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2025年8月28日木曜日

なぜ国立大学法人の財政は苦しくなるのか:自助努力で対処し切れない収入減と支出増

  島根大学が2024年度,人事院勧告相当の教職員給与引き上げを4月から実行できず,12月からの改定にとどめたと報道されている。

 私が勤務する東北大学はもともと規模が大きいうえに,国際卓越研究大学に指定されたので一息ついているが,人事院勧告相当の給与引き上げもできない国立大学法人が出現していることは深刻である。どうしてこうなるのかというと,簡単に言えば,自助努力ではどうにもならない形で収入が減って支出が増えているからである。

 まず収入面。2004年の国立大学法人化以来,主要な収入源の運営費交付金を政府は削減し続けてきた。それも毎年X%という風に機械的に問答無用で削減されるのである。

 もちろんどの大学も別の収入源を模索してきたし,政府も科研費については増額させてきた。だから,研究費については,科研費,寄附金,民間との共同研究費,委託研究費も含めて様々な形で確保する努力を行ってきた。しかし,一般企業の方にはわかりにくいかもしれないが,外部から獲得した研究費は,その目的とする研究にしか使えない。何にでも使ってよい研究費とか,正規教職員の基本的給与財源にするということはできないのである(あんまりだという声が届いたのか,最近,一部を給与上乗せに使える研究費が出現しているが)。そして,授業料を勝手に引き上げることもできない。これが収入源の状況である。

 一方,支出の方は,物価も賃金も上がらなかった,いわゆる「デフレ」停滞期にはそれほど増加しなかった。それでも消費税の引き上げはきつかった。授業料に価格転嫁できないからである。そして,コロナ明けあたりから物価,とくに水光熱費の上昇が起こり始め,名目賃金もついに上昇を始めた。繰り返すが,価格転嫁はできない。さらにいうと,大学病院も価格転嫁はできない。

 こうして,長年の収入減による財政難が,物価・賃金の上昇によって一気に加速したというのが,多くの国立大学法人の状況である。

<参考>

「島根大、給与の引き上げできず 財政難で人事院勧告に対応困難 24年度4~11月分 国の経費減など影響」山陰中央新報→Yahoo!ニュース転載,2025年8月20日。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d46a6c072d3772b980040f536bc36c622406fa9




2025年8月19日火曜日

波多野澄雄『日本終戦史1944-1945:和平工作から昭和天皇の「聖断」まで』中央公論新社,2025年を読んで

 本書は日本が「大東亜戦争」と呼んだ戦争が「日米戦争」「日英戦争」「日中戦争」『日ソ戦争』の複合戦争であったとしたうえで,その終戦史を論じるものである。問いは二つであり,一つは「ポツダム宣言の発表から二度目の『聖断』まで,きわめて重大な二週間余りのあいだに,なぜ最高指導者たちは戦争終結の決断ができなかったか」(ⅳ頁),もう一つは「『徹底抗戦論』が国内に横溢するなか,なぜ二度の『聖断』で終戦が可能であったか」(同上)である。その回答は「『複合戦争』の収集が対米戦争の終結に絞られたことで早期の終戦が可能になり,戦後の日米同盟を導く伏線ともなる」(同上)というものである。著者の紹介による本書の構成は,1941年12月8日の対米英戦の開始から始まっての太平洋戦線と大陸戦線の展開を叙述する第1部,小磯国昭内閣と鈴木貫太郎内閣における様々な和平論の行き詰まりを描く第2部,ポツダム宣言発出から終戦までのか知恵を論じる第3部に分かれる。しかし,読者としての受け止めでは,第2部と第3部はほとんど連続していると感じられるだろう。背景として戦局の展開,序論として小磯内閣期が論じられた後,本書の約半分が本論としての鈴木内閣の終戦指導に費やされ,その後に8月15日以降に関する記述が補足されて,結論に入ると読むほうが素直である。少なくとも政治史の専門家以外の読者が読めば,鈴木内閣が主人公だと思える。このことは本書全体の評価に関わるが,それは最後に述べる。

 以下,本書で関心をひかれた論点を列挙していこう。

 第一に,本書が正面から取り上げた鈴木の終戦指導への評価である。著者はその特徴を「早期終戦を念頭に置きつつも,『軍の士気,国民の士気』を温存しながら,徹底抗戦論を排除しない閣議や戦争指導会議の運営に腐心したこと」(269頁)とする。そして「こうした迂遠な終戦指導は,降伏決定を遅らせたことは確かである」(同上)としつつ,「国体護持という究極的な目的を貫徹するために,もっとも有効な選択肢を探り続けたことも事実である(269-270頁)」とする。「その鈴木に聖断の発動を決意させたのは,8月6日の原爆以降であったと思われる」(270頁)。「さらにソ連参戦が追い打ちをかける」(同上)。

 本書は,鈴木の行動原理について,納得のいく見通しを与えている。「国体護持」を前提にしつつ「終戦」を実現する。しかし,そのためには,内閣の瓦解や軍のクーデターを防止しなければならない。したがい,徹底抗戦論を取る阿南惟幾陸相を閣議をもって説得しつつ,閣議の結果をもって陸相に陸軍をまとめてもらわねばならない。

 この行動原理が「聖断」という手段に結び付く具体的契機は,結局のところ「本土決戦を推進してきた陸軍に,この機に及んで『国策転換』は期待できず,米内ら海軍首脳部にも『転換』の意欲は薄れていた」(170頁)ことが1945年6月8日の「戦争指導の基本大綱」をめぐる動きで明らかになったことである。そこで木戸幸一内大臣が「時局収集対策試案」で天皇の「御勇断」による終結という路線を打ち出し,「軍部より和平提案がなされない限り,『聖断』によって終戦に運ぶほかはないという『試案』の考え方を,6月22日の御前会議にいたる過程において,構成員会議(六巨頭会談)のメンバーや高木,松平,富田らの『サブリーダー』が共有した」(178頁)という。この時点の『御勇断』とは天皇の親書を携えた使者がソ連に飛んで和平仲介を求めることであったが,その希望がソ連参戦でついえたのちはポツダム宣言の受け入れに関する「聖断」へと変わっていく。本書からはこのように読み取れる。

 陸軍の本土決戦論が内閣での合意形成によって克服できないとみなされたときに「聖断」要請へと転換するというすじみちはたいへん明快であり,納得できる。ただ気になるのは,それならば「聖断」方式への舵切りにおいて重要な役割を果たしたのは木戸であって,鈴木は「聖断」要請という選択肢を得たうえで合意形成方式の内閣運営を続けただけではないかと思えることである。確かに,それでも鈴木の終戦指導なくしては,ポツダム宣言受諾をめぐる最後の局面で内閣が瓦解し,宮城事件よりはるかに深刻なクーデターが「成功」してしまったかもしれない。とはいえ,木戸の工作なくして,鈴木の内閣運営だけでは「聖断」にたどり着かなかったかもしれないとも言えるのではなかろうか。

 第二に,本書の後半では鈴木内閣の動向が精緻に分析されているが,その分だけ昭和天皇の動きがよく見えないことである。「聖断」に頼る方式は昭和天皇が即時終戦の意志を持っていることを前提としているのであって,その意思を天皇がどの時点で,何を根拠に持ったかという疑問である。この点についても本書は「昭和天皇に限ってみれば,内外を通した本土決戦体制の不備,それを糊塗する統帥部に対する不信感などが終戦を決意させる要因であったことが判明している」(276頁)とだけ述べており,掘り下げはない。それまで御前会議は意思決定の場ではないという建前を守っていた天皇が「それでは国体も国民も救えないと考え,肝胆あい許した鈴木と運命をともにすることを決断する」(170頁)というのであるが,この過程を実証していない。木戸による工作と昭和天皇自身の姿勢については既に多くの研究があるのだろうが,たとえ先行研究に依拠するのであっても,実証的な叙述に加えておくべきだったのではないか。

 第三に,古くからの問題であるが,降伏・終戦は遅かったか,早かったかの問題をどう扱うかである。著者はこの問題を明瞭に立てたうえで,アメリカの戦争指導者と他の連合国にとっては,想定よりも『早かった』とする。一方,敗戦国日本では「早かった,遅かったを明確に発言していた戦時指導者は少ないが,前線の将兵には『遅かった』と見なす発言が多い」(274頁)とする。第33軍参謀野口省己が言うように「終戦がもう1か月早かったら,2万人近い将兵の命は助かったであろう」(同上)からである。一方,ソ連の介入が避けられたことをよしとする阪急電鉄創業者小林一三と昭和天皇の発言も紹介されている。そして著者自身は「終戦の決断のタイミングという問題は,それを議論する人々の戦後の立場によって,また戦争のゆくえと,戦後をどのように見通していたかによっても異なっていた」(275-276頁)という記述にとどめ,必ずしも切り込んでいない。

 これは,歴史の記述で「if」を論じることがどのくらい可能かという,これまた古くからの問題にかかわる。論じるとしても,当時,政治指導を行っていた人々にとっての選択肢の範囲で論じるべきか,それを越えてより超越的に論じるかという問題があるかもしれない。しかし,このように慎重に扱うのであれば,そもそも「遅かったか,早かったか」という風にではなく,「何が終戦工作を妨げていたか」と問題を立てるべきであったように思える。本書冒頭では,その問いをポツダム宣言発表以後に限って発しているが,「遅かったか,早かったか」の問いと同じく,より長いスパンで発するべきだったろう。しかも,本書は叙述内ではその回答を事実上出しているように思える。鈴木内閣成立時に「陸軍中堅層の強硬な抗戦論の封殺や排除は,ただちに政変やクーデターにつながる一触即発の政治情勢にあったこと」(112頁)である。これは常識と化している回答であるのかもしれないが,結論部で改めて確認すべきことであったのではないか。

 第四に,ポツダム宣言受諾とは結局,日米戦争を終結させるものであり,そういう限定されたものとして戦後政治を規定していくという著者の観点である。ポツダム宣言受諾の論理とは,武装解除や戦争犯罪処罰には条件を付けず(つけるべくもなく)降伏するが,「国体」は護持されるものと(一方的に)解釈するというものであった。「国体」とは,世界に通じる政治の言葉で言えば天皇制である。そう翻訳した上で,受諾の論理は,連合国の中核として日本を占領したアメリカによって採用されることになった。「アメリカが『妥協的和平』に応じず天皇制の将来をあいまいにしたまま,『紛争原因の根本的解決』に固執したがために,他の選択肢の余地を閉ざしたのである」(278頁)と指摘している。著者が千々和泰明氏の表現を借りているためにわかりにくいが,アメリカに反抗する武装や戦争の正当化は許さないが,天皇制は残したということであろう。そして,昭和天皇のみならず戦前・戦時に日本の中枢にいた人々が,一部は歴史の表舞台から消えながらも一部は残存して戦後も日本の政治を動かしていったために,受諾の論理は,国体と民主主義は両立するという「一君万民論」に展開して戦後日本政治を規定していく。こうして,ポツダム宣言受諾の論理が戦後の日本政治と対米関係の論理の起源となっていくという著者の分析は精緻である。もっとも,「二度の聖断によって日本が必死に護ろうとした国体は,占領軍とのせめぎ合いの中で,その『尊厳的機能』に導くことで戦後も生き延びたのである」(273頁)というのは,いささか「国体」という言葉に引きずられているように思われる。

 最後に,本書が大日本帝国が遂行した戦争を「日米戦争」「日英戦争」「日中戦争」「日ソ戦争」の「複合戦争」としていながら,ポツダム宣言発表から8月15日までに限った問題設定を行い,叙述の約半分は鈴木内閣の動きに置いたことをどう見るかである。鈴木内閣が,軍事力の激突で圧倒的に負けている対米戦争に対象を集中したがゆえに降伏できたというのは,わかりやすい話である。しかし実際には複合戦争なのであるから,ポツダム宣言を受諾し,終戦の詔勅を発しただけでは戦争は終わらなかった。著者も,終戦の詔勅をもって戦争終結とするような記述を取らず,「百万の大軍を擁する支那派遣軍を降伏させ,始まったばかりの日ソ戦争を停戦に導くのは容易ではなかった。南方軍もまた,三外征軍(関東軍,支那派遣軍,南方軍)が一致して徹底抗戦を大本営に訴えるよう提案していた」(254頁)と指摘して,実際に停戦するまでの困難と,その在り方が戦後政治に残した影響を記述している。中国については「大戦末期には,国連創設に力を尽くすなど戦勝国としての立場の確立に努めたが,内戦の中で著しくその国際的地位を低下させ,戦犯や賠償問題で責任追及の先鋒に立ちえなかった。一歩,日本にとっては,そのことは日中戦争の責任という問題を正面から受け止める機会が失われ,中国との戦争の記憶が遠ざかることを意味したのである」(263頁)と指摘する。またソ連については,「日本の降伏プロセスにおいてソ連の参戦はもっとも重要な要因の一つであったが,戦後の日ソ関係の展開という観点からすれば,むしろ8月15日以降も続いた『日ソ戦争』が大きな意味を持った」(267頁)という。いずれももっともな指摘である。

 しかし,著者の言うとおりであるならば,日中戦争や日ソ戦争については,ポツダム宣言受諾の仕方ではなく,それとは独自に進行した戦闘終結のあり方の方が,戦後を規定したということになる。となると,鈴木内閣に焦点を当て,とくにポツダム宣言発表以降の動きに最大の紙幅を割くという方法では,「日本終戦史」を描ける範囲が限られてしまうのではないか,という疑問が湧いてくる。これが本書の全体構想に対して残った疑問である。

 私は波多野澄雄氏の研究に通じておらず,本書のみを孤立的に取り上げた。それ故に読み方が浅い点や,他の著作で書かれていることを知らないだけの点もあるかもしれない。本書は,全体として手堅い政治史的な記述がたいへん勉強になり,また検討すべき論点を深める手掛かりとなる書物であった。


版元ページ
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2025/07/102867.html



2025年8月13日水曜日

USスチールモンバレー製鉄所クレアトン工場での爆発事故について:背景としての設備老朽化

  8月11日午前11時前(日本時間8月12日午前0時前),アメリカペンシルバニア州にあるUSスチールモンバレー製鉄所のクレアトン工場コークス炉で爆発事故が発生した。8月12日午後6時41分の報道では,2名が死亡,10名が負傷しており,1名が行方不明となっている(※1)。これ以上の被害が出ないことを祈る。

 爆発についてUSスチールは,コークス炉団(battery)13と14のreversing roomで生じたと発表した(※2)。reversing roomとは,コークス炉に供給される燃焼ガスおよび空気の流れ方向を一定間隔で切り替えるための弁および関連配管を収容する区画である。石炭に均一に熱を加えるためにこのような弁が必要とされる。日本語ではroomという表現を使わずに機械そのものを「変更弁」,「ガス切替弁」などというらしい。

 爆発の原因はなお不明であり,確かなことを言うには調査結果を待たねばならない。しかし,コークス炉自体の老朽化と関係があるのではないか,と疑ってみる必要がある。コークス炉が老朽化すると,構造上のゆがみから予期せぬ隙間が生じて可燃性のガスが漏れだすことや,換気装置が十分に性能を発揮しないことがありうる。もともと高温の環境であるところで熱の遮断が不十分になったりすることや,電気系統から火花が飛び散ることも考えられる。なので,ここでは公開情報に基づいて,事故の背景としてのクレアトン工場のコークス炉老朽化の度合いを確認しておこう。

 クレアトン工場には,最盛期の1948年には22の炉団があり,800万トン/年の生産能力があった。2021年には10の炉団があり,生産能力は430万トンであった(※3)。もっとも新しいC炉団は2012年に新設されたものであるが,それ以外は1970-80年代に設置または再建されたものである。その後,4つの炉団が閉鎖されて,現在残っているのは6炉団である(※4)。

 今回事故を起こした13および14炉団は,1979年と1989年に再建(rebuild)され,2010-2020年に耐火物の大規模な修理がなされたものである(※5)。つまり耐火物の経過年数は5-15年であるが,炉体の経過年数は36-46年に及んでいる。

 クレアトン工場は安全・環境問題を継続的に抱えている。2025年6月にも,押出過程での粉塵排出によって民事制裁金91万8500ドルを課されている(※6)。炉内で石炭を蒸し焼きにしてできたコークスは,片方から押し出されてもう片方に待機している貨車に落ちる。このとき,カバーをつけていれば粉塵が軽減できるが,USスチールはつけていなかったとのことだ。さかのぼると(※7),2025年2月には火災を起こして2名が病院に搬送された。2024年2月にも押出過程での粉塵排出によって200万ドルの罰金を科された。2018年12月24日のクリスマスイブには火災を発生させた。

 また,クレアトン工場では,押し出されたコークスを消火する方法が,消火塔で水をかける湿式である(※8)。略してCWQという。正常に操業している時の映像・画像でもスチームがただよっているのは,消火塔から出ているものだ。しかし,このとき粉塵が発生するし,スチームを大気に放出してしまっているので,熱回収ができない。より現代化されたコークスではCDQと呼ばれる乾式消火を行う。チャンバー内にコークスを入れて密閉し,ガスで冷却して熱を回収・再利用するのだ。

 アメリカでは,鉄鋼業衰退とともにコークス炉も閉鎖されて来た。クレアトン工場はUSスチールがアメリカ国内に持つ唯一のコークス工場である(※9)。しかし,USスチールは,最後の拠点であるクレアトン工場の設備も最新鋭の状態に保つことができていないのである。このことが今回の事故の直接または間接の原因となっているかどうかは,まだわからない。しかし,その可能性を疑うべき理由はある。そう思わせるほどにクレアトン工場は老朽化している。

 日本製鉄がUSスチールを買収して獲得したのは,このようなコークス工場である。日本製鉄はクレアトン工場を含む高炉一貫方式のモンバレー製鉄所を維持し,刷新していくと約束したが,これは容易ならざる課題である。その上,石炭を用いて製鉄を行う高炉一貫方式は地球温暖化の一つの深刻な原因であって,今後コークスをできる限り使用しない製鉄法が求められている。このことが日本製鉄にさらなる複雑な課題を課しているのである。


※1 Raquel Ciampi and Caitlyn Scott, Officials: 2 dead, 10 injured after explosions at US Steel Clairton Coke plant, WTAE Pittsburgh, August 11, 2025.
https://www.wtae.com/article/us-steel-clairton-plant-explosion/65654312

※2 同上。

※3 United Stats Steel Corporation, MON VALLEY WORKS Clairton Plant Welcomes ACCCI –Fall 2021 MESH, American Coke and Coal Chemicals Institute.
https://accci.org/wp-content/uploads/2021/11/RHOADS-Presentation.pdf

※4 ALLEGHENY COUNTY HEALTH DEPARTMENT AIR QUALITY PROGRAM, In the Matter of: United States Steel Corporation Clairton Plant 400 State Street Clairton, PA 15025 Violation No. 250601 Violations of Article XXI (“Air Pollution Control”) at property: United States Steel Corporation Mon Valley Works   400 State Street  Clairton, PA 15025, June 2025.
https://www.alleghenycounty.us/files/assets/county/v/1/government/health/documents/air-quality/enforcement/actions/2025-actions/us-steel-2024-pec-signed.pdf

※5 ※3に同じ。

※6 ※4に同じ。

※7 Mike Darnay, A look at past incidents reported at U.S. Steel's Clairton Coke Works,   CBS News(KDKA News), August 12, 2025.
https://www.cbsnews.com/pittsburgh/news/clairton-coke-works-explosion-us-steel-past-incidents/

※8 United States Steel Corporation, Mon Valley Works Clairton Plant Operations and Environmental Report 2019.
https://www.ussteel.com/documents/40705/71641/U.%2BS.%2BSteel%2BClairton%2BPlant%2B2019%2BReport.pdf/85d6a51b-ca26-f924-5bab-50f9b892c95c?t=1605294761747

※9 LOCATIONS. U. S. STEEL'S FOOTPRINT, United States Steel Corporation.
https://www.ussteel.com/about-us/locations

※インターネットリソースは2025年8月12日に最終確認した。


2025年7月20日日曜日

斉藤美彦『ホモ・クアンティフィカンスと貨幣:「価値形態論」から「負債論」へ』丸善プラネット,2024年8月を読んで

 斉藤氏はイギリス金融論の実証的研究者である。東京大学で山口重克氏に師事され,研究職に就かれる前は全国銀行協会連合会(全銀協)に勤務された。本書は,斉藤氏自身の理論形成につながった人々の内生的貨幣供給論への歩みをたどること,複数の諸国の中央銀行が内生的貨幣供給説の見地から量的金融緩和に関する続説を否定していることを紹介し,その意義を確認すること,ミッチェル・イネス,デヴィット・グレーバー,金井雄一などの説に依拠して,信用貨幣を貨幣の起源でもあり本来の姿であるという観点からマルクス経済学の貨幣論を再構築することを呼びかけることという,三つの内容を持っている。私は本書より後の2025年3月に「通貨供給システムとしての金融システム:信用貨幣論の徹底による考察」を発表したが,原稿を提出したのは2024年4月であり,本書を参照できなかった。

 斉藤氏が,マルクス経済学宇野派に立脚しながら,現代の預金貨幣と中央銀行券は信用貨幣であって,銀行・中央銀行から内生的に供給されるという立場をとっていることには,私は心より賛同する。また,山口重克氏によって宇野弘蔵氏の商業信用論,すなわち手元遊休貨幣の融通として商業信用を規定する見地が克服されたことを有意義とすることも納得できる。いわゆる日銀理論が横山昭雄『現代の金融構造』(東洋経済新報社,1977年)によってもっとも体系化されていること,全銀協に勤務されていた吉田暁氏と斉藤氏自身の内生的貨幣供給論も日銀理論と同一の潮流にあるという認識・自己規定にも異存はない。

 もっとも,マルクス経済学における信用貨幣の起源は山口氏ではなく岡橋保氏に置くべきである。本書では,わずかに不換銀行券論争における岡橋の立論が紹介されているだけであるが,1940年代から50年代にかけて,信用貨幣論の礎を築いたのは岡橋氏である。それだけではない。結局,今日に至るまで,マルクス体系に立脚した信用貨幣論を,もっとも徹底した姿で示しているのは岡橋説だというのが私の理解である。この点は上記拙稿をご覧いただきたい。

 続いて斉藤氏は,イングランド銀行,ドイツ連邦銀行,スウェーデンのリクスバンクといったヨーロッパ諸国の中央銀行が,量的緩和を自ら行いながら内生的貨幣供給説のペーパーを発行していたことに注目する。三行はそろって,預金貨幣は貸し付けを通して生まれるのであり,中央銀行による準備預金供給によって増えるものではないと主張しているのである。各行とも行っていた量的金融緩和の効果を自己否定するかのような主張である。斉藤氏は,おそらくいずれの中央銀行も,周囲の圧力に押されて量的緩和を行ったものの,それは実は景気刺激策としては無意味であると認識していたのだろうと推定している。各行の内部事情はうかがいしれないものがあるが,少なくとも黒田総裁時代の日銀と異なり,三行は量的金融緩和でリフレーションが起こせるとは考えていなかったことは確認できる。

 本書は,ここまではうなずけるところが多い。しかし,最後になって斉藤氏は,イネス,グレーバー,金井雄一氏らの主張にほぼそのまま追随し,貨幣はその起源から信用貨幣であり計算貨幣であったのだから,本来の貨幣は金属貨幣・商品貨幣だとするのは誤りであり,スミスもマルクスも誤っていたとあっさり認める。そして,マルクス経済学の貨幣論も全面的に見直すべきだと述べて稿を閉じられるのである。これには同意できない。斉藤氏は,マルクス経済学の宇野派であることに相当な自意識を持たれているのだから,もう少しマルクス体系を駆使して粘ってみてはいかがだろうか。

 私が近年の信用貨幣論の諸潮流にもっとも納得できないのがこの点である。マルクス体系によって貨幣の発展を論理的に跡付けるならば,商品流通はほんらいの貨幣として商品貨幣・金属貨幣を必要とする。しかし,資本主義の発展は商品貨幣・金属貨幣が現に流通することを桎梏とする。そのため代行貨幣が発展し,商品貨幣・金属貨幣を流通から排除して預金貨幣や中央銀行券に置き換えていくしくみが作り出される。このような整合的説明は十分可能だというのが私の意見である。斉藤氏や彼が依拠した論者は,口をそろえて「物々交換は昔からなく,金属貨幣はさほど用いられていなかった」という経済史上の事実をもとに,貨幣論が商品貨幣・金属貨幣から出発することを論難する。しかし,これは認識論としておかしい。経済理論は経済史ではない。資本主義における様々な事柄を論理的に説明するのに適切な順序は,前資本主義から資本主義に向かっての出来事の時間的順序とは異なるはずである。

 マルクス派が貨幣論が商品貨幣・金属貨幣をほんらいの貨幣とするのは,昔々に金属貨幣が主要な貨幣として使われていたからではない。当たり前だが,21世紀の今日に商品貨幣・金属貨幣が流通しているからでもない。商品貨幣・金属貨幣に即してみることで,貨幣の価値尺度・流通手段・支払い手段・蓄蔵貨幣・世界貨幣という主要側面を余すところなく説明できるからである。そうすることで,資本主義発展とともに商品貨幣・金属貨幣を用いることが桎梏となり,代行貨幣が発展していく道のりをも明らかにできるし,その発展が種々の矛盾を伴うことをも主張できるのである。批判や嘲笑を招くであろうことを承知の上であえて言うが,2025年の今この瞬間も,商品流通は商品貨幣を必要としている。と同時に,資本主義は商品貨幣の不便さを代行貨幣で克服している。と同時に,そこには飛躍的な機能拡張とともにインフレやバブルを引き起こす矛盾が潜んでいるのである。このように端緒的規定と発展的規定の関係を前資本主義の過去から資本主義の現在への移行とみるのではなく,資本主義という同時代を説明する論理的説明の進行とみることがマルクス派貨幣論の思考であり,またそれは妥当だろうと私は考えるのである。

斉藤美彦『ホモ・クアンティフィカンスと貨幣:「価値形態論」から「負債論」へ』丸善プラネット,2024年8月
https://www.maruzen-publishing.co.jp/book/b10123118.html


2025年7月14日月曜日

政府支出は課税することなく可能か?:MMTとの一致点と相違点(覚書)

  SNS上では,「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」と主張する意見がある。これに対しては,たいてい激しい反駁も見られる。しかし主張者はひるまず,全くかみ合わない議論となっている。

 ここでは,この意見について通貨供給論の見地から考える。先取りして言うと,私の意見は以下のとおりである。

A.「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」という主張は,中央銀行を考慮しない1)「中央政府の一般モデル」の次元では正しい。

B.MMTは「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」という主張を2)中央政府と中央銀行を合わせた「統合政府の一般モデル」の次元で正しいとしている。これは正しくない。

C.現実の政策を議論するためには,まず1),次に2)統合政府(中央銀行+中央政府)の制度的枠組みの次元で議論しなければならない。中央銀行を考慮した場合には,中央政府は「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」けれども,中央銀行マネーを借り入れねばならない。その上でさらに,3)国ごとに中央銀行と中央政府の制度が異なることを踏まえて,具体的に議論しなければならない。

 この投稿ではAとBについて説明する。

ーー

 MMTは,「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」と主張している。この主張は,1)一般理論のモデル,2)一般的な統合政府の制度的枠組み,3)実際の各国の中央政府と中央銀行の制度という,三つの次元で区別して議論する必要がある。

 1)は最も抽象化された経済理論上のモデルであり,いかなる資本主義社会の政府にも妥当するような基本モデルである。2)は,中央政府と中央銀行の間で,もっとも結ばれやすい関係によって描いた統合政府モデルである。中央政府と中央銀行の間に結ばれる関係は,資本主義である以上必ずこうなるというほど一義的に決まるものではない。しかし,このようになるのが合理的であろうという程度には叙述できる。3)実際に政策を議論する際の,当該国の中央銀行と中央政府の諸制度である。

 この覚書では,まず1)一般理論のモデルを素描することで,必要な議論の基礎を築きたい。


■貨幣発行主体としての中央政府の一般モデル

*モデルの叙述

 ここでは,中央政府が貨幣供給にどうかかわっているかの一般モデルを叙述する。ここでは中央銀行の民間組織としての側面を捨象し,権力的側面は,抽象的な中央政府に含まれているものとする。このモデル設定はMMTと似て異なるのだが,その点は最後に述べる。

 中央政府と貨幣経済のかかわりにおいて最も重要なことは,中央政府は,唯一ではないが重要な貨幣供給の担い手だということである。政府は貨幣を供給するのである。そして,まず貨幣を供給して支出し,しかる後,課税して自ら発行した貨幣を回収するのである。これは,実際に存在してきた政府発行不換紙幣や政府発行硬貨のことを考えれば,何らおかしくない想定であることがわかるだろう。

 主流派経済学が明示的に描く政府モデルや,多くの実務家,市民が漠然と心に抱くイメージは,貨幣が既に十分に流通している経済があって,政府はまず課税によってその貨幣の一部を取り立て,それを必要な支出に充てるというものである。しかし,この想定は適切ではない。通貨発行権を持つ中央政府は,まず貨幣を作り出して支出することができるからである。政府支出によって流通に投じられた貨幣が経済活動(商品の流通)を媒介するようになる。そして,政府は課税によって貨幣を回収するのである。この次元では,貨幣の動きは,流通→課税→支出→流通ではなく,「支出=発行」→流通→「課税=回収」と理解すべきである。

 このように政府を貨幣発行主体とするならば,確かに「政府は課税することなく支出する」し,「課税は財源確保のためではない」。「中央政府の一般モデル」の次元ではこうなるのである。一般的な「流通する貨幣への課税主体としての政府」説と「財政の課税先行」説に対して,私は「貨幣発行主体としての政府」説と,「財政の支出先行」説をとるべきだと主張しているのである。

 しかし,中央政府発行貨幣は,どうして流通することができるのだろうか。それ自体が価値を持つ商品を用いた商品貨幣(素材に即して言い換えるならば金属貨幣)であれば,もちろん問題なく流通する。ただし,商品貨幣を発行するためには,政府が十分な商品貨幣を供給するための素材を保有していなければならない。例えば金山や銀山を保有していなければならない。それでは商品流通に必要な貨幣を確保できる保証がない。

 そこで中央政府は,それ自体は無価値な素材を用いた貨幣を発行して,流通させる必要がある。中央政府は国家権力の行使者であるから,それ自体は無価値な素材を用いた貨幣であっても,価値のシンボル,すなわち価値章票として,強制通用力を持たせて流通させることができる。これが法定通貨である。とくに政府は,貨幣の発行のみならず回収も必要であるため,政府発行貨幣を納税に利用可能なものとする。納税に利用可能であるがために,人々は政府発行貨幣を有効な通貨として利用するだろう。これが「貨幣の通用力に関する租税駆動説」である。


*MMTとの一致点・相違点

 さて,私は以上のような理解で,貨幣発行主体としての中央政府の一般的な理論モデルを設定する。これはMMTとどのような関係にあるか。

 ここで種を明かせば,「貨幣発行主体としての政府」説と「財政の支出先行」説,そして「貨幣の通用力に関する租税駆動説」は,いずれもMMTが主張するものである。なので,私は「中央政府の一般モデル」としてはMMTを支持している。

 しかし,重大な留保がある。MMTは以上の関係を「統合政府の一般モデル」,つまり中央政府と中央銀行を含んだ包括的な政府のモデルとして理解している。統合政府全体を「貨幣発行主体としての政府」説と「財政の支出先行」説,そして「貨幣の通用力に関する租税駆動説」で理解すべきだというのである。

 しかし,私は,そうは考えない。中央銀行は半官半民組織だと考えるからである。通貨供給システムとしての金融システムは,商品流通と資本主義的生産の中から発生する。商品貨幣や信用貨幣は,民間経済の中から生まれるし,信用貨幣は商業銀行によって供給される。そして,銀行システムを,一国の貨幣制度として,準備集中と発券集中によって完成させるのが中央銀行である(川端,2025)。つまり,貨幣供給システムとしての金融システムは,権力によって完成させられるものではあるが,もともと民間経済の中から生じるものである。

 だから,中央政府を貨幣発行主体として抽象的に描く際に,私は中央銀行の権力的側面はここに含める。中央銀行の権力的側面は,中央政府から分化したものとして捉えるのである。しかし中央銀行の民間組織としての側面は,そもそも中央政府モデルに含めないし,含めるべきではないと考える。商品・資本主義経済自体が生み出した貨幣と信用のシステムは,中央政府がどうあれ,それとは別に存在していると想定するのである。通貨供給システムを論じる際には,一方に「中央政府の一般モデル」を置き,他方で「銀行―中央銀行の一般モデル」を置く必要がある。そして,それらが取り結ぶ関係として「統合政府(中央政府+中央銀行)の制度的枠組み」を論じるべきである。以前にこれを「二層の銀行・政府」モデルと呼んだことがあるが,今後,もっと詳しく論じていきたい。

 「中央政府の一般モデル」の次元では,確かに,「政府は課税することなく支出する」し,「課税は財源確保のためではない」。しかし,「銀行―中央銀行の一般モデル」を踏まえて「統合政府(中央政府+中央銀行)の制度的枠組み」を論じる次元では,そうなるとは限らない。政府が,中央銀行マネーを借り入れる必要が出て来るからである。

 この点で,私の見解はMMTとは異なる。MMTは,中央銀行の全体を含めて,統合政府を「貨幣発行主体としての政府」説と「財政の支出先行」説,そして「貨幣の通用力に関する租税駆動説」で理解する。銀行―中央銀行システムまでも,政府の課税権力によって成り立っているかのように描くのである。だから中央銀行を考慮した場合でも,平然と「政府は課税することなく支出する」し,「課税は財源確保のためではない」と言い切ってしまうのである。MMTは,現実の銀行を説明するときには信用貨幣論に立つのに,貨幣の存在を根本的には租税駆動説で説明し切ろうとする。預金貨幣や中央銀行券が,もっぱら課税権力ゆえに流通しているかのように描いてしまう。商品流通と資本主義経済そのものが,貨幣や信用制度を作り上げる力が軽視される。ここに問題があると考える。

<参考>

川端望(2025)「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」研究年報『経済学』81,23-52。
https://doi.org/10.50974/0002003359

川端望「財政赤字に伴う国債発行をどのように把握するか:「二層の銀行・政府」モデルの提示」Ka-Bataブログ,2024年11月25日。
https://riversidehope.blogspot.com/2024/11/blog-post_25.html





2025年7月9日水曜日

信用貨幣論から見た金融・財政の制度とオペレーション:ポール・シェアード(藤井清美訳)『パワー・オブ・マネー 新・貨幣入門』早川書房,2025年を読んで

  ポール・シェアード氏と言えば,日本では1990年代に『メインバンク資本主義の危機』で話題になったエコノミストであるが,今度の日本語訳本は貨幣論である。しかも,現代の貨幣は統合政府の債務であるとする信用貨幣論である。

 その主張を一言で言うと,「長期経済観や政治的インプリケーションを取り除いたMMT」といった趣である。ランダル・レイ『MMT 現代貨幣論入門』と類似のことを,ただしより金融制度論の教科書風に体系立てて漏れなく述べたという感じである。貨幣の起源論はごくさらりと流しており,中央銀行,中央政府,中央銀行,商業銀行のオペレーションに関する記述は信用貨幣論,とくに預金貨幣論に基づいている。長期経済観や政治的インプリケーションはないというというかやや保守的である。例えば再分配政策はほとんど無意味であり,富裕層が資産として保有している株式が企業価値を支えていることは尊重せざるを得ないとしている。この本の推薦者が,一方ではステファニー・ケルトン氏(『財政赤字の神話 MMT入門』著者)であり,他方では新浪剛史氏(サントリー・ホールディングス代表取締役会長)や宮内義彦氏(オリックス・シニアチェアマン)であることは,本書の性格を適切に表示している。

 実務的で淡々としている本書であるが,一つの積極的主張は統合政府論である。中央政府と中央銀行は本質論(著者の表現では「エデンの園」。邦訳41ページ)ではもともと一体なのあり,制御不能なインフレーションを抑止するための制度的工夫として両者が分離されているにすぎないというのである。中央銀行・銀行とともに,中央政府もまた貨幣供給主体である。中央政府の財政支出とは通貨供給であり,預金を増やし,準備預金も増やす。著者によれば,本質論としては,政府預金の残高をマイナスとしたまま,言い換えれば政府を債務超過にしたままでもよい。国債発行は必然ではないのである。しかし,制度的工夫として中央政府と中央銀行,財政機能と金融機能が分離していることにより,多くの場合,政府には国債発行による政府預金残高確保という制約が課されている。国債を発行した場合は準備預金が減るので,財政支出によって増加することと相殺される。ただし,この場合も預金貨幣は増えているので,政府は貨幣を供給しているのである。

 統合政府論の政策的インプリケーションは,金融政策と財政政策の境目があいまいになっていくということであり,それに応じて制度的枠組みも金融と財政を一体にすべきであろうということである。ただし,それは財政を徹底拡張するということでは必ずしもない。なぜならば財政は経済の尻尾であり,実体経済が犬であって,尻尾が犬を振り回してはならないからである。「物理的・人的・技術的・社会的資本の量と質を反映した経済の生産能力」(邦訳294ページ)を確保・拡大することが大事である。それなしに金利低下,さらに量的金融緩和をいくらやっても大した効果はなく,財政を拡張してもインフレになるだけだというのである。

 さて,私は,現状の制度的枠組みとそのオペレーションに関する理解については,シェアード氏にほぼ同意するし,理論的に冷静に論じられている限りMMTにもほぼ同意する(運動家が意見の異なるものを短文で罵倒する限り同意しない)。つまり,大きく見れば現状の説明について,1)信用貨幣論と2)銀行-中央銀行の二重システム論に立つ。低成長下においては銀行システムだけではなく財政システムも必要な通貨は供給して需要を刺激しなければならない。しかし,肝心なことは生産能力の量と質を充実したものにすることである。その「質」については人によって意見が違うので議論がひつようである。しかし,どの方向であろうと,一方では均衡財政は無意味である。他方で,内容抜きに,財政を拡張し,金融を緩和し続ければよいというものでもない。このような財政と金融のオペレーション原理については,シェアード氏にもMMTにも私は同意できる。

 問題は,こうした制度的枠組みとオペレーションのもとで,21世紀の先進諸国においては,金利調節がいっこうに効かずに量的金融緩和に追い込まれ,それでも流動性確保以外の効果がほとんどないのはなぜなのかである。財政赤字を継続的に出しても経済格差と貧困が緩和されず,コロナが収まった瞬間にインフレになってしまうのはなぜなのかである。シェアード氏には,歴史的局面として現在を把握する視点がない。むしろ,格差は単に実力と運の産物だったと言いたいかのようである。しかし,そうではなく,成熟した資本主義の歴史的傾向の到達点として現在をとらえるべきだと私は思う。これにはいくつかの側面がある。

 第一に経済発展により,工業社会は脱工業化社会に移行する。そうすると,投資は生産設備とインフラストラクチュアへの投資から,ハードだけでなくソフトウェアが大きな割合を占める情報システムへの投資,人的資源への投資に移行する。このことは投資需要の量的成長を減退させる。

 第二に,長期傾向としては,供給能力不足の経済から供給能力過剰の経済に移行する。格差と貧困を伴いつつ,平均的には生活水準が上がる。そうすると,相対的高所得層では所得が増えた場合に家計の消費に充てる部分,つまり限界消費性向が下がる。小野善康氏が述べるように,消費ではなく貯蓄,それも金融資産購入に充てる割合が高まっていく。その一方で,中低所得層は所得そのものが伸びない。そして,それ故に需要不足・供給過剰が慢性化する。

 第三に上記二つの傾向を目にした企業経営者は,たとえ既存事業で利潤を計上できた実績があっても新規設備投資をしなくなる。家計だけでなく法人企業が投資不足により資金余剰セクターになってしまう。余剰資金は国内では流動性としての現金や,金融資産に回ってしまう。設備投資がなされるとしても,新興国への直接投資に向かう部分が大きくなる。

 経済発展の結果として,生産能力に対する設備投資と消費が不足して不況への傾向が生まれる。実現できた所得が金融資産に投下されればバブルになる。好況があってもすぐバブル化してしまい,その反動で金融危機が生じやすくなるのである。

 第四に,移民によって補充されない限り,資本主義の成熟局面では人口が減少し,また人口構成が一時期は高齢化するということである。そのことにより,社会保障の需要が不可避的に増大する。これを営利ビジネスに委ね切ることはむずかしく,公的支出によって支えざるを得ない。したがい,人口減少期においては財政支出に占める社会保障支出の割合は拡大し,その支出は景気循環に関わらず必要となる。

 第一,第二,第三の要因によって,景気循環に対するバブルの影響が大きくなるとともに,不況の際の需要不足は深刻化する。金利調節では反転させることができず,財政支出によって対応するしかない。貯蓄(遊休貨幣)を課税によって吸収することもある程度は可能であるが,資本主義が民間主体の自由な支出決定に依拠したシステムである限り,これには限度がある。そのため,政府は財政赤字を一定程度出して貨幣を供給し,不足する需要を作り出すことになるのである。この際,第四の要因が,財政赤字の幅を拡大し,恒常化させる方向に作用する(※1)。

 だから,私の意見では,財政赤字の恒常化は,資本主義の成熟に伴う不可避の傾向である。財政赤字を出すか出さないかと言う二択については,よいか悪いかの問題ではなく,選ぶことができる問題でもない。ある程度の財政赤字は出ざるを得ないのである。それが嫌なら均衡財政で慢性大不況の社会を独裁権力を持って統治する,あるいは資本主義を直ちに廃止することになるが,まず現実的でない。問題は,悪性インフレを起こさないという制約条件の下で,財政赤字という名の通貨供給をどの程度,どのような内容で,どのような利害関係に沿って,どのような手続きで行うかなのである。その目的は生産能力の量と質の維持・充実であり,有効活用でなければならない。

 その「量と質」については人によって意見が違う。私は小野善康氏とともに失業こそが生産能力の最大のムダであり遊休であることについて注意すべきと思うが,そこまで思わない人もいるかもしれない。私は地球温暖化防止を前提にして豊かな暮らしを追求すべきであり,個人消費や教育・医療・福祉経済の充実や環境対策や老朽インフラストラクチュアの更新や再生可能エネルギーを重視すべきだと思うが,人によっては輸出中心の先端産業や金融センターや軍備拡大や原子力発電の育成が必要であり,個人の所得を豊かにすれば,医療・福祉費用の増大には自己責任で対応できるというかもしれない。シェアード氏にはまたそれなりの意見があるだろう。そこは議論すべきだ。1981年に刊行された『現代資本主義と国家』の中で,宮本憲一氏は現代資本主義国家の三類型として「軍事国家」,「企業国家」,「福祉国家」をあげた。その後の新自由主義的潮流の下でこの類型化はあまり普及しなかったように思うが,財政赤字=中央政府による通貨供給それ自体は結局不可避だということが明らかになりつつある今日,再評価されるべきだろう。大事なことは,財政赤字=中央政府による通貨供給の中身であり,それによって経済をどのような方向に動かすかなのだ。

 こうした歴史的文脈においてみた場合,シェアード氏が言う,財政政策と金融政策の境目のあいまい化は,確かに必然傾向であるようにも見える。ただし,ここで「エデンの園」への見方の違いが,原罪への見方の違いとなって生きてくる。シェアード氏は,またMMTなどの論者はよりいっそうそうだが,中央銀行はもともと統合政府の一部だと考えている。私は,それには反対である。

 中央銀行は,もともと「銀行の銀行」であって,銀行の原理によって動いているものである。中央銀行当座預金も中央銀行券も信用貨幣である。信用貨幣であるということは支払い約束だということであり,請求権だということである。現代の中央銀行は中央銀行券を突きつけられて「債務を返済せよ」と言われても金貨や金地金で払うことはない。ここまでは,私はシェアード氏やMMT論者とまったく同意見である。問題は次である。金兌換に応じない中央銀行は,そのかわり,支払い請求が押し寄せることがなく,また人々が中央銀行券を信用せず屑籠に放り込まないようにする必要がある。そのために通貨価値を維持しなければならない。通貨価値を維持するとは,財政支出の過剰によるインフレーションを防止し,景気過熱による物価高騰を抑止し,為替レート暴落によるコストプッシュ的物価高騰を防ぐことである(※1)。これらは,中央政府と区別された中央銀行の本来的使命である。これらの使命は,中央銀行が政府の附属物であることに由来するのではなく,「銀行の銀行」であることに由来する。私はこのように考える。私はこの主張によって信用貨幣論を修正しているのではない。逆である。シェアード氏よりもMMTよりも信用貨幣論を徹底するとこうなるというのが私の見解である。

 確かに現実において,財政政策と金融政策の相互浸透は不可避なように見える。シェアード氏が政治的立場を交えずに述べているだけに,そこは本書に説得力のあるところだ。しかし,通貨価値の維持という中央銀行の本来的使命はもっと重く見ておくべきだろう。

 シェアード氏は,長期的歴史観の提示や政治的価値判断を最小に抑えたうえで,制度とオペレーションを正確に理解する見地から現代の貨幣と金融機構を解説された。そのことにより,信用貨幣論の主張の一部が特定学派に由来するものでなく,むしろ実務の素直な理解によるものであることを明らかにしてくれた。これは本書の功績である。しかし,その同じく制度とオペレーションに徹する見地から来る物足りなさと,ごくわずかに本質論に立ち入ったところでの統合政府論に由来する問題は見過ごしてはならない。今日,財政拡張を主張する政治勢力は数多い。それに対してなすべきことは,財政均衡をあるべき姿として緊縮を主張することではなく,財政支出の在り方について選択し,よく考えることである。財政赤字=中央政府による通貨供給がどのような制約のもとにあるかを踏まえ,どのような水準と内容でこれを実施し,それによってどのように経済を動かすのかを論じるべきなのである。本書にはこの水準と内容への手掛かりはない。ただし,読者は本書を踏み台にすることで,手掛かりを見つけるために自分の頭を一つ高い視点に置くことができるだろう。

ポール・シェアード(藤井清美訳)『パワー・オブ・マネー 新・貨幣入門』早川書房,2025年。

https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0005210432/

2025年9月27日:読み取りにくい箇所に言葉を補った。

2025年7月4日金曜日

河野龍太郎『日本経済の死角 収奪的システムを解き明かす』筑摩書房,2025年の核心的主張

 河野龍太郎氏の著作は,多方面に目配りが行き届いている。しかし,その分だけ叙述は錯綜し,言いたいことは必ずしもわかりやすくない。そのため,内容の核心的なすじみちを読者の側が読み取ることが必要である。

 前の前の著作『成長の臨界』は学部ゼミで読んだが,個々のパーツは大変勉強になる一方,全体のメッセージは,著者自身が要約に失敗しているのではないかと思うところがあった。著者自身は,腹を膨らませすぎて破裂したカエルのたとえで,物質的成長至上主義に向かっている政策とシステムが,現代のテクノロジーと合わないのではないかというメッセージを送っていたのだが,それが著作自体の叙述の中身とは合っていないように思われた。

 対して今回の『日本経済の死角』は,著者の自己認識が叙述とぴったり合っているように思う。そのテーマは,サブタイトルが示すとおり「収奪的システムを解き明かす」である。強引に言うならば,本作が言いたいことは,167-168ページの以下の記述に集約されると思う。

 「長期雇用制の枠外にいて,定期昇給の恩恵もほとんど受けることができなかった人々は,過去四半世紀の間,属人ベースでみても,実質賃金の増加が限定的だったことは,これまで詳しく見てきた通りです。それでも何とか暮らしてこられたのは,コミュニティの存在など,様々な要因があるとはいえ,消費者余剰の大きな日本では,あらゆる財サービスが割安に供給されていたことも大きく影響していたと思われます。
 しかし,その前提は2022年からの円安インフレを機に大きく崩れました。価格ばかりが上がって,消費者余剰が著しく低下し,賃金の引き上げが追いついていないから,人々の暮らしが脅かされています。それが,日本でもアンチ・エスタブリッシュメント層が形成されつつある原因ではないでしょうか」。

 収奪的なのは,富と所得が広く行き渡らずに大企業に集中するシステムであり,そうして停滞する市場を悲観した大企業が国内で設備投資をせずに守りの経営に走るシステムである。本書の核心はこのように読むべきだと私は思う。


河野龍太郎『日本経済の死角 収奪的システムを解き明かす』筑摩書房,2025年。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480076717/




2025年6月28日土曜日

「発展途上国鉄鋼業における技術・生産システム間競争:ベトナムにおける共英製鋼の事業展開から考える」が『産業学会研究年報』第40号に掲載されました

  拙稿「発展途上国鉄鋼業における技術・生産システム間競争:ベトナムにおける共英製鋼の事業展開から考える」が『産業学会研究年報』第40号に掲載されました。昨年発表した「ベトナム鉄鋼業の発展初期における日系中堅電炉企業の役割 -ビナ・キョウエイ・スチール社成立過程の研究-」とあわせて,共英製鋼のベトナム進出2部作が完結しました。いずれもダウンロードいただけます。

 もともと,2020年度から始まった科研費でベトナム鉄鋼業における外資の役割を取り上げる予定でしたが,コロナ禍突入によってベトナム渡航ができなくなり座礁しかかりました。そこで共英製鋼に事例を絞って日本での聞き取り,資料収集から始め,2023年2月には念願の現地調査も実現して,どうにか完成へと向かいました。

 現地での生産拠点第1号のビナ・キョウエイ・スチールには2000年8月から訪問を続けてきましたので,もう25年になります。ずいぶん時間がかかってしまいましたが,第1論文では,巨大高炉メーカーでなく,中堅電炉メーカーの共英製鋼がベトナム事業を定着させられたことの意義を,また第2論文では,地道に現地定着を目指した同社が,異なる技術を用いたローカル企業に思わぬ挑戦を受けたことの意義を解明できたと思います。

 必ずしも成功の側面ばかりを描いたわけではないにもかかわらず,快く調査に応じてくださった共英製鋼株式会社には深く感謝しています。


第2論文

川端望「発展途上国鉄鋼業における技術・生産システム間競争:ベトナムにおける共英製鋼の事業展開から考える」『産業学会研究年報』第40号,産業学会,2025年3月,37-55頁。
https://researchmap.jp/read0020587/published_papers/50024237
※学会の許諾をとってPDFを公開しています。

第1論文

川端望「ベトナム鉄鋼業の発展初期における日系中堅電炉企業の役割 -ビナ・キョウエイ・スチール社成立過程の研究-」『アジア経営研究』第30-1号,アジア経営学会,2024年8月,77-92頁。
https://doi.org/10.20784/jamsjsaam.30.1_77



2025年6月6日金曜日

市川浩『“技術論”の源流を訪ねて―1930年代ソ連における“マルクス主義的技術史”の探求―』広島大学出版会,2024年を読んで

  市川浩教授とは若いころに研究会でお会いしただけであり,その時もふたこと,みこと以上の会話はなかったように思う。しかし,本書のあとがきを読んでみると,私はこの方の数年遅れで同じ道を,もっとぼんやりしながら歩いていたような気がする。

 私は市川教授に7,8年遅れて技術論論争史に出会って夢中になり,彼が単位取得退学(のちに学位取得)した3年後に大阪市立大学に職を得て,彼が学んだ加藤邦興ゼミに1年ほど出席させていただいた。同大学に在職中には,市川教授の同僚である中峯照悦『労働の機械化史論』の学位論文審査委員に選出されたのでこれを精読して「マシーネ」と「マシネリ」の違いを初めて認識した。博士でない駆け出し教員に審査をさせるのも無茶であったとは思うが,おかげで勉強になり,中村静治『技術論論争史』に次いで私の技術論に影響を与えた本となった。その後,私は技術論を軸にしながら産業論を研究したが,技術ー生産管理ー技能の関連をどう整理すべきなのかがわからずに苦労した。その観点から注目したのが,転向後の相川春喜の技術論であった。唯物論研究会時代から転向後の戦時期,そしてシベリア抑留から帰国した後までの相川技術論について論じたいと思いながら果たせないうちに,市川教授は本書で技術論の源流にたどり着かれていた。

 さて本書は,技術を「労働手段の体系」と規定する説が,1930年代のソビエト連邦において,他の見解を政治的に圧殺しながら定式化されたものであることを明らかにしている。これは薄々予想できたことではあったが,実際に起こっていたこと,その具体的な過程を解明したことが本書の大きな功績である。技術論には,その源流において見落とされ,断絶された分岐があり,また「大テロル」を正当化したマルクス・レーニン主義,ありていに言えばスターリン主義の呪縛を受けていたのである。

 ところで,圧殺されたのが,労働手段体系説による技術史に物質文化史を対置する見解であったことは,私にとっては示唆的である。物質文化史研究は,いわば人間の実践を対象とするものだからだ。

 マルクス体系に沿って技術を考える際に,「手段」概念は,技術が社会において果たす役割を,技術進歩がかえって労働者を抑圧する問題を含めて,科学的に研究する道を開いたことは間違いない。また「実践」概念が,客観的条件に規定されながら主体的である人間の営みを解明する手掛かりになったことも間違いないだろう。そのように考えるならば,両者にはそれぞれ意義があるはずだ。

 私自身は,マルクスの理論構造に沿って理解し,産業論を研究し,まとまった理屈に沿ってものごとを論じるためには,手段概念の方が優れていると考えてきた。そうして鉄鋼業などを研究してきた。実践概念は技術でなく労働そのもの,例えば研究開発労働の規定にふさわしいし,理論としてまとまりがなく話が拡散しすぎると考えてきた。例えば星野芳郎氏の鉄鋼技術論をそのように批判的に評価してきた。だからといって意識的適用説を階級的敵であって反革命でブルジョア的だとも思わないし,スターリン主義の所産だとも思わない。繰り返すが実践概念は研究開発労働の規定としては意味があると思う。

 しかし,マルクス主義の歴史において,技術の手段概念と実践概念は,学問的に競い合う関係に入らなかった。相川春喜が定式化した「労働手段体系説」と武谷三男が提唱した「客観的法則性の意識的適用説」の相克において,技術を「手段」概念でとらえる見地と「実践」概念でとらえる見地は,通常の意味での学説の違いを超えて,互いを敵視し,根絶しようとする勢いで非難し合った。それはなぜなのか。

 私の限られた学びの範囲で,大まかに言うならば,「手段」概念がマルクス・レーニン主義,ありていに言えばスターリン主義的に理解されたときに極度に硬直的で異端審問的な命題と化すのに対して,「実践」概念はそれに対する解毒剤ないしアンチ・テーゼとしての役割を果たしたのだと思う。本書で論じられたソ連におけるズヴォルィキンの体系説による技術史と,ガルベルの実践概念に立つ物質文化史の関係にも,そのようなところがあったのではないか。戦後日本における技術の労働手段体系説と適用的適用説の関係,さらに言えば民科『理論』派に対する『季刊理論』派,戦後直後の松村一人らに対する主体的唯物論,反映論的芸術論に対する表現論的芸術論,反映論的唯物論に対する実践的唯物論は,みなそのような対立を含んでいたのではないか。やや戯画化して言えば,タダ,モノから出発し,モノを正しく認識しろ,正しい在り方はひとつであって間違うことは許されないという類いの硬直した唯物論理解に対する,実践行為から出発してその契機として認識を位置づけようとすることで,個性や多様な行動の価値を認めさせようとする理解の対抗である。そのような政治的文脈に「手段」概念と「実践」概念が置かれたのである。

 ただ,私はこの対立があったから,反スターリン主義の「実践」概念の方が正しかったと言いたいのではない。問題は,スターリン主義的硬直とそれに対するアンチテーゼという文脈の方だ。この文脈を取り去ってみれば,根本的には技術には「手段」概念の方が妥当すると考えているのである。それだけに,この,政治的文脈ゆえに起こった相克に納得がいかないのである。

 この相克は,具体的にはどのような理論的契機により,またどのような歴史的経緯により生じたのか。マルクス的技術論に潜む理論的可能性と危険とは何なのか。これらは,本書の到達点に立った上で,さらに追求されるべき課題のように思う。


出版社のページ
https://www.hiroshima-u.ac.jp/press/59

何と,本書は丸ごとオープンアクセスになっている。
https://doi.org/10.15027/55809

2025年5月28日水曜日

木村幹『国立大学教授のお仕事--とある部局長のホンネ』筑摩書房,2025年を称賛する

 自分の日常をそのまま本で読むというのは,めったにない体験である。書かれていることがほぼ100%理解できる。自分が書いたのだろうかと錯覚するほどである。だが,よく考えると違う。もし私が書けば,だらだらと5倍ほどの量で,およそひとさまの目に触れさせることができないような内容となってしまうことは確実であろう。私は,本書が真実の塊であることを知っているが,サブタイトルだけには多少の嘘があるのではないかと推定する。ホンネを書いたらこれではすまないと思うからである。怒りと嘆きを鎮め,筆致を抑制し,読者に伝えるべきことのみを伝えようとしてこれを果たした,木村教授の理性を心より称賛したい。

木村幹『国立大学教授のお仕事--とある部局長のホンネ』筑摩書房,2025年。


クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...