大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。
本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱字が目立つし,引用されている山川均や向坂逸郎の著書・論文の書誌情報が落ちていたりする。著者の主張も,若き日の新左翼活動家としての経験の反省に立っているとはいえ,固まった見地から山川や向坂を裁断するようなところがある。ただし,その分だけ読み進めやすく,わかりやすいので,非専門家でも苦労なく読める。
山川と向坂についてまとまった評伝を読んだことがなく,また向坂の著書は読んだことはあっても山川のそれにまったく不案内である私にとっては,本書は有意義であった。
山川論と向坂論を一書に収録した本書の中心的メッセージは,「向坂は山川イズムの継承者ではない。山川と向坂の思想と運動は大きく異なる」ということであるように思う。評者なりに強引に要約すると,思想においては,山川はそれぞれの社会において異なる社会主義の運動や体制の在り方を創造的に模索した。一方,向坂はマルクス・レーニンの教えを金科玉条とし,さらにソ連の体制を賛美し,硬直したマルクス・レーニン主義を臆面もなく唱道し続けた。実践運動においては,山川は共同戦線党など創造的な提唱を行ったが,実践における指導力・推進力は強力ではなく,現実の政治過程では挫折の連続であった。一方,向坂はエネルギッシュであり組織化に優れており,限られた時期とはいえ社会党の運動を左右する社会主義協会をけん引した。
著者はこのように山川と向坂を鮮やかに対比しているが,両者に対して中立なわけではない。著者は「向坂・社会主義協会を含めて,虚妄のソ連『社会主義』像を鼓吹して民衆を誤導したマルクス主義的社会主義諸勢力の罪過は測り知れない」(220頁)とする一方で,「山川のマルクス主義的社会主義の思想・運動は,様々の方面において未来形である」(121頁)とする。未来は向坂の道ではなく,山川の道にあるという主張である。
著者の評価する山川イズムの内容は,社会民主主義でなくマルクス主義を堅持する一方で,コミンテルンや共産党の「上意下達関係の思想・運動スタイル」(112頁)とは一線を画し,旧ソ連の体制を「国家資本主義」と批判的にとらえるとともにその外交政策にも侵略性を認めるなど冷静な評価をし,「社会主義への道は一つではない」として平和的民主主義革命を主張したことである。山川のソ連批判を知らず,山川と向坂をなんとなく連続において捉えていた私には,これらの指摘は実に新鮮であった。
他方,著者の山川イズム評価には,未解決の困難が残されているように思われる。それは社会主義政党の組織の在り方である。著者によれば,山川は前衛政党の必要性を否定しなかった。山川なりに日本の現実に即した党の在り方として戦前は共同戦線党を主張したが,戦後はむしろ社会党から独立してでも社会主義新党を創設しようとした。だが,共産党の組織的あり方を否定した上でマルクス主義政党を作るのであれば,その組織原理はどうなるのだろうか。おそらくレーニン的民主集中制ではないだろう。しかし,それならばどうなるのかが,本書によっても明らかではない。山川ら同人たちによる属人的指導ではないのか,という疑問がぬぐえなくなる。社会主義協会への個人的指導という側面においては,向坂は山川イズムを継承したのではないのかと思えてくる。これはかつて,日本共産党の立場から山川と福本和夫の著作を詳細に検討した関幸夫が指摘したことである(関幸夫『山川イズムと福本イズム』新日本出版社,1992年)。とはいえ,それでは日本共産党の民主集中制によって問題が解決し,党組織が拡大しているのかと言えば,今日の現実は厳しい答えを突き付けている。
少しばかり敷衍する。2024年の日本において社会主義政党を自覚するのは共産党と,社会主義協会の一部を継承した新社会党だけであり,その勢力は強いとは言えない。いささか枠を拡大し,資本主義への批判度が高い政党をあげるならば社会民主党とれいわ新撰組であろう。それらの組織はどのようになっているのか。新社会党については情報が少なすぎて観察しにくいが,社会民主党とれいわ新撰組については,日本共産党よりも構成員の活動や発言の自由度が高いことはわかる。しかし,その分だけ,組織としての活動が属人的リーダーシップに依存していることも見て取れる。とくにれいわ新撰組はそうであろう。共産党の民主集中制では解決できない問題があるとすれば,それは属人的リーダーシップで解決するのだろうか。共産党に変化の余地はあるのだろうか。ラディカルな資本主義批判政党に,民主集中制以外のどのような組織がありうるのだろうか。あるいは政党に関心を集中する発想を変える必要があるのか。この問題に対して山川イズムは未来形なのか過去形なのか。ないものねだりであるかもしれないが,山川イズムの未解決問題の一つは,本書によってもまだ投げ出されたままであると,私には思える。しかし,そのように思わせてくれることもまた,本書の意義の一つである。
大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。
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