円安下のコスト・プッシュ・インフレのもとで,日本銀行は超金融緩和の継続を宣言している(※1)。ここでは,超金融緩和が継続されたことによって日本経済がどのような影響を蒙っているかを,やや長期的な視点から考えたい。とくに「矛盾」という切り口を重視したい。超金融緩和からの出口について,竹を割ったようなすっきりした主張が出てきにくいのは,それが「あちら立てればこちら立たず」という矛盾を引き起こしているからである。それ故,解決にはひと工夫もふた工夫も必要であるが,まずこの矛盾の所在を明らかにしなければならない。以下は,まだ裏付けが十分でないところもある試論である(※2)。
1.超金融緩和がなければ成り立たない低収益・ローリスクの事業によって雇用が底支えされるという矛盾
日銀の超金融緩和は,金利水準の面から言えば短期金利をマイナス,長期金利をゼロに誘導しようというものである。しかし,これが,本来望んだ効果,すなわち実質利子率を下げることにより企業の実体経済への投資を促進して生産と雇用を拡大し,物価上昇と賃金上昇の好循環としての緩やかなディマンド・プル・インフレを起こす,という結果に結びついていない。それどころか,黒田総裁の「異次元緩和」から起算すれば約10年,事実上のゼロ金利から起算すれば実に四半世紀に及ぶこの超緩和策は,元々想定していなかったような企業行動の歪みを発生させている。
主要な歪みの一つは,超金融緩和の下でしか存続できないような,収益性もしくは成長性の低い事業投資の保護である。いくら金利を引き下げてもディマンド・プル・インフレが起きないことで,いわゆる「自然利子率」の低迷と指摘されている。これは,低金利の下でも,事業投資が拡大して,モノや人の奪い合いとなり,インフレとなるようなことが起きていないという現象を解釈する用語である。著しく引き下げられた現行利子率でも純投資が拡大しないのは,国内市場での販売見込みと期待収益率に企業経営者が確証を持てないからである。投資決定は不確実性があるため,金利の上昇・下降に対して投資決定の拡大・縮小が素直に対応するかは断定できないが,金利がより引き上げられれば,さらに投資が減退する恐れはある。裏返すと,現に行われてきた純投資プロジェクトが,金利が過度に低く抑えられている環境の下では成り立つが,そうでなければ利益を生まない,あるいは当初の利益は小さくてもその後成長するという見通しを持てないようなものへと,つまりは低収益またはローリスクなものに偏っている恐れがある。これを直接観察できる指標は少ないが,間接的には生産性向上率の低下と潜在成長率の継続的低下から読み取ることができる。
この問題の解決は一筋縄ではいかない。それによって,多くの雇用と所得が支えられているからである。その規模は実証的研究にて確かめねばならないが,一定規模に達することは十分予想できる(※3)。
2.まともにくらすためには時給1500円が必要だが,より低賃金で成り立っている企業が多いという矛盾
収益性や成長性の低さは,別の面からも察知できる。今日,全労連等の労働組合が指摘するように(※4),20代の単身者が憲法の求める健康で文化的な最低限度の生活を送るためには,時給計算で1500円の賃金が必要である。したがって,全国一律最低賃金1500円を支給せよという要求はもっともである。ところが,これは東京都の最低賃金1072円(2022年10月1日改訂)の1.4倍であり,最低水準の都道府県の853円の1.8倍なのである(※5)。
直ちに時給1500円を支給すれば経営困難に陥るか,事業を縮小して雇用を削減するような企業が,中小零細企業を中心に多いことも,その詳細は実証研究にて確かめねばならないとしても,まずまちがいない。この中には,通常の意味で生産性が低い企業の他に,下請けシステムの下で低収益を強いられている企業や,自営的経営のために低賃金・低生産性でも存続能力が高い企業があることも問題を複雑にしている。しかし,非正規雇用を含む低賃金によって事業を成り立たせ,低賃金と引き換えに雇用を維持している低収益の企業が広範に存在していることは疑いえない。
そして,問題は,これらの企業の事業投資のうちいくらかが,超金融緩和措置ゆえに成り立っていると考えられることである。金利が引き上げられればさらに収益性が悪化することはすぐにわかる。この意味で,超金融緩和策は,低収益の事業投資を保護することで,低賃金の企業ーー経営と雇用を維持を目的にやむを得ずそうしている経営者もいれば,人権無視のブラック労働を平然と課す経営者もいるだろうーーを成り立たせており,つまり低賃金と引き換えに雇用を維持している可能性がある。
3.暫定的評価
超金融緩和策は,投資と消費の活性化,物価上昇と賃金上昇の好循環という,所期の目的をまったく達成していない。むしろその作用によって,以下のような矛盾を引き起こしている可能性がある。
超金融緩和策は,その下でしか成り立たない,あるいは賃金を抑えることによってしか成り立たないような事業,したがってその事業を行う企業を保護している。超金融緩和は,これによって日本経済の供給側のパフォーマンス,つまり高い生産性で財・サービスを供給し,高い賃金を支払い可能にする能力を長期的に悪化させている。また需要側のパフォーマンス,すなわち投資と消費の水準を双方とも弱々しいままに停滞させている。しかし,複雑なのは供給の上限と需要との関係である(図。著者作成)。供給パフォーマンスの悪化は,潜在GDPに一応表される供給の天井が伸び悩むことを意味する。他方,現実のGDPは需要不足によりこれに及ばない。両者のギャップが,すなわちGDPギャップが存在する時,失業や不安定就業や設備遊休が生じる。
超金融緩和下の日本では,供給の上限を引き上げていないからこそ,需要が弱くとも不況が激烈にならずにすんでおり,需要を弱々しいなりに一定水準から底割れさせないようにしていると考えられるのである(※6)。
目的を達成していない以上,超金融緩和策は見直されねばならない。タイミングとしては,円安よりもコロナ禍のウィズコロナへの移行が重要である。コロナ禍では,企業・店舗の大量倒産・廃業を避けるために,流動性供給が重要であった。そのため,超金融緩和が一時的に功を奏した面があったことは否定できない。よって,コロナ禍のウィズコロナへの移行こそが,超金融緩和の見直し時期としてふさわしいのである。
しかし,超金融緩和を単に中止すれば,少なくとも一時的に多くの事業,したがって企業を不採算に陥らせ,雇用を縮小させる恐れがある(※7)。これまでと逆に,金融を引き締めればよいという単純な話にはならない。そもそも景気に対する調整の役割を金融政策だけでは果たすことができないのに,無理に過大な役割を持たせようとしたから問題が起こったのである。超金融緩和策の見直しに際しては,一時的な激変緩和措置を講じるとともに,実際に投資と消費の活性化,物価上昇と賃金上昇の好循環をもたらすような別の政策を開発し,ただちに実施していかねばならない。インフレの問題を考慮したうえで,別途論じたい。
※1 日本銀行「当面の金融政策運営について」2022年9月22日。
※2 河野龍太郎『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』慶應義塾大学出版会,2022年は,論旨が錯綜している印象を受けるものの,ここでとりあげた論点については,共有できる主張を含んでいる。
※3 なお,もう一つの歪みは,企業の実物資産への純投資の停滞と金融資産へのシフトである。日本企業は,全体として有形固定資産への投資に積極的でなく,国内では実物資産の組み替え,すなわちM&Aによる企業や企業集団の再編成と金融資産への投下を増やし,実物資産への投資は海外で増やしている。これは資産構成の推移から読み取れる。なお,この他にIT投資への消極性がみられることはしばしば指摘されるとおりである。
※4 「最低賃金」と「生計費」が5分でわかる!全国一律の最低賃金1,500円を勝ち取って格差解消&「普通の暮らし」の実現へ!」全労連ウェブサイト。
※6 なお,ここで述べたことと矛盾するように見えることがある。それは,日本企業全体の収益性は,指標によっては高成長期より低下しているものもあれば,低下していないものもあるということである。例えば,総資本営業利益率は低下しているが,総資本経常利益率は低下していない。自己資本当期利益率は低下している。売上高営業利益率は製造業で低下し非製造業はむしろ向上しているが,売上高経常利益率は圧倒的に向上している(「法人企業統計調査からみる日本企業の特徴」財務省財務総合政策研究所,2020年5月)。
低収益・ローリスクの事業に投資が偏っているのに,収益性指標は見方によっては悪くないというこの事態は,以下によって説明できる可能性がある。1)日本企業全体の収益率が金利低下や金融資産肥大化でバブル的に底上げされていて,実物資産の収益性は全体として低い。2)事業投資の間の収益格差が広がっていて,超金融緩和で超過利益を上げる事業もあれば辛うじて救済される事業もある。3)労働分配率の抑制によって利益率が引き上げられている。
私はいずれも作用していると考えているが,それについて十分なデータと解釈をまだ提示できない。今後検討したい。
※7 ここで私は収益性の低い事業を営む企業を「ゾンビ企業」とは呼んでいないことに注意してほしい。「ゾンビ企業」とは,「淘汰されるべきなのに生き残っている」というニュアンスを含む用語であるが,私はここでとりあげた企業を直ちに淘汰しろと主張したいのではない。むしろ,直ちに淘汰しようとしたら雇用が失われて需要がさらに停滞するという矛盾を直視すべきと言っているのである。