 日本製鉄傘下となったUSスチールが、40億ドルを投じて年産300万トン規模の電炉法による新製鉄所を建設すると報道された。この計画について、今の段階で注目すべきいくつかの点がある。

 まずは技術選択の評価である。日本製鉄はカーボン・ニュートラルに向けた電炉法の適用拡大に一歩踏み込んだ。パリ協定から脱退したトランプ政権のアンチ気候変動対策に甘えて、高炉一貫製鉄所を建設しないかという懸念があったのだが、一安心といえる。日本製鉄は、日本の広畑地区や八幡地区で適用するために自ら進めている技術開発と、すでにUSスチール傘下にあるビッグ・リバー・スチールからの技術吸収をともにすすめることができる。同社における電炉技術の発展が期待できる。

 もっとも日本製鉄は、電炉法適用拡大と、高炉・転炉法での生産維持という二つのテクノロジーパスを併用している。カーボンニュートラル達成期限が2070年であるインドでは、アルセロール・ミタルとの合弁事業AM/NSインディアで高炉一貫製鉄所の建設を進めており、また日本国内でもアメリカでも主力生産基地として高炉一貫製鉄所は維持しようとしているからだ。しかし、高炉の脱炭素技術(水素吹込みとCO2回収・貯留)はなお未確立である。社としてのカーボンニュートラルに向かうためには、電炉比率を上げ、できる限り量産高級鋼まで適用できるようにし、高炉一貫製鉄所の扱いという問題を軽減させることが得策なのは確かだ。

 次に、この製鉄所計画の課題についてである。一つは市場の獲得だろう。40億ドルというのは、発展途上国では中規模高炉一貫製鉄所を建設できる規模の金額であり、採算をとるためには高い稼働率が必要だ。アメリカは人口増のおかげで鉄鋼需要が減ってはいないが増えてもいない。日本製鉄は、USスチールの他の製鉄所を閉鎖しないとトランプ政権に約束したので、新製鉄所はトランプ関税を利用して輸入品を代替するか、あるいはクリーブランド・クリフスのような他社から顧客を奪ってくる必要がある。関税利用もクリフス社との対抗も、政治問題化しやすい話題であるから、一筋縄ではいかないだろう。

 もう一つの課題は、労使関係であり人事労務管理だろう。これは込み入った話なので少し詳しい説明を要する。USスチールの買収経過から言って、日本製鉄はUSW(全米鉄鋼労働組合)に対して敵対的態度をとることはできない。その上、ノン・レイオフ経営を求められる。買収に際してレイオフを行わないと約束したが、その後もアメリカ政府の監視下にあってレイオフは難しいだろう。となると、組合に組織化されたノン・レイオフ経営を実行しなければならないが、そのためには日本的雇用慣行を導入することが必要になる。具体的には、職務ベースではなく人ベースで雇用し、人の配置を柔軟にすることで合理化を進め、さらに、少なくとも正社員には目標管理に参加して経営計画に組み込まれた働きをしてもらわねばならない。しかし、これをアメリカで、労働組合の協力を得て実施することは極めて難しい。というか、そのように、会社の人事管理を補完してくれる労働組合を、日本以外で見つけることは難しい。

 実は、アメリカでも人ベースの雇用、そこまでいかなくても大ぐくりに設定された職務グレードに基づく雇用を行い、正社員に目標管理に参加してもらう可能性はある。ただし、そのためには通常はノン・レイオフ経営が必要になる。経営者の側から一方的に、柔軟な配置、経営成果に基づく給与、ヒューマン・リレーションズを導入し、組合組織化よりこの方が得だと多数の労働者に納得してもらうのである。実はこれこそ、アメリカでミニミル(アメリカでの電炉メーカーはこう呼ばれる)が行ってきた人的資源管理である。USスチール内部でも、もともとスタートアップだったビッグ・リバー・スチールはUSWに組織されていない。ここでの人的資源管理を新しい製鉄所に適用できれば、日本製鉄とUSスチールは、ヌーコアに始まる電炉メーカーの軌跡を再現できるかもしれない。しかし、USWやトランプ政権がそこに介入せずにすむとは思われない。日本製鉄とUSスチールが、新製鉄所にUSW組織化の下での日本的雇用管理を導入するか、ノン・ユニオンの人的資源管理を導入するかは、重要な注目点である。

 このように、USスチールを買収した日本製鉄は、早くもそのグローバル戦略を実行しつつあり、しかしその行く手には、様々な壁が立ちはだかっているのである。

「日本製鉄、米国に大型電炉新設 USスチールが6000億円規模投資」、日本経済新聞電子版、2025年8月29日。



2025年8月28日木曜日

なぜ国立大学法人の財政は苦しくなるのか:自助努力で対処し切れない収入減と支出増

  島根大学が2024年度,人事院勧告相当の教職員給与引き上げを4月から実行できず,12月からの改定にとどめたと報道されている。

 私が勤務する東北大学はもともと規模が大きいうえに,国際卓越研究大学に指定されたので一息ついているが,人事院勧告相当の給与引き上げもできない国立大学法人が出現していることは深刻である。どうしてこうなるのかというと,簡単に言えば,自助努力ではどうにもならない形で収入が減って支出が増えているからである。

 まず収入面。2004年の国立大学法人化以来,主要な収入源の運営費交付金を政府は削減し続けてきた。それも毎年X%という風に機械的に問答無用で削減されるのである。

 もちろんどの大学も別の収入源を模索してきたし,政府も科研費については増額させてきた。だから,研究費については,科研費,寄附金,民間との共同研究費,委託研究費も含めて様々な形で確保する努力を行ってきた。しかし,一般企業の方にはわかりにくいかもしれないが,外部から獲得した研究費は,その目的とする研究にしか使えない。何にでも使ってよい研究費とか,正規教職員の基本的給与財源にするということはできないのである(あんまりだという声が届いたのか,最近,一部を給与上乗せに使える研究費が出現しているが)。そして,授業料を勝手に引き上げることもできない。これが収入源の状況である。

 一方,支出の方は,物価も賃金も上がらなかった,いわゆる「デフレ」停滞期にはそれほど増加しなかった。それでも消費税の引き上げはきつかった。授業料に価格転嫁できないからである。そして,コロナ明けあたりから物価,とくに水光熱費の上昇が起こり始め,名目賃金もついに上昇を始めた。繰り返すが,価格転嫁はできない。さらにいうと,大学病院も価格転嫁はできない。

 こうして,長年の収入減による財政難が,物価・賃金の上昇によって一気に加速したというのが,多くの国立大学法人の状況である。

<参考>

「島根大、給与の引き上げできず 財政難で人事院勧告に対応困難 24年度4~11月分 国の経費減など影響」山陰中央新報→Yahoo!ニュース転載,2025年8月20日。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d46a6c072d3772b980040f536bc36c622406fa9




2025年8月19日火曜日

波多野澄雄『日本終戦史1944-1945:和平工作から昭和天皇の「聖断」まで』中央公論新社,2025年を読んで

 本書は日本が「大東亜戦争」と呼んだ戦争が「日米戦争」「日英戦争」「日中戦争」『日ソ戦争』の複合戦争であったとしたうえで,その終戦史を論じるものである。問いは二つであり,一つは「ポツダム宣言の発表から二度目の『聖断』まで,きわめて重大な二週間余りのあいだに,なぜ最高指導者たちは戦争終結の決断ができなかったか」(ⅳ頁),もう一つは「『徹底抗戦論』が国内に横溢するなか,なぜ二度の『聖断』で終戦が可能であったか」(同上)である。その回答は「『複合戦争』の収集が対米戦争の終結に絞られたことで早期の終戦が可能になり,戦後の日米同盟を導く伏線ともなる」(同上)というものである。著者の紹介による本書の構成は,1941年12月8日の対米英戦の開始から始まっての太平洋戦線と大陸戦線の展開を叙述する第1部,小磯国昭内閣と鈴木貫太郎内閣における様々な和平論の行き詰まりを描く第2部,ポツダム宣言発出から終戦までのか知恵を論じる第3部に分かれる。しかし,読者としての受け止めでは,第2部と第3部はほとんど連続していると感じられるだろう。背景として戦局の展開,序論として小磯内閣期が論じられた後,本書の約半分が本論としての鈴木内閣の終戦指導に費やされ,その後に8月15日以降に関する記述が補足されて,結論に入ると読むほうが素直である。少なくとも政治史の専門家以外の読者が読めば,鈴木内閣が主人公だと思える。このことは本書全体の評価に関わるが,それは最後に述べる。

 以下,本書で関心をひかれた論点を列挙していこう。

 第一に,本書が正面から取り上げた鈴木の終戦指導への評価である。著者はその特徴を「早期終戦を念頭に置きつつも,『軍の士気,国民の士気』を温存しながら,徹底抗戦論を排除しない閣議や戦争指導会議の運営に腐心したこと」(269頁)とする。そして「こうした迂遠な終戦指導は,降伏決定を遅らせたことは確かである」(同上)としつつ,「国体護持という究極的な目的を貫徹するために,もっとも有効な選択肢を探り続けたことも事実である(269-270頁)」とする。「その鈴木に聖断の発動を決意させたのは,8月6日の原爆以降であったと思われる」(270頁)。「さらにソ連参戦が追い打ちをかける」(同上)。

 本書は,鈴木の行動原理について,納得のいく見通しを与えている。「国体護持」を前提にしつつ「終戦」を実現する。しかし,そのためには,内閣の瓦解や軍のクーデターを防止しなければならない。したがい,徹底抗戦論を取る阿南惟幾陸相を閣議をもって説得しつつ,閣議の結果をもって陸相に陸軍をまとめてもらわねばならない。

 この行動原理が「聖断」という手段に結び付く具体的契機は,結局のところ「本土決戦を推進してきた陸軍に,この機に及んで『国策転換』は期待できず,米内ら海軍首脳部にも『転換』の意欲は薄れていた」(170頁)ことが1945年6月8日の「戦争指導の基本大綱」をめぐる動きで明らかになったことである。そこで木戸幸一内大臣が「時局収集対策試案」で天皇の「御勇断」による終結という路線を打ち出し,「軍部より和平提案がなされない限り,『聖断』によって終戦に運ぶほかはないという『試案』の考え方を,6月22日の御前会議にいたる過程において,構成員会議(六巨頭会談)のメンバーや高木,松平,富田らの『サブリーダー』が共有した」(178頁)という。この時点の『御勇断』とは天皇の親書を携えた使者がソ連に飛んで和平仲介を求めることであったが,その希望がソ連参戦でついえたのちはポツダム宣言の受け入れに関する「聖断」へと変わっていく。本書からはこのように読み取れる。

 陸軍の本土決戦論が内閣での合意形成によって克服できないとみなされたときに「聖断」要請へと転換するというすじみちはたいへん明快であり,納得できる。ただ気になるのは,それならば「聖断」方式への舵切りにおいて重要な役割を果たしたのは木戸であって,鈴木は「聖断」要請という選択肢を得たうえで合意形成方式の内閣運営を続けただけではないかと思えることである。確かに,それでも鈴木の終戦指導なくしては,ポツダム宣言受諾をめぐる最後の局面で内閣が瓦解し,宮城事件よりはるかに深刻なクーデターが「成功」してしまったかもしれない。とはいえ,木戸の工作なくして,鈴木の内閣運営だけでは「聖断」にたどり着かなかったかもしれないとも言えるのではなかろうか。

 第二に,本書の後半では鈴木内閣の動向が精緻に分析されているが,その分だけ昭和天皇の動きがよく見えないことである。「聖断」に頼る方式は昭和天皇が即時終戦の意志を持っていることを前提としているのであって,その意思を天皇がどの時点で,何を根拠に持ったかという疑問である。この点についても本書は「昭和天皇に限ってみれば,内外を通した本土決戦体制の不備,それを糊塗する統帥部に対する不信感などが終戦を決意させる要因であったことが判明している」(276頁)とだけ述べており,掘り下げはない。それまで御前会議は意思決定の場ではないという建前を守っていた天皇が「それでは国体も国民も救えないと考え,肝胆あい許した鈴木と運命をともにすることを決断する」(170頁)というのであるが,この過程を実証していない。木戸による工作と昭和天皇自身の姿勢については既に多くの研究があるのだろうが,たとえ先行研究に依拠するのであっても,実証的な叙述に加えておくべきだったのではないか。

 第三に,古くからの問題であるが,降伏・終戦は遅かったか,早かったかの問題をどう扱うかである。著者はこの問題を明瞭に立てたうえで,アメリカの戦争指導者と他の連合国にとっては,想定よりも『早かった』とする。一方,敗戦国日本では「早かった,遅かったを明確に発言していた戦時指導者は少ないが,前線の将兵には『遅かった』と見なす発言が多い」(274頁)とする。第33軍参謀野口省己が言うように「終戦がもう1か月早かったら,2万人近い将兵の命は助かったであろう」(同上)からである。一方,ソ連の介入が避けられたことをよしとする阪急電鉄創業者小林一三と昭和天皇の発言も紹介されている。そして著者自身は「終戦の決断のタイミングという問題は,それを議論する人々の戦後の立場によって,また戦争のゆくえと,戦後をどのように見通していたかによっても異なっていた」(275-276頁)という記述にとどめ,必ずしも切り込んでいない。

 これは,歴史の記述で「if」を論じることがどのくらい可能かという,これまた古くからの問題にかかわる。論じるとしても,当時,政治指導を行っていた人々にとっての選択肢の範囲で論じるべきか,それを越えてより超越的に論じるかという問題があるかもしれない。しかし,このように慎重に扱うのであれば,そもそも「遅かったか,早かったか」という風にではなく,「何が終戦工作を妨げていたか」と問題を立てるべきであったように思える。本書冒頭では,その問いをポツダム宣言発表以後に限って発しているが,「遅かったか,早かったか」の問いと同じく,より長いスパンで発するべきだったろう。しかも,本書は叙述内ではその回答を事実上出しているように思える。鈴木内閣成立時に「陸軍中堅層の強硬な抗戦論の封殺や排除は,ただちに政変やクーデターにつながる一触即発の政治情勢にあったこと」(112頁)である。これは常識と化している回答であるのかもしれないが,結論部で改めて確認すべきことであったのではないか。

 第四に,ポツダム宣言受諾とは結局,日米戦争を終結させるものであり,そういう限定されたものとして戦後政治を規定していくという著者の観点である。ポツダム宣言受諾の論理とは,武装解除や戦争犯罪処罰には条件を付けず(つけるべくもなく)降伏するが,「国体」は護持されるものと(一方的に)解釈するというものであった。「国体」とは,世界に通じる政治の言葉で言えば天皇制である。そう翻訳した上で,受諾の論理は,連合国の中核として日本を占領したアメリカによって採用されることになった。「アメリカが『妥協的和平』に応じず天皇制の将来をあいまいにしたまま,『紛争原因の根本的解決』に固執したがために,他の選択肢の余地を閉ざしたのである」(278頁)と指摘している。著者が千々和泰明氏の表現を借りているためにわかりにくいが,アメリカに反抗する武装や戦争の正当化は許さないが,天皇制は残したということであろう。そして,昭和天皇のみならず戦前・戦時に日本の中枢にいた人々が,一部は歴史の表舞台から消えながらも一部は残存して戦後も日本の政治を動かしていったために,受諾の論理は,国体と民主主義は両立するという「一君万民論」に展開して戦後日本政治を規定していく。こうして,ポツダム宣言受諾の論理が戦後の日本政治と対米関係の論理の起源となっていくという著者の分析は精緻である。もっとも,「二度の聖断によって日本が必死に護ろうとした国体は,占領軍とのせめぎ合いの中で,その『尊厳的機能』に導くことで戦後も生き延びたのである」(273頁)というのは,いささか「国体」という言葉に引きずられているように思われる。

 最後に,本書が大日本帝国が遂行した戦争を「日米戦争」「日英戦争」「日中戦争」「日ソ戦争」の「複合戦争」としていながら,ポツダム宣言発表から8月15日までに限った問題設定を行い,叙述の約半分は鈴木内閣の動きに置いたことをどう見るかである。鈴木内閣が,軍事力の激突で圧倒的に負けている対米戦争に対象を集中したがゆえに降伏できたというのは,わかりやすい話である。しかし実際には複合戦争なのであるから,ポツダム宣言を受諾し,終戦の詔勅を発しただけでは戦争は終わらなかった。著者も,終戦の詔勅をもって戦争終結とするような記述を取らず,「百万の大軍を擁する支那派遣軍を降伏させ,始まったばかりの日ソ戦争を停戦に導くのは容易ではなかった。南方軍もまた,三外征軍(関東軍,支那派遣軍,南方軍)が一致して徹底抗戦を大本営に訴えるよう提案していた」(254頁)と指摘して,実際に停戦するまでの困難と,その在り方が戦後政治に残した影響を記述している。中国については「大戦末期には,国連創設に力を尽くすなど戦勝国としての立場の確立に努めたが,内戦の中で著しくその国際的地位を低下させ,戦犯や賠償問題で責任追及の先鋒に立ちえなかった。一歩,日本にとっては,そのことは日中戦争の責任という問題を正面から受け止める機会が失われ,中国との戦争の記憶が遠ざかることを意味したのである」(263頁)と指摘する。またソ連については,「日本の降伏プロセスにおいてソ連の参戦はもっとも重要な要因の一つであったが,戦後の日ソ関係の展開という観点からすれば,むしろ8月15日以降も続いた『日ソ戦争』が大きな意味を持った」(267頁)という。いずれももっともな指摘である。

 しかし,著者の言うとおりであるならば,日中戦争や日ソ戦争については,ポツダム宣言受諾の仕方ではなく,それとは独自に進行した戦闘終結のあり方の方が,戦後を規定したということになる。となると,鈴木内閣に焦点を当て,とくにポツダム宣言発表以降の動きに最大の紙幅を割くという方法では,「日本終戦史」を描ける範囲が限られてしまうのではないか,という疑問が湧いてくる。これが本書の全体構想に対して残った疑問である。

 私は波多野澄雄氏の研究に通じておらず,本書のみを孤立的に取り上げた。それ故に読み方が浅い点や,他の著作で書かれていることを知らないだけの点もあるかもしれない。本書は,全体として手堅い政治史的な記述がたいへん勉強になり,また検討すべき論点を深める手掛かりとなる書物であった。


版元ページ
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2025/07/102867.html



2025年8月13日水曜日

USスチールモンバレー製鉄所クレアトン工場での爆発事故について:背景としての設備老朽化

  8月11日午前11時前(日本時間8月12日午前0時前),アメリカペンシルバニア州にあるUSスチールモンバレー製鉄所のクレアトン工場コークス炉で爆発事故が発生した。8月12日午後6時41分の報道では,2名が死亡,10名が負傷しており,1名が行方不明となっている(※1)。これ以上の被害が出ないことを祈る。

 爆発についてUSスチールは,コークス炉団(battery)13と14のreversing roomで生じたと発表した(※2)。reversing roomとは,コークス炉に供給される燃焼ガスおよび空気の流れ方向を一定間隔で切り替えるための弁および関連配管を収容する区画である。石炭に均一に熱を加えるためにこのような弁が必要とされる。日本語ではroomという表現を使わずに機械そのものを「変更弁」,「ガス切替弁」などというらしい。

 爆発の原因はなお不明であり,確かなことを言うには調査結果を待たねばならない。しかし,コークス炉自体の老朽化と関係があるのではないか,と疑ってみる必要がある。コークス炉が老朽化すると,構造上のゆがみから予期せぬ隙間が生じて可燃性のガスが漏れだすことや,換気装置が十分に性能を発揮しないことがありうる。もともと高温の環境であるところで熱の遮断が不十分になったりすることや,電気系統から火花が飛び散ることも考えられる。なので,ここでは公開情報に基づいて,事故の背景としてのクレアトン工場のコークス炉老朽化の度合いを確認しておこう。

 クレアトン工場には,最盛期の1948年には22の炉団があり,800万トン/年の生産能力があった。2021年には10の炉団があり,生産能力は430万トンであった(※3)。もっとも新しいC炉団は2012年に新設されたものであるが,それ以外は1970-80年代に設置または再建されたものである。その後,4つの炉団が閉鎖されて,現在残っているのは6炉団である(※4)。

 今回事故を起こした13および14炉団は,1979年と1989年に再建(rebuild)され,2010-2020年に耐火物の大規模な修理がなされたものである(※5)。つまり耐火物の経過年数は5-15年であるが,炉体の経過年数は36-46年に及んでいる。

 クレアトン工場は安全・環境問題を継続的に抱えている。2025年6月にも,押出過程での粉塵排出によって民事制裁金91万8500ドルを課されている(※6)。炉内で石炭を蒸し焼きにしてできたコークスは,片方から押し出されてもう片方に待機している貨車に落ちる。このとき,カバーをつけていれば粉塵が軽減できるが,USスチールはつけていなかったとのことだ。さかのぼると(※7),2025年2月には火災を起こして2名が病院に搬送された。2024年2月にも押出過程での粉塵排出によって200万ドルの罰金を科された。2018年12月24日のクリスマスイブには火災を発生させた。

 また,クレアトン工場では,押し出されたコークスを消火する方法が,消火塔で水をかける湿式である(※8)。略してCWQという。正常に操業している時の映像・画像でもスチームがただよっているのは,消火塔から出ているものだ。しかし,このとき粉塵が発生するし,スチームを大気に放出してしまっているので,熱回収ができない。より現代化されたコークスではCDQと呼ばれる乾式消火を行う。チャンバー内にコークスを入れて密閉し,ガスで冷却して熱を回収・再利用するのだ。

 アメリカでは,鉄鋼業衰退とともにコークス炉も閉鎖されて来た。クレアトン工場はUSスチールがアメリカ国内に持つ唯一のコークス工場である(※9)。しかし,USスチールは,最後の拠点であるクレアトン工場の設備も最新鋭の状態に保つことができていないのである。このことが今回の事故の直接または間接の原因となっているかどうかは,まだわからない。しかし,その可能性を疑うべき理由はある。そう思わせるほどにクレアトン工場は老朽化している。

 日本製鉄がUSスチールを買収して獲得したのは,このようなコークス工場である。日本製鉄はクレアトン工場を含む高炉一貫方式のモンバレー製鉄所を維持し,刷新していくと約束したが,これは容易ならざる課題である。その上,石炭を用いて製鉄を行う高炉一貫方式は地球温暖化の一つの深刻な原因であって,今後コークスをできる限り使用しない製鉄法が求められている。このことが日本製鉄にさらなる複雑な課題を課しているのである。


※1 Raquel Ciampi and Caitlyn Scott, Officials: 2 dead, 10 injured after explosions at US Steel Clairton Coke plant, WTAE Pittsburgh, August 11, 2025.
https://www.wtae.com/article/us-steel-clairton-plant-explosion/65654312

※2 同上。

※3 United Stats Steel Corporation, MON VALLEY WORKS Clairton Plant Welcomes ACCCI –Fall 2021 MESH, American Coke and Coal Chemicals Institute.
https://accci.org/wp-content/uploads/2021/11/RHOADS-Presentation.pdf

※4 ALLEGHENY COUNTY HEALTH DEPARTMENT AIR QUALITY PROGRAM, In the Matter of: United States Steel Corporation Clairton Plant 400 State Street Clairton, PA 15025 Violation No. 250601 Violations of Article XXI (“Air Pollution Control”) at property: United States Steel Corporation Mon Valley Works   400 State Street  Clairton, PA 15025, June 2025.
https://www.alleghenycounty.us/files/assets/county/v/1/government/health/documents/air-quality/enforcement/actions/2025-actions/us-steel-2024-pec-signed.pdf

※5 ※3に同じ。

※6 ※4に同じ。

※7 Mike Darnay, A look at past incidents reported at U.S. Steel's Clairton Coke Works,   CBS News(KDKA News), August 12, 2025.
https://www.cbsnews.com/pittsburgh/news/clairton-coke-works-explosion-us-steel-past-incidents/

※8 United States Steel Corporation, Mon Valley Works Clairton Plant Operations and Environmental Report 2019.
https://www.ussteel.com/documents/40705/71641/U.%2BS.%2BSteel%2BClairton%2BPlant%2B2019%2BReport.pdf/85d6a51b-ca26-f924-5bab-50f9b892c95c?t=1605294761747

※9 LOCATIONS. U. S. STEEL'S FOOTPRINT, United States Steel Corporation.
https://www.ussteel.com/about-us/locations

※インターネットリソースは2025年8月12日に最終確認した。


2025年7月20日日曜日

斉藤美彦『ホモ・クアンティフィカンスと貨幣:「価値形態論」から「負債論」へ』丸善プラネット,2024年8月を読んで

 斉藤氏はイギリス金融論の実証的研究者である。東京大学で山口重克氏に師事され,研究職に就かれる前は全国銀行協会連合会(全銀協)に勤務された。本書は,斉藤氏自身の理論形成につながった人々の内生的貨幣供給論への歩みをたどること,複数の諸国の中央銀行が内生的貨幣供給説の見地から量的金融緩和に関する続説を否定していることを紹介し,その意義を確認すること,ミッチェル・イネス,デヴィット・グレーバー,金井雄一などの説に依拠して,信用貨幣を貨幣の起源でもあり本来の姿であるという観点からマルクス経済学の貨幣論を再構築することを呼びかけることという,三つの内容を持っている。私は本書より後の2025年3月に「通貨供給システムとしての金融システム:信用貨幣論の徹底による考察」を発表したが,原稿を提出したのは2024年4月であり,本書を参照できなかった。

 斉藤氏が,マルクス経済学宇野派に立脚しながら,現代の預金貨幣と中央銀行券は信用貨幣であって,銀行・中央銀行から内生的に供給されるという立場をとっていることには,私は心より賛同する。また,山口重克氏によって宇野弘蔵氏の商業信用論,すなわち手元遊休貨幣の融通として商業信用を規定する見地が克服されたことを有意義とすることも納得できる。いわゆる日銀理論が横山昭雄『現代の金融構造』(東洋経済新報社,1977年)によってもっとも体系化されていること,全銀協に勤務されていた吉田暁氏と斉藤氏自身の内生的貨幣供給論も日銀理論と同一の潮流にあるという認識・自己規定にも異存はない。

 もっとも,マルクス経済学における信用貨幣の起源は山口氏ではなく岡橋保氏に置くべきである。本書では,わずかに不換銀行券論争における岡橋の立論が紹介されているだけであるが,1940年代から50年代にかけて,信用貨幣論の礎を築いたのは岡橋氏である。それだけではない。結局,今日に至るまで,マルクス体系に立脚した信用貨幣論を,もっとも徹底した姿で示しているのは岡橋説だというのが私の理解である。この点は上記拙稿をご覧いただきたい。

 続いて斉藤氏は,イングランド銀行,ドイツ連邦銀行,スウェーデンのリクスバンクといったヨーロッパ諸国の中央銀行が,量的緩和を自ら行いながら内生的貨幣供給説のペーパーを発行していたことに注目する。三行はそろって,預金貨幣は貸し付けを通して生まれるのであり,中央銀行による準備預金供給によって増えるものではないと主張しているのである。各行とも行っていた量的金融緩和の効果を自己否定するかのような主張である。斉藤氏は,おそらくいずれの中央銀行も,周囲の圧力に押されて量的緩和を行ったものの,それは実は景気刺激策としては無意味であると認識していたのだろうと推定している。各行の内部事情はうかがいしれないものがあるが,少なくとも黒田総裁時代の日銀と異なり,三行は量的金融緩和でリフレーションが起こせるとは考えていなかったことは確認できる。

 本書は,ここまではうなずけるところが多い。しかし,最後になって斉藤氏は,イネス,グレーバー,金井雄一氏らの主張にほぼそのまま追随し,貨幣はその起源から信用貨幣であり計算貨幣であったのだから,本来の貨幣は金属貨幣・商品貨幣だとするのは誤りであり,スミスもマルクスも誤っていたとあっさり認める。そして,マルクス経済学の貨幣論も全面的に見直すべきだと述べて稿を閉じられるのである。これには同意できない。斉藤氏は,マルクス経済学の宇野派であることに相当な自意識を持たれているのだから,もう少しマルクス体系を駆使して粘ってみてはいかがだろうか。

 私が近年の信用貨幣論の諸潮流にもっとも納得できないのがこの点である。マルクス体系によって貨幣の発展を論理的に跡付けるならば,商品流通はほんらいの貨幣として商品貨幣・金属貨幣を必要とする。しかし,資本主義の発展は商品貨幣・金属貨幣が現に流通することを桎梏とする。そのため代行貨幣が発展し,商品貨幣・金属貨幣を流通から排除して預金貨幣や中央銀行券に置き換えていくしくみが作り出される。このような整合的説明は十分可能だというのが私の意見である。斉藤氏や彼が依拠した論者は,口をそろえて「物々交換は昔からなく,金属貨幣はさほど用いられていなかった」という経済史上の事実をもとに,貨幣論が商品貨幣・金属貨幣から出発することを論難する。しかし,これは認識論としておかしい。経済理論は経済史ではない。資本主義における様々な事柄を論理的に説明するのに適切な順序は,前資本主義から資本主義に向かっての出来事の時間的順序とは異なるはずである。

 マルクス派が貨幣論が商品貨幣・金属貨幣をほんらいの貨幣とするのは,昔々に金属貨幣が主要な貨幣として使われていたからではない。当たり前だが,21世紀の今日に商品貨幣・金属貨幣が流通しているからでもない。商品貨幣・金属貨幣に即してみることで,貨幣の価値尺度・流通手段・支払い手段・蓄蔵貨幣・世界貨幣という主要側面を余すところなく説明できるからである。そうすることで,資本主義発展とともに商品貨幣・金属貨幣を用いることが桎梏となり,代行貨幣が発展していく道のりをも明らかにできるし,その発展が種々の矛盾を伴うことをも主張できるのである。批判や嘲笑を招くであろうことを承知の上であえて言うが,2025年の今この瞬間も,商品流通は商品貨幣を必要としている。と同時に,資本主義は商品貨幣の不便さを代行貨幣で克服している。と同時に,そこには飛躍的な機能拡張とともにインフレやバブルを引き起こす矛盾が潜んでいるのである。このように端緒的規定と発展的規定の関係を前資本主義の過去から資本主義の現在への移行とみるのではなく,資本主義という同時代を説明する論理的説明の進行とみることがマルクス派貨幣論の思考であり,またそれは妥当だろうと私は考えるのである。

斉藤美彦『ホモ・クアンティフィカンスと貨幣:「価値形態論」から「負債論」へ』丸善プラネット,2024年8月
https://www.maruzen-publishing.co.jp/book/b10123118.html


2025年7月14日月曜日

政府支出は課税することなく可能か?:MMTとの一致点と相違点(覚書)

  SNS上では,「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」と主張する意見がある。これに対しては,たいてい激しい反駁も見られる。しかし主張者はひるまず,全くかみ合わない議論となっている。

 ここでは,この意見について通貨供給論の見地から考える。先取りして言うと,私の意見は以下のとおりである。

A.「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」という主張は,中央銀行を考慮しない1)「中央政府の一般モデル」の次元では正しい。

B.MMTは「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」という主張を2)中央政府と中央銀行を合わせた「統合政府の一般モデル」の次元で正しいとしている。これは正しくない。

C.現実の政策を議論するためには,まず1),次に2)統合政府(中央銀行+中央政府)の制度的枠組みの次元で議論しなければならない。中央銀行を考慮した場合には,中央政府は「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」けれども,中央銀行マネーを借り入れねばならない。その上でさらに,3)国ごとに中央銀行と中央政府の制度が異なることを踏まえて,具体的に議論しなければならない。

 この投稿ではAとBについて説明する。

ーー

 MMTは,「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」と主張している。この主張は,1)一般理論のモデル,2)一般的な統合政府の制度的枠組み,3)実際の各国の中央政府と中央銀行の制度という,三つの次元で区別して議論する必要がある。

 1)は最も抽象化された経済理論上のモデルであり,いかなる資本主義社会の政府にも妥当するような基本モデルである。2)は,中央政府と中央銀行の間で,もっとも結ばれやすい関係によって描いた統合政府モデルである。中央政府と中央銀行の間に結ばれる関係は,資本主義である以上必ずこうなるというほど一義的に決まるものではない。しかし,このようになるのが合理的であろうという程度には叙述できる。3)実際に政策を議論する際の,当該国の中央銀行と中央政府の諸制度である。

 この覚書では,まず1)一般理論のモデルを素描することで,必要な議論の基礎を築きたい。


■貨幣発行主体としての中央政府の一般モデル

*モデルの叙述

 ここでは,中央政府が貨幣供給にどうかかわっているかの一般モデルを叙述する。ここでは中央銀行の民間組織としての側面を捨象し,権力的側面は,抽象的な中央政府に含まれているものとする。このモデル設定はMMTと似て異なるのだが,その点は最後に述べる。

 中央政府と貨幣経済のかかわりにおいて最も重要なことは,中央政府は,唯一ではないが重要な貨幣供給の担い手だということである。政府は貨幣を供給するのである。そして,まず貨幣を供給して支出し,しかる後,課税して自ら発行した貨幣を回収するのである。これは,実際に存在してきた政府発行不換紙幣や政府発行硬貨のことを考えれば,何らおかしくない想定であることがわかるだろう。

 主流派経済学が明示的に描く政府モデルや,多くの実務家,市民が漠然と心に抱くイメージは,貨幣が既に十分に流通している経済があって,政府はまず課税によってその貨幣の一部を取り立て,それを必要な支出に充てるというものである。しかし,この想定は適切ではない。通貨発行権を持つ中央政府は,まず貨幣を作り出して支出することができるからである。政府支出によって流通に投じられた貨幣が経済活動(商品の流通)を媒介するようになる。そして,政府は課税によって貨幣を回収するのである。この次元では,貨幣の動きは,流通→課税→支出→流通ではなく,「支出=発行」→流通→「課税=回収」と理解すべきである。

 このように政府を貨幣発行主体とするならば,確かに「政府は課税することなく支出する」し,「課税は財源確保のためではない」。「中央政府の一般モデル」の次元ではこうなるのである。一般的な「流通する貨幣への課税主体としての政府」説と「財政の課税先行」説に対して,私は「貨幣発行主体としての政府」説と,「財政の支出先行」説をとるべきだと主張しているのである。

 しかし,中央政府発行貨幣は,どうして流通することができるのだろうか。それ自体が価値を持つ商品を用いた商品貨幣(素材に即して言い換えるならば金属貨幣)であれば,もちろん問題なく流通する。ただし,商品貨幣を発行するためには,政府が十分な商品貨幣を供給するための素材を保有していなければならない。例えば金山や銀山を保有していなければならない。それでは商品流通に必要な貨幣を確保できる保証がない。

 そこで中央政府は,それ自体は無価値な素材を用いた貨幣を発行して,流通させる必要がある。中央政府は国家権力の行使者であるから,それ自体は無価値な素材を用いた貨幣であっても,価値のシンボル,すなわち価値章票として,強制通用力を持たせて流通させることができる。これが法定通貨である。とくに政府は,貨幣の発行のみならず回収も必要であるため,政府発行貨幣を納税に利用可能なものとする。納税に利用可能であるがために,人々は政府発行貨幣を有効な通貨として利用するだろう。これが「貨幣の通用力に関する租税駆動説」である。


*MMTとの一致点・相違点

 さて,私は以上のような理解で,貨幣発行主体としての中央政府の一般的な理論モデルを設定する。これはMMTとどのような関係にあるか。

 ここで種を明かせば,「貨幣発行主体としての政府」説と「財政の支出先行」説,そして「貨幣の通用力に関する租税駆動説」は,いずれもMMTが主張するものである。なので,私は「中央政府の一般モデル」としてはMMTを支持している。

 しかし,重大な留保がある。MMTは以上の関係を「統合政府の一般モデル」,つまり中央政府と中央銀行を含んだ包括的な政府のモデルとして理解している。統合政府全体を「貨幣発行主体としての政府」説と「財政の支出先行」説,そして「貨幣の通用力に関する租税駆動説」で理解すべきだというのである。

 しかし,私は,そうは考えない。中央銀行は半官半民組織だと考えるからである。通貨供給システムとしての金融システムは,商品流通と資本主義的生産の中から発生する。商品貨幣や信用貨幣は,民間経済の中から生まれるし,信用貨幣は商業銀行によって供給される。そして,銀行システムを,一国の貨幣制度として,準備集中と発券集中によって完成させるのが中央銀行である(川端,2025)。つまり,貨幣供給システムとしての金融システムは,権力によって完成させられるものではあるが,もともと民間経済の中から生じるものである。

 だから,中央政府を貨幣発行主体として抽象的に描く際に,私は中央銀行の権力的側面はここに含める。中央銀行の権力的側面は,中央政府から分化したものとして捉えるのである。しかし中央銀行の民間組織としての側面は,そもそも中央政府モデルに含めないし,含めるべきではないと考える。商品・資本主義経済自体が生み出した貨幣と信用のシステムは,中央政府がどうあれ,それとは別に存在していると想定するのである。通貨供給システムを論じる際には,一方に「中央政府の一般モデル」を置き,他方で「銀行―中央銀行の一般モデル」を置く必要がある。そして,それらが取り結ぶ関係として「統合政府(中央政府+中央銀行)の制度的枠組み」を論じるべきである。以前にこれを「二層の銀行・政府」モデルと呼んだことがあるが,今後,もっと詳しく論じていきたい。

 「中央政府の一般モデル」の次元では,確かに,「政府は課税することなく支出する」し,「課税は財源確保のためではない」。しかし,「銀行―中央銀行の一般モデル」を踏まえて「統合政府(中央政府+中央銀行)の制度的枠組み」を論じる次元では,そうなるとは限らない。政府が,中央銀行マネーを借り入れる必要が出て来るからである。

 この点で,私の見解はMMTとは異なる。MMTは,中央銀行の全体を含めて,統合政府を「貨幣発行主体としての政府」説と「財政の支出先行」説,そして「貨幣の通用力に関する租税駆動説」で理解する。銀行―中央銀行システムまでも,政府の課税権力によって成り立っているかのように描くのである。だから中央銀行を考慮した場合でも,平然と「政府は課税することなく支出する」し,「課税は財源確保のためではない」と言い切ってしまうのである。MMTは,現実の銀行を説明するときには信用貨幣論に立つのに,貨幣の存在を根本的には租税駆動説で説明し切ろうとする。預金貨幣や中央銀行券が,もっぱら課税権力ゆえに流通しているかのように描いてしまう。商品流通と資本主義経済そのものが,貨幣や信用制度を作り上げる力が軽視される。ここに問題があると考える。

<参考>

川端望(2025)「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」研究年報『経済学』81,23-52。
https://doi.org/10.50974/0002003359

川端望「財政赤字に伴う国債発行をどのように把握するか:「二層の銀行・政府」モデルの提示」Ka-Bataブログ,2024年11月25日。
https://riversidehope.blogspot.com/2024/11/blog-post_25.html





クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...