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2025年3月22日土曜日

Jordan, K. H., Jaramillo, P., Karplus, V. J., Adams, P. J., & Muller, N. Z. (2025). The Role of Hydrogen in Decarbonizing US Iron and Steel Production. Environmental Science & Technologyを読んで

 Jordan, K. H., Jaramillo, P., Karplus, V. J., Adams, P. J., & Muller, N. Z. (2025). The Role of Hydrogen in Decarbonizing US Iron and Steel Production. Environmental Science & Technology.
https://doi.org/10.1021/acs.est.4c05756

 アメリカ化学会のジャーナルに載った論文「アメリカ鉄鋼業の脱炭素化における水素の役割」。この論文は,アメリカ経済全体でのCO2排出量ネットゼロ目標を念頭に置き,種々の条件下で鉄鋼業が2050年にネットゼロを達成しようとする場合の技術構成を検討する。その結果として,多くの研究や業界のテクノロジーマップで脱炭素の切り札と考えられている水素直接還元法(H2DRI)が,比較的限られた条件の下でしか大きな役割を果たさないことを示している。

 全文を読んでみたが,数々のシナリオでの技術構成の違いから見て,次のような選択が作用しているようだ。

 まず,全体としてスクラップ・電炉法(Scrap-EAF)が最大シェアを占めることは変わりない。さすがはすでに電炉比率7割のアメリカである。スクラップ供給制約がない場合はScrap-EAF法が2050年には100%になるとまでされている。他国では量的にも質的にも困難であるが,アメリカではこれに近いことも考えられるかもしれない。

 次に,高炉・転炉法(BF-BOF)法を脱炭素化する手立てとして最も低コストなのは炭素回収(CC)だと分析している。コスト最適なシナリオでは,2050年の製鋼はScrap-EAFとBF+CC-BOFがほとんどを占める。CCとその発展形である, バイオマス発電と結合した二酸化炭素回収(BECCS),大気からの二酸化炭素直接回収(DAC)が実用化すれば低コストになるというのがこの論文のポイントである。そしてこの条件はアメリカ以外では異なっているかもしれないとも指摘している。なお,日本等で開発中の高炉への水素吹込は考慮されていない。

 第三に,本稿では中央計画の観点から,水素をコスト効率の良い他のセクターに割り当てる結果になっている。限られた水素を,鉄鋼業だけでなく,他の産業でも活用することを視野に入れると,鉄鋼業での水素利用は不利という結果になるのである。「他の用途を考えると鉄鋼業で水素を使うのは適切とは言えないのでは」という疑問は,本学の冶金研究者からも発せられたことがあるが,本稿はアメリカについてそれを裏付ける結果となっている。

 第四に,本稿ではアメリカで開発中の溶融酸化物電解法(MOE。鉄鉱石を直接電気分解して製鋼する)が2040年ころには実用化されると想定している。そしてH2DRI法の強力なライバルと扱われている。

 CCの使用が制限された場合には,BF-BOF法は使えなくなる。そうするとH2DRIが拡大しそうなものだが,本稿では上記第3と第4の条件が入っているので,そうもいかない。H2DRIが大きな役割を果たすのは,CCが使えず,MOEが実用化されない場合に限られてしまうのである。

 この結論では,MOEの実用化想定が楽観的過ぎるように思える。しかし,それ以外はアメリカの条件を的確に反映している可能性がある。つまり,1)スクラップの入手可能性が高い,2)電力料金が安い,3)CCSの実行可能性,端的にCO2を安く埋め立てられるということである。他国の場合はどうなるかが気になるところである。

 なお,トランプ政権のように地球温暖化対策には極度に否定的な政権が続けば,そもそも2050年までのカーボンニュートラル規制が課せられなくなる可能性がある。これが本稿のすべてのシナリオにとって最大のかく乱要因だろう。


2025年3月7日金曜日

「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」完成版が研究年報『経済学』第81巻に掲載されました

  論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」が研究年報『経済学』第81巻に掲載されました。

 学説史的には二つのことを言っています。

*戦前から活躍していたマルクス経済学者である岡橋保の信用貨幣論は実は正しかった。近年唱えられている諸々の信用貨幣論よりも妥当なところが少なくない。

*日本銀行や全国銀行協会出身の研究者が,実務を論理化しようと出された著作群は,上記の岡橋説と類似しており,やはり基本的に正しかった。

 理論的には,以下のことを述べています。かなりの部分が,多数説に反しています。

*銀行の基本的機能は金融仲介ではなく,信用創造である。

*信用創造による貸し付けとは,商品流通に必要な貨幣の新規供給である。

*返済とは,商品流通に不要な貨幣の退出である。

*当座性預金は支払い手段として機能する限り貨幣の一種である。

*預金貨幣も中央銀行券も手形債務である。既に存在する現金を借りたことによる債務ではなく,支払い約束である。

*預金貨幣も中央銀行券も手形債務であり,信用貨幣である。金債務ではない。金債務ではないから,管理通貨制になっても信用貨幣のままである。

*預金は,誰かが現金を銀行に預けたときに生まれるのではない。銀行が貸付を行った際に生まれる。

*銀行券が発行されるのは,預金が引き出されることによってである。

*預金貨幣と銀行券は金貨でもないし兌換紙幣でもないが,商品流通の必要に応じて流通に入り,また出るという伸縮性を持つ。

*銀行部門全体にとっての準備金は,結局は中央銀行によって供給される。銀行が社会から集めた預金によって確保されるのではない。

*通貨価値が安定している限りにおいて,中央銀行は準備金を必要としない。

*民間金融システムによる信用の膨張だけでは,物価上昇は起きても厳密な意味でのインフレーションは起きない。

*マルクス経済学にも外生的貨幣供給説と内生的貨幣的供給説があり,金融システムについては内生的貨幣供給説が正しい。

researchmapからダウンロードいただけます
https://researchmap.jp/read0020587/published_papers/49303008

3/19追記。DOIが付き,東北大学機関リポジトリTOURからもダウンロードいただけるようになりました
https://doi.org/10.50974/0002003359






2025年2月27日木曜日

「公正な移行」はできるか?タタ・スチールはイギリスで高炉を廃止し,電炉を設置する

 タタ・スチールはイギリスのポートタルボットに高炉2基を備えた一貫製鉄所を保有していたが,業績悪化により9月に最後の高炉を閉鎖した。この設備閉鎖をめぐっては地域経済の旧サイト雇用をめぐる激しい議論が交わされた末に,高炉・転炉に代わって電炉を設置する計画が提案され,このほど計画委員会の承認を得た。投資額は12.5億ポンド。政府から5億ポンドが補助される。高炉とそのほか川上工程の閉鎖により、南ウェールズでは約2500人の雇用が失われ、今後さらに300人の雇用が失われる見込み。電炉が作り出す雇用は500人と期待されている。

 このプロジェクトは,CO2排出負荷の高い技術から低い技術への「公正な移行」(just transition)ができるかどうかを占うもので,今後の世界各地で起こるであろう類似の技術移行にとって重要な示唆を与えることになる。

Huw Thomas, Tata Steel £1.25bn electric furnace approved by planners, BBC, 18 February, 2025.
https://www.bbc.com/news/articles/cvgegrep2xno

2025年2月7日金曜日

ユニバーサルでニュートラルな中央銀行デジタル通貨(CBDC)の抱えるジレンマ

 NRIの石川純子氏が,「若年層はCBDCに経済的メリット、高齢者層はユニバーサルアクセスを求める」と指摘している。これは重要な点であるため,私なりに少し敷衍したい。言いたいことは,「CBDC(中央銀行デジタル通貨)はユニバーサルでニュートラルでなければならない。しかし新決済手段は,特定個人・企業に経済的メリットを与える方式でないと普及しにくい」ということである。

 あまり使われる用語ではないが,決済手段には1次,2次と言った階層性がある。個人や企業が直接支払いに用いるのが1次決済手段であり,例えば現金であり,預金振り込みであり,電子マネーであり,QRコード決済である。2次と言うのは1次決済手段を支える決済手段であり,たとえば電子マネーにクレジットカードでチャージしていればクレジットカードが2次決済手段となる。この階層性をたどって最後に行きつくのが最終決済手段である。その重要性は,研究者・実務家によってもファイナリティの問題として概念化されている。管理通貨制のもとでは,最終決済手段になりうるのは現金であり,預金通貨であり,中央銀行当座預金である。預金通貨が最終決済手段になるのは,債務者と債権者が同一銀行の口座を用いている場合であり,異なる銀行となると中央銀行当座預金が必要になる。たとえば1次決済は電子マネーで行い,それは2次決済としてのクレカに支えられており,それは3次決済としての預金貨幣に支えられており,それはまた最終決済手段としての中央銀行当座預金に支えられている,などと考えればよい。

 さて,CBDCにはホールセール型とリテール型があるが,ここで話題とするのはリテール型である。リテール型CBDCとは正式な通貨であり,中央銀行券をデジタル化したものである。現在のチャージ式電子マネーやQRコード決済のような感覚で用いることができるが,制度的には現金払いのデジタル化を実現するものであり,最終決済手段である。

 中央銀行が提供する最終決済手段は,その国の誰もが使うことができるという意味でユニバーサルアクセスを実現しなければならない。また,特定個人・企業のみに超過利得をもたらすようなものであってはならないという意味でニュートラルでなければならない。これが石川氏が話題にしている事柄の半面である。

 しかし,1次決済手段は,制度上認められているものの中から個人が自由に選択できる。そして日本を含む多くの諸国では,この分野にクレカ,電子マネー,QRコードなど民間企業による,いわゆる「キャッシュレス決済」手段が入り込んでいる。これらを運営する企業は,割引,クーポン,ポイント,その運用,ネットショッピングやオンラインゲームでの便宜など,さまざまなメリットを個人に与えて,自己の経済圏に囲い込もうとする。それは正当な取引でもあるし,古典的寡占やネットワーク外部性を利用した寡占によって超過利潤を得る場合もある。しかし,いずれにせよ個人に経済的メリットを感じさせるものになっていることは事実である。

 そこで問題は,ここにCBDCが入り込み,最終決済手段のみならず1次決済手段として,個人に選択してもらえるかどうかである。現金使用比率が高く,かつその現金取引に不便の多い社会ならば選んでもらえるだろう。たとえばニセ札が多く出回っていたり,激しいインフレに見舞われていたり,現金取引でごまかしが行われやすい社会である。しかし,さほど現金取引に不便がない上に,種々の「キャッシュレス決済」が1次決済手段として個人を取り込もうとしのぎを削っている日本においてはどうであろうか。人々がユニバーサルでニュートラルだからCBDCを使うということには,なりにくいおそれがある。これが石川氏が話題にしている事柄のもう半面である。

 CBDCは最終決済手段でもあり1次決済手段でもある。そしてユニバーサルでニュートラルでなければならない。しかし,そうであるがゆえに1次決済手段として選択されにくい。このジレンマを超えて行けるかどうかが,導入にあたっての課題であろう。

(私は上記の観点から経済学部4年生,奥野瑛紘氏の卒論指導を行った。そのため,ここで述べたことの一部は,奥野氏の東北大学経済学部2024年度演習論文「キャッシュレス決済の将来像」に一部表現されていることを明記しておく)

<参考>
石川純子「中央銀行デジタル通貨「CBDC」、日本での導入は進むのか」NRI Journal,2025年2月3日。https://www.nri.com/jp/media/journal/20250203.html


2025年1月22日水曜日

映画『敵』は老人だけの話でも男性だけの話でもなく,誰にでも起こることを描いている

 映画『敵』を見た。一見,現実が崩壊して妄想と混濁していくような話であるが,実は冒頭の整った暮らしからすべて主人公・儀助の夢と妄想であり,したがい何も混濁していないと解釈したい。妻に先立たれた男性退職教授が整った食事を作れるわ,部屋がこぎれいで本がそこらじゅうちらかってないし埃っぽくもないわ,元教え子が何かと世話を焼きに来てくれるわ,自宅で食事を共にする美しい元教え子がワインを飲み過ぎるは,行きつけのバーにはオーナーの姪のフランス文学専攻の可愛げな女子学生がいて自分に興味を持つわで,現役男性教授である一観客の単なるひがみでないとすれば,前半部の,一応現実とされているかのようなパートが,そもそも儀助のインナーワールドだったように思える。

 一見すると現実が崩壊して妄想と混濁していくようであるが,むしろ妄想が身勝手で甘美過ぎるが故に,他者ないし現実という外部からの裏切りを受けて崩壊すると見た方がいい。しかし,いかなる他者や現実も,人間は自らの意識と肉体を通してしか知覚できない。だから,崩壊する際にやってくる他者は,儀助にとっては北から来る「敵」やら死んだはずの妻やらという,かえって非現実の色彩を帯びてしまう。

 人は老いるから回想や夢や妄想に生きるのではない。最初からそうなのだ。この映画は老人だけのものではなく,年齢にかかわらない世界を描いている。また表現は男性目線とも言えるが,本質的には性にかかわらない世界を描いている。誰にでも起こりうることなのだ。誰にも起こり得ることであるが故に,夢と妄想の世界は観客にも了解可能である。ある程度秩序だっていて,感慨深いし,見ようによっては美しく,最悪でも哀れではある。だから観客を不安にさせると同時に,慰めにもなるのだと思う。

『敵』。筒井康隆原作,吉田大八脚本・監督。長塚京三,瀧内公美,河合優実ほか出演
公式サイト
https://happinet-phantom.com/teki/



2025年1月14日火曜日

クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。

「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」

「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年から何も学んでいない」

だそうだ。TBS NEWS DIGより。

 私は事実にのみ忠実であるべき研究者なのでむやみに「日本が正しい」と言い張る気持ちはまったくない。しかし,逆に根拠なく「日本が悪い」と言うのもおかしいと思う。なので一応,コメントする。

 ゴンカルベスCEOは会社のサイトによるとカリフォルニア・スチール・インダストリーズ(CSI)のCEOを5年間務めたそうだ。CSIは,旧カイザースチールの閉鎖された製鉄所を,旧川崎製鉄とブラジルのヴァーレが投資して再生させた会社である。「邪悪な日本」の投資によって設立された会社を自ら経営していたのだ。

 また,クリーブランド・クリフス社がM&Aで得た資産の中には,インディアナハーバー製鉄所がある。旧新日鉄が旧インランドスチールに10%資本参加して技術協力した製鉄所である。旧I/N Tek, I/N Kote社だったニューカーライル冷延・亜鉛メッキ工場もある。旧インランドと合弁した旧新日鉄が,広畑製鉄所の当時最新だった技術を投入して建設した工場である。元アームコ,その後AKスチールと呼ばれた会社のミドルタウン製鉄所もある。旧川崎製鉄が50%資本参加することによって存続した製鉄所である。「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続しなかった製鉄所を,クリーブランド・クリフス社は,いままさに運営しているのである。

 これが私だけの意見でない証拠に,もう一言,ミドルタウンに住んでいた著者による本から引用しておこう。「カワサキとの合併は、不都合な真実を象徴する出来事だった。『ポスト・グローバル化の世界では、アメリカの製造業は厳しい状況下にある』という真実だ。アームコのような企業が生き残ろうと思えば、再編が必要になる。カワサキはアームコに、そのチャンスを与えた。ミドルタウンを代表するこの企業は、おそらく合併がなければ生き残れなかっただろう」。J・D・ヴァンス著(関根光宏・山田文訳)『ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~』 (光文社未来ライブラリー) (p.82). 光文社. Kindle 版より。 副大統領閣下もご承知のことだ。

参考
「「1945年から何も学んでいない」 USスチール買収めぐり「クリーブランド・クリフス」CEOが日本を激しく批判」TBS NEWS DIG,2025/1/14。リンク

川端望「アメリカ鉄鋼業のリストラクチャリング:衰退と転換のプロセス」金田重喜編著『苦悩するアメリカの産業 -その栄光と没落・リストラの模索-』創風社,1993年。ダウンロード

前記事
「バイデン米大統領による,日本製鉄のUSスチール買収計画中止命令に接して」Ka-Bataブログ,2025/1/5。リンク

2025年1月7日火曜日

「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」ディスカッション・ペーパー版公開にあたって

 「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」をTERG Discussion Paper 492として発表しました。このブログでも書き連ねてきた内容ですが,考察を重ねて修正し,先行研究との対話を加えて学説的位置を明確にしました。researchmapからダウンロードいただけます。

 本稿は,マルクス派貨幣論に基づいて,物価変動の種別を解説しています。教科書的解説ですが,念頭に置いているのは「物価は上がっているがデフレから脱却していない」「コストプッシュインフレが続いているが,物価上昇目標は大事」といった混乱した議論を解きほぐしていく基準を設定することです。

 私は,「いろいろなことが一回りして,昔の理論の良いところが再評価されるべき時に来ている」と思っています(もちろん,だめなものがだめなままなところもあります)。マルクス派貨幣論,とくに信用貨幣論はその一つです。それは政治的価値観の問題ではありません。インフレ,デフレを名目的な物価上昇と物価下落として厳密に定義することが,そうではない物価上昇,物価下落との区別を明確にして,それぞれの真のメカニズムを探る道を拓くと思うからです。

 しかし,マルクス派貨幣論による物価論を再評価するには,二つの議論を乗り越えねばなりません。それは信用インフレーション論と独占価格インフレーション論です。もともとマルクス派の物価論は,代用貨幣の外生的投入によってインフレーションが起こるという貨幣的インフレ論でした。持続的物価上昇ならすべてインフレと呼ぶ日常用語とは異なっていたのです。ところが年輩の方ならご記憶のように,高度成長期に,財政赤字の額は大きくないのに物価が持続的に上昇するという現象が起こりました。このとき,近代経済学だけでなくマルクス経済学でも,これらを新種のインフレーションとして定式化しようとする動きが起こったのです。その中でもっとも理論的に整っていた議論の一つが,川合一郎氏の信用インフレーション論でした。銀行信用の拡張からもインフレーションが起きるという説です。もう一つは,高須賀義博氏の独占価格インフレーション論でした(高須賀氏自身は,当初は「生産性格差インフレーション」,後には「相対的価格調整機構」と呼んでいました)。一般商品部門での価格引き上げによる事実上の価格標準切り下げと,金生産部門での公定価格水準の据え置きによる不等価交換が新たなインフレの本質だとする議論です。両者は鋭い現実感覚と理論的体系性によって一世を風靡しましたが,結果として,マルクス経済学のインフレーション概念を広げ過ぎて,日常用語の「持続的物価上昇はみなインフレ」論に近づけてしまったと思います。

 私は日本経済論の講義をしてアベノミクスを扱っているうちに,「金融緩和ではインフレは起きないのではないか」「そもそも日本はデフレだったのか」と疑い,古い貨幣的インフレーション論の方が正しく,政策的論争の混乱を解きほぐすのに役に立つのではないかと考えるようになりました。とはいえ,いまどき古いマルクス派の議論に注目して,わざわざ説明しなおす人はほとんどいませんし,信用インフレ論や独占価格インフレ論にわざわざ反論する人もいません。だから私がやろうということです。ご笑覧いただければ幸いです。


PDF直リンク(researchmapサイト)
https://researchmap.jp/read0020587/misc/48869037/attachment_file.pdf

関連論文

「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」TERG Discussion Paper, 489, April 2024.→2025/3/7追記。研究年報『経済学』第81巻に掲載れました。 https://researchmap.jp/read0020587/published_papers/49303008

「貨幣分類論」TERG Discussion Paper, 490, September 2024.
https://researchmap.jp/read0020587/misc/47763170






2025年1月5日日曜日

バイデン米大統領による,日本製鉄のUSスチール買収計画中止命令に接して

  1月3日,バイデン米大統領は,日本製鉄によるUSスチール買収計画に対して中止命令を発した。その全文日本語訳は『日本経済新聞』サイトで無料で読める。日本製鉄は対米外国投資委員会(CFIUS)の手続きに瑕疵ありとして提訴する意向であるが,中止命令そのものを覆すことは難しい。ここでは,実際に日鉄がUSスチール買収を中止せざるを得ないというシナリオに沿って,その影響を考える。

*アメリカ鉄鋼業への影響

 バイデン大統領やトランプ次期大統領の思惑に反し,この中止はアメリカ鉄鋼業へのリノベーション投資の機会を阻止し,鉄鋼生産とそれに伴う雇用の一層の縮小をもたらすだろう。USスチールは,何らかの経営再編を余儀なくされるだろう。日鉄の救済を得られなかったモン・バレー製鉄所は,遅かれ早かれ高炉一貫製鉄所と言う姿を保てなくなるだろう。

 しかし,その後に待つものは,さらなる意図せざる結果であるかもしれない。USスチール傘下の製鉄所のうち,最新鋭の電炉製鉄所であるビッグ・リバー・スチールだけは,誰が保有するにしても拡張されるだろう。政治介入などなくともコストが安いからである。すでに65%を超える電炉製鋼比率を持つアメリカ鉄鋼業は,総生産量を縮小するとともにますます電炉比率を高めるだろう。トランプはパリ協定から脱退する方針であるが,それでも鉄鋼業からのCO2排出量は減るだろう。雇用を失う人々の怨嗟がどこに向かうかは政治次第であるが,投資は市場の力により電炉と他の産業に向かうであろう。


*日本製鉄への影響

 日本製鉄は,USスチール買収の頓挫により,二つの方面でグローバル戦略に重大な支障をきたすことになる。一つは,経営資源と市場の獲得という点からである。ゲイリー製鉄所が供給を支える自動車用鋼材市場,ビッグ・リバー・スチールの持続可能性の高い生産力,鉄鉱石鉱山の権益を獲得できなくなることは痛い。

 しかし,もう一つの側面がある。あまり評論されることがないが,アルセロール・ミタル(AM)に依存しないグローバル戦略の挫折である。日本製鉄がめざすのは連結生産能力を現在の5000万トン前後から1億トンに倍増させ,うち海外の比率を40%にすることである。しかし,これを独力で行うことは難しいため,これまではAMとの合弁事業によって海外生産を拡張してきた。最大の海外事業であるインドの高炉・還元鉄一貫メーカーAM/NSインディアも,これまでアメリカで最大の拠点であった電炉メーカーAM/NSカルバートもAMとの合弁である。今のところ良好なAMとの関係に,いつ緊張が発生しないとも限らない。だからこそ,日鉄は独力でUSスチールを買収し,フリーハンドでアメリカ市場に臨みたかったのである。この点での挫折は,経営戦略として深刻である。


*政治介入・余談

 確かに今回のUSスチール買収計画中止命令は,政治介入の産物である。それゆえ,政治介入に関する余談で締めよう。

 日本製鉄のグローバル戦略の行方に立ちふさがる様々な障壁の一つは,AMが2000年代のようにM&A戦略を活発化させ,日本メーカーに買収を提案する可能性である。今回,日本製鉄のUSスチール買収計画に声援を送った日本政府関係者や日本の経済評論家が,日本メーカーが買収されようとしたときに激高して「安全保障上の懸念がある」「日本の鉄鋼メーカーは日本人によって所有され経営されるべきだ」「日本も黙っているわけにはいかない」などと叫んだりしないことを,希望する。

<過去ポスト>

日本製鉄のUSスチール買収によってアメリカの安全保障が脅かされるのか?:ミッタル・スチールという前例から(2024/9/6)

日本製鉄がUSスチール買収完了後のガバナンス方針を発表:買収が成立しても種々の問題は続く(2024/9/5)

日本製鉄はUSスチール買収への反対にどう対処するのか(2024/2/10)

日本製鉄によるUSスチール買収の狙いと課題:過去からの声,未来への声(2023/12/19)

製鉄所に刻まれたアメリカ鉄鋼業衰退の歩み(2018/10/6)




2024年12月30日月曜日

Carliss Y. Baldwin, Design Rules, Vol. 2: How Technology Shapes Organizations, The MIT Press, 2024(カーリス・Y・ボールドウィン『デザイン・ルール 第2巻 技術はどのように組織を作り上げるか』)の破壊力

 ついにCarliss Y. Baldwin, Design Rules, Vol. 2: How Technology Shapes OrganizationsがThe MIT Pressより発売された。冊子体が日本に届くまで1か月かかるので,私はKindle版を購入した。SSRNとResearchgateに公開されているDP版は結論だけが欠けていて25章あるのだが,完成版は結論を含めて17章だ。出版事情に応じて圧縮したのかもしれない。

 第1巻はボールドウィン教授とクラーク教授の共著として2000年に出版され,日本でも『デザイン・ルール:モジュール化パワー』として2004年に翻訳された。第1巻はビジネスを変革するモジュール化の意義を理論化したが,事例研究がIBM360で終わっていたことにより,影響力は今一つであるように思える。しかし,ゼミでDP版を22章まで読んだ者として言うが,第2巻の破壊力は第1巻の比ではない。まず,デザインとアーキテクチャの理論を経済学の根源にまで突き詰めて展開している。例えば経済活動の究極の分析単位は「タスクと移動」であり,しかる後に「取引」があるのだという。これは取引費用理論批判であり,著者の社会科学がモノや情報の代謝の過程と経済的過程の双方を見据えていることを示している。また,著者はチャンドラー的な近代大企業における相互依存的ステッププロセスの統合型(インテグラル型)管理の歴史的意義を十分強調する。その上で,デジタル技術の出現が,それに適合したプラットフォームエコシステムによるプラットフォームとモジュラー・オプションのセットと言う,新たな組織を生み出したことを論じている。事例研究はMackintoshとIBM PCにWINTEL,iPhoneにGoogleとAndroidプラットフォーム,ムーアの法則とのその限界,半導体産業におけるファブレス・ファウンドリモデルとその変容に及んでいる。

 現代のビジネスをを論じる上での必読文献となることは間違いなかろう。

Carliss Y. Baldwin, Design Rules, Vol. 2: How Technology Shapes Organizations, The MIT Press, 2024 (Amazon.co.jpのページ)
https://www.amazon.co.jp/Design-Rules-Technology-Organizations-English-ebook/dp/B0CYYYDN4B

2024年12月14日土曜日

大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。

 本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱字が目立つし,引用されている山川均や向坂逸郎の著書・論文の書誌情報が落ちていたりする。著者の主張も,若き日の新左翼活動家としての経験の反省に立っているとはいえ,固まった見地から山川や向坂を裁断するようなところがある。ただし,その分だけ読み進めやすく,わかりやすいので,非専門家でも苦労なく読める。

 山川と向坂についてまとまった評伝を読んだことがなく,また向坂の著書は読んだことはあっても山川のそれにまったく不案内である私にとっては,本書は有意義であった。

 山川論と向坂論を一書に収録した本書の中心的メッセージは,「向坂は山川イズムの継承者ではない。山川と向坂の思想と運動は大きく異なる」ということであるように思う。評者なりに強引に要約すると,思想においては,山川はそれぞれの社会において異なる社会主義の運動や体制の在り方を創造的に模索した。一方,向坂はマルクス・レーニンの教えを金科玉条とし,さらにソ連の体制を賛美し,硬直したマルクス・レーニン主義を臆面もなく唱道し続けた。実践運動においては,山川は共同戦線党など創造的な提唱を行ったが,実践における指導力・推進力は強力ではなく,現実の政治過程では挫折の連続であった。一方,向坂はエネルギッシュであり組織化に優れており,限られた時期とはいえ社会党の運動を左右する社会主義協会をけん引した。

 著者はこのように山川と向坂を鮮やかに対比しているが,両者に対して中立なわけではない。著者は「向坂・社会主義協会を含めて,虚妄のソ連『社会主義』像を鼓吹して民衆を誤導したマルクス主義的社会主義諸勢力の罪過は測り知れない」(220頁)とする一方で,「山川のマルクス主義的社会主義の思想・運動は,様々の方面において未来形である」(121頁)とする。未来は向坂の道ではなく,山川の道にあるという主張である。

 著者の評価する山川イズムの内容は,社会民主主義でなくマルクス主義を堅持する一方で,コミンテルンや共産党の「上意下達関係の思想・運動スタイル」(112頁)とは一線を画し,旧ソ連の体制を「国家資本主義」と批判的にとらえるとともにその外交政策にも侵略性を認めるなど冷静な評価をし,「社会主義への道は一つではない」として平和的民主主義革命を主張したことである。山川のソ連批判を知らず,山川と向坂をなんとなく連続において捉えていた私には,これらの指摘は実に新鮮であった。

 他方,著者の山川イズム評価には,未解決の困難が残されているように思われる。それは社会主義政党の組織の在り方である。著者によれば,山川は前衛政党の必要性を否定しなかった。山川なりに日本の現実に即した党の在り方として戦前は共同戦線党を主張したが,戦後はむしろ社会党から独立してでも社会主義新党を創設しようとした。だが,共産党の組織的あり方を否定した上でマルクス主義政党を作るのであれば,その組織原理はどうなるのだろうか。おそらくレーニン的民主集中制ではないだろう。しかし,それならばどうなるのかが,本書によっても明らかではない。山川ら同人たちによる属人的指導ではないのか,という疑問がぬぐえなくなる。社会主義協会への個人的指導という側面においては,向坂は山川イズムを継承したのではないのかと思えてくる。これはかつて,日本共産党の立場から山川と福本和夫の著作を詳細に検討した関幸夫が指摘したことである(関幸夫『山川イズムと福本イズム』新日本出版社,1992年)。とはいえ,それでは日本共産党の民主集中制によって問題が解決し,党組織が拡大しているのかと言えば,今日の現実は厳しい答えを突き付けている。

 少しばかり敷衍する。2024年の日本において社会主義政党を自覚するのは共産党と,社会主義協会の一部を継承した新社会党だけであり,その勢力は強いとは言えない。いささか枠を拡大し,資本主義への批判度が高い政党をあげるならば社会民主党とれいわ新撰組であろう。それらの組織はどのようになっているのか。新社会党については情報が少なすぎて観察しにくいが,社会民主党とれいわ新撰組については,日本共産党よりも構成員の活動や発言の自由度が高いことはわかる。しかし,その分だけ,組織としての活動が属人的リーダーシップに依存していることも見て取れる。とくにれいわ新撰組はそうであろう。共産党の民主集中制では解決できない問題があるとすれば,それは属人的リーダーシップで解決するのだろうか。共産党に変化の余地はあるのだろうか。ラディカルな資本主義批判政党に,民主集中制以外のどのような組織がありうるのだろうか。あるいは政党に関心を集中する発想を変える必要があるのか。この問題に対して山川イズムは未来形なのか過去形なのか。ないものねだりであるかもしれないが,山川イズムの未解決問題の一つは,本書によってもまだ投げ出されたままであると,私には思える。しかし,そのように思わせてくれることもまた,本書の意義の一つである。

大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。
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