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2021年5月12日水曜日

新ウルトラマン(現:ウルトラマンジャック)はいつ初代ウルトラマンと別人になり,いつウルトラ兄弟になったのか

 『帰ってきたウルトラマン』最大の謎。それは,なぜ「帰ってきたウルトラマン」なのに初代ウルトラマンと別人なのか,逆になぜ別人なのにウルトラマンが「帰ってきた」ことにされているのかである。さらに,その設定はいつからできたのか,当時の視聴者は別人だと認識していたのか,ウルトラ兄弟という設定はいつできたのかという事である。

 この度,白石雅彦氏『「帰ってきたウルトラマン」の誕生』を上梓されたことで(画像),私はこのタイトルと別人設定の謎がついに明かされるかと期待していた。結果,確かに明かされたはしたが,その経過は期待したほど詳細には書かれていなかった。前作『「怪奇大作戦」の挑戦』までは事実確認のためにふんだんに用いられた上原正三氏の手帳が,1971年以降の分について未発見だからだろう。『帰ってきたウルトラマン』は,その名の通り以前に地球で戦ったウルトラマンが帰って来るという企画であり設定であった。なのにウルトラマンが別人になった次期は詳細不明であり,企画担当の満田かずほ氏もクランクイン直前まで考えていなかったこととしている。「そもそもウルトラマンが帰って来たという設定であったため,スーツは前のデザインで制作されていた。デザインの変更は,版権営業上の問題である」(136-137ページ)。版権を扱う会社,日音から「新しいウルトラマンが出せれば新たな契約ができる」(満田氏。137ページ。ただし『帰ってきたウルトラマン大全』からの引用)という話があったとのこと。まったく資本主義な大人の事情である。放映開始は1971年4月2日,クランクインは2月6日というから,たいへんな泥縄だったと言えるだろう。しかし,これが「ウルトラ兄弟」という設定を可能にしたのだから,何がどうなるかわかったものではない。


 では,これを視聴者はどう認識していたか。ここから個人的回想となる。

 『帰ってきたウルトラマン』は,私が最初にリアルタイム放映で視聴したウルトラシリーズであった。ときに1971年4月,小学校に入学する年のことであった。まだ眼鏡をかけていなかったので,ちゃんと子どもに見えた。自宅にあったのは白黒テレビであった。当時の私は上記の謎をどう認識していたか。

 まず,そもそもインターネットも何もない時代,『帰ってきたウルトラマン』についてのまとまった事前情報を得られた唯一のルートは,子ども向け雑誌であった。私の場合,小学館の『小学二年生』であった。なぜ1年生なのに2年生向けの雑誌を読んでいたかというと,話はやや寄り道して前年の秋に遡る。幼稚園児だった私は,小学館の『幼稚園』ではなく講談社の『たのしい幼稚園』を買ってもらっていたが,ある時,書店で『小学二年生』が欲しいと言い張った。理由は,『たの幼』には載っていない『ドラえもん』が載っていたからである。すでに虫コミックス版『オバケのQ太郎』全12巻を読みつくしていた私は,藤子不二雄先生の次のマンガ『ドラえもん』に目を付けたのだ。さんざせがんで手に入れた『小学二年生』には,確か『ドラえもん』「人間あやつり機」が載っていた。今になって調べてみると,1970年10月号だったようである(発売は9月1日)。この成果に味をしめた私は,その後も『小学二年生』をねだり続けた。そして,1971年の初めに,『帰ってきたウルトラマン』の記事を見たものと思われる。放映前に,第1話についての記事を読んだ記憶がある。タッコング,ザザーン,アーストロンの3体の怪獣が出ることを知っていたし,「タッコングに食いちぎられ,ザザーンは死んでしまいます」という文面が記憶にある。ウルトラマンが出る前に死んでしまうのが妙に悲しく心に残ったのだろう。

 そうして1971年4月2日,第1話『怪獣総進撃』放映。記憶の混濁があるかもしれないが,主観的には「君にも見えるウルトラの星」という歌詞がたいへん印象的だったことを覚えている。問題は,このときに『帰ってきた』ウルトラマンが,以前のウルトラマンと別人だとすでに認識していたことだ。「あれ,模様が違うけど別のウルトラマンなのか」と思ったことは一度もない(別人という情報がなければ,理屈っぽい私がおかしいと言って回らないはずがない)。ということは,『小学二年生』で別人だとすでに知っていたという事になる。しかし,どのように知ったのか。長年,漠然とした考えはあったのだが,確証が持てなかった。

 手掛かりは,2003年に出た『ウルトラ博物館』にあった。これは小学館の学習雑誌にかつて掲載されたウルトラシリーズに関する記事を復刻した,大人のおもちゃもきわまれりという本である(ので当然,買っている)。残念ながら放映開始直前の『小学二年生』4月号や5月号は再録されていないが,『小学一年生』1971年4月号の記事が再録されていて,そこでは「まえのウルトラマン」「こんどのウルトラマン」のデザインが対比され,別人であることが示されている。おそらく他学年の雑誌でも同様の特集が組まれていたことだろう。だから私も周囲の子どもたちの相当部分も,放映前に「帰ってきたウルトラマンはウルトラマンと別人」と認識していたのだ。なにしろ,当時,低学年の小学生には,学習雑誌の影響力はたいへんなものであった。

 では,別人はよいとしてウルトラ兄弟という設定はいつできたのか。テレビの放映画面内でウルトラセブンが登場するのは8月6日放映の第18話「ウルトラセブン参上!」であり,その後,12月24日放映の第38話「ウルトラの星光る時」に初代ウルトラマンとウルトラセブンが登場する。この時,はじめて「初代ウルトラマン」という呼称が番組内で使われた。番組内においては,この時点で初代ウルトラマンと新ウルトラマンが別人であることがはっきりしたことになる。だが,ここまでは「ウルトラ兄弟」という呼称は登場しない。この呼び名が初めて番組内に登場するのは1972年3月31日の第51話=最終回「ウルトラ5つの誓い」であり,光の国侵略を狙うバット星人の口からである。

 しかし,ウルトラ兄弟という情報は,実は相当早くから流されていた。少なくとも私は,最終回よりも第38話よりも早く,ゾフィ―,初代ウルトラマン,ウルトラセブン,新ウルトラマンは兄弟,ただし血はつながっていないと認識していた。その理由について長い間,記憶に自信がなかったのだが,『ウルトラ博物館』に『小学二年生』1971年8月号(7月1日発売)の記事が再録されていたために,この情報の起源に確証が持てた。「ウルトラセブン参上!」放映以前で,まだベムスターの存在が明らかにされていない時点で発売されたこの号で(※1)「ウルトラマンにはきょうだいがいますか」「います。M78星雲で生まれた四人きょうだいです」と断言されていたのである(画像)。新ウルトラマンを「いちばん下のおとうと」と書いているところは私の記憶のとおりであり,まちがいなくこれを読んでいたのだ。ついでに「アーストロンはゴーストロンのおにいさんです」「シーゴラスはシーモンスのおむこさんです」,「ペギラはチャンドラーのおにいさんです」というささいな情報まで記されていた。同書収録の満田氏インタビューでは「ウルトラ兄弟の設定については学年誌が先行した企画ですね。そうした扱いをしたいとの問い合わせが当時の『小学二年生』の井川編集長からあってね,こちらとしては『まあいいでしょう』とご返事しました。ただ『本当の兄弟ではない』ことのエクスキューズは出してもらうようお願いしたと思います」とある。ウルトラ兄弟とは,『小学二年生』のアイディアだったのであり,私はその設定が明らかにされた最初の出版物を目にしていたのだった。


 それでもわからないことはある。まず,この7月時点での情報は,『小学二年生』以外でも展開されていたのかということだ。子どもたちのうち小学2年生だけが「ウルトラ兄弟」とか言い出せばおかしなことになるので,広く情報は流されたのではないか。他の学年誌では流されたのか。『週刊少年サンデー』や『別冊少年サンデー』は使われたのか。これはまだわからない。また,この『小学二年生』には血はつながっていないということは書かれていない。私は,この情報は別のところで得たことになるが,それに初めて触れたのがどこであったかはどうしても思い出せない。2017年に出た『学年誌ウルトラ伝説: 学年別学習雑誌で見る「昭和ウルトラマン」クロニクル』小学館によれば,「4人を血の繋がった兄弟と設定したことに対し、円谷プロから抗議を受けた」「そこで『小学三年生』同年11月号で「ほんとうのの兄弟ではないけれども,とてもなかがよいので,みんなはこの4人のことを,4兄弟と呼んでいる」と修正を加えつつ、「ウルトラ兄弟」の名称を推し出していったという。なので「本当の兄弟ではない」は後から流された情報なのだろう。しかし,『小学三年生』を読んだ記憶はないので,私は何か別のソースから得たのだと思う。『小学三年生』11月号と同時に他のメディアでも展開されていったのだろうか。これはまだ謎である。

※1 兄弟紹介記事の下には「『帰ってきたウルトラマン』にはうちゅう怪獣や,星人が,出て来ないのですか」という質問に「もうすぐ出て来ます」と答える記事がある。ベムスターの存在はまだ明らかにしないが,第2クールで宇宙怪獣を出す路線は予告したのだろう。

※2 余談。ちなみに,ここで『ウルトラマン』最終回にしか登場しないゾフィーが,たいへん神秘的な存在として子ども心に植え付けられた。当時の小学館の雑誌では「ゾフィ」でなく「ゾフィ―」の表記が多かった。しかし『ウルトラマンタロウ』第18話のサブタイトルは「ゾフィが死んだ!タロウも死んだ!」だった。

※3 余談。当時の学年誌のお楽しみは豪華付録だった。懐中電灯を光源にする簡易映写機のような付録がついていたことを覚えている。『学年誌ウルトラ伝説: 学年別学習雑誌で見る「昭和ウルトラマン」クロニクル』によれば,『小学二年生』1971年12月号に「怪獣幻灯機」がついており,これだったかもしれない。ただ,この幻灯機は静止画を映し出すだけなのだが,私はタッコングが暴れる映像を3秒くらいカラー動画で見た記憶があり,それで強烈な印象を覚えたのだ。記憶の混濁なのだろうか。


白石雅彦『「帰ってきたウルトラマン」の復活』双葉社,2021年。

円谷プロダクション監修,秋山哲茂編『ウルトラ博物館: 学年別学習雑誌で見る昭和子どもクロニクル1』小学館,2003年。

円谷プロダクション監修,秋山哲茂編『学年誌ウルトラ伝説: 学年別学習雑誌で見る「昭和ウルトラマン」クロニクル』小学館,2017年。

2021年5月5日水曜日

研究倫理教育とAPA法研修

 大学から学部生への研究倫理教育を義務づけられているのだが、「盗作するな。注を付けろ」と説教しただけで身につくわけもない。そこで、近年はゼミでAPA法の注の付け方の研修を行っている。今回は、古典的スタイルで注記された論文をAPA法の注記に直すという実習だ。まともに10何人も添削するとたいへんなのだが、学生が提出したファイルと正解のファイルをワードの「比較」機能で照合すれば、違っている点が自動的に朱書きされることに気づき、添削の自動化を実現。それでもコメントを入れねばならないから、結構大変だ。しかし、実験も数学も教えられない私が、将来とも役立つグローバルスタンダードな手法を教えられる領域はごく限られているので、これだけはそれなりにやることにしている。まあ、「うちの教授は何てチマチマした人間なんだ」と思われるだけかもしれんが。

 APA法の使い方で、唯一、自分でもブレがあって決まらないのが日本語文献を注記する際にカンマと括弧は半角か全角かだ。これは英語ベースのAPA法にグローバルスタンダードはなく、日本では雑誌によりまちまち。すべて半角にすれば英語文献との統一は取れるが、少し見にくい。どこまで半角スペースを入れるかという問題もある。日本語や漢字圏の文字が前後にある時だけ全角にするとそこは見やすいが、統一が取れない。また、日本語と英数字が混じった時に一義的に決まらず迷う。あまり考えたことがなかったのだが、学生に教えるとなると困る。

というわけだ(川端, 2006, pp. 22-25)。 半角

というわけだ (川端, 2006, pp. 22-25)。 半角。括弧前にスペース

というわけだ(川端,2006,pp. 22-25)。 全角

というわけだ(Smith, 2020, p. 20; 川端,2018)。 半角・全角混合

というわけだ(Smith, 2020, p. 20;川端,2018)。 全角

日本語で論文を書く同業者のみなさんは、どうされているのだろうか。




2021年4月26日月曜日

小川一夫『日本経済の長期停滞:実証分析が明らかにするメカニズム』日本経済新聞出版,2020年を読んで

  「日本経済」講義準備。業務の波に飲まれかかり,読むのに2週間以上かかってしまった。

 本書で小川一夫教授は,日本経済の長期停滞のメカニズムを,主に投資停滞の原因を探るという角度から,計量的実証によって明らかにしている。不確実性を伴う期待収益率の動きが投資停滞の原因と考える私にとっては,非常に重要なテーマを扱っている。

 本書の特徴は,1990年代以降の日本経済の長期停滞を,人々の長期的な期待形成と関連付け,どのような長期期待が設備投資の停滞につながったかを明らかにしていることである。

 その主張は明快である。日本の設備投資の低迷は,収益性に設備投資が反応しないことによるものであり,その理由は企業による長期経済見通しの悪化である。この悪化を規定する最大の要因は過去から現在にかけての消費成長率の低迷である。そして,消費の低迷を規定するのは,家計,とくに貯蓄の取り崩しに慎重な家計が持つ,公的年金制度の脆弱性への不安による予備的貯蓄の増大であり,その慎重さは夫婦の雇用形態に影響されているのである。

 もう少し詳しく見よう。まず著者は,日本企業の設備投資が長期にわたって停滞し,とくに世界金融危機以降は利潤率が回復しているにもかかわらず,停滞が続いていることを確認する(第1章)。この停滞をもたらした要因分析が次章以後の課題となる。

 その前に著者は,2000年代初頭にGDPが年1.5%程度の成長を回復したことについて,輸出の貢献が大きく,とくに世界所得という需要要因よりも企業による生産性向上という供給要因の貢献が大きかったことを示している。ここで次章以降に,設備投資が停滞し続けているのに生産性が向上したとすれば,その要因はコスト削減のためのリストラ活動ではないかという課題が持ち越される。

 続いて著者は,設備投資が収益性に反応しない理由の検討にかかる。収益性に対する設備投資の反応は第1次石油危機以降,継続的に低下してきた。その背景には,趨勢的な「成長企業群」の割合低下と,「リストラ企業群」の割合増加があった。成長企業群とは売上高成長率,生産費用上昇率がともに正,リストラ企業群とは両比率がともに負の企業群である。リストラ企業群は自社に対する需要減に対して,生産コスト削減で収益性を高めてきた。このような企業は収益性が向上しても設備投資には慎重なのである(第3章)。

 期待成長率が高まらなければ企業は設備投資を増加させない。では,期待成長率は何によって左右されるか。著者は設備投資率の長期均衡値系列を求め,これが企業による日本経済に対する長期の経済見通しと連動していることを明らかにした。長期の経済見通しは,正規雇用の規模や負債増分・資産比率にも影響を与えていた。企業が日本経済の長期見通しに悲観的であり続けたために設備投資は伸びず,正規雇用は増えず,負債も増加しなかったというのである。かわって取った行動がコスト削減,非正規雇用の増大というリストラ活動であり,現預金の蓄積による流動性確保である(第4章)。

 それでは,企業の長期経済見通し自体は何によって左右されるか。著者はこれを需要要因と供給要因に分け,2001年度から2018年度のデータによって定量的に検討する。その結果,企業がGDP成長率を予測する上で,需要側では各業界の需要見通し,マクロレベルでの過去から現在の消費成長率,供給側では現在の資本ストック成長率,労働成長率,全要素生産性(TFP)を同時に考慮した場合の説明力が高いこと,しかし需要要因の方が供給要因の方よりも重要であることが判明する。つまり,過去から現在の消費の低迷が企業にとっての日本経済の長期見通しを悪化させ,それが設備投資を停滞させるのである(第5章)。

 それでは,消費の停滞は何によって規定されているのか。これを明らかにするために,著者は家計の消費行動の分析に移る。まず家計の意識調査データを分析し,家計が公的年金制度を脆弱であると捉え,老後の成果に不安を抱えていることを明らかにする(第6章)。

 次に著者は,1970年代以降現在までの家計行動を分析する。その結果,年間収入が停滞する一方,家計の非消費支出,とりわけ社会保険料の割合が高まってきたこと,世帯主の収入減少をカバーすべく妻の就業率が上昇したこと,持ち家率の上層が負債残高を押し上げてきたことを指摘する(第7章)。

 この結果に対して,著者は勤労所得に占める社会保険料の割合の増大が,社会保障制度に対する脆弱性の認識につながるのではないかと考え,この認識の分析をさらに進める。老後を心配している家計の割合は1990年代に急上昇した。そして家計を年金と老後の暮らしに関する主観的評価によってグルーピングすると,「年金や保険が十分でないから,老後の暮らしを心配している」家計の比率が一貫して増加している。年金制度の改正は家計から全体としてはポジティブな評価を得ているが,家計属性によって評価は異なっていた。公的年金制度の脆弱性の認識の強まりという問題は解決されていない(第8章)。

 そこで問題となるのが,公的年金制度が家計の貯蓄と消費に及ぼす影響である。著者はマクロデータとマイクロデータを用いて,家計の貯蓄行動と公的年金の関係を分析する。その結果明らかになったのは,家計は納付した公的年金保険料を資産としてでなく,負担としてとらえていること,したがって家計収入に対する公的年金保険料の割合が上昇すると,家計の負担感が高まり,公的年金制度への信頼感が揺らぐこと,それ故に家計は消費を抑制し,老後の生活のために貯蓄率を高めてきたことである。しかも,公的年金の納付額が貯蓄を増大させる傾向は,貯蓄の取り崩しに慎重な家計ほど顕著であった。そして,貯蓄の取り崩しに慎重な家計の態度は,夫婦の雇用関係に影響されていた。夫婦ともに正規雇用であれば,貯蓄の取り崩しに慎重である確率が著しく低下する。つまり将来の不確実性に対して予備的な貯蓄を行う誘因が低くなるのである(第9章)。

 著者が引き出した政策的インプリケーションは名白である。男女とも希望すれば正規雇用で働ける環境を整備すること,公的年金制度への信頼を回復することである。これらにより,予備的貯蓄の縮小を消費の拡大が期待でき,企業の長期的な経済見通しの回復,設備投資の回復が期待できるというのである(終章)。

 本書のインプリケーションを裏返せば,ただひたすらに企業の収益性を重視し,家計の所得と消費を置き去りにして企業の投資だけを回復させようとする経済政策は誤りだと言うことである。正規雇用の充実と公的年金制度への不安の解消こそが,消費と投資双方の回復につながることを示した,本書の意義は大きい。

小川一夫『日本経済の長期停滞:実証分析が明らかにするメカニズム』日本経済新聞出版,2020年。

2021年4月14日水曜日

研究年報『経済学』の発行主体変更について

 東北大学経済学研究科・経済学部の紀要である研究年報『経済学』は,1934年の創刊以来,「東北大学経済学会」を発行母体としてきました。外部団体の体裁をとって,教員や読者から会費をいただいて発行し,発行した雑誌の一定部分を大学が買い取っていたのです。一時は岩波書店から販売もしていました。しかし,この方法は財務や人事を複雑にするなどの問題を伴うことは否めません。昨年度一年かけて検討した結果,東北大学経済学会をこの3月末で解散し,4月より研究年報『経済学』を東北大学大学院経済学研究科が直接編集・発行する方式に移行しました。今後も外部からの投稿や講読は可能です。名実ともに紀要となりますが,院生やポスドクの投稿,外部投稿などには査読制度を維持します。

 画像1枚目は移行にあたり,経済学会のもともとの性格を探るために参考にした,米澤治文教授の文章です。「経済学会会報」(1954年)に掲載されました。2,3枚目は,私が古本屋で買った43号(1956年)です。目次には鈴木光男,原田三郎,服部文男といった先生方の名前が並んでいます。4枚目は最新号です。43号の頃はA5版縦書きで,この後,ある時期にB5版2段組み横書きに変わって今に至ります。

 紀要の地位は,査読付き学術誌への掲載が求められるに従って低下しつつありますが,他方でネット時代になって利用頻度は以前よりも上がっています。また国際的にも,ジャーナル出版業の寡占化のもとで大学が出版機能を持つことの意義が見直されています。研究年報『経済学』が果たす役割は今後ともあると私は思っています。

研究年報『経済学』発行団体変更のお知らせ












2021年3月30日火曜日

低所得で暮らす家計が増えた20年

 「日本経済」講義準備。日本では,20世紀末までは年間所得300-400万円の世帯が一番多かったが,所得の全般的低下の結果,いまでは200-300万円の世帯の方が多いという話(※)。

 世帯数の分布の推移を見るとグラフのようになる。1998-2013年までの傾向は一貫しており,低所得の側では年収100-400万の世帯比率が上昇する。高所得の側では多くの階層で比率が低下する。つまり,全体として所得が低下し,少なくない世帯が階層を降下した結果,100-400万の世帯が拡大したのだ。2013-2018年は曲がりなりにも好況となって雇用が拡大したためか,この傾向に多少の歯止めはかかったが,20年間の趨勢は変わらない。所得の中央値は1998年に544万円だったが,2019年には437万円となった。

 所得の集中については,傾向がはっきりしない。平均所得金額以下の世帯比率は60.6%から61.1%へとわずかに上昇した。

 それより明確なのは,困難にある家計の割合の増加だろう。1998年には所得200万円以下で暮らす家計は14.2%であったが,2018年には19.0%になった。逆に,富裕層と言えない程度の高所得であっても,得ることは困難になりつつある。1998年には所得800万円以上を得る家計が28.6%あったが,2018年には21%になった。

 これらの変化は,世帯あたりの人数の低下(2.81人から2.44人)を考慮しても著しいものだ。日本は過去20年の間に,全体として貧しくなった。

※ひとつ前に投稿したWIDによる所得分布とは切り口が異なる。WIDは国際比較可能な統計を整備するため,個人の税引き前所得を対象としている。これに対してここで使用した日本の厚労省統計からは,世帯の税引き前所得の分布がある程度わかる。他国と比較はできないが,これはこれで直観的に理解しやすい。

4/17追記。 当初この統計を「可処分所得」についてのものと記していましたが,正しくは「所得」でした。修正してお詫びします。





World Inequality DatabaseにみるG7諸国,日本,中国の所得集中(2013-2019年)

 「日本経済」講義準備。世界経済の動態と格差編。ピケティらのWorld Inequality Databaseを使った所得集中のグラフを更新。対象は個人の税引前所得。2年前に作図した後にデータが更新されており,日本の数値は WIDのチームが作成したMarc Jenmana; Rowaida Moshrif and Li Yang(2020),“Regional DINA update for Asia”にしたがっているようだ。

*日本の上位1%の高所得層(年収1392万円以上)への所得集中度は12.4%で,アメリカ,イギリス,ドイツ,カナダほどではなく,G7では5位。ちなみに中国は日本より高い。

*日本の上位10%高所得層への所得集中度は43.3%で,G7ではアメリカに次いで2位。ちなみに中国も日本より低い。

*今回は,下位50%のデータをとることができたのでグラフを追加。日本では年収が270万円以下の人々が成人個人の50%を占めており,その所得のシェアは19.5%に過ぎない。このシェアは1990年代以後,他の先進諸国とともに低下傾向にあり,G7諸国では4位。なお,G7諸国ではアメリカの極端な低さが目立つ。また中国は改革・開放の進行とともに急速にシェアが低下している。

 以前から指摘されているように,日本は1%集中度が低く,10%集中度が高い。そして上位10%とは最新のデータによると年収915万円以上であり,富裕層というほどではない。しかし,その水準に届かない個人が90%だということである。そして,今回確認できたのは,年収270万円以下の人々が全体の50%を占めていることだ。アメリカやイギリスと比べると,超富裕層に所得が集中する問題よりも,下位の低所得層の抱える困難の大きさという問題の比重が相対的に大きいことになる(※)。


※今回,データが2019年まで更新されたのは良いが,過去データもすべて見直された結果,1%や10%の閾値の数値は大きく変わっている。日本の上位1%の年収は,以前は2010年に2161万円以上とされていたが,最新データでは2010年に1193万円以上,2019年に1392万円以上と大幅に低下した。日本の上位10%の収入は,以前は2010年に960万円以上とされていたが,最新データでは2010年は789万円以上と大幅に減少し,2019年は915万円以上となった。なぜこんなに変動したのか,説明が欲しいところだ。

World Inequality Database
https://wid.world/





2021年3月21日日曜日

講義ノート:管理通貨制度下の貨幣流通,蓄蔵貨幣機能,遊休と金融的流通

I 課題

 貨幣流通を考える時に重要なのは,財・サービスの流通する商品世界の要求に応じて貨幣が流通に出入りする内生的貨幣供給の仕組みと,流通外から一方的に貨幣が投じられる外生的貨幣的供給の仕組みを区別し,それぞれどのような場合にあり得るか,どのような運動がみられるかを理解することである。これは,それ自体が価値を持つような正貨=商品貨幣が流通する場合については,比較的よく解明されている。しかし,それに比べると,今日の,中央銀行への発券集中を伴う管理通貨制度の下で,貨幣の流通への出入りがどのような姿をとるかについては,明快に整理され切っていないのではないだろうか (注1)。商品貨幣が流通している世界と管理通貨制度下の世界の関連と相違を明らかにしておく必要がある。


II 貨幣流通の基本モデル

 マルクス(1982-1989)の貨幣流通モデルから出発しよう。これを図解した大谷(2001)から図1を借用する。商品経済における購買を貨幣流通が媒介している。流通に必要な貨幣量は商品経済における,ある時点での度量標準に対応した商品の総価格と貨幣の平均流通速度によって決まる。流通に必要な貨幣には流通手段として流通する貨幣と支払い手段として流通する貨幣とがある。必要流通貨幣量が流通する商品世界の外側には蓄蔵貨幣の貯水池がある。貨幣が商品貨幣である限り,その供給は内生的になるので,必要な貨幣は蓄蔵貨幣の貯水池から商品世界に入って流通し,不要になれば流通から出て貯水池に蓄蔵される。蓄蔵貨幣の貯水池のそのまた外側には,一社会モデルなら産金部門,多社会モデルなら産金部門と外国があり,金取引によって貯水池とつながっている。

 

図1 蓄蔵貨幣貯水池等を通した貨幣流通量の調節
出所:大谷(2001, p. 120)。


 それでは,発券集中を伴う管理通貨制度下での貨幣流通においては,このモデルはどのように変容しているのだろうか。補助貨幣のことを脇に置けば,流通する貨幣は預金通貨と不換の中央銀行券である。そして,政府の財政赤字・黒字,および対外取引による通貨供給量の変動を捨象して考えよう。このもっとも抽象的なモデルにおいて,2種類の貨幣はどのように流通に出入りするのだろうか。また,管理通貨制度の下では,蓄蔵貨幣の機能はどうなるのだろうか。


III 預金通貨の生成と消滅:信用創造

 まず預金通貨について。学問的には内生的貨幣供給論が明らかにしているように(吉田, 2002, 松本; 2013),また実務的には銀行実務の素直な理解によって明らかであるように,預金通貨は銀行が企業に信用を供与することによって,当座預金として生まれる。これがすなわち信用創造である。ここで信用供与とは貸し付けと信用代位を含んでおり,具体的には貸し付け手形割引も含んでいる。これは預金通貨が発生する唯一の方法である (注2)。逆に言えば,預金通貨供給は信用創造によってのみ行われる。次に見るように中央銀行券の形で引き出されることはあっても,それ以前に貸し付けはいったん預金創造でなされる。つまり,預金が引き出されない限りにおいては,貸し付け総額=預金総額=流通貨幣量(通貨供給量)である。借り手企業は預金を設備投資なり運転資金なり賃金なりの支払いに用いる。預金通貨は他の持ち手に移転し,他の銀行に当座預金または定期預金として預けられる。しかし,社会的に見た総額は変わらない。そして最終的に企業が銀行に返済を行うと,銀行の貸付金と借り入れた企業の当座預金が同時に消滅する。預金は貸し付けによって生成して通貨となり,返済によって消滅するのである。手形割引の場合は,割引を行うと手形の譲度人の預金が創造され,期限が来ると取り立てによって銀行の債権と手形の振出人の預金が同時に消滅する。

 通貨供給の増加は信用の拡大とイコールであるため,そこに貸し倒れリスクも必ず伴う。借り手が企業の場合,資本形成や手形割引によって事業を円滑に遂行し,利子を伴って元本を返済してもなお手元に利潤を確保できるかどうかは不確実である。借り手が個人の場合,事後に入手できる収入によって,利子を伴って元本を返済できるかどうかは不確実である。つまり,預金通貨は商品経済の要求によって内生的に供給されるが,リスクを追加する形で供給される。

 ここで,銀行にとって準備金が必要ないのかという疑問に答える必要があるだろう。中央銀行券については後述するとして,預金通貨だけを想定した場合を考えておく。まず,貸し付けの原資としての準備金は必要ない。貸し付けは預金創造によって行うのであり,準備金を取り崩して貸し付けているのではないからである。次に,貸倒に備えた準備金が必要である。手形割引であれ貸し付けであれ,銀行は貸し倒れのリスクを取らねばならないからである。さらに,銀行間決済のリスクに備えた準備金が必要である。借り手が何らかの支払いをすることで,預金がある銀行から別の銀行に移動した場合,銀行間に債権債務が発生し,中央銀行当座預金で決済される。預金が流出した銀行では中央銀行当座預金が減少する。預金が流入した銀行では逆に,中央銀行当座預金が増加する。この動きは社会全体としてはゼロサムであるが,個々の銀行にとってはそうなるとは限らない。そのため,銀行全体としても,リスクヘッジに必要な規模だけ中央銀行当座預金が必要とされる。この中央銀行当座預金は,社会全体としては中央銀行が銀行に貸し付けるか,銀行に対して買いオペレーションを行うことで供給され,個々の銀行の間ではインターバンク市場での貸借によって調整される。


IV 中央銀行券の生成と消滅:預金からの形態転換

 次に中央銀行券について。中央銀行券は,企業や個人が預金を引き出す際に流通に入る。それ以外では入らない。すべての貨幣はいったん預金として生成されるのであり,中央銀行券はそこからの部分的な漏れと見るべきなのである(吉田, 2002,p. iii)。預金が引き出される時,直接には銀行の手持ち現金が預金者に渡されるが(注3),手持ち現金の減少は結局は中央銀行当座預金が減ることで支えられる。つまり,預金が引き出されるとその銀行にとっても社会全体にとっても預金と「準備金=銀行保有現金+中央銀行当座預金」が減少する。そしてこの中央銀行当座預金は,中央銀行が銀行に貸し付けるか,銀行に対して買いオペレーションを行うことで供給される。

 中央銀行券は,企業や個人が銀行に預金として預けることによって流通から出る。そして,一部は銀行で手持ち現金にとどまるが,多くは中央銀行当座預金として預けられる。中央銀行においては当座預金が増え,中央銀行券発券残高がその分だけ減少する(注4)。銀行の手元では,預金と準備金が増加する。

 中央銀行券は,預金の一部が引き出されたものであるから,その流通量の増減は,預金通貨の逆方向の増減と対応している。なので,銀行の貸付総額が変化しない限り,中央銀行券の流通量だけが変化しても,流通貨幣量全体を変化させることはない。

 中央銀行券の運動にとっては,準備金は,預金の一部を中央銀行券に転換させるために必要である。中央銀行券の流通量の増減は,準備金の逆方向の増減と対応している。したがって,預金が中央銀行券として引き出される割合に応じて準備金が必要である。この割合は企業や個人の流動性に対する需要によって左右される。そして,この需要は個々の銀行の経営不安,すなわち預金通貨に対する不安にも左右されることに注意が必要である。


V 経済成長に対応した通貨供給量の拡大=信用創造の拡大

 貸し倒れにならない限り,貸付金は期日になれば返済される。つまり貸し付けと返済は元本分についてはゼロサムである。よって,すべての預金通貨や中央銀行券は,流通に入っても恒久的にとどまることは決してなく,いずれは消滅することを運命づけられている。しかも銀行は割引料や利子を取り立てるので,流通に投入された預金通貨や中央銀行券よりも多くを回収する。なので,一定期間において,商品の流通に必要な貨幣量は確保されるためには,次々と連鎖的に信用創造が行われなければならない。また,経済成長によって商品の流通に必要な貨幣量が増加した場合は,信用創造が拡大していくこと,具体的には,銀行が回収(返済や取り立て)を上回る信用供与(貸し付けや手形割引)を行うことによって,必要な貨幣量が確保されねばならない。社会全体として見た場合に,債務が返済される以上に貸し付けが行われるという運動が連続的に生じることが,通貨供給量を増大させる。通貨供給量の増大イコール信用供与の増大であり,銀行債権とそれ以外の部門の債務の増大なのである。

 なお,このように説明すると,金融とは資金余剰主体から資金不足主体への融通ではないのかという疑問,言い換えると,金融とは遊休貨幣の信用仲介ではないのかという疑問が出てくるかもしれない。これについては,まず遊休貨幣ないし余剰資金の存在形態を確認しておく必要がある。銀行の持つ準備金については前述のように貸し付けの原資ではないので,その取り崩しによって通貨が供給されることはない。よって,信用仲介の対象になりそうなのは,流通内で支出されずに遊休している預金や中央銀行券である。しかし,これらについては,まず預金であり中央銀行券である以上,過去のある時点で信用創造によって生成した預金が持ち手を転換したり,引き出されたりしたものなのである。さかのぼって考えると,まず貸し付けによって預金が生まれる。そして,預金通貨のまま流通したり,中央銀行券に転換されたうえで流通したりする。そしてある時点で,支出されない定期預金や当座預金や手持ちの現金によるたんす預金となって遊休する。これが実際の順序なのである。銀行に関する限り,先ず余剰資金があって,それが貸し付けられるではない。まず信用創造が行われ,結果として遊休貨幣ないし余剰資金が発生するのである(松本, 2013, pp. 63-65)。


VI 管理通貨制度下における貯水池なき蓄蔵貨幣機能

 通貨は商品経済の要求により,まずは預金創造という形で流通に入り,預金消滅という形で流通から出る。その点では内生的に供給される。これをマルクスによる貯水池の比喩で言えば,必要に応じて通貨が流れ込み,流れ出る水路は存在している。ただし,水路の先には蓄蔵貨幣の貯水池がない。預金通貨は貸し付けられたら創造され,返済されると消滅するからである。物的な資源と異なり,通貨と購買力は無から創造され得るし,また消滅もし得る。信用創造とは,無から水が湧き,無に水が帰す水路なのである(注5)。この点が,正貨=商品貨幣の流通との重要な類似性と相違である。大谷(2001)のデザインを借りつつこれを図示すれば,図2のようになる。





図2 貸し付け・割引と返済・回収を通した預金通貨の流通量の調節
出所:著者作成。


 この図は,銀行が預金通貨を創造できることと,恣意的にそうするのではないことをともに意味している。企業が活動を拡大しようとし,社会的に商品の流通が拡大する行動がとられようとする時に,これを支えるのが信用創造なのである。

 ここで,銀行の「準備金=銀行保有現金+中央銀行当座預金」は貯水池ではないのかという疑問が出てくるだろう。準備金の機能は,預金通貨にとってと中央銀行券にとってとでは異なることに注意が必要である。

 まず預金通貨の運動にとっては,準備金は蓄蔵貨幣ではなく,貨幣流通量を調節する貯水池でもない。準備金は貸付けの原資ではなく,貸し倒れリスクに備えることと,個々の銀行間の預金振替を円滑に行うために必要なものだからである。

 中央銀行券の運動にとっては,準備金は,預金の一部を中央銀行券に転換させるために必要である。流通する中央銀行券が増えれば準備金が減り,流通内の中央銀行券が減れば準備金が増える。よって,中央銀行券として流通する分については,準備金が貯水池となるといってもよい。このことを図示すれば図3のようになる。ただし,注意すべき点が二つある。第一に,流通内における中央銀行券の増減は同額の預金が形態転換したものである。なので,預金の預け入れや引き出しを通して中央銀行券の流通量が増減し,それと逆方向に準備金が増減しても,貨幣流通量全体は変化しない。第二に,流通外にあっては,準備金の多くは中央銀行券の形態のままで蓄蔵されるのではなく,中央銀行当座預金という形態で蓄蔵される。

 以上のように,管理通貨制度下においては,蓄蔵貨幣の貯水池が存在しなくとも,内生的に流通貨幣量全体は調節されるのである。その意味では,銀行制度は信用創造により,実体としての蓄蔵貨幣が存在しないのに蓄蔵貨幣機能の一部,つまり必要な時に通貨を創造し,不要な時に消滅させる調整機能を果たすのである。その上で,流通貨幣量(通貨供給量)のうち中央銀行券という形で流通する部分についてのみ,準備金という特殊な形態での貯水池が存在しているのである。



図3 準備金の増減を通した流通する中央銀行券の調節。
出所:著者作成。


VII 遊休と金融的流通

 さて,流通貨幣量を変動させる入り口と出口は銀行による貸し付け・信用代位と返済だけである。これとは別の,流通から貨幣が完全に出る水路も貯水池もない。しかし,返済による消滅や準備金増以外にも,貨幣は財・サービスの流通媒介をしなくなってしまうことがある。

 一つは遊休である。企業の手元には直ちには投資されない現金や預金があり,これが遊休貨幣資本をなす。また,個人はただちに支出しない貯蓄を持っている。貨幣供給ルートに即していえば,貸し付けで生成された預金や,それが引き出されて発行された中央銀行券は,流通していくうちに企業や個人の手元で遊休する。具体的には,たんす預金,定期預金,あるいは当座預金のうち使用する当てがなく積み上がっている分という形をとる。企業や個人が購買や信用仲介にこれを投じれば商品流通の媒介に復帰し得るが,一定期間それがなされないこともあり得る。

 もう一つは,金融的流通である。企業も個人も現預金のまま貨幣を遊休させずに,株式や債券という金融資産で運用することがある。証券の流通市場で運用が行われた場合,預金や中央銀行券は,株式や債券などの金融資産の購入,販売によって持ち手を変える 。そして連続的に金融資産の売買が行われると,連鎖する売り手の銀行預金口座を次々と預金が移動する。また,証券会社を通して売買していれば,投資家たちの口座が置かれている証券会社が銀行に持つ預金口座内に残高が滞留する。これらの預金残高は,金融資産の売買が連続的に行われている間は,財・サービスの流通を媒介していない。金融資産の価格の変動によって,金融的流通にとどまる貨幣の額も変動する。

 遊休状態の貨幣,および金融的流通を媒介している貨幣は,商品経済から出て行ったわけではない。預金通貨や中央銀行券として存在し続けている。しかし,少なくとも一定期間,財・サービスの流通を媒介しないのである 。財・サービスの流通を媒介している通貨とも,貸付金の返済によって水路から出て消滅した貨幣とも性質が異なるこの二つの部分については,独自の立ち入った解明が必要である。


VIII 総括

 まとめよう。発券集中を伴う管理通貨制度のもとでの通貨は,政府財政と対外取引の影響を捨象すると,以下のように流通に出入りする。1)預金通貨も不換の中央銀行券も,内生的に供給される。つまり,商品流通の必要に応じて流通に入り,不要になると流通から出るのであって,商品流通の必要と無関係に外部から投入されるのではない。2)具体的には,銀行が預金を設定して信用を供与することによって流通に入り,貸付金が返済されて銀行が預金と貸し付けを両建てで消滅させることによって流通から出る。ここで預金通貨は内生的に,ただし貸し倒れリスクを伴う形で供給される。準備金は貸し付けの原資としては必要なく,貸し倒れリスクに備えるためと,個々の銀行間の預金振替を円滑に行うために必要とされる。3)中央銀行券は,預金が銀行から引き出されることによって流通に入り,預金として銀行に還流することで流通から出る。中央銀行券は,預金通貨の形で供給された流通貨幣量(通貨供給量)のうち,一部が引き出されたものであるから,その流通量の増減は,預金通貨の逆方向の増減と対応するだけであって,流通貨幣量全体を変化させない。準備金は預金通貨を中央銀行券に転換させる流動性需要に対応して必要とされる。4)商品流通に必要な貨幣量の供給は,連鎖的に信用創造がなされることによって確保される。必要な貨幣量の増大は,返済を上回る貸し付けが行われることによって実現される。5)通貨は流通に入る時に預金という形態で生まれ,流通から出る際に消滅する。必要に応じて水路を出入りするという意味では蓄蔵貨幣機能を果たすが,蓄蔵貨幣の貯水池を形成しない。6)流通に入る中央銀行券の量に対応して,「準備金=銀行の手持ち現金+中央銀行当座預金」という貯水池が存在する。準備金は,流通貨幣量の一部をなす中央銀行券の流通量にのみ対応するのであって,流通貨幣量全体の変化には対応しない。7)遊休したり金融的流通に回ったりする通貨は,商品経済の外に出てはいないが,財・サービスの流通を少なくとも一時的に媒介しないという,独自の状態にある。


<注>

1)このノートのIII,IVにおける信用創造論,預金通貨の流通論の本質的内容は,マルクス経済学の内生的貨幣供給論的理解を示した吉田(2002, 2008)や松本(2013)にしたがいつつ,派生的論理を展開したものである。一方,Ⅴ以降の蓄蔵,遊休,金融的流通に関する論点は,独自の思考によるものである。もっとも信用論の文献を十分にサーベイしたわけではないので,先行研究がすでに指摘しているかもしれない。

2)教科書的な信用創造理解では,本源的預金をもとに信用創造を行うことで,元の何倍もの預金が生成することになっているが,本源的預金論は説明不足であり,結果として論理が転倒している。本源的預金論は,最初に預けた中央銀行券がどこから来たのか説明していない。社会全体として見れば,この中央銀行券は,貸し付けによって生成した預金が引き出されることで流通に入ったのである。それを誰かが預金するというのは,すでに生成された預金と同額を(たいていは生成されたのとは別な銀行に,であるが)銀行に還流させるだけのことである。

3)銀行が手持ちしている現金は,流通内には入っていない。日本の実務においても,「現金通貨」に含まれていない。

4)中央銀行券は債務証書なので,債務者である中央銀行に還流すれば資産にならずに消滅する。

5)この論理をかなり直接的に明示したのはシュムペーター(1977)である。シュムペーターはすべての資源が有効活用されている均衡状態から経済発展へと移行する仕組みを考察している。なぜこのような移行が可能になるかというと,銀行の信用創造によって無から購買力が創造され,その購買力を利用して企業者が他の用途から希少資源を引き抜くからである。ものや人などの資源は,すでにすべて有効されているという想定の下では追加することはできず,既にあるものを別な組み合わせで用いることしかできない。だから企業者行動は創造でなく創造的破壊をもたらし,結合でなく新結合をもたらすと言われる。しかし,同じ条件下でも,信用貨幣による購買力は追加で創造され得るのである。

6)証券購入が発行市場で行われた場合は,投下された貨幣は設備投資や原材料購入や賃金支払いにまわる。証券の発行市場と流通市場は区別する必要がある。

7)この遊休貨幣は,先行研究において示されたより普遍的な概念では休息貨幣にあたる(岡橋, 1957, p. 76)。すなわち,蓄蔵貨幣ではなく,流通を一時休止している流通手段としての貨幣である。


<参考文献>

大谷禎之介(2001)『図解 社会経済学:資本主義とはどのような社会システムか』桜井書店,2001年。
岡橋保(1957)『新版貨幣論』春秋社。
シュムペーター, J. A.(1977)(原著1912年,塩野谷祐一ほか訳)『経済発展の理論―企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究(上)(下)』岩波書店。
松本朗(2013)『改訂版 入門金融経済:通貨と金融の基礎理論と制度』駿河台出版社。
マルクス, K. (1982-1989)(原著1867-1894年,社会科学研究所監修・資本論翻訳委員会訳)『資本論』新日本出版社。
吉田暁(2002)『決済システムと銀行・中央銀行』日本経済評論社。
吉田暁(2008)「内生的貨幣供給論と信用創造」『経済理論』45(2), 15-25。


2021年3月8日月曜日

日銀がETFを購入するとマネーストックは増えるのか

 講義用Q&A

Q:日銀のETF購入も金融緩和としてなされていますが,日銀がETFを購入するとマネーストックは増えるでしょうか。

A:場合によります。日銀がETFを購入する時には,信託銀行に対して金銭を信託することによって行います。なので,まず日銀は信託銀行が持つ日銀当座預金口座にお金を振り込みます。信託銀行はこれをいったん引き出し,預金とは別の信託勘定に移します。これを用いてETFを購入して保管しますが,これは日銀の資産として記帳されます。

 信託銀行がETFを購入するときは証券会社に発注します。証券会社は株式バスケットを入手し,運用会社に預けてETFを設定してもらいます。このとき,信託銀行の信託勘定にある現金は,証券会社に移動しなければなりません。
 ここで,証券会社が日銀に当座預金を持っていれば,証券会社名義の日銀当座預金として預け入れられます。結果として,日銀当座預金だけが増えていますからマネタリーベースは増えてマネーストックは増えません。もちろん,証券会社が増えた当座預金という資産を運用する仕方によっては増えます。

 証券会社が日銀に口座を持たない会社であれば,預金は以下のように移動します。

・信託銀行の信託勘定で現金減
・証券会社の持つ現金増。預け入れにより銀行に持つ当座預金増
・その銀行が日銀に持つ日銀当座預金増

 この場合,結果が異なります。日銀当座預金残高のみならず,証券会社が銀行に持つ当座預金という預金通貨も増えていますから,マネタリーベースとマネーストックは両方増えることになります。

Q:日銀のETF購入で株価が上がったとすれば,投資家の手持ちマネーは増えるわけですが,この時,マネーストックは増えるでしょうか。

A:直接的には,ある一つの場合を除いて増えません。日銀のETF購入で株価が上がったとして,上がった株は誰かが売って,誰かが買っています。この時,株式の買い手は買うお金を持っていたはずです。自分のものであったり,銀行以外の誰か(個人や証券会社やノンバンク)から借りた場合は,そのお金はもともと経済内部で流通していた,マネーストックに含まれていたお金です。なので,そのお金で株式を買ってもマネーストックは変動しません。株価が高くなるというのは,株式と交換されるマネーの金額が増えるだけです。
 ただし,投資家が銀行からお金を借りて株式を買った場合だけは,信用創造によって預金通貨が増えるので,直接的にマネーストックが増えます。
 また,株価の上昇が実物資産への投資を活発にし,それによって信用創造が盛んになった場合には,間接的にマネーストックが増えます。

 ETFの購入は金融緩和としての効果は限られています。むしろその役割は,上場企業の株価を底支えすることであって,そういうものとして是非を考えるべきと思います。これについての私の意見は以下の記事をご覧ください。


「日本銀行がETFを買うお金はどこから来るか?:日銀のETF購入(1)」2020年4月16日。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf1.html

「日銀のETF購入は上場企業優遇の財政政策ではないのか:日銀のETF購入(2)」2020年4月16日。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf2.html

「日銀がETFで損失を出すとはどういうことか:日銀のETF購入(3)」2020年4月16日。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf3.html

※2024年1月30日。ETFが信託であることを踏まえて記述を訂正。


2021年2月25日木曜日

「私営」でも「国有」でもない「共有企業」という改革案:張春霖「企業所有制の伝統的概念を改める必要について」を読んで

 張春霖「企業所有制の伝統的概念を改める必要について」『財新』2021年2月19日。

 正しく読めたかどうか自信はないが(→留学生に確認したら大丈夫とのこと),著者はおおむね以下のように主張している。

 中国における「公有」「非公有」の二分法は単純に過ぎるので,三分法にすべきである。自由放任資本主義や完全な社会主義と異なり,現代の市場経済では個人の貯蓄が大量に形成されている。それらは,何らかの機構に委託されて投資されるが,受託者は利益に対する排他的な権利を保有している。こうした金融仲介を行う企業,すなわち民営であれ公共管理の下にあるのであれ養老基金,保険会社,商業銀行,投資基金,単位信託基金などは私営とも国有とも異なる「共有企業(jointly owned enterprise)と呼ぶべきである。

 この共有企業の考えを年金保険制度の改革に活かし,個人口座に対する個人の排他的な請求権,基金の受託者責任,政府の非介入を実現すべきである。

 また,国家が保有する国有企業の株式の一部は機関投資家に委託し,その投資収益は国民全体に配分し,政府は制度の運行と受託機関投資家の選択に責任を負って,企業の経営的意思決定には関与しないという運用が可能である。これにより国有資本の国家所有権を保持しつつ「政企分離」を徹底し,国家所有権と市場経済の対立を減らすことができる。また低所得者の保護を手厚くし,国民全体の共通利益を促進することができる。

(感想)

 現代資本主義における機関所有の増大に注目しつつ,これを中国の経済改革に結びつけた面白い発想と思う。ピーター・ドラッカーの年金基金社会主義やアドルフ・バーリの財産なき権力論を,中国の現状に対応させたような感触を得た。これら機関投資家所有に注目したアメリカの議論では,個人所有から機関所有へのシフトに注目し,機関所有家の行動原理は個人投資家と異なるのではないか,異なるべきではないかと問う。そこでの議論のポイントの一つは,一方で個人大資本家が縮小し,他方で労働者が年金基金加入者になって,いずれの資本も機関投資家が管理し,投資先を決定していることである。

 この張春霖氏の論稿の場合,国有資産も個人資産も実は機関投資家に運用を委託されているのだから,機関投資家の行動原理に従うべきではないかという風に構成されている。それによって,一方では国家の個々の企業活動への介入を抑制しようとして,近年危うくなっている政企分離を改めて進めようとし,他方では個人の年金資産や投資にに対する権利を確定しようとしているように見える。巧みな構成である。中国の政治経済においてどのくらい実行可能性を持つか,私の知識では判断できないが,少なくともいきなり政治的に否定されにくい論理になっているように見える。

 ただ,著者の改革が仮に実現しても,その先には,欧米資本主義と同じように,機関投資家が実際にはだれの立場を代表しているのかという問題が生まれだろう。一方で機関投資家が「物言う株主」になった場合に,それは誰の立場をどのように代表しているのかという問題がある。他方で,個人は年金基金に加入していても受益権があるだけで,投資決定や投資先企業の意思決定には参与できないという問題がある。これらは,著者の改革が実現しても難題となるように思える。

 なお部分的なことであるが,銀行は貯蓄を貸し付けに仲介しているのではなく,銀行が(原理的にはその株主が)リスクを取って預金を創造することで同時に貸し付けている。よって,金融仲介を根拠に銀行を「共有」企業に入れることは賛成できない。銀行は,通貨供給と決済という機能を持つ独自の機関であると位置づけた方がよいと思う。

2021年2月24日水曜日

吉田暁『決済システムと銀行・中央銀行』日本経済評論社,2002年を読んで。

 吉田暁『決済システムと銀行・中央銀行』日本経済評論社,2002年。吉川方人様のご厚意により入手して読むことができた。私が内生的貨幣供給論をあれこれ模索してたどり着いた見地は,貨幣・信用・銀行の一般理論の次元では,故・吉田暁教授の見解とほぼ同じであったことが確認できた。もっと早く気づくべきであった。もっとも,本書は一般理論の書として書かれているわけではない。原論文が書かれた時点でのトピック(CMAなど銀行以外の決済業務への参入と呼ばれた事態やナロウバンク論)に即した論じ方になっているため,その理論的立場は,読者が一定程度努力して読み込む必要がある。

 「はしがき」によれば,吉田教授は1955年に東京大学経済学部を卒業された。ゼミナールでは横山正彦氏,研究会では日高晋氏の指導を受け,マルクスのオーソドックス解釈と宇野理論の双方を学ばれた。志村嘉一,林健久,山口重克といった方々が学友とのこと。卒業して全国銀行協会連合会(全銀協)に1985年まで勤務されてから武蔵大学に転身された。私は本書で,吉田教授の内生的貨幣供給論が,経済原論の学びと銀行系エコノミストとしての研鑽の成果であったことを知った。

 なお,吉田教授の内生的貨幣供給論と,マルクス経済学内部の外生的貨幣供給論の違いは,以下でよくわかる。

吉田暁(2008)「内生的貨幣供給論と信用創造」『経済理論』45(2), 15-25。






大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...