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2023年12月13日水曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その5)預金や中央銀行券は,今では金貨で返済してもらえないが,それでも債務として有効なのか?

 7 預金や中央銀行券は,今では金貨で返済してもらえないが,それでも債務として有効なのか?

 しかし,現代の銀行預金や中央銀行券が信用貨幣であるというと,疑問を持たれる方も少なくないと思います。金本位制の場合と異なり,預金や中央銀行券が兌換されない,つまり債務を金貨で返してもらうことができないからです。返してもらえない債務証書は債務証書として有効なのでしょうか。私の答えは,金貨で返してもらえないことは弱点ではあるけれど,債務証書としてはなお有効だというものです。その理由は,債務の返済には本位貨幣での返済の他に,あと二つ方法があって,それは管理通貨制でも有効だからです。

 債務の支払いは,実は三つの方法で行われます。一つは,金貨などの本位貨幣で支払うことです。二番目は,債務を負っている当人が,自分の債務よりも信用度の高い債務証書で支払うことです。三番目は,債権と債務を相殺することです。

 1番目を銀行や中央銀行がやっていたのが「兌換」です。例えば,日本銀行に日銀券を持ち込んで同額の金貨に変えてもらうわけです。これは,日銀の債務を金かで返済してもらったことに相当します。しかし,これは管理通貨制の下ではできません。これを極端に言えば,私たちは「本当のお金では債務を返済できない世界」に住んでいるのです。

 しかし,2番目の信用度の高い債務証書による返済と,3の債権債務の相殺は,いまでも日常的に行われています。

 では,例えばCさんがDさんから5000円借りて,5000円札で返したというのはどういうことでしょう。これは日常生活では普通に返済したとみなされます。では通販で先にゲーム機を受け取り,指定されたX銀行口座に,自分のY銀行口座からの振り込みで代金を払ったというのはどうでしょう。これも,日常生活では普通に後払いを遂行したとみなされます。しかし,実は最初の例では日本銀行の債務証書で返済したのですし,後の例ではY銀行の債務で返済したのです。なお,先ほど紹介した仕組みで日銀が両替してくれるので,ゲーム会社にはX銀行の債務で支払われています。

 日々行われている企業間の決済や,それを反映した銀行間の決済も,2番目と3番目の方法に拠っています。たとえば,A社,B社,C社の間の債権債務を銀行と中央銀行の口座振替で相殺し,差額は預金通貨で支払うとします。相殺の部分が3番目の方法であり,差額決済が2の方法です。

 借りたお金の返済は,前に述べたように債権債務の相殺ですから3番目の方法です。例えば,企業がX銀行から借りたお金を返済するというのは,X銀行の債権を,その銀行の預金,つまりX銀行の債務通貨で相殺しているのです。

 このように,本位貨幣での返済ができなくとも,上位の債務証書での返済,および債権債務の相殺ができるために,預金や中央銀行券は立派に信用貨幣として機能しているのです。

 しかし,そうはいっても,中央銀行に銀行が兌換を求めて押し寄せるということは起こらないのでしょうか。通常は起こりません。理由は二つあります。

 まず,中央銀行当座預金は,中央銀行が一般の銀行にお金を貸すことによって設定されるし,中央銀行券はそれが引き出されるときに発行されます。だから,一般の銀行は中央銀行から借りている立場です。中央銀行に求めるのは「お宅から借りたお金は,おたくの債務証書で返済するからな。受け取れよ」というものになります。中央銀行は当然,それを認めるでしょう。

 次に,中央銀行券は通貨になっています。なので,銀行は中央銀行に「金貨で支払え」と要求しなくても,市場で物を買って実物資産に換えることができます。もちろん金も買うことができます。兌換ができなくても実物資産には換えられるので,とくに支障がないわけです。

 もし,中央銀行券の価値が暴落するような事態になれば別ですが,その場合には,中央銀行に兌換請求が殺到して取り付け騒ぎになるのではなく,市場で物を買って実物資産に換えるさいに購買力が暴落してしまう,要するにインフレーションになるという形で現れるのです。ただし,これは経済危機に関する独自の分析を必要とする話で,機会を改めねばなりません 。


■補足

*「預金貨幣や中央銀行券は金兌換の下では信用貨幣だが,兌換停止下ではそうではない。国家の強制通用力で流通していると見るしかない」という説は,長い間多数説であった。最近の信用貨幣論の流行で少しは変わりつつあるが,いまなお通説であろう。そうではなく,兌換停止下でも信用貨幣として機能しているのだというのが拙論である。拙論は,古くからあるマルクス派の信用貨幣説の流れを応用したものである。「マルクス経済学はみな労働価値を持つ金だけを貨幣としている」などというのは誤解である。むしろマルクス派の貨幣・信用論とは,金属貨幣の代理物が発展する論理を明らかにしたものである。
*「兌換停止で信用貨幣は機能しなくなる」という人は,信用貨幣の機能のうち「金で返済してもらう」というところだけしか見ていない。そうではなくう,預金貨幣や中央銀行券が,1)どのように生まれて流通に入るのか,2)どのように流通するのか,3)どのように決済されて流通に出るのかを全面的に見なければならない。そうすれば,1)信用供与の際に生まれて流通に入り,2)個人や企業の債務より高度な債務証書として流通し,3)相殺による信用の解消によって流通から消えること,それらは基本的に,商品を流通させ,生産を維持・拡大する必要に応じてなされることがわかるだろう。これは流通外から一方的に投じられ,課税によらねば流通から出られない不換国家紙幣とは異なる運動なのである。
*債務の階層性論は現代貨幣理論(MMT)に倣ったものであり,相殺論はマルクス派信用貨幣説から継承したものである。
*しかし兌換されないことは,それはそれで重大な意味を持つ。ひとつは,準備金という制約なしに信用供与が拡大することであり,とりわけ商品流通や生産の維持・拡大と離れた借り入れ需要にも応じてしまうということである。つまりバブルの発生である。もう一つは,信用供与以外のルートで,商品生産を拡大できずに一方的に通貨だけが投入され,それが兌換で回収されなければどうなるかということである。つまり貨幣的な悪性インフレの発生である。この二つこそ,兌換停止の副作用なのである。

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