フォロワー

2024年8月1日木曜日

追加利上げに見る日銀のジレンマ:解決策としての賃上げ・雇用改革

 日本銀行は7月30-31日に開いた金融政策決定会合で,政策金利を「0-0.1%」から「0.25%」程度に引き上げることを決定した。この引き上げには,日銀が抱えるジレンマが表現されている。このジレンマは,コロナ後に深刻になったものであり,日本経済の抱える問題を表現したものである。

 もともとアベノミクス期=黒田総裁期の量的・質的金融緩和は,「金利を上げれば景気をくじき,いつまでも上げなければ企業体質が弱っていく」というジレンマを抱えていた。コロナ後,各地の干ばつとウクライナ戦争による食料・燃料の輸入価格高騰,さらにアメリカのインフレとこれを鎮静化させようとする金利引き上げがドル高円安を招いたことにより,事態は悪化した。

 まず輸入価格の影響である。もともと日銀が描いていたのは,金融緩和が経済を活発化させ,ディマンド・プルによって物価が2%上がることであった。そこで緩和を解除すればいいのである。しかし,一方では賃金が上がらず,賃金が上がらない限りディマンド・プルは起こりそうにないことが明らかになった。他方で輸入価格高騰がコスト・プッシュで景気の足を引っ張り,物価が上がっても緩和を解除できなくなってしまった。

 次にアメリカのインフレとドル高。アメリカのインフレは財政赤字による貨幣的インフレと,景気回復によるボトルネック顕在化という実質的物価上昇の混合である。インフレ率は日本よりアメリカの方がはるかに高いので,貿易のベクトルではドル安になるはずであった。しかし,インフレ対策の高金利が,米日の間に金利差を作り出し,しかもアメリカの高金利も日本の低金利も,どちらも政策的にしばらく続くだろうという期待を持続させてしまった。そのためポートフォリオ,つまり金融資産のストックの組み替えがドル資産に向かい,激しいドル高円安が生じた。1980年代と異なるのは,アメリカの貿易赤字や財政赤字の持続性がさほど心配されておらず,高金利・ドル高でも,ドルが暴落するという不安が広がっていないことである。

 このように,過去数年のドル高円安は,もっぱら金利格差継続の期待という,金融的要因と政策的に要因によるものである。インフレ率格差によるものでもなければ(それなら全く方向が逆である),米日の生産性向上率格差に基づくものでもない。日本経済の停滞が円安を招いているという論評があるが,感情的悲観である。購買力平価は円安に振れておらず,また現実のレートは購買力平価よりはるかに円安に振れているからだ。

 インフレ率格差による相場調整ならば,二国間の財の交換比率は変わらない。ところが,金利格差によるドル高円安では,輸入価格は実質的に上昇し,輸出価格は実質的に下落するので,財の交換比率,つまり交易条件は日本にとって悪化する。円の購買力が落ち,輸入品の値上がりを通して物価は実質的に上昇する。したがい,内需向け中小企業の活動条件や市民生活を圧迫する。

 一方,輸出品は安売りとなる。日本企業は輸出に際してドル価格を引き下げて大量販売するのではなく,製品を高級化させてドル価格を維持し,円換算での収入を増やしているようだ。なんにせよ輸出企業は利益を上げている。

 つまり,企業利益は増えて景気はそこそこ回復しているが,賃金が上がらず物価が上昇したため市民生活は悪化し,リベンジ消費も盛り上がらない。これが2022年頃までに生じた状態であった。「賃金が上がらない限りディマンド・プルによる景気回復が起こらない」とようやく察した政府は,比較的あからさまに,また日銀は遠回しに賃上げを奨励するようになった。経団連も,過去30年間賃上げ抑制を訴えてきた路線を手のひら返しし,会員企業に賃上げを呼び掛けるようになった。その結果,2023年以後,名目賃金はついに上がり始めたが,物価上昇に追いつかず,実質賃金はいまなお低下し続けている。

 説明が長くなったが,これでコロナ後の日銀のジレンマの正体が明らかになる。「賃金が上がらなければディマンド・プルでの物価上昇はおぼつかないが,なかなか実質賃金が上がらない。これが実現するまでは金利を上げて景気をくじくことはしたくない」。一方,「円安によるコスト・プッシュの物価上昇は実質的物価上昇=円の購買力低下であって困る。これを止めるには金利を上げて,米日金利格差の継続期待を解消しなければならない」。それでは,いったいどうしたらよいのか。これが,ポストコロナ期に激しくなったジレンマなのである。

 今回,日銀は金利をわずかに引き上げた。これは,一方で景気をくじかない程度の引き上げにとどめ,他方で,日銀が緩和に固執するのではないという姿勢を金融市場に見せて,金利差継続期待を解消するためであろう。こうした熟慮は,植田総裁の会見詳細にもにじみ出ている。しかし,うまくいく保証はない。

 日銀のジレンマは,日本経済のジレンマでもある。金利が上がらなくても上がってもダメージを受けかねないのである。これは,日銀だけでは解決できるものではない。問題の根源は,賃金が極度に上がりにくいことである。賃金が上がれば,市民生活は改善され,労働分配率は上がって経済格差は緩和され,物価上昇はディマンド・プル型となって経済活性化に寄与するものに変わる。

 では,どうすれば賃金が上がるのか。政府が呼びかけるだけでどうにかなるものではない。賃上げを迫る社会的圧力を強めねばならないし,雇用慣行を変えねばならないだろう。専門職の給与はジョブ型にして引き上げべきではないのか。非正規の差別的低賃金は,ジョブ型正社員にすることで引き上げるべきではないのか。多くの正社員がメンバーシップ型雇用のままであるとしても,労働組合は産業別または職業別に組み替えて,会社に忖度しない賃金交渉をすべきではないのか。そして政治・社会運動は「はたらく者の賃金が上がりやすい社会」という古典的テーマのためにもっと力を配分すべきではないのか。ジレンマ解決の道は,金融政策ではなく,雇用改革に求めねばならない。

「日銀 追加利上げ決定 政策金利0.25%程度に【総裁会見詳細も】」NHK,2024年7月31日。

過去記事

「賃上げ定着か,三択ばくち打ちか:2023年後半の経済」2023年7月8日。

「日銀のジレンマもしくはバクチ打ち」2022年6月20日。


2024年7月31日水曜日

貨幣分類論(その3。通用根拠分類)

 Ⅰ はじめに
Ⅱ 外形的分類
(以上,その1) 

Ⅲ 本質分類
Ⅳ 形態分類と物的定在分類
(以上,その2


V 通用根拠分類

 ここでは,貨幣が貨幣として通用する根拠に即した分類について検討する。

a.商品貨幣

 商品貨幣の通用根拠は商品であることそのもの,もう少し具体的に言えば商品としての価値を持つことである。かてて加えて,商品と交換する際の取扱い,輸送,保管の便宜,物質としての安定性,価値の安定性,を持つことによって,特定の商品が貨幣商品となる。

 したがい商品貨幣は法定通貨という制度の助けを借りずとも流通するし,世界貨幣であることによって国境を越えてすら流通しうる。一社会の内部では国家によって法定支払い手段と認められることもある。しかし,流通のために法定通貨であることを必要とするわけではない。

b. 政府発行不換紙幣,補助硬貨

 政府発行不換紙幣と補助硬貨は,確実に流通に必要な貨幣量の範囲では,価値章標として,これを使用するものの信認によって流通する。ここで「信認」とは,「貨幣として認める」ということであり,債権債務関係を意味する「信用」とは異なる。

 ここで注意が必要なのは,価値章標は,確実に流通に必要と認められる貨幣量の範囲では,信認が社会の成員によって自発的に与えられる限りは,国家権力による強制がなくても流通するということである。従い,本稿では考察の外においた民間発行の不換貨幣,例えば地域通貨も,この範囲では流通しうる。しかし,信認が望めない場合は,国家の強制通用力によって国家貨幣として流通するしかない。流通に必要な貨幣量を超え,インフレーションの可能性を伴って発行される政府発行不換紙幣や補助硬貨は,もっぱら国家の強制通用力によって国家貨幣として流通する。

c. 一般銀行当座性預金,中央銀行当座預金,一般銀行券,中央銀行券

 当座性預金と銀行券は,いずれも債務証書が貨幣化したものであり,そのような意味で信用貨幣である。それらは,債務証書としての信用に基づいて通用する。債務証書としての信用とは,支払い手段として信用されるということである。

 信用貨幣が表示している債務の支払い方法には3通りあり,いずれかが可能であれば信用されうる。第一に,金属貨幣=商品貨幣による支払いである。例えば金貨による返済であり,金兌換もこれに含まれる。第二に,債権債務の相殺である。その起源は手形交換所における債権債務の相殺である。また銀行や中央銀行は,預金者間の債権債務を預金残高の調整によって相殺している。さらに,銀行貸付の返済も債権債務の相殺である。債務者は銀行貸付を返済する際に,自分名義の預金口座に返済金を預け,そこから返済する。この時,借り手は自分の債務を,銀行の債務である預金貨幣を使って返済している。返済が完了すると,借り手の債務が消滅するとともに,同額だけ銀行の債務である預金も消滅する。当該銀行が発行した一般銀行券で返済した場合も同じことが起こる。銀行への返済とは債権債務の相殺なのである。第三に,当該債務証書よりも信用度の高い債務証書による支払いである。個人の債務の返済に,銀行券や銀行預金を用いることができるのはこれである。また,銀行への債務の返済に中央銀行券を用いることができるのもこれである。

 金兌換が停止されると預金貨幣や銀行券が信用貨幣でなくなって国家貨幣になるという見解があるが,これは債務決済には商品貨幣による支払いしかありえないという思い込みによる誤りである。金兌換がなされていなくても,債権債務の相殺や,より信用度の高い債務による返済は可能である。だから兌換されなくとも信用貨幣なのである(※2)。

 逆に,近年の現代貨幣理論(MMT)のように預金貨幣や銀行券が信用貨幣であることを認めながら,その通用根拠を国家による強制通用力や納税に用いることができる法定通貨であることに求める見解があるが(Wray, 2015,鈴木訳,2019),この説明は整合的では言えない。民間の経済主体間で債務として信用があるならば強制通用力は不要であるし,受け取ってもらうのに国家権力を必要とするならば,民間経済主体間の債務証書ではないだろう。MMTの説明が整合するためには,資本主義経済における民間の経済主体間での信用を国家信用の副産物と考えるしかないが,それは極論であろう。

 ここで注意が必要なのは,金兌換が停止されると,一社会内部では中央銀行債務が最終決済手段になるということである。中央銀行当座預金は中央銀行券でしか支払われず,中央銀行券は中央銀行当座預金でしか支払われない。それでどうして信用が維持されるかというと,通貨価値が毀損されない限り,中央銀行に債務決済が求められることはないからである (※3)。というのは,銀行は中央銀行当座預金や中央銀行券を持っていれば中央銀行に返済できるし,中央銀行券があれば必要な商品も金融資産も買えるのであって,それで十分だからである。しかし,インフレや,貿易の構造的出超や金融的投機による為替相場下落が極端になれば中央銀行当座預金や中央銀行券の信認は崩壊する恐れがある。だから管理通貨制のもとでは,中央銀行は金準備の確保に汲々とする必要がない代わりに,通貨価値を安定させることを最重要課題とするのである。

 このように,通貨価値の毀損が起こらない限り,中央銀行当座預金や中央銀行券は信用貨幣として,また一社会内部では最終支払い手段として通用する。中央銀行券が法定通貨とされるのは,この実態を法的に追認しているだけである。法定通貨であることで,中央銀行券がはじめて通用するわけではない。

その4に続く)

Ⅵ 機能分類
Ⅶ 支払い方法分類
Ⅷ 流通領域分類
Ⅸ 兌換代用貨幣と不換代用貨幣
Ⅹ 中央銀行デジタル通貨(CBDC)の場合
Ⅺ おわりに

※2 債権債務相殺につき岡橋(1969, p.100,1987,p. 338),より信用度の高い債務による返済につき,Wray (2015,鈴木訳,2019)を参照。

※3 ここで通貨価値と言うのは,代用貨幣が金属貨幣を代表する度合いという価値尺度次元の通貨価値と,貨幣と商品や他国貨幣との間での交換比率と言う交換手段次元のものを含む。両者の観点の区別は,岡橋(1978)を参照。

<参考文献>

岡橋保(1969)『信用貨幣の研究』春秋社。
岡橋保(1978)『世界インフレーション論批判:続・貨幣数量説の新系譜』日本評論社。
岡橋保(1987)『新版 現代信用理論批判』九州大学出版会。
Wray, R. L. (2015). Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems, 2nd edition, Palgrave Macmillan.ランダル L. レイ著,島倉原監訳・鈴木正徳訳(2019)『MMT 現代貨幣理論入門』東洋経済新報社。




2024年7月30日火曜日

貨幣分類論(その2。本質分類,形態分類と物的定在分類)

Ⅰ はじめに

Ⅱ 外形的分類

(以上,その1) 


III 本質分類

 貨幣とは,ある社会においてすべての商品と等価とされる,特殊な役割を持った商品である。つまり,貨幣は本来,商品であって商品貨幣である。この貨幣の本質から言って,形態分類された種々の貨幣のうち,金属貨幣だけが本来の貨幣であり,商品貨幣である。それ以外のすべての貨幣は代用貨幣と言わねばならない。

 管理通貨制においては,現に流通しているすべての貨幣は代用貨幣である。本来の貨幣が現実には流通していないという規定に承服せず,商品貨幣が本来の貨幣であることを否定したり,管理通貨制下で流通する代用貨幣に本来の貨幣を見出そうとしたりする試みが多数みられる。例えば貨幣はもともと信用貨幣であるというのは前者であり,種々の「ドル本位制」論は後者である。しかし,これらは現状の素直な把握に努めているように見えて,実は資本主義発展のダイナミズムを見失うものである。

 資本主義経済は商品貨幣を必要とする。しかし,商品貨幣の現物使用は資本主義の発展を,つまりは商品流通と資本蓄積を制約する。この矛盾を媒介するのが代用貨幣の発達である。代用貨幣の発達は,貨幣流通量の拡張を可能とし,恐慌を緩和し,資本主義の発展を可能にした。しかし,価値を持たない代用貨幣の流通は,ときに等価交換を求める価値法則の反発を受ける,バブルの膨張とその崩壊,恐慌回避の代償としてのインフレーションがそれである。このように,本来の商品貨幣が流通しなくなっていく過程にこそ資本主義の矛盾とその媒介が表現されているのである。いまこのときに商品貨幣が流通していないからといって,もともと商品貨幣は重要でないとか,いま流通しているものが本来の貨幣だとすることは理論的ではない。それは,現代資本主義を安定した構造として描こうとするあまり,その歴史的性格や,矛盾を抱えながら発展するプロセスを見失うことである。

 念のためいうが,商品貨幣が本来の貨幣であるというのは,過去に流通の大半を金貨が占めていたなどという意味ではない。理論的な本来性とは,歴史的先行性のことではない。商品流通と資本主義経済にとって必要とされる貨幣の規定を体現していて,貨幣を規定しようとすると理論的にそこから出発しなければならないような姿が,本来の貨幣なのである。では,どうして商品貨幣が出発点になるかというと,そのまた出発点が商品同士が等価交換される純粋な理論モデルだからである。商品流通と資本主義を論じるにはそこから始めるよりない。さらに念のためいうが,これは過去に物々交換が世の中の大半を占めていたなどと言うことでもない。大事なことなので繰り返すが,理論的な本来性とは,歴史的先行性のことではない。いまこのときの資本主義を理解する際に,そこから話を始めざるを得ないということである。商品同士が等価交換されるモデルから出発するならば,理論的に見て貨幣とは特殊な商品であろうということである。だから商品貨幣が理論的に本来の貨幣なのであり,それ以外は代用貨幣なのである。


IV 形態分類と物的定在分類

 本質論としては,貨幣には商品貨幣と代用貨幣しかない。しかし,代用貨幣も,経済的形態によって区別がある。そして,貨幣の場合,経済的形態は物的定在とも結びついている。経済的形態はさまざまであるが,物的には,大きくは現金貨幣かデジタル貨幣の二つに分かれる。現金とは現物の貨幣のことであり,ものであるような貨幣のことであり,細かくは紙幣と硬貨とに分かれる。もっともこれは歴史的事情によるものであり,紙と金属以外の素材でつくられることもありうる。デジタル貨幣とは,本質的には数字上の存在である。それを成り立たせる物的素材は時代により,紙とインクによる記帳であったり,電子的な信号であったりする。


a. 商品貨幣

 貨幣の本来の姿である。すなわち,特殊な商品が貨幣という形をとったものである。特殊な商品というのは具体的には貴金属であるから,商品貨幣は物的には現金であり,硬貨である。


b. 国家貨幣

 中央政府が発行して流通させる代用貨幣という意味である。物的には現金であり,紙幣であることも硬貨であることもある。なお,中央銀行券はこれに含まれないことに注意する必要がある。


c. 預金貨幣

 一般銀行当座性預金と中央銀行当座預金の双方を含む,当座性預金の決済機能が発達して代用貨幣となったものである。預金は,歴史的には商品貨幣が預け入れられることによって成立するが,その理論的本質は銀行手形である。かつて預金を貨幣とみなすべきか,小切手をみなすべきかという議論が盛んにおこなわれたが,預金を代用貨幣,小切手をその支払い指図書とみなすことが妥当である。今日でいえば,デビットカード,預金と紐づけられた電子マネーやQRコード決済,預金と紐づけられたクレジットカードなどが,支払い指図を行うツールであり,これらを用いる場合も結局は預金という代用貨幣で支払いを行っているのである。

 なお,ここで個々人の日常感覚と社会全体としてのしくみが異なる点がある。個々人の日常感覚では,預金は,いまなお中央銀行券や補助硬貨を一般銀行に預け入れた際に発生するものである。したがい,預金の実体は,銀行に保管されている現金であると観念されやすい。しかし,社会全体を考察すると,話は違う。預金は,一般銀行が企業等に貸付を行った際に新規に発生するのである。その後,預金振替によって流通することもあれば,引き出されて中央銀行券や補助硬貨に転換されることもある。個々人による預け入れとは,この,いちどは預金からの転換によって流通に入った中央銀行券や補助硬貨の再預金なのである。

 中央銀行当座預金についても同じことが言える。個々の銀行の視点から見れば,銀行が手持ちの,さしあたり使用しない中央銀行券を中央銀行に預け入れることによって中央銀行当座預金が発生するように見える。しかし,社会全体として見れば,もともと中央銀行が信用を供与した際に中央銀行当座預金が発生し,それが引き出されて中央銀行券が発券されるのである。個々の銀行が預け入れを行うのは,この,中央銀行当座預金からの転換によって流通に入った中央銀行券が銀行に還流してきたものの再預金である。しかも,預けられた中央銀行券は中央銀行の資産にはならずに,社会的に消却される(価格は消滅し,物的には単なる紙切れとしての資産になる)のであるから,それが預金の実体であるはずがない。

 預金が,預けられて保管されている現金であるという観念には,歴史的な根拠はある。金属貨幣流通下では,実際に個人や企業による正貨=金属貨幣の預け入れによっても銀行預金は発生したし,銀行による正貨=金属貨幣の預け入れによっても中央銀行当座預金は発生したからである。しかし,これらは金属貨幣流通下の局所的な現象に過ぎない。歴史的に先行するものが事柄の理論的本質であるとは限らない。むしろ,管理通貨制の下で,正貨が流通していなくとも存在している預金の方が,預金の本質を表現している。現金の預け入れではなく,貸付によって発行されることこそが預金の本来的な発生方法なのである。そして預金は,預け入れられた現金を反射している数値ではなく,銀行債務を記録した数字上の存在なのである(岡橋,1939,p. 98)。

 なお,数字上の存在だということは,預金貨幣は,コンピュータの発達を待たずともデジタル通貨だということである。21世紀の今日になって初めて「デジタル貨幣が出現しつつある」かのように言うのは誤りである。


d. 銀行券

 一般銀行券と中央銀行券は,ともに銀行手形であり,銀行にとっての支払い手段として流通する。それが,さらに交換手段としても用いられて代用貨幣化したものである。とくに中央銀行が成立すると,中央銀行券は一般銀行券にとってかわり,社会の全域で流通するようになる。現金であって,紙幣である。

 資本主義経済は,商品貨幣流通の不便さを克服する方向に発展してきたが,さらに現金取り扱いの不便さをも排除しようとする傾向を持っている。預金振替による決済の発展,現金貨幣に対する預金貨幣の割合の増加がこれである。しかし,預金振替には小口取引にとって独自の煩雑さがあるため,なお現金が残存することは回避できない。そこで,一方で現金の不便を,他方で預金振替の不便を克服しようと,クレジットカード,電子マネー,QRコード支払いなど,種々の形態での預金に対する支払い指図手段が発達してきた。さらに,今日では,現金と同じ性質を持った貨幣をデジタル化するという新たな試みとして,トークン型中央銀行デジタル通貨(CDBC)の構想と社会実証が進められつつある。
その3に続く)

Ⅴ 通用根拠分類
Ⅵ 機能分類
Ⅶ 支払い方法分類
Ⅷ 流通領域分類
Ⅸ 兌換代用貨幣と不換代用貨幣
Ⅹ 中央銀行デジタル通貨(CBDC)の場合
Ⅺ おわりに

<参考文献>
岡橋保(1939)「信用経済段階における金融統制論の理論構造的批判」『経済学研究』9(1),pp. 51-106。後に岡橋(1949)に収録。
岡橋保(1949)『信用貨幣の基礎理論』創元社。




2024年7月29日月曜日

貨幣分類論(その1。はじめに,外形的分類)

 I はじめに

 貨幣には様々な種類があり,またさまざまな性質がある。またある種の貨幣の全部または一部の性質を引き継いで別の貨幣が派生するといった系統も存在する。事物を性質や系統によって分けることが分類である。だから性質や系統についての考え方によって,様々な分類がありうることになる。しかし,それだけに分類は混乱のもととなりやすい。この小論は,著者が川端(2024)で示した貨幣観によりつつ,貨幣の分類とその根拠を明快に示すことを課題とし,それを通して現在の貨幣・信用システムの理解を深めることを目的とする。

 この考察にあたっては,資本主義社会のもとでの貨幣のみを対象にする。資本主義経済における貨幣や信用と,プレ資本主義社会におけるそれらとは異なる。経済システムにおける位置が異なるからである。したがい,前近代にのみ支配的な貨幣はここでは取り扱わないし,前近代で支配的な特徴によって今日の貨幣を特徴づけることもしない。

 本稿では,ひとつひとつ基準ごとに種々の貨幣を分類していく叙述方法をとる。貨幣の配列順は,より本質的なものを先に,より派生的なものを後にしている。ただし,何が本質的で何が派生的であるかは,著者の貨幣観を反映している。その貨幣観自体が,この小論全体が完結した時点で明らかになるものである。そのため,個々の箇所,とくに叙述の前半では,根拠を必ずしも十分に明らかにせずに配列することになることをご了解いただきたい。


II 外形的分類

 まず,われわれが用いる日常的経済用語を尊重した外形的分類を行おう。外形的分類はしばしば発行元をも指している。


a. 金属貨幣

 金属貨幣とは,商品としての金属の価値にもとづく貨幣のことである。金属本位制のもとで正貨,本位貨幣,補助貨幣として流通する。金本位制下のもとでの金貨や,銀本位制のもとでの銀貨である。前近代においては金属貨幣は金属重量に基づく秤量貨幣としても用いられたが,近代社会では国家によって価格標準が設定されることが普通である。価格標準には二つの側面がある。ひとつは重量と異なる通貨の額面価格の単位が設定されることである。すなわち,円やドルやウォン,元,ペソ,ルーブル,ユーロなどと言った単位名そのもののことである。もうひとつは,金属重量と通貨単位の量的関係が公定されることである。金属本位制が実施されている場合には,この量的関係の公定が必須である。この量的関係が公定されるものを正貨または本位貨幣という。日本の場合,現在有効な「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」では,通貨の額面価格の単位のみが設定されている。これに対して1871年の新貨条例では金1.5グラムが1円とされていたし,1897年の貨幣法では,金0.75グラムが1円とされていた。

 金属貨幣の地金は金属採掘業者を出発点として流通し,鋳造されることで貨幣となる。この鋳造は,政府や中央銀行が独占することも可能であり,民間で鋳造が行われたり,政府機関に手数料を払って鋳造をしてもらったりすることも可能である。金属貨幣はもともと商品流通内で価値を持つため,発行元は政府にも中央銀行にも民間経済主体にもなりうるのである。

 正貨または本位貨幣となるのは金属貨幣のみである。「ドル本位制」などといった表現は,比喩以上のものではない。現代経済を商品経済であって資本主義経済であると把握する限り,本質的には,金属本位制か,本位貨幣不在の管理通貨制しかありえないのである(※1)。


b. 政府発行不換紙幣

 政府が発行する紙幣である。それ自体は価値を持たず,また金属地金や金属貨幣との交換を当然に要求することはできない。政府支出を賄うために大量に発行される場合がある。国や時代により制度は異なるが,理論的な純粋モデルとしては,政府が購買や貸し付けや給付を行うことで流通に入る。


c. 補助硬貨

 政府が発行する,商品価値はほとんどない硬貨である。金属地金や金属貨幣との交換を当然に要求することはできない。少額硬貨であるため,政府支出を賄うためではなく,小口の貨幣流通を円滑にするために発行される。国や時代により制度は異なるが,理論的な純粋モデルとしては,政府が購買や貸し付けを行うことで流通に入る。現代日本の場合は,日本銀行を経由して流通に入る。


d. 一般銀行当座性預金

 一般銀行が貸付,割引,信用代位に際して設定する当座性の預金が,支払い手段として貨幣の役割を持ったものである。設定した銀行にとっての一覧払債務,預金者にとっての債権である。預金振替によって持ち手を変えることで流通する。

 当座性預金には主に当座預金と普通預金がある。日本の場合,手形の振出や小切手が使用できるのは当座預金だけであるが,口座振替での支払い決済への利用自体は,当座預金でも普通預金でも可能である。


e. 中央銀行当座預金

 中央銀行が貸付,割引,信用代位に際して設定する当座性の預金が,支払い手段として貨幣の役割を持ったものである。設定した銀行にとっての一覧払債務,預金者にとっての債権である。預金振替によって持ち手を変えることで流通する。


f. 一般銀行券

 一般銀行の当座性預金が引き出されることによって発券されて流通に入る銀行の一覧払債務紙幣である。無記名であって,保有者が銀行に対する債権者となる。


g. 中央銀行券

 発券集中制のもとで,中央銀行当座預金が引き出されることで発行される,中央銀行の一覧払債務紙幣である。一般銀行の預金者が当座性預金を引き出すことによって流通に入る。無記名であって,保有者が中央銀行に対する債権者となる。

※1 もちろん,これは「本位貨幣」の定義に依存する。たとえばクナップのように,「国庫からの支払のために実際に準備される最終的貨幣」(Knapp, 1905, 小林・中山訳, 2022, p. 105)と,国家の行為を必要条件として本位貨幣を定義することも可能である。本稿は,本位貨幣の定義は貨幣そのものの性質による考えるために,前述のような定義をとり,それを尺度に本位貨幣制の成立を判断しているのである。

その2に続く)

Ⅲ 本質分類

Ⅳ 形態分類と物的定在分類

Ⅴ 通用根拠分類

Ⅵ 機能分類

Ⅶ 支払い方法分類

Ⅷ 流通領域分類

Ⅸ 兌換代用貨幣と不換代用貨幣

Ⅹ 中央銀行デジタル通貨(CBDC)の場合

Ⅺ おわりに


<参考文献>

川端望(2024)「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」TERG Discussion Paper, 489, 1-39(研究年報『経済学』掲載予定)。

Knapp, Georg Friedrich (1905). Staatliche Theorie des Geldes, Leipzig: Duncker & Humblot. ゲオルク・フリードリヒ・クナップ著,小林純・中山智香子訳(2022)『貨幣の国家理論』日本経済新聞出版。



2024年7月22日月曜日

麻田雅文『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』中公新書,2024年を読んで

 麻田雅文『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』中公新書,2024年を読んで。

 本書を読んで認識を新たにしたのは,何よりも「日ソ戦争」という名称でくくられる一つの戦争があったということである。この戦争は,対中国の戦争とも対米英の戦争とも異なる性格のものであり,1945年8月15日を過ぎても戦闘が終わらなかった戦争であり,戦後の日ソ関係,今日の日露関係にも重大な影響を及ぼしている,独自なものだった。本書の最大の意義は,この戦争の独自性をはっきり示したことにあるように思うし,また著者の狙いもここにあったのだろうと思う。

 一方において,日ソ戦争は第二次世界大戦の一部であり,その意味で相対化される。大日本帝国の軍事支配体制が背景となり,アメリカの戦略によっても規定されたものである。しかし,繰り返しになるが,それでもやはり日ソ戦争は日ソ戦争という独自の戦争なのであって,それ自体としても評価されねばならない。本書で,著者は日ソ戦争の特徴として3点を挙げている。第1に,民間人の虐殺や性暴力など,現代であれば戦争犯罪である行為が停戦後にも頻発したことである。第2に,住民の選別とソ連への強制連行である。第3に,領土の奪取である。もっともな指摘である。

 こうして改めて見直してみれば,戦後の日本における世論がソ連に対して否定的になったことはもっともであった。それはアメリカと同盟を結んだが故の反共イデオロギー宣伝の結果だけではなく,根拠のある話であった。また,この話を敢えて裏返すならば,日本の社会主義者たちがある時期までソ連に批判的に接することができなかったことの問題も,やはり深刻であった。戦後の日ソ関係や日露関係とは,そういうトラウマや呪縛との格闘であったのかもしれない。


出版社ページ
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2024/04/102798.html




2024年6月29日土曜日

Waiting for the publishing of C. Y. Baldwin, Design Rules, Volume 2. C. Y. ボールドウィン『デザイン・ルール』第2巻を待ちながら

According to the MIT Press announcement, Carliss Y. Baldwin, Design Rules, Volume 2: How Technology Shapes Organizations, will be published in December this year. The first volume of this book was published in 2000, and a Japanese translation was also published in 2004 by Haruhiko Ando.

 The first volume became the epicenter of the debate surrounding architecture. However, Professor Baldwin is not just discussing whether integral or modular is better. Baldwin is trying to build a general theory of the relationship between technology and organizations.
 Professor Baldwin began writing the second volume in 2016, and the drafts for chapters 1 to 25 are available on Research Gate, SSRN, and the HBS website. In our laboratory, we are reading through these drafts and trying to keep up with Professor Baldwin's new theoretical developments. One of our graduate students, who chose the theme of architecture and organization, is the main person in charge. Reading the 25 chapters at a rapid pace is quite tough, and there is a considerable risk that the finished product will be published before we have finished and we will be forced to compare it with the draft. However, if we can understand the book before other laboratories in Japan and the graduate student's thesis is completed, it will be worth the effort.

 Carliss Y. Baldwin, Design Rules, Volume 2: How Technology Shapes Organizations, The MIT Pressの今年12月が出版が予告されている。本書の第1巻は2000年に出版され,2004年にはボールドウィン&クラーク(安藤晴彦訳)『デザイン・ルール:モジュール化パワー』として邦訳もされている。
 第1巻はアーキテクチャをめぐる議論の震源地となった。しかし,ボールドウィン教授は,インテグラルかモジュラーかというそれだけの議論をしているのではない。技術と組織の関係に関する一般理論を構築しようとしているのだ。
 ボールドウィン教授は,第2巻を2016年から書き始められたそうで,第1章から第25章までのドラフトはResearch GateやSSRN,またHBSのサイトに掲載されている。当ゼミでは,アーキテクチャと組織をテーマとして選択した院生を中心にこれらのドラフトを何とかして読破し,ボールドウィン教授の新たな理論的展開を追跡しようとしている。25章を急ピッチで読むのはかなりきつく,また作業の途中で完成品が出版されてドラフトとの照合を余儀なくされる恐れがかなりあるが,その時はその時だ。国内のよそのゼミより早く本書を理解できて,院生の修論も完成するならば,労力を払う価値はあるだろう。

Carliss Y. Baldwin, Design Rules: How Technology Shapes Organizations, The MIT Press.

2024年6月12日水曜日

神戸製鋼の電炉転換構想をどう理解するか

 神戸製鋼は5月20日の中期経営計画説明会で,今後加古川製鉄所の高炉2基体制を前提とせず,高炉1基,電炉1基の体制に移行していくことを検討していくと発表した。ただし質疑応答記録によれば高炉巻き替え時期は2030年代後半であり,移行は少し先の話となる。2050年の生産体制についてのイメージはまだないとのこと。

 日本製鉄やJFEスチールと比べると,唯一の高炉一貫製鉄所で高炉生産量を半分にするのであるから,神戸製鋼の方針はラディカルな転換ともいえる。しかし,移行時期については,日本製鉄やJFEスチールのそれと比べて保守的とも言える。

 日本製鉄は九州製鉄所八幡地区で2030年までに,JFEスチールは西日本製鉄所水島地区で2027年に,それぞれ高炉1基を停止して電炉に移行することを表明している。電炉へ移行する生産の割合は神戸製鋼より低い。しかし,移行時期は神戸製鋼より早い。また神戸製鋼とJFEスチールは高炉巻き替え(内部耐火物等の寿命により,いったん操業を停止して大規模改修をすること)の機会での,いいかえると現在の高炉を1サイクル使い切ってからの移行であるのに対して,日本製鉄はそれ以前の移行だ(八幡地区の高炉は2014年火入れなので2030年はまだ改修必至時期ではない)。

 神戸製鋼は,次世代の水素還元製鉄技術については,子会社のMIDREX(本社アメリカ)で着々と進めているという優位性がある。オマーンでの直接還元鉄事業も検討中だ。しかし,国内では漸進路線をとろうということだろう。現在,加古川製鉄所の高炉では,海外から調達したHBI(発熱しやすい直接還元鉄をブリケット状にして輸送可能にしたもの)を装入してCO2排出を抑制する操業法を採用している。これでしばらくはしのぎ,続いて相対的に高級でない製品を電炉製鋼に移行しようというのだろう。しかし,HBI装入高炉から一定のCO2は出続けるので,CO2の排出・貯留・再利用(CCUS)か,別のオフセット手段も必要になるだろう。高炉が残ると,どうしてもCCUSやオフセット手段が必要となり,方策が複雑になってしまう。

 神戸製鋼は,水素直接還元鉄の技術開発地体制とプラント建設能力をグループ内に保持している。海外ではもっぱらこちらを活用しようとしている。しかし,現に高炉一貫製鉄所という固定資産と,顧客への高級鋼の継続供給による評判という無形資産を持っている日本国内の生産拠点では,技術のラディカルな転換に踏み切りにくい。このイノベーションのジレンマをどうマネージしていくかが,神戸製鋼の課題である。

KOBELCOグループ中期経営計画(2024~2026年度)説明会

2024年6月7日金曜日

いまはなきダイエーの「1円金券」をめぐるTogetterまとめから貨幣論を考える

 「その昔(昭和30年代)、当時神戸で急成長していたスーパーのダイエーが、あまりに客が来すぎて会計時の釣銭(1円玉)が用意できない事態となり、やむなく私製の「1円金券」を作って釣銭の代わりにお客に渡したところ、その金券が神戸市内で大量に流通しすぎて」云々というわけで,貨幣とは信用だと知るという話。

 一応言っておくと,この場合の「信用」とは単に「信じられる」という意味ではない。「払ってくれる」という意味である。つまり,ダイエーが出していて1円金券は,「ダイエーはすごい,エライ!」とか「中内さんに逆らったら命がない」という意味で信じられていたのではなく,「この1円金券と引き換えにダイエーが1円分のものを確実にくれるなんてすごい!」という意味で信用されていたのである。

 つまり1円金券は「貨幣だとみんなが信じている」(信認説)からでも「発行元が権力的に強制している」(強制通用力説)からでもなく,「その貨幣に対して発行元が支払ってくれる」,つまり債務弁済能力がある(信用貨幣説)ということで流通していたのだ。

 また,1円金券が1円分の商品と等価交換であることは,1円券自体は保証しない。それは,ある商品とある量の商品貨幣が等価として市場で交換されており,その価値量が国家の定めた基準でいうと「1円」という名前であったことが根拠となっている。しかし,商品貨幣など不便で使っていられないから国家が1円玉を代わりに発行していた。さらにそれと同じ価値を持つ信用貨幣をダイエーならば発行できたということである。

 だから,貨幣が本来商品貨幣であることと,実際には1円金券のような価値のない紙切れが流通していること,それが別の角度から言えば信用貨幣であることは何も矛盾しない。「商品貨幣論は間違いで表券主義が正しい」とか「商品貨幣論は間違いで信用貨幣論が正しい」(商品貨幣否定論)とかいうことではない。商品貨幣は国家の力による表券主義という補完によって価格標準を獲得し,さらに商品貨幣の代行として信用貨幣が流通するのである。

「釣銭不足に困った昭和のスーパーが苦肉の策で私製券を出したら「日本の貨幣体制が危ない!」と日銀が大慌てした話」Togetterまとめ,2024年6月4日。


2024年6月4日火曜日

中央銀行デジタル通貨(CBDC)は現金と預金のトークン化であり,それらと異なる新種の貨幣を作り出すわけではない:国際決済銀行(BIS)年次経済報告を読む

 昨年の国際決済銀行(BIS)年次経済報告第3章「Blueprint for the future monetary system: improving the old, enabling the new」(未来の貨幣システムの青写真:古いものを改善し,新しいものを可能にする)をようやくざっと読めた。

BISは一社会の貨幣システムが中央銀行債務と民間銀行債務の二層システムからなっており,しかも単一性が保たれていること,そして銀行が中央銀行に持つ準備金による決済が最終的なものであることを認識している。これは首尾一貫した信用貨幣論によるものであり,全く異論はない。

BISによれば,将来の貨幣とはトークン化された債権である。トークンとはプログラム可能なプラットフォームで取引される債権(債務)である。トークンは従来のデータベースに通常見られる原資産の記録と,その資産の移転プロセスを支配するルールやロジックを統合したものである。トークンとこれを支える統一台帳のシステムを用いることで,金融取引の手間は省け,プライバシーとセキュリティは堅牢になる。書かれていることに関する限り,まったく異論はない。

将来の貨幣の代表はホールセールCBDCとリテールCBDCである。ホールセールCBDCとは準備金(中央銀行当座預金)がトークン化されたものであり,リテールCBDCとは現金がトークン化されたものである。

BISが描く支払い決済のシステムは,基本的に現行のものと同じである。取引銀行を異にするAさんはBさんに対して,銀行預金と中央銀行のペイメントシステムを用いて送金する。国際決済にはコルレスバンキングが必要である。そこは何も変わらない。変わるのは,取引手続きが簡略化されて堅牢になるということである。

もう少し解釈すると,ここで変わるのは金融取引であって,貨幣そのものではない。貨幣はすでに債務証書となっており,それは物理的には電子信号で構わないものとなっている。将来は,すでにデジタル化されている預金がトークン化され,現金もまたトークン化されるだけである。したがい,経済的に新しい性質を持った貨幣が出現するわけではない。以前として中央銀行は準備金(中央銀行当座預金)と現金を自己の債務として発行するし,銀行は自己の債務として預金を発行し,預金が引き出される際には現金を給付するであろう。世界単一通貨は依然として存在せず,ドルやユーロや円や元が用いられるだろう。ただし,それらがデジタル化され,トークン化される。極論すればそれだけである。問題は貨幣の本質が変わるなどといったことでなく,金融取引の便宜であり取引コストであり,プライバシーでありセキュリティである。BISの議論はそう理解すべきであるし,またそれは正しいと思われる。

 デジタル通貨が従来の現金とも預金と並び立つ第三の貨幣であるかのような議論や,ドルやユーロという国毎の通貨の違いを克服する国際決済通貨であるかのような議論は,みな誤りなのである。


2024年5月31日金曜日

日銀エコノミストの祖,深井英五の『通貨調節論』

 4月から研究科長・学部長となり,産業資料を積み上げて事実関係をじっくり解読し,解釈していく作業ができなくなってしまった。しかたがないので,貨幣・信用論の読書だけ続ける。この深井英五『通貨調節論』日本評論社,1932年は,白川方明総裁時代までの日銀エコノミストによる内生的貨幣供給論の淵源と言われている(小栗誠治『中央銀行論』知泉書館,2022年,323-325ページ)。この考え方を,1970-80年代には小宮隆太郎氏,1990-2010年代には岩田規久男氏やリフレーション派エコノミストが「日銀(流)理論」と名付けて攻撃した。

 日銀の金融調節論は,過去から受け継がれてきたというだけではない。実は「日本銀行が行っていた金融調節も他の多くの先進国とまったく同じであったにもかかわらず,不幸なことに,日本銀行の金融調節は『日銀理論』と揶揄されることが多かった」(白川方明『中央銀行』東洋経済新報社,2018年,35ページ)。

 いくら金融緩和をしても通貨供給量も増えず,物価も上昇しなかったというアベノミクス期の実績から言って,リフレーション政策の破綻は明らかである。彼らの日銀攻撃とは何であったのか。その誤りは,貨幣理論の理論的に深いところで,また歴史的な経済学の流れの重要な分岐点で発生しているのではないか。このあたりを,文献をさかのぼりながら考えていきたい。とにかく毎日,少しずつ読む。



ジェームズ・バーナム『経営者革命』は,なぜトランピズムの思想的背景として復権したのか

 2024年アメリカ大統領選挙におけるトランプの当選が確実となった。アメリカの目前の政治情勢についてあれこれと短いスパンで考えることは,私の力を超えている。政治経済学の見地から考えるべきは,「トランピズムの背後にジェームズ・バーナムの経営者革命論がある」ということだろう。  会田...