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2022年12月5日月曜日

川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」DP版の公表にあたって

 川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」 をTERG Discussion Paper, No. 469として公開しました。野口先生の一般向け書籍をなぜ取り上げたかというと,以下の点で重要だと考えたからです。

1.CBDCはデジタル化された現金であり,現金通貨と同じ法則性を持つことを指摘したこと。これは本書の重要な貢献です。ただ,せっかくの一般向け書物なので,「CBDCはキャッシュレスでなくデジタルキャッシュである」と「CBDCは取引をキャッシュレスにするのではなく,口座振替をデジタルキャッシュ取引に変える」とはっきり断言して欲しかったです。

2.CBDCは銀行を貸し出し不能またはナローバンクにすると主張したこと。これは本書の問題点であり,批判したところです。そしてこの批判は,野口先生が依拠されている主流の銀行論,つまり預金先行説に対する批判でもあります。CBDCの姿は,貸付先行説で銀行を理解することによって把握可能となります。

 貨幣論の研究の発表の場を,ようやくブログからDPに広げられました。論文まで行けるように頑張ります。

 なお,本稿は2021年12月3日の記事を,原形をとどめないほど大幅に改定したものです。


川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」TERG Discussion Paper, No. 469,1-12。

2022年11月27日日曜日

21世紀日本における軍事費の紆余曲折:山田朗氏作成の表を読む

  山田朗「自衛隊はどう変わりつつあるのか」『経済』2022年12月号が45ページに「日本の軍事費(1995-2022年)」と言う表を掲げている。これを見て、21世紀日本の軍事費が意外な動きをしていることに気が付いた。そして、現在の「GDP2%」という自民党の軍事費拡張路線が、財政構造を一気に変えようとするものであることが明らかになった。以下、数字をただ読んだだけであるが、「Kaコメ」は私なりの解釈であり。素晴らしい表を作成してくださった山田氏に感謝する。なお、本ブログの趣旨は山田氏自身の解釈と同一ではないかもしれないが,さほど違いもしないだろうと予想する。

 なお、ここで言う軍事費の定義は、防衛本庁・防衛施設庁・安全保障会議の当初予算合計額である(2を除く)。

 用いる指標は軍事費の絶対額、対歳出比率、対前年度比伸び率、対GDP比率である。

1.「GDP比1%枠」は維持されていた

*「1%枠」は1976年に三木内閣によって設定され、1987年に中曽根内閣によって廃止された。しかし、結局1%枠は生き続け、21世紀になってからも1%を超えたのは2002年度だけであった。

*Kaコメ:世論や対アジア諸国外交、他用途の圧迫を考慮すると、自民党政権と言えど安倍政権と言えど、これまで1%を守らざるを得なかったのだ。

2.世界の軍事費ランキングで日本は大きく下がった

*この統計だけは、垣内亮ほか「『軍事費2倍化』は何をもたらすか」『経済』2022年12月号、17ページを参照した。したがって軍事費の定義もストックホルム国際平和研究所のものであり、他の項目と異なっている。

*同研究所の基準で見た軍事費の世界ランキングにおいて、1995年に日本は2位だった(1位はアメリカ)。それが2021年には9位に下がった。2-8位は中国、インド、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、サウジアラビアだった。

*Kaコメ:なぜこんなに順位が下がったのかと言うと、「GDP比1%」枠を守ったからである。「1%枠」を守ると、日本のGDPは1990年代後半以降ほとんど成長しなかったので、軍事費も増加しようがなかった。他の上位国はそれぞれの事情で軍事費を増やしたために追い抜かれたのである。身もフタもない話である。

3.小泉内閣から安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田内閣まで軍事費は減り続けていた。

*2003年度から2012年度まで10年間連続で軍事費の絶対額は減り続けていた。

*対歳出比率も多少上下しながら小泉内閣前年度の2000年度:5.79%→2012年度5.14%と低下した。

*対GDP比率も2000年度:0.99%→2012年度:0.97%と低下した。

*Kaコメ:率直に驚いた。これほど連続して減額されているとは思っていなかったからだ。この時期の前半は、小泉構造改革期であり、小泉内閣がバカ正直にマイナスシーリングを軍事費にも適用したことが大きいと思われる。その後も歳出抑制傾向は続き、拡張される場合もリーマン・ショック対応など軍事以外を優先したのだと思われる。

4.安倍内閣期に軍事費は増えたが、対歳出比率や対GDP比は低下した

*2013年度から2020年度まで軍事費は毎年増え続け、とくに2014年度は2.21%と1996年度以来の増加率となった。

*しかし、対歳出比率は安倍内閣直前の2012年度:5.14%→2020年度:5.02%と低下した。

*対GDP比率も2012年度:0.97%→2020年度:0.89%まで低下した。

*Kaコメ:これも意外なことであった。安倍内閣は安全保障関連法制の整備など、制度的に日本が戦争に関与できる範囲を広げ、軍事費の絶対額も増額に転じさせたが、実は軍事費が予算や日本経済に占める地位を引き上げることはできなかったのだ。

5.菅内閣・これまでの岸田内閣は短期なので何とも言いにくいが、安倍政権を継承したものの、もっぱらコロナの影響で多少の変化があった。

*軍事費絶対額は引き続き、2021年度、2022年度とも1.08%増えた。

*対歳出比率は、安倍政権最後の年の2020年度:5.02%→2022年度:4.81%と低下した。

*一方、対GDP比率は2022年度:0.89%→2022年度:0.92%と上昇した。

*Kaコメ:コロナ禍でGDP自体が縮小したために対GDP比率が引き上がる一方で、コロナ対策のために歳出を拡大したために、軍事費の対歳出比率が下がったのだと考えられる。

6.まとめのKaコメ

 以上のように、21世紀の軍事費は、紆余曲折をたどってきた。これまでの20年間は、自民党政権も民主党政権も、軍事費を優先的に扱って来たとは言えない。何よりも「GDP比1%枠」が軍事費の頭を押さえつけていたことがわかる。だからこそ、自民党はここを突破点とし、一気に「5年以内に対GDP比2%」に持っていこうとしているのだろう。5年で対GDPを2倍にするというのは、GDP成長率を毎年1%として,これから毎年度約18 %軍事費を増やすことを意味する(※)。過去のトレンドに照らしてみると、いかに突拍子もない質的転換を目指すものであるかがわかる。

※GDPが5年間毎年1%だけ成長するものとする。すると5年後にはGDPは現在の1.05倍になっている。2022年度の軍事費はGDP比0.92%なので,現在の0.92%から5年後の2%への増額には軍事費が2.28倍になる必要がある。そうすると,毎年度17.9-18.0%の伸びが必要である。

『経済』2022年12月号。

*2022年11月29日。今後の毎年度の軍事費増加率計算の仮定と結果を修正し,計算履歴を付記。

2022年11月19日土曜日

超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)

1.問題の所在

 前稿では,金利を引き上げると,日銀から日銀当座預金への利払いが増え,場合によっては赤字や債務超過もありうること,日銀は債務超過になっても円建てである限りデフォルトを起こすことはなく営業を継続できるが,信用秩序維持能力の喪失を疑われることはありうること,債務超過を放置できずに政府が補填した場合に,政府・議会からの介入圧力が生じることを述べた。

 本稿は,一歩考察を勧めて,中央銀行当座預金への付利という手法の本質を考察したい。そもそもなぜ,日銀当座預金への利息が問題となりうるのだろうか。日銀当座預金への付利とは,金融システムの抱えるどのような特徴や問題点の表れであり,どのような機能を果たすものなのだろうか。

2.準備預金への利息付与の経過

 準備預金でもある中銀当座預金は,もともと利息が付されてないものであり,またそれが望ましいとされていた(小栗,2017,p. 104)。準備預金は,支払準備のために銀行が積むべきものだったからである。しかし,アメリカと日本では,超過準備への付利がリーマン・ショックの時に始まった(ただし欧州中央銀行❲ECB❳では1999年から準備預金全体に利息が付いていた)。その直接の動機は,金融危機の下で銀行の手元に十分な支払準備を確保すると同時に,中央銀行が短期金利に対するコントロールを失わないようにするためであった。

 リーマン・ショックに際して,各国中銀は緊急融資や債券買い上げによって銀行に豊富な準備を供給した。経済全体にも豊富な流動性が供給されるようにするためである。すると,銀行は超過準備を持つことになり,貸し出し余力をつける。資金ショートの心配はなくなる一方,超過準備に利子がつかないために,そのままでは収益性が低下する。この時,銀行行動は不確定になり,その影響でインターバンク市場が不安定になる。銀行からの資金放出がまったく不活発になって,いざ資金を必要とする銀行が調達不可能になるかもしれない。逆に,資金が大量に放出されて過剰な緩和が生じるかもしれない。各国中銀が超過準備または中銀当座預金に利息を付したのは,直接には,この状況をコントロールするためであった。これらは,ベン・バーナンキや白川方明によって証言されている(白川,2018;バーナンキ,2015,pp. 76-77)。

3.準備預金付利継続の論理(1)長期停滞の下での緩和基調の維持

 しかし,制度の導入時の動機と,その制度が存続して果たしている役割は異なるものである。その後,金融危機が去ってからも超過準備預金への付利は継続されてきた。危機から脱出した後は,中央銀行は超過準備を売りオペレーションによって吸収してもよかったはずである。しかし,結局これが徹底されることはなかった。アメリカで「QEの終了」が言われても,超過準備の徹底吸収がめざされた気配はないし,議論だけで「金融緩和の出口」が目指されてもいない日本ではなおさらである。それはなぜか。

 第一に,リーマン・ショック後も,金融緩和を継続せざるをえないほど,先進諸国において経済の長期停滞が明確だったからである。黒田総裁就任以後に意図的に緩和を行った日本だけでなく,アメリカもヨーロッパも,とても超過準備を吸収しきるほどの金融引き締めを行えなかった。先進資本主義諸国の経済停滞により,各国中銀が金融緩和基調を維持せざるを得なかったこと。これが超過準備の存続の根本理由と思われる。

 金融緩和,もっと言えばゼロ金利と超過準備の維持は両輪の関係にある。もし短期金融市場に十分なプラス金利があって,中銀当座預金に利息が付かないのであれば,銀行は超過準備を保有する動機を持たない(横山,2015,pp.126-131)。資金運用の機会を失うだけだからである。しかし,金利がゼロになれば別である。銀行にとって,超過準備を保有することと,インターバンク市場に放出することが無差別になるからである。しかし,それでは先に述べたように,インターバンク市場が不安定になる。そこで中央銀行は,超過準備,または中銀当座預金全体にかすかに付利することによって,超過準備保有のインセンティブを銀行に与え続けているのである。金融危機ではないときにも,程度はとにかく質的には危機と同様にゼロ近傍の金利を保ち,超過準備保有を銀行に促さざるを得ないほどの長期停滞が生じていたこと。これが,中銀当座預金への付利が継続した経済的背景である。

4.準備預金付利継続の論理(2)国債消化の円滑化

 第二に,国債消化を支え,財政の赤字運営を円滑化するためである。これは,政策当局が目的意識的に行っているかどうかは明確ではないが,事実上そのような経済的機能を果たしているということである。

 ヨーロッパでは国毎にある程度事情が異なるとはいえ,先進諸国政府は21世紀に入ってから財政を赤字基調として,国債による資金調達を行ってきた。これもつまるところは,経済の長期停滞に対処せざるを得なかったからである。

 国債発行による資金調達は,中銀に口座を持つ預金取扱金融機関によって購入される限り,マネーストックを吸収しない(最終的に個人や生命保険会社などが購入する場合は吸収する)。というのは,国債は超過準備によって購入されるからである。一方,政府が赤字支出を行うとマネーストックは増大し,それは銀行預金の純増と,それを反映した中銀当座預金の増加に反映される。なので,国債発行による財政支出では,マネーストックは増大し,銀行全体を通しては超過準備はプラスマイナスゼロとなる(※1)。

 ここで,超過準備はもともと中央銀行によって供給されるものである。そして,国債購入と政府支出の過程で一時的な短期金融市場の引き締まりが起これば,やはり中央銀行が買いオペを行って対抗するだろう。また,中央銀行がさらなる金融緩和を意図する場合や,銀行にとって国債購入が魅力的でない場合には,事後に中銀が買いオペレーションを行うことになるだろう。この場合は,金融緩和と事実上の財政ファイナンスが同時に行われる。超過準備はさらに積みあがるが,ここに利息が付されていれば,銀行はこれを保持し続ける。そして,超過準備の金利を上回る貸し出しを求めて行動することになる。

 このように,国債消化を円滑化すること,具体的には金融を引き締めず,場合によっては一層緩和し,事実上の財政ファイナンスを行いながら赤字財政を実行させることに,超過準備が大いに貢献している。超過準備は,いわば国債を引き受けるためのクッションである。その厚みは,国債を引き受けたことで減少するが,財政支出によって回復する。一層の金融緩和が意図される場合や,国債の魅力に疑念がある場合には,中央銀行が買いオペを行うことで,クッションには一層厚みが出るのである。

5.結論と残された課題

 以上,中銀当座預金への付利とは,直接にはゼロ近傍の金利の下で銀行に過剰準備の保有を促すためものであった。中央銀行がそのような政策に出ることを後押ししたのは,先進資本主義諸国の長期停滞という事態であった。長期停滞のもとで伝統的な金利操作は通用しなくなり,また財政は赤字基調とならざるを得なくなった。この二つの条件の下で,金融緩和を有効に行うための手段として,また国債の円滑な消化の手段として用いられたのが過剰準備だったのである。

 したがって,中銀当座預金への付利とは,中央銀行にとって,銀行に過剰準備保有を促すためのコストであり,それは結局は,ゼロ近傍以下の金利の下で金融政策を行うためのコストであり,国債消化を円滑に進めるためのコストだったのである。これが,付利された中銀当座預金の累積の背後にある経済の実態であり,またこの利払いというコストの本質である。

 次に検討すべきは,このコストが,中央銀行と金融・財政システムの運営にとって支払に値するものであったのか,すなわち中銀当座預金への付利は,金融政策と財政政策を有効に作動させたのか,金融・財政政策を作動させるという便益に見合うコストであったのか,ということである。稿を改めたい。


※1 この理解は通説と異なり,国債発行がカネのクラウディング・アウトを起こさないとするものである。川端(2019.9.5)を参照。

<前稿>

川端望(2022.11.16)「日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2022/11/blog-post.html)。

<続稿>

川端望(2023.7.6)「超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/blog-post_6.html)。


<参照文献>

小栗誠治(2017)「中央銀行の債務構造と財務の健全性:銀行券,準備預金および自己資本」『彦根論叢』414,98-113(https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-414oguri.pdf)。
川端望(2019.9.5)「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ( https://riversidehope.blogspot.com/2019/09/lmmt_5.html )。
白川方明(2018)『中央銀行:セントラル・バンカーの経験した39年』東洋経済新報社。
横山昭雄(2015)『真説 経済・金融の仕組み』日本評論社。
バーナンキ,ベン(小此木潔訳)(2015)『危機と決断 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録(下)』角川書店。


2022年11月16日水曜日

日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)

 1.「金融緩和の出口」における日銀の業績悪化とはどういうことか

 2022年現在,日本以外の先進諸国はインフレ抑制を掲げて金利を引き上げつつある。金融緩和を継続する日本銀行についても,出口戦略の在り方が問われている。かねてより日本銀行については,利上げを行うと日銀の業績が悪化し,債務超過もありうるのではないかという問いが提出され,そうした事態が生じる可能性や,それが金融秩序に深刻な脅威となるか否かについて,いわゆる「出口戦略」として議論が行われてきた。

 この問い自体については,すでにいくつかの意見が提出されている。野口(2022.6.23)中里(2022.10.11)木内(2022.11.2)などである。また学術的な検討しては,小栗(2017)等によってなされている。これらをまとめると,以下のような共通の理解が得られる。結局のところ日銀の業績悪化が債務超過に至るかどうかは,利上げの幅次第である。業績悪化をもたらす要因として国債等の資産価格の下落と,超過準備への利払いの拡大が挙げられる。どちらかというと,業績悪化の直接要因となりうるのは後者の方である。国債については,日銀が長期保有するために,直接の損失減となる可能性は低いが,超過準備への付利は,金利引き上げとともに確実に日銀の支払いを増やすからである。ただし,日銀は債務超過になっても円建てである限りデフォルトを起こすことはなくオペレーションを継続できることは,論者の間で見解が一致している。問題は,その時に信用秩序維持能力の喪失を疑われて,円や国債への売り攻撃を招くことがあるかどうかであろう。

2.信用秩序への疑念は,中央銀行の在り方への疑念をも呼び起こす

 ここからは私見であるが,私は日銀が信用秩序維持能力を疑われることはありうるし,それは単に市場心理の問題ではなく,根拠のあることだと考える。それは半官半民の存在であり,また通貨価値維持のために中央政府からの一定の独立性を持つべきとされているという,中央銀行の独特な性質に関係する。

 いま,日銀が債務超過になるほど準備預金へ利払いを迫られるとしよう。日銀は円については支払い不能にならないので,日銀当座預金口座にお金を振り込んで利子を支払うだろう。さらに,銀行が超過準備に対する利子を得たとして,それをさらに超過準備に積み増した場合,利子が利子を生む結果となり,さらに日銀は当座預金を積み増さねばならないかもしれない。債務超過になっても利払いを続ける日銀は,株式会社という観点から言えば不健全であり,経営規律を失っているとみなされる恐れがある。また公的機関としてみれば,日銀の財務的都合だけのためにマネタリーベースを追加供給して銀行の利益に奉仕する状態となっており,有効な金融引き締めを行っているのかどうかを疑われかねない。

 債務超過の日銀をそのまま放置してオペレーションを継続させることは,理論上は可能だし,おそらく日本では法律上も可能である。決算を財務省が承認することも妨げられていない(衆議院議員藤岡隆雄君提出日本銀行が債務超過になった場合の日本銀行法第八条の出資の扱い等に関する質問に対する答弁書,2022年6月24日)。その上,現行の日銀法は政府による日銀の損失補填を禁じてしまっている(旧法では逆で,補填義務があった)。しかし,放置すれば上記の要因により金融不安が高まるかもしれない。さりとて,例外的に交付国債などによる補填を行えば,財政負担が生じるとともに,国会が日銀の在り方について発言する資格があるとみなされるだろう。すると,日銀の独立性は縮減される恐れがあり,その是非が問われてくる。

 つまり,日銀の信用秩序能力が疑われるということは,金融不安を引き起こす可能性を持つとともに,半官半民の日銀の在り方,日銀の独立性の在り方について,疑問を惹起するきっかけとなってしまうのである。

 また,こうした疑念は,実態的な根拠以上に拡大することも十分考えられる。投機家は,自分自身が「日銀に不安がある」と思うからではなく,「多くの投機家が日銀に不安があると思っているだろう」という予想に基づいて行動するものだからである。したがい,円に対する売り浴びせによる為替レートの下落,あるいは日銀の保有資産の主力を占める国債に対する売り攻撃による国債価格の下落,その裏返しとしての長期金利の高騰が生じる危険性はあると言わねばならない。また,続稿で説明するが,こうした事態は,大量の国債発行による財政赤字の累積と同時並行で生じると考えられるので,実体経済におけるインフレーションの発生と同時に進行するかもしれない。その場合は,日銀への不安は引き締め能力への不安という方向で発生し,インフレを加速させるだろう。

 繰り返すが,信用貨幣論を持ち出すまでもなく(※),すべての論者が一致しているように,日銀は債務超過となっても円について支払い不能になることはあり得ない。しかし,日銀の信用秩序維持能力に疑念が持たれることはあり得る。その疑念は実態的根拠を持つし,また実態的根拠以上に拡大し得るものである。また,日銀の,半官半民という性格と政府からの独立という正確にたいする疑問を惹起しかねないものなのである。したがって,「出口」において,日銀の支払い不能を懸念する必要はないが,信用秩序維持能力に対する疑念が発生した場合について考えておくことは必要であろう。

3.そもそもなぜ付利を続けているのか

 以上が,日銀の業績悪化に伴って生じる事態への,いわば予想である。しかし,真に考えるべき問題は,この先にある。そもそもなぜこのような問題が生じるかである。2008年までは日銀当座預金には利息が付されていなかった。超過準備に付利し,その超過準備が膨れ上がっているからこそ,こうした問題が生じるのである。それでは,日銀を含む先進諸国の中央銀行は,なぜ超過準備(または中銀当座預金全体)に利息を付与するようになり,今も付与し続けているのであろうか。これを,より深く掘り下げて考えることが本題である。続稿にて論じる。


※信用貨幣論によって,日銀が円について支払い不能に陥らない理由を述べると,「管理通貨制度のもとでは,日銀当座預金と日銀券(ベースマネー)よりも高度なお金が,国内にはないから」となる。資本主義経済における貨幣の主力は,正貨と信用貨幣である。貸したお金の回収が危なくなるときの人の行動原理は,「もっと信用の高い債務証書(手形)をよこせ。それもないなら正貨をよこせ」である。会社の手形が不渡りになりそうだったら,いますぐ銀行預金に振り込んで返せとか日銀券で返せなどという。企業の手形より銀行預金(銀行の手形)や日銀券(日銀の手形)の方が信用があるからだ。銀行の経営が危なくなったら,預金をおろして日銀券に換えようとする。その銀行の預金(銀行の手形)が信用できなくなって,日銀券(日銀の手形)を求めるのである。もし金本位制であって金兌換が可能ならば,銀行券や日銀券が信用できないと思ったら金に換えろと要求するだろう。

 管理通貨制度では,このうち金兌換が停止される。日銀の信用に不安があっても,日銀当座預金と日銀券しかとりたてようがない。そして,日銀は日銀当座預金と日銀券はいくらでも作り出して支払うことができる。なので,たとえ債務超過になっても日銀は倒産せず,営業を継続できるのである。

<続稿>

川端望(2022.11.19)「超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2022/11/blog-post_19.html

<参照文献>

小栗誠治(2017)「中央銀行の債務構造と財務の健全性:銀行券,準備預金および自己資本」『彦根論叢』414,98-113( https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-414oguri.pdf )。
木内登英(2022.11.2)「FRBの損失発生は利上げを制約するか:損失は日銀の正常化実施の障害となるか」NRIコラム( https://www.nri.com/jp/knowledge/blog/lst/2022/fis/kiuchi/1102_2
中里透(2022.10.11)「日銀はなぜ利上げをしないのか――マイナス金利について考える」SYNODOS( https://synodos.jp/opinion/economy/28365/ )。
野口悠紀雄(2022.6.23)「日本銀行が利上げで数十兆円の「債務超過」に陥ると何が起きるのか」DIAMOND online( https://diamond.jp/articles/-/305209 )。

2022年11月3日木曜日

手形交換所や紙の手形がなくなっても,現代の金融システムは手形原理に依拠している:MMTとの見解の相違にも触れて

1.手形交換所の交換業務終了と決済の今後

 11月2日,全国の手形交換所が交換業務を終了した。4日以降は電子交換所が稼働するとのことだが,これはいわば「つなぎ」的存在だ。というのは,紙の手形をスキャンして,スキャンデータで交換業務を行うだけのものだからだ。経産省は,約束手形を2026年までに廃止する方針とのことである。今後の企業間債権決済業務の本命は「電子記録債権」,略称「でんさい」とこれを決済する「でんさいネット」で,要は初めから紙をつかわない電子手形である。

 紙の手形は姿を消すし,「でんさい」もかつての紙の手形ほどはつかわれないだろう。いわゆる「現金決済」が増えたからであるが,これは正確ではない。札束としての現ナマで支払うことが増えたのではなく,ただちに預金口座振り込みで決済することが増えたのである。預金口座振り込みとは,つまり「預金=銀行の一覧払手形」を用いた決済である。手形の債権債務の差額が手形交換所で相殺されるように,銀行間の債権債務の差額は,日銀当座預金内で相殺される。もちろん銀行業務はオンライン化されていて,銀行手形もいわば電子化されている。

2.金融システムを成り立たせている手形原理

 紙の手形や電子手形だけでなく,銀行振り込みも手形原理によって成り立っている。それどころか,そもそも銀行による貸し付けも手形原理によって成り立っている。貸付とは銀行が預金という名の自らの手形を振り出して,その手形で貸し付けることである。そして銀行への利払いや返済には,預金という,その銀行自身の手形をもちいることができるのである。

 ここでいう手形原理とは,1)手形を切ることによって発生した債務証書が流通し得ることであり,2)債権債務は,多角的相殺により決済されること(その一環として,手形は,手形の振出人に対する支払いに用いることができること)であり,3)相殺し切れない差額は,通貨によって決済されることである。銀行はこの手形原理に,資本の貸し付けの原理,すなわち,利潤を生む商品としての資本を貸し付け,利子を得るという原理を上乗せして成り立つ。約束手形などの商業手形を振り出すのは商品を購入する際であるが,銀行手形=預金は貸し付ける際に振り出される。

 このうち3)の「通貨」は本位貨幣制度と管理通貨制度では性質がいくらか異なる。通貨には,金貨や銀貨などの正貨,銀行預金,銀行券,補助貨幣がある。銀行券は現代では中央銀行のみが発券する国が多い。また,民間企業では流通せずに金融機関内取引のみで流通する独自な預金として中央銀行当座預金がある。そして,このうち銀行預金,(中央)銀行券は,銀行手形がその信用度の高さと流通性の良さによって通貨となった信用貨幣である。

 正貨は,本位貨幣制が停止されて管理通貨制度に移行すると流通しなくなる。正貨流通が停止された通貨制度の下では,補助貨幣以外の通貨は信用貨幣になってしまう。そうすると,上記3)の規定はより具体的に,3)相殺し切れない差額は,より信用度の高い債務と交換されることで決済される,となる。中央銀行券の現ナマでの支払いであれ銀行振り込みであれ中央銀行による決済であれ,正貨流通が停止されても成り立っているのは,1)2)3)の手形原理は,金兌換があろうがあるまいが成り立つからである。

 このように,管理通貨制度の下での信用貨幣のシステムは,手形原理に立脚して,その上に資本の貸し付けの原理を重ねて成り立っている。紙の手形が消え,電子手形がそれほど使われなくても,手形原理は金融システム内部に綿々と生き続けているのである。

3.学説上の論点:マルクス派信用貨幣論とMMT

 私の依拠するマルクス派信用貨幣論は,以上のように手形原理から現代の通貨と金融システムを説明する。より大きく見れば,商品流通と資本主義経済の発展が信用貨幣システムの発展を支えているととらえる。

 近年,同じく現代の金融システムを信用貨幣論で説明する学説としてMMT(現代貨幣理論)がある。金融システムの説明としては,私もMMTと意見を共有するところが多くあるし,中央銀行当座預金の機能や,より信用度の高い債務との交換という理解の仕方など,MMTに学んだところもある。しかし,金融システムを成り立たせる根拠については,MMTと理解が異なるので,説明しておきたい。

 MMT(現代貨幣理論)は,現代の金融の運動様式を説明する際には信用貨幣論を取るものの,貨幣が流通する根拠は国家による課税に置く。納税に用いることができるから,人々は貨幣を受け取るというのである。それはそれで法定通貨論としてはわかる。しかし,国家のみから貨幣を説明するのは一面的であり,また信用貨幣という形態を説明するには不十分ではないか。MMTは,商品経済と資本主義経済の発展の中から信用貨幣システムが確立する論理を把握していない。商品経済自体から手形原理が生じることや,手形原理に資本貸し付けの原理を重ねて銀行が発達したことへの考慮がない。ここで,マルクス派信用貨幣論とMMTは意見が分かれるのである。

「「手形交換所」最後の業務 仙台も103年の歴史に幕 全国179カ所、電子化移行」河北新報ONLINE,2022年11月3日。

でんさいネット

「「取引適正化に向けた5つの取組」を公表しました。」経済産業省,2022年2月10日。

<関連投稿>

「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(1):信用貨幣,そして主権通貨の流通根拠」Ka-Bataブログ,2019年9月3日。

「マルクス派信用貨幣論とMMT:その一致点と相違点について」Ka-Bataブログ,2022年8月17日。

「続・マルクス派信用貨幣論とMMTの対比:信用貨幣の流通根拠は手形が債権債務の相殺機能を持つことか,それとも納税に使える国定貨幣であることか」Ka-Bataブログ,2022年9月8日。


2022年11月1日火曜日

2つのブロックへの世界の分裂は,経済をどれほど落ち込ませるか:IMFの警告

 IMF, Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022(アジア太平洋地域経済見通し,2022年10月), Chapter 3 Asia and the Growing Risk of Geoeconomic Fragmentation(アジアと,地経学的分断のリスク)を読んだ。

  IMFは国際貿易の分断に関するシナリオ分析を行っている。各国は2022年3月2日の国連総会におけるロシアのウクライナ侵略非難決議への態度をもとにロシア,反対国(ベラルーシ,北朝鮮など5か国),賛成国(141か国),棄権国(バングラデシュ,中国,カザフスタン,南アフリカ,ベトナムなど35か国)に分類される。分断ラインは2種類で,一つは「ロシア・デカップリング」,つまりロシアだけが賛成国との貿易を制限される場合,もう一つは「2つのブロックへの分裂」つまり賛成国と,ロシア・反対国・棄権国との貿易が制限される場合である。貿易制限の対象は,「ハイテク・エネルギー」の場合と,他のセクターでの非関税障壁が冷戦時代並みになったばあいに場合の2種類が想定される。

 結果は下記の図の通りであり,「ロシア・デカップリング」だけならば世界とアジアへの影響はほとんどない。しかし「2つのブロックへの分裂」では,対象が「ハイテク・エネルギー」だけであっても世界のGDPは1.2%,アジア・太平洋諸国のGDPは1.5%落ち込む。さらに他セクターの「冷戦時代並みの非関税障壁」が加わると,GDPの落ち込みは世界全体で1.5%,アジア・太平洋諸国では3.3%に達する。


出所:IMF, Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022, p. 50.


 以下は3章の結論部の最初の部分の訳である。

「近年,貿易政策の不確実性が高まり,各国がこれまで以上に貿易制限を強化し(特にハイテクやエネルギー分野),国家安全保障上の懸念から対内直接投資に新たな制限が設けられるなど,断片化の兆しは以前から見られていた。ロシアのウクライナ戦争は地政学的緊張をさらに高め,貿易や金融の流れが経済的というよりむしろ地政学的な要因でますます左右されるようになるリスクを前面に押し出している。本章の分析は,このような分断化の傾向が続けば,特に世界がはっきりとしたブロックに分断されるという最も激しい分断化のシナリオの場合,大きな経済的損失が-世界に,そしてとりわけアジアに-生じる可能性を強調している。さらなる分断化による悪影響を回避し,貿易が成長の原動力として機能し続けることを保証するためには,共同による解決策が必要である。」

 残念ながら,現在,この解決のための共同にとっての政治的障壁は上がる一方である。事態の改善は容易ではない。しかし,まず世界経済の分裂がもたらすであろう被害を直視することが重要だ。このIMF報告書は貴重な貢献をなしたと思う。


Overviewと全文ダウンロードページ

IMF, Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022.


IMFスタッフによる日本語ブログのページ

ディエゴ・セルデイロ,シッダート・コタリ「アジア、そして世界は、経済の分断によるリスクの高まりに直面している」IMFブログ,2022年10月27日。


2022年10月30日日曜日

雇用慣行の改革なしには,リスキリング推奨も不発に終わる:エンプロイヤビリティの二の舞にならないために

 リスキリングと言われている問題は,以前,具体的には90年代末から2000年代初頭にはエンプロイヤビリティと言われていた。スキルを学んで再就職できるようにしろというのは同じである。装いを変えて,せいぜい「副業促進」を付け加えているだけである。もちろん,職業能力開発の取り組みを広げるのはいい。私は,教育機関でも広げざるを得ないだろうと考えているくらいだ。しかし,それで雇用の質の問題が解決するとは思わない。

 ここでは若年の問題を脇に置いて中高年のことを考える。いったん離職した中高年に良質な雇用が提供されないのは,正社員のほとんどをメンバーシップ型で雇う慣行が原因である。メンバーシップ型とは「会社の一員として雇い,どんな仕事をどこで行なうかは会社が指示する」ものである。したがって賃金は「会社の一員としての重要性」で評価され,具体的な「仕事」には基づかない。「人」の能力が評価され,その能力基準に「年功」が強く加味される。

 このことが,中高年の「正社員」としての採用を著しく阻害する。中高年を雇うのは,高度専門家の場合であれ一般業務であれ,どんな仕事をしてもらうかがだいたいわかっているときである。そのため,会社としては,将来性を見込んで新卒を採用する場合と異なり,割り当てる仕事と賃金の釣り合いを考える。しかし,それを考えると,高度専門家はとにかく,一般社員では「年功」を加味した賃金になっていると高賃金を払わねばならないことが,割に合わないと受け取られる。だから,高度専門家は中途採用されるとしても,一般業務では,中高年は正社員に採用されないのである。そして,非正規とされてしまう。非正規の単価は具体的な「仕事」に基づく造りになっているが,もともと多数の正社員の「仕事」と賃金の関係を評価していないのだから,非正規にだけきちんとした評価が行われるわけもなく,その単価は,もっぱら会社のコスト上の都合で低い水準に抑えられている。

 ここに手を付けない限り,リスキリングだけでは解決しない。スキルとはテクニカルなものではあるが,値段がつくのは社会的な基準で資産として評価されるときである。テクニカルにはスキルがあっても,今の雇用慣行の中では,高度専門家の域(例:M&Aの案件発掘やアドバイザーができる金融パースン)に達するのでない限り,正社員としての転職の役に立たないだろう。エンプロイヤビリティの二の舞である。

 雇用慣行は労使の契約による部分が大きく,法律だけでは変えられない。しかし,法律と規制によって,改革をある程度促すことは可能だし必要だ。次年度の講義に向けて,この改革促進につながる政策提案を具体化したい。

 なお,先回りして行っておくが,「全員メンバーシップ型正社員で雇え」と法で命じろなどというわけでもないし(できっこない),また「全員ジョブ型雇用にしろ」と言いたいのでもない(そんなことを言っている人は,まともな学者にも実務家にもいない)。実行可能なことを考えねばならない。

2022年10月28日金曜日

預金をすることは貨幣流通にどのような作用を及ぼすか:覚書

1.現金が預金されると,貨幣が流通から外に出たことになるだろうか。

 1.1 まず本位貨幣,例えば金貨が流通している場合。

  1.1.1 ならない。なぜならマネーストックは減少していないから。1万円の金貨が銀行に預金された場合,マネーストックから現金1万円が減り,預金通貨1万円が増えるだけである。逆に,預金1万円がおろされても,預金通貨1万円が減り,現金1万円が増えるだけなので,マネーストックは増減しない。

  1.1.2 いや,なるとも言える。なぜなら金貨は流通から消えるから。1万円の金貨が銀行に預金された場合,1万円の金貨という通貨は,銀行の手持ち現金となる。場合によっては日銀に預けられる。すると,金貨は日銀の資産となる。


 1.2 次に管理通貨制度下の中央銀行券,たとえば日銀券の場合。

  1.2.1 ならない。なぜならマネーストックは減少していないから。1万円の日銀券が銀行に預金された場合,マネーストックから日銀券1万円が減り,預金通貨1万円が増えるだけである。逆に,預金1万円がおろされても,預金通貨1万円が減り,日銀券1万円が増えるだけなので,マネーストックは増減しない。

  1.2.2 いや,なるとも言える。なぜなら日銀券は流通から消えるから。1万円の日銀券が銀行に預金された場合,1万円の日銀券という通貨は,銀行の手持ち現金となり,一時的に流通から消える。さらに多くの場合日銀に預けられる。すると,日銀券発行高が1万円減少し,日銀券は消滅するか,日銀が保管するただの紙切れになる。


2.なぜ,このように現金が預金されると,貨幣が流通から外に出たことに「ならない」とも「なる」とも言えるのか。

 2.1 預金者から見れば,手持ちの現金を銀行の債務証書=預金と交換するに過ぎない。そして,預金は支払い手段としての貨幣の機能を果たすので,流通内にある。流通する貨幣量が変動しない以上,貨幣は流通の外に出ていない。

 2.1 ところが,預金というのは預金者が銀行に貸し付ける行為である。貸し付けを行えば,貸し主は借主の債務証書を入手し,借り主は借りた現金を入手する。債務証書の信用度が,貨幣として用いることが出来るほど高いのであれば,この時貨幣は,現金だけ存在する状態から,現金と債務証書が存在する状態になり,量は2倍に増えているのである。そして,貸し主が入手した債務証書=預金通貨は流通内にとどまり,借り主すなわち銀行が借りた現金の方は流通の外に出る。


3.流通から出た現金は蓄蔵貨幣となるだろうか。

 3.1 金貨が流通している場合は,なる。金貨は銀行の手元か日本銀行の手元で,流通の外の価値を持った資産となる。ただし,このとき貨幣流通量は減っていない。

 3.2 管理通貨制度で日銀券が流通している場合は,ならない。銀行の手元に置かれた日銀券は,預金の引き出しに備えて一時的に保有されるに過ぎない。つまり,ごく一時的に流通の外に出て,また流通内に戻る準備をしているに過ぎない。また日銀に預けられれば,日銀券は貨幣の資格を失う(ただの物理的な紙になる)。流通の外には出るが,価値を維持して蓄蔵されることはなく消滅する。


4.以上のことと,貨幣・信用理論の命題との関係。

 4.1 預金することが「貨幣が流通から出ること」を意味すると理解するのは,「現金そのものが流通から出る」という意味で言っているならば正しいが,「貨幣流通量が減少する」という意味で言っているならば正しくない。両者が混同されている場合があるように見受けられる。

 4.2 預金することが「蓄蔵貨幣を形成する」と主張するのは,本位貨幣については正しいが,中央銀行券については正しくない。この点では,古典的貨幣観がそのまま正しい。預金された中央銀行券を蓄蔵貨幣と見なす説もあるが,無理がある。

 4.3 不換の中央銀行券が「預金によって流通から出ることができない」と主張するのは,「蓄蔵貨幣にはなれない」という意味では正しいが,「中央銀行券が流通から出られない」という意味では正しくない。出て,まもなく流通に戻る場合もあれば,出て,そのまま消滅する場合もある。

2022年10月27日木曜日

博士論文Naoki Sekiguchi, Catch-Up of the Steel Industry in Non-OECD Countries in the 21st Century: Developments in Steel Trade and the Role of Technology(21世紀における非OECD諸国鉄鋼業のキャッチアップ:鉄鋼貿易の発展と技術の役割)の公開によせて

  3月に博士(経済学)の学位を取得して後期課程を修了したゼミ生,関口直樹さんの博士論文が東北大学機関リポジトリTOURで公表されました。この博士論文は,関口さんがこれまでMineral Economics誌で発表された3本の論文をもとにしていますが,一つの博士論文としてまとめるにあたり,大幅に改稿したものです。

<博士論文>
Naoki Sekiguchi, Catch-Up of the Steel Industry in Non-OECD Countries in the 21st Century: Developments in Steel Trade and the Role of Technology.(21世紀における非OECD諸国鉄鋼業のキャッチアップ:鉄鋼貿易の発展と技術の役割)(審査委員:川端望,黒瀬一弘,佐藤創)

全文
http://hdl.handle.net/10097/00134995

審査結果の要旨
http://hdl.handle.net/10097/00135266

 本論文は,1)研究者や実務家によって直観的には予想されていながら十分証明されていなかった,キャッチアップにおける高炉・転炉法の役割について,非OECD諸国を包括するデータによって裏付けました。また2)21世紀前半の非OECD主要製鉄国を対象として分析することにより,発展途上国・新興国鉄鋼業のキャッチアップが,長い紆余曲折を経て進むものであり,また不均等に進むものであることを明らかにしました。従来,新興国鉄鋼業の発展モデルとしては,韓国や台湾のように,最新技術の導入によって急速に発展するパターンが中心に据えられがちでした。しかし本論文は,21世紀前半の非OECD主要製鉄国からは別の経路が見えてくることを示したのです。

<主要業績>
Sekiguchi, N. (2017). Trade specialisation patterns in major steelmaking economies: the role of advanced economies and the implications for rapid growth in emerging market and developing economies in the global steel market. Mineral Economics, 30(3), 207-227.
https://doi.org/10.1007/s13563-017-0110-2

Sekiguchi, N. (2019). Steel trade structure and the balance of steelmaking technologies in non-OECD countries: the implications for catch-up path. Mineral Economics, 32(3), 257-285.
https://doi.org/10.1007/s13563-018-0163-x

Sekiguchi, N. (2022). The evolution of non-OECD countries in the twenty-first century: developments in steel trade and the role of technology. Mineral Economics, 35(1), 103-132.
https://doi.org/10.1007/s13563-021-00276-1


2022年10月24日月曜日

アメリカの金利引き上げが度を過ぎれば世界の脅威に:ドル高円安の背後で進行している本当の危機

日本では円安を嘆く声が広がっている。目の前の苦痛を嘆くのは当然だが,その背後でより深刻な事態が進行していることを看過してはならない。ここでは,以下のことを述べたい。

1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない
2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある
3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である


1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない

 日米の金利差がドル高円安の要因だとよく言われるが,これは不正確である。なぜならば,海外事業への投資と異なり,金融商品への投資は極めて高速にポートフォリオが入れ換えられて,調整されるからである。金利差への適応は短期間で終了し,何か月も続くことはあり得ない。そして,通貨の間には為替リスクがあり,各国金融市場への評価の違いがある以上,金利裁定が終わり,ポートフォリオが入れ換えられた後も金利差は残るのである。入れ換えが終われば,そこから先は金利差があっても為替相場は動かない。

 だから,現にドル高円安が起こっているのは,金利差それ自体ではなく,今後の金利差に関する持続的予想のためである。つまり,投資家たちの「今後も日米の金利差は開くだろう」との予想が続いているために,ドル高円安が継続しているのである。


2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある

 上記の予想は,日本側の要因とアメリカ側の要因が総合されて成り立っている。日本側については,「日銀は今後も金利を引き上げずに,低位に維持しようとするだろう」という予想が成立している。他方,アメリカ側については「FRBはインフレ対策のために今後も金利を引き上げ続けるだろう」という予想が成立している。ドル高円安を招く要因は,日本側とアメリカ側,それぞれにある。


3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である

 このうち日本側の要因の背後にある問題は,低成長の持続であり,コロナ後の経済回復が弱く,賃金が上がらず,金融引き締めが適さない状況であることである。そのため,その解決は日銀の金融政策ではなく,政府による国民生活救済策,それに必要な所得再分配,そして供給サイド強化策である。このことは,すでに述べた(※1)。

 ここで問題にしたいのはアメリカ側の要因である。アメリカのFRBが自国のインフレ対策を行うこと自体はもっともである。しかし,FRBは,明らかに不況という代償を省みずに金利を引き上げ続けている。これは身勝手と言わざるを得ない。アメリカは世界の金融センターであって,ドルは基軸通貨だからである。アメリカが,不況という代償を払うほどの金利引き上げを行なってインフレ鎮静化を実現する時,ドルで国際取引を行っている他国はどうなるのか?とくに途上国の対外債務はどうなるのか?ここにこそ真の問題がある。

 幸か不幸か,これまでのところドルは途上国よりも先進国通貨に対して切り上がっている。これは上述した日本独自の低血圧的状況と,ウクライナ戦争をきっかけとしたヨーロッパ経済の急減速によるものだ。しかし途上国通貨に対しても切り上がっていることには変わりはない。「あまりにも多くの低所得国が過剰債務に陥っているか、陥りかけている。ソブリン債危機が相次ぐことを回避するためには、最も影響を受けている者を守るために主要20か国・地域(G20)共通枠組みを通じた秩序ある債務再編における進展が急務だ。直に時間がなくなるかもしれない」(IMF経済顧問兼調査局長ピエール・オリヴィエ・グランシャ)(※2)。

 危機はどこから発火するかわからない。イギリスの国債市場不安に見られるように,先進諸国が発火点になることもあり得る。問題は,どこから発火しようと金融グローバリゼーションのために燃え広がることである。念のため,その際に予想される最悪の行為を想定しておかねばならない。それは,危機がアメリカ以外のどこかで生じたときに,FRBが,アメリカとは関係ない話だとして金利引き上げを続行し,政府も事態を見過ごすことである。これこそ,世界を金融危機に陥れる行為である。国際機関と各国は,FRBとアメリカ政府が,「アメリカのインフレのこと以外は考えなくてよい」という,自己中心的見解で行動しないように,監視,助言,批判を行うべきだろう。アメリカに警戒の目を向けるべき時である。

※1 「欧米と日本ではインフレ対策はどちらが難しいか。日本にはどのようなインフレ対策が必要か」Ka-Bataブログ,2022年9月28日。

※2 ピエール・オリヴィエ・グランシャ「世界経済の雲行きが悪化し始めた今、政策当局者にはしっかりした舵取りが求められる」IMFブログ,2022年10月11日。


ジェームズ・バーナム『経営者革命』は,なぜトランピズムの思想的背景として復権したのか

 2024年アメリカ大統領選挙におけるトランプの当選が確実となった。アメリカの目前の政治情勢についてあれこれと短いスパンで考えることは,私の力を超えている。政治経済学の見地から考えるべきは,「トランピズムの背後にジェームズ・バーナムの経営者革命論がある」ということだろう。  会田...