映画『敵』を見た。一見,現実が崩壊して妄想と混濁していくような話であるが,実は冒頭の整った暮らしからすべて主人公・儀助の夢と妄想であり,したがい何も混濁していないと解釈したい。妻に先立たれた男性退職教授が整った食事を作れるわ,部屋がこぎれいで本がそこらじゅうちらかってないし埃っぽくもないわ,元教え子が何かと世話を焼きに来てくれるわ,自宅で食事を共にする美しい元教え子がワインを飲み過ぎるは,行きつけのバーにはオーナーの姪のフランス文学専攻の可愛げな女子学生がいて自分に興味を持つわで,現役男性教授である一観客の単なるひがみでないとすれば,前半部の,一応現実とされているかのようなパートが,そもそも儀助のインナーワールドだったように思える。
一見すると現実が崩壊して妄想と混濁していくようであるが,むしろ妄想が身勝手で甘美過ぎるが故に,他者ないし現実という外部からの裏切りを受けて崩壊すると見た方がいい。しかし,いかなる他者や現実も,人間は自らの意識と肉体を通してしか知覚できない。だから,崩壊する際にやってくる他者は,儀助にとっては北から来る「敵」やら死んだはずの妻やらという,かえって非現実の色彩を帯びてしまう。
人は老いるから回想や夢や妄想に生きるのではない。最初からそうなのだ。この映画は老人だけのものではなく,年齢にかかわらない世界を描いている。また表現は男性目線とも言えるが,本質的には性にかかわらない世界を描いている。誰にでも起こりうることなのだ。誰にも起こり得ることであるが故に,夢と妄想の世界は観客にも了解可能である。ある程度秩序だっていて,感慨深いし,見ようによっては美しく,最悪でも哀れではある。だから観客を不安にさせると同時に,慰めにもなるのだと思う。
『敵』。筒井康隆原作,吉田大八脚本・監督。長塚京三,瀧内公美,河合優実ほか出演
公式サイト
https://happinet-phantom.com/teki/
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