フォロワー

2021年2月1日月曜日

銀行はキーストロークで通貨を創造できるが,政府はそうではない:過度な「統合政府」論に反対する

 私は管理通貨制下の通貨を信用貨幣と理解する点でMMTに賛同するし,この「政府は好きなだけお金を刷っていいの? だとしたら、なぜ税金は必要なの?」という記事でケルトン教授が13歳のエイミーさんに解答していることのうち2番目と3番目に特に異論はない。つまり,課税の本質のひとつはインフレ対策であり,政府債務はインフレが起きそうになるまでは拡大して良く,インフレを起こさないためには人や設備,生産力を確保しなければならない(※1)。しかし,以下の1番目の回答はおかしいと思う。

(引用)--

Q:政府は好きなだけお金を作る(刷る)ことができるのか?

A:政府が扱うお金とは、概ねキーボードでコンピューター上に打ち込むものに他ならない。例えば、空母が必要だとすれば、空母を作る人たちにお金を打ち込むだけで、その金額分のお金をいちいち刷っているわけではない。

 なので、この質問は「政府は欲しいものを買う余裕があるのか」と言い換えることができ、それに対する答えは「イエス」。

--

 ケルトン教授は,政府がキーストロークで通貨を創造して,それで支出を行うことができるという。これは政府と中央銀行を合体して統合政府とみなせるならば正しい。MMTに限らず,一定の事項について,一定の条件下で統合政府を語ることは理論的にもっともだ。しかし,現実のほとんどの国において,政府と中央銀行は別組織である。両者が別建てであることは,財政支出を考えるときどうでもよいことではない。

 中央銀行は,確かにキーストロークで通貨を創造できる。そして,それは自己の資産を創造するのではなく,自己宛ての債務,具体的には中央銀行預金を創造するのであって,その支出は金融取引,つまりは貸し出しや債券の購入に限られている。例えば民間銀行に貸し出しをし,民間銀行から国債を買う。中央銀行は,銀行であるがゆえにこうした「自己宛て債務による信用供与や信用代位」が当然に可能なのである。

 対して,中央銀行ではない狭義の政府は,多くの場合,通貨創造の主要な担い手ではない。もちろん硬貨や政府紙幣を発行することはできるが,その形式は多様である。理論的には,政府は硬貨・政府紙幣に強制通用力を付与し,架空の資産価値を付与して発行することもできるし,政府債務として発行することもできる。日本政府のように,硬貨は政府にとって資産価値を持つものの,生み出した硬貨で財政支出することはできない仕組みになっている場合もある(※2)。このように,狭義の政府による通貨発行権は多様であるが,しばしば制限されている。なぜ制限されていてかつ多様なのかというと,たいていの場合,通貨発行の主要な担い手は中央銀行と想定されているからであり,また狭義の政府は銀行の原理で動いていないからである。

 ケルトン教授は,この違いを本質的でない,どうでもよいものとみなしている。だが,私にはそうは思えない。政府と中央銀行は,一定の条件下では統合政府とみなしてよいものの,別の役割を持つ,別の性質を持つ組織とみなすべきだ。中央銀行は,キーストロークで当然に通貨を創造できる。それはよい。しかし,狭義の政府は当然にはそれはできないとみなすべきだろう。

 だから,狭義の政府が大砲に対してであれバターに対し手であれ支出しようとすれば,その支出は,硬貨や政府紙幣ではなく,中央銀行券か中央銀行預金で支払わねばならない。現実を説明するモデルでは,まずもってそう想定すべきだ。この場合,たとえば政府は小切手で業者に1億円を払うことはできる。しかし,その小切手は大砲メーカーまたばバターメーカーが民間銀行に持ち込み,民間銀行は政府に支払いを要求し,中央銀行が,1億円を中央銀行に政府が持つ預金から民間銀行が持つ預金へと移動させるだろう。だから,政府預金が無尽蔵にあるのではない限り,狭義の政府は,歳入を超える支出のためには,国債を発行して資金調達しなければならないのである。

 国債発行によって政府債務が増大する。民間銀行は低成長時代には過剰準備となっている中央銀行当座預金を取り崩して国債を引き受ける。それが難しそうならば,中央銀行が事前に既発債を購入するか事後に引き受け銀行から購入して,キーストロークで必要な当座預金を供給するだろう。この政府債務が国内通貨建てである限りデフォルトしないことは,MMT派とケルトン教授の言う通りである。

 しかし,債務がデフォルトしないからと言って,「政府はキーストロークで通貨を創造して財政支出ができる」のではない。「中央銀行が過去または現在にキーストロークで創造した通貨が裏付けとなれば,政府が赤字支出し続けられる」というべきであり,これ以上省略して中央銀行と政府を一体とみなすことは適切ではない。中央銀行と狭義の政府は別の原理で動く別組織である。確かに両者は,多くの場合は協調する。しかし,それぞれの制度的制約の中でそうするのであり,またいつでもどこでも100%協調する保証はないのである。

 MMTが,理論的にそうみなすべき時に統合政府を持ち出すのは良いとしても,「政府はキーストロークで通貨を創造して財政支出ができる」というのは過度な単純化であり,現実の財政を論じる際には不適切だろう。

※1 ただし,インフレまたはバブルになるまでは,というべきだろう。バブルも警戒しなければならない。

※2 日本政府は発行した硬貨を日銀に交付する。このとき,政府の日銀に対する預金は増えるが,これは政府当座預金とは別口の預金になり,政府が財政支出に用いることはできない。以下を参照。
渡部晶(2012)「わが国の通貨制度(幣制)の運用状況について」『ファイナンス』8, 18-31。


「13歳の疑問に対する,経済学者のまさかの回答 政府は好きなだけお金を刷っていいの? だとしたら、なぜ税金は必要なの?」COURRIER Japon, 2020年1月30日。



0 件のコメント:

コメントを投稿

大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...