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2022年4月29日金曜日

内生的通貨供給の機能と公共貨幣論批判:下田直能氏の反論に接して

  公共貨幣論に対する私の批判に対して,『お金は銀行が創っているの?』の著者である下田直能氏から反論を賜った(※1)。丁寧なご対応に感謝したい。下田氏の反論は,貨幣流通に関する核心に触れるものであり,拙論との違いを掘り下げていくことにより,重要な論点の解明につながることが期待できる。以下,下田氏との対話を試みる。

1.公共貨幣論批判に応じることを希望する

 まず,今回,下田氏が私の公共貨幣論批判に正面から答えていないことは残念である。信用創造はバブルを生み出す。しかし,だからといって信用創造を廃止すると,財・サービスの流通に必要な通貨が貸付けによって供給され,不要になれば返済によって流通から引き上げられるという,金融システムの機能が失われる。公共貨幣システムでは,その分を財政システムを通した公共貨幣の散布で代替しようとするが,それでは必要な通貨供給量を適正に定め,また柔軟に調節できないだろう。これが私の批判である。今回,下田氏がこの批判に対して,公共貨幣システムは機能し得るのだと正面から反論していないことは,何とも残念な限りである。次の機会を期待したい。

2.自動調節機能は景気循環を和らげるものではなく,商品流通量と貨幣流通量を対応させるもの

(1)自動調節機能はポジティブ・フィードバックと両立する

 今回,下田氏の拙論批判は二つの点にまたがっている。まず一つ目は,自動調節機能はポジティブ・フィードバックの一局面であり,川端は他の局面を見落としているというものである。

 川端は財・サービスの流通の必要に対して流通貨幣量が受動的に対応するというが,それは現実の経済の動きの半面に過ぎないと,下田氏は言う。逆の側面もあり,むしろ,ポジティブ・フィードバックによって「『商品需要量⇒流通貨幣量⇒商品需要量⇒流通貨幣量・・・』の無限ループを構成する」というのである。「好況時には『商品需要量の増加⇒流通貨幣量の増加⇒商品需要量の増加⇒流通貨幣量の増加・・・』となり,何かの要因でそれが逆回転を始めると『商品需要量の減少⇒流通貨幣量の減少⇒商品需要量の減少⇒流通貨幣量の減少・・・』へと転換する」。信用創造による貨幣供給は,このポジティブ・フィードバックを加速させるのであり,自動調節するばかりではないと,下田氏は言うのである。

 再反論の前に,ここでは,話が金融システムによる通貨供給に限られており,また財・サービスの流通に限られていることに注意しよう。下田氏は今回の拙論批判では,貨幣の増減と対応するのが商品需要量の増減だけになっており,金融資産バブルを想定していないからである。

 さて,下田氏は私が「自動調節」と言ったことを,商品需要量が先に増えて,流通貨幣量が後からそれに適応するものと理解されているようである。しかし,それは誤解である。そうではなく,商品流通量と貨幣流通量がバランスし(※2),通貨が価値の変動を蒙らずに商品流通を媒介することを「内生的供給」ないし「自動調節」と呼んでいるのである。

 下田氏は図1を提示し,私が「商品需要量→流通貨幣量」という因果関係だけを見て,「流通貨幣量→商品需要量」という関係を見ていないと批判される。しかし,下田氏自身がここで図示されているように,どちらの因果関係であっても,結局,商品需要量と流通貨幣量はバランスしようとする。商品需要がその分だけ信用創造による通貨供給をもたらし,信用創造による通貨供給が商品需要を裏付けるのだから当然である。そして商品の需要が,在庫からの調達や生産の拡大によって満たされれば,商品流通量と流通貨幣量もバランスする。

 静態的に,個々の局面から少し遠ざかった価格変動を長い目でみれば,結局商品流通量と流通貨幣量は対応するだろう。下田氏は,いや動態的に,ポジティブ・フィードバックを伴う景気循環を考えれば,商品需要の超過で価格が上がり続ける局面と,逆に供給超過で価格が下がり続ける局面とがあるではないかとおっしゃるかもしれない。しかし,そうした局面でも商品流通の増加が貨幣流通の増加を必要とし,貨幣流通の増加は商品流通の増加を伴うし,縮小には縮小を伴う,という法則性は働いているのであって,それは下田氏自身が主張されていることである。だから,結局,商品流通量と流通貨幣量は互いをバランスさせようとする作用を保っている。私はこのことを「自動調節」と呼んでいるのである。

 逆に言うと,私は,信用創造に景気循環を穏やかにするような「自動調節」機能があると考えているのではない。下田氏は,誤ってそのように読み込まれたようである。しかし,信用創造が景気循環の振幅を激しくし,バブルも生み出すことは私も認めているし,それはよく拙論をご覧いただければわかるはずである。

 商品流通量と通貨供給量を対応させる自動調節は,景気循環のポジティブ・フィードバックと両立する。下田氏の図1は,その意図に反して,ポジティブ・フィードバックの過程全体を通して自動調節が働いていることを示しているのである。

(2)自動調節が働かない公共貨幣システム

 私があえて自動調節という調和的な響きを持つ言葉を使った理由は,それが働かない場合の深刻さを明確にしておくためである。

 まず理論的に説明する。自動調節が働かないとは,貨幣流通量が商品流通量に対応しようとする力が働かなくなることである。その典型はインフレーションである。何らかの理由で,商品総量が増えることなく貨幣のみが追加供給されて商品流通に入り込むと,価格が名目的に切り上がる。言い換えると通貨価値が下落する。これが貨幣的インフレーションである(※3)。貨幣的インフレーションは,遊休設備や失業者がなくなってなお財政支出を続けた場合のように,景気の過熱とともに現れやすい。しかし,不況とともに出現することもあり得る。他方,商品流通量に対して通貨供給が一方的に不足することも考えられ,これは価格の名目的切り下げと言う貨幣的デフレーションを引き起こす力になる。もっとも,この場合は直ちに不況になり,商品流通量の方が縮小する。自動調節が効かないとは,貨幣的インフレや貨幣的デフレが起こることである。

 信用創造のある金融システムには自動調節作用があるため,景気循環のポジティブ・フィードバックは引き起こすが,貨幣的インフレや貨幣的デフレは起こさない。商品と無関係に通貨を供給したり引き上げたりすることはできないからである。たとえ好況期に銀行が貸し込みをするのであっても,借りた企業は設備投資であれ運転資金であれ決済資金であれ,借りたお金を財・サービスの購入に投じるか,すでに購入したものの決済に用いる。だから,通貨供給の増大は商品流通の増大を伴うのであり,一方的に通貨供給だけが増えることはない。同じく銀行融資が縮小すれば財・サービスの購入がそのぶんだけ不可能になって商品流通が縮小するのであり,一方的に通貨供給だけが減ることはないのである(※4)。ここに,金融システムによる通貨供給の内生性,もしくは通貨供給量の自動調節機能の持つ重要な意義がある。

 もしこれを公共貨幣システムに置き換えたならば,どうなるか。一方で100%準備預金制度の金融システムは十分な通貨を供給できない。したがって信用ひっ迫を起こし経済を停滞させるだろう。それを補うために,財政システムを通した公共貨幣の散布で置き換えようとすればどうなるか。適正な通貨量の決定は困難である。おそらく現実に実行すれば,金融ひっ迫を補うために財政は拡張気味に運営されるであろう。金融システムと異なり,財政システムでは通貨の一方的投入が可能である。給付金を考えればわかるだろう。だから,ここには貨幣的インフレのリスクが生じる。このリスクは現行システムにも存在するが,公共貨幣システムでは,信用創造を停止した分の通貨供給を財政で補うため,貨幣的インフレのリスクは,より高くなる(※5)。このように,自動調節機能を失った公共貨幣システムには,金融システムでは信用ひっ迫,財政システムでは高いインフレリスクと言う弱点があるのである。下田氏が,この批判に正面から答えてくださることを,改めて期待したい。

3.「内生的」とは「行政的な意図が介在しないこと」ではない

 さて,下田氏のもう一つの拙論批判に移ろう。それは,金融システムによる通貨供給は内生的とばかりは言えないということである。ここで下田氏は私の使う「内生的」という用語を,「行政的な意図が介在しないことが想定されている」と解釈しており,これに対して日銀は政策的意図をもって金融政策をしているではないかと指摘されている。しかし,ここにも誤解がある。政策的意図があれば外生的,なければ内生的というものではない。外生的とは,経済の外部から,政策当局が通貨供給を実質的に行うことができるという意味である。内生的とは,民間の主体が営む経済の内部に通貨供給量を増減させる要因があるということである。私が言いたいのは,政策当局の意図が介在しようとしまいと,結局,金融システムでは内生的にしか通貨が供給されないことである(※6)。

 下田氏が指摘されるように,今日,不況期の金融政策の実効性は著しく下がっている。少なくとも,金利を低下させて景気を反転させることには全く成功していない。なぜかというと,金利をいくら低めようと,買いオペレーションをいくら行おうと,期待利潤率が著しく低下している企業が,お金を借りようとしないからである。そして金融システムでは,企業が銀行からお金を借りない限り,通貨供給量は増えないからである。これこそが,金融システムによる通貨供給が内生的である証拠ではないか。先ほどと別表現で同じことを言えば,政策当局があれこれの意図をもって通貨を供給することはできないというのが,外生的でなく内生的だという意味なのである。

 もっとも,内生的というのは,政策当局が一切介入できないということではない。日銀が金利を引き上げたり売りオペレーションを盛んに行ったりすれば,銀行の信用創造は制約されるだろう。また,今日の日本と異なり高度成長期の経済であれば,金融緩和によって企業の借り入れ意欲を回復させ,景気のてこ入れをすることも可能であった。その程度の介入ならば可能なのである。しかし,これらは企業の銀行からの借り入れの条件,したがって信用創造による通貨供給の条件を変化させるものではあっても,通貨供給自体を日銀が直接操作するものではない。金融政策に影響を受けるとしても,経済の内部にある企業が銀行からお金を借りなければ通貨供給量は増えず,企業が銀行にお金を返済しなければ通貨供給量は減らないのである。

4.結論と今後の研究課題

 下田氏は,拙論の公共貨幣システム批判に答えていない。また,いただいた批判は,拙論の「自動調節」「内生的」の意味を取り違えたことから来た誤解である。これが今回の結論である。

 しかし,だからといって下田氏の批判は無用なものではない。下田氏との対話を通して,以下の論点が浮かび上がるからである。

 私の述べる通貨の内生的供給と自動調節の政策的含意は,「信用創造にはバブルを生み出すという弊害があるが,貨幣的インフレや貨幣的デフレを起こさないという利点がある」ということである。私は,ここから逆に,「財・サービスの流通に必要な通貨の供給を財政システムに頼る公共貨幣システムでは,適正な通貨供給量の決定とその調整ができない」と批判したのである。私はここまでの拙論は,下田氏の反論でも揺らがなかったと自負している。

 他方,下田氏との対話を通して,通貨の内生的供給は,景気循環におけるポジティブ・フィードバックと両立することを明らかにできた。しかし,両立するということは,これをチェックできるとは限らないということでもある。内生的通貨供給の仕組みは,インフレ防止には役立つが,景気循環のポジティブ・フィードバックによる暴走をチェックする問題は残っているのである。これこそ,下田氏が信用創造の弊害として念頭に置いていることであろう。今回,下田氏が拙論批判で想定されたのは金融資産バブル抜きのポジティブ・フィードバックであったが,今日の景気循環が,むしろ金融資産の膨張と収縮を主要因として激しいポジティブ・フィードバックを発現させ,バブルを金融危機を引き起こしていることは明らかである。

 バブルと金融危機への対処という課題がある限り,信用創造批判が絶えることはない。その意味では,下田氏がポジティブ・フィードバックをどうするのか,それを解決できなければならないのではないか,と問いかけることはもっともなのである。下田氏の答えは公共貨幣である。私はそれに対して「気持ちはわかるが,無理だ」と言わざるを得ない。しかし,「気持ちはわかる」ならばどうすればよいのかという問いは,私自身に突き付けられているのである。この課題の重要性を下田氏と私が共有していることは,最後に確認しておきたい。

※1 下田氏の著書を拝見して私が書いた批判は,当初Facebookにのみ掲載していたが,現在はこのブログにもある以下の文章である。
川端望「公共貨幣論に対する見解まとめ:下田直能『お金は銀行が創っているの?』同時代社,2022年を踏まえて」Ka-Bataブログ,2022年4月28日Facebook投稿,2022年4月20日)。
 下田氏の反論は以下の文章である。
下田直能「流通貨幣量「自動調節」機能の弊害」下田直能のブログ,2022年4月28日。

※2 正確に言えば,商品流通量を貨幣の平均流通回数で割ると流通貨幣量になるという関係にある。

※3 貨幣的インフレは,需要の一時的超過によって起こる価格上昇や,商品の生産コストの上昇によって起こる価格上昇とは理論的に区別されねばならない。

※4 なお,下田氏の今回の想定を離れれば,企業が借りたお金を金融的流通に投じることもあるし,状況に応じて預金のまま眠らせておくこともあるだろう。その場合,通貨供給が一方的に増えるが,創造された通貨が商品流通を媒介しないので,インフレを起こさない。

※5 「公共貨幣論に対する見解まとめ」では公共貨幣システムでは適正な通貨供給量の決定が困難なところまでは述べたが,インフレリスクには触れていない。公共貨幣論批判の別の投稿である以下の二つで述べている。
川端望「山口薫・山口陽恵『公共貨幣入門』集英社,2021年を読んで」Ka-Bataブログ,2022年12月18日。
川端望「松尾匡・井上智洋・高橋真矢『資本主義から脱却せよ 貨幣を人びとの手に取り戻す』の信用創造廃止論」Ka-Bataブログ,2022年4月11日。

※6 なお,ここで日銀が「官」か「民」かという議論には立ち入れないが,私は現在の日銀は半官半民組織と理解しており,おそらく下田氏もそうではないかと思う。そう理解した上で,ここでは政策当局で「も」あるとして論じている。


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