1.問題の所在
本稿は,銀行システム成立に当たっての準備金の必要性と役割について考察する。
銀行を経済学的に理解する上での立場は,大きく「現金の又貸しによる金融仲介」説と「信用貨幣の貸付による信用創造」説に分かれる。前者の方がイメージはしやすいものであり,一般社会でも研究者の多数においてもこちらによって銀行が理解されることが多い。流通している現金が銀行に預け入れられ,預金となって集積され,集積された貨幣が借り手に又貸しされるというものである。後者は,銀行は自分の手形(債務証書)を発行して,それを手渡すことで貸しつけるというものである。具体的には預金貨幣が創造されて貸付けられる。借り手が預金を引き出した場合に,当該銀行が発券銀行であれば当該銀行券が発券され,発券集中が行われていれば中央銀行券が発券される。預金貨幣も銀行券も貸付けられた債務が貨幣化したものであり,信用貨幣である。
銀行の貸付と預金という二つの業務に即していえば,前者は「預金先行」説とも言えるし,後者は「貸付先行説」とも言える。なぜなら前者では預金が先に形成されて現金が集積され,しかる後それが貸し付けられるからである。対して後者は,預金が集積されるよりも前に貸付が行なわれるからである。
私はこれまでも述べてきたように「信用貨幣の貸付による信用創造」「貸付先行」説(以下「信用創造=貸付先行」説)に立っているが(※1),この立場に立った場合,銀行を説明する上で二つの点が「現金の又貸しによる金融仲介」「預金先行」説(以下「金融仲介=預金先行」説)よりも複雑になる。一つは,正貨流通・金兌換停止下において,預金貨幣や銀行券が信用貨幣であることの説明である。しかし,この点はこれまでも説明済みであり,ここではとりあげない(※2)。もう一つは,準備金の説明である。あらかじめ預金を集めないままに信用創造で貸し付けを行うこと自体は可能であるとしても,準備金を確保しなければ預金引き出し請求や他行からの支払い請求に応じられない。「信用創造=貸付先行」説では,準備金の確保のしくみ,準備金の役割をどう説明するのか。これが本稿の解明すべき課題である。
※1 「貨幣発行と流通のしくみ」(その1)から(その9),Ka-Bataブログ,2023/12/8-2023/12/17,https://riversidehope.blogspot.com/2023/12/blog-post.html 。
※2 「貨幣発行と流通のしくみ(その5)預金や中央銀行券は,今では金貨で返済してもらえないが,それでも債務として有効なのか?」Ka-Bataブログ,2023/12/13,https://riversidehope.blogspot.com/2023/12/blog-post_13.html 。金兌換がなされずとも,より上位の債務による返済,債権債務の相殺という二つの方法での決済が可能であるから,信用貨幣と言えるということである。
2.考察の前提
本稿では,ある一つの資本主義経済を,別の言い方をすれば国境に区切られていない単一の資本主義経済を想定した考察を行う。これにより,国境に区切られた世界経済において生じる対外支払い・決済の問題を捨象する。その理由は,プラグマティックには,対外支払い・決済については独自の問題が多く,それだけで紙数を必要とするからである。この措置は,理論的にも正当化できる。というのは,まず国境のない単一資本主義経済の下で考察することは,国境で区切られた世界経済を考察する上での基礎となるからである。
本稿では,正貨(金貨など)が流通している場合と流通していない場合,全国的決済システムと発券集中を実現して中央銀行が存在する場合としない場合を分けて考察する。ただし,正貨流通が停止していて中央銀行券が成立していない状態,つまり正貨も法定通貨も存在しない状態,さらに言い換えるといわゆる「現金」のない状態,は考えにくい。よって正貨流通・中央銀行未成立,正貨流通・中央銀行成立,正貨流通停止・中央銀行成立の三つの場合を考えればよい。より一般的な表現では,前二者は金本位制をはじめとする金属本位制の場合,後者は管理通貨制の場合だと考えればよい。
正貨流通の下では,銀行は発券機能を持ち,正貨流通停止の下では発券集中により持たないものとする。よって,正貨流通の下では正貨,預金貨幣と,銀行券または中央銀行券が流通しており,正貨流通停止の下では預金貨幣と中央銀行券が流通している。
銀行は預金の払い出しに応じなければならない。加えて,正貨流通の下では兌換請求にも応じなければならず,正貨流通停止の下では兌換も停止するものとする。正貨流通の下では,銀行・中央銀行は預金の正貨での払い出し,自行銀行券の金との交換に応じなければならない。一方,正貨流通停止・中央銀行成立の下では,兌換は行われない。ただし,銀行・中央銀行は預金の中央銀行券での払い出しを行わねばならない。
また口座開設者の取引の結果を決済するために,銀行内の口座間と,銀行間での送金義務が発生する。銀行内であれば口座間の預金振替でことは足りる。しかし銀行間ではそうはいかない。支払いと受け取りの差額が支払超過である場合,銀行は送金を行わねばならない。正貨流通・中央銀行未成立下では,他行に対して正貨または相手行銀行券での支払いが必要である。正貨流通・中央銀行成立下ではこれらに加えて,中央銀行当座預金での支払いが可能である。正貨流通停止・中央銀行成立換えは中央銀行当座預金での支払いが可能である。なお中央銀行当座預金に換えて中央銀行券で支払うことも可能であるが,緊急時以外には行われないであろう。
本稿では,中央政府財政の赤字・黒字はないものとする。したがって,財政収支による通貨供給への影響はないし,国債発行による影響もないものとする。
本稿が根本的に問題とするのは一社会において銀行というものが成り立つ条件である。既に他の銀行が成立している下で個別銀行が追加で成立する条件ではない。このことを明確にするために,個々の「銀行」と区別される社会全体としての銀行のしくみを「銀行システム」と呼ぶこともある。ただし,個別銀行について述べることと社会全体の銀行システムについて述べることが矛盾しない場合には単に「銀行」という用語を使う。
3.「金融仲介=預金先行」説での準備金の説明批判
まず,「金融仲介=預金先行」説での準備金の説明について一瞥しておこう。この説だと,一見,準備金の説明は簡単に見える。先に預金が銀行に集められるからである。しかし,場合分けしてみていくとそうでもない。正貨流通・中央銀行不成立の下では預金は正貨と自行・他行銀行券,正貨流通・中央銀行成立下では正貨と中央銀行券で集められる。正貨流通停止下では,中央銀行券で集められる。
このうち,又貸しが簡単に説明できるのは貸付が正貨または中央銀行券で行われる場合である。まずもって預金は銀行に集積されているのであるから,借り手が預金の引き出し要求,兌換請求,他行からの支払い請求に応じることは当然に可能である。また正貨流通・中央銀行不成立下の他行銀行券についても,当該銀行に兌換請求すれば正貨が入手できるので正貨で預金された場合に準じて考えることができる。準備金残高が不足することもありうるが,それは貸し出しが過大であったり,不良な借り手ばかり集まっているからという量的問題であり,本来的に準備金になるものを持っておらず支払い不可能だという質的問題ではない。
正貨流通の下では預金として集めた正貨の一部,正貨流通停止の下では集めた中央銀行券の一部が準備金となっているので,そこから払い戻しを行う。ここに何の不思議もないように見える。
しかし,正貨の場合は良いとして,銀行券の場合は子細に観察すると問題がある。「金融仲介=預金先行」説は,社会全体として銀行システムを考察した時,預金となって集積すべき通貨のうち,他行銀行券や中央銀行券が,そもそもどうして流通しているかを説明できないのである。預金するためにはあらかじめ流通していなければならない。しかし,銀行券というものは,そもそもどのようにして発行され,流通に入るのか。銀行券は,まず発券銀行が預金貨幣発行を通して貸付を行い,次いで借り手,または借り手から預金振替で支払いを受けた取引相手が,その預金を引き出した場合に発券される。また,最初から銀行券で貸し付けを受けた場合にも発券される。中央銀行券もこの論理の延長上で説明できる。銀行が預金貨幣発行を通して貸付を行い,次いで借り手,または借り手から預金振替で支払いを受けた取引相手が,その預金を引き出した場合,あるいは最初から中央銀行券で貸し付けを受けた場合に,銀行は中央銀行券を必要とする。その中央銀行券は,銀行が中央銀行に持つ中央銀行当座預金設定を引き出すことで発券される。中央銀行当座預金は,正貨流通下では,流通している正貨が銀行に預けられ,さらに中央銀行に預けられることと,中央銀行が銀行に貸し付けを行うことの二つによって形成される。また正貨流通停止下では,後者の方法によってのみ形成される。
だとすると,正貨が関与する場合を除いて,他行銀行券や中央銀行券による預金は,貸付に先行するものではありえない。もともと,どこかで銀行が企業や個人に,あるいは中央銀行が銀行に信用を与えたからこそ存在しているものである。ということは,銀行システム全体としては「預金先行」がありうるのは正貨についてだけである。銀行券,中央銀行券は,個々の銀行から見れば「預金先行」に見えても,銀行システム全体を見れば必ず「貸付先行」なのである。
だから,「金融仲介=預金先行」説は正貨流通下で,正貨については整合的に説明できるとしても,銀行券が関与した瞬間に論理的に成り立たなくなる。よって,銀行システム成立の論理としては否定されるべきである。
4.「信用創造=貸付先行」説による準備金の説明
では「信用創造=貸付先行」説ではどうか。これが,本稿の積極的に解くべき問題である。以下,場合分けをしながら考えよう。
(1)正貨流通下の場合
まず正貨流通の場合である。銀行が借り手の口座に預金を創造するか,自行銀行券を借り手に渡して貸し付けを行ったとしよう。ここで,借り手が正貨での払い出しまたは兌換を要求するとどうなるか。また,銀行間決済において自行が支払い超過の立場に立った場合どうなるか。
正貨流通・中央銀行未成立下では,銀行は一定額の正貨を保持していなければ払い出し請求に応じることができない。つまり銀行は,信用創造を行うこと自体は準備金がなくともできるが,正貨での準備金を,借り手が払い出し請求,兌換請求を行い,他行からの支払い請求が来る以前に準備することが必要になる。抽象化すれば,正貨が入手できることを合理的にあてにできるような条件下で信用創造を行うことが必要になる。これらを満たすのは正貨での預金である。いったん銀行システムが成り立てば,個々の銀行にとっては他行銀行券でもよい。他行銀行券を当該銀行に提示すれば当該銀行に対する支払いができるし,正貨も入手できる。しかし,他行の存在を前提せず,銀行システム自体が成り立つ条件としては,正貨が必要である。正貨流通・中央銀行未成立下の下では,銀行システムが成立するためには,預金された正貨での準備金が必要なのである。
念のため付記すれば,正貨準備その量は,払い出し,兌換,支払支給に応じるに十分なだけあればよいのであって,銀行は準備金ショートのリスクに注意しながら,準備金の額以上に貸し出すことができる(※3)。
正貨流通・中央銀行成立下では,事情は多少修正される。預金者の正貨払い出し・兌換請求には正貨でなければ応じることができないが,他行に対する支払いは正貨を持ち出さなくとも,中央銀行当座預金を通して支払うことが可能である。また正貨を入手することは,中央銀行当座預金を正貨で引き出すことや,手持ちの中央銀行券を中央銀行に提示して兌換請求を行うことで可能である。つまり,正貨流通・中央銀行成立下では,銀行が準備金として確保すべきは,預金された正貨または中央銀行当座預金なのである。
ここでまず注目すべきは,預金された正貨である。この正貨は「金融仲介=預金先行」説の言う本源的預金ではない。受け入れた正貨をまた貸しするのではないからである。しかし,銀行の成立に当たって必要な預金であるという意味では,本源的預金に類似したものである。正貨流通の下では,銀行はこうした,いわば準本源的な預金を必要とするのである。同じことを別の角度から言えば,貸付という行為自体は,預金がなくとも可能である。しかし,預金の払い出しや銀行間支払の必要に備えた,正貨による預金は必要なのである。
ところで正貨での預金というのは,貨幣流通の見地から言えば,金などの貨幣商品が商品流通外に出ることを意味するものであり,蓄蔵貨幣の形成を意味する。正貨による蓄蔵貨幣の形成は,銀行による信用創造とはまったく別個の運動の結果である。正貨流通下では,銀行システムの成立とそれによる信用創造の拡大は,当該社会での正貨による蓄蔵貨幣の形成に外的に制約されるのである。
中央銀行の成立はこの制約条件を緩和する。中央銀行が当座預金を創造して銀行に供給することによって,銀行の準備金に伸縮性が与えられるからである。ただし,中央銀行自身が銀行からの兌換請求に応じなければならないので,中央銀行自体に正貨や貨幣金属(典型的には金地金)の準備が一定程度必要とされる。この正貨や地金は,流通にいったん入りながら,商品流通に一時的に不要とされて形成された蓄蔵貨幣から成る。具体的には,正貨での銀行預金が,再度中央銀行当座預金として預けられたものである。しかし,それだけではない。新産の貨幣商品金属を通貨当局である中央銀行が,直接に,あるいは政府を通して平価で無制限に買い入れることによっても形成される。これにより準備は補填される。ここでも,蓄蔵貨幣の形成と新産貨幣金属の産出は,銀行による信用創造とはまったく別個の運動の結果である。正貨流通下では,中央銀行がもたらす準備金の伸縮性も,蓄蔵貨幣の形成と新産貨幣金属の買い上げという別個の運動によって外的に制約されるのである。
※3 銀行は準備金の額以上に信用創造ができる。これは,「信用創造・貸付先行」説に立つならば,正貨流通下か否か,中央銀行成立下か否かにかかわらず妥当する。よって,以後,いちいち記述しない。
(2)正貨流通停止・中央銀行成立下の場合
次に正貨流通停止,かつ中央銀行成立の場合である。銀行が借り手の口座に預金を創造して貸し付けを行った後に,借り手が中央銀行券での払い出しを請求するとどうなるか。また,銀行間決済において自行が支払い超過の立場に立った場合どうなるか。
銀行は,中央銀行券を保持していなければ払い出し請求に応じることができない。また中央銀行当座預金を保持していなければ,他行に対する支払いを行うことができない。中央銀行券は,中央銀行当座預金を引き出すことによって入手できる。つまり銀行は,信用創造を行う際に,中央銀行当座預金または中央銀行券での準備金を事前に,あるいは事後であっても少なくとも借り手が払い出し請求や兌換を行いそうになる前に準備することが必要になる。抽象化して言えば,事後に中央銀行当座預金・中央銀行券が入手できることを合理的にあてにできるような条件下で信用創造を行うことが必要になる。
では,このような条件を満たす中央銀行当座預金・中央銀行券の入手方法とは何か。一見すると,正貨流通下では正貨の預金であったように,正貨流通停止の下では中央銀行券での預金であるように思える。しかし,そうではない。預金者が中央銀行券で預金を行うためには,あらかじめ中央銀行券が発券されていなければならない。ところが,財政支出が捨象されている限り,中央銀行券が発券されるのは,預金者が預金を引き出した場合だけである。そして,預金が生まれるのは銀行が企業・個人に貸し付けを行った場合である。個人や企業が銀行に中央銀行券を預け入れる場合にも預金は生まれるように見えるが,その中央銀行券はどこかで預金を引き出したから発券されているのであり,やはりそれ以前の,貸付によって生まれた預金に由来する。いずれにせよ,預金や中央銀行券が生まれる大本は銀行による企業・個人への貸付なのである。ということは,銀行システムが成立するにあたって中央銀行券での預金が必要となるというのは循環論法である。中央銀行券での預金は,どこかで銀行が企業・個人に貸し付けた結果としてでなければ存在できないのであり,銀行システムがすでに成立していることを前提するからである。
だから,銀行システム成立に当たって銀行が必要とする中央銀行券での準備金は,銀行への預金によって形成されるものではない。中央銀行が創造した中央銀行当座預金を引き出したものなのである。正貨流通停止の下での銀行の準備金とは,本質的に中央銀行が供与するものなのである。この点が,正貨流通の場合とは決定的に異なる。
再び貨幣流通の見地から見ると,中央銀行当座預金や,銀行によって引き出されて銀行が手持ちしている中央銀行券は,一時的に遊休し,商品流通を媒介していないという意味で遊休貨幣である。しかし,蓄蔵貨幣ではない。預金や銀行券は価値を持たないデジタル信号や紙券に過ぎないので,流通から出て価値を保蔵するという意味での蓄蔵貨幣にはなり得ない。正貨流通停止下では,遊休貨幣は存在しても蓄蔵貨幣は存在しないのである。
しかし,中央銀行当座預金や銀行手持ち中央銀行券が蓄蔵貨幣でないことは,むしろ積極的な意味を持つ。蓄蔵貨幣ではないがために,信用創造の運動に従属し,信用創造の運動に反応して形成される伸縮性を持つからである。正貨流通停止下では,銀行の信用創造は,正貨による蓄蔵貨幣形成の制約を離れて拡大できる。中央銀行は,信用創造を促進するとともに,それが過大とならないように,自らの信用創造による準備金供給を,金利調節を通してコントロールする。そして中央銀行もまた,蓄蔵貨幣の多寡や新産貨幣金属を買い上げる必要によって外的に制約されなくなるのである。
正貨流通停止下では中央銀行は兌換請求を受けることはない。そのため中央銀行自身の準備金としても正貨や地金は必要とされなくなる。本稿が想定する条件の下では,原理的には他の形態での準備資産さえ必要とされない(※4)。政府財政の影響を捨象する限り,正貨流通停止下では,中央銀行当座預金は中央銀行が銀行に対して信用を供与した結果であり,預金貨幣は銀行が企業・個人に対して信用を供与した結果であり,中央銀行券の発券は預金の引き出しによって預金貨幣が置き換えられた結果である。このような銀行システムの下では,銀行が中央銀行に求めることは,中央銀行当座預金での支払い決済の遂行であり,中央銀行からの借り入れの返済に際して当座預金または中央銀行券の利用を認めよということである。それは,金兌換が停止されていても何ら問題なく中央銀行が遂行できることである。つまり,本稿の前提の下では,中央銀行に対して銀行から兌換請求に変わる準備資産請求が殺到することは通常はない。あるとすれば,それは恐慌の勃発などによって通貨価値の激しい毀損が生じた場合であろう。その時には,本稿の想定の外にある財政赤字累積の結果として,中央銀行が供与してもいない中央銀行当座預金が積み上がっているであろう(※5)。中央銀行が銀行システムの健全さを維持できている限りは,そうした事態は生じない。本稿が想定する条件下では,中央銀行が準備資産を持つのは当然に必要なことではない。預金払い出しや決済に必要だからではなく,こうした通貨価値の毀損が激しくなることや,そのおそれによって通貨の信認が低下する事態を抑止する効果を持つために,政策的に選択されることである。
※4 対外取引を含めて考えるとここに修正が必要であるが,本稿は単一経済を前提しているので,こう言ってもよいのである。対外取引がある場合については,6節で最小限補足する。
※5 このことについては,ここで詳しく触れる余裕はない。さしあたり以下の拙稿を参照されたい。「超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)」Ka-Bataブログ,2023/7/6。https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/blog-post_6.html
5.中央銀行当座預金の独自の役割
ここで,中央銀行当座預金の独自の性質を論じておく必要がある。ここまでは正貨流通下・中央銀行未成立,正貨流通・中央銀行成立,正貨流通停止・中央銀行成立の三つの場合を機械的に区分して論じてきたが,ほんらいこれらは資本主義の発展とともに歴史的に変化する通貨体制の変遷を表している。資本主義の発展とともに中央銀行設立という形で通貨体制が整備され,正貨の上に信用貨幣が膨大に蓄積されるとともに,正貨流通が信用貨幣流通に取って代わられる。そうすると,自らは必ずしも準備を必要としない中央銀行の信用供与が,銀行の準備金の主力供給源になるということである。
では,この中央銀行の信用供与は貨幣論としてどう位置づけられるか。中央銀行の信用供与とは,中央銀行当座預金という自己宛て債務によって銀行に貸し付けることである。中央銀行当座預金が引き出されると中央銀行券が発券される。この関係は,銀行預金と銀行券の関係と全く同じであり,ここから中央銀行当座預金も信用貨幣であり,中央銀行券に対してより本源的なものだということができる。
しかし,中央銀行当座預金は商品流通を直接に媒介しない。その意味では通常の通貨とは異なる。しかし,信用貨幣の発行と流通を支え,支払い決済を支えることに特化した独自な信用貨幣であり,独自な預金貨幣だといわねばならない。今日の用語で,マネタリーベースに含まれるが,マネーストックには含まれないということが,この独自の位置を表している。このような独自な預金貨幣が生まれるのは,銀行システムが銀行と中央銀行という二層によって成立しているからである。
貨幣流通の見地から言うと,中央銀行当座預金の発生は,前述の通り蓄蔵貨幣の形成ではない。正貨や貨幣金属ではないからである。また,少なくとも発生する時点においては,すでに流通している貨幣が遊休するのでもない。それでは何なのかと言えば,独自な貨幣の新規供給なのである。そして,その役割は,銀行の信用創造による預金貨幣供給を準備金として支えることである。こうしてみると,中央銀行当座預金が,正貨流通の下では新産貨幣金属の買い上げによる新規正貨の供給が担っていた役割を,正貨流通停止のもとで代行する信用貨幣であることがわかる。新規正貨供給に取って代わることこそ,新規に設定される中央銀行当座預金の本質的役割である。
6.対外支払い・決済論についての補足
最初に断った通り,本稿は対外支払い・決済を捨象するという前提下で考察を行っている。ただ,ここまでの考察を踏まえて対外支払い・決済論への展望をわずかに述べておく。対外支払い・決済においては貿易や金融取引がその通貨建てで行われる中心国通貨と,それ以外の非中心国通貨が存在する。ここでは非中心国を想定する。ここでも各国財政の通貨供給への影響は捨象する。
本稿で言う正貨流通下とは,対外的には国際的な金本位制,正貨流通停止下というのは金兌換停止に対応すると考えてよい。正貨が国内で流通し,対外的には金兌換と金現送が行われるという条件の下では,銀行や中央銀行は国内取引に備えた準備に加えて,対外支払いに備えた貨幣商品金属または中心国正貨,あるいは中心国銀行の中心国通貨建て預金を保有しなければならないだろう。正貨が国内で流通せず,対外的に金兌換も金現送も行なわれないという条件の下では,銀行や中央銀行は国内取引に備えた準備に加えて,対外支払いに備えた中心国銀行の中心国通貨建て預金を保有しなければならないだろう。
このように対外支払・決済論では商品貨幣金属,中心国正貨,中心国銀行に持つ中心国通貨建て預金が重要な役割を果たすと予想されるのである。しかし,この先は別の機会に委ね,今は本稿の課題についての結論を述べよう。
7.結論
ここまで,「信用創造=貸付先行」説による準備金の説明を試みて来た。銀行は,信用創造,つまり預金という自己宛て債務による貸し付けを行うものであり,この行為自体は又貸しではないので,事前の預金を必要としない。しかし,銀行は,預金払い出しの請求や他行からの支払い請求が発生に備えて準備金を確保しなければならない。
具体的には,銀行システムは,正貨流通・中央銀行未成立下では預金された正貨を,正貨流通・中央銀行成立下では預金された正貨または中央銀行からの信用供与で得た中央銀行当座預金を,正貨流通停止・中央銀行成立下では同じく中央銀行当座預金を,準備金として確保しなければならない。
正貨流通下では,正貨による預金形成とは蓄蔵貨幣形成である。信用創造は,蓄蔵貨幣形成という,自らとはまったく別個の運動によって制約される。中央銀行成立下では,中央銀行による信用供与は,信用創造に従属し,伸縮性を持つ。ただし,正貨流通下での中央銀行は,正貨による蓄蔵貨幣形成と新産貨幣金属買い上げの運動によって,外的に制約される。正貨流通停止・中央銀行成立下では,中央銀行による信用供与は,信用創造に従属して伸縮性を持つし,蓄蔵貨幣形成にも新産貨幣金属の無制限買い上げにも制約されない。そして,自ら準備資産を持たずとも可能である。ただし,中央銀行は通貨価値と,通貨に対する信認を維持しなければならないので,準備資産はその助けになる。中央銀行は,金利調節を通して準備金供給をコントロールすることで,銀行による信用創造の拡張を促したり,抑制したりするのである。
ただし,この結論は,本稿が冒頭に設定した,国境によって区切られていない単一資本主義経済の下で妥当するものである。国境の存在を踏まえて国際金融を考察した場合には,一定の拡張や修正が必要である。
8.理論的示唆
本稿は三つの場合を区別して考察を行ったが,ここから,一定の理論的示唆を引き出すことができる。正貨流通とその停止,中央銀行の未成立と成立の区別と関連を説明できる,包括的な理論の形成に向かっての示唆である。
銀行システムが必要とする準備金とは,当該社会において現金とされるもの(正貨,中央銀行券),あるいはただちにそれに転換できるもの(中央銀行当座預金,正貨流通下での他行銀行券)でなければならない。これはいかなる学説においても共通である。
しかし,本稿の分析結果からすれば,この準備金の出所を,蓄蔵貨幣や遊休貨幣に,言い換えると既に存在している貨幣の融通に不当に一元化,もっと強く言えば矮小化してはならない。この矮小化を典型的に行っているのは種々の学派に共通した「金融仲介=預金先行」説である。また,マルクス経済学の場合は「銀行の出発点は蓄蔵貨幣または遊休貨幣である」という観点が存在するが,この観点もまた不当な一元化,矮小化である(※6)。これらの説は部分的に,具体的には正貨流通下の正貨については妥当する。それ故,現実に根拠を持つ説ではある。しかし,一般理論としては間違いなのである。
本稿の分析結果が示すのは,準備金の出所は,蓄蔵貨幣や遊休貨幣だけでなく,新産貨幣金属の買い上げや中央銀行の信用供与でもありうるということである。そして,資本主義の発展とともに正貨の上に信用貨幣が膨大に蓄積され,正貨流通が信用貨幣流通に取って代わられると,中央銀行の信用供与が準備金の主力供給源になる。中央銀行の信用供与とは,中央銀行当座預金という自己宛て債務によって銀行に貸し付けることである。中央銀行当座預金は商品流通外にあって,信用貨幣の発行と流通を支え,支払い決済を支えることに特化した独自な預金貨幣である。中央銀行当座預金の役割は,正貨流通の下では新産貨幣金属の買い上げによって生まれる新規正貨に取って代わり,準備金形成を担うことである。
資本主義発展と信用貨幣の蓄積とともに,銀行システムの準備金の発生源は,既に存在している正貨の融通や新産貨幣金属による正貨の生成から,中央銀行による,中央銀行当座預金という独自な信用貨幣の新規発行に移っていくのである。
※6 マルクス経済学における「銀行の出発点は蓄蔵貨幣または遊休貨幣である」という観点は,ここまで利用してきた二分法で言えば,「金融仲介=預金先行」説と親和性が非常に強い。それ故,後者の説に対する批判によって前者の観点に対する批判をかなりの程度カバーできる。しかし,「銀行の出発点は蓄蔵貨幣または遊休貨幣である」という観点は,信用貨幣論や貸付先行説をとる論者でも採用することがある。例えば村岡俊三『マルクス世界市場論』新評論,1976年,第10章「マルクス信用論の骨格」である。この説については独自の検討が必要であるが,これは別稿に委ねなければならない。
続稿
「村岡俊三氏の銀行信用論の検討:「信用創造=貸付先行」説と準備金論の見地から」Ka-Bataブログ,2024年1月7日。