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2026年3月30日月曜日

「スタグフレーション」が到来した場合に経済政策はどう調整されるべきか

  原油価格の上昇により,「スタグフレーション」が到来するのではないかと話題になっている。この用語にはいささかの問題があるのだが,物価上昇と不況が同時に起こるのではないかと言う懸念は日々高まりつつある。その場合に,高市政権の経済政策の役割はどう変わるだろうか。また,物価上昇と不況に対して,経済政策はどう調整されるべきだろうか。

1 コスト・プッシュ不況の到来か

 日本経済はコスト・プッシュに見舞われつつある。これは正確に言うとインフレーションつまり名目的・全般的物価上昇ではない。一時的ないし実質的物価上昇である(川端,2025)。インフレーションとは,貨幣の過剰発行による名目的・全般的物価上昇であり,特定部門のコストを引き上げるものではないし,日本全体の実質所得を低下させるわけではない。また,いったん上がった物価は二度と元に戻らない(これをインフレ・デフレの非対称性という)。一方,一時的・実質的物価上昇は,特定部門のコストを実際に引き上げるものであり,輸入物価を起点とする場合は日本全体の実質所得を低下させる。そして,おおもとになった原油価格の引き上げが一時的か恒久的かどうかに応じて,物価上昇も一時的か恒久的かが決まってくる。端的に原油供給が元に戻れば収まることもあり得る。

 さて,実質的物価上昇は特定部門の価格を引き上げると言っても,起点が原油であるため,その影響は産業連関に即して原燃料から製品へ,資本財・生産財から消費財へ,産業から家計へと広がっていく。原油の販売先構成から言って(alterne, 2026年3月16日),原油→ガソリン・軽油→自動車を用いる企業と家計のルートがメインであるが,他にも原油→ナフサ→エチレン→化学製品(包装材,自動車部品,洗剤,医療機器など。『日本経済新聞』2026年3月24日)があるし,原油→重油→電力→産業と家計というルートも,かつて石油火力発言が主流だったころほどではないが,今でもある。価格転嫁に川下の産業や家計が耐えられなくなれば産業の利潤率低下による生産停滞,ないしは家計の買い控えによる最終消費停滞が生じて,不況となる。円安を利用した輸出は可能だが,現状,アメリカにはむやみと輸出できず,中国の景気がいまひとつであるため,そこには限界がある。非常に難しい状況であるが,未曽有の事態ではなく,いくつか異なる要素はあるとはいえ,1970年代に起こったことでもある。

 このように経済情勢が激変した場合,現行の経済政策の意味が変化する可能性がある。何度か述べてきたように,植田日銀の金融政策は,金融市場の正常化を図り金利の機能を回復させるために緩やかに短期金利引き上げを行うものである。それはもっともなことであった。また,高市政権の経済政策はインフレかつ過熱気味の経済を維持しながら産業の国内投資を促進して,競争力を高め供給の天井を引き上げようとするものである。そこにはインフレ昂進,インフレ税による市民から政府への所得移転,円安による輸入物価高放置,長期金利上昇リスクという問題があった(川端,2026.2.27)。しかし,政策環境の激変によって,同じ政策が良かれ悪しかれ別な意味を持ってくる可能性がある。そうすると,これに対置されるべき望ましい経済政策も異なって来る。


2 マクロ経済政策のジレンマ

(1)金融政策

 まず金融政策。これまで,過度に低い金利を是正するために,日本銀行がじわじわと利上げするのはもっともなことであった。しかし,ここから先は話が違ってくる。

 一方において,金利引き上げは不況を加速する。原油価格引き上げが起こすのはインフレではなく実質的物価上昇だ。日本のような原油輸入国にとって,原油価格の高騰は購買力の流出をもたらし,総所得を減退させる。したがい,ここで金融を引き締めれば,不況への突入を後押しすることになる。物価だけを下げることはできない。過熱した景気を覚ますどころではなくなる。

 他方において,金利を据え置くことの弊害もなくなってはいない。円安がいっそう進行し,いよいよもって輸入物価が上昇するからである。それでも輸出産業は利益を上げるだろうが,おそらくそのGDP押し上げ効果より輸入価格高騰による押し下げ効果の方が大きいだろう。いまや主要企業を日本を輸出拠点としておらず,海外拠点で投資収益を稼ぐようになっているからである。

 つまり,物価上昇と不況が同時発生すると,日銀は,2022年頃のような,しかし帰結がやや異なるジレンマに逆戻りしてしまう(川端,2022.6.20,2022.6.26,2023.7.8)。金利を引き上げればコストプッシュ下で需要を減退させることにより,不況への突入を後押しする。金利を据え置いても円安による輸入物価高騰を招き,コストプッシュをさらに加速する。なぜこのようなジレンマに見舞われるかと言うと,アベノミクス期の「過剰に金融緩和していたが景気はたいして良くならなかった」という状態から出発したためである。このジレンマは,金融政策だけでどうにかできるものではない。


(2)財政政策

 次に財政政策。これまで高市政権は,景気が過熱気味で労働力と設備の供給制約に突き当たりつつあるのもかまわずに,積極財政に進もうとしていた。これはリスクの高いナローパスへの賭けであった(川端,2026.2.27)。しかし,輸入価格高騰というコストプッシュによる不況が発生し,遊休設備と失業・不安定就業の増加が生じた時には,話が違ってくる。積極財政は一面では合理的となる。物価高対策の給付や減税も,インフレを加速せずに行える余地が広がるからである。だから赤字財政自体への批判は当たらなくなる。もちろん,支出を何に使うか,つまり子育て支援やグリーン投資支援に回すか,軍事費拡張に回すかは,また別の問題である。

 しかし,この場合の財政赤字拡大は,国債消化,またその反面であるが利払い急増の問題を引き起こす。アベノミクス期と異なり,長期金利が財政赤字に反応して上昇する動きを見せているからである。これを防ぐもっとも単純な手立ては国債発行の規模を抑制することである。限られた規模で何を優先するかが問われるだろう。それでは不況を緩和できないというのであれば,財政出動を拡大しながら金利上昇を緩和するために,いまは減額中である日銀による国債の買い上げを,再び増額することが必要になるだろう。日銀による国債買い上げは,同時にマネタリーベースの拡大であり金利の引き下げである。これは,国際的に日本が突出して行うことになる可能性が高く,そうすると円安はますます進む恐れがある。

 アベノミクス期と異なり,物価の上昇傾向が明らかなので,賃金をまったく抑え込むわけにはいかない。企業は,エネルギーと賃金の双方のコストプッシュの価格転嫁,債務者利得を利用した借入増,生産水準の維持を図ると予想される。すると,物価はさらに上昇する。

 積極財政は,不況に転じた場合には本来妥当である。ところが,これからコストプッシュ不況が起こった場合に適用すると,物価を引き上げてしまう公算が高い。なぜかというと,すでに円安,輸入物価高騰,ホームメイドインフレ,賃上げ復活が起こっているため,アベノミクス期と企業行動がかわってしまっているからである。

 物価上昇が小幅にとどまる道があるとしたら,財政を引き締めるか,企業が「不況になったので賃上げどころではない」という姿勢に転じて賃金を再び徹底的に抑え込む場合であるが,その結果は消費が停滞し,さらなる不況となるだろう。


3 産業政策の方向性

 日本経済がこのような苦しい状態になるとすれば,その直接の主要因は原油価格急上昇による実質所得の減退である。だから,これを解決するには,原油価格上昇に影響されない経済,あるいはエネルギー価格高騰化に強い日本産業という経済のけん引力を作り出すしかない。これは1970年代のことを思えば,わかりやすい課題である。

 そこで産業政策である。これまでの高市政権のように,17分野を総花的に手掛けて,成長のスイッチを押している場合ではなくなるだろう。肝心なのは脱石油・脱化石燃料,省エネルギーであり,これを促進できる産業の競争力向上,またエネルギー消費に左右されない産業の競争力向上を最優先させることである。すると,やはり再生可能エネルギー,EV,スマートシティ,断熱建築,それらと関連した材料,半導体,機器,二次動力,サービス,AIを含むシステムである。AIとデータセンターの省エネルギーも必要である。いまさら何をと言うだろうが,結局,そこなのである。

 これらの技術の大規模導入は,日本においては,住民合意を無視した環境破壊を伴う発電所建設や,EVのコスト低減の遅れにより,障壁に突き当たっている。2100年の気温上昇幅より今の生活だという感覚からの反発もある。しかし,問題はいまや2100年だけではない。目の前のエネルギーコストの急上昇であり,まさに今の生活なのである。極論すれば,地球温暖化に関する価値判断は人により,政治勢力により分かれていても,省エネルギーの課題を共有すべきだろう。1970年代の環境投資も,一方では公害防止運動の成果であったが,他方ではコスト低減を求める企業の省エネ運動の成果であったことを思い出すべきだ。例えば自動車の燃費改善や製鉄所の熱回収は両方の成果であった。正直,やや手遅れの感はあるものの,開発規制を強めた上で再エネは推進すべきだし,EVのコストを下げて効率を引き上げることを支援すべきだし,都市のエネルギーマネジメントシステム,データセンターの省エネに投資すべきなのだ。

 ここで技術選択についての議論が必要になる。日本の政府と産業界が現にとっている方向は,原子力発電や石炭火力発電のアンモニア吹込,ハイブリッド技術の改良でまだ対処できるというものだ。これらの技術を全面否定するつもりはない。それらも同時に推進しても良い。だが,これらは現存技術の改良であり,原発と石炭火力発電については,この技術を現存老朽施設を長期間使用するとコスト安になるという次元のものである。これらの技術の発展経路が将来に至って長く続くとは思えない。原発もハイブリッド車もアンモニア発電も,あくまで将来へのつなぎ技術であって,これが本流だ,日本式だと自慢気に依存するものではないのである。

 なお,産業政策においては政策の方式も重要である。公的資金を特定企業に集中させて育成する方式はリスクも高ければ,モラル・ハザードによる停滞も生みやすいので回避すべきである。複数企業が競争できて,また新規参入が可能な方式をとらねばならない。周辺インフラに公費で支援するとか,スタートアップが公共調達に参加しやすくするといった形が望ましい。中国の政策を参考にするなら,特定企業に補助金を与えるのではなく,四輪EVの充電施設や,オートバイのカセット式バッテリー交換施設といったあたりに公的支援を行うのである。つまり,複数企業が競争のフィールドに乗りやすくし,フィールド上での競争を促すのである。円安を利用して日本企業の国内回帰と外資企業の対日直接投資を促進することも重要だ。関連機器やシステムがすべて輸入品になっては半ば失敗であるが,外資企業が日本で開発・製造することは,国内に雇用と所得を生むものであって有益である。何しろ日本企業も対外投資し,投資収益を海外で再投資しているためにお金が日本に還流しない現状である(唐鎌,2024)。それならば,むしろ外資企業に日本に投資し,収益も再投資してもらうことの価値に注目すべきだろう。


5 補足

(1)AIバブル崩壊との同時発生のリスク

 以上は,経済危機のきっかけとして原油価格高騰のことだけを考えた場合の話である。AIバブルの崩壊が同時に来た場合には,より苦しい状態になることは言うまでもない。AIの開発とそのアプリケーションは,傾向としては確実に成長する。しかし,大規模エクイティファイナンスを通して投資を行っているために,アメリカを中心地としたバブルと崩壊というサイクルは避けられない。昨年以来AI投資はすでに過熱気味であったので,エネルギーコストが下降局面の引き金を引くことになってもおかしくはないのだ。


(2)スタグフレーションというべきか

 今後到来する事態は,しばしば「スタグフレーション」と呼ばれている。スタグフレーションとはインフレーションと不況が同時発生する事態をさす用語とされている。私は,すでに述べたように,輸入品価格の上昇から生じる物価上昇は,厳密な意味でのインフレーション,つまり全般的・名目的物価上昇とは考えていない。特定産業での(ただしかなり広範な)実質的物価上昇である。したがい,輸入物価高騰から不況が生じることはコスト・プッシュ不況であり,これをただちにスタグフレーションと呼ぶのは正確ではない。そもそも持続的な物価上昇をすべてインフレと呼ぶ日常用語が定着してしまっている以上,これもまた日常用語としてはやむを得ないかもしれない。しかし,議論の正確性を損なう形で使用されるべきではなかろう。

 なお,コスト・プッシュ不況対策で財政を拡張し,それが生産拡大・雇用確保に十分な作用を持たなかった場合や,逆に設備と労働力の余裕がなくなっても財政拡張が続けられた場合は,厳密な意味でのインフレが生じる。この時,不況から回復していなければ,不況と厳密な意味でのインフレが併存することになり,スタグフレーションと呼ぶこともおかしくない事態になる。

 用語の正確さにこだわって何の意味があるのかと言われるかもしれないが,政策論議を誤らせないために必要なのである。安倍政権や黒田日銀は持続的物価下落をすべてデフレと呼んでいた。ところが岸田・石破政権以後は,物価が既に上昇に転じたのに,需要の弱さによる不況があればデフレだとして,「日本はまだデフレから脱却していない」と言い張るようになった。これではわけがわからない。このようなちぐはぐさをなくすためにも,物価変動分類論は必要なのである。詳細は川端(2025)を参照して欲しい。


唐鎌大輔(2024)『弱い円の正体:仮面の黒字国・日本』日経BP。
川端望(2025)「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」TERG Discussion Paper, 492, 1-20。https://doi.org/10.50974/0002002920
川端望(2026.2.27)「高市首相の施政方針演説について:ナローパスに賭けるべきだろうか」Ka-Bataブログ。https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_27.html
川端望(2023.7.8)「賃上げ定着か,三択ばくち打ちか:2023年後半の経済」Ka-Bataブログ。https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/2023.html
川端望(2022.6.28)「安倍晋三氏には「悪夢のような」現実を作り出した責任がある」Ka-Bataブログ。https://riversidehope.blogspot.com/2022/06/blog-post_28.html
川端望(2022.6.20)「日銀のジレンマもしくはバクチ打ち」Ka-Bataブログ。https://riversidehope.blogspot.com/2022/06/blog-post_20.html



2026年3月21日土曜日

『帝国主議論』という憂鬱:ゼミ誌『研究調査シリーズ』No. 44によせて

  本号に収録するのは,2026年3月に前期課程を修了する伊部有稀さん,2025年9月に前期課程を修了した苟小龍さんの修士論文,2027年3月に学部ゼミを終えた若杉俊文さん,伊藤公平さん,片倉太朗さん,佐々木結人さん,谷田伸輔さん,花尾僚馬さん,平形夏星さん,広津初芽さんの卒業論文です。若杉さんの論文は,2025年度みらい創造基金演習論文優秀賞を受賞しました。

  私は2022年3月発行の第40号で,「ポスト冷戦期グローバリゼーション」とその終わりについて書きました。残念ながら,その後の世界は,良くない形での「終わり」の過程を進んでいるように見えます。それは,列強が力の行使をためらわない国際関係への移行であり,かつて「帝国主義」と呼ばれたものです。この概念について,遺憾ながらリアルなものとして考えるべき時代が再びやってきました。

 昔話になりますが,このゼミは2004年度以前は工業経済学ゼミ(工経ゼミ)と言いました。金田重喜教授が担当されていて,私は1985年度から1991年度まで学部生・院生として所属していました。当時はゼミが始まる直前の春休み末期にゼミ合宿が行われていたのですが,そこで使われていたテキストがウラジーミル・イリイチ・レーニンの『資本主義の最高の段階としての帝国主義(帝国主議論)』(原書1917年,副島種典訳,大月書店,1972年)でした。その頃までのマルクス経済学の学界では,『帝国主議論』はカール・マルクスの『資本論』以降のもっとも重要な古典的著作とされていました。レーニンの目的は,執筆中にすでに起こっていた第一次世界大戦が帝国主義諸国間の戦争であること,そこには資本主義の構造変化という経済的根拠があることを明らかにすることでした。その証明は,1)生産と資本の集積が独占を作り出していること,2)銀行資本と産業資本と融合して金融資本を形成し,その基礎の上に金融寡頭制が強まっていること,3)商品の輸出よりも資本輸出の役割が大きくなっていること,4)資本家の国際的カルテル,トラスト,シンジケートによる世界の経済的分割が始まっていること,5)列強による世界の政治的分割は完了したことを示すことによって行われました。

 経済学の一般理論として書かれている『資本論』と異なり,『帝国主議論』は情勢に即した著作でした。そのため,どこまでが1917年当時の情勢分析や,19世紀から20世紀にかけての経済的局面とみるべきか,どこまでは理論的含意を持つものとみるかという,難しい問題がありました。金田教授は,『帝国主議論』を現代資本主義の基礎理論としてみるべきだという考えに立って,新ゼミ生に読ませていたのだと思います。しかし,内容の是非は別として,バブル期前後の学生は『帝国主議論』になかなかついていけず,近代史の本を脇に置いたりサブテキストにしながら読んだりしたものです。ついには私から提案して,春合宿テキストを変えてもらいました。レオ・ヒューバーマン『資本主義経済の歩み 上・下』(岩波新書,1953年)と宮本憲一『経済大国 増補版』(小学館,1989年)を使ったと思います。

 さて,『帝国主議論』を読む際の一つの大きな論点は,第二次大戦後の世界の変化でした。植民地体制が崩壊し,大国間の対立は資本主義体制と計画経済体制という形を取りました。資本主義世界ではGATT(現在ではWTO)の自由・無差別・多角の通商体制が構築されました。こうした国際関係の下では,世界経済における不均衡と衝突は,必ずしも世界戦争に帰結しなくなったのではないか,帰結させないこともできるのではないか,という議論が起こりました。1990年代初頭にソ連・東欧の計画経済体制が崩壊して冷戦が終結し,貿易・資本の自由化が世界を覆うグローバリゼーションが進むと,世界戦争の懸念はいっそう後退しました。こうして,レーニン『帝国主議論』の世界戦争論は,現代には当てはまらないものと思われるようになったのです。私個人にとっても,『帝国主議論』のリアリティは,最初に読んだ1985年から30年ほどは薄まる一方でした。

 しかし,今日の世界では,自由な貿易・投資を保証する体制が崩れ,ポスト冷戦期グローバリゼーションは終焉を迎えつつあります。それどころか,大国が,自らの利害と主張を押し通すために武力の行使をいとわないものに変貌しつつあります。複数の大国がそのような態度に出ているため,行き着く先は第三次世界大戦ではないかという懸念すら強まっています。

 戦争の発生は,もちろん,直接には政治的・外交的要因によるものです。しかし,その背後には,『帝国主議論』が大づかみにとらえていた不均等発展の法則が透けて見えます。図式化すると,政治的分割→経済の不均等発展→政治的再分割,となります。経済開発と格差と貧困の各国における違いが,また国の間の経済発展の程度と速度の違いが,国際政治を揺るがす紛争の背景をなしている,と考えざるを得ません。私にとっては,二度と感じたくはなかった『帝国主議論』のリアリティの復活です。

 これからしばらくは,経済問題が政治,そして政治の延長としての戦争と平和の問題に直結せざるを得なくなるでしょう。逆に戦争と平和の問題が経済生活を左右するでしょう。そのような時代に,私たちはどうすればよいのか。それについての個人的見解を述べることは差し控えます。ここで言いたいことは,選択を問われる時代に突入したということであり,選択のために経済学の知識とスキルを最大限に活用するべきだということだけです。皆さんの前途に平和と繁栄があることを願っています。

2026年3月
産業発展論ゼミナール担当教員
川端望




2026年3月7日土曜日

「帰ってきたウルトラマン」と「戦え!ウルトラマン」:何が違ったのか

  『帰ってきたウルトラマン』には,実際に採用された主題歌「帰ってきたウルトラマン」(作詞:東京一,作曲:すぎやまこういち,歌:団次郎・みすず児童合唱団)のほかに,NG主題歌「戦え!ウルトラマン」(作詞,作曲,歌は同じ)がある。このNG主題歌は,私(1964年生)の年代にはDAICONフィルム版『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(脚本:岡田斗司夫,特技監督:赤井孝美,監督:庵野秀明,1983年)で使用されたことで知られている。

 私は,メロディはどちらも独自の味があるが,その歌詞ゆえに「帰ってきたウルトラマン」の方が採用されてよかったと個人的には思っている。以下にその理由を書く。

 この二つの歌を作詞された東京一氏とは,円谷一氏の筆名だ。氏は「ウルトラマンの歌」と「ウルトラセブンの歌」も作詞された。この2曲の歌詞は,基本的に科特隊とウルトラマンとセブンへの賛歌だ。例えば「胸につけてるマークは流星」,「光の国からぼくらのために」,「進め銀河の果てまでも ウルトラアイでスパーク!」だ。また,「戦え!ウルトラマン」がもし採用されていたら毎週放映されたであろう1番は「ビルを壊すぞ」と意表をついて始まり,怪獣被害を描写した後「帰ってきたぞ」と「ウルトラマン」のリフレインに切り替わる。それはそれでいいのだが,とくに視聴者の心に訴えるものはない。ここでは,ウルトラマンは神のごとき問題解決者なのである。

 しかし,「帰ってきたウルトラマン」の1番は,これらと全く異なる歌詞から始まる。「君にも見えるウルトラの星」だ。ヒーローを讃えるのでもなく,ヒーローに助けてもらうことを当然とするのでもない,テレビの前の,一人一人の「きみ」にウルトラの星が見えると言っているのだ。放映当時私は6歳だったが,白黒テレビの前でこの歌詞を聞いたときの衝撃を忘れることができない。そして「遠く離れて地球に一人」と続く。これに似た歌詞は「ウルトラセブンの歌」にもある。「はるかな星が郷里だ」の箇所だ。また「帰ってきたウルトラマン」と「戦え!ウルトラマン」の3番にもある。「あれがあれが故里だ」だ。何なら「戦え!ウルトラマン」は「遠く離れて地球に一人」とも言って,そこから「あれがあれが故里だ」と続いてもいる。だが,これらはセブンのことだけ,新ウルトラマンのことだけを述べている。「帰ってきたウルトラマン」の冒頭は違う。君にはウルトラの星が見える,そこから来たウルトラマンも,たった一人の存在だと,地球人とウルトラマンの関係を述べているのだ。「君にも見えるウルトラの星」という呼びかけがあることで,双方向の関係が生まれるのだ。

 地球人とウルトラの星から来たウルトラマンは,一方が他方を利用するだけではない,一方が他方に解消されることもない,お互いを知る異なる存在だ。このことを高らかにうたったことで,「帰ってきたウルトラマン」は名曲になったのだと,私は思っている。

「帰ってきたウルトラマン」
https://www.youtube.com/watch?v=AZCbwL9bSD0

「戦え!ウルトラマン」
https://www.youtube.com/watch?v=9ORy_8WO_k8


2026年2月27日金曜日

高市首相の施政方針演説について:ナローパスに賭けるべきだろうか

  2026年2月20日,高市首相が施政方針演説を行った。以下,「圧倒的に足りないのは、資本投入量、すなわち国内投資です。その促進に徹底的なてこ入れをします」という言葉は,よく考えて分析的に(複数の側面や可能性を考慮して)見る必要があること,しかしそうしてみても,「とにかく成長のスイッチを押して,押して,押して,押して,押しまくってまいります」というのは根拠のない煽りであることを書く。

 内閣府データで潜在成長率と,これに対する各項目(資本投入,労働時間,就業者数,全要素生産性)の寄与度をみると,以下のとおりである(内閣府資料,2025年12月23日更新)。

潜在成長率:0.5
全要素生産性:0.4
資本投入量:0.2
労働時間:-0.2
就業者数:0.2

 いまのままの生産関数(経済構造)では,カネとヒトを投入しても,これまで程度の生産性上昇があったとして,0.5パーセント/年の実質成長が限度である。資本投入量を増やそうと無理をすれば,単に超過需要で生産が増えず,インフレになるだけだ。インフレになれば過度な円安も続き,輸入物価も高止まりする。これではだめなのだが,高市政権は,内閣府のデータが示す,そうした基本的な因果関係をごまかしている。

 いや,経済構造そのものを変え,全要素生産性をさらに引き上げて,潜在成長率を引き上げる(供給の天井を引き上げる)のだというならば,それ自体はもっともだ。「量子、航空・宇宙、コンテンツ、創薬などの17の戦略分野」の育成というのはそういうことだろう。しかし,全要素生産性をどうやって引き上げるかに注意が必要だ。

 すでにフル稼働しているモノを,カネの力で投資に誘導するならば,消費を減らさねばならない(※1)。どうしてもそうするというのであれば,消費税減税などでなくむしろ増税するか,あるいは消費税減税を上回る富裕層増税や法人税増税をして財源を作り出すべきだろう。高市政権には,そのようにする気はなさそうに見える。

 そうではなく,モノの配分をさほど変えず,消費を抑圧せずに生産性を引き上げるというのであれば,それ自体ももっともだ。しかしそれならば,設備投資を必要としない方策,つまり規制改革,税制によるインセンティブ構造の改善,研究者・技術者のキャリアパス確保,起業や,女性と高齢者の正規雇用拡大といった方法をとるべきだろう。高市政権には,そうした工夫をする気配がなく,投資促進を煽っているように見える。

 結局,政権が事実上狙っているのは,以下のような狭い道筋(ナローパス)だろう。まず,0.5%の成長余地を活用してAI導入の全面化に投資し,潜在成長率の向上を図る。また,現に進んでいる非労働力(高齢者と主婦)の雇用を促進するとともに,労働時間規制を緩和して労働投入を増加させる。同時に,名目賃金の引き上げは支持して,収入増が消費増に結び付くように誘導する。これらを行えばインフレは継続するが,これを緩やかな,国民の不満が爆発しない程度に保つ。そうすると,実質賃金は上がらないために,企業利潤の増と消費増で景気は維持される。その上,政府債務残高は目減りし,財政赤字拡大を相殺できる。こんなところだろう(※2)。

 だが,これはナローパスである上に,転落すれば危ない橋である。インフレが加速し,円安が是正されずに輸入物価が高止まりして,実質賃金が停滞すれば,国民の不満が爆発する可能性は高まる。また,単純な雇用促進では非正規雇用が拡大して正規との格差は是正されない。また裁量労働制拡大は,専門職はとにかく一般ホワイトカラーでは,単にただ働きに終わる危険が高い。そして,AI導入は結局は進展するとしても,この先バブル化してクラッシュするリスクも高い。新興産業とは,エクイティ・ファイナンス,バブル,クラッシュを通して生産力を発展させるものだ。すでにマーケットでは,株式の比重を減らし,ドル国債に慎重な態度をとり,エネルギーと貴金属に投資しようという動きが出ているのである。稼働できないデータセンター,利益を生まないAI開発投資という時期も,すくなくとも一度は来ると見た方が現実的だ。

 長い目で見て,生産性向上に投資すべきなことはまちがいない。成長の天井を上げないと,所得の生まれようがないからだ。しかし,インフレ・円安の現状でこの「投資の危ない橋のナローパス」に賭けるべきだろうか。それよりも,インフレを加速しない方法で,国民生活を救う道を求めるべきではないか。それは,再分配の強化である。選挙で選択された以上,減税はもっともである。しかし減税だけすればインフレを加速して元も子もなくなる。中間層・低所得層に減税すると同時に,富裕層や大企業には増税することが必要だろう。国民生活が安定すれば,企業も国内に投資する動機を強めるだろう。

 インフレと円安・輸入物価高という現下での制約条件を無視し,「とにかく成長のスイッチを押して,押して,押して,押して,押しまくって」も効果は期待できない。日本人の底力などといって因果関係をごまかしてはならない。タイヤが滑って空回りしつつあるときに,エンジンの底力を信じて吹かすべきだろうか。タイヤが地面をとらえて,着実に進めるようにすることが肝心だと,私は考える。

※1 カネは海外からも調達できるし,金融的流通から実物経済に引き戻すこともできるし,信用創造で生み出すこともできる。だからカネの投資を名目的に増やすことはできる。しかしモノがなければ工場・設備・施設は作れず生産能力は拡大できない。
※2 古い学説をご存じの方は,大内力の国家独占資本主義論を思い出されたい。



2026年2月18日水曜日

なぜ,「純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?」を書いたのか

 「純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?」一応,完結しました。この連載は,直接には,最近になって「結局金が貨幣だ」という見解がアナリストの間に出現したことに触発されたものです。金価格高騰=インフレーション=ドル減価という等式です。しかし,これは正しくありません。管理通貨制と変動相場制,具体的には金兌換が停止され,価格標準が肯定されなくなった世界では,インフレーションとは別に,金価格は単独で高騰できるし,またしているからです。金価格高騰は,確かに一部はインフレーション=ドル減価によるものですが,多くは中央銀行の金購入と金ETFを通した投機によります。そして,その背景にあるのは,インフレーションよりも,むしろ世界秩序の帝国主義化により,ドル国債の流動性と,ドル預金での決済システムが不全になる危険です。

 またこの連載は,師・村岡俊三とそのまた師・岡橋保の貨幣論との対話でもありました。岡橋氏が,金価格は価格標準の変動(インフレ,デフレ)によっても変動するが,金に対する需給によっても変動すると指摘したことを私は支持します。岡橋氏は,金に対する通貨の購買力低下は不等価交換によっても起こり得るのであり,金価格高騰がすべてインフレーションではないことを,ニクソン・ショックの際に解き明かしました。また,村岡氏が,新産金が流通に入る交換過程に注目したことで,金兌換停止のもとでは金価格は単独で高騰しうることを明らかにしたことを,私は支持します。村岡氏はこうして,1970年代以降,金価格がインフレ率を超えて高騰したメカニズムを明らかにしました。

 しかしながら,村岡氏が,金がこうして流通に入る過程で価値尺度機能を果たし,蓄蔵貨幣になるとしたことには,保留をつけざるを得ません。消極的には金を価値尺度財と見なすことは可能ですが,金は積極的な価値尺度機能を停止しているし,流通に入れないために蓄蔵貨幣のプール機能を果たせないのです。村岡氏は,金価格が単独で高騰しうる理由を金生産性の低下=金価値の増大にのみ帰着させたために,金価格がそれ以外の要因によっても変動しうることを見ませんでした。これは,今日の中央銀行の金購入や金ETFによる投機的需要の発生を踏まえれば,不十分であったと言わざるを得ないのです。

 現時点において,金は,もっとも貨幣に近い資産として需要されながら,すでに貨幣の機能を果しえません。だからと言って,金は貨幣論上,どうでもよくなったのではありません。本来は金が貨幣であったが,資本主義発展が金の流通を排除し,その代わりに価値尺度の不在による通貨システムの不安定という矛盾を抱え込んだのです。この弁証法的関係を明らかにしてこそ,今日の金市場と,その背後にある世界の政治経済学は理解できます。そのためにマルクス経済学はなお有効なのだと私は考えています。多くの方にとっては呆れるほど突飛でしょうが,私は,イデオロギー的立場を固守するためではなく,現実に切り込んで,現実の経済における今後の見通しを示すツールとして,マルクス経済学が「使える」ことを示したかったのです。またそのために,はるかにさかのぼって,師や,師の師の見解の現代的意義を尊重するとともに,その限界を乗り越える道を示したかったのです。

<参考>

岡橋保『金の価格理論:価格標準の研究』日本評論新社,1956年。
岡橋保『増訂 金投機の経済学』時潮社,1973年。
村岡俊三『資本輸出入と国際金融』白桃書房,1998年。

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?
(1)問題の所在
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post.html

(2):金価格高騰=インフレーション論について
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_4.html

(3):金需要の動向について
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_6.html

(4):中央銀行の金購入について
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_11.html

(5):金ETFについて
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/etf.html

(6・完):必要とされながら不在の商品貨幣
https://riversidehope.blogspot.com/2026/02/blog-post_16.html





2026年2月16日月曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(6・完):必要とされながら不在の商品貨幣

  (1)から(5)までで,現在の金価格の変動に関する考察を終えたが,ここで「結局金が貨幣なのか」という問題について,理論的に考察しておきたい。

 これまでの考察から明らかなように,現時点で金は流通手段としても支払い手段としても貨幣ではなく,貨幣として流通していない。しかし貨幣に最も近い商品であることからその価値保蔵機能は信頼されている。中央銀行の金購入や,金ETF購入の増加とその投機化はこの金の屈折した性格から説明できる。

 しかし,最後にもう一度,金が貨幣であるかどうかを理論的に問い直そう。問題は次のように設定される。管理通貨制と変動相場制の下で,金は流通手段としても支払い手段としても貨幣ではない。それでは,価値尺度,蓄蔵貨幣,世界貨幣としてもまったく貨幣ではないと言えるのか。これはスコラのようであるが,理論的には大事なことなので,考えてみよう。考察しやすくするために,金が今なお貨幣だという立場を想定し,これが正しいかどうかを考えるというスタイルを採ろう。

 金が今なお貨幣だとすれば,それは価値尺度,蓄蔵貨幣としてである。これらの片方でも打倒すれば,そのようなものとして世界のどこでも通用する世界貨幣だということになろう。これを貨幣の生成プロセスに即してみよう。金は鉱山で採掘され精錬され,金地金となる。金本位制であれば地金が直接商品と交換されるか,あるいは鋳造業者に持ち込まれて金貨となるだろう。しかし,今日では,何らかの通貨建て買い取られる,さらに具体的に言えば預金貨幣ないし中央銀行券と交換される。代金を払って地金を入手したものの手中で,金地金は蓄蔵貨幣となる。このように考えるしかないであろう(※1)。

 では,この時,価値尺度機能はどのように果たされているか。金本位制のもとで価格標準(1グラム=Xドル)が公定されていれば,金は価格標準を通して,自らの重量をもってあらゆる商品の価値を測る価値尺度となる。ところがいったん価格標準が設定されると,市場ではむしろ金にも価格があるとみなされるようになる。管理通貨制と変動相場制の下では,公定価格標準は存在しないため,いよいよもって金は一般商品と同様に価格を持つものとみなされる。具体的には,新産金が流通に入る際,供給側では金の生産費と産金業者の要求利潤率に規定され,需要側では金需要の在り方によって規定されて価格がつく。そして何らかの通貨建ての預金貨幣ないし中央銀行券と交換されるのである。交換されたのちは蓄蔵貨幣となり,貨幣としては流通しない。つまり一般商品との交換には入らない。だから,金がいまなお価値尺度であるとすれば,新産金として販売された際の価格設定を通して,間接的に一般商品との交換関係を結ぶことで,価値尺度機能を果たしていると考えるよりないのである(※2)。

 しかし,この二つの規定はいかにも危ういものである。まず,蓄蔵貨幣の属性を果たしているかどうか考えよう。価値保蔵機能については,確かに今日でも金が果たすことはできる。しかし,貨幣流通におけるプール機能は果たすことができない。蓄蔵貨幣プールの重要な役割は,商品流通界が追加貨幣を必要とする際にその供給源となり,逆に不要な貨幣が排出された際にこれを受け入れることである。今日,この機能を果たしているのは銀行が創造する預金貨幣である。企業が借り入れを行う際に預金貨幣は創造され,返済の際に消滅する。生成し,消滅する預金貨幣は,流通外で蓄蔵されない。しかし,プールの機能は果たしている。預金貨幣の流通を裏付けるのは中央銀行預金貨幣の支払い決済システムである。金は,中央銀行保有の金ですら,ここで何の役割もはたしていない(※3)。流通に入れない金は,蓄蔵貨幣のプール機能を果たしえない。

 価値尺度機能も危うい。というのは,市場で新産金に価格がついているからであり,この価格は金の投下労働価値,すなわちある金を生産するのに必要な社会的平均的投下労働量の対象化と言える水準に落ち着きそうにないからである。新産金価格は,商品としての金の特殊な需要に規定されてしまう。前回まで述べた通り,宝飾品需要,工業製品需要,中央銀行の準備金としての需要,そしてETFを含む資産としての需要である。そして,資産としての需要による投機化か今日の金価格を特徴づける。そして,こうした金価格変動は,物価全般とは全く独立に起こり得るのである。もちろんどんな時も,結果としては,金の一定重量が全商品と相対的価値関係に入っているということはできるし,そこでの交換が等価交換から乖離すれば,逆方向に戻る力が生み出されるとは言える。その意味で価値法則は作用している。しかし,金が様々な商品と交換関係に入り,商品間の相対的関係を,価値通りの交換や生産価格による交換となるように規制しているとは言えないのである。金は価値法則を規制する能動性を失ってしまっている。この原因は,価値尺度機能のカギである公定価格標準が停止しているからにほかならない。

 誤解がないように別の表現で言えば,「金が価値尺度か」という問いには,問題の設定の仕方によってはYesと言えるかもしれない。長い目で見て,金を基準として,諸商品の労働価値の相対関係を考えることはできる,という意味においてならばである。しかし,金重量が,一般商品との交換を通して能動的に,諸商品の労働価値の相対関係を規制している,という意味においてはNoである。これらの意味においては金の価値尺度機能は停止している。金価格の水準は一つの商品価格として決まるものになってしまっており,事実上の価格標準から乖離する。地政学的考慮を反映した中央銀行の需要や金ETFを通した投機に需要が左右されて乖離するのである。

 しかしこれは,資本主義経済において,価値を持つ商品貨幣が不要になったことを意味するわけではない。逆である。貨幣としての金は必要とされながら不在であり,市場参加者は代用貨幣を用いるしかない。だからドルの信認低下は,行き場のない逃避需要を生み出す。すでに貨幣として流通しえないが,貨幣に最も類似した資産として金が選好される。価格標準は必要とされながら不在であり,市場参加者の目の前には変動する金価格しかない。だから金によって価値保蔵を図っても,それは変転する金価格のもとで,不完全にしか達せられない。ありきたりな言葉で締めくくるのは気が引けるが,これらは資本主義発展に伴う矛盾なのである。

※1 村岡俊三『資本輸出入と国際金融』白桃書房,1998年,松本朗「金価値と金価格の動向とその理論についての考察―最近のドイツにおける研究動向を参考にして―」『立命館経済学』61(6),2013年(http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/61617.pdf)。
※2 村岡,前掲書,119-127頁。
※3 金準備を裏付けとして中央銀行預金貨幣や中央銀行券が発券されるのだと主張する人がいるかもしれない。そうではない。金兌換停止のもとでは,中央銀行預金貨幣は最終支払い手段であって,物的資産の裏付けなしに発行され得る。世界には自己資本を持たない中央銀行が存在するが,その理由はここにある。対内的には自国通貨の通貨価値,対外的には基軸通貨の通貨価値が維持されていれば,そこに問題はない。ここで通貨価値とは,第一には信用貨幣の商品貨幣に対する代表価値であり,また第二には信用貨幣と商品の交換比率である。金兌換が停止されただけでこれらが維持不可能になるわけではない。川端望「通貨供給システムとしての金融システム:信用貨幣論の徹底による考察」研究年報『経済学』81,2025年(https://doi.org/10.50974/0002003359)。


2026年2月14日土曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(5):金ETFについて

 さて,中央銀行と並んで金価格を動かすもう一つの需要である金ETFについて見なければならない。

 ここで取り扱う金ETFとは,金を裏付けにした上場投資信託のことであり,上場されている株式と同じように取引ができる。だから,ETFを購入するというのは,厳密に言えば擬制資本である証券を購入しているのであって,金を直接購入しているわけではない。しかし,ETFは金地金を保有しているので,取引が公正である限り実物の金によって裏付けられていると言える。地金に比べれば,ETFの取引コストははるかに低い。とくに小口の個人投資家によっては,少額でも金に対する確実な持ち分を得られるETFは,購入しやすく魅力的な金融商品である。もちろん,ETFにも独自のコストがかかる。ETFの1口が代表する金重量は,信託報酬が差し引かれることによって少しずつ目減りしていく。しかし,地金取扱いのコストに比べればはるかに低い負担だ。

 金ETFが初めて上場されたのは2004年のことであった。以後,物量ベースで見た金ETFの金保有量は,長期的には大きく伸びて,2026年2月6日には4114.4トンに達した(※1)。その間に保有量の増減はあったが,特徴的なことは,2023年から2024年にかけての一時期を除き,金ETFの金保有量が伸びた時には金価格も上がり,逆なら逆であったことだ。金ETFの所在地は北米が約半分であり,残り半分のうち大半はヨーロッパが占めている。しかし近年はアジアが拡大しており,495トンを占めている。

 金は単なる金属であるから,収益のフローを生み出さない。金ETFには株式のような配当もないし,債券と異なって利子も得られない。したがい,静態的にとらえるならば,金ETFの価格は収益の資本還元ではなく,むしろ金の内在的価値を反映したものである。金ETFで資産運用するということは,価値保蔵を目的とするか,純然たる金の価格変動に賭けて利益を狙うということになる。

 ここで重要なことは,ETFによって大から小零細までの個人投資家による金需要が広範に現実化したことである。その背景には,まず株式とは別な理由での,金価格上昇の長期的見通しがある。それは2000年代の終わりには世界金融危機というリスクであり,それ以後に始まった各国中央銀行による金購入の底堅さであり,コロナ以後のインフレーションであり,2010年代後半以後の地政学的リスクであり,2020年代におけるその加速である。そして,中国やインドからの投資家の市場流入によって,投資家の数そのものも増大した。

 さて,投資家の金購入の動機は,それが小口になればなるほどインフレヘッジが中心になる。大投資家と異なって金価格の大規模変動に賭けることなどできないし,中央銀行のようにドルでの決済不能のリスクにおびえる立場ではないからだ。しかし,こうしたささやかな動機による購入は,いったん上がり始めた金価格をさらに押し上げることになる。なぜならば,インフレヘッジ程度の低い収益性しか期待していない小零細投資家群は,それ以外の大規模投資家に比べると,高い金価格でも購入できるからである。低収益しか期待しない投資家が増えるほど価格は上がるというのが,証券市場の逆説なのである(※2)。こうして金価格は,内在的価値からはるかに乖離して高騰した。内在的価値の指標は新産金生産コストであるが,2020年までは1000ドル/トロイオンス前後で安定していたが,2025年には1500ドル/トロイオンスを超えた(※3)。一方,金のスポット価格は2020年初には1500ドル/トロイオンス前後であったものが,2026年2月前半は5000ドル/トロイオンス前後で上下を繰り返している(※4)。この上昇率がアメリカのインフレ率をはるかに超えていることも言うまでもない。これは投機的な価格であり,何らかのきっかけがあれば下落することもある。現に上昇傾向の中でも,しばしば下落しているのだ。

 まとめよう。金ETFの取引には,内在的価値に関連した根拠があるにはある。中央銀行による価値保蔵のための継続的な準備資産積み上げを背景としており,また投資家によるインフレヘッジの動機に導かれているからだ。しかし,この背景と動機に基づくETF購入は,結果として金価格を内在的価値から乖離して高騰させる。だから,金ETF取引は,架空性の高い価格の変動を当てにした,金投機と化しているのである。内在的価値に根拠を持ちながら投機と化すことが,金ETF取引の逆説である。

 この項の最後で,何度も繰り返してきたことを再度強調しよう。金価格高騰をもっぱらインフレーションの反映であるとか,高騰した金価格がインフレーションを起こすなどと言ってはならない。それは客観的には,金投機の架空性を覆い隠す言説だからである。インフレヘッジを動機に金ETFを購入することはもっともである。しかし,投機に参与し,これに巻き込まれることなしに金ETFを購入することはできないのである。

※1 この段落の数値はGold ETFs, holdings and flows, World Gold Council, February 9, 2026による。
https://www.gold.org/goldhub/data/gold-etfs-holdings-and-flows

※2 これは株式時価総額が企業の解散価値から乖離して上昇する理由でもある。伊藤光雄「擬制資本の形成と運動 -債券と株式-」研究年報『経済学』44(3),1982。
https://doi.org/10.50974/0002005133

※3 Production Costs, World Gold Council, January 13, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/data/aisc-gold

※4 Gold Spot Pries, World Gold Council, February 13, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/data/gold-prices


2026年2月11日水曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(4):中央銀行の金購入について

  近年の金需要のうち,まず需要に継続性がある中央銀行の金購入から見ていこう。

 World Gold Councilの統計では,中央銀行の金購入は2010年からプラスになったが,そのボリュームは2022年に1000トンを突破し,3年間1000トン超えを維持した。2025年は多少減退したが,863トンである(※1)。Brooking Institutionの最新レポートによる中央銀行金保有残高も同様の傾向である(※2)。

 この金購入は,その時々の価格上昇とは連動していない。金価格が上記的な上昇に転じたのは2000年前後,急騰したのは2008年の世界金融危機から2012年まで,2019年から2020年まで,そして2024年初からである。とはいえ,長期的に見て中央銀行がネットで連続購入する時代になったことは,需要の底支えになっているとみるべきだ。

 中央銀行の金保有額の重みを世界GDP比で見ると,2000年以後上昇し,2024年末には2.5%に達している(※3)。金保有の多くは先進諸国中央銀行によるものであるが,重量で見たその保有量は横ばいで,過去15年ほどの増加はもっぱら新興国中央銀行によるものである。外貨準備に占める金の割合は金額で見るよりないが,ユーロ地域では62%,アメリカでは75%,ロシアでは32%,中国では6%,日本では6%である。暫定的な推計では世界全体では約4分の1と見られている。

 近年の金購入の動機と傾向については,シンクタンクOfficial Monetary and Financial Institutions Forum(OMFIF)のレポートが参考になる(※4)。OMFIFによると,中央銀行の80%は,いまなお安全性と流動性のためにドルに投資している。また調査回答者の92%は,米国債市場はなお十分な流動性を保っていると回答している。しかし,中央銀行の58%は,来る1-2年の間に多様化を計画している。ドルへの投資をくじく要因は,アメリカの政治環境,地政学,アメリカの財政政策である。一方,ほぼ全ての中央銀行が、準備資産の中核あるいは増加傾向にある構成要素として金を挙げている。このレポートを作成したワーキンググループの議論の中では,外貨準備運用担当者は,配分決定が主に地政学的考慮によって駆動されており,財務的リターンは補助的な役割しか果たしていないと報告している。なお,ETFを保有しようとする中央銀行は少数派である。

 つまり,新興国中央銀行が,地政学的な理由から準備資産としての金の保有を増やそうと地金の形態で毎年購入していることが,金価格の底支えになっているわけだ。

 これを裏返すと,相対的にドルの信認が下がっているということである。ドル建て準備資産は当座預金や紙幣のまま持たれることは少ないので,より具体的には,価値保蔵資産としてのアメリカ国債の信認が下がっているわけである。

 一部のアナリストは,ドル国債信認低下=金価格高騰=インフレーションと見ている。繰り返し述べてきたように,これは部分的に正しいが,部分的にしか正しくない。インフレは金価格を高騰させる。しかし,インフレ以外の要因も金価格を高騰させる。そして金価格高騰はインフレを起こさない。インフレとは別に,地政学上の理由によってドル国債信認低下=金価格高騰が起こっていると見なければならない。金が今では流通手段や支払い手段ではなく,しかし価値保蔵手段ではあるために,このようなことが起きるのである。

 では,中央銀行の金購入が増えた2022年以後に先鋭化した地政学的要因とは何か。それはロシアのウクライナ侵略であり,これに対して各国が経済制裁を行ったことである。また,金価格の高騰が生じた2024年以後に先鋭化した地政学的要因とは何か。それは国際政治が,複数の大国が,互いに武力の行使を辞さないものに変転しつつあることである。中国一国が台湾への武力侵攻を放棄しないだけではない。ロシア一国がウクライナを攻撃するだけでもない。アメリカ一国がベネズエラを攻撃し,デンマークを脅迫するだけでもない。複数の大国が武力行使をためらわないために,相互作用が破滅的な結果をもたらしかねないことである。これは新興国にとって,国際通商システムや決済システムへのアクセスに障壁が生じることを意味する。これら諸国の通貨当局は,平和裏にドル国債をドル建預金に転換できないリスクや,ドル建預金で国際決済ができなくなるリスクを考慮せざるを得ないのだ。インフレーションのリスクだけではなく,国際政治による通商・決済の途絶リスクが高まりつつある。中央銀行の購入による金価格底支えの意味はそこにある。

※1 World Gold Council, Gold Demand Trends: Q4 and Full Year 2025, January 29, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2025

※2 Gian Maria Milesi-Ferretti, How important are central bank holdings of gold?, Brookings Institution.
https://www.brookings.edu/articles/how-important-are-central-bank-holdings-of-gold/

※3 この段落の終わりまで同上レポートによる。なお,アメリカの場合,金の現物は財務省が保有しており,FRBはそれに対するGold Stockを保有している。この経過は,重見吉徳「【マーケットを語らず Vol.211】米国政府の保有ゴールド含み益とBITCOIN法:その①」フィデリティ証券,2025年8月21日を参照。
https://www.fidelity.co.jp/page/strategist/vol211-the-fed-gold-revaluation-and-bitcoin-act

※4 この段落の記述は,OMFIF Global Public Investor Working Group, Redefining resilience  in reserve management How global public investors are navigating  uncertain time, 2025による
https://www.omfif.org/redefining-resilience-in-reserve-management/

※2026年2月13日。最終段落が2024年以後の地政学的リスクだけを論じていたところに,2022年以後に関する記述を追加。


2026年2月7日土曜日

政府債務のGDP比率は何を語っているのか:Allison Shrager氏の記事から考える

 ブルームバーグのコラムニストAllison Shrager氏による記事「日本の国債市場変調から学ぶ3つの教訓、米財政政策への警鐘鳴り響く」2026年2月6日。私は,長期的にはかなり共感できるところがあるが少し違う視点を取りたい。また,短期的には別な評価も必要だと思う。論点整理の作業として投稿するために,話が行きつ戻りつすることをご勘弁いただきたい。

 短期の方から行こう。そのポイントは,政府債務/GDP比率を示したグラフにある。コロナ禍以後,日本の政府債務/GDP比は,依然として他国より高いが,他国より急速に低下していることに注意する必要がある。これはコロナ対策終了でいったん財政支出が縮小したことにもよるが,同時にインフレ・輸入物価高騰のためである。ストックで言うと,物価上昇によって日本に住む人が持つ貯蓄は実質的に目減りする。一方,政府の累積債務は実質的に軽減される。この現象は「インフレ税」と呼ばれる。また,物価上昇に対して,名目所得や名目消費額は追い付いていないが,見かけ上は所得や消費の額もそれなりに大きくなるので,税の支払額は増える。とくに所得税など累進性のあるものは,課税区分が上昇して税率が上がることがあり,実質的負担増となる。これらが,長年上昇傾向にあった日本の政府債務/GDP比が下がりだした理由である。

 だから短期でいうと,政府債務/GDP比率が下がれば良くて,上昇すると悪いというわけではない。いま述べたように,日本の比率が下がっているのは,住民から政府に所得移転を行っているようなものだからである。住民搾取の結果として政府債務が減るのは,よいこととは言えない。

 しかし,では積極財政が正しいかというと,いまは異なる。もし仮にに今が不況であり,失業率が世界金融危機の時のように5%に達し,遊休設備が存在するのであれば,しばらく積極財政,減税でもよい。雇用が生まれ所得が生まれるからである。しかし,2026年の現実はインフレ・輸入物価高と同時に景気は過熱気味で,失業率は昨年末2.5%であり,遊休設備はほとんど存在しない。だから,財政赤字を拡大してはだめなのである。なぜなら,実質所得が増えずにインフレが加速し,また円安が進んで輸入物価がさらに上昇するリスクを高めるからだ。これが目の前の問題である。債務が大きすぎるからではなく,すでに生産能力を使い切った状態だから,財政赤字が益少なく害多いことになるのである。

 次に長期である。コラムの言うことは間違っていないとは思うが,少し視点を変えた方がよい。政府債務/GDP比が長期にわたって上昇していることを,分子の政府債務の大きさだけに即して評価するのでなく,分子と分母の関係に即してみるべきである。つまり,「財政赤字が所得に寄与していないのに拡大し続けていること」が問題なのである。これは明らかな事実である。またもうひとつは,マーケットに対し,政府が課税能力を徐々に失っているという疑念を発生させることである。これは期待の問題である。この二つは,通貨価値の毀損=インフレのリスクを高め,日本国債に対する評価を下げ,主に円安と長期国債価格の下落,長期金利の上昇を引き起こす。また,短期金利を調節する日銀も板挟みに陥る。このコラムの以下の指摘は正しい。「インフレと闘うために金利を引き上げれば、債務コストが急増する。一方,金利を低く据え置いてインフレを高止まりさせれば,円は下落する」。

 日本政府にもジレンマが生じる。一つの道は,緊縮財政をとって国民をさらに苦しめつつも長期金利の上昇を防ぎ,国債市場と外為市場での信認をつなぎとめることである。もう一つは,国債をさらに増発して日銀に買い上げを求めることである。日銀は,たとえ独立性を持っていようとも,国債暴落を放置することはできない。黒田時代のように買い上げざるを得ないだろう。すると,しばらく国際市場での信認は維持されるだろうが,インフレ圧力がさらに強まる。

 最後に,このコラムが引き出した教訓と対話しよう。一番目の教訓は,「長期金利はマーケットが決める価格であり,下手にいじれば危ないということ」である。これは正しい。ただ,その意味はもっと深い。長期金利が上がるのは,財政支出に効果がなく,また課税能力が疑われているということである。借金の金利が高くなってたいへんだというイメージで考えるべきでなく,円という通貨の価値が疑われているというレベルでとらえるべきである。

 このコラムによる二番目の教訓は,「インフレはいずれ戻り,財政計画を揺るがすということ」である。これもほぼ正しい。「インフレリスクは決して消えない」というのはさらに正しい。たとえ財政赤字を容認する学派であろうとも,その限界を悪性インフレ=通貨価値の毀損を引き起こさない範囲に置く。例えば機能的財政論の元祖であるラーナー『雇用の経済学』を見よ。これを踏み外すべき根拠はどこにもない。

 ただし,インフレリスクを政府が逆用する可能性を見落としてはならない。仮にマーケットをパニックに陥れず,国民が反攻に転じないという前提が成り立つならば,インフレによって政府が債務者利得を得られるのである。現に,いまそうなっている。だから日本政府は,インフレを放置するという積極的な賭けに出るかもしれないし,あるいは無策のまま何とかなることを期待する結果として消極的な賭けに出ることもありうる。

 最後の教訓は,「第三に、政府が巨額の債務を抱えても何も起きないことは時にあるだろうが、それは長期戦略にはなり得ないということだ。卑近な例を用いれば、断層の上に家を建て、何十年も地震で倒壊せずに住めるかもしれないが、それが賢明だったことにはならない」というものだ。これは正しくない。脆弱地盤しかないとことろでは,地盤を徹底的に改良して家を建てることは賢明な選択である。資本主義社会に生きるとは,地盤の脆弱な土地に住むようなものである。自由放任では成し遂げられないことは多い。しかし,公的機関の努力によって失業を減らし,外部効果の高い科学研究や技術開発を支援し,環境破壊を食い止め,市場では供給されない公衆衛生のようなサービスを提供するならば,インフレなき完全雇用と,環境保全と社会の安定を確保できる可能性が高まる。それに寄与するならば,債務は創造しがいがあるし,長期金利は上昇しない。理論的にも,いまの日本の現実に沿っても,問題は債務の金額が大きいことそれ自体ではない。財政支出が有効に使われずに,供給能力を伸ばさず,インフレを起こし,格差を放置する結果をもたらすことなのである。

Allison Shrager「日本の国債市場変調から学ぶ3つの教訓、米財政政策への警鐘鳴り響く」Bloomberg, 2026年2月6日。
https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-02-05/T9U3UHKGIFPZ00


2026年2月6日金曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(3):金需要の動向について

 金価格は1月末から2月初めにかけ,暴騰したかと思えば暴落している。このことは,前回までに論じたことの傍証となっている。つまり,金価格上昇がもっぱらインフレーションの表現だという見解は誤りなのである。数日以内でインフレとデフレが逆転するはずもないし,そもそも管理通貨制のもとでは不況による価格下落はあっても厳密な意味でのデフレは起きないのであり,したがい,金が暴落してもデフレのせいではないのである。

 さて,それでは,資産としての金需要をどう考えればよいか。ここからはある程度実証的に論じる必要がある。公開情報しか取れない立場では限界があるが,できるだけやってみよう。

 金について比較的信頼できる統計は,World Gold Council(WGC)のものである(※1)。1月30日に発表されたばかりのGold Demand Trends Full year and Q4 2025によると,2025年の金需要は5002トンに達し,前年比1%増加した。1年前の2024年の金需要は4962トンであった。

 需要の内訳は以下のようになる。1トン未満は四捨五入している。

2025年
・宝飾品製作需要1638トン,総需要に対するシェア32%,前年需要量比16%減
・技術需要323トン,シェア7%,前年比1%減
・投資需要2175トン,シェア44%,前年比73%増
・中央銀行その他の機関の需要863トン,シェア17%,前年比37%減
・店頭取引その他3トン,シェアほぼ0%,前年比で1%未満に
・合計5002トン

2024年
・宝飾品製作需要2026トン,シェア41%
・技術需要326トン,シェア7%
・投資需要1185トン,シェア24%
・中央銀行その他の機関の需要1092トン,シェア22%
・店頭取引その他331トン,シェア7%
・合計4961トン

 WGCのいう宝飾品製作と技術の需要が,前回まで述べた商品としての需要,投資需要と中央銀行の需要が資産としての需要に相当する。

 投資需要の内訳は,以下のようになる。

2025年
・地金(延べ棒と鋳貨)1374トン,シェア28%,前年比30%増
・上場投資信託(ETF)および類似商品801トン,シェア16% ,前年は3トン売り越し

2024年
・地金(延べ棒と鋳貨)1188トン,シェア24%
・上場投資信託(ETF)および類似商品マイナス2.9トン

 さて,ここで注目すべき点は二つである。

 第一に,中央銀行が買い手となっていることである。WGCによれば,2010年以来連続して買い手となっている(※2)。中央銀行は通常はETFを購入しないので,地金の購入である。

 第二に,投資需要が極めて大きく,まだ拡大していることである。そしてまだ地金の水準には及ばないものの,2025年にETFを通した金保有が急拡大していることである。

 以下,この2種類の需要について検討していこう。

※1 World Gold Council, Gold Demand Trends: Q4 and Full Year 2025, January 29, 2026.
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2025

※2 Gold Demand Trends Full year and Q4 2019, January 30, 2020.
https://www.gold.org/goldhub/research/gold-demand-trends/gold-demand-trends-full-year-2019


2026年2月4日水曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(2):金価格高騰=インフレーション論について

  さて,まず問題とすべきは,最近になってアナリストの一部が主張するように,金価格の高騰をもっぱらインフレーションによって説明できるかである。今回は,この点を主に理論的に考察する。

 前回述べた基本的観点をもう少しかみくだくと,金価格を規定する要因は四つあると思われる。

 第一に,管理通貨制と変動相場制の下では,金の生産費(金の投下労働価値)が変化すると,それによって産金業者の金売却価格も変動するといこうとである。これは金1グラム=Xドルと価格標準が固定されている金本位制とは異なる現象である。

 第二に,一般商品としての金に対する需要によって価格が変動する。主に工業用および宝飾用としての需要によるものである。

 第三に,財政赤字を通した外生的な代用貨幣(預金貨幣または中央銀行券)の供給によって事実上の価格標準が切り下がり,厳密な意味でのインフレーションとなることで金価格が上昇する(※1)。これについては上昇だけがあり得て,下落は起こりえない。なぜなら代用貨幣が不足すれば,単に物価が実質的に下落して不況となるのであり,価格標準切り上げとしてのデフレーションは起こらないからである(※2)。

 第四に,資産としての金の需要により,金の投下労働価値から乖離して金価格が上下する。

 コロナ禍での巨額の財政赤字を背景にして,ポストコロナ期には先進諸国でインフレーションが生じたことは確かである。上記の第3要因,つまり厳密な意味でのインフレーションによる金価格上昇も起こっているとみてよいだろう。しかし,それだけでは十分な説明要因とはなりえない。というのは,最近の金価格高騰はポストコロナのインフレーションがいくらかおさまってきた2024年以後に起こっているからである。また,それ以前の高騰も,リーマンショック後,物価が下落気味になっていた2009-11年頃に起こっている。加えて,傾向的には上昇している金価格であるが,この2月初めに見られたように,時に下落することもある。前述のように管理通貨制のもとでは厳密な意味でのデフレーションは起こりえないので,金価格がこれを反映することはない。

 金価格が上がったからインフレなのだと,逆の説明をするのも間違いである。これは金本位制と管理通貨制を混同するあやまりである。

 金本位制のもとでは,公定価格標準としての金価格を切り上げれば,物価全体も上昇する。例えば以下のようになる。=は投下労働価値に沿って等価交換されることを意味する。

1)出発点
投下労働価値量X=金1g=100ドル=商品100個
商品1個=1ドル

2)金本位制のもとでの公定価格標準の切り下げ
投下労働価値量X=金1g=200ドル=商品100個
商品1個=2ドル

 しかし金貨流通や兌換が停止され,公定価格標準が廃止された管理通貨制のもとでは,金価格は他の商品と同じように独立して上昇しうるし,下落しうる。金価格が上がれば,金で測った物価はむしろ下落する。しかし,金に対して通貨が下落しているから,通貨で測った物価は一定なのである(※3)。なお,ここで金価格の上昇が金生産費の高騰(金の労働価値の増加)によるのか,単に需要超過によるのかで本質的な意味は異なるが,現象としては同じである。例えば以下のようになる。×は,不等価交換が行われることを表す。

1)出発点
投下労働価値量X=金1g=100ドル=商品100個
商品1個=1ドル

3)管理通貨制のもとでの金生産費の2倍化
投下労働価値量2X=金1g=200ドル=商品200個
商品1個=1ドル

4)管理通貨制のもとでの需給関係による金価格2倍化
投下労働価値量X=金1g × 200ドル=商品200個=投下労働価値量2X
商品1個=1ドル

 3)でも4)でも,金価格のみが上昇するのであり,通貨ドルで測った物価が上がるわけではない。たしかに通貨の金に対する購買力は下がっているが,だからといって物価全般が上昇するわけではなく,インフレーションになるわけではない。金価格が上がっていることを,それに相応するインフレーションが起こっている証拠と見なすのは,まちがいなのである。

 確かにポストコロナでインフレーションは起こっている。しかし,金価格の2000年以来の傾向的上昇や2024年以来の急騰をすべてインフレで説明することは,情勢論としては行き過ぎであり,理論的にはむしろ間違いと言わねばならないのである。

 とすると,金価格の高騰の相当部分は第1,第2,第4要因に求めねばならない。第1要因の金生産費の上昇は,2000年代半ば以後,確かに生じている(※4)。しかし,短期間に急激に起こるものではない。第2要因の商品としての需要も,急騰しているとは考えにくい。銀の場合は工業需要が急増しているが,金についてはその証拠はない。すると,第4の,資産としての需要の増加が最も説明力のある要因であろう。

 この資産需要は何によるものか,それは商品に対する純然たる投機なのか,それとも貨幣に関わることがらなのか。これが,次の問題である。

※1 ここで厳密な意味でのインフレーションとは,価格標準の切り下げによる全般的・名目的物価上昇のことである。厳密な意味でのデフレーションは,その逆である。特定商品の需要超過により物価が上昇することは,日常用語ではインフレーションであるが厳密な意味では一時的または実質的物価上昇である。

※2 岡橋保『金の価格理論:価格標準の研究』日本評論新社,1956年,216-221頁。同『増訂 金投機の経済学』時潮社,1973年,88-89頁。川端望「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」TERG Discussion Paper, 492,2025年,6-7頁(https://doi.org/10.50974/0002002920)。 当たり前であるが,「不況だから物価が下がる」ことはある。物価の持続的下落をみな「デフレ」と呼ぶ日常用語にしたがうとしても「不況だからデフレになる」のである。逆に,不況と無関係に,通貨不足から物価下落期待が生じ,そして実際に物価下落が起こり,それゆえに不況になる「デフレだから不況になる」ということはあり得ない。あるとすれば,単に「不況で物価が下がっていて,いよいよそれがひどくなりそうだから不況になる」だけである。通貨と商品の量的関係を抜きに,「期待で物価は決まる」とする理論は誤りである。

※3 金本位制の場合と管理通貨制の場合の相違については,村岡俊三『資本輸出入と国際金融』白桃書房,1998年,121-127頁を参照。金本位制の場合から出発して,管理通貨制度になるとそれがどう変わるのかを説明することが大事なのであって,金を理論から追放して事足れりとするのは誤りなのである。

※4 松本朗「金価値と金価格の動向とその理論についての考察―最近のドイツにおける研究動向を参考にして―」『立命館経済学』61(6),2013年,350-351頁(http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/61617.pdf)。



2026年2月3日火曜日

純然たる金投機なのか,それとも,結局金が貨幣なのか?(1):問題の所在

 2024年以降,金価格の高騰が著しい。また,2026年1月末から2月初めにかけては暴騰と暴落を示すなど,値動きも激しい。この理由は,直接的なマーケット心理としては,安全資産を求めてのリスクヘッジまたは逃避行動とされている。それにしても,主要国の物価上昇率をはるかに超える値上がり率である。また株式についても,先進国の市場はコロナ突入直後のショックから立ち直った後は,おおむね好調に推移しており,むしろ株価と金価格の同時上昇が不思議がられるという状況である。ちなみに銀とプラチナも似たような傾向を示している。

 過去1年間の金価格高騰は何を意味するのか。リスクヘッジまたは安全資産への逃避とは何なのか。このことに対する見方は,大きく見て二つに分かれるようである。

 ひとつは,単に商品としての金が極度に選好されて投機が激しくなっているという見方である。この背後には,金は単なる商品の一つであり,その希少性,耐久性,分割・結合の容易性,あるいは過去に貨幣商品であったことの記憶から,極端に関心を集めているに過ぎないのであって,そこに貨幣論上の意味は何もないという見方がある。1970年代以来,常識として定着してきた金廃貨説の立場と言ってもよい。

 しかし,あまりに金が選好されることについて,別の見方も浮上している。それは,金価格の高騰は各国通貨の信用失墜の裏返しであり,結局のところ金が貨幣である,あるいは貨幣として復権しつつある。という見方である。このような見方は,1971年8月の金ドル交換停止,そして1973年の変動相場制移行後,衰退する一方であったが,ここにきて復活している。それも研究者の間にではなく,アナリストの間で広がっているのである。金価格高騰とは,ドルの金に対する購買力暴落の裏返し,通貨に対する信認の崩壊,インフレーションの表現またはその予兆だというのである。

 しかし,私は,いずれに対しても与することはできない。金の位置はアンビバレントだからである。金のような価値を持つ商品が貨幣であることは,資本主義にとって必要であるとともに制約である。だから資本主義は,ひとたびは金を貨幣としながら,金の実際の流通を回避できる代用貨幣のシステムを構築してきた(川端望「通貨供給システムとしての金融システム」研究年報『経済学』第81巻,東北大学大学院経済学研究科,2025年3月)。そのことによって資本主義は発展し,しかし,その代償としてインフレやバブルという,自己の基盤を掘り崩す問題をも発生させてきたのである。

 今この瞬間,金は貨幣として流通していない。しかし,あらゆる商品の中で相対的に貨幣に最も近いものとみなされている。この両面をともに重視する見地から,金価格高騰について考えていきたい。しかし,途中で行き詰まって止めるかもしれないことをご容赦いただきたい。何しろ,明日にはどんなショックがマーケットを襲うともしれず,言うべきこともどんどん変わっていくのかもしれないのである。

 ともあれ,金価格に対する基本的観点は,以下のようなものである。古いと馬鹿にするなかれ。時代が一回りしてみると,古い理論が実は正しかったということもあるのだ。

「金の市場価格には価格標準の逆数と,一定金量を代表する代用貨幣の支配金量の逆数を示す二つがある。前者の価格標準の切下げを反映する金の市場価格の騰貴は,兌換の停止された銀行券が流通必要金量をこえて濫発されて価格標準が事実上切り下げられても,あるいは平価の法律上の切下げや,金の買い上げ価格の引上げ,為替相場の引上げなど,価格標準を直接切り下げる方法によってもおこる。これにたいして,後者の金の市場価格の騰貴は,価格標準の切下げとはなんの関係もなしにおこる。金との自由な兌換が禁止されているときには,いろいろな事情から金選好がおこり,銀行券の代表金量にすこしの変更もないにもかかわらず,一定量の金がそれ以上の金量を代表する銀行券と交換されるという不等金量の交換があらわれる」(岡橋保『増訂 金投機の経済学』時潮社,1973年,47頁)。



2026年1月11日日曜日

賃上げ,賃上げ,賃上げと労働運動は主張すべき:高市政権がインフレを止められない状況下で,日本経済を望ましい方向に向ける短期的方策

 高市首相が何と言おうと,いま政権がやっているのは拡張的財政政策であり,需要刺激政策である。したがって,供給能力がすぐに拡大しない現状ではインフレを加速するし,行き過ぎた円安を是正もできない。日銀がそろそろと金利を引き上げて,これまで長く続いた借り手企業優遇,預金者搾取を改めているのは合理的だが,それ以上のことができるわけではない。

 すぐに政権が変わらないという条件下で,ただちに望ましい方向に日本経済を持っていく方策はあるだろうか。このままでは,物価が下がらず,物価高対策の効果が相殺されてしまうことは避けようがない。それにしても,物価だけが上がるのは最悪である。また,円安の下で,輸入物価は上がり,輸出企業だけがもうけるのも二番目くらいに悪い。輸出企業がもうかっただけでは,そこで働く人の利益にはならないことは,過去20年の実績から明らかである。

 しかし,よりましな状況を作る短期的方策はある。春闘での大幅賃上げが実現することである。賃上げをすることによって日本の多数の人の生活が救われるし,企業に対してイノベーションを促すことができる。賃金コストが上昇することこそが,企業にとって待ったなしの生産性向上,製品革新を促す力である。これによって供給能力が向上すれば,物価高も緩和される。幸いにして,今は政府も,企業経営者も「賃上げは必要」と認めているので文句がつくこともない。いまこそ,イデオロギーに関係なく,労働運動が,ただ基本的な使命のために奮起し,ひたすらに賃上げ,賃上げ,賃上げと主張するときだ。

2026年1月4日日曜日

原真『音と光の世紀:ラジオ・テレビの100年史』集英社,2025年を読んで

 本書は副題が示すように,日本のラジオ・テレビの100年史を概説したものである。まず一言で言えば,その使命を果たしている本であり,日本のラジオ史・テレビ史をまずざっと理解したい人にとってたいへん便利な本である。とくに今日では,若年層の動画視聴はテレビ放送からインターネットを基礎とした各種プラットフォームにシフトしており,高齢層は感覚的に知っているテレビ業界の構造や習慣が,若年層にとって常識ではなくなりつつある。例えば,広告モデルのビジネスゆえの番組枠の希少価値をめぐってのテレビ局,広告代理店,広告主,芸能プロダクション,制作陣の緊張関係である。これがすでに当世の常識ではなく,歴史的知識となっているのであり,改めて要領よく整理してくれている本書は貴重な存在と言っていい。新書,とくに昨今のそれという性質から個々の箇所での注記はあまりされていないが,参考文献の長大なリストは巻末に記されていて,さらなる読書や研究の手引きとなる。個人的にはラジオ産業と言えば平本厚『戦前日本のエレクトロニクス』,テレビ産業と言えば同『日本のテレビ産業』が欠かせない業績であると考えているので,前者が文献リスト,後者が本文内に注記されていたことに安堵した。

 さて,本書の書き口として明快なのは,放送メディアは権力と対峙しているし,対峙すべきという古典的視野である。このことの確認は重要である。昨今の風潮として,SNS上ではラジオやテレビが「オールドメディア」として嘲笑されることが多い。それにはそれなりの理由があるが,注意すべきは,この嘲笑においては,「オールドメディアの嘘と既得権益」が,その対極にある何らかの「真実と無私・独立性」と対置されているということである。この二分法は二つの意味で不適切である。一つは,「オールドメディア」の対極でネットメディアを「真実」,テレビで批判される人や団体を「無私」と決めつける根拠がなく,実際に事実から逸脱する主張も少なくないということである。「どうせオールドメディアは嘘ばかりの既得権益」と賢しらにいいたてられる際に,何を真実・無私とするかについてのすり替えが行われている。もう一つが本書との関連で重要であるが,この二分法の社会観には国家権力についての視点が全くないことである。国家権力と社会という観点は,いかに古い観点・理論に基づくものであろうと,ゆるがせにできないものである。国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別格扱いで監視されねばならないし,首相やその他の国務大臣はその言動について,一国民とはまるで異なる重さの責任を負っているのである。

 誤った二分法が流される情勢下において,放送メディアを担う人々が権力による恣意的な放送介入に対峙してきた歴史,国家からの独立性を確保することの重要性を強調する本書の意義は大きい。繰り返し言うと,いかにこれが「古い」観点であり,ポストモダンではなくて「モダン」であろうとも,いまなお重要なことである。

 しかし,「権力との対峙」以外の点については,本書の切れ味はいささか鈍く,問題は描かれてはいるが投げ出されたままになっている。例えば,視聴者が直接に求めるものと,メディアの担い手が留意する放送内容の公共性や「よいもの」は相違する。本書は,この相克が戦前のラジオから続くことをよく描いているが,この相克をどう考えたらよいのかについては,さほど突っ込んでいるようには見えない。

 また,テレビという放送メディア自体が権力となり,個人に対して暴力的に対峙してきたことをどうとらえるかという問題もある。「おわりに」に語られる来歴からすると,著者はこの問題に強い関心を持っているはずである。しかし,メディアが持つ権利と個人の権利の衝突に関する考察は,本書では弱い。

 テレビ局に関する「組織」としての考察も物足りない。正確に言うと,権力に対して独立しているか否かという側面についてはよく描かれているが,フジテレビ問題にみられるような,会社組織として労働者を尊重しているか,ステークホルダーを含めたガバナンスはいかにあるべきか,という点についての視点が十分定まっているとは言えない。むろん事実関係についての記述はされているが,考察が弱いのである。

 いささかないものねだりをしているのかもしれないが,視聴者ニーズとの専門家によるコンテンツ供給の緊張関係,マスメディアの暴力性,組織としてのテレビ局の在り方は,今日の「オールドメディア嘲笑」の風潮の背景の一つであり,放送の将来を考えるうえで,考察をより深めねばならないはずである。なので,もう少し突っ込んで欲しかったという気持ちが残るのである。

 まとめると,本書は,事実関係のコンパクトな整理と,政治権力から独立することの重要性という観点において際立っている。しかし,それ以外の新たな論点については物足りなさが残る。むろん完璧な本などないし,書いてあることすべてをうのみにする読書もありえない。本書はラジオとテレビについて学ぶ際に,まず手元に置くとたいへん便利であり,考えながら読むことで,得られるものは多いだろう。

 原真『音と光の世紀:ラジオ・テレビの100年史』集英社,2025年
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721392-8

2026年2月9日。誤字をなおし、わかりにくい表現を修正
修正前:「「オールドメディア」の対局で」「国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別個に監視されねばならないし」
修正後:「「オールドメディア」の対極で」「国家権力の恣意的行使は他の主体の恣意とは別格扱いで監視されねばならないし」




クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...