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2022年4月27日水曜日

砲火の背後で企業は政治的選択を迫られ,貿易と投資が縮小していく

 ロイターによれば,中国のドローン大手DJIは,ロシア・ウクライナ事業を一時停止したと発表した。「危害を与えるため当社のドローンが使われることを好まない。戦闘に使われることがないようこれらの国で販売を一時停止する」とのこと。しかし,高口康太氏の記事からすると,その背景には,DJIが提供するドローン検知サービス「エアロスコープ」をロシア軍が使っているのに,なぜかウクライナ側が使えず,ウクライナのフェドロフ副首相がDJIに抗議したという経緯があるようだ。

 DJIの選択肢は,ドローンが両軍によって等しく軍事用に用いられるようにするか,疑われたようにロシアに味方するか,中国政府の姿勢に反してウクライナに味方するか,取引を停止するかであった。最初の一つを選べば戦争のエスカレートを担うことになる。真ん中の二つは政治的に立場を選ぶことであり,前者を選べば多くの国の市場で,後者を選べば中国国内で会社の立場を危うくする。最後の一つは選択を避けて事業を縮小することであった。ここで言いたいことはDJIに政治的にどうこうしろということではない。経済的に,後の方の3つが,いずれも取引を縮小するものであったことに注意を促したいのだ。

 この戦争が決着するにしても,どの国とも政治的立場を気にせず自由に取引できるという環境は戻らないであろう。立場を選ぶか,それが嫌なら撤退するかを迫られる時代となる。こうした立場に追い込まれるのは中国企業だけとは限らない。どの国の企業であれ,取引をすることが対立する諸陣営のどれかにつくことを意味してしまい,いちいち選択を迫られることになりかねないのである。

 企業が経営を守るために選択することは,よほど人道に反しない限りはやむを得ない。あるいは,人道のために利益を捨てることもあるだろう。繰り返すが,ここでは企業がどうすべきかを言いたいのではない。多くの企業の選択を通して,世界全体として貿易と投資が制約され,産業と生活に打撃を与えるだろうということを強調したいのである。砲火の背後でそうしたプロセスが進行していることに注意しなければならない。


「中国ドローン大手DJI、ロシア・ウクライナ事業を一時停止」2022年4月27日。

高口康太「海外展開が困難に? 中国企業が抱える大きな難題」WEDGE REPORT,2022年4月20日。



2022年4月21日木曜日

アゾフスターリ製鉄所とは

 ウクライナのマリウポリに位置するアゾフスターリ製鉄所のスペック。いまは人命が何より大事であるが,それだけに製鉄所がもともとどのようなものであったか気にする人も少ないだろう。鉄鋼オタクの任務としてこの製鉄所を保有するMETINVEST社の英文サイトから整理しておく。スペックはすべて同社の自称による。生産能力や生産高はすべて年単位。

 アゾフスターリ製鉄所は,ウクライナのMETINVEST社の傘下にある銑鋼一貫製鉄所。ソ連時代の1933年に建設された製鉄所を起源とする。高炉,転炉,連続鋳造機,ブルーム・ミル,厚板ミル,レール・形鋼ミル,大型形鋼ミル,レール留め具工場を持つ。銑鉄生産能力570万トン,粗鋼生産能力620万トン,最終製品圧延能力470万トン。

設備能力
*原料処理工場
・182万トンの設計能力を持つ3基のコークス炉および副生品工場。

*製銑コンプレックス
・合計8753立方メートルの内容積を持つ5基の高炉。設計能力は555万トン。

*製鋼コンプレックス
・350トン/タップの容量を持つ2基の純酸素上吹き転炉を備えた製鋼工場。製鋼能力529万3060トン。
・2基のツイン式取鍋製錬炉,2基の真空脱ガス炉を備えた二次精錬工場。
・4期の2ストランド湾曲式連続鋳造機。
・2011年の平炉閉鎖後に設置された造塊機

*圧延コンプレックス
・ブルーム圧延機。レール,ビーム,大型形鋼向け。
・厚板圧延機。能力195万トン。板厚6-200ミリ,板幅1500-3300ミリ。
・レール・構造鋼圧延機。能力142万2000トン。棒鋼,形鋼,様々なタイプと用途のレールを製造。
・大型形鋼ミル。能力95万トン。多様な棒鋼を製造。
・レール留め具工場。設計能力28万5000トン。
・レール留め具工場内の棒鋼圧延部門。鉱石や様々な非金属性原料処理のために工業やその他の産業で用いられる,直径40-120ミリの研磨用鋼球を製造。設計能力17万トン。

製品
・スラブ。板厚220-330ミリ,板幅1250-2100ミリ,長さ5000-12000ミリ。アゾフスターリ製鉄所は外販用スラブの世界最大級の生産者の一つ。
・厚中板。板厚6-200ミリ,板幅1500-3200ミリ,長さ6000-24400ミリ。造船,発電,特殊機械,橋梁,北極圏の石油・天然ガスパイプラインに使用される大径鋼管の製造に供している。
・棒鋼・形鋼。国内外に出荷。様々なサイズの建設,輸送,一般機器,鉱山向けアングル,ビーム,チャネルなど,大型・中型形鋼を製造。
・レール。ウクライナのすべての鉄道および一部のロシアの鉄道はアゾフ製鉄所のレールを装備。ウクライナの需要に応じる分以外は輸出している。広軌,標準軌,狭軌のレール,クレーンレール,フックフランジガードレール,転轍ポイントレールを製造。
・レール留め具。
・研磨用鋼球(前述)。
・角ビレット。鋼塊から製造され,棒鋼・形鋼加工用となる。ビレットは6000-11800ミリの長さに切断されて供給される。
・冶金スラグ製品。セメント,ロックウール,路盤材,油圧構造材,研磨剤,瀝青製品向けとして用いられる。
・化成品。液体アルゴン,液体窒素はエンジニアリング,アルミニウム・非腐食性金属の溶接,医療,建設,農業で用いられる。。クリプトン―キセノン,ネオン―ヘリウム混合物はさらに加工され,電子産業,化粧品産業,軍産複合体で用いられる。
・粒状コークス,粉状コークス,コールタールピッチ,原炭ベンゼン,硫酸アンモニウム,工業用ガス状硫黄を販売する。

<コメント>
 アゾフスターリ製鉄所は,大型製鉄所と言える生産規模を持っている。服部倫卓氏の詳細な研究が明らかにしたように(「ロシア・ウクライナの鉄鋼業の比較」『比較経済研究』52(2),2015年),ソ連時代の後遺症で平炉や分塊圧延機が残るなど旧式技術が用いられていたが,一定の現代化が進んだ模様。
 ただし,製品は旧来の構成のままである。その最たるものは,スラブを筆頭に半製品を販売していること。粗鋼能力と圧延能力の差から見て,フル操業時に150万トン以上を半製品のまま出荷するのだと考えられる。おそらくヨーロッパ向けに輸出しているとみられる(Nozomu Kawabata, Where is the Excess Capacity in the World Iron and Steel Industry? –A focus on East Asia and China–, RIETI Discussion Paper Series, 17-E-026, 2017) 。他の製品も,棒鋼,形鋼,厚中板と,建設・重機械向けが多い。薄板類の生産は全く行われていない。これは耐久消費財産業がウクライナ国内において弱く,またヨーロッパにおけるそれらの産業に輸出するほどの競争力がないからだろう。ただし,厚中板は造船向けやパイプライン用大径鋼管に用いられるとしており,従来の製品構成の範囲内で高度化を図ってきたのだと考えられる。
 今は何より人命が問題だが,戦災の規模によっては,アゾフスターリ製鉄所の操業停止はウクライナの経済復興を制約するだろう。鉄鋼の国際市場への影響はこの製鉄所ひとつでは大きくはないだろうが,ウクライナの他の製鉄所が同様に操業停止に追い込まれ,各国がロシアからの鉄鋼輸入を禁止するとなると,話は異なる。ヨーロッパでもっとも起こりそうなことは,スラブ(鋼板用半製品)の不足である。その分だけ,他の新興国鉄鋼業には参入機会となる。例えば,電炉による鉄鋼業が急速に成長しているトルコからの輸入が増加するだろう。

METINVEST英文サイト

2022年4月18日月曜日

財政政策論:財政赤字は後の世代に負担を負わせるものではない

  「財政赤字は今の世代が需要増大の利益を享受して,債務返済の負担を後の世代に負担を負わせるものだ」という議論への反論動画。やや解説が足りない点が残ったかもしれないので補足しながら述べる。

 そもそも財政赤字は完済すべきものではない。赤字であるべき時は赤字に,黒字になるべき時は黒字であればよく,そして長い期間を通してみれば財政赤字は次第に累積していくものである。前の動画でも触れたが,政府が完全雇用という人的資源の完全利用を目標とするならば,非自発的失業に需要創造で対処せざるを得ないからであり,それは金融政策だけでは十分できず,赤字財政によってなさざるをえないからである。政府債務は完済すべきものでないならば,完済を前提にした議論をすること自体がおかしい。借り換え続ければよいし,債務の総額も景気変動に応じて上下しながら,結局は増え続けるだろうからである。

 本当はこれだけを言ってもよいのであるが,「将来世代負担」論はあまりに大勢の人の間に定着しているので,その土俵上での議論も必要である。ある時点でのある金額の財政赤字についていえば,その需要創造の恩恵は現在の世代が享受し,債務返済は後の世代が負担するということにならないだろうか。ならないというのがこの動画の見解である。

 まず,需要創造の恩恵を現在世代だけが享受するという決めつけがおかしい。長期間用いることのできる物的インフラや制度を整備すれば,その効用は後の世代にも及ぶからである。むしろ,民間企業ではできないような物的・制度的インフラへの投資を財政赤字を出して行わなければ,将来世代の効用をも損なうことになる。無駄遣いのための予算を引き出すための政治的口実にされるリスクがあろうとも,この命題の正しさは変わらない。現にコロナ禍になって,政府はあらかじめ感染症の研究にもっとお金を使うべきであったし,逆に保健所のリストラなどすべきではなかったことが明らかになっているのである。ダムがムダな時代があったとしても,保健所リストラは誤りであった。過去にあらかじめ財政支出をして保健所にもっと投資し,PCRの行政検査体制も整備しておけば,コロナ対策がパンクすることを防げたというかたちで,現在の人々が利益を享受できただろう。

 次に,「将来世代の負担」という議論は,あたかも将来世代にお金が無くなってしまうかのように響く。これが誤りである。国債発行を通した財政支出は,あくまで同時点でのお金の貸し借りである。現時点では国債購入者に債権が発生して政府が支出し,その利益は何らかの形で現在・将来の国民が享受する。返済の際は,納税者が課税され,その時点での国債保有者に返済されて,国債保有者が支出したり,支出せずに貯蓄したりするのである(なお,日銀保有の国債ならば日銀の利益となり,政府に納付されるだけである)。返済の時点で納税者のお金が国債保有者に回るのは,その時点での所得分配の問題である。お金がタイムスリップして過去に飛んでなくなってしまうわけではないことが肝心である。だから,将来の所得再分配政策によって,納税者の負荷は下げることができる。過去の国民がお金を使ってしまったのではなく,その時点での所得の偏りを是正すればよいだけのことなのである。





2022年4月12日火曜日

リカード・バローの中立命題に対する全面否定論としてのMMT

 財政政策の有効性その3。この講義では,リカード・バローの中立命題に対する全面否定論としてMMTを位置付けた。またそれは講義する私の立場としては,マルクス経済学の信用貨幣論,ケインズのある種の解釈,MMTの信用貨幣論の一致するところでもあるとしている。

 MMTがなぜ中立命題全面否定論かというと,財政赤字がない状態を正常な状態と見なすのではなく,財政赤字があって,おそらくは徐々に拡大していく状態を正常と見なす理論だからである。正確に言えば,政府が完全雇用という人的資源の完全利用を目標とするならば,そうならざるを得ないという理論である。この認識が一般化すれば,「納税者は財政赤字を出して需要を拡大しようとする政府に対して,将来増税があると予想して支出を増やさずにおく」という行動は合理的でも何でもなくなるのであり,中立命題の前提が成り立たなくなる。

 同時にこの講義は,MMTを含む信用貨幣論を,財政をいくらでも拡張できる魔法の杖とはみなしていない。自国通貨建て債務ならば,債務総額やGDP比は問題ではない。しかし,悪性インフレ,バブル,それとおそらく連動する為替レートの急落,金利を下回る成長率が,赤字財政による需要と雇用創造の限界を画すという立場である。

財政政策の有効性(3):MMTによる中立命題全面否定論 現代資本主義におけるマクロ経済政策㉗




2022年4月11日月曜日

松尾匡・井上智洋・高橋真矢『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』の信用創造廃止論:やはり「気持ちはわかるが,無理だ」と思う

 松尾匡・井上智洋・高橋真矢『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』光文社,2021年。松尾氏と井上氏は信用創造廃止・政府通貨論者らしいと聞いて興味を持ち,読んでみたのだが,その主張が飲みこめなかった。本書には多様な主張が含まれているが,ここでは信用創造廃止論,信用貨幣の廃止と政府通貨の創設論,それとかかわった金融システム・財政システムの改革論の大枠についてのみ対話したい。

 本書の主張には,共感できるところもある。私なりにまとめると,著者たちは現行の金融システムは民間銀行による信用創造によって成り立っていると理解している。私もそう思う。また著者たちは「様々な反緊縮論の共通点は,金融政策でなく財政政策を活用して,人々のための経済政策をやって行こうということであり,そのために一定程度まで財政赤字を出すことはサステナブルだと考えている」から,そこを一致点として確認しようと考えている。この点もまったく賛成である。

 しかし,信用創造廃止の積極的主張をされる時に,どうしてそれがサステナブルだと考えるのかが,よくわからない。十分説明されているとは思えないのである。信用創造廃止論だとどういう価値観に立つことになり,MMT論者だとどういう価値観に,ということは書かれているが,肝心の信用創造廃止後の金融システムがどのように機能するのかが,本書ではわからない。他の本や論文で詳しく論じられているのかもしれないが,本書は一つの作品なのだから,本書だけで概要はつかめるようにしていただきたかった。

 民間銀行による信用創造がある限り,バブルの危険があり,通貨創造で民間銀行が設けてしまうという批判はわかる。批判としてはそのとおりである。しかし,信用創造を失くす,具体的には銀行の貸し出しに100%準備を強制し,信用貨幣は廃止して政府または中央銀行が政府通貨を発行する,というしくみにした場合に,金融システムがどのように貸し出しニーズにこたえるのかがわからない。バブルを引き起こす投機目的の信用創造をシャットアウトするのはいい。しかし,いったいどうやって,民間企業の,投機目的でないまともな借り入れのニーズに応えるのだろう。つまり,設備投資とか運転資金とか決済資金とかの借り入れニーズの変動に,どのように対応するのだろうか。企業が借りたいと言っても,「当行に中央銀行が与えてくれた準備預金の枠を超えたからダメ」と言われるとおしまいであり,あまりに柔軟性がない。中央銀行が銀行に供与する準備預金を調節するにしても,日々の変動に対応できるものではなかろう。信用創造廃止・100%準備預金制度は,信用ひっ迫を起こしやすくすると思う。

 推定になるが,おそらく著者は,そこは政府通貨による財政拡張で補うのだと考えているのだろう。政府通貨による財政拡張の結果,通貨はやがて十分に市中に出回るようになるということだろう(誤読であれば申し訳ないが,ここのところが説明されていないから,本書の主張が飲みこめないのである)。したがって,個人や企業が銀行なり投資銀行なりに,預金なり預け金なりとして持ち込むお金も増える。それを原資にして金融仲介をすれば,信用創造がなくても十分金融システムは機能するということだろう(※)。いわば「銀行から証券へ」「銀行から種々のファイナンス・カンパニーへ」の新しいバージョンともいえる。

 しかし,財政資金を十分散布することを前提に金融仲介をする,というこのしくみには問題がある。まず柔軟性の問題である。原資が財政資金だということは,国会での議決に基づいて,年度単位で編成される予算によって供給されることになる。このような資金は,総量を拡張することは可能であっても,日々のニーズに応じる柔軟性はない。先に述べた準備預金の調節も財政支出の調節も,日々,貸し出しの現場でなされる信用創造の調節に比べると柔軟性は格段に劣るのである。

 次に,自動調節の弱体化の問題である。現行システムにおいては,遊休して証券投資に充てられるお金も,もとをたどれば財政資金として支出されたものか,あるいはどこかの銀行から信用創造によってつくりだされ,誰かに貸し付けられたお金である。このうち後者は,企業や家計が必要であるから借り出したお金である。そして,必要なら何度も借り換えるであろうが,不要になれば最終的に銀行に返済され,消滅する。そういう意味では,財・サービス購入に向けた信用創造による通貨供給は内生的であり,必要なだけ供給され,不要になれば消えるのである。いわば金融システムから供給される通貨供給量は自動調節されるのだ。ただし,投機のための借り入れが行われることがあり,そうすると通貨は金融的流通に回ってしまってバブルが発生する。そこに問題がある。

 対して政府通貨システム・信用創造廃止の下での通貨供給では,どうなるだろうか。金融システムを通した内生的供給は制限されるので,当然,十分な通貨供給を財政システムに依存することになる。財政システムによる通貨供給は,政治的意思決定に基づく外生的なものである。そのため,通貨供給量の自動調整機能は,金融システムより劣っているとみなさざるを得ない。銀行融資の貸し付けと返済によって通貨が膨張・収縮するルートが制限されているからである。一方,財政赤字を許容する財政思想で,民主的意思決定に基づく財政政策を取れば,悪性インフレのリスクが発生する。これ自体は現行システムでも同じであるが,信用創造を廃止して信用貨幣を政府貨幣で置換えた場合,金融システムの縮小を財政システムの拡大で補うから,このリスクは現行システムよりもずっと高くなるだろう。

 また,信用創造を廃止しても,それだけではバブルは根絶できない。財政支出によって十分なお金が市中に出回っているとして,その結果,家計や企業によって金融機関に大量のお金が持ち込まれれば,金融機関は何とかそれを運用して利益を出さねばならない。そうすると,現在のノンバンクや投資銀行と同じく,ハイリスク・ハイリターンの証券での運用や貸し出しに運用が偏るという問題が生じる。サブプライム危機で問題になったような,一つの資産を基礎に資産担保証券を幾重にも発行する手法も,信用創造を禁止しただけではなくせない。政府通貨の供給量を多くすればするほど,こうしたバブルの危険も増す。信用創造廃止だけでバブルを根絶できると期待すべきではない。

 対比してまとめよう。民間銀行による信用創造が可能な現行システムは,通貨が財・サービスの購買に向けられる限り,通貨供給量の自動調整機能を持っている。ただし,金融資産の購買に大量に向かったときに歯止めを失い,バブルとなる。対して信用創造が廃止された政府通貨システムは,金融システムを通したバブルを抑制しやすい代わりに,財・サービスの購買に向かう通貨供給量の自動調整機能が制限される。そのため,信用ひっ迫を起こす危険がある。これを防ぐためには,現行システムよりも財政システムに依存した通貨供給を行わざるを得ない。そうすると,現行システムよりも悪性インフレの危険が高くなる。そして,バブルも根絶できるわけではなく,通貨を供給すればするほどそのリスクは高まる。

 どちらがましかと言えば,私は現行システムを出発点に改革を考える方が現実的に実行可能性が高いと思う。財・サービスの購買に向かう通貨供給量の自動調整機能を維持し,これに依拠し続けた方が,その先の改革の負荷が下がるからである。どの道,反緊縮という方向で改革を行うためには,財政を拡張しなければならず,その際に有効な悪性インフレ対策が不可欠となる。信用創造廃止・政府通貨では,MMTのような信用創造を許容した上での改革に比べて,インフレ抑制の難易度はさらに上がる。それよりは,自動調整機能に依拠しつつ,バブルのコントロール策を考案する方が現実的だろう。信用創造廃止論者に対しては,MMT論者のR. レイがかけた言葉を繰り返さざるを得ないと思う。「気持ちはわかるが,無理だ」。

付記:私は,以前に山口薫・山口陽恵『公共貨幣入門』に対して論評を行ったが,松尾氏や井上氏が本書で書かれていることにも,ほぼそのまま当てはまると思う。違いは,供給された政府通貨によって金融仲介の原資が生まれることを考慮した論評にしたことである。

「山口薫・山口陽恵『公共貨幣入門』集英社,2021年を読んで:信用創造禁止,シンボル貨幣,ナローバンクがもたらすもの」Ka-Bataブログ,2021年12月18日。

※ここで「信用創造」というのは,銀行が貸し出しを行う際に預金通貨が創造され,通貨供給量が増えることを指している。対して「金融仲介」というのは,すでに市中に存在する資金が,それを必要とする企業や家計に融通されることを指している。


松尾匡・井上智洋・高橋真矢『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』光文社,2021年。


2022年4月9日土曜日

累進課税の強化としての負の所得税を:ベーシック・インカムと社会保障の「あれか,これか」の話とは別に

 『東京新聞』2022年4月6日付の 「『これが福祉なのか...』困窮者への特例貸付で破産連絡700件超 コロナ禍で大量申請、支援現場に葛藤」という記事を読んで。 

 生活困窮対策として緊急対策を改善することも必要であるが,恒常的な対策が必要だ。私は,所得税の累進課税を拡充し,非課税世帯には「マイナスの所得税」を導入する減税が適切と思う。所得が一定以下であれば,低いほど高率の給付金を受け取れる。ある所得で給付・課税ともゼロになり,それ以上は現行のような累進課税とする。

 緊急小口資金や総合支援資金は効果を上げていると思うが,返済問題が大きい。給付金の提案は,肝心の低所得者に届かない提案や,焼け石に水的金額の提案がなされていて,効果的でない。所得に応じた,権利としての恒常的給付を,所得の証明のみでそれ以上の手間ひまなく実施する,恒常的制度にすべきだ。税制改革として行うのが,時間は多少かかるけれど一番安定する。

 そして,マイナスの所得税は,「税制の改善,累進課税による所得再分配の強化」として,他の施策とは独立に,プラスアルファとして行うべきである。「社会保障制度の代わりにベーシック・インカムを実施する」というトレードオフの議論に迷い込むべきではない。




2022年4月5日火曜日

財政政策論。リカード・バローの中立命題が完全には成り立たないという見解。まあ,そりゃそうだとしか

 財政政策の有効性(2)。実際の財政政策を事実上支配する見解。つまり「リカード・バローの中立命題」を究極の理論としては否定しないが,厳密に成り立つことはないとした場合についての検討。

 現に多くの国が長期にわたって財政赤字を出している時に,「納税者は,やがて赤字をゼロにするための増税があると合理的に予想する」というのは,現状分析としてはおよそ考えられない作り話である。もちろん,中立命題を理論的仮定として置いた上で理論的研究としてあれこれ検討するのはわかる。しかし,「それが事実に違いない」と科学の法則のように決めつけて現実を裁断しようとする発想は,私には全く理解できない。

 この後,MMTを含む中立命題全否定論に進む。

財政政策の有効性(2):中立命題部分否定/財政政策の限定的有効論 現代資本主義におけるマクロ経済政策㉖




2022年4月4日月曜日

日本の賃金が上がらず消費が低迷する原因は,企業がもうかっていないからではない:加谷珪一氏の記事について

 加谷珪一氏は,Newsweek4月1日付に寄稿された「日本だけ給料が上がらない謎...『内部留保』でも『デフレ』でもない本当の元凶」において,「日本企業は何らかの原因で十分に利益を上げられない状況が続いており、これが低賃金と消費低迷の原因になっていると推察される」と指摘されている。私は,これは的を射ていないように思う。以下,その理由を述べる。

 まず,日本企業の営業利益率や経常利益率は,歴史的にはむしろ高成長(高度成長期+安定成長期)の方が長期低落傾向にあったという事実がある。言うまでもなく,当時賃金は今よりずっと上がっていた。

 バブル崩壊以後の低成長期では,1993年を底にして,むしろ上昇傾向にある。とくに営業利益率はそうでもないのだが,経常利益率は上下の振幅も大きいものの上昇幅も大きく,高度成長期の水準に達している(※1)。

 問題は企業が儲からなかったことではない。加谷氏は日本企業の付加価値生産性の低さを指摘しており,それは事実である。日本のいくつかの産業において国際競争力が低迷しているのも,視点によって詳細は変わるが,おおむね事実といってよい。しかし,それでも日本企業は全体として利益率を引き上げて来たのである。むしろその理由を問うべきだが,今は脇に置く。もうかりはしたのだが,その利益がどこに行ったかが問題である。

 A)一つ目は,配当性向と配当の絶対額の上昇である(※2)。この配当が,おそらくは高所得者に向けられた。高所得者の限界消費性向は低いので消費に回らない(※3)。

 ただし,企業は配当を増やしてなお内部留保を狭義(利益剰余金)でも広義(利益剰余金+資本剰余金+各種引当金・準備金)でも積み上げた(※4)。

 B)二つ目が,この内部留保が資産としては何に投下されたかである。有形固定資産に投下されず,M&Aを含む子会社支配,自社株買い戻し,海外直接投資に向けられた部分が大きかった。にわかには信じがたいことだが,大企業の有形固定資産保有額は,21世紀最初の15年の間に低下したのである(※5)。

 日本の企業は利益を上げていた。しかし,その利益は,国内において,消費や実物資産への投資を拡大するように再投下されてこなかった。これが景気の長期低迷の最大の要因だと私は考える(※6)。賃金が上がらないことは,別の要因で説明すべきだ。

※1 以下のグラフをご覧いただきたい。法人企業統計調査から本川裕氏が作成したもの。
「企業の利益率の長期推移」社会実情データ図録。

※2 以下のグラフをご覧いただきたい。出所は※1と同じ。
「企業の当期純利益の推移」社会実情データ図録。

※3 以下のデータをご覧いただきたい。
「BOX3 所得階層別にみた限界消費性向」『経済・物価情勢の展望(2016年10月)』日本銀行,2016年11月。

※4 ※2と同じ以下のグラフをご覧いただきたい。
「企業の当期純利益の推移(製造業)」社会実情データ図録。

※5 以下をご覧いただきたい。
小栗崇資(2017)「大企業における内部留保の構造とその活用」『名城論叢』17(4),名城大学経済・経営学会,3月,1-14。

※6 このことは私を含む産業論や経営学研究者も注意すべきである。日本企業のイノベーションの低迷や国際競争力低下を問題にするのは意味がある。日本社会の生産力や物的生産性に直結する問題であり,日本の生活のありかたに関わるものだからだ。しかし,「日本経済を活性化させるためには,日本企業の国際競争力をあげねばならない」とは限らない。企業がもうかっても低迷したままになることもあるからだ。まして「日本経済を活性化させるためには,日本企業がもうかるようにしなければならない」というのは誤りである。すでにもうかっているのに日本経済は活性化していないからだ。

加谷珪一「日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶」Newsweek,2022年4月1日。


2022年3月31日木曜日

「ビッグマックは絶対さ!」とゴルバチョフの人形は言った

 1987年のゴルバチョフ訪米,中距離核戦力(INF)全廃条約直前のことだったと思う。アメリカのテレビで,レーガンとゴルバチョフの人形が会話しているものがあった。

レーガン「アメリカでは何を食べたい?」

ゴルバチョフ「○○と××と,,,,ビッグマックは絶対さ!」

 若者には説明を要する。かつて社会主義国には,多国籍民営企業マクドナルドは出店していなかった。また,1968年に開発されたビッグマックは,当時のマクドナルドでは最上級メニューであった。

 マクドナルドがゆたかな西側諸国のイメージを代表していたことは,1990年1月31日にモスクワにマクドナルドがオープンしたときに3万人の顧客が押し寄せたことで明白になった。時代は大きく変わっていた。私はその光景をテレビで見ていたが,「マクドナルドなんかどうでもいいじゃないか」と思う気持ちとブラウン管の中の現実に折り合いが付けられなかった。

 やがてソ連は崩壊してロシアに戻り,市場経済化とグローバル化は,褒め称えるに値するかどうかは別としても,不可避の流れになったように見えた。1993年,アメリカからの帰りの飛行機の中で読んだAdams and Brock, Adam Smith goes to Moscowの表紙にはマクドナルドモスクワ店開店日の写真が使われていた。私は2000年にこの本を訳し,またベトナム市場経済化支援プロジェクトに参加して,グローバリゼーションを不可避と認めた研究や提言を行うようになった。

 2022年3月8日,ロシアのウクライナ侵攻を受けてマクドナルドはロシアの850店舗すべてを閉鎖すると発表した。時代は一回りしたのだ。そして私は,「マクドナルドなんかどうでもいいじゃないか」とは思えなくなった。




2022年3月28日月曜日

遊休貨幣論ノート:ポストコロナの物価を考えるために

 ポストコロナの物価を理論的に考える上での難問は,コロナ以前やコロナ禍で行なわれた財政支出が,今後の物価上昇の遠因となるかどうかである。またもう少し解像度を上げて言うならば,現時点や今後の財政支出の他に,企業や個人の手元に蓄積されている現預金や金融資産が,物価形成に参与していくかどうかである。

 これまで私は,リフレーション論批判,「量的・質的金融緩和」論批判,財政拡大の必要性とその方向性に関する議論を行ってきた。そのために必要な理屈として,マルクスの貨幣流通法則,紙幣流通法則,手形論,信用論,銀行論を学び直して動員し,そこにMMTの考え方も取り込んできた。しかし,インフレが再燃しつつあるポストコロナの物価を考える際には,これらだけでは十分ではない。不足している理論装置の一つが遊休貨幣論である。このノートでは,貨幣流通論における遊休貨幣論の必要性とその位置づけについて,基礎的な論点を提示したい。

 「講義ノート:管理通貨制度における信用貨幣の供給」「管理通貨制下の中央銀行券はどのような場合に貨幣流通法則にしたがい,どのような場合に紙幣流通法則にしたがうか」「講義ノート:管理通貨制度下の貨幣流通,蓄蔵貨幣機能,遊休と金融的流通」で論じたように,管理通貨制の下での貨幣流通の基本的な動きを理解する枠組みは,マルクス派の諸理論を適切に用いることによって構築可能である。「金兌換が停止された世界はマルクス経済学では理解できない」などというのは俗論に過ぎない。

 とりわけ重要なのは,貨幣流通法則,すなわち「価格で見た商品流通総額を貨幣の流通回数で割ることによって,流通に必要な貨幣量が得られる,商品流通総額と貨幣の流通回数が流通に必要な貨幣量を決めるのであって逆ではない」というものである。貨幣流通法則は,現代の信用貨幣である預金通貨と中央銀行券が,金融システムにより,貸付・返済を通して流通に出入りする時には全面的に適用される。他方,これらの通貨が財政システムにより,政府支出・課税を通して流通に出入りする際には,紙幣流通法則も働く。

 金融システムによる通貨供給は貨幣流通法則にのみしたがうものであり,商品の世界からの必要に応じた内生的通貨供給である。したがって名目的物価上昇という意味での貨幣的インフレーションを起こさない。他方,財政支出による供給は紙幣流通法則にもしたがうので,商品総量を所与とした,外生的で一方的通貨供給にもなり得る。実際にそれが起こるかどうかは,財政支出が,失業者の就業,遊休している設備の稼働,滞貨の流通,そして未利用資源の商品化を引き起こすか,それらを起こさずに通貨供給量だけを引き上げるかにかかっている。最後の場合には物価だけが名目的に上昇する貨幣的インフレとなる。なお,ここでマルクスの理論とケインズの理論は重なっている。もちろん,どのような通貨供給によっても,個別的需給不均衡による価格上昇や,生産費上昇による実質的物価上昇は起こり得る(※1)。

 しかし,このように整理した場合でも,なお理解が難しい領域がある。それは遊休貨幣の動きである。21世紀突入以来,日本の大企業が現預金や金融資産を積み上げてきたことはよく知られている。この傾向はコロナ禍でも続いた。そして家計もまた長らく貯蓄超過であり,コロナ禍でも日本全体で見れば現預金を積み上げた。賃金の低下幅を上回って消費が減退し,さらに給付金が支給されたからである。これを理論的に言うならば,一方では,産業企業による,利潤を産業資本に転化するという意味での資本蓄積が停滞しているのであり,他方では,労働者家計を含めて家計内部には相当な格差があり,一定の家計では相当な貯蓄を形成しているのである。これらの滞留する,あるいは金融的流通に向けられている現預金は,貨幣論的には,「流通内にあるが財・サービスの流通を媒介していない」状態にある。これをどのように理解すべきか。

 一方において,これらはマルクス派の言う蓄蔵貨幣ではない。蓄蔵貨幣とは,流通から外部に出て,なおかつ価値を維持して蓄蔵される貨幣である。これを満たすのは,それ自体が価値を持つ,金貨や銀貨などの正貨だけである。預金通貨や中央銀行券は,貨幣流通法則の次元での蓄蔵貨幣にはなり得ない(※2)。

 他方において,滞留する現預金や金融資産は,少なくとも一定期間,財・サービスの物価形成に参与していない。財・サービスの流通を媒介せずにたんす預金や貯蓄性預金として停滞するか,あるいは金融的流通に回り,株式や社債や国債に投じられているからである(※3)。

 管理通貨制度の下で「流通内にあるが財・サービスの流通を媒介していない」状態にある通貨を整合的に取り扱う理論的方向自体は,古くから提起されている。これらを流通内で一時的に休息している休息貨幣と見なすのである(岡橋保『新版 貨幣論』春秋社,1956年)。この規定は,理論的には貨幣流通法則と整合するものであり,本稿の出発点となる規定である。しかし,問題はこの一時的休息,休息貨幣という規定によって通貨供給の動きと物価形成の関係をどこまで把握できるかである。また,一時的に休息し得るということは,管理通貨制の下での預金通貨や中央銀行券にも一時的な価値保蔵機能が認められるということである。蓄蔵貨幣にはなり得ないが一時的な価値保蔵機能を持つとはどういうことか。

 まずは休息について考えよう。「一時的休息」という規定は,結局は動き出して財・サービスの流通を媒介するというニュアンスを持つ。しかし,現代の資本主義では,この休息する貨幣の量が大きく,休息する期間が長くなり,経済全体への影響が無視できなくなる傾向にある。なぜなら資本主義の成熟とともに,産業資本は投資機会を見つけにくくなって法人貯蓄を積み上げ,家計の一部も貯蓄を形成するからである。これらの貯蓄は現時点では物価形成に参与していない。しかし,今後もしばらく参与しないのか,結局は参与するのか。また参与するにしても,いつどのようなタイミングと方法で参与するか,例えばリベンジ消費か設備投資か在庫積み上げか,何に対する消費や投資か。これらは重要な問題であるが,「一時的休息」という規定だけから直接に答えることはできない。

 とくに問題なのは,財政赤字によって外生的に投入された通貨の行方である。ある時点で財政の一方的拡大が行われても,支出のかなりの部分がいったん遊休貨幣ないし休息貨幣となったとする。その中には家計の所得としての遊休貨幣もあれば,企業の手元での遊休貨幣資本もある。しばらくしてからこれらが支出されると,それらが支出に対応しただけの生産拡大を誘発すれば,需要超過による物価上昇は起こったとしても貨幣的インフレは生じない。しかし,これらの支出が生産拡大を誘発しなければ,貨幣的インフレが発現するだろう。2020年の財政拡大は,2022年や2023年に貨幣的インフレを起こすこともあり得るし,2022年や2023年に雇用と景気を改善して貨幣的インフレは起こさないこともあり得るのである。どちらになるかは,財政を拡大した時点では決定されない。

 「一時的休息」という規定は,通貨供給量の増大からインフレーションの発言までタイムラグがある可能性を示唆している。ここにこの規定の積極的意義がある。しかし同時に,一時的に休息している遊休貨幣が,結局のところ物価を引き上げるのか,それとも引き上げないのかは,場合によるとしか言えないということにもなる。ここの問題は,貨幣流通法則が誤っているとか無効になっているとかいうことではない。しかし,貨幣流通法則が抽象的であるが故に,それだけでは具体的な局面の理解に十分ではないということである。遊休貨幣の運動についての,より具体的な運動法則を用いなければ,その物価への影響は解明できないのである。

 次に,一時的な価値保蔵についてである。それ自体価値を持たない,不換の預金通貨や中央銀行券での価値保蔵がなぜ可能となるのだろうか。これらの通貨は,すでに流通内にあるのでインフレーションによる減価のリスクにさらされている。なので,持ち手にとっては,流通手段として用いる以外に道がないように思える。しかし,そうではない。インフレによる減価リスクを相殺するような利得があれば,そこに流通手段以外の利用方法が生まれる。それは現金のまま保有することによる流動性の確保であり,またそれ自体は価値を持たない架空資本,つまりは金融資産への投下による資本蓄積である。もちろん後者は,それ自体リスクのある営みである。しかし,持ち手に取ってこの二つの意義が大きくなるような条件があれば,不換の預金通貨や中央銀行券のままの保有や,金融資産への投下による価値保蔵や価値増殖が試みられるのである。

 遊休貨幣の運動とは,これらが財・サービスの消費に向かうか,財・サービスの購入や雇用の拡大を通した投資に向かうか,それとも現預金のまま遊休し続けるのか,あるいは現預金以外の金融資産の購入に向かうのかという問題である。これを支配するのは,産業活動に投資した場合の利潤の見通しと,流動性選好による利得と,金融資産選好による利得の関係であり,それらを規定する諸条件に他ならない。ここで再び,マルクスの世界とケインズの世界は重なるべきである。マルクス派は,遊休貨幣の運動を論じるために,ケインズの流動性選好説を摂取しなければならないし,そうすることによって自らの体系を損なうことなく拡張することが可能になるだろう(※4)。

 マルクス派の貨幣理論では,管理通貨制の下での遊休貨幣を蓄蔵貨幣として取り扱うことはできない。遊休貨幣は流通内で一時的に休息している貨幣であって蓄蔵貨幣ではない。蓄蔵貨幣ではないにもかかわらず,一定の価値保蔵機能を持つために,現金のまま保有されたり,金融資産に投下されたりすることが可能なのであり,そうされている期間は物価形成に参与しないのである。この遊休貨幣の運動を取り扱おうとするときに,マルクス派はケインズの流動性選好論を摂取しなければならない。これが,このノートの差し当たりの主張である。


※1 このような理解は,マルクス派の中でも貨幣流通法則の現代における作用を最大限に認めるものであり,管理通貨制の下では紙幣流通法則しか働かないという議論の対極に位置するものである。同じマルクス派の中でも,預金や中央銀行券は金本位制であれ管理通貨制であれ信用貨幣だと認めれば前者の理解に近づき,両者は金債務だから金本位制では信用貨幣であっても管理通貨制では価値シンボルに過ぎないと考えると後者の理解になる傾向を持っている。私は前者に立っている。よく言われる話題で言えば,「金・ドル交換停止以後のドルは紙切れに過ぎず,国家権力の強制で流通している」という議論には立たない。ドルは連邦準備銀行の信用ある手形だから流通しているのである。

※2 貨幣蓄蔵をめぐる法則自体は,管理通貨制の下でも作用する。預金通貨は,貸付けや信用代位によって流通に入り,返済や信用代位によって流通から出る。そして流通から出れば消滅する。また中央銀行券は,預金が引き出されることによって発行され,預金として預け入れられると消滅する。両方とも,商品世界の動きに従属して流通に入り,また流通から出る。この意味では貨幣蓄蔵の法則に従っている。しかし,これらが流通から出るのは消滅する時である。流通から出て,なおかつ価値を維持して蓄蔵される正貨は,管理通貨制では存在しない。

※3 株式や社債への投下とは,企業の投資をファイナンスすることではないかという疑問があるかもしれない。株式・社債の発行市場での購入はその通りである。しかし,流通市場での購入はそうではない。既発行の株式・社債といった金融資産を購入すれば,購入に投じた貨幣は前の持ち主のもとに移るだけである。この場合の貨幣流通は金融的流通なのであり,金融的流通にまわっている貨幣は,財・サービスの購買に用いられないという意味では遊休貨幣のままなのである。

※4 ここでは流動性選好を広く定義すれば金融資産選好も含まれると考えたが,小野善康『資本主義の方程式』中公新書,2022年では流動性選好と資産選好は別物として定義されているように見える。今後検討したい。


論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」の研究年報『経済学』掲載決定と原稿公開について

 論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」を東北大学経済学研究科の紀要である研究年報『経済学』に投稿し,掲載許可を得ました。5万字ほどあるので2回連載になるかもしれません。しかしこの紀要は年に1回しか出ませんので,掲載完了まで2年かかる恐れがあ...