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2021年5月12日水曜日

新ウルトラマン(現:ウルトラマンジャック)はいつ初代ウルトラマンと別人になり,いつウルトラ兄弟になったのか

 『帰ってきたウルトラマン』最大の謎。それは,なぜ「帰ってきたウルトラマン」なのに初代ウルトラマンと別人なのか,逆になぜ別人なのにウルトラマンが「帰ってきた」ことにされているのかである。さらに,その設定はいつからできたのか,当時の視聴者は別人だと認識していたのか,ウルトラ兄弟という設定はいつできたのかという事である。

 この度,白石雅彦氏『「帰ってきたウルトラマン」の誕生』を上梓されたことで(画像),私はこのタイトルと別人設定の謎がついに明かされるかと期待していた。結果,確かに明かされたはしたが,その経過は期待したほど詳細には書かれていなかった。前作『「怪奇大作戦」の挑戦』までは事実確認のためにふんだんに用いられた上原正三氏の手帳が,1971年以降の分について未発見だからだろう。『帰ってきたウルトラマン』は,その名の通り以前に地球で戦ったウルトラマンが帰って来るという企画であり設定であった。なのにウルトラマンが別人になった次期は詳細不明であり,企画担当の満田かずほ氏もクランクイン直前まで考えていなかったこととしている。「そもそもウルトラマンが帰って来たという設定であったため,スーツは前のデザインで制作されていた。デザインの変更は,版権営業上の問題である」(136-137ページ)。版権を扱う会社,日音から「新しいウルトラマンが出せれば新たな契約ができる」(満田氏。137ページ。ただし『帰ってきたウルトラマン大全』からの引用)という話があったとのこと。まったく資本主義な大人の事情である。放映開始は1971年4月2日,クランクインは2月6日というから,たいへんな泥縄だったと言えるだろう。しかし,これが「ウルトラ兄弟」という設定を可能にしたのだから,何がどうなるかわかったものではない。


 では,これを視聴者はどう認識していたか。ここから個人的回想となる。

 『帰ってきたウルトラマン』は,私が最初にリアルタイム放映で視聴したウルトラシリーズであった。ときに1971年4月,小学校に入学する年のことであった。まだ眼鏡をかけていなかったので,ちゃんと子どもに見えた。自宅にあったのは白黒テレビであった。当時の私は上記の謎をどう認識していたか。

 まず,そもそもインターネットも何もない時代,『帰ってきたウルトラマン』についてのまとまった事前情報を得られた唯一のルートは,子ども向け雑誌であった。私の場合,小学館の『小学二年生』であった。なぜ1年生なのに2年生向けの雑誌を読んでいたかというと,話はやや寄り道して前年の秋に遡る。幼稚園児だった私は,小学館の『幼稚園』ではなく講談社の『たのしい幼稚園』を買ってもらっていたが,ある時,書店で『小学二年生』が欲しいと言い張った。理由は,『たの幼』には載っていない『ドラえもん』が載っていたからである。すでに虫コミックス版『オバケのQ太郎』全12巻を読みつくしていた私は,藤子不二雄先生の次のマンガ『ドラえもん』に目を付けたのだ。さんざせがんで手に入れた『小学二年生』には,確か『ドラえもん』「人間あやつり機」が載っていた。今になって調べてみると,1970年10月号だったようである(発売は9月1日)。この成果に味をしめた私は,その後も『小学二年生』をねだり続けた。そして,1971年の初めに,『帰ってきたウルトラマン』の記事を見たものと思われる。放映前に,第1話についての記事を読んだ記憶がある。タッコング,ザザーン,アーストロンの3体の怪獣が出ることを知っていたし,「タッコングに食いちぎられ,ザザーンは死んでしまいます」という文面が記憶にある。ウルトラマンが出る前に死んでしまうのが妙に悲しく心に残ったのだろう。

 そうして1971年4月2日,第1話『怪獣総進撃』放映。記憶の混濁があるかもしれないが,主観的には「君にも見えるウルトラの星」という歌詞がたいへん印象的だったことを覚えている。問題は,このときに『帰ってきた』ウルトラマンが,以前のウルトラマンと別人だとすでに認識していたことだ。「あれ,模様が違うけど別のウルトラマンなのか」と思ったことは一度もない(別人という情報がなければ,理屈っぽい私がおかしいと言って回らないはずがない)。ということは,『小学二年生』で別人だとすでに知っていたという事になる。しかし,どのように知ったのか。長年,漠然とした考えはあったのだが,確証が持てなかった。

 手掛かりは,2003年に出た『ウルトラ博物館』にあった。これは小学館の学習雑誌にかつて掲載されたウルトラシリーズに関する記事を復刻した,大人のおもちゃもきわまれりという本である(ので当然,買っている)。残念ながら放映開始直前の『小学二年生』4月号や5月号は再録されていないが,『小学一年生』1971年4月号の記事が再録されていて,そこでは「まえのウルトラマン」「こんどのウルトラマン」のデザインが対比され,別人であることが示されている。おそらく他学年の雑誌でも同様の特集が組まれていたことだろう。だから私も周囲の子どもたちの相当部分も,放映前に「帰ってきたウルトラマンはウルトラマンと別人」と認識していたのだ。なにしろ,当時,低学年の小学生には,学習雑誌の影響力はたいへんなものであった。

 では,別人はよいとしてウルトラ兄弟という設定はいつできたのか。テレビの放映画面内でウルトラセブンが登場するのは8月6日放映の第18話「ウルトラセブン参上!」であり,その後,12月24日放映の第38話「ウルトラの星光る時」に初代ウルトラマンとウルトラセブンが登場する。この時,はじめて「初代ウルトラマン」という呼称が番組内で使われた。番組内においては,この時点で初代ウルトラマンと新ウルトラマンが別人であることがはっきりしたことになる。だが,ここまでは「ウルトラ兄弟」という呼称は登場しない。この呼び名が初めて番組内に登場するのは1972年3月31日の第51話=最終回「ウルトラ5つの誓い」であり,光の国侵略を狙うバット星人の口からである。

 しかし,ウルトラ兄弟という情報は,実は相当早くから流されていた。少なくとも私は,最終回よりも第38話よりも早く,ゾフィ―,初代ウルトラマン,ウルトラセブン,新ウルトラマンは兄弟,ただし血はつながっていないと認識していた。その理由について長い間,記憶に自信がなかったのだが,『ウルトラ博物館』に『小学二年生』1971年8月号(7月1日発売)の記事が再録されていたために,この情報の起源に確証が持てた。「ウルトラセブン参上!」放映以前で,まだベムスターの存在が明らかにされていない時点で発売されたこの号で(※1)「ウルトラマンにはきょうだいがいますか」「います。M78星雲で生まれた四人きょうだいです」と断言されていたのである(画像)。新ウルトラマンを「いちばん下のおとうと」と書いているところは私の記憶のとおりであり,まちがいなくこれを読んでいたのだ。ついでに「アーストロンはゴーストロンのおにいさんです」「シーゴラスはシーモンスのおむこさんです」,「ペギラはチャンドラーのおにいさんです」というささいな情報まで記されていた。同書収録の満田氏インタビューでは「ウルトラ兄弟の設定については学年誌が先行した企画ですね。そうした扱いをしたいとの問い合わせが当時の『小学二年生』の井川編集長からあってね,こちらとしては『まあいいでしょう』とご返事しました。ただ『本当の兄弟ではない』ことのエクスキューズは出してもらうようお願いしたと思います」とある。ウルトラ兄弟とは,『小学二年生』のアイディアだったのであり,私はその設定が明らかにされた最初の出版物を目にしていたのだった。


 それでもわからないことはある。まず,この7月時点での情報は,『小学二年生』以外でも展開されていたのかということだ。子どもたちのうち小学2年生だけが「ウルトラ兄弟」とか言い出せばおかしなことになるので,広く情報は流されたのではないか。他の学年誌では流されたのか。『週刊少年サンデー』や『別冊少年サンデー』は使われたのか。これはまだわからない。また,この『小学二年生』には血はつながっていないということは書かれていない。私は,この情報は別のところで得たことになるが,それに初めて触れたのがどこであったかはどうしても思い出せない。2017年に出た『学年誌ウルトラ伝説: 学年別学習雑誌で見る「昭和ウルトラマン」クロニクル』小学館によれば,「4人を血の繋がった兄弟と設定したことに対し、円谷プロから抗議を受けた」「そこで『小学三年生』同年11月号で「ほんとうのの兄弟ではないけれども,とてもなかがよいので,みんなはこの4人のことを,4兄弟と呼んでいる」と修正を加えつつ、「ウルトラ兄弟」の名称を推し出していったという。なので「本当の兄弟ではない」は後から流された情報なのだろう。しかし,『小学三年生』を読んだ記憶はないので,私は何か別のソースから得たのだと思う。『小学三年生』11月号と同時に他のメディアでも展開されていったのだろうか。これはまだ謎である。

※1 兄弟紹介記事の下には「『帰ってきたウルトラマン』にはうちゅう怪獣や,星人が,出て来ないのですか」という質問に「もうすぐ出て来ます」と答える記事がある。ベムスターの存在はまだ明らかにしないが,第2クールで宇宙怪獣を出す路線は予告したのだろう。

※2 余談。ちなみに,ここで『ウルトラマン』最終回にしか登場しないゾフィーが,たいへん神秘的な存在として子ども心に植え付けられた。当時の小学館の雑誌では「ゾフィ」でなく「ゾフィ―」の表記が多かった。しかし『ウルトラマンタロウ』第18話のサブタイトルは「ゾフィが死んだ!タロウも死んだ!」だった。

※3 余談。当時の学年誌のお楽しみは豪華付録だった。懐中電灯を光源にする簡易映写機のような付録がついていたことを覚えている。『学年誌ウルトラ伝説: 学年別学習雑誌で見る「昭和ウルトラマン」クロニクル』によれば,『小学二年生』1971年12月号に「怪獣幻灯機」がついており,これだったかもしれない。ただ,この幻灯機は静止画を映し出すだけなのだが,私はタッコングが暴れる映像を3秒くらいカラー動画で見た記憶があり,それで強烈な印象を覚えたのだ。記憶の混濁なのだろうか。


白石雅彦『「帰ってきたウルトラマン」の復活』双葉社,2021年。

円谷プロダクション監修,秋山哲茂編『ウルトラ博物館: 学年別学習雑誌で見る昭和子どもクロニクル1』小学館,2003年。

円谷プロダクション監修,秋山哲茂編『学年誌ウルトラ伝説: 学年別学習雑誌で見る「昭和ウルトラマン」クロニクル』小学館,2017年。

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