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2021年9月27日月曜日

「親ガチャ」の背後にある現実:ヒオカ氏の記事に寄せて

 「親ガチャ」をめぐる議論について,もっとも納得できたのは,シェア先のヒオカ氏のものだった。「人生の成果は、ベース×本人の努力だろう」(引用)という言葉を手掛かりに,私なりの表現に置換えて述べる。

 「ベース」には本人が選べない環境があり,そこにはマクロ的なものからミクロ的なものまであるが,それを,いつ,どこの,どんな家庭に生まれたかということに収斂させれば,今話題の「親ガチャ」という表現になる。

 戦後の日本では,1980年ごろまでは「ベース」で決まってしまう部分が縮小し,「本人の努力」や,生まれて以降の運で決まる部分が拡大していった。「ベース」自体が「本人の努力」を後押ししてくれたと言ってもよい。つまり社会の流動性が広がっていった。ある瞬間には階級や階層があるのだが,生きている間にその境目を望む方向に越えて行ったり,自分は無理でも次世代では越えることが可能であった。例えば農民の子どもが大企業のサラリーマンになって「旧中間階級」が次世代には「新中間階級」になることが増えて行った。

 ところが1980年代を境に所得と資産の格差が拡大しはじめ,しばらくすると,二つのことが目立ってきた。一つは,ある瞬間を見ても,「一億総中流」ではなく「新中間階級」「労働者階級」「アンダークラス」の差があると感じられるようになってしまったことだ。ホワイトカラーの管理職や専門職と,正規の販売員や工場労働者の所得は結局は違っていたし,非正規労働者が絶対的にも割合としても増えて行った。

 もっとも,非正規労働の問題は,最初は深刻と受け止められなかった。その主力は1980年代までは,夫と言う主要な稼ぎ手を家庭内に持つパート主婦だったからであり,また非正規労働が増えても完全失業者はさほど増えなかったからだ。しかし,1990年代以後,非正規の低い賃金で家計を切り盛りする層が徐々に拡大し,状況が違ってきていることが認識され始めた。明らかに好き好んでやっているわけではない,例えば普通の事務員や販売員やサービス員(なのに身分だけ非正規),中高年フリーター,シングルマザー,年金が少ない高齢者,といった非正規労働者が増えてきた。

 もう一つは,社会的流動性が弱まり,すくなくとも高資産・高所得が次世代も高資産・高所得とし,低資産・低所得が次世代も低資産・低所得にする関係が目立ってきたことだ。資産・所得により子どもにかける教育費用や教育意欲が異なるからだ。さらにはなはだしいことに,21世紀になるとアンダークラスは未婚率が高く,それ故に子どももつくらないという事実が明らかになった。日本は,格差や貧困が世代を越えない社会から,格差や貧困が再生産される社会に変わってしまったのだ。

 苦しい境遇を「ベース」が決める度合いが強まり,「本人の努力」で逆転できない場合が増えている。若者は,あるいは自分の家庭のから,また嫌でも入ってくる情報から,そう考えざるを得ない。これが「親ガチャ」と言う言葉の背景にある現実だろう。最後に再びヒオカ氏の表現を借りるならば,「環境のせいにするな」と説教してすむ状態ではない。必要なのは「自分の問題は自分だけの問題ではなく、環境の影響があって、社会問題なのだ」という認識を広げていくことだ。さもなくば,日本社会の分裂は広がる一方だろう。

※なお,本当にそこまで深刻なのかという方には,橋本健二教授の『アンダークラス』(ちくま新書,2018年)や,とくに氷河期世代にフォーカスした『アンダークラス2030:置き去りにされる「氷河期世代」』(毎日新聞出版,2020年)などで,具体的な数値にあたって確認されることをお勧めする。

シェア先

ヒオカ「「親ガチャ」論争で気になる上から目線、真に語るべき貧困再生産の深刻」DIAMOND ONLINE,2021年9月24日。

2021年8月10日火曜日

2021年7月1日木曜日

『未来をつくる!日本の産業(全7巻)』ポプラ社のうち2巻を産業学会が監修しました

 『未来をつくる!日本の産業(全7巻)』ポプラ社刊。一体何事だとお思いでしょうが,産業学会で「4 軽工業」と「5 重化学工業・エネルギー産業」の2冊を監修したのです。でも,私がやったわけではなく,他の理事の先生が苦労されました。

出版社サイト
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/7223.00.html





2021年5月16日日曜日

コロナ対策は何をもたらしたか:信金中央金庫地域・中小企業研究所のレポートを手掛かりに

 信金中央金庫 地域・中小企業研究所から発行された峯岸(2021)は,この1年間の新型コロナ対策をマクロ経済政策として評価する上で,貴重な分析を提供してくれている。このレポートを基礎に,コロナ対策の家計と企業への影響を整理してみた。なお,峯岸(2021)が主に使用した日銀『資金循環統計』から部門別資金収支の推移を表すグラフを貼り付けておく。このグラフが全体状況を最も集約的に表現しているからだ。


1.一般政府は赤字国債発行で財源を賄ったコロナ対策により,大幅に債務を増加させた。日銀や政府の資金供給・財政支出はマクロ的には相当な影響力を持っていた。

2.家計は,全体としてみれば資産を増加させている。その主要因は預金増である。雇用者報酬は減少したが,これを上回る消費減+経常移転(給付金等)+社会給付(雇用保険給付,生活保護等)+税・社会負担の減があったからだ。峯岸(2021, pp. 6-8)はこの関係をはっきりと示している。
 しかし,失業者は29万人増加,休業者は80万人増加し,とくに非正規労働者,低所得者の状態は悪化している(総務省「労働力調査」)。零細自営業者,フリーランスも業種により苦境に直面している。よって,家計内部に格差が進行している恐れがある。

3.企業は,休廃業は増加しているものの倒産は増えておらず,現時点で全体としては大規模資金ショートは起こしていない。そして,意外にも金融資産を増加させた。なぜそうなったのかについて,峯岸(2021, pp. 12-15)の記述を再構成すると,次のように言えると思う。
 企業利益は縮小したが,赤字により内部留保積み上げがマイナスになることはなかった。一方,設備投資や運転資金への投下は縮小したので,投資のために負債を増やす必要はなかった。にもかかわらず,企業は金融支援を活用して,世界金融危機時に比べても借入金を大幅に増やした。一方,世界金融危機時と異なり,借り入れを上回る返済に追われてはいない。そのため,調達した資金の多くは手持ち現預金として積み上げられている。一部は金融資産購入に充てられているが,過去数年と比べて大きくはない。大企業では,M&Aを含む関係会社株式購入が従来の趨勢の延長線上で生じている。

4.以上からコロナ対策の影響を総括しよう。低利・無利子融資等の金融支援,給付金などの財政支援は確かに家計・企業を救済する作用を持った。しかし,家計と企業に貯蓄(主要部分が現預金)を積み上げる一方で,真に苦境に陥っている家計を救済できていないので,十分に効果的で公正とは言えない。そして企業は,金融・財政支援を受けて「投資をためらい,現預金を積み上げ,一定のM&Aを行う」という,アベノミクス期の延長線上での動きをしつつあるのだ。

峯岸直輝(2021)「日本の経済主体別にみた資金需給と金融資産・負債の動向」『内外経済・金融動向』No. 2021-2,信金中央金庫地域・中小企業研究所,1-23。




2021年4月26日月曜日

小川一夫『日本経済の長期停滞:実証分析が明らかにするメカニズム』日本経済新聞出版,2020年を読んで

  「日本経済」講義準備。業務の波に飲まれかかり,読むのに2週間以上かかってしまった。

 本書で小川一夫教授は,日本経済の長期停滞のメカニズムを,主に投資停滞の原因を探るという角度から,計量的実証によって明らかにしている。不確実性を伴う期待収益率の動きが投資停滞の原因と考える私にとっては,非常に重要なテーマを扱っている。

 本書の特徴は,1990年代以降の日本経済の長期停滞を,人々の長期的な期待形成と関連付け,どのような長期期待が設備投資の停滞につながったかを明らかにしていることである。

 その主張は明快である。日本の設備投資の低迷は,収益性に設備投資が反応しないことによるものであり,その理由は企業による長期経済見通しの悪化である。この悪化を規定する最大の要因は過去から現在にかけての消費成長率の低迷である。そして,消費の低迷を規定するのは,家計,とくに貯蓄の取り崩しに慎重な家計が持つ,公的年金制度の脆弱性への不安による予備的貯蓄の増大であり,その慎重さは夫婦の雇用形態に影響されているのである。

 もう少し詳しく見よう。まず著者は,日本企業の設備投資が長期にわたって停滞し,とくに世界金融危機以降は利潤率が回復しているにもかかわらず,停滞が続いていることを確認する(第1章)。この停滞をもたらした要因分析が次章以後の課題となる。

 その前に著者は,2000年代初頭にGDPが年1.5%程度の成長を回復したことについて,輸出の貢献が大きく,とくに世界所得という需要要因よりも企業による生産性向上という供給要因の貢献が大きかったことを示している。ここで次章以降に,設備投資が停滞し続けているのに生産性が向上したとすれば,その要因はコスト削減のためのリストラ活動ではないかという課題が持ち越される。

 続いて著者は,設備投資が収益性に反応しない理由の検討にかかる。収益性に対する設備投資の反応は第1次石油危機以降,継続的に低下してきた。その背景には,趨勢的な「成長企業群」の割合低下と,「リストラ企業群」の割合増加があった。成長企業群とは売上高成長率,生産費用上昇率がともに正,リストラ企業群とは両比率がともに負の企業群である。リストラ企業群は自社に対する需要減に対して,生産コスト削減で収益性を高めてきた。このような企業は収益性が向上しても設備投資には慎重なのである(第3章)。

 期待成長率が高まらなければ企業は設備投資を増加させない。では,期待成長率は何によって左右されるか。著者は設備投資率の長期均衡値系列を求め,これが企業による日本経済に対する長期の経済見通しと連動していることを明らかにした。長期の経済見通しは,正規雇用の規模や負債増分・資産比率にも影響を与えていた。企業が日本経済の長期見通しに悲観的であり続けたために設備投資は伸びず,正規雇用は増えず,負債も増加しなかったというのである。かわって取った行動がコスト削減,非正規雇用の増大というリストラ活動であり,現預金の蓄積による流動性確保である(第4章)。

 それでは,企業の長期経済見通し自体は何によって左右されるか。著者はこれを需要要因と供給要因に分け,2001年度から2018年度のデータによって定量的に検討する。その結果,企業がGDP成長率を予測する上で,需要側では各業界の需要見通し,マクロレベルでの過去から現在の消費成長率,供給側では現在の資本ストック成長率,労働成長率,全要素生産性(TFP)を同時に考慮した場合の説明力が高いこと,しかし需要要因の方が供給要因の方よりも重要であることが判明する。つまり,過去から現在の消費の低迷が企業にとっての日本経済の長期見通しを悪化させ,それが設備投資を停滞させるのである(第5章)。

 それでは,消費の停滞は何によって規定されているのか。これを明らかにするために,著者は家計の消費行動の分析に移る。まず家計の意識調査データを分析し,家計が公的年金制度を脆弱であると捉え,老後の成果に不安を抱えていることを明らかにする(第6章)。

 次に著者は,1970年代以降現在までの家計行動を分析する。その結果,年間収入が停滞する一方,家計の非消費支出,とりわけ社会保険料の割合が高まってきたこと,世帯主の収入減少をカバーすべく妻の就業率が上昇したこと,持ち家率の上層が負債残高を押し上げてきたことを指摘する(第7章)。

 この結果に対して,著者は勤労所得に占める社会保険料の割合の増大が,社会保障制度に対する脆弱性の認識につながるのではないかと考え,この認識の分析をさらに進める。老後を心配している家計の割合は1990年代に急上昇した。そして家計を年金と老後の暮らしに関する主観的評価によってグルーピングすると,「年金や保険が十分でないから,老後の暮らしを心配している」家計の比率が一貫して増加している。年金制度の改正は家計から全体としてはポジティブな評価を得ているが,家計属性によって評価は異なっていた。公的年金制度の脆弱性の認識の強まりという問題は解決されていない(第8章)。

 そこで問題となるのが,公的年金制度が家計の貯蓄と消費に及ぼす影響である。著者はマクロデータとマイクロデータを用いて,家計の貯蓄行動と公的年金の関係を分析する。その結果明らかになったのは,家計は納付した公的年金保険料を資産としてでなく,負担としてとらえていること,したがって家計収入に対する公的年金保険料の割合が上昇すると,家計の負担感が高まり,公的年金制度への信頼感が揺らぐこと,それ故に家計は消費を抑制し,老後の生活のために貯蓄率を高めてきたことである。しかも,公的年金の納付額が貯蓄を増大させる傾向は,貯蓄の取り崩しに慎重な家計ほど顕著であった。そして,貯蓄の取り崩しに慎重な家計の態度は,夫婦の雇用関係に影響されていた。夫婦ともに正規雇用であれば,貯蓄の取り崩しに慎重である確率が著しく低下する。つまり将来の不確実性に対して予備的な貯蓄を行う誘因が低くなるのである(第9章)。

 著者が引き出した政策的インプリケーションは名白である。男女とも希望すれば正規雇用で働ける環境を整備すること,公的年金制度への信頼を回復することである。これらにより,予備的貯蓄の縮小を消費の拡大が期待でき,企業の長期的な経済見通しの回復,設備投資の回復が期待できるというのである(終章)。

 本書のインプリケーションを裏返せば,ただひたすらに企業の収益性を重視し,家計の所得と消費を置き去りにして企業の投資だけを回復させようとする経済政策は誤りだと言うことである。正規雇用の充実と公的年金制度への不安の解消こそが,消費と投資双方の回復につながることを示した,本書の意義は大きい。

小川一夫『日本経済の長期停滞:実証分析が明らかにするメカニズム』日本経済新聞出版,2020年。

2021年3月30日火曜日

低所得で暮らす家計が増えた20年

 「日本経済」講義準備。日本では,20世紀末までは年間所得300-400万円の世帯が一番多かったが,所得の全般的低下の結果,いまでは200-300万円の世帯の方が多いという話(※)。

 世帯数の分布の推移を見るとグラフのようになる。1998-2013年までの傾向は一貫しており,低所得の側では年収100-400万の世帯比率が上昇する。高所得の側では多くの階層で比率が低下する。つまり,全体として所得が低下し,少なくない世帯が階層を降下した結果,100-400万の世帯が拡大したのだ。2013-2018年は曲がりなりにも好況となって雇用が拡大したためか,この傾向に多少の歯止めはかかったが,20年間の趨勢は変わらない。所得の中央値は1998年に544万円だったが,2019年には437万円となった。

 所得の集中については,傾向がはっきりしない。平均所得金額以下の世帯比率は60.6%から61.1%へとわずかに上昇した。

 それより明確なのは,困難にある家計の割合の増加だろう。1998年には所得200万円以下で暮らす家計は14.2%であったが,2018年には19.0%になった。逆に,富裕層と言えない程度の高所得であっても,得ることは困難になりつつある。1998年には所得800万円以上を得る家計が28.6%あったが,2018年には21%になった。

 これらの変化は,世帯あたりの人数の低下(2.81人から2.44人)を考慮しても著しいものだ。日本は過去20年の間に,全体として貧しくなった。

※ひとつ前に投稿したWIDによる所得分布とは切り口が異なる。WIDは国際比較可能な統計を整備するため,個人の税引き前所得を対象としている。これに対してここで使用した日本の厚労省統計からは,世帯の税引き前所得の分布がある程度わかる。他国と比較はできないが,これはこれで直観的に理解しやすい。

4/17追記。 当初この統計を「可処分所得」についてのものと記していましたが,正しくは「所得」でした。修正してお詫びします。





World Inequality DatabaseにみるG7諸国,日本,中国の所得集中(2013-2019年)

 「日本経済」講義準備。世界経済の動態と格差編。ピケティらのWorld Inequality Databaseを使った所得集中のグラフを更新。対象は個人の税引前所得。2年前に作図した後にデータが更新されており,日本の数値は WIDのチームが作成したMarc Jenmana; Rowaida Moshrif and Li Yang(2020),“Regional DINA update for Asia”にしたがっているようだ。

*日本の上位1%の高所得層(年収1392万円以上)への所得集中度は12.4%で,アメリカ,イギリス,ドイツ,カナダほどではなく,G7では5位。ちなみに中国は日本より高い。

*日本の上位10%高所得層への所得集中度は43.3%で,G7ではアメリカに次いで2位。ちなみに中国も日本より低い。

*今回は,下位50%のデータをとることができたのでグラフを追加。日本では年収が270万円以下の人々が成人個人の50%を占めており,その所得のシェアは19.5%に過ぎない。このシェアは1990年代以後,他の先進諸国とともに低下傾向にあり,G7諸国では4位。なお,G7諸国ではアメリカの極端な低さが目立つ。また中国は改革・開放の進行とともに急速にシェアが低下している。

 以前から指摘されているように,日本は1%集中度が低く,10%集中度が高い。そして上位10%とは最新のデータによると年収915万円以上であり,富裕層というほどではない。しかし,その水準に届かない個人が90%だということである。そして,今回確認できたのは,年収270万円以下の人々が全体の50%を占めていることだ。アメリカやイギリスと比べると,超富裕層に所得が集中する問題よりも,下位の低所得層の抱える困難の大きさという問題の比重が相対的に大きいことになる(※)。


※今回,データが2019年まで更新されたのは良いが,過去データもすべて見直された結果,1%や10%の閾値の数値は大きく変わっている。日本の上位1%の年収は,以前は2010年に2161万円以上とされていたが,最新データでは2010年に1193万円以上,2019年に1392万円以上と大幅に低下した。日本の上位10%の収入は,以前は2010年に960万円以上とされていたが,最新データでは2010年は789万円以上と大幅に減少し,2019年は915万円以上となった。なぜこんなに変動したのか,説明が欲しいところだ。

World Inequality Database
https://wid.world/





2021年2月16日火曜日

日経平均株価終値3万円越えの報道に接して:金融緩和の深掘りは止め,財政支出で生活支援を

  2月15日の東京株式市場で,日経平均株価は終値で3万円を超え,30年6か月ぶりの高値になったとのこと。

 株価がつり上がっているのは,金融緩和の副作用である。しかし,庶民にはほとんど良いことはなく,景気全体は停滞している。内閣府の『月例経済報告』によっても「景気は、新型コロナウイルス感染症の影響により、依然として厳しい状況にある」のであって,せいぜい「持ち直しの動きがみられる」程度だ。2020年度実質GDP見通しはマイナス5.2%,うち民間最終消費支出はマイナス6.0%だ。

 もともと不況対策としての金融緩和は,流動性枯渇と信用機構の連鎖的崩壊を防ぐために行うものである。そこまでは意味があるが,現在の低成長経済で成長回復をもくろんでひたすら金融緩和を深堀りしても,実体経済にはほとんど効果はない。金利が下がったから設備投資をし,在庫を増やそうという状態ではないからだ。まして日銀がETFが続けているのは,露骨な上場企業優遇策を国会の議決なしでやっているに過ぎない。

 現下の不況対策は財政政策を中心に,それも,金融資産投資に回らず,確実に実体経済に回るような,生活と営業を支える支出に回るように行わねばならない。低所得者への現金給付,住宅確保給付,営業支援給付,休業者への給付金,失業給付金を地味に続けることが,庶民の生活を救い,バブルという副作用を最小化する道だ。

「株価 終値でも3万円超え 30年6か月ぶりの高値」2021年2月15日,NHK。

2021年2月10日水曜日

「休業手当」とそれが受け取れない労働者への「休業支援金・給付金」という方式について

 現在国会では,これまで中小企業の労働者のみを対象としていた休業支援金・給付金を大企業の非正規労働者に拡大する件が議論されている。緊急措置としてこの拡大を行い,支給時期もできる限りさかのぼる方がよいと思う。しかし,この問題の背後には,かなり根の深い問題があることも考えておかねばならない。つまり,どうして「休業手当」と「休業支援金・給付金」という二重の手立てが必要になるかということだ。

 新型コロナに対応する政府の雇用政策の基本ツールは雇用調整助成金である。これは,企業が労働者を休業させ,休業手当を支給した場合,事後にその負担の一定割合(最大100%)を政府が補填する制度である。これにより休業した労働者と休業させた企業を支援するとともに,解雇を防止するものだ。

 しかし,休業手当は,ほんらい「使用者の責に帰すべき事由」による休業についてのみ支給される。不可抗力による休業の場合,企業には支給する義務はない。では,新型コロナウイルス対策で政府・自治体の要請を受けて営業を縮小し,それに伴って労働者を休業させた場合はどうかというと,支給義務があるかないかは明確ではなく,ケースバイケースなのでである。しかし,これで休業手当を支払わない企業ばかりになっては,到底対策の実効性がない。そのため現在は「労働基準法上の休業手当の要否にかかわらず、経済上の理由により事業活動の縮小を余儀なくされた事業主に対しては、雇用調整助成金が、事業主が支払った休業手当の額に応じて支払われます」(厚労省Q&A)という措置が取られている。しかし,これは経済的に苦しくなった企業が休業手当を支給すれば補填しますよ,ということであり,やはり休業手当支給を義務づけるものではない。

 このように企業に対する休業手当支給への動機付けが弱く,かつ雇用調整助成金の手続きが複雑であること,さらに事後的補填であるため一時的には現金流出が生じることから中小企業には負担が重く,結果として休業手当を支給しない企業も相当あると報じられている。これが労働者の減収を招いている。

 これをカバーするために,中小企業労働者を対象として政府から直接支給されるのが,昨年整備された休業支援金・給付金である。中小企業の中には,休業手当を支給しないケースが多いこと,それは自体はやむを得ないことと認めて,この補完措置を取ったのである。

 今回の支給対象拡大問題は,休業手当不支給が,非正規に対する差別や経営者の認識不足によって先鋭化したために生じたものと言える。経営者がシフト勤務のパートタイマー/アルバイトのシフトを減らした場合について,休業に当たることを認識せず,休業手当を支給していない場合が多々あることが判明したのである。休業手当を正規のみ,あるいは労働日が明確な労働者のみに支給し,シフトが減少したシフト勤務労働者に支給しないことは差別的取り扱いであり,違法の疑いが濃い。しかし,この違法をすべて取り締まることの困難から,今回,大企業のシフト制非正規労働者(シフト制,日々雇用,登録型派遣)に対しても休業支援金・給付金を支給する政府方針が出されたのである。これはこれで改善であるが,野党が要求するようにできるだけさかのぼって支給対象とすべきであろう。また,差別的不支給は労働監督行政の強化によってなくしていくべきだろう。

 しかし,そもそもの制度としての問題は残るように思う。休業による減収に対する支援措置は,1)まず企業による休業手当と政府によるその補填,2)それでカバーできない部分は政府からの直接支給という二段構えになっている。しかし,休業手当は上述したように,そもそも企業の責による休業について支払うものであるから,コロナウイルス感染症流行という,企業の責任と言えない事態に直面しての休業・減収を補償する措置としてなじむものではない。この観点からすれば,初めから政府による直接支給で労働者を支援すべきとした方が,考え方は整合するようにも見える。具体的には,激甚災害の際に用いられている雇用保険の「みなし失業」という考え方を用い,休業状態でも失業給付を受け取れるようにすべきであったのかもしれない。この方式は昨年4月に「生存のためのコロナ対策ネットワーク」という団体が提案していたが,実現していない。コロナ禍が激甚災害とは異なるということだろう。しかし,労働者の生活支援としては,この方が整合性があり,手続きも簡素であったかもしれない。

 今後の政策改善に向けては,企業による休業手当支給とその政府による補填という方式の限界について注意しながら,進めるべきだろう。


2020年8月28日金曜日

雇用調整助成金の限界とその「次の一手」について考えなければ

 雇用調整助成金の特例措置期限が,9月末から12月末に延長される見通し。失業を防止する効果があるのでとりあえずは望ましいのだが,問題はいつまで雇用対策をこの制度に頼れるかだ。

 雇用調整助成金は,従業員に休業手当を支払った企業に支給されるものだ。つまりは,不況で操業度を落とさざるを得ない企業に対して,従業員を解雇せずに休業させるならば賃金(休業手当)の一部を助成しようというものだ。この制度は,当該企業にとっての活動水準低下が一時的であってやがて回復するならば,労働者にも企業にも社会全体にもプラスの効果が期待できる。労働者にとっては失業しなくてすむし,企業にとっては技能のある労働者を失わなくてすむからだ。社会全体としても,一時的な不況の際に失業率を上昇させずに済む。

 問題は,活動水準低下が一時的でない場合である。これには2種類あって,一つはマクロ的な需要低下が長引き,経済全体が不況からなかなか脱出できない場合,もう一つは産業構造が転換し,他の企業は成長しているが当該企業の活動水準が回復しない場合だ。このような状況が見通されてくると,雇用調整助成金は,企業にとっての効果が薄れる。つまり,不況から脱出した際に労働者を呼び戻して働いてもらう動機がなくなるからだ。また,社会的にも不合理になってくる。前者の不況自体が長引く場合,失業対策の基本は需要拡大策に置かねばならず,いつまでも企業に労働者の抱え込みを促すわけにはいかない。また後者の産業構造転換の場合,需要が拡大している分野への労働移動を促さないと,成長分野では人手不足,衰退分野では雇用抱え込みということになり,労働市場が機能しなくなる。

 コロナ危機の問題は,この不況長期化と産業構造転換が両方とも生じそうだという事であることである。そうすると,やがて雇用調整助成金では対処できなくなる。その時にどうするのか。

 単純に考えれば方策は三つである。一つは,需要拡大による雇用創出だ。これを感染拡大防止と両立する形で行わねばならない。二番目は,やがて失業が増えることを踏まえて,失業給付と職業訓練への助成を手厚くすることだ。つまり,失業する人が出ることを前提とした上で,生活を支え再就職を支援するのだ。三番目は,「失業なき労働移動」を促すことだ。

 実は,安倍政権は当初は三番目の路線を狙っていた。そのために,労働移動支援助成金を拡充しようとして2014年度から予算も大幅に増額していた。この制度は,事業規模の縮小等に伴い離職を余儀なくされる労働者がいることを前提に,その再就職を援助する措置等を講じた企業に助成金を支給するものだ。雇用調整助成金より支給額を多くするという目標まで立てられた。

 しかし,労働移動支援助成金は,ほとんど意図通りに機能していない。まず単純に考えて企業の側にインセンティブがない。整理解雇や早期退職だけをするのでなく訓練してあげようという善意がある場合,あるいは整理解雇すると紛争になるのを恐れてこの制度を用いざるを得ない場合と言う,規範的動機にたよって利用してもらうものである。そこが雇用調整助成金と異なる。インセンティブがあったのはモラル・ハザード的な利用であった。つまり,人員削減を余儀なくされたからこの制度を用いるのではなく,この制度を梃子にし,職業紹介会社と組んで人員削減を進めようという企業が出てきた。その危険を受けて,2016年度から抜け穴を防ぐ措置が取られたが,その結果,もともとの使い甲斐のなさにより利用されなくなっている。

 安倍政権は成立当初,「失業防止」から「失業なき労働移動」に舵を切ろうとしていた。ところが労働移動支援助成金が機能せずに暗礁に乗り上げていた。そこにコロナ危機に襲われ,雇用調整助成金による「失業防止」に頼らざるを得なくなった。これが現在の局面なのである。そして,安倍政権は終焉を迎えることが本日確定的になった。

 今後,一定数の企業で一定の労働者が離職を余儀なくされることは避けられない。しかし,おそらく労働移動支援助成金は機能しない。政府は現在,次の手を持っていないのだ。

 不況自体が長引けば,感染防止策と両立するような雇用創出策が必要になる。産業構造転換が強く作用するのであれば,「失業なき労働移動」のための新たな政策開発が早急に求められる。それが無理ならば,最低限,常識的な措置として失業給付と職業訓練への公的助成を手あつくすることが必要だろう。いずれにせよ,雇用調整助成金の「次の一手」の研究は急務である。

2020年8月21日金曜日

ついに通貨供給量が増え始めたが,アベノミクスが成功したからではない

 アベノミクスが狙ったメカニズムのうち,もっとも主要なものでありながらもっともうまくいかなかったのが,通貨供給量の増大である。いくら日銀に国債を買い上げてもらっても,市中に通貨が供給されず,日銀当座預金が積まれたままになったのだ。これを金融用語でいうとマネタリーベースは増えたがマネーストックが増えなかったということになる。

 ところが,ここへ来てマネタリーベースとマネーストックがともに急上昇している。2020年7月の前年同期比伸び率が,マネタリーベースは9.8%,マネーストック(M2)は7.9%に上った。過去,これを上回る伸び率が記録されたのは,マネタリーベースは2017年12月にさかのぼり,マネーストックに至っては1990年12月である。マネーストックのうち預金は14.1%も伸びており,企業が法人預金を増やしており,個人や商店にも給付金が支給されたために預金が増えているということによると思われる。もっとも,現金も5.6%伸びている。

 ついに通貨供給量は伸びたのであるが,アベノミクスがついに聞いたわけでもないし,これで物価が上昇するどころではない。マネーストックの伸びは,主に法人も個人も流動性確保のために預金を積んでいる動きの方を反映しているので,要は不況の悪化に身構えているのだ。給付金が支出されたために伸びた部分もあるだろうが,そちらはマイナー要因だ。前者はデフレにつながり,後者はインフレにつながるが,前者の方が強い。

 しかし,日銀当座預金だけが積みあがって市中にお金が出回らなかったこれまでの7年半とは異なる動きが,マネーに生じていることは確かであり,今後とも注意を要する。通貨供給量が増えたと言っても,その増え方次第でデフレ要因ともなり,インフレ要因ともなり,バブル要因ともなるからだ。


2020年5月19日火曜日

アベノミクスの結果:成長率は目標に遠く,内需,とくに消費が停滞しており,積極財政とも言えず,失業率は低下したが賃金は伸びていない

 講義用。ようやく最新数値まで図表化できた。別に難しくはないのだが面倒な作業で,コロナ騒ぎで停滞していた。アベノミクス下の経済成長率(2019年度第3四半期まで)需要項目別成長率(2018年まで),成長寄与度(2018年度まで),雇用・賃金変化(2019年まで)。
*目標に遠い成長率。
*輸出依存。
*設備投資もさほど伸びていないが,消費はもっと停滞している。
*公的需要は2013年度以外は伸びてない。アベノミクスは積極財政ではない。
*失業率は低下したが賃金が上がらない。

 など,よく言われる特徴がはっきりと出る。この状態からコロナ危機に突入する。






2020年4月16日木曜日

日銀がETFで損失を出すとはどういうことか:日銀のETF購入(3)

(「日銀のETF購入」。承前)これまで,日銀が自ら作り出す預金と日銀券でETF(指数連動型上場投資信託)を購入していることを確認し,このオペレーションは実質的には特定企業の利害に日銀がコミットする財政政策であることを述べてきた。次の問題は,日銀がこのETFで損失を出した場合の負担をどう評価すればよいのかだ。

1. まず,直接の損失が政府・国民にどう及ぶかだ。ETFに含み損が出れば,日銀はバランスシートの負債・純資産側に引当金を積む。損失を確定する場合には,資産側からETFを,負債・自己資本側から引当金を同額だけ消去しなければならない。つまり,日銀のバランスシートが毀損され,自己資本比率は下がる。また,日銀の毎年度の利益(剰余金)が減少したり,マイナスになったりする。日銀は剰余金を政府に納付することになっているので,剰余金が減る。直接に起こるのはこういうことである。
 したがって,政府の側から見ると,ETFの損失を税金で穴埋めする必要はない(繰り返すがETFは税金で買っているのではない)が,日銀からの納付金が減って,国庫収入の減少につながる。日銀の国庫納付金は世界金融危機後の2010年度に落ち込み443億円,それ以後は5000億円台から7000億円台で推移している。2017年度は7265億円,2018年度は5576億円だ。まずこの国庫納付金の減少が,中央政府に与える直接の損害であり,その意味で国民負担となる。

2. 次の問題は,失われた機会についてだ。「その2」で述べたように,そもそも財政政策を日銀が行うのはおかしなことであり,ETFを購入するのに日銀が発行したお金(日銀当座預金と日銀券)は,もっと別のことのために発行すべきだったのかもしれないし,発行すべきでなかったのかもしれない。例えば,国債を買い支えて政府の支出拡大に貢献し,政府が国会の議決に基づいて財政拡張を行った方が,より優れた方法でデフレ脱却に寄与したかもしれない。そこまでいかなくとも,ETF購入などしなかった方が日本の産業構造転換を促せたかもしれない。最大の問題はこの,失われた機会である。ETFなど買わない方が,財政民主主義上も市場経済の運営上も望ましかった。日銀と中央政府を合わせた統合政府として見た場合,「お金の使い道を誤った」のである。
 コロナ危機に際してもそうである。コロナ危機に際して,ようやく金融政策の限度が認識され,債務が増大しても財政を拡張しなければならないことが諸国政府の共通認識になっている。政府と中央銀行が協調しており,インフレと為替暴落を起こさない限り,政府債務は持続的拡張できるのであって,財政支出の程度と中身は国会で与野党が争い,決めるべきだ。それが財政民主主義だ。失業者の救済,個人の生活と自営業者の営業の維持,企業の運転資金の確保,感染症対策にこそ,国債を発行してでもお金を使うべきだろう。日銀は,国債引き受けをせずとも,買いオペで政府を支えるだろう。
 これまでは,中央政府と国会が,財政赤字を拡大してはならないという呪文にとらわれているうちに,その背後で,日銀はETF購入のために通貨という政府債務を発行していた。そして今も,株式市場で抜き差しならなくなり,相場の下落の下で通貨を発行して買い向かっている。これは明らかにお金の使い方を誤っている。
 もちろん,財政民主主義も万能ではない。財政がお金の使い方を誤れば人々の不安は収まらず,感染症の流行は収束しない。また,各社会階層の代表が集合する議会においては経費膨張法則が働き,経済危機と感染症流行の後にも必要以上に財政を拡張してインフレを招くかもしれない。しかし,だからと言って国会とは別に,日銀が勝手に財政政策を行い,上場企業と株式投資家を優先的に救済するために通貨発行を行うことは,これまでもまちがっていたし,これからもまちがいだろう。この「お金の使い方の誤り」によって失われた機会,これから失われる機会こそが最大の損失である。

 なお,残された問題として,損失額が大きくなって日銀のバランスシートが毀損された場合に資本増強が必要になるか,なるとすればどのような手段によるのかということがある。これはかなりテクニカルな問題を含むので,続稿ないし別の機会としたい。

その1
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf1.html
その2
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf2.html



日銀のETF購入は上場企業優遇の財政政策ではないのか:日銀のETF購入(2)

(「日銀のETF購入」承前)さて,日銀が自ら通貨を作り出して金融商品を購入していることはお分かりいただけたと思う。それでは,ETF(指数連動型上場投資信託)を購入することは,日銀の他のオペレーション,つまり銀行に貸し付けたり国債を購入したりすることとどのように違うのだろうか。日銀がETF,つまりは間接的にとは言え民間企業の株式を購入することは,金融政策の一環と認められるものなのだろうか。

 貸出・国債購入とETF購入と直接の違いは,銀行に貸し付けたり国債を購入したりするのは「信用を与える」,端的には「お金を貸し付ける」行為だというであるのに対して,金銭信託をしてETFを購入することは間接的に株式を買うことであり,特定企業の株主になる行為だということである(※1)。

 これらは,日本銀行の役割に照らすと,どう評価されるだろうか。日本銀行の役割は,金融システムと通貨の安定性を守り,通貨供給の調節を通して日本経済の安定と成長に寄与することにある。日本銀行は広い意味の政府の一部ではあるが,銀行という形をとり,銀行として機能するところが他の機関と異なる。したがって,議会のコントロールから自由ではないし,政府とのある程度の協調も求められるが,同時にある程度の独立性を持つ。金融システムと通貨の安定性は,特定の利害から中立でなければならないとされているからだ。

 さて,通貨を創造して信用を供与するという中央銀行の行為は,特定利害から中立的に金融システムと通貨の安定性を守るためにはなじみやすい。その第1の理由は,金利の水準を調節し,流動性を供給し,準備を確保させる行為を,民間銀行・金融機関に対して行う日銀の行為は,民間経済に対する間接的な働きかけだからだ。企業や家計に直接影響を与えるのは民間金融機関だ。第2の理由は,貸し付け,回収という行為は,誰に貸したのであれ,とにかく「期限まで金利を払い,元本を返せ」というものであって,それ以上に借り手の意思決定や行為に介入するわけではないからだ(借り手が経営破綻した場合などを除く)。

 ところが中央銀行が特定企業に出資するということになると,どうしても特定利害が発生する。特定企業の株主は,特定企業に利潤を増やし,配当を増やすか株価を上げるように促し,そして会社が存続し続けることを求める立場にある。日銀がまともに株主になるのであれば,特定企業の発展にコミットする行動をとらざるを得ない。しかし,それは日銀の業務範囲を大きく逸脱する。

 つまり,日銀が株式を買うということは,金融政策の範疇を外れており,敢えて言えば財政政策を政府の代わりに行っているのだ。財政政策ならば,政策的見地から特定産業や特定企業を支援することがありうる。ただし,それは国民を代表する国会の議決に則って行わねばならない。国会のコントロールが弱い日銀が特定産業・企業に肩入れしたり,逆に冷遇したりすることなどあってはならない。しかし,実際に起こっているのだ。

 もちろん,日銀もこの批判がありうることは承知の上であることは,白川前総裁の著書『中央銀行』からも明らかだ(※2)。特定利害にとらわれるものでないかのようなしくみも一応ある。ETFは東証株価指数(TOPIX),日経平均株価(日経225)またはJPX日経インデックス400(JPX日経400)に連動するよう運用されるものになっている。また議決権は日銀ではなく受託者が行使することとされている。

 しかし,これでETF購入が特定利害に中立的になるというのは強弁だ。ETF購入は株価の支えとなる。つまり,巨大な,買う一方のクジラ投資家を間接的に株式市場に登場させる効果を持つ。経営実態と関係なく上場企業の株式が上がるという価格形成の歪みが生じる。そして,その効果は上場企業にだけ及び,非上場の企業には及ばない。明らかな既存大企業優先である。これは日本の企業経営と産業構造の革新を遅らせる効果を持つ上に,非上場企業や,企業以外の主体,株式投資家以外の主体にに対する不公平な政策である。

 また,日銀が議決権を行使しないということは,意思決定に関与しない大株主が出現することになる。これは,経済合理的な意思決定を阻害する効果を持つ。受託者も困ることになる。日本の巨大企業に敵対的買収がかけられた場合や深刻な内紛が起こった場合,受託者は誰に味方して議決権を行使すればよいのか。一応,日銀の経済的利益を優先することになっているが,それだけですまないような安全保障案件や社会的イシューを伴う案件であったらどうすればいいのか。

 日銀というクジラ投資家が買う一方で,議決権を眠り込ませることは,株式市場を歪め,日本の企業統治を歪め,上場企業とそれ以外の間に甚だしい不公平を作り出すのである。しかも,何らかの目的によって国会が決定した法と予算の範囲ではなく,独立性を持った日銀の金融政策と称してである。

 百歩譲って,中央銀行が株式やETFを購入することがありうるとすれば,それは,そうしなければ金融システムが崩壊するような金融危機の場合だろう。しかし,それでもFRBが世界金融危機に際して行ったように長期国債,CP(コマーシャル・ペーパー),担保貸付証券などの債券に限られるのが普通であり,また危機が沈静化した後には中止されるべきものである。2010年から延々とETFを買い続けている日銀の政策は異常としか言いようがない。

 これは要するに,日本の民間経済,とくに上場している既存大企業が,日銀からの資金注入によって株価を引き上げてもらい,意思決定には介入せずに既存経営者に任せてもらい,企業の新陳代謝と産業構造の再編を免れて存続し続けていることを意味しているのである。これこそが,正当化できない「既得権益」ではないか。

 以上が日銀によるETF購入の位置づけである。さて,それではそのETF投資で損失が生じた場合,その負担は誰が負うのだろうか。前稿で述べたように税金で穴埋めするのでないことはわかっている。では,その負担はどこへ行くのか。そのことをどう評価すべきなのだろうか。これが次の問題となる(この項続く)。

※1 なお,国債を購入するのは,直接に政府にお金を貸すのではなく,前の持ち主に代わって国にお金を貸す主体になることである。これを信用代位などという。ETFも発行市場でなく流通市場の株式を買っているので,前の持ち主に変わって会社の株主になるのであり,いいわば出資の代位である。しかし,それでも国債を買えば政府に対する債権者になり,ETFを買えば株主になることには変わりはない。
※2 日銀がETFを買い始めたのは2010年の民主党政権下のことであり,アベノミクスで始まったことではない。しかし,アベノミクスで買取は強化されている。自民・民主両政権にまたがる根の深い問題なのである。

その1
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf1.html
その3
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf3.html


日本銀行がETFを買うお金はどこから来るか?:日銀のETF購入(1)

 2019年度もETF(指数連動型上場投資信託)購入は続き,2020年3月20日現在の帳簿価額は29兆3955億円に上っている。これはアベノミクス開始直前の2012年12月20日と比べると実に20倍である。バランスシート全体も,主に大量の国債購入により3.8倍に膨らんでいる。このETFが,いま株価の低落の下で含み損を発生させているのだ。しかし,日銀が含み損を出すとはどういうことなのか?それはいわゆる国民負担や税金での穴埋めの対象になるのか?これを知るには,ETFを日銀が購入する仕組みを知っておかねばならない。

 日銀は,信託銀行に金銭信託を行い,信託銀行がETFを購入している。では,日銀はどうやってETFを買う元手のお金を調達しているのか。政府から調達しているのかというと,そうではない。

 預金を創造するか,必要なら紙の日銀券を発行することによってである。預金創造はキーストロークと事務手続きで可能であり,日銀券は1枚17円の費用で発行できる。それでOKである。いわばタダみたいなものである。これは国債を購入する時も,銀行に貸し付ける時も同じである。

 タダみたいなもので国債やETFを購入することは,経済の原理に反していて国家権力の特権なのかというと,そうではない。これは中央銀行の力である。まず中央「銀行」の銀行としての力である。預金も日銀券も日本銀行の債務(証書)だ。預金創造や日銀券発行によって金融商品を購入するというのは,会社が「手形で財・サービスを買う」原理に依拠している。会社が手形を振り出せるように,銀行は銀行券や預金を創造できるのであり,中央銀行もできるのである。

 もちろん,信用のある会社しか手形を受け取ってもらえないように,中央銀行も信用がなければその債務(証書)を受け取ってもらえない。そこは「中央」銀行の「中央」の方が活きている。中央銀行の債務が受け取ってもらえる理由は二つある。ひとつは,政府と中央銀行への支払に用いることができることだ。もう一つは,当該社会の信用機構を「最後の貸し手」として支えているため,様々な債務の中で(個人の借用証書や特定企業の手形や特定銀行の預金通貨に比べて)最も通用性が高いからだ。

 しかし,債務は最終的に現金で支払われねばならないはずではないか,という疑問があるかもしれない。そうではあるが,そうでないともいえる。金属本位制を取らない管理通貨制の社会には,債務(証書)でない現金は存在しない。債務が現金なのだ。手形は銀行預金か日銀券で支払い,銀行間の債務は日銀当座預金か日銀券で支払うしかない(補助貨幣の話は,いま脇に置く)。そして,日銀の債務は日銀の債務で支払うしかない。トートロジーだが他に方法はない。逆に言うと,日銀は自分の借金を自分の債務証書で返せるという特権を持っているのである。したがって,原則的に破綻しない。

 これが,日銀が金融商品を買う原理である。だから,ETFであれ国債であれ,日銀は外部からお金を調達することなく大量に購入できるのである。

 日銀はほぼ無から有を作り出す。それでは,資産を一方的に貯めていくのかというと,そうではない。手形で買っている以上,買えば買うほど債務も積みあがる。国債やETFはバランスシートの資産側に積みあがり,日銀券発行高と金融機関が持つ日銀当座預金は負債側に積みあがるのだ。ただし,前述のように費用はタダみたいなものであり,金融資産から利子や配当の利益があがれば利潤は出る。これが,いわゆる「通貨発行益」である。

 それでは,株価下落によってETFに損失が出た場合はどうなるのだろうか。以上の話だけであれば,税金で穴埋めする必要はないことになる。それなら何の問題もないのかというと,そうではない。これはさらに説明を要する(続く)。

その2
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その3
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論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」の研究年報『経済学』掲載決定と原稿公開について

 論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」を東北大学経済学研究科の紀要である研究年報『経済学』に投稿し,掲載許可を得ました。5万字ほどあるので2回連載になるかもしれません。しかしこの紀要は年に1回しか出ませんので,掲載完了まで2年かかる恐れがあ...