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2022年4月18日月曜日

財政政策論:財政赤字は後の世代に負担を負わせるものではない

  「財政赤字は今の世代が需要増大の利益を享受して,債務返済の負担を後の世代に負担を負わせるものだ」という議論への反論動画。やや解説が足りない点が残ったかもしれないので補足しながら述べる。

 そもそも財政赤字は完済すべきものではない。赤字であるべき時は赤字に,黒字になるべき時は黒字であればよく,そして長い期間を通してみれば財政赤字は次第に累積していくものである。前の動画でも触れたが,政府が完全雇用という人的資源の完全利用を目標とするならば,非自発的失業に需要創造で対処せざるを得ないからであり,それは金融政策だけでは十分できず,赤字財政によってなさざるをえないからである。政府債務は完済すべきものでないならば,完済を前提にした議論をすること自体がおかしい。借り換え続ければよいし,債務の総額も景気変動に応じて上下しながら,結局は増え続けるだろうからである。

 本当はこれだけを言ってもよいのであるが,「将来世代負担」論はあまりに大勢の人の間に定着しているので,その土俵上での議論も必要である。ある時点でのある金額の財政赤字についていえば,その需要創造の恩恵は現在の世代が享受し,債務返済は後の世代が負担するということにならないだろうか。ならないというのがこの動画の見解である。

 まず,需要創造の恩恵を現在世代だけが享受するという決めつけがおかしい。長期間用いることのできる物的インフラや制度を整備すれば,その効用は後の世代にも及ぶからである。むしろ,民間企業ではできないような物的・制度的インフラへの投資を財政赤字を出して行わなければ,将来世代の効用をも損なうことになる。無駄遣いのための予算を引き出すための政治的口実にされるリスクがあろうとも,この命題の正しさは変わらない。現にコロナ禍になって,政府はあらかじめ感染症の研究にもっとお金を使うべきであったし,逆に保健所のリストラなどすべきではなかったことが明らかになっているのである。ダムがムダな時代があったとしても,保健所リストラは誤りであった。過去にあらかじめ財政支出をして保健所にもっと投資し,PCRの行政検査体制も整備しておけば,コロナ対策がパンクすることを防げたというかたちで,現在の人々が利益を享受できただろう。

 次に,「将来世代の負担」という議論は,あたかも将来世代にお金が無くなってしまうかのように響く。これが誤りである。国債発行を通した財政支出は,あくまで同時点でのお金の貸し借りである。現時点では国債購入者に債権が発生して政府が支出し,その利益は何らかの形で現在・将来の国民が享受する。返済の際は,納税者が課税され,その時点での国債保有者に返済されて,国債保有者が支出したり,支出せずに貯蓄したりするのである(なお,日銀保有の国債ならば日銀の利益となり,政府に納付されるだけである)。返済の時点で納税者のお金が国債保有者に回るのは,その時点での所得分配の問題である。お金がタイムスリップして過去に飛んでなくなってしまうわけではないことが肝心である。だから,将来の所得再分配政策によって,納税者の負荷は下げることができる。過去の国民がお金を使ってしまったのではなく,その時点での所得の偏りを是正すればよいだけのことなのである。





2022年4月12日火曜日

リカード・バローの中立命題に対する全面否定論としてのMMT

 財政政策の有効性その3。この講義では,リカード・バローの中立命題に対する全面否定論としてMMTを位置付けた。またそれは講義する私の立場としては,マルクス経済学の信用貨幣論,ケインズのある種の解釈,MMTの信用貨幣論の一致するところでもあるとしている。

 MMTがなぜ中立命題全面否定論かというと,財政赤字がない状態を正常な状態と見なすのではなく,財政赤字があって,おそらくは徐々に拡大していく状態を正常と見なす理論だからである。正確に言えば,政府が完全雇用という人的資源の完全利用を目標とするならば,そうならざるを得ないという理論である。この認識が一般化すれば,「納税者は財政赤字を出して需要を拡大しようとする政府に対して,将来増税があると予想して支出を増やさずにおく」という行動は合理的でも何でもなくなるのであり,中立命題の前提が成り立たなくなる。

 同時にこの講義は,MMTを含む信用貨幣論を,財政をいくらでも拡張できる魔法の杖とはみなしていない。自国通貨建て債務ならば,債務総額やGDP比は問題ではない。しかし,悪性インフレ,バブル,それとおそらく連動する為替レートの急落,金利を下回る成長率が,赤字財政による需要と雇用創造の限界を画すという立場である。

財政政策の有効性(3):MMTによる中立命題全面否定論 現代資本主義におけるマクロ経済政策㉗




2022年4月11日月曜日

松尾匡・井上智洋・高橋真矢『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』の信用創造廃止論:やはり「気持ちはわかるが,無理だ」と思う

 松尾匡・井上智洋・高橋真矢『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』光文社,2021年。松尾氏と井上氏は信用創造廃止・政府通貨論者らしいと聞いて興味を持ち,読んでみたのだが,その主張が飲みこめなかった。本書には多様な主張が含まれているが,ここでは信用創造廃止論,信用貨幣の廃止と政府通貨の創設論,それとかかわった金融システム・財政システムの改革論の大枠についてのみ対話したい。

 本書の主張には,共感できるところもある。私なりにまとめると,著者たちは現行の金融システムは民間銀行による信用創造によって成り立っていると理解している。私もそう思う。また著者たちは「様々な反緊縮論の共通点は,金融政策でなく財政政策を活用して,人々のための経済政策をやって行こうということであり,そのために一定程度まで財政赤字を出すことはサステナブルだと考えている」から,そこを一致点として確認しようと考えている。この点もまったく賛成である。

 しかし,信用創造廃止の積極的主張をされる時に,どうしてそれがサステナブルだと考えるのかが,よくわからない。十分説明されているとは思えないのである。信用創造廃止論だとどういう価値観に立つことになり,MMT論者だとどういう価値観に,ということは書かれているが,肝心の信用創造廃止後の金融システムがどのように機能するのかが,本書ではわからない。他の本や論文で詳しく論じられているのかもしれないが,本書は一つの作品なのだから,本書だけで概要はつかめるようにしていただきたかった。

 民間銀行による信用創造がある限り,バブルの危険があり,通貨創造で民間銀行が設けてしまうという批判はわかる。批判としてはそのとおりである。しかし,信用創造を失くす,具体的には銀行の貸し出しに100%準備を強制し,信用貨幣は廃止して政府または中央銀行が政府通貨を発行する,というしくみにした場合に,金融システムがどのように貸し出しニーズにこたえるのかがわからない。バブルを引き起こす投機目的の信用創造をシャットアウトするのはいい。しかし,いったいどうやって,民間企業の,投機目的でないまともな借り入れのニーズに応えるのだろう。つまり,設備投資とか運転資金とか決済資金とかの借り入れニーズの変動に,どのように対応するのだろうか。企業が借りたいと言っても,「当行に中央銀行が与えてくれた準備預金の枠を超えたからダメ」と言われるとおしまいであり,あまりに柔軟性がない。中央銀行が銀行に供与する準備預金を調節するにしても,日々の変動に対応できるものではなかろう。信用創造廃止・100%準備預金制度は,信用ひっ迫を起こしやすくすると思う。

 推定になるが,おそらく著者は,そこは政府通貨による財政拡張で補うのだと考えているのだろう。政府通貨による財政拡張の結果,通貨はやがて十分に市中に出回るようになるということだろう(誤読であれば申し訳ないが,ここのところが説明されていないから,本書の主張が飲みこめないのである)。したがって,個人や企業が銀行なり投資銀行なりに,預金なり預け金なりとして持ち込むお金も増える。それを原資にして金融仲介をすれば,信用創造がなくても十分金融システムは機能するということだろう(※)。いわば「銀行から証券へ」「銀行から種々のファイナンス・カンパニーへ」の新しいバージョンともいえる。

 しかし,財政資金を十分散布することを前提に金融仲介をする,というこのしくみには問題がある。まず柔軟性の問題である。原資が財政資金だということは,国会での議決に基づいて,年度単位で編成される予算によって供給されることになる。このような資金は,総量を拡張することは可能であっても,日々のニーズに応じる柔軟性はない。先に述べた準備預金の調節も財政支出の調節も,日々,貸し出しの現場でなされる信用創造の調節に比べると柔軟性は格段に劣るのである。

 次に,自動調節の弱体化の問題である。現行システムにおいては,遊休して証券投資に充てられるお金も,もとをたどれば財政資金として支出されたものか,あるいはどこかの銀行から信用創造によってつくりだされ,誰かに貸し付けられたお金である。このうち後者は,企業や家計が必要であるから借り出したお金である。そして,必要なら何度も借り換えるであろうが,不要になれば最終的に銀行に返済され,消滅する。そういう意味では,財・サービス購入に向けた信用創造による通貨供給は内生的であり,必要なだけ供給され,不要になれば消えるのである。いわば金融システムから供給される通貨供給量は自動調節されるのだ。ただし,投機のための借り入れが行われることがあり,そうすると通貨は金融的流通に回ってしまってバブルが発生する。そこに問題がある。

 対して政府通貨システム・信用創造廃止の下での通貨供給では,どうなるだろうか。金融システムを通した内生的供給は制限されるので,当然,十分な通貨供給を財政システムに依存することになる。財政システムによる通貨供給は,政治的意思決定に基づく外生的なものである。そのため,通貨供給量の自動調整機能は,金融システムより劣っているとみなさざるを得ない。銀行融資の貸し付けと返済によって通貨が膨張・収縮するルートが制限されているからである。一方,財政赤字を許容する財政思想で,民主的意思決定に基づく財政政策を取れば,悪性インフレのリスクが発生する。これ自体は現行システムでも同じであるが,信用創造を廃止して信用貨幣を政府貨幣で置換えた場合,金融システムの縮小を財政システムの拡大で補うから,このリスクは現行システムよりもずっと高くなるだろう。

 また,信用創造を廃止しても,それだけではバブルは根絶できない。財政支出によって十分なお金が市中に出回っているとして,その結果,家計や企業によって金融機関に大量のお金が持ち込まれれば,金融機関は何とかそれを運用して利益を出さねばならない。そうすると,現在のノンバンクや投資銀行と同じく,ハイリスク・ハイリターンの証券での運用や貸し出しに運用が偏るという問題が生じる。サブプライム危機で問題になったような,一つの資産を基礎に資産担保証券を幾重にも発行する手法も,信用創造を禁止しただけではなくせない。政府通貨の供給量を多くすればするほど,こうしたバブルの危険も増す。信用創造廃止だけでバブルを根絶できると期待すべきではない。

 対比してまとめよう。民間銀行による信用創造が可能な現行システムは,通貨が財・サービスの購買に向けられる限り,通貨供給量の自動調整機能を持っている。ただし,金融資産の購買に大量に向かったときに歯止めを失い,バブルとなる。対して信用創造が廃止された政府通貨システムは,金融システムを通したバブルを抑制しやすい代わりに,財・サービスの購買に向かう通貨供給量の自動調整機能が制限される。そのため,信用ひっ迫を起こす危険がある。これを防ぐためには,現行システムよりも財政システムに依存した通貨供給を行わざるを得ない。そうすると,現行システムよりも悪性インフレの危険が高くなる。そして,バブルも根絶できるわけではなく,通貨を供給すればするほどそのリスクは高まる。

 どちらがましかと言えば,私は現行システムを出発点に改革を考える方が現実的に実行可能性が高いと思う。財・サービスの購買に向かう通貨供給量の自動調整機能を維持し,これに依拠し続けた方が,その先の改革の負荷が下がるからである。どの道,反緊縮という方向で改革を行うためには,財政を拡張しなければならず,その際に有効な悪性インフレ対策が不可欠となる。信用創造廃止・政府通貨では,MMTのような信用創造を許容した上での改革に比べて,インフレ抑制の難易度はさらに上がる。それよりは,自動調整機能に依拠しつつ,バブルのコントロール策を考案する方が現実的だろう。信用創造廃止論者に対しては,MMT論者のR. レイがかけた言葉を繰り返さざるを得ないと思う。「気持ちはわかるが,無理だ」。

付記:私は,以前に山口薫・山口陽恵『公共貨幣入門』に対して論評を行ったが,松尾氏や井上氏が本書で書かれていることにも,ほぼそのまま当てはまると思う。違いは,供給された政府通貨によって金融仲介の原資が生まれることを考慮した論評にしたことである。

「山口薫・山口陽恵『公共貨幣入門』集英社,2021年を読んで:信用創造禁止,シンボル貨幣,ナローバンクがもたらすもの」Ka-Bataブログ,2021年12月18日。

※ここで「信用創造」というのは,銀行が貸し出しを行う際に預金通貨が創造され,通貨供給量が増えることを指している。対して「金融仲介」というのは,すでに市中に存在する資金が,それを必要とする企業や家計に融通されることを指している。


松尾匡・井上智洋・高橋真矢『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』光文社,2021年。


2022年4月9日土曜日

累進課税の強化としての負の所得税を:ベーシック・インカムと社会保障の「あれか,これか」の話とは別に

 『東京新聞』2022年4月6日付の 「『これが福祉なのか...』困窮者への特例貸付で破産連絡700件超 コロナ禍で大量申請、支援現場に葛藤」という記事を読んで。 

 生活困窮対策として緊急対策を改善することも必要であるが,恒常的な対策が必要だ。私は,所得税の累進課税を拡充し,非課税世帯には「マイナスの所得税」を導入する減税が適切と思う。所得が一定以下であれば,低いほど高率の給付金を受け取れる。ある所得で給付・課税ともゼロになり,それ以上は現行のような累進課税とする。

 緊急小口資金や総合支援資金は効果を上げていると思うが,返済問題が大きい。給付金の提案は,肝心の低所得者に届かない提案や,焼け石に水的金額の提案がなされていて,効果的でない。所得に応じた,権利としての恒常的給付を,所得の証明のみでそれ以上の手間ひまなく実施する,恒常的制度にすべきだ。税制改革として行うのが,時間は多少かかるけれど一番安定する。

 そして,マイナスの所得税は,「税制の改善,累進課税による所得再分配の強化」として,他の施策とは独立に,プラスアルファとして行うべきである。「社会保障制度の代わりにベーシック・インカムを実施する」というトレードオフの議論に迷い込むべきではない。




2022年4月5日火曜日

財政政策論。リカード・バローの中立命題が完全には成り立たないという見解。まあ,そりゃそうだとしか

 財政政策の有効性(2)。実際の財政政策を事実上支配する見解。つまり「リカード・バローの中立命題」を究極の理論としては否定しないが,厳密に成り立つことはないとした場合についての検討。

 現に多くの国が長期にわたって財政赤字を出している時に,「納税者は,やがて赤字をゼロにするための増税があると合理的に予想する」というのは,現状分析としてはおよそ考えられない作り話である。もちろん,中立命題を理論的仮定として置いた上で理論的研究としてあれこれ検討するのはわかる。しかし,「それが事実に違いない」と科学の法則のように決めつけて現実を裁断しようとする発想は,私には全く理解できない。

 この後,MMTを含む中立命題全否定論に進む。

財政政策の有効性(2):中立命題部分否定/財政政策の限定的有効論 現代資本主義におけるマクロ経済政策㉖




2022年4月4日月曜日

日本の賃金が上がらず消費が低迷する原因は,企業がもうかっていないからではない:加谷珪一氏の記事について

 加谷珪一氏は,Newsweek4月1日付に寄稿された「日本だけ給料が上がらない謎...『内部留保』でも『デフレ』でもない本当の元凶」において,「日本企業は何らかの原因で十分に利益を上げられない状況が続いており、これが低賃金と消費低迷の原因になっていると推察される」と指摘されている。私は,これは的を射ていないように思う。以下,その理由を述べる。

 まず,日本企業の営業利益率や経常利益率は,歴史的にはむしろ高成長(高度成長期+安定成長期)の方が長期低落傾向にあったという事実がある。言うまでもなく,当時賃金は今よりずっと上がっていた。

 バブル崩壊以後の低成長期では,1993年を底にして,むしろ上昇傾向にある。とくに営業利益率はそうでもないのだが,経常利益率は上下の振幅も大きいものの上昇幅も大きく,高度成長期の水準に達している(※1)。

 問題は企業が儲からなかったことではない。加谷氏は日本企業の付加価値生産性の低さを指摘しており,それは事実である。日本のいくつかの産業において国際競争力が低迷しているのも,視点によって詳細は変わるが,おおむね事実といってよい。しかし,それでも日本企業は全体として利益率を引き上げて来たのである。むしろその理由を問うべきだが,今は脇に置く。もうかりはしたのだが,その利益がどこに行ったかが問題である。

 A)一つ目は,配当性向と配当の絶対額の上昇である(※2)。この配当が,おそらくは高所得者に向けられた。高所得者の限界消費性向は低いので消費に回らない(※3)。

 ただし,企業は配当を増やしてなお内部留保を狭義(利益剰余金)でも広義(利益剰余金+資本剰余金+各種引当金・準備金)でも積み上げた(※4)。

 B)二つ目が,この内部留保が資産としては何に投下されたかである。有形固定資産に投下されず,M&Aを含む子会社支配,自社株買い戻し,海外直接投資に向けられた部分が大きかった。にわかには信じがたいことだが,大企業の有形固定資産保有額は,21世紀最初の15年の間に低下したのである(※5)。

 日本の企業は利益を上げていた。しかし,その利益は,国内において,消費や実物資産への投資を拡大するように再投下されてこなかった。これが景気の長期低迷の最大の要因だと私は考える(※6)。賃金が上がらないことは,別の要因で説明すべきだ。

※1 以下のグラフをご覧いただきたい。法人企業統計調査から本川裕氏が作成したもの。
「企業の利益率の長期推移」社会実情データ図録。

※2 以下のグラフをご覧いただきたい。出所は※1と同じ。
「企業の当期純利益の推移」社会実情データ図録。

※3 以下のデータをご覧いただきたい。
「BOX3 所得階層別にみた限界消費性向」『経済・物価情勢の展望(2016年10月)』日本銀行,2016年11月。

※4 ※2と同じ以下のグラフをご覧いただきたい。
「企業の当期純利益の推移(製造業)」社会実情データ図録。

※5 以下をご覧いただきたい。
小栗崇資(2017)「大企業における内部留保の構造とその活用」『名城論叢』17(4),名城大学経済・経営学会,3月,1-14。

※6 このことは私を含む産業論や経営学研究者も注意すべきである。日本企業のイノベーションの低迷や国際競争力低下を問題にするのは意味がある。日本社会の生産力や物的生産性に直結する問題であり,日本の生活のありかたに関わるものだからだ。しかし,「日本経済を活性化させるためには,日本企業の国際競争力をあげねばならない」とは限らない。企業がもうかっても低迷したままになることもあるからだ。まして「日本経済を活性化させるためには,日本企業がもうかるようにしなければならない」というのは誤りである。すでにもうかっているのに日本経済は活性化していないからだ。

加谷珪一「日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶」Newsweek,2022年4月1日。


2022年3月31日木曜日

「ビッグマックは絶対さ!」とゴルバチョフの人形は言った

 1987年のゴルバチョフ訪米,中距離核戦力(INF)全廃条約直前のことだったと思う。アメリカのテレビで,レーガンとゴルバチョフの人形が会話しているものがあった。

レーガン「アメリカでは何を食べたい?」

ゴルバチョフ「○○と××と,,,,ビッグマックは絶対さ!」

 若者には説明を要する。かつて社会主義国には,多国籍民営企業マクドナルドは出店していなかった。また,1968年に開発されたビッグマックは,当時のマクドナルドでは最上級メニューであった。

 マクドナルドがゆたかな西側諸国のイメージを代表していたことは,1990年1月31日にモスクワにマクドナルドがオープンしたときに3万人の顧客が押し寄せたことで明白になった。時代は大きく変わっていた。私はその光景をテレビで見ていたが,「マクドナルドなんかどうでもいいじゃないか」と思う気持ちとブラウン管の中の現実に折り合いが付けられなかった。

 やがてソ連は崩壊してロシアに戻り,市場経済化とグローバル化は,褒め称えるに値するかどうかは別としても,不可避の流れになったように見えた。1993年,アメリカからの帰りの飛行機の中で読んだAdams and Brock, Adam Smith goes to Moscowの表紙にはマクドナルドモスクワ店開店日の写真が使われていた。私は2000年にこの本を訳し,またベトナム市場経済化支援プロジェクトに参加して,グローバリゼーションを不可避と認めた研究や提言を行うようになった。

 2022年3月8日,ロシアのウクライナ侵攻を受けてマクドナルドはロシアの850店舗すべてを閉鎖すると発表した。時代は一回りしたのだ。そして私は,「マクドナルドなんかどうでもいいじゃないか」とは思えなくなった。




論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」の研究年報『経済学』掲載決定と原稿公開について

 論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」を東北大学経済学研究科の紀要である研究年報『経済学』に投稿し,掲載許可を得ました。5万字ほどあるので2回連載になるかもしれません。しかしこの紀要は年に1回しか出ませんので,掲載完了まで2年かかる恐れがあ...