貨幣論の講義を終えての理論的反省。昔からある話だが,マルクスの貨幣理論を古典的理解のままさほど改変せずに入門講義をしようとすると,管理通貨制を説明できるかという問題に突き当たる。私見では,これは大きく二つの領域に分かれる。
1)「流通必要金量」概念とそれによる論理構成は維持できるか。管理通貨制の下で,何らかの商品貨幣の物量によって貨幣の流通必要量を定め,それに対する紙幣や銀行券の代表量を論じる構成は維持できるか。
2)貨幣流通法則と紙幣流通法則の区別は現実性を持つか。不換銀行券や補助硬貨がすべて紙幣流通法則にしたがうのであれば,貨幣数量説とマルクス理論は区別されるのか。
1)の方が難問である。あっさり否定するのは簡単であるが,そうすると色々な論理構造を連動して変えねばならず,非常に複雑な作業となる。かつて私が院生の頃,研究科内で田中素香教授と村岡俊三教授の見解が真っ二つに割れたことを覚えている。両方のゼミに出ていた院生はたいへん張り詰めた空気を感じざるを得なかったという(私は村岡ゼミにしか出ていなかったので,緊張は半分で済んだ)。いわゆる価値尺度商品の想定の問題であり,正直,私にもこちらはまだ整理がまだつかない。正直に言うが,スラッファ理論の訓練を受けなかったのがたたっており,現代的な議論についていけそうにない。
私にとっては,2)は1)に比べれば何とかなりそうだと思っている。マルクスの言葉で貨幣流通法則にしたがうとは,現代の言葉では,内生的貨幣供給とほぼ等しい。紙幣流通法則はその逆で,貨幣の外生的供給の論理である。どのような通貨のどのような供給が貨幣流通法則にしたがい,したがって貨幣的インフレーションを起こさないのか,何が紙幣流通法則にしたがい,貨幣的インフレーションを起こすのかは,何とか論じられると思う。それが先日の投稿「管理通貨制下の中央銀行券はどのような場合に貨幣流通法則にしたがい,どのような場合に紙幣流通法則にしたがうか」である。これでもまだ不十分な点はあるが(国債発行の際の通貨供給増を中央銀行券の増発と単純化しているが,これでは預金通貨の動きをカバーしない),説明不可能に陥る危険は今のところ感じない。
しかし,この整理によって,私はマルクス経済学の多数の解釈とも,また今まで基本的に従って来た不換銀行券=信用貨幣説の先達,すなわち岡橋保教授と村岡俊三教授ともある点で異なる見地に立つことになった。それは,国債を民間銀行が引き受けた場合にも,通貨供給量は一方的に増大するとみる点である。
マルクス経済学者は,不換銀行券=国家紙幣説であれ不換銀行券=信用貨幣説であれ,国債を中央銀行が引き受けた場合には紙幣流通法則が作用し(=紙幣が外生的に供給され),通貨供給量が一方的に増加して,貨幣的インフレ作用が生じると考える。私の知る限り,ほぼ例外はない。しかし,逆に国家紙幣説であれ信用貨幣説であれ,国債を民間銀行が引き受けた場合には,流通界から政府が紙幣を引き上げ,再び投入すると考える。この場合,流通法則をどちらで考えるかは別として,通貨供給量は変化しないと考えるのが通説である。岡橋教授は明らかにそうであるし,村岡教授は書き記してはいないかもしれないが,口頭の議論からは同様であったと私は理解している。
しかし,そうではないと私は考えるに至った。中央銀行が引き受けようが民間銀行が引き受けようが,通貨供給量は増えるのである。以下,中央銀行券と預金の動きを説明する。
・中央銀行引き受けの場合
1a)政府が中央銀行券で支出すれば,「政府預金増→政府が中銀券で預金を降ろして支払→支出先企業の中銀券増」
1b)政府が銀行振り込み支出すれば,「政府預金増→政府支出・政府預金減→支出先企業の銀行預金残高増→預金された銀行の中央銀行当座預金増・政府預金減」
となる。明らかに通貨供給量が増えている。
・民間銀行引き受けの場合
2a)政府が中央銀行券で支出すれば,「銀行の中央銀行当座預金減・政府預金増→政府が中銀券で預金を降ろして支出→支出先企業の中銀券増」
2b)政府が銀行振り込み支出すれば,「銀行の中央銀行当座預金減・政府預金増→政府支出・政府預金減→支出先企業の銀行預金残高増→預金された銀行の中央銀行当座預金増・政府預金減」
となる。これも通貨供給量は増えている。2a)ではかわりに中央銀行当座預金が減っているが,企業が中央銀行券を預金すれば準備も回復し,その圧力はなくなる。2b)では中央銀行当座預金が減りもしない。
通説が誤っているのは,国債を民間銀行が引き受けると,通貨が民間から引き上げられる(よく使われる表現では民間貯蓄が吸収される)とみなしているところである。そうではない。国債の代金は流通の外にある(マネタリーベースに含まれるがマネーストックに含まれない)中央銀行当座預金から政府預金に振り込まれるのである。なので銀行が国債を引き受けても通貨は民間から引き上げられず,民間貯蓄は吸い上げられないのである。もちろん,民間銀行からさらに民間投資家に売却されれば別である。この場合,投資家の持つ中央銀行券や預金が減少するために通貨は引き上げられる。
この見解の帰結は,重大な問題を派生させる。この見解に従えば。国債が中央銀行によって引き受けられようが民間銀行によって引き受けられようが,紙幣流通法則が作用し(通貨が外生的に供給され),貨幣的インフレ圧力が生じるはずだからである。現実にはどうか。日本をはじめとする先進諸国が財政赤字を出し続けているにもかかわらず,1980年代以降,物価上昇率は下落の一途をたどり,ついには物価上昇率を引き上げよという政策的主張が交わされるに至ったのである。一体,このことをどう理解すればよいのか。これが次の問題となる。
なお,貨幣の種別と流通法則をまとめた表を,政府の財政赤字で預金が増加した場合を含めて書くと以下のようになる。
2021年2月19日。加筆。
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