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2019年12月7日土曜日

フィンテック企業は,金融機関と日本銀行なくしては債務を決済できない:だからこそ手数料引き下げに意味がある

 銀行,信用金庫,信用組合,労働金庫,農業協同組合が加盟する「全銀システム」について,「金融機関以外は利用が難しいことや手数料が高いことが,決済事業への新規参入を阻害していないかどうか」公正取引委員会が調査を始めたという報道が『日本経済新聞』2019年12月7日付であった。

 手数料が高いことがキャッシュレス支払・決済事業への参入を阻害するのはわかる。銀行間送金手数料が高いことや横並びであること,銀行口座からスマホ決済アプリにチャージする際のチャージ手数料が高いこと等はそれに当たる。

 だが,「金融機関以外は利用が難しいこと」が問題だとか,全銀システムは「加入時には多額の費用がかかる。資金力が十分でないフィンテック企業が接続しようとしても,難しいのが実情だ」という記述には,不安を覚える。

 なぜかというと,私の理解する限り,いくら金を払おうが,金融機関でないフィンテック企業が全銀システムに接続するだけでは,支払・決済などできないからである。『日経』は,制度上不可能なことをできるかのように書いていないか。

 以下,銀行間決済の仕組みに即して,その理由を説明する。

 個人Aが商店Bから物を買い,銀行口座連動型のスマホ決済か小切手か銀行振り込みといったキャッシュレス方式で100万円の代金を払うとする(念のため言う。大昔からある小切手も口座振り込みもキャッシュレスである)。Aさんの取引銀行をα行,B店の取引銀行をβ行とすると,送金すれば,Aさんがα行に持つ預金は100万円減り,B店がβ行に持つ預金は100万円増える。

 このときα行とβ行の預金操作はよいとして,送金はどうやってやるのか。送金のわかりやすい形式は,Aさんがα行にもつ預金を100万円おろし,この100万円の日銀券をβ行まで運んでB店の持つ口座に預け入れることである。しかし,当然こんな煩雑なことは出来ない。ではどうするかというと,α行とβ行の両方が口座を開いている銀行がまたあって,そこで銀行振り込みを行えばよい。ここに日本銀行が関与する。α行とβ行はいずれも日銀に当座預金を持っている。日銀の口座内でα行が持つ当座預金から100万円が引き落とされ,β行の当座預金に移される。これで決済は完了するのだ。

 つまり,銀行間送金とは,各銀行が日本銀行に当座預金口座を持っているからできるのである。そして,日本銀行に当座預金口座を持つのは,いまのところ法令上の預金取り扱い金融機関だけである。預金取扱金融機関が準備預金として持っているのだ。

 フィンテック業者が全銀ネットに加入することがあるとすれば,それはフィンテック業者が自ら預金取扱い金融機関になる,あるいは日銀が当座預金口座開設を資金移動業者などに認めた場合である(イングランド銀行が国際送金業者のトランスファーワイズに認めたように)。日銀に口座を持つことなしに全銀ネットに加入しても送金はできないのだ。

 別の見方をしよう。現代の信用貨幣システムでは,債務を金貨などの正貨で支払うことができないので,より信用度の高い債務(証書)で返済することになる(※)。Aさんがキャッシュレス支払いをして負債を負えば,その支払いにまたAさんの借用証書を使っても駄目であり,より信用度の高いα行の債務,つまりAさんがα行に持つ預金通貨で支払わねばならない。α行がβ行に支払おうとすると,それはより信用度の高い日銀の債務,つまりα行が日銀に持つ預金通貨で支払わねばならないのだ。もし,資金移動業者が日銀口座開設を認められれば,α行はカットすることができる。Aさんがキャッシュレス支払いをして負債を負えば,資金移動業者はβ行に日銀の預金で払えばよい。しかし,この場合も日銀はカットできない。

 フィンテック業者がこうした銀行間システムと中央銀行の拘束をできるだけ避けたいとすれば,現状では銀行口座を用いない方式を取るしかない。これは,現に中国でアリペイがやったことだ(私のまちがいでなければLINE Payもできているはずだ)。まず,AさんもB店も同じキャッシュレス決済システムに入っているとする。仮にC Payとしよう。これならば,AさんがC Payに100万円以上の残高を持っている限り,AさんからB店への支払いは,C Payの内部で完結する。このお金は,C Payが持つ銀行口座,たとえばγ行の預金口座の中に存在している。Aさんが100万円をC PayにチャージしたときにAさんが持つα行の銀行口座からC Payが持つγ行の口座に送金されたのだ。そしてAさんのB店への支払により,C Payが持つ銀行口座内の金額は変動せず,C Payの責任において100万円の所有権をAさんからB店に移したのである。これならば,AさんからB店への送金の際に直接には全銀システムを動かさずに済むし,日銀を介さずに済むわけだ。

 ただし,この100万円はC Payの持つγ行の口座として(あるいは考えにくいがC Payの手元の日銀券として)存在していなければならない。前の段落で見たように,Aさんがα行からC Payにチャージすればγ行の口座の残高は増える。また,Aさんから支払を受けたB店がC Payからお金を引き出してβ行の預金へと移せば,このγ行の口座の残高が減少する。それらの取引の際には,やはり銀行間送金と日銀準備預金が必要になる。この方式も,結局は銀行と日銀なしには存在できないのである。

 フィンテック企業であれ何であれ,いかに情報システムが発達しようとも,中央銀行抜きの債務決済などできないことに注意が必要だ。なぜならば,債務はより上位の債務によってでなければ決済できないからだ。フィンテック企業の債務を決済するには銀行の債務が必要であり,銀行の債務を決済するには日本銀行の債務である準備預金か日銀券が必要である。このうち銀行の債務という中間項は政策的にカットすることは可能だが,準備預金と日銀券の必要性は,中央銀行債務を中心とする通貨制度の下でカットできない。

 誤解してほしくないのは,だからフィンテック企業は黙って銀行に従えという意味ではない。そうではなく,制度上,全銀システムに参加できないからこそ,フィンテック企業が活動しやすいように手数料を競争促進または政策によって引き下げることには意味があるのだ。また一定の条件下で資金移動業者が日銀に口座を持つ可能性についても検討する価値はあるだろう。『日経』の記事に問題があるのは,あたかもフィンテック企業が全銀システムへの参加を恣意的に妨害されているかのように描き,参加できるようにすべきだという誤った政策提言を導きかねないことなのだ。やるべきことをまちがえてはいけない。

<補足>
 補足すると,金融機関と中央銀行抜きのデジタル「支払い」ならば,実現する方法はある。中央銀行がトークン型のデジタル通貨を発行すればよい。それにより,何ならスマホからスマホへの移動で支払は完了する。ただし,これは概念としてはデジタル化した現金(キャッシュ)での支払いであって,キャッシュレスとは言い難いこと,また債務の決済ではないことに注意が必要である。そして,トークン型中央銀行デジタル通貨はフィンテック業者の電子マネーと競合する。電子マネーに競争力があればそれはそれで便利だが,金融機関と中央銀行抜きのデジタル支払は実現しない。逆に,使い勝手の良いトークン型中央銀行デジタル通貨が大規模発行された場合,フィンテック業者の電子マネーは駆逐され,この領域は民間のビジネスでなく中央銀行の仕事になるだろう。


※このように債務は,より通用範囲の広い債務によって決済される。L.ランダル・レイ(島倉原監訳・鈴木正徳訳)(2019)『MMT 現代貨幣理論入門』東洋経済新報社, 173-179。


「銀行間送金,公取委が調査 決済の参入障壁を問題視」『日本経済新聞』2019年12月7日。

*2019年12月16日。一部修正。資金移動業者が中央銀行に当座預金口座開設を認められる場合を含めた説明とした。
*2021年12月25日。一部修正。送金の仕組みについて記述を分かりやすくした。

2019年12月4日水曜日

中央銀行デジタル通貨:口座型はまったく不合理であり,トークン型に絞って検討すべき

 中央銀行デジタル通貨試論。デジタル人民元の発行計画が話題になっているので勉強を始めた。日本銀行の報告書とニッセイ基礎研究所のレポートを読んだのだが,どうもおかしい。自分でも,かなり強い意見だと思うのだが,私が知る貨幣・信用論に基づく限り,以下のように思えて仕方がない。専門家のご意見を聞きたい。

「中央銀行発行デジタル通貨(CBDC)として検討されている二つのタイプのうち,口座型(預金のデジタル化)はまったく不合理である。以後,トークン型(現金のデジタル化)に絞って検討すべきだ。預金のデジタル化は,民間預金を使ったデビットカード支払の電子化,推進,改善として行うべきだ」

 以下,説明する。

1.中央銀行発行デジタル通貨とは何か

*中央銀行発行のデジタル通貨(CBDC)は中央銀行の債務である。

*口座型とトークン型の二つがある。口座型はデジタル通貨建ての預金口座を作り,預金者が電子機器によって指示を行うと口座振替で支払を行うものだ。トークン型は価値をもち流通性のある通貨をデジタルデータで仮想的に設定し,これを電子機器とウォレットソフトにより仮想的に貯蔵するものだ。支払を行うと,デジタル通貨は支払者の電子機器・ウォレットソフトから受け取り者の電子機器・ウォレットソフトに仮想的に移動する。

*個人が中央銀行と直接取引する直接型と,中央銀行は銀行と,銀行が個人と取引する方式の間接型がある。

*したがって,直接・口座型,直接・トークン型,間接・口座型,間接・トークン型の四つの方式がある。

*よって,口座型は預金のデジタル化であり,トークン型は現金のデジタル化と理解できる。

*口座型では,中央銀行は個々人と取引する。直接・口座型では個々人が中央銀行に口座を持つ。間接・口座型であっても,市中の銀行は仲介業務をするだけで口座は中央銀行のものだから,本質的には同じことだ。なお,直接・トークン型でも個々人が中央銀行に現金か預金通貨を持ち込んで,トークンを受け取る。間接・トークン型では中央銀行が銀行にデジタル通貨を交付し,個々人は銀行において現金か預金通貨と交換にデジタル通貨を受け取る。

2.口座型の特徴

*口座型では,個人がデジタル通貨を使うと中央銀行口座にあるデジタル通貨建て預金が引き落とされ,支払い先の口座に振り込まれる。つまりは,中央銀行に口座を開いて,デビットカード支払を使うようなものだ。

*口座型を用いれば,すべての小口リテール取引を中央銀行の決済システムに記帳することになる。超巨大な単一中央集権システムが必要になる。実現可能とは思えない。また実現可能だとしても,そうした公的機関の単一中央集権システムへの取引情報集中は望ましいこととも思えない。

*口座型を用いれば,中央銀行のデジタル通貨建て預金は,マネタリーベースでなくマネーストックとなる。つまり直接に流通する貨幣となる。この点で,銀行が中央銀行に持つ準備預金とは異なり,むしろ民間銀行の預金と似ている。

*ただし,口座型のみならずトークン型においても,デジタル通貨を現金や預金通貨と引き換えにのみ,1:1の比率で交付するとされている。なので,デジタル通貨発行は貨幣流通量に対して中立である。いくら発行しようとも貨幣流通量は変化しない。

*口座型においてデジタル通貨発行が貨幣流通量に対して中立であるというのは,預金創造を通した貸し付け,通貨供給はしない,ということを意味する。これは預金の持つ本来の機能を相当制限して現金のように使っていると言える。

*口座型においては,市民は銀行預金を中央銀行のデジタル通貨建て預金口座に移したり,その逆を行ったりすることがありうる。つまり,両者の間で大規模な資金移動が起こる可能性がある。これは,国有の中央銀行がリテール預金業務を行うことにより,民間銀行の同種業務と競合して大きな影響を与えることを意味する。

3.トークン型の特徴

*トークン型の場合,個人は中央銀行(直接型)または銀行(間接型)で現金や銀行預金をデジタル通貨に替えてスマホなどに入れ,それを使うということになる。個人がデジタル通貨を使っても銀行預金には変化はない。預金口座を持っていない人でも使うことができる(スマホなどの端末とウォレットソフトウェアは必要だ)。

*トークン型の場合,個人がデジタル通貨を使うと,デジタル通貨は支払者の電子機器・ウォレットソフトから受け取り者の電子機器・ウォレットソフトに仮想的に移動する。このことは中央銀行には直接把握されない。現金で支払った場合と同じだ。

*トークン型の場合,集権的支払決済システムでの追跡は困難である可能性が高い。他方,ブロックチェーンの技術を用いれば,集権的システムなしで記録が可能になる可能性がある。

*トークン型を用いれば,中央銀行の発行するデジタル通貨は発行された時点でマネーストックとなる。つまり直接に流通する貨幣となる。この点で,中央銀行が発行する中央銀行券と同じだ。

*トークン型においてもデジタル通貨発行は貨幣流通量に対して中立であるが,これは中央銀行が発行する中央銀行券が流通に出ていくとき,つまり銀行が中央銀行準備預金を降ろしたり,個人が銀行預金を降ろすときと同じだ。

*トークン型においては,個人は銀行預金や現金をデジタル通貨に変えることや,その逆の行動をとることがありうる。端的に預金流出が起きて民間銀行の預金業務に大きな影響を与える可能性がある。しかしこれは,銀行預金を現金かデジタル通貨でおろすという行為であるから,本来あっても不思議ではない行為であって,不正常なことではない。

4.口座型の重大な問題点

*口座型はそもそも大規模な中央集権型支払決済システムを必要とし,技術的に実現不可能ではないか。

*口座型は,仮に実現可能だとしても中央銀行に個人の取引情報を集中させるものであり,望ましくないのではないか。

*口座型で実現する預金のデジタル化とその便宜は,現在民間銀行が発行しているデビットカードによる支払いを,電子化を含めて推進すれば実現できることだ。民間銀行債務である預金通貨はすでにある程度デジタル化している。電子機器とウォレットを使った全銀行統一の支払いシステムがないだけだ。このシステムの実現を目指す方が合理的ではないか。それが銀行間の利害調整の困難により実現できないのであれば,そのことが克服すべき大きな問題ではないか。

*口座型の中央銀行デジタル通貨をわざわざ構築するのはデビットカード支払の推進=民間銀行預金通貨のデジタル化の徹底という課題を回避して,わざわざこれと競合する通貨システムを構築することだ。口座型の中央銀行デジタル通貨は,民間銀行デジタル通貨である預金通貨と大規模な競合を起こすのではないか。それは中央銀行の行為として不適切であり,社会的に無駄であり,混乱を招くのではないか。

*他方,トークン型のデジタル通貨には,少なくとも口座型のような不合理はない。これはトークン型が現金のデジタル化だからだ。もともと中央銀行債務である現金を,別の中央銀行債務であるデジタル通貨で代替しようとしているからだ。

5.結論

*結論1.口座型の中央銀行発行デジタル通貨,すなわちデジタル化された中央銀行預金の創出については,構想を破棄すべきだ。

*結論2.預金のデジタル化については,口座型の中央銀行デジタル通貨ではなく,民間銀行債務である預金通貨のデジタル化の徹底,つまりはデビットカード支払の改善,拡大,ユニバーサル化を真剣に追求すべきではないか。

*結論3.中央銀行発行デジタル通貨については,トークン型,すなわち現金のデジタル化にしぼって検討すべきだ。

矢島康次・鈴木智也「中央銀行デジタル通貨の動向-デジタル人民元vsリブラ、米国」ニッセイ基礎研究所,2019年11月15日。


『中央銀行デジタル通貨に関する法律問題研究会」報告書』日本銀行金融研究所,2019年9月。


雨宮正佳「日本銀行はデジタル通貨を発行すべきか」日本銀行,2019年7月5日。

2019年12月1日日曜日

王珊氏博士論文「日系部品サプライヤーによる海外自動車メーカーの先行開発に対する関与: デンソーを事例とした取引統治の分析」の公開によせて

 9月に博士課程を修了した王珊さんの博士論文が東北大学機関リポジトリTOURで公開されました。これまで著者が査読を経て『アジア経営研究』誌に発表した単著論文3本を基礎にしながらも,大幅な加筆・修正を加えて一つのまとまりをもった論文としたものです。

王珊「日系部品サプライヤーによる海外自動車メーカーの先行開発に対する関与: デンソーを事例とした取引統治の分析」(審査委員:川端望・柴田友厚・植田浩史)
http://hdl.handle.net/10097/00126447

 先行開発への部品メーカーの関与のあり方を分析対象とし,日系部品メーカーと複数の海外完成車メーカーとの取引を比較分析しました。取引分析に際しては,開発パフォーマンスへの貢献と取引主体間の利害調整という二つの観点を貫きました。比較分析を通して,開発をめぐる完成車メーカーと部品メーカーの取引関係を,海外において日本国内と異なるものにする要因は何かを明らかにしました。

<主要業績>
王珊(2018)「中国における日系自動車部品メーカーの開発活動とその制約条件:デンソー中国と地場系完成車メーカーの取引を中心に」『アジア経営研究』24,pp.61-73。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.24.0_61
王珊(2017)「韓国における日系自動車部品メーカーの開発活動:デンソーと現代自の取引を中心に」『アジア経営研究』23, pp.17-29。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.23.0_17
王珊(2016)「日系自動車部品サプライヤーの先行開発への関与:デンソーとVWの取引を中心に」『アジア経営研究』22, pp.103-115。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.22.0_103

張艶氏博士論文「地域エコシステム構築による新興国産業のグローバル・バリューチェーン参入と高度化-大連市ソフトウェア・ITES産業の事例を通して-」の公開によせて

 9月に博士課程を修了した張艶さんの博士論文が東北大学機関リポジトリTOURで公開されました。この博士論文は,張さんがこれまで査読を経て『アジア経営研究』誌に発表した共著(第一著者)論文1本と単著論文2本,また投稿中の単著論文1本に基づいていますが,大幅な加筆・修正を加えて一つのまとまりを持った論文に仕上げたものです。

<博士論文>
張艶「地域エコシステム構築による新興国産業のグローバル・バリューチェーン参入と高度化-大連市ソフトウェア・ITES産業の事例を通して-」(審査委員:川端望・柴田友厚・西澤昭夫)
http://hdl.handle.net/10097/00126448

 大連市ソフトウェア・ITES産業の詳細な事例分析を通して,GVC論を組み込んだ地域エコシステムの3段階区分という独自モデルを提示しました。とくに,新興国ハイテク産業育成においては,先進諸国の産学連携のように大学における先端研究成果の産業化がただちに課題とされるのではなく,まずはGVCへの参入が最大の目的とされ,その参入のためだけにも地域エコシステムの構築が求められることを明らかにしました。

<主要業績>
張艶(2018)「大連ソフトウェア・ITEサービス産業の地域エコシステム」,『アジア経営研究』24,pp.109-122。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.24.0_109
張艶(2017)「大連市におけるソフトウェア・情報技術サービス産業の発展と転機」,『アジア経営研究』23,pp.103-116。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.23.0_103
張艶・川端望(2013)「大連市におけるソフトウェア企業の事業創造と変革 -4社の事例分析から‐」『産業学会研究年報』28,pp.73-85。
https://doi.org/10.11444/sisj.2013.73
張艶・川端望(2012)「大連市におけるソフトウェア・情報サービス産業の形成」,『アジア経営研究』18,pp.35-46。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.18.0_35
Yan Zhang(2017). Development of and change in the software and IT-enabled services industry in Dalian, China , TERG Discussion Paper,361, pp.1-18.
http://hdl.handle.net/10097/00121009
Yan Zhang and Nozomu Kawabata(2015). Business creationand transformation processes in four software companies in Dalian, China:Commonalities and differences, TERG Discussion Paper, 331, pp.1-21.
http://hdl.handle.net/10097/59620
Yan Zhang and Nozomu Kawabata(2013). The Formation of the Software and Information Services Industry in Dalian ,China, TERG Discussion Paper,293, pp.1-18.
http://hdl.handle.net/10097/55766
(英文DPは日本語論文の英訳です)

アジア政経学会共通論題「東アジアと歴史認識・移行期正義・国際法ー徴用工問題を中心としてー」

2019年度アジア政経学会秋季学術大会共通論題「東アジアと歴史認識・移行期正義・国際法ー徴用工問題を中心としてー」(2019年11月30日,南山大学にて)。
司会:平岩俊司(南山大学)
報告1:青木清(南山大学)
「1965年しか見ない日本,『日帝』にこだわる韓国 -「徴用工判決」の法的分析を通して-」 
報告2:奧薗秀樹(静岡県立大学)
「危機の日韓関係と文在寅政権による『正統性』の追求」
討論:川島真(東京大学),大庭三枝(東京理科大学),山田哲也(南山大学)

 ようやく,徴用工問題の法的構造について学ぶことができた。実に貴重なセッションで,2時間にわたり,メモを8000字以上とりながら聞いた(お前の専門は何だという話は脇に置く)。

 とくに国際私法を専門とする青木教授の報告は,まず私人と私人の争いが国境を越えて行われる場合には司法の場でどのように処理されるのかの説明から始めてくださったので,法の門外漢にはありがたかった。

 日本での報道は,慰謝料請求が請求権協定の対象内かどうかという議論に集中している。だが,そもそもこの判決が出る前提は,もともと日本での裁判があって元徴用工の原告が敗訴したこと,韓国大法院が,通常であれば日本の判決を尊重するところ,これを否認したことにある。その際に,何をもってどのように否認したかを,青木教授は懇切丁寧に解説された。その上で,その否認の論理に判決の特徴と問題点を見出された。私は,大法院判決が韓国の憲法を個々の論点に直結させていることに驚いた。そして,そのよく言えばラディカル,悪く言えばちゃぶ台返しな論理を,これまでよりははるかによく理解することができたと思う。やはり物事は結論だけでなく,それを導くプロセスから理解しないといけないようだ(以上は青木教授の報告に対する私の理解であり,報告を誤解していればその責任は私にある。また素人がこれ以上詳述すると報告趣旨を歪める恐れがあるので,ここで止める。報告が論文化されることを期待したい)。

2019年度アジア政経学会秋季学術大会プログラム


2019年11月26日火曜日

中国の鉄鋼生産能力は本当はどれくらいあるのか?過剰能力削減政策で本当はどのくらい削減されたのか?

「中国鉄鋼業の生産能力と能力削減実績の推計―公式発表の解釈と補正―」をTERG Discussion Paper, No.414として発表しました。中国の鉄鋼生産能力は本当はどれくらいあるのか?2016-2018年の過剰能力削減政策では,本当はどのくらい削減されたのか?これらは公式統計の数字だけではわからず,また公式統計と政府発表が矛盾しているというおかしなことになっています。統計の解釈と補正によって,事実に迫ろうとしたものです。研究者,実務家の方々のお役に立てば幸いです。

こちら(東北大学機関リポジトリTOUR)よりダウンロードできます

2019年11月25日月曜日

大澤昇平氏のTwitterについての統計的差別論からの考察

 東大の大澤昇平特任准教授のTwitterについて,ひとつ前の投稿で所感を述べたが,そこで積み残した課題について考察したい。それは統計的差別という課題であり,企業や大学が直面する話題だ。私は「日本経済」の講義で雇用システムも取り上げるので,学生に説明できるようにしておきたいので考えてみる。

 まずおさらいしておくと,大澤氏は「弊社Daisyでは中国人は採用しません」とツイートし,その理由として「中国人のパフォーマンス低いので営利企業じゃ使えないっすね」と言ったが,その根拠は何も示さなかった。これは,単純な偏見であり差別だ。すでに多くの人がこれを指摘している。東大の情報学環・学際情報学府はこれを不適切発言であり東京大学憲章に反すると認め(※1),マネックスグループは大澤氏の寄付講座に対する寄付を停止すると発表した(※2)。

 これらとは別に検討しておかねばならないのは,彼が以下のように言い放っていることだ(2019年11月25日17時分までチェック)。数値は発言順序とは限らないが,各発言の前後も確かめたので,文脈を曲げて切り取っていることはないはずだ。

1「整理すると,私企業が『個人が努力によって変えられない属性』(例:人種・国籍・年齢・性別)に基づき採用を決定するのは是が(ママ)否かの議論です。これはHR Techとも密接に関係します。」(11/22 午後4:25)(※3
2「既にHR Tech(AI)の領域では,採用時に人物属性を考慮した自動穿孔を行っており,インプットには人種や国籍だけでなく性別や年齢が含まれる。私のことをレイシストと『なんかそれっぽい名前』でレッテル貼りしたからといって,これらの属性とパフォーマンスの因果関係が突然無に帰すわけではない」(11/22 午後3:25)(※4
3「採用時にパフォーマンスと相関する指標を考慮に入れて何が悪いんでしょうか」(11/22 午後1:24)(※5
4「今回の採用方針が統計的差別にあたると認定されたところで、「では、私企業が業績を向上する目的で、統計的差別をすることは許されないのか」という点には大いに議論の余地があります。
 人物属性を考慮に入れることが不当なのであれば、企業の書類選考はすべて不当ということになります。」(11/25 午後0:11)(※6

 1-3は24日までのもので,4は25日のものだ。これは24日に公表された彼の同僚の明戸隆浩氏のブログ(※7)を受けてのことではないかと思われる。Twitterでは,私が追跡した限り統計的差別という概念を明示したやりとりはなかったからだ。

 さて,再三繰り返すが,彼は中国人のパフォーマンスが劣るというデータを全く出していないので,ここから行う議論にかかわらず,単純な偏見によって差別しているに過ぎない(しかも,前の投稿でも書いたが,差別の上に,何事かと思うほど現実とズレている)。

 だが,彼が言い放つ1-4の主張は,人事・労働・教育関係での深刻な課題に関わるので考えてみたい。

 一言でいうと,彼の主張は<統計的差別の肯定>だ。ここでの統計的差別とは,採用において一人一人の職務遂行能力を測定するのではなく,その候補者が属する母集団(国籍,人種,性別など)を設定し,その母集団の能力を統計的に何らかの指標で評価し,候補者もそれと同等であろうと推定して採否を決定することだ。わかりやすい例としては,長期の教育訓練を必要とする職務について採用を行うとして,<女性は短期勤続の傾向がある>という統計的認識をもとに,女性の候補者を個々にテストするまでもなく一律不採用にする,といったことだ。同じく業務に高度な日本語能力が必要だとして,候補者を個々にテストせず<日本人以外は日本語能力が劣っている可能性が高い>という統計的認識をもとに,<採用対象は日本人のみ>とすることだ。企業の採用以外でも,学校の入学であり得る。<過去の統計的結果として,女子は医師になったとき結婚や出産で離職することが多かった。だから病院と提携している医科大学が,女子を入学試験で一括して不利に扱っていた>という例があったことは,記憶に新しい。

 当人の能力やパフォーマンスにかかわらず,変えることのできない属性を理由に低い処遇にしているのだから,統計的差別も明らかな差別だ。よって是正されねばならない。ここは社会的規範としてはまったく動かないところなのであって,これから話す経済合理性云々によって調整されることはあっても完全に覆ることはない。差別はよくないのだ。

 統計的差別は,もともとの統計が虚偽で偏見だった場合にはお話にならない。今回の彼の認識などがそうだ。話が難しくなるのは,統計的な相関関係としては正しい場合だ。

 社会の人権に対する認識が変化するとともに,色々な分野の差別が批判されるようになる。しかし,企業には(場合によっては学校にも),統計的差別を行いたいという誘惑が付きまとう。それは,統計的差別が,差別している主体が過去の統計データに基づいて,経済合理的に行動することで起こるからだ。仮に,偏見によって差別しようという意図がない場合でも,差別したほうが得だから差別するという誘惑が働く。なぜならば,採用候補者の能力や勤続見通しを丁寧にチェックするには膨大なコストがかかるため,属性ごとに一括して扱った方が低コストになるからだ。だから統計的差別はなくなりにくく,深刻なのだ。

 低コストだから仕方がないというのは,企業の利潤追求の論理である。それはそれとして存在する。しかし,社会には,人権をはじめとする,守らねばならない社会的規範も存在する。企業の論理と社会的規範が衝突するときは,人権と社会的規範の優先度をできるだけ上げねばならない。とはいえ,極端な高コストにより企業活動が困難になってしまっては採用そのものも社会も成り立たない。だから,コストにかかわらず絶対に許されないこと,企業にとって過大な負担となることを避けながらできるだけなくすべきことなど,何段階かに分けながら,差別のない選考をするように調整を行うしかない。これが統計的差別をめぐって長年議論され,法制や政策上も工夫されてきたことだ。この課題は,近年,AIが人事選考に用いられるようになって先鋭化している。コストを下げるために,AIが性別や人種に基づいて候補者を一括評価してよいのかどうかという問題だ。例えばAmazonではAIによる採用を行ってきたが,女性に対するバイアスを示したために中止したと報じられている(※8)

 統計的差別は,実は経済的にも合理的でない可能性がある。正確に能力を測定していないということは,有能な人の力を活かせないことになる。だから,短期的に当該企業には低コストで合理的でも,長期的に,かつ/または社会的には合理的でないことがありうるのだ。例えば女性が活躍できない経済のパフォーマンスが結局は下がるというのが,私たちの国がまさにいま直面していることだ。このような場合は,人権と倫理の面だけではなく,経済合理性の面からも差別是正が望ましいことになる。

 このように考えると,彼が3で「採用時にパフォーマンスと相関する指標を考慮に入れて何が悪いんでしょうか」と言い放ったことは,二つの問題を含んでいる。一つは相関関係は因果関係ではないということだ。彼は2では「因果関係」と言っているが,ここで問題になっている属性のうち,国籍,人種,性別について示されるのは相関であって因果など証明されていない。○○人のパフォーマンスが悪かったとしても,それは○○人であるからではなく別の要素かもしれない。例えば,教育を受ける機会がなかった人はみなパフォーマンスが悪かったのだが,社会的事情で○○人には教育を受ける機会が少なかった場合,などだ(彼は相関関係も示していなかったのだから,何度も言うが無茶苦茶だ)。もう一つは,相関というのは集団についての統計的関係であって,候補者一人一人のパフォーマンスを測った結果ではないということだ。だから統計的差別であり,それは基本的に是正されるべきだ。もちろん,現実に企業にかかるコストを想定した場合,差別是正の社会的要請と企業経営の合理性の要求との間で調整は必要だ。しかしそれは合理的に調整すべきということであって,差別を是正しなくてよいということではない。

 4の最初の文章,「私企業が業績を向上する目的で、統計的差別をすることは許されないのか」ついて言えば,逆に問う必要がある。大澤氏はこれまで,できる限り差別をなくす必要性には何も注意を払っていない。では,意のままに統計的差別をしてよいかと思っているのか。差別をなくす必要性を最大限尊重しながら企業活動の合理性を維持するという調整に取り組む気はあるのだろうか。

 4の2番目の文章「人物属性を考慮に入れることが不当なのであれば、企業の書類選考はすべて不当ということになります」はすりかえだ。書類選考によって,候補者個人の属性と能力・パフォーマンスについて因果関係を十分に推定できる場合,例えば資格の取得などでその資格に関連した職務遂行能力が推定できる場合は,それで選別するのは当然だ。業務に高度な日本語を用いる場合,日本語能力資格を指標にするのももっともだ。書類選考はちゃんとできるではないか。
 しかし,性別や国籍など,単なる相関関係しか示さない指標を使い,それを因果関係だと強弁して選別するのは統計的差別だ(そして,相関関係すら証明できないような指標で選別するのは偏見による差別だ)。法が強制する規制を守るだけでなく,企業にとって過度な負担とならない範囲で最大限解消しなければならない。そうしなければ,たとえ違法でなくても批判されざるを得ないのだ。

 統計的差別を減らすため,またAIを統計的差別の道具にしないために,2,3,4のような主張は批判され,乗り越えられるべきだ。

※(補足)もともとの氏のツイートが自身が経営するDaisy社の採用方針であることから,それが法律的に許容されるかどうかという議論が起こっている。しかしそこでは,氏が違法とされるかどうかと,差別だと批判を受けざるをえないかどうかが混同している。違法でなくても差別と批判されるべきことがあるのは,当たり前だ。
 その上で,法的なことは濱口桂一郎氏がブログですでに解説されている(※9)ので詳しくはそちらを参照いただきたい。私の理解できる範囲でつづめて言うと,法の上では,国籍や民族や人種を理由に採用しないということに対する判断は複雑だ。a)条約レベルでは日本は人種差別撤廃条約に参加しており,b)しかしこの条約を具体化する国内法はない。c)採用時の差別については,個々の法律で明示的に差別が禁止されている事項や判例で差別と認定されている事項もあれば,d)そうでない事項もある。e)国籍によって採用することは明示的に禁止されていないが,厚生労働省の行政指導では行うべきでないこととされている(※10※11)。他の例をあげると,採用での女性差別は男女雇用機会均等法によって明確に禁止されている。
 だから,大澤氏のもともとの発言について言えば,中国人と言う国籍またはエスニシティを指標にするのは,おそらく日本では直ちに違法とはされないが,行政指導の対象であり,条約の観点からも問題視されるし,社会的には当然批判される。また発言1,2,3,4にあげている指標のうち「性別」を指標にするのはパフォーマンスと見かけ上の相関があっても許されず,直ちに違法である。こういうところになるのだろう。

※1「学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」東京大学大学院情報学環・学際情報学府,2019年11月24日。
※2「寄付講座担当特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」マネックスグループ株式会社代表取締役CEO 松本大
※3,4,5,6 大澤昇平氏Twitter
※7 明戸隆浩「東大情報学環大澤昇平氏の差別発言について」researchmap研究ブログ,2019年11月24日。
※8 Isobel Ashler Hamilton「アマゾンの採用AIツール、女性差別でシャットダウン」Business Insider, 2018年10月15日。
※9 「採用における人種差別と国籍差別」hamachanブログ,2019年11月23日。
※10 「公正な採用選考を目指して」平成31年度版,厚生労働省。
※11 「事業主の皆様へ 外国人雇用はルールを守って適正に」厚生労働省・都道府県労働局・公共職業安定所。


大澤昇平氏のTwitterについての所感:自分の問題を中国人の問題にすり替えているだけでは

<この記事は2019年11月24日15時29分にFacebookに投稿したものですので,それまでに入手可能な情報を反映しています>

 東大の最年少准教授と自らプロフィールに書く大澤昇平特任准教授の「弊社Daisyでは中国人は採用しません」(11/20, 午前11:12)ツイートが差別ではないかと炎上している。彼を雇用する東京大学大学院情報学環・学際情報学府は本日「学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」を発表した。

 私は,大澤氏がなぜ中国人を採用しないと考えるのかを確かめるために,彼のTwitterを24日12時までたどってみた。安全保障問題とかではなく「中国人のパフォーマンス低いので営利企業じゃ使えないっすね」(11/20,午後1:21)とのこと。

 え?

 世の中には数々の中国人批判もあれば日本人批判もあるが,「営利企業じゃ使えない」という中国人批判は初めて見た。いや,本当に驚いた。いま世界経済は,中国人が経営して中国人が働いている中国企業が急速に台頭しているから,色々変動しているのだが。それを好ましいと思うか嫌だと思うかは人の自由だが,中国人が営利企業でパフォーマンスを上げているという事実そのものを認められないとは。善し悪し以前に,何かがアサッテの方向にずれていないか。

 辛抱して大澤氏の発言をたどってみると,彼は要するに,ある集団の属性とある仕事のパフォーマンスに相関関係があることを以て,その集団から人を採用しないとすることは経済的に合理的だ,社会的にも妥当だと言いたいらしい。これは統計的差別という領域で,本来は真剣に検討しなければならない課題だ。それはそれで別途考えたい。

 だが,彼は今回,AIで大量のデータから集団の属性と仕事のパフォーマンスを分析したわけでも何でもないだろう。現に,いくらたどっても,営利企業において中国人のパフォーマンスが悪い証拠は示されていない。単に彼の個人的体験からの価値判断としか思えない。

 だとすれば,あれこれの理屈はみな空しく,「自分には中国人のエンジニアや労働者を使いこなせないと思った」というだけのことだろう。それならそうとだけ言えばいいのだ。自分個人の自信のなさを,中国人全体に問題があるとすりかえるのは,みっともなくないか。

※「学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」東京大学大学院情報学環・学際情報学府,2019年11月24日。

たどりたい方へ。大澤昇平氏Twitter

こちらは続編です。「大澤昇平氏のTwitterについての統計的差別論からの考察」。

2019年11月23日土曜日

誘導炉で鉄鋼をつくるベトナムのVASグループ

 ベトナム南部ビンズオン省に立地するVASグループのTue Minh Steel。資本金6062億5000万ドン(約28億5000万円),50万トンの製鋼・圧延能力を持ち,ビレットと建設用鋼材(おそらく棒鋼・線材)を製造する。圧延ラインの最初の方の試運転の動画がFacebookにアップされていた。キャプションによるとイタリアに本拠を持つダニエリ社製の圧延機とのこと。圧延された材料を切断機がシャカシャカと細切れにしているのがコミカル。これは,本来両先端部だけを切るところだと思う。粗圧延スタンドだけの試運転なので,ここで細切れにして,その先に材料が行かないようにしているのだろう。
 注目すべきは,ここに写っていない製鋼設備だ。これまで得た情報によれば,多くの国で一般的なアーク電気炉ではなく,誘導炉である。誘導炉はアーク電炉より小規模で,1-2トン/タップ程度のものもあれば12トン/タップ程度のものもある。アーク電炉の容量は100トン前後のものが一般的で,大型のものは300トンを超える。誘導炉は,小ロットで生産量を柔軟に調整しながら操業することができる。また,炉のつくりが単純で,かつ中国製のものが輸入されているので設備コストが安い。結果としてビレットの生産コストも低い。ただし,誘導炉は溶解するだけ成分調整はできないから,品質はスクラップの選別に依存する。小規模企業が機会主義的に多数参入すると,平均的な品質はアーク電炉炉メーカーより低くなる。VASグループの企業は複数あるが,それぞれ誘導炉企業としては最大級であり,グループとしての生産規模は正確に把握できないものの,おそらく100万トンを超えている。Tue Minhについては確認できないが,別の子会社An Hung Tuongでは取鍋精錬(LF)も導入しており,相対的に高品質のビレットも作っていた。
 中国では誘導炉による普通鋼の製鋼は違法として禁止され,2017年以後,政府による強制閉鎖が大規模に進められた。しかし,ベトナムでは誘導炉企業は合法的に操業しており,政府も規制する動きには出ていない。設備の選択それ自体は規制せず,安全・環境・品質規制に抵触すれば規制するという姿勢だ。そのため,棒鋼・線材市場ではアーク電炉,誘導炉,さらに小型高炉・転炉/電炉,線材に限っては大型高炉・転炉による製造も行われており,激しい競争が繰り広げられている。

Tue Minh Steel圧延工場の試運転(Facebook)。
https://www.facebook.com/theptueminh/videos/539260826621405/

2019年11月19日火曜日

日本製鉄広畑製鉄所の製鋼工程が電炉法に切り替わることについて

 製鉄所の再編・統合に隠れてあまり注目されていないが,日本製鉄は11月1日に,広畑製鉄所の製鋼工程を冷鉄源溶解法から電炉法に置き換えることを,第2四半期決算説明の一部として発表した。
 鉄鋼業界は,1980年代の円高不況期に過剰設備の削減に乗り出したが,この時,新日鉄(当時)の計画には広畑製鉄所の高炉休止が含まれていた。バブルを経て多少の延期はあったものの高炉は1993年に休止し,同年に製鋼工程は転炉法から冷鉄源溶解法に転換した。
 1996年に見学した際の記録によってまとめると,冷鉄源溶解法とは,型銑(固体・常温の銑鉄)とスクラップを加熱し,溶解炉で溶解して溶銑(融けた高温の銑鉄)と類似の鉄源を確保する方法であった。最初に前回のため湯100トンを残しておき,そこにスクラップや,大分製鉄所から運んできた型銑などの冷鉄源を投入する。その比率は当時は半々であった。これに上下から酸素・冷却LPG・窒素・粉炭を吹き込んで溶解し,出銑して取鍋にあける。以後は,高炉・転炉法と同じで,取鍋内で脱硫処理を行った後,脱炭炉(転炉)で脱炭・精錬し,さらに二次精錬を行ってから連続鋳造機に送り,鋳造してスラブにする。スラブが圧延やメッキを施されて各種の鋼板類になる。
 このプロセスならば高炉・転炉法と類似の品質の鉄源を確保できる。こうして,広畑製鉄所では圧延工程で電磁鋼板やブリキ,電気亜鉛めっき鋼板を含む高級鋼板を製造してきたのである。もっとも,半分以上は他の製鉄所から来るスラブを圧延していた。
 しかし,通常の高炉・転炉法よりコストも時間もかかる。高炉・転炉法では高炉から出銑された溶銑(融けた高温の鉄)が転炉に装入されるのに対して,冷鉄源溶解法では,大分製鉄所でいったん冷えて固まった銑鉄を広畑まで運び,もう一度加熱・溶解しているからである。
 広畑の製鋼工程は新日鉄時代から日本製鉄の長年の悩みの種であったため,今回,これを電炉法に切り替えるのは画期的な変革となり得る。ただ,公表資料には「高炉由来の高品位原料を活かし」とも書いてあるので,電炉法への切り替え後も,鉄源として型銑に依存する比率は高いのかもしれない。そうすると,いくらか画期性はそがれることになる。
 この上は,できる限りスクラップ比率を高めて欲しい。それが今回の措置の意義を高めるからだ。スクラップを主要鉄源にできればCO2排出原単位が画期的に低下するし,製銑工程を必要としないために製鉄所をコンパクトにできる。そして,冷鉄源溶解法が品質のために犠牲にしてきたコスト競争力を回復させられる。スクラップ・電炉法によって,差別化競争力の源泉である高級鋼板を製造できるのであれば,広畑製鉄所はコスト的にお荷物状態だった中型製鉄所から,未来型のコンパクト製鉄所に転換する。そして日本製鉄の未来には,地球温暖化の危機の時代に生き残るための一筋の光が差し込むことになるだろう。

「2019年度第2四半期決算説明会」日本製鉄株式会社,2019年11月1日。

2020年12月12日追記。その後の日本製鉄の温暖化対策。

大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...