私はよく,院生に対してよく言えば丁寧,悪く言えばかまい過ぎと言われますが,そこには色々な背景があります。大きいのは,「抽象的なやる気や学問へのあこがれや漠然とした関心はあっても,何をどう問題にしたいのかはわからない院生」という存在です。自分自身がそうであって苦しんだことや,当ゼミにやってくる院生もたいていはそうであるという認識がまずあります。私の意見では,1980年代には日本はすでに「なにをやりたいかわからない若者」の時代になっていたし,そして21世紀の今,新興国もそうなっているのです。よって,ただ放置しているだけ,あるいはよく使われる言葉で言うと「放牧型」の支援では,過半数の院生は論文を完成させられません。経験則的に言うならば,修士論文は辛うじて完成するかもしれませんが,学術誌に投稿したり博士論文を完成させることはできません。
しかし,これは院生がダメだという意味ではありません。最初は何が何だかわからなくても,やがて問題を発見し,解決法を発見するかもしれないからです。そういう可能性を引き出せるかどうかは,大学と指導教員側の問題でもあります。
だからといって「農業型」の指示・命令式指導やゼミ(研究室)運営をすると,研究主体は私になってしまい,院生が自立した研究者になれません。それは適切ではありません。
この認識の上に立って,私がどういう指導教員になっているかと言うのをわかりやすく表現するとすると,以前は「パワハラを排したネオ徒弟制」と言っていたのですが,いまは「作家に対する編集者」だと思います。
つまり,ネタ出しや作品構想の打ち合わせからいっしょに行い,研究対象,問題意識,課題設定,分析視角,調査方法などについて話し合う。たとえて言えば,よい研究になりそうな原石を院生の中から見つけてきて,いっしょにがっつんがっつんノミを入れあう(この表現はマンガ家マンガ
『新吼えろ!ペン』第17話「おれの中の定義」サンデーGXコミックス第5巻71-73ページよりいただきました。画像参照)。
院生が持っている問題意識を引き出し,学問的枠組みや着眼点を探すことや,調査・分析の仕方も,自分で学ばせつつも頻繁にコメントし,必要なサジェスチョンやダメ出しをする。途中原稿についても完成原稿についても最初の読者となり,これが学界に出たらどういう風に視られるかを考えてまた話し合う。学会や研究会では他の研究者から学ぶ機会を作るとともに,当人を売り込む。学会報告の反応を見て,どのようにアピールすべきかもいっしょに考える。雑誌査読を突破する方策を検討し,コメント,添削,日本語校正をする。修了の見込みやキャリアについても相談する。相手が若者の場合,必要に応じて各種の生活相談に乗る。ただしパワハラ,セクハラ,えこひいき,人格的上下関係,強度の依存関係にならないように厳重に注意する(しかし,理系と異なり単独指導制なので,フェール・セーフが必要。複数の教員が出るゼミを作るとか,支援方針を文書にする,個別指導もすべて記録する,意見交換内容は互いにメールで文書化するなど<これで十分とは思っていません>)。
このスタイルの社会的メリットは,冒頭に書いたように,「はじめから何をどうやりたいかわかって入学するわけではない」院生を育てて,よい研究を生み出すことができることです。初めから問題意識と学問的素養と自己の思想にあふれている院生だけを相手にするよりも,育成対象のすそ野は何倍にも広がります。
また,私自身にもメリットがあります。研究過程で自分の問題意識や関心も正当に加えられるために,自分自身の研究の幅が広がり,物理的・精神的限界から自分自身ではできなかったような研究も院生がやってくれるといううれしさもあります。例えば,現在のゼミ生が手掛けている研究も,自分でやりたいけれど手が回らないテーマであったり,昔,自分でとりくんで謎のまま終わった研究の続きをやってもらっているようなものであったりします。正直,これが研究者としての最大のメリットです。
もちろん問題もあります。私にとっての問題は,言うまでもなく,途方もない労力と時間がかかることです。何しろ,自分も論文を書かねばならないわけで,いわば作家をやりながら編集者をやっているわけですから。それと,文科系に特有の事情としては,単独著作が尊重される世界なので,かなり丁寧に支援した論文でも,雑誌には,共著でなく単著として発表させるようにしなければなりません。そうすると,自らの教育成果にはなっても研究成果として業績リストには表現されないことになります。もっとも,当人が修了してからも支援を続けて新たに雑誌に発表するときは,一人前の研究者同士の共同研究になるので,共著にします。そういう例も3回ほどありました。
院生当人にとってもよいことばかりではありません。小説家やマンガ家は,編集者と共同作業をしていてもすでにプロの作家です。しかし,大学院生はちがいます。編集者のような指導教員のもとから,修了とともに旅立たねばなりません。そのとき,編集者を失った作家のようになって挫けてしまってはどうにもなりません。つまり,指導教員がいなくなっても大丈夫なように自立する独自の努力が求められるということです。結局は,自立するしかないのです。
課程博士論文の作成と審査は,自立の重要なきっかけであり,試練です。以前は初めて学術誌に投稿するときと思っていたのですが,どうも博士論文のようです。
博士論文より前に学術誌に論文を出すときは,私と院生の関係も違います。学術誌への投稿では,「院生+指導教員」vs査読者という構図です。査読を突破して論文を交換するために私は院生を支援します。コメントもすれば添削も日本語校正もします(そもそも,雑誌の編集委員会が留学生の投稿者に対して,日本語ネイティブや指導教員による日本語校正を求めてきたりします)。正直,こちらがそこまでやらないと,院生が,研究職にエントリーするのに最小限必要と言われる3本の論文を出すことは難しいです。
しかし,博士論文は院生vs「指導教員を含む審査委員」という構図です。私はもちろん論文支援はしますが,支援の方法は違います。院生に援護射撃をするのではなく,合格水準を示して,そこに向かって到達する道筋を示すような支援になるので,院生当人にとっては厳しくなります。また留学生の書いた日本語も修正はせず,問題点だけ示して必要な水準まで直させます。つまり,ここでは指導教員は支援者というより壁になります。博士論文を提出して合格することで,編集者のついていない作家として自立することになるでしょう。
このような編集者型指導教員の姿が適切なものか,また持続可能性のあるものなのかどうかは,いまでもわかりません。しかし,今のところ私自身にとっては,これ以外の方法が思いつかないのです。
<参考>
島本和彦『新吼えろペン』第5巻,Kindle版。