現代の管理通貨制のもとで経済が成長するときに,流通に必要な通貨はどのように供給されるのだろうか。ここには,一見矛盾する二つのもっともらしいストーリーが存在する。この二つは実は両立するのだが,両立の論理は我々の直感と必ずしも一致しないし,経済学の様々な学派の常識とも必ずしも一致しない。
1.経済が成長すれば必要な通貨量は増大する
貨幣・通貨の種類は問わずに,資本主義経済が成長し続けていると考えよう。企業は生産活動を行い,利潤をあげ,これを一部は資本所有者の所得として配当し,それ以外は再投資する。労働者は労働力の再生産費を基準とした賃金を得る。経済が成長し続ければ,企業利潤は増大し,雇用は拡大するので賃金総額も増大する。流通する財・サービスの付加価値総額は拡大する。
したがって,いま貨幣の流通速度を一定とすれば,流通のためにより多くの通貨が必要となる。一方,資本の回転の中で一時的に遊休する貨幣,設備投資のために積み立てねばならないために一時的に遊休する貨幣,資本家個人や労働者個人が一定期間支出せずに貯蓄する貨幣も増大する。
以上のことは常識であり,何もまちがっていない。
2.預金通貨は貸し付けによって供給され,返済によって消滅する
現代の通貨の基軸は預金通貨=要求払い預金と現金=中央銀行券である。預金通貨は,銀行が主として企業,場合によって個人に貸し付けることによって創造される。振り込みや小切手などをとおして預金通貨によって支払いがなされると預金は移動するので,個別銀行の預金は増減するが,預金量の総量は変わらない。また預金が降ろされるときは,銀行から企業(や個人)に中央銀行券で支払われる。銀行は中央銀行券を,貸し付けや信用代位によって供給される中央銀行当座預金を降ろすことによって入手する。このときに中央銀行券は発行される。中央銀行券は企業による支払いにも使われるが,主に個人による小口の支払いに使われる。そして預金として預けられることがあると銀行に戻る。銀行はこれを手持ち現金としてもよいし,日銀当座預金に預けても,日銀への返済に使ってもよい。中央銀行に戻った中央銀行券は破棄される。
いま仮に政府が均衡財政を実施しているとすると,上記の民間経済の仕組みの中では,流通に必要な預金通貨は銀行からの貸し付けによって供給され,返済によって消滅することになる。中央銀行券は,現金流動性の必要に応じて預金通貨が置き替えられたものである。
以上のことも,少なくとも銀行実務に通じた人にとっては常識である。
3.1と2はどのように両立しているのか。
では,1と2はどのように両立するのか。1によれば経済成長とともに流通する通貨は増えて行かねばならない。しかし2によれば,通貨は貸し付けられ,回収されるだけであり,その動きは基本的にゼロサムである。ここから理論的な混乱が起こりやすい。
4.典型的な混乱
混乱a。 1だけを見ると,貨幣は社会の拡大再生産によって増加していくように見えて,2が間違いだと思えてくる。だが,付加価値は増えても,魔法のように中央銀行券が増えるわけではないことはすぐわかる。預金通貨も同じである。企業が利潤を上げる時は,投下した資本よりも高い付加価値を体現した財・サービスを販売して通貨を手に入れるわけだが,そのためには財・サービスの買い手があらかじめ通貨を持っていなければならない。企業と個人の所得がいくら増えても,銀行以外の企業や個人は通貨をつくれない。
混乱b。そこで,1の常識を延長し,遊休する貨幣が預金となって金融機関に集積され,原資(本源的預金)となって,その何倍かの貸し付けが行われるという,教科書的信用創造論で考える論もある。こうすれば中央銀行券は増えずとも,預金通貨は最初に預けられた現金の何倍かに増えると考えるのである。しかし,これでも解決はしない。最初に遊休する預金通貨や,最初に預金として預けられる中央銀行券はどこからきたのかという問題に答えられないからである。預金は,まず貸し付けによって生まれて,それが点々と流通するのであり,中央銀行券は預金が引き出されたからこそ流通に入るのである。そうした預金が遊休したり,中央銀行券が預金として預けられたからと言って(※1),何も増えることはない。銀行に(ただしおそらくは最初に貸付を行ったのとは別の銀行に)還流しただけであり,元の金額が維持されるだけである。信用創造が行われるとか,信用創造で預金が増えるとかいうのは,貸し付けられた時にだけ起こるのであり,預金が預けられて増えるのではない。
5.両立の論理:返済を上回る貸付と,その範囲での遊休貨幣の動員
1と2が両立する唯一の論理は,流通に必要な通貨の増大は,返済を上回る貸し付け,すなわち信用創造の拡大によってまかなわれているということである。社会全体として見た場合に,債務が返済される以上に貸し付けが行われるという運動が連続的に生じ続けることが,通貨供給量を増大させる。通貨の増大イコール債務の増大なのである。
もちろん,いったん貸し付けられた預金通貨や,それが降ろされた現金は,様々な場面で購買手段や支払い手段として流通に入り,財・サービスの価値を実現する。そして様々な形で遊休する。タンス預金もあれば,貯蓄性預金もあるだろうし,流通市場での金融資産購入にまわされる場合もある(なお,発行市場での証券投資は実物経済の投資に結びつく)。だから,ある時点で見れば,必要な通貨の増大は,遊休していた貨幣が流通に引き戻されることによっても実現する(ここで遊休と金融的流通の区別・関連をどう見るか問題があるが,今は脇に置く)。
しかし,遊休している預金や中央銀行券と言えど,そもそもはどこかで銀行から貸し付けられた預金に由来するものである。その貸し付けは踏み倒すのでない限り,いつかは返済されなければならない。だから遊休貨幣も,結局,返済を上回る貸付という大きな運動によって供給されるものであり,それがなければ存在し得ないのである。
6.マルクスを拡張し,シュムペーターに注目する
以上の通貨供給論は,マルクスの貨幣流通法則論(商品流通の必要によって貨幣流通量が決まる)を預金通貨と中央銀行券に適用すれば導出可能である。ただし,マルクス当人は預金について多くを書き残さなかったので,この論理展開を導くには,マルクスの個々の記述ではなく体系に依拠し,後続者が独自に理論構築することが必要であった。しかし,その過程でマルクス派も他の学派とともにaやbの迷路にはまりやすかった。また中央銀行券と国家紙幣を混同し,中央銀行券に紙幣流通法則論(投入された紙幣総額によって紙幣流通量が決まる)を適用して万年インフレ論を説くきらいもあった。
この通貨供給論と親和性の高いことを直接に述べていたのは,実はシュムペーター『経済発展の理論』である。シュムペーターの経済発展論は,まずワルラス的静態均衡を仮定し,しかるのちにこれを経済発展の動態モデルに移行させようとする。すべての資源が有効利用されている均衡状態から出発して,それでも経済発展をさせようと思えば,企業者行動によって生産関数をシフトさせる革新を行うしかない。その際に必要な資源は他部門から引き抜かねばならない。だから創造でなく創造的破壊という。しかし,資本主義経済において資源を略奪するわけにはいかない。ではどういう方法をとるかというと,銀行が信用創造によって企業者に貸し付け,企業者はこれによって資源を調達するのである。ここで重要なことは,シュムペーターは,資源は無から作り出すことはできないが,貨幣だけは銀行によって無から創造され得ると考えていたことである。この理論の重要性は,今日もっと強調されるべきだと思う。
7.財政赤字と通貨供給
なお,以上の通貨供給論は全くの内生的貨幣供給論である。しかし,これと異なる通貨供給がなされるルートも存在する。それは,財政赤字による通貨供給の増大である。よく知られているのは中央銀行が国債を引き受ける場合であるが,実はそれだけではない。民間銀行が国債を引き受けても,通貨供給量は外生的に増加する(※2)。このような外生的貨幣供給の作用は独自に検討しなければならない。
※1 この遊休のあり方については別途考察が必要だが,さしあたり単純な形態として,支払を受けた企業が差し当たり事業に投資しないお金を定期性預金にしていると考えておけばよい。
※2 なぜそうなるのかの説明は,以下をご覧いただきたい。「民間銀行が国債を引き受けても,通貨供給量は外生的に増加する」Ka-Bataブログ,2020年12月5日。
後記:上記1-7は,岡橋保,村岡俊三,松井和夫,楊枝嗣朗,大畠重衛,ランダル・レイ,吉田暁ら先学の見解を学びながら考えたものである。特に,最近になって気づいたが,1-6までは吉田暁氏の見解と一致する。吉田暁『決済システムと銀行・中央銀行』日本経済評論社,2002年,吉田暁「実践感覚から理論への期待」『信用理論研究』20,2002年,「内生的貨幣供給論と信用創造」『経済理論』45(2),2008年などを参照。ただし7はおそらく吉田氏と異なる。他方,2,7は,またおそらく5も現代貨幣理論(MMT)と一致する。
2021/2/23 「混乱b」の項を改訂。サブタイトルを削除。
0 件のコメント:
コメントを投稿