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2023年12月25日月曜日

玉川寛治氏博士論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」審査結果の要旨について

  さきに,玉川寛治氏の博士論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」が東北大学機関リポジトリTOURに掲載されました。しかし,審査結果の要旨は掲載されておりません。各方面に問い合わせたところ,審査報告書は1年に1度,まとめての掲載であることが判明しました。そのため,こちらで「論文審査の結果の要旨」をご紹介します。既に正式決定され公表が予定されているものであり,秘密ではございません。


論文審査担当者

主 査 准教授 結城 武延
第一副査 教授 川端 望
第二副査 大阪大学名誉教授 阿部 武司

 本論文は、技術史および産業考古学の視点から産業革命期日本における綿糸紡績技術の推移を実証的に解明し、またこの技術的諸条件とその変化が綿紡績業の移植・定着の過程に与えた影響を論じることを目的としている。論文は全9章で構成される。 

 第1章「序論」では、産業革命期における紡績技術と機械、生産工程と製品について当時の図や現物のレプリカ写真を用いて説明する。第2章から第8章にかけて綿紡績業の移植・定着過程の実態が解明され、9章で本論文の研究史上の意義が述べられている。 

 第2章「日本における紡績業発達史の概要」では、1867-1900 年における紡績機械・織機の新規設置の状況を紡績所別に明らかにし、草創期の鹿児島紡をのぞいて、1890 年に大阪紡が織布工場を入手するまで紡績・製織一貫工場は存在しないことを示している。さらに同時代の各国(イギリス、欧州、アメリカ、インド)との比較から、産業革命期日本の紡績工場の規模は過少であったことを指摘している。 

 第3章「始祖三紡績」は、日本最初の紡績工場として薩摩藩によって設立された鹿児島紡、同じく薩摩藩により設立された堺紡、鹿島万平によって設立された鹿島紡について、紡績機械の由来と特徴、機械や原料の選択過程と製品、生産成績を次のように明らかにしている。鹿児島紡の紡績機械はインド向けとまったく同じ仕様であり、日本綿の紡績には不適であったため、織物の製造が断念されるに至った。堺紡はイギリス人から技術指導を受けた石河正龍が責任者となり設立・運営され、工程間均衡を欠く欠陥を持っていたものの、後の官営紡績所や二千錘紡のモデルになった。鹿島紡ではイギリスの紡機メーカーであるヒギンス社が日本綿で紡績可能となるように、インド向けより太番手の糸を製造する紡績機械を送り、機械の据付と運転のために技術者を派遣していた。こうした生産体制を構築したことにより、のちに国産化を目的として設立された官営紡績所よりも良好な生産成績を収めていた。

 第4章「官営愛知紡績所から大阪紡績会社へ」では、まず『米欧回覧実記』の記録から、岩倉遣欧使節団(1871-73 年)が欧米の紡績業の事情を技術的内容等も含めてかなり正確に把握していたことを示している。続いて、使節団の視察をふまえて1880年代前半に設立された官営紡績所・二千錘紡績所の紡績機械の仕様を解明している。いずれも手織りで織る白木綿の原糸となる極太糸を生産していたことを示している。さらに渋沢栄一主導のもとで設立された大阪紡の機械設備と技術者の活動を明らかにする。そして、技術者山辺文夫が短繊維に適したプラット社製機械を採用したことが大阪紡の好成績の要因であるとしている。 

 第5章「繭糸織物陶漆器共進会(第二区二類綿糸)で明らかにされた紡績技術」は、政府が殖産興業の事業を促進する目的で開催した共進会が紡績業者に与えた影響を検討している。共進会には各工場の綿糸が出品・展示され、審査された。審査結果により各工場の綿糸の問題点が明確になり、日本綿を原料とした綿糸生産は13番手程度の極太糸に限るべきだということが業者間で合意された。さらに共進会における技術者の講演により紡績業者は初めて紡績技術の全体像を知ることになり、技術情報の共有の重要性を認識することになった。共進会において、紡績業が直面している最大の問題は、日本綿の品質が紡績機械による紡績に不適であることが確認されたというのである。 

 第6章「日本綿・中国綿からインド綿・米綿・エジプト綿へ」では、共進会以後広まった日本綿の不良な品質について、その根本問題は、日本綿の繊維が短すぎて、精紡機でローラードラフトするには不適であったことにあると、著者自ら繊維工学の手法により解明している。続いて著者は、問題の所在を認識した日本の紡績業者が、原料の輸入に転じ、インド綿を主体として、中国綿および米国綿を混綿して極太糸・太糸を製造する日本独自の生産構造を作り上げ、輸入防遏に成功したことを示している。 

 第7章「インド綿・米綿・エジプト綿用の紡績機械」は、原料輸入に転じて以降、大阪紡第 3 工場から日本紡に至る紡績機械について明らかにしている。ここでリング精紡機がほぼ全面的に採用された事実が確認され、次章への伏線となっている。 

 第8章「ミュール精紡機とリング精紡機の選択をめぐる諸問題」は、論争的なものである。日本の綿紡績業の発展の契機となった一つがミュール精紡機からリング精紡機の全面的採用への転換であり、それは日本の紡績技術者による主体的な選択によってもたらされたというのが通説である。著者は、これまで看過されてきた技術史的視点による検証と新資料の発掘により、この通説を批判し、自説を対置する。著者は各国におけるリング精紡機採用の理由を比較検討する。そして、日本では国内と中国市場に向けて厚地手織木綿用原糸を供給しており、それには繊維の短い綿を強撚して一定の強度を確保する必要があったが、その必要を満たすのがリング精紡機であったこと、そして、日本綿や中国綿よりは繊維が長いインド綿や米国綿を輸入することによって、リング精紡機の効率的使用の展望が開けたことを、リング精紡機全面採用の理由としている。さらに、リング精紡機の採用を推進したのが、世界最大の紡機メーカーであったプラット社とその輸入代理店の三井物産であったことを示している。 

 第9章「結論」は全体を要約し、本論文が鹿児島紡から1900年に至る綿糸紡績技術を、初めて、通史的に解明することができたとしている。 

 本論文は、著者の長年にわたる研究の集大成として執筆されたもので、極めて独創性が高く、実証的にも確度の高い研究成果である。すなわち、技術史及び産業考古学の観点から当時の紡績技術と生産工程を復元・再構成した上で、日本綿の繊維の短さが初期日本紡績業の困難の最大要因であったことを明らかにし、さらに紡績業者がその事実を認識して原料転換と新たな技術選択を行っていく過程を説明したことである。産業革命期日本の紡績業に関する先行研究はその重要性から膨大にあるが、意外にも始祖三紡績の実態や官営紡績所から大阪紡績会社をはじめとした民間会社への移行過程における技術・機械・原料選択に関する要因は不明な点が多く、それらを明らかにした本論文の学術的貢献は非常に大きいといえる。この研究が可能になったのは、元紡績技術者でもあった著者が独自に収集した広範な資料群を駆使したからにほかならない。 

 今後の課題として、独立系の鹿島紡績所の実態や遣欧使節団及び共進会が後の紡績業や紡績連合会に与えた影響の含意のいっそうの考察が必要であろうが、それらはいずれも資料発掘が行われたのちに検討する課題であり、学界全体で取り組むべき残された宿題ともいえる。本論文は既発表25本の論文・報告書を再構成して作成されており、それら個別論文は当該分野の多くの先行研究ですでに何度も引用されていることから、学界においても高い評価を得ている。以上のことから、本論文は博士(経済学)の学位論文を授与するに相応しい業績であると判断する。 

 なお、主査の所属は経営学領域であるが、技術、機械、原料の選択が産業発展に与えた影響を解明している本論文の内容に即して、学位は博士(経済学)が妥当であると判断した。 

学位授与日:2023年8月24日。

本文ダウンロードページ

玉川寛治『日本における初期綿糸紡績技術の研究』


2023年12月22日金曜日

現代の金融の基本形は「現金の金融仲介」でなく「信用創造による預金貨幣創出」である

 1.問題の所在

 この小論の目的は,「現金の金融仲介が金融の基本形である」という常識に疑問を呈し,金融仲介と信用創造という二つの信用形態を正しく位置付けることである。結論を先取りすると,正貨流通の下では現金の金融仲介は,信用創造と並んで独自の役割を果たす。しかし,正貨流通の停止=管理通貨制度の下では,信用創造がすべての金融仲介の前提となる。すなわち,金融の基本形は信用創造である。

 現金の金融仲介とは,貸し手と借り手の間の仲介を行うことである。ある経済主体の手元で現金が差し当たり使い道がなく遊休しており,別の経済主体が経済活動のための現金を欲している時に,前者から後者への貸付を仲介することが金融仲介である。

 このような金融仲介は,ほとんどの金融論の教科書で金融の基本形として扱われている。研究者を含めて多くの人は,金融仲介を実現しているのが銀行であると考える。

 しかし,このような想念は正しくない。以下,そのことを説明する。なお,前提として,正貨流通の下でも銀行は存在し,発券を行っているものとする。また政府紙幣は存在せず,財政システムは捨象する。つまり財政赤字を通した貨幣発行はないものとする。これらはいずれも純粋な考察のための合理的単純化である。


2.銀行が行っているのは信用創造を通した新規の通貨発行である

 まず,経済活動のための貨幣を欲している主体に対して金融を行う方法は,金融仲介だけではない。新たに通貨を発行し,これを貸し付けることによっても可能である。この,追加貨幣の発行というルートを考慮して金融の基本形を考える必要がある。

 銀行がおこなっていることは,預金貨幣または銀行券という自己宛て債務を創造し,これを貸し付けることである。貸付を行った際には預金貨幣が増大する。借入者が預金を引き出せば預金貨幣の代わりに銀行券が発行される。つまり,企業が銀行から借り入れを行ったとき,新規に預金貨幣が発行されているのである。逆に,企業が銀行に返済を行う際には,預金貨幣が減少するのである。

 この時,別の経済主体の手元で遊休し,預けられていた預金は,銀行にとって支払準備金として機能する。しかし,この預金がそのまま企業に貸し付けられたわけではない。貸付けられる預金貨幣は,その都度創造されているのである。

 このように,銀行による融資は金融仲介ではなく,信用創造であり,信用創造を通した新規貨幣発行なのである。


3.現金の金融仲介は正貨流通の下で二通りに実現する

 それでは,多くの人がイメージする現金の金融仲介とは何なのだろうか。それは二通りある。そして,ほとんど意識されていないが,実は,いずれも正貨流通の下で行われるものである。

 ひとつは証券会社を通した金融仲介である。つまり,正貨を蓄積した主体が,社債発行などに応募することである。正貨は,これを必要とする社債発行企業等に融通される。銀行ではなく,証券会社を経由した融資こそが金融仲介である。

 しかしもう一つ,特殊な場合がある。まず,正貨を蓄積した主体がこれを銀行に預金する。銀行は信用創造によって企業に貸し付ける。そして,借り入れを行った企業が,必要に迫られて預金を引き出して正貨に換え,正貨で自らの経済活動のための支払いを行う場合である。この時,銀行は預金引き出し要求に応じるために,蓄積しておいた準備金を取り崩して正貨を渡さねばならない。かくして正貨は,これを蓄積した主体から,これを必要とする主体に融通されるのである。

 しかしこのようなケースがあるからと言って,銀行の貸付が信用創造でなく金融仲介だということにはならない。銀行はあくまで預金貨幣を発行して貸し付けを行った。このとき,貨幣流通量は増加したのであり,すでに信用創造が行われている。企業がこの預金を引き出したのは,流通する貨幣の一部を預金貨幣から正貨に置き換えることにすぎない。この時,貨幣流通量は変化しない。しかし,正貨は銀行内で遊休した状態から流通する貨幣へと転換するのである。

 以上の二つが,正貨流通の下で行われる現金の金融仲介である。この二つのうち,前者すなわち証券会社を媒介にした金融は,信用創造とは全く独立に生じることができる。後者すなわち銀行融資の正貨による引き出しは,信用創造を前提とし,これに従属して生じるものである。だから,「現金の金融仲介が金融の基本形」として独立に成り立つのは,正貨流通の下での証券会社を通した金融だけなのである。


4.正貨流通停止の下での金融仲介

 次に強調したいのは,このような,いわば純粋モデルとしての現金の金融仲介は,正貨流通の下でしか機能しないということである。正貨流通が停止された,管理通貨制度の下での金融仲介を見てみよう。

 正貨停止の下では,経済主体が貨幣を蓄積するのは預金通貨か中央銀行券によってである。これが証券会社を通して,社債発行企業等に融通されることが金融仲介である。

 また,管理通貨制度下では中央銀行券が現金化していることを想定すれば,もう一つの金融仲介ルートもあり得る。まず,中央銀行券を蓄積した主体がこれを銀行に預金する。銀行は信用創造によって企業に貸し付ける。そして,借り入れを行った企業が,必要に迫られて預金を引き出して中央銀行券に換え,中央銀行券で自らの経済活動のための支払いを行う場合である。この時,銀行は預金引き出し要求に応じるために,手元に保有していた(あるいは中央銀行に預け入れていた)中央銀行券を取り崩して渡さねばならない。かくして現金としての中央銀行券は,これを蓄積した主体から,これを必要とする主体に融通されるのである。

 以上の二つが,正貨流通停止の下で行われる現金の金融仲介である。しかし,この金融仲介は信用創造から独立して行われることはない。


5.管理通貨制度下の金融仲介は信用創造を前提とする

 どちらの金融仲介であれ,その前提は,ある経済主体が預金通貨または中央銀行券の形で貨幣を蓄積していることである。しかし,これらの預金通貨や中央銀行券は,どこで発生したのであろうか。正貨が産金業者の下で発生して流通に投じられたように,預金通貨や中央銀行券にも発生源がある。それは,この経済主体が蓄積する以前に,どこかの銀行がどこかの企業に貸し付けを行ったことである。それにより発生した預金通貨が点々とあるいは預金通貨のまま流通し,あるいは引き出されて中央銀行券に換えられてからさらに流通し,ついにある経済主体に対する支払いに用いられ,この主体の手元で蓄積されるに至ったのである。

 つまり,ある経済主体の手元で預金通貨や中央銀行券が蓄積されるためには,それに先立ってどこかで銀行による企業への貸付が,したがって信用創造による預金貨幣の発行が行われていなければならない。どこかで発行された貨幣でなければ蓄積することはできないのである。

 これは要するに,正貨流通停止=管理通貨制度の下では,すべての金融仲介は,それに先立つ信用創造を前提するということである。

 既に存在する貨幣をもとに金融仲介を行うためには,その貨幣があらかじめ発行されていなければならない。管理通貨制度の下では貨幣とは預金貨幣か中央銀行券なのであり,貨幣の発行とは銀行による信用創造である。信用創造がなければ金融仲介はない。金融仲介は信用創造から独立に存在できないのである。


6.結論

 研究者を含めて多くの人は,「現金が貸し手から借り手に融通されるしくみ」を金融の基本形と考えやすい。しかし,これが当てはまるのは正貨流通の下での証券金融だけである。もし,正貨が流通しない現代の銀行をイメージするときには,金融の基本形は「銀行融資によって預金貨幣が創造されること」なのである。金融の基本形は信用創造であり,金融仲介は派生形なのである。

 以上のことは,企業の資金調達が証券発行を中心とするようになって,いわゆる「企業の銀行離れ」がいくら起ころうとも,揺らぐものではない。企業が証券発行をする際もお金のやり取りは銀行の要求払い預金の口座間で行われるし,企業が債券を発行して資金を調達しても,そのお金は投資かも証券会社も企業もどこかの銀行の要求払い預金に置くからである。そして,それらの要求払い預金は,どこかの銀行がどこかの企業に対して信用創造で供与したものが流通した結果だからである。財政の作用を捨象する限り,すべての預金貨幣や中央銀行券は,銀行による信用創造に由来する。逆に言えば,銀行セクターは,証券会社との競争においていかに不利になろうとも,貸し出し業務の利鞘がいかに薄くなり,手数料ビジネスに経営をシフトさせざるを得なくなっても,信用創造による通貨の供給者という役割を放棄することはできないのである。

注:2024年1月25日,1月29日。MMFに関する誤った記述を削除して書き換え。






2023年12月20日水曜日

Nippon Steel's Acquisition of U.S. Steel: Voices from Past, Voices for Future

Aims and Challenges of Nippon Steel's Acquisition of US Steel Voices from the Past, Voices for the Future

Nozomu Kawabata (Professor, Graduate School of Economics and Management, Tohoku University)

Nippon Steel Corporation announced the acquisition of U.S. Steel Corporation (USS). The acquisition is subject to approval by USS shareholders in April of next year. The total purchase price is $14.126 billion (2.01 trillion yen), a 40% premium over U.S. Steel's 12/15 share price. Japanese financial institutions will provide the debt financing for this acquisition. The acquisition will raise Nippon Steel's debt-to-equity ratio from 0.5 to 0.9. Nippon Steel's global crude steel production capacity will increase from 66 million tons to 86 million tons, approaching the target of 100 million tons, of which 47 million tons (55%) will come from Japan and 39 million tons (45%) from overseas.

 A closer look at USS Steel's crude steel production capacity shows that it is 15.8 million tons in the United States and 4.5 million tons in the Czech Republic, for a total of 20.3 million tons. Of this total, the electric furnaces (EAF) of U.S. subsidiary Big River Steel is 3.3 million tons, and the rest is thought to be blast furnaces (BF) and basic oxygen furnaces (BOF). An additional 3.0 million tons of EAF capacity will be added in 2024. In other words, one year later, the crude steel production capacity of the USS will be 23.3 million tons, of which 6.3 million tons (27%) will be electric furnaces. In the U.S. steel industry, more than 60% of crude steel production is already by EAF method.

 Here is my comment. Nippon Steel aims to expand its global crude steel production capacity and global market share. Until the mid-2010s, Nippon Steel had been locating only the downstream processes of rolling, and fabrication overseas. However, since its joint acquisition with ArcelorMittal of Essar in India in 2019, the company has adopted a strategy of acquiring integrated companies involved in the entire iron and steelmaking process. When the deal is completed, 45% of the " Nippon" Steel Corporation's production capacity will be overseas.

 With the acquisition of USS, Nippon Steel now has a global reach that encompasses developed and emerging markets in terms of location, high-end and general-purpose product markets in terms of product grade, and blast furnace, basic oxygen furnace, and electric furnace methods in terms of technology. However, it is not as if the company is unnecessarily expanding its reach in all directions. The company appears to be pursuing two distinct goals: one addressing present needs and the other focused on future objectives. At present, they are securing the market by acquiring integrated blast furnace-based steel mills that are competitive in the mass production of high-end products. In the future, they are expanding the electric furnace method, which emits less CO2, to meet the environmental regulations of achieving carbon neutrality by 2050 in developed countries and Southeast Asia and by 2070 in India. 

 In particular, in the case of USS, it is clear that blast furnaces represent the past to the present, and electric furnaces represent the present to the future.

  USS has only two integrated blast furnace steel mills in the U.S. anymore, Gary Works and Mon Valley Works. Of these, Gary Works is the only one in full-scale integrated production. Mon Valley Works is merely the name given to the three integrated steel mills and one rolling mill that once existed. Many of the facilities there closed because they could not withstand competition from imports and electric furnace-based mini-mills. The remaining facilities are connected by river transport to create the appearance of integrated production. Mon Valley represents the glory of the past.

 On the other hand, Big River Steel, which USS acquired in 2019, has a state-of-the-art EAF, compact hot strip mill, cold rolled mill, and galvanizing facilities. Big River Steel manufactures automotive steel for General Motors and even the electromagnetic steel needed for electric vehicles. The raw materials charged to EAF appear to be a mixture of scrap, pig iron, and direct-reduced hot briquet iron (HBI). The production of high-grade steel by electric furnaces is already expanding. The future is here.

 While Nippon Steel Corporation manufactures electromagnetic steel sheets from electric furnace steel at its Hirohata Works in Setouchi, this technology is less established than the traditional BF-BOF methods, which have been the company's forte. Although the company is probably a provider of B.F. and BOF technology to USS, it is more likely to absorb know-how from USS in large EAF operations and the production of high-grade steel using EAF steel.

 However, if the current strategy is to use BF-BOF and the future is to use EAF, a transition strategy is needed between the two. How long will BF-BOF be used, and can the switch from those to EAF be made smoothly from a managerial standpoint and considering the interests of the local economy and workers? How practical is partial hydrogen reduction in a B.F.? When will the decision to invest in 100% direct hydrogen reduction be made, and where will it be located? As the Japanese government subsidizes both new technologies, there should be a political constraint that the first unit should be built in Japan. But what will Nippon Steel do when it becomes more profitable to build overseas (About the transition strategy of the Japanese integrated steelmakers, see Kawabata 2023) ?

 As with other steel mills, Nippon Steel will have a group of steel mills that represent the past and a group of steel mills that represent the future simultaneously in U.S. Steel. Will it be the voice from the past or the voice of the future that decides the fate of Nippon Steel? In the new era of the steel industry, which is to achieve carbon neutrality, the company still faces many challenges. We can look forward to the social effects of its actions, but we will also have to monitor them closely.

Nippon Steel Corporation + U. S. Steel. Moving Forward Together as the ‘Best Steelmaker with World-Leading Capabilities’

*Aerial photography by Google Maps

U.S. Steel Gary Works 

U.S. Steel Mon Valley Works

 Clairton Works (Coke oven)

 Edgar Thomson Works (Ironmaking and steel making)

 Irvin Works (Hot rolling, cold rolling and galvanizing)

 Fairless Plat (Galvanizing)

U.S. Steel Big River Steel (Factory can be seen in the lower right)

Nozomu Kawabata (2023). Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy, 49(2/3), 231-252 




2023年12月19日火曜日

日本製鉄によるUSスチール買収の狙いと課題:過去からの声,未来への声

 日本製鉄はUSスチール(USS)買収を発表した。来年4月にUSSの株主総会が承認することが前提だ。買収総額は141億2600万ドル(2兆100億円)。USスチールの12/15株価に対して40%のプレミアムを支払う。借入金は日本の金融機関より。買収により日鉄のD/Eレシオは0.5から0.9となる。日鉄のグローバル粗鋼生産能力は6600万トンから8600万トンとなり,目標の1億トンに接近する。このうち日本国内が4700万トン(55%),海外が3900万トン(45%)となる。

 USSスチールの粗鋼生産能力はアメリカ1580万トン,チェコ450万トンで計2030万トン。うちアメリカの子会社Big River Steelの電炉は,資料によって違いがあるが日鉄の計算だと330万トンで,他は高炉・転炉法と思われる。電炉は2024年にはさらに300万トン追加予定。つまり,1年後にはUSSの粗鋼生産能力は2330万トンとなり,うち630万トン(27%)が電炉となる。なお,アメリカ全体では,粗鋼生産のうち60%以上は既に電炉になっている。

 ここから私のコメントだが,日本製鉄の狙いは,グローバル粗鋼生産能力とグローバルシェアの拡大である。日本製鉄は,2010年代半ばまでは,製鉄ー製鋼ー圧延ー加工のうち川下の圧延ー加工工程のみを海外に配置してきたが,2019年にインドのエッサールを,アルセロール・ミッタルと共同で買収して以来,製鉄や製鋼工程からの一貫企業を買収する方式に打って出た。今回の買収もその延長線上である。今回の買収が完了すれば,「日本」製鉄という名の企業の生産能力のうち45%は海外にあることになる。

 USS買収により,日本製鉄は立地としては先進国と新興国,製品グレードとしては高級品市場と汎用品市場,技術としては高炉・転炉法と電炉法の全方位にわたるグローバル買収を敢行することになった。しかし,むやみに全方位に手を広げているわけではないだろう。現時点と将来とで,異なる目標を二重に持っていると思われる。現時点では高級品大量生産に競争力を持つ高炉一貫製鉄所を手中に収めて市場を確保するとともに,将来に向かっては電炉法を拡大して,先進国・東南アジアでは2050年,インドでは2070年のカーボンニュートラル達成という環境規制に対応していこうという戦略なのだと思われる。

 とくに,USSの場合,高炉は過去から現在,電炉は現在から未来を代表していることは明らかである。USSがアメリカ国内に持つ高炉一貫製鉄所はもはやGary,Mon Valley,そしてNational Steelを買収して獲得したGranite Cityの3か所に過ぎない。主力はGary,Mon Valleyであるが,Garyはまともに一貫生産を行っているものの,Mon Valleyはそうではない。Mon Valleyは以前に紹介したように,かつては3つの一貫製鉄所と1つの圧延所であった。輸入品や電炉との競争に耐えられず,設備の多くが閉鎖されてしまい,残った設備を河川輸送でつないで,一貫生産の形を整えているに過ぎないのだ。Mon Valleyは過去を代表している。

 一方,USSは2019年に買収したBig River Steelに電炉ーコンパクト・ストリップ・ミルー冷延ミルー電磁鋼板設備,亜鉛めっき設備を持ち,電磁鋼板や,GMに納入する自動車用鋼板まで製造している。原料はスクラップ,銑鉄,直接還元のホット・ブリケット・アイアン(HBI)の3種混合のようだ。既に電炉による高級鋼生産は拡大しつつあるのだ。未来はこちらにある。

 日本製鉄も瀬戸内製鉄所広畑地区で電炉鋼から電磁鋼板を製造しているが,高炉・転炉法に比べると技術の確立度は弱い。高炉・転炉技術はもはやUSSに対して供与する側であろうが,大型電炉操業と電炉鋼からの高級鋼製造については,むしろUSSからノウハウを吸収しようという構えであろう。

 ただし,現在は高炉・転炉,将来は電炉というのであれば,両者の間に移行戦略が必要となる。いつまで高炉・転炉を用いるのか,高炉・転炉から電炉への切り替えを経営的に,また地域経済や労働者の利害を踏まえて円滑に行えるのか。高炉での部分的水素還元はどの程度実用に耐えるのか。高級スクラップが不足したら,直接還元鉄はどこから手に入れるのか。100%水素直接還元に投資する決断はいつになったら行うのか。その立地はどうするのか。どちらの新技術も,日本政府から開発補助金を得ている以上,1号機は国内に建てるべきという道義的制約はかかるはずだが,海外の方が採算がよさそうになった時に,どうするのか(川端,2023を参照)。

 日本製鉄は,他の拠点でもそうであるように,USスチールにおいても,過去から現在を代表する製鉄所と,現在から未来を代表する製鉄所を同時に抱えることになる。日本製鉄の運命を決めるのは,過去からの声か,未来への声か。カーボンニュートラルを目指す鉄鋼業の新時代において,同社はまだ数々の課題に立ち向かわなければならない。その行動の社会的効果に,私たちは期待することもできるが,同時に注意深く監視もしていかねばならないだろう。

日本製鉄株式会社「U.S.Steelの買収について」2023年12月18日。

Gary製鉄所空撮(Googleマップ)

Mon Valley製鉄所を構成する4工場空撮

クレアトン工場空撮(Googleマップ)
エドガー・トムソン工場空撮(Googleマップ)
アーヴィン工場空撮(Googleマップ)
フェアレス工場空撮(Googleマップ)

Big River Steel空撮(Googleマップ1)位置がズレて駐車場になっているが,写真掲載多数。工場は右下。

Big River Steel空撮(Googleマップ2)製鉄所の位置。

参考:製鉄所に刻まれたアメリカ鉄鋼業衰退の歩み(2018/10/6)

川端(2023)「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」(日本語原稿)

元論文 Nozomu Kawabata(2023). Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy, 49(2/3), 231-252 

※2024年9月23日:USSが2004年にNational Steelを買収した際に獲得したGranite City製鉄所についての記述を追加。なおGreat Lakes製鉄所も獲得したのだが,同製鉄所の高炉・転炉はもはや稼働していない。

 

2023年12月17日日曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その9)おわりに

 12 おわりに

 まとめに入ります。この講演は,「お金はどこから来て,どこへ消えるのか」についてお話ししました。それを通して知って欲しかったことは二つです。

 一つは,普段の生活では気がつきにくい,お金の本当の姿です。お話ししたことの中から列挙してみましょう。まず,現代社会では,ほとんどのお金は信用貨幣です。信用貨幣というのは,債務証書が貨幣として通用しているものです。ここですでにショックを受けた方もいるかもしれません。また,中央銀行券だけでなく預金もお金です。しかも,コンピュータが出現する以前からあるデジタル通貨です。また中央銀行券と預金とでは,実は預金の方が基礎になる存在で,預金の一部が引き出されるとその分だけが中央銀行券になります。紙切れやデジタル信号に過ぎないお金がお金と認められて流通するのは,国家権力が強制しているからでも,何となくみんなが信じているからでもなく,銀行または中央銀行の信用ある債務証書だからです。ただ債務証書と言っても,現代では,「債務を本当のお金で返す」ことはできません。それ自体が価値をもっている商品貨幣,つまりは本当の貨幣が流通していないからです。なので,債務はより高度な債務証書で支払うか,債権・債務を相殺するしかありません。でも,裏返して言えば,その二つは可能だから現代の貨幣は信用貨幣として通用するのです。

 意外なことはまだ続いたかもしれません。銀行は,預金を集めて又貸しするのではありません。自分の債務証書である預金を発行して貸し付けているのです。預金は貸し出しのときに生まれるのです。私たちの持つ預金や現金は,もともと,どこかの銀行がどこかの企業に貸し付けたお金が流通した結果であり,いわば貸し付けから派生した存在です。企業活動が拡大すると銀行の貸し出しが増えて返済を上回り,お金の流通量が増えます。企業活動が縮小すると銀行への返済が増えて貸し出しを上回り,お金の流通量が減ります。

 そうして,以上の金融システムのほかに,もう一つ財政システムによるお金の供給があるが,またの機会にということになります。皆さんにとって,どのくらいが意外で,どのくらいはご存知のことだったでしょうか。

 もう一つは,もっと根源的なことで,私たちは,発達した資本主義社会という,豊かさのために貸し借りが必要となる世界に生きているということです。私たち個人は,「お金をためてから活動すべきで,借金すべきではない」という規範を持っていることが多いです。社会によって事情は異なるでしょうが,日本では特にこの考えが強いかもしれません。これは個人としてはもっともなのです。しかし,この講演が示しているのは,社会の全員が「お金をためてから活動して使う」ことはできないということです。また,社会の活動とはまず富を生産する活動であって企業が担うものであることにも注意が必要です。 

 企業や起業家がお金をためようとします。しかし,「ためる」べきお金は,もともとどこかの企業が銀行から借りたから存在しているのです。全員が最初に「ためる」ことはできません。先ず誰かが銀行から借りて事業をしなければならないのです。もしこの事態を避けるとしたら,銀行をなくして信用創造を止めるか,そうでなければ社会全体を金貨や銀貨だけで動かし,信用貨幣を失くすしかありません。あとの場合,銀行は金貨や銀貨を預かって又貸しするものになるでしょう。しかし,そんなことをすれば,たちまち社会が必要とする貨幣量を満たせなくなって,お金が足りなくなります。経済が拡大するとすぐ金利が引き上がってしまうでしょう。不況の時に資金を得るのがたいへんむずかしくなり,激しい恐慌になるでしょう。

 このことを裏返して言うならば,資本主義のしくみの下では,経済の拡大と安定のために,「財・サービスを生産するために,企業が銀行からお金を借りる」ことと「債務証書をお金にすること」がどうしても必要だということです。企業がお金を前借りし,不確実な未来に向かって生産を拡大し続けなければ,豊かさは生まれません。当然,成功することも失敗することもあります。

 また,この金融システムは,信用貨幣という,本来価値のない代用品を大量に発生させるのですが,ふだんは実物の商品経済の動きに従っています。ですから,金融システムを通しては,貨幣が商品に対して過剰に発行されることはありません。ただし例外がバブルです。商品の生産と離れて金融取引だけが拡大し,金融取引のためだけにお金が駆り出されて通貨供給量が拡大するのです。これは本質的に騰貴ですから,資産価格が高騰して,いつかは崩壊します。リーマン・ショックなどの金融危機はこうして起こるのです。

 資本主義の金融システムは,このように大量の商品を生み出して豊かさを作り出しますが,そこにはリスクがあり,またバブルの可能性もあるということが,最後に考えておいてほしいことです。

 最後に参考書ですが,この講演とまったく同じ考えをわかりやすく書いた本はありません。しかし,以下の2冊が参考になると思います。ひとつは,お金の経済と商品の経済の関係についてです。これは,田内学さんの『お金のむこうに人がいる――元ゴールドマン・サックス金利トレーダーが書いた 予備知識のいらない経済新入門』が的確な解説をしています。トレーダーが書いた金儲けの本かというと,そうではありません。むしろ田内さんは私よりも根本的に,お金と人の関係を論じています。経済に対する見方が,予備知識がなくてもわかる本です。もうひとつは,大学の教科書で私の考えと最も近いものです。松本朗さんの『改訂版 入門金融経済』です。

 以上で私の講演を終わります。長時間お付き合いいただき,ありがとうございました 。

■補足

*講演の最後には,信用貨幣が流通する発達した資本主義経済とは,つまり何なのかということを言わねばならない。しかし,これではまだまだ表面的である。

*ただ,一つ言いたいことは,「現代は価値のない信用貨幣が肥大化している。これが膨張してバブルになるから悪い」といった雑な金融化批判はとらないということである。

*管理通貨制の下で信用貨幣が流通し,またここでは言ってないが金融・財政政策が発動することで,資本主義経済の物質的に豊かな側面も成り立っているからである。しかも,金融システムに関する限り,商品経済の運動が独立変数であって貨幣供給は従属変数なのである。

*ただし,信用貨幣供給の主要ルートは手形割引ではなく貸し付けであるから,商品経済の運動というもの自体に元々リスクがあるととらえている。そして,金融資産購入のために借り入れるという行為によるバブルもまた起こり得るのである。正常な経済拡張とバブルの分岐について論じる道具立てを持っていないところは私の限界である。


貨幣発行と流通のしくみ(その8)金融システム以外にも通貨供給ルートはあるか

 11 金融システム以外にも通貨供給ルートはあるか

 ここまで私は,金融システムを通した通貨供給のことだけをお話ししてきました。預金貨幣は銀行が発行するものであり,中央銀行券は中央銀行が発行するものですから,もちろん,金融システムが本来の通貨供給ルートなのです。しかし,現代社会にはそれ以外にも通貨供給ルートがあります。それは財政システムです。これはまた別のテーマになるため,今回はお話しすることができませんが,その特徴についてごく簡単にご紹介しておきます。

 財政システムによる通貨供給とは政府の収入と支出のバランスによるものです。政府の収入は主に課税によってまかなわれます。これは経済から貨幣を引き上げます。政府の支出は社会保障,教育,インフラストラクチュアの整備,軍事,公務員給与など様々なことについて行われます。これは経済に貨幣を投じることになります。ですから,全体として支出が収入より大きく,財政が赤字の場合,通貨供給量が増大します。逆に全体として収入が支出より大きく,財政が黒字の場合,通貨供給量が縮小します。財政システムによる通貨供給の原理を,もっとも単純化して申し上げればこうなります。

 金融システムと異なり,財政システムは,つまり課税や支出は,政府の目的意識的な政策によって左右されます。なので,財政赤字になるほど支出を増やして経済を刺激するとか,財政黒字になるほど課税を増やし支出を減らして景気の過熱やインフレを抑制する,といったことが行われています。このように,政策の見地から目的意識的な操作がある程度可能になることが,民間経済の運動に従属している金融システムとの違いです。

 ここに金融システムとはまた別の体系だった仕組みがあり,財政赤字や財政黒字をめぐる大事な問題がありますが,それをお話しするのはまた別の機会にせざるを得ません。

図 10 通貨供給の概念図(財政システム)

 財政システムを通した通貨供給を概念図として示したのが図 10です。そして,金融・財政両システムを総合して通貨供給を表したのが図 11です 。

図 11 通貨供給の総合的概念図


■補足
*通貨供給システムとして金融システムと財政システムがある,逆に言えば財政システムを通貨供給システムという側面から論じることができる,というのが私の見地である。さらに別な言い方をすれば,通貨供給の見地から貨幣・金融システム,財政システムを論じ,次いでマクロ経済政策を論じることで,一つの話が完結するというのが私の構想である。現在行っている日本経済の講演の一部分は,そのように構成している。
*財政赤字は通貨供給量を増加させ,財政黒字は通貨供給量を減少させる。これは,政府が国債を発行して資金調達をする方法が,中央銀行引き受けであっても民間銀行購入であってもともに妥当すると私は考えているが,ここでは説明していない。
*国債を直接民間人が購入した場合のように,政府支出が民間貯蓄の引き上げ,政府による貨幣再投入となり,いわばプラスマイナスゼロである場合もある。
*ただし,私の理解が主流の考えと異なるのは,民間銀行による国債購入を背景とした政府支出の場合は,上記のようなプラスマイナスゼロにならず通貨供給量プラスになると考えていることである。民間銀行は,流通の外にある中央銀行当座預金で国債を購入するし,それによる減額は,政府支出の決済によって銀行預金が,したがって中央銀行預金が増額されることによって相殺されるからである。

貨幣発行と流通のしくみ(その7)結局,どんな時に貨幣流通量が増え,どんな時に減るのか

 10 結局,どんな時に貨幣流通量が増え,どんな時に減るのか

 さて,これで一通り貨幣が発行されて流通に入り,やがて流通から出ていくしくみについてお話ししました。それでは,結局のところ,どんな時に貨幣流通量が増え,どんな時に減ると言えばいいのでしょうか。ごく簡単に言えば,銀行貸出残高が増えれば貨幣流通量が増え,銀行貸出残高が減れば貨幣流通量も減る,ということになります。

 大きく言えば,金融システムを通した貨幣供給においては,商品を生産し,流通させる活動が拡大すると,それに応じて通貨流通量が増加し,逆に商品の生産・流通活動が縮小すると,通貨流通量が減少します。このように,商品経済の動きに従って貨幣供給が調整されるしくみを,内生的貨幣供給と言います。

 もう少し具体的に見ましょう。企業が銀行からお金を借り入れると,預金通貨が発行され,社会の通貨流通量が増えます。企業が銀行に返済すると,預金通貨が消滅し,社会の通貨流通量が減ります。中央銀行券は,誰かが預金を下ろしたときにだけ必要になります。中央銀行が銀行に貸し付けている準備預金の一部を銀行が引き出し,さらに銀行が預金引き出しに応じる形で中央銀行券が発券されます。まず預金通貨が生まれ,中央銀行券が発券されると,その分だけ預金通貨が減るのです。

 このような内生的貨幣供給の動きを,大谷禎之介先生のデザインを借りて図解すると図 8のようになります。

図 8 金融システムにおける通貨流通量増減の原理

 経済発展とともに貨幣の必要量が大きくなるとどうなるでしょうか。社会全体として,銀行が企業に貸し出す額が,銀行に対して企業が返済する額を上回るようになります。そうすると,貨幣流通量が拡大するのです。

 ここでみなさんは,少し不安に思って尋ねたくなるかもしれません。では,経済が成長すると社会全体として銀行からの借金が増えるのかと。その答えはイエスです。しかし,さらに尋ねたくなるかもしれません。借金はいつかは返さねばならないから,増え続けられないのではないかと。その答えはノーです。借り入れているのは企業です。企業が借りたお金で利潤を生みだすことができれば,その一部として銀行に利子を支払い,また元本を返済することができるでしょう。その上で,その企業や,あるいは別な企業が,さらなる事業拡大を目指して,また借り入れを行います。そういう風に資本主義企業は活動しているのです。

 さて,これまで説明した,金融システムを通した通貨供給の有様を図にまとめると図 9のようになります。銀行は貸付を通して預金通貨を供給し,返済によってこれを回収します。銀行の背後では中央銀行が支払い決済システムを支え,また準備金となる中央銀行当座預金を,貸し付けを通して銀行に供給しています。その総量は中央銀行による貸しだしと銀行からの返済を通して調整されるのです。このように,銀行が,預金という自分の債務証書を用いて貸し付けを行うこと,貸し付けと返済を通して量が調整されることが,金融システムを通した貨幣供給の根幹なのです。

図 9 通貨供給の概念図(金融システム)

 このようなしくみを,実物経済と貨幣の関係という観点から評価すると,どうなるでしょう。私は商品の集積からできている実物経済の成長が原因で通貨供給量が結果だと言っていることになります。貨幣の供給が経済を成長させるわけではなく,経済の成長に応じて貨幣が供給されるのです。もちろん,事業を拡大しようとする企業が貨幣を必要とするときに銀行は信用を与えてこれを実現するわけですから,貨幣の役割は決定的です。しかし,あくまで事業を拡大しようとする企業の活動が原因であって,銀行信用はこれを後押ししているにすぎません。銀行が通貨を供給したから企業活動が始まるというわけではないのです。

 ただし,財・サービスなどの実物経済の拡大と離れて,銀行からの貸し出しが増えていくこともあります。それは,もっぱら金融資産の売買によるキャピタル・ゲインの獲得をめざして銀行からの借り入れが行われる場合です。この場合,通貨供給は拡大しますが,供給された通貨は財・サービスに買い向かわないので,その価格は変化させません。ただ株式をはじめとする金融資産の価格だけを騰貴させます。これがバブルです 。

■補足
*金融システムを通した貨幣供給は内生的である。これを別の用語で言えば,貨幣流通法則にしたがうのであって,紙幣流通の独自法則にしたがうのでも,貨幣数量説にしたがうのでもない。貨幣の流通速度を捨象するとすれば,商品の総量が増減するのに応じて貨幣流通量も増減するのであって,逆ではない。
*この講演では扱い切れないが,ここまでの論旨からは,次のように言える。政府財政の影響がない限り,中央銀行の金融政策が緩和的であったり引き締め的であったりし,それに対応して銀行の貸し出しが増えたり減ったりするとしても,それで物価水準の名目的騰貴という意味でのインフレーションや,物価水準の名目的下落という意味でのデフレーションは起こらない。インフレ,デフレが今日広い意味で用いられることを考慮して,この二つを貨幣的インフレ,貨幣的デフレと呼ぶならば,これらは金融システムからは決して生じないのである。金融の緩和や引き締めから起こるのは好況や不況であり,好況時の需要超過による物価上昇(ディマンド・プル・インフレ)や不況時の需要減退による物価下落(不況によるデフレ)だけである。これらは名目的な物価変動ではなく,まずは元に戻るかもしれない一時的変動であり,継続すれば実質的変動となる。需要超過の場合は生産コストの高い供給者がの割合が増えるし,需要減退の場合は生産コストの安い供給者だけが生き残るからである。
*だから,この講演の論理を延長すれば,金融政策を論じる時に「貨幣的現象としてのデフレ」を日銀の金融政策が起こしたとか,「貨幣的現象としてのインフレ」を日銀が起こすことができるとかいう主張は,誤っていると言えるのである。

貨幣発行と流通のしくみ(その6)銀行は,まず個人や企業から預金を集めて,それを又貸ししているのではないのか/銀行は自分で預金を生み出せるのに,なぜ預金を集めようとするのか

 8 銀行は,まず個人や企業から預金を集めて,それを又貸ししているのではないのか

 しかし,なお疑問が残るかもしれません。そもそも預金とは,個人や企業が銀行にお金を預けたときに発生するのではないのか。銀行の融資とは,預けられた預金を原資に,それを企業に又貸ししているのではないか,と思われる方もいるでしょう。実際,日常生活の常識もそのようなものですし,経済学者の多くもそのようなモデルで思考しています。しかし,そうではない,預金は,銀行がお金を貸すときに生まれるというのがこの講演の見地です。これまでもそうお話ししてきましたが,ここでもう一度,なぜ又貸しと考えてはいけないのかという角度から考えてみましょう。

 背理法を使いましょう。銀行がまず預金を集めて,それを又貸ししていると考えたならば,おかしなことはおこらないのかを点検するのです。

 銀行が,預けられた預金を貸し出していると考えると,預けられた預金,つまりは預けられた中央銀行券は,そもそもどこから来たのかという問題が生じます。中央銀行券は銀行などとだけ取引するものであり,一般市民とは取引しません。ですから,中央銀行券が市中で流通しているということは,どこかで誰かが預金をおろして中央銀行券に換えた,ということを意味します。ということは,どこかに誰かの預金がもともとあったから,中央銀行券が流通しているということになります。それでは,そのどこかの誰かの預金はどこからきたのでしょう。又貸し説に従えば,当然,誰かが預けたということになります。では,預ける前の中央銀行券はどこから来たのでしょうか………。こういう風に,又貸し説の論法は無限後退し,どこにもたどりつきません。ですから,この説明はおかしいのです。

 理屈に合ったように現実を説明するには,どこかの誰かの預金とは,どこかの銀行がどこかの企業に貸し付けたときに生まれた,と考えるよりありません。そう考えるべきなのです。

 図 7をご覧ください。この講演の立場から言うと,市中に出回っている中央銀行券や,口座振り込みに使われて流通している預金通貨は,そもそもはどこかの銀行がどこかの企業に貸し付けたときに生まれたということになります。貸し付けを受けた企業は,原材料を購入したり人を雇ったりしてお金を払います。払われた企業はまた原材料を買うかもしれないし,給料を支払われた個人は預金を引き出して現金に換え,食べ物を買ったりネット通信料を払ったりするかもしれません。いずれにせよ,預金通貨は時に中央銀行券という現金に姿を変えながら転々と流通します。そして,あるときに,企業や個人の手元に中央銀行券の姿でたどり着き,その企業や個人が,当面現金とした使わないから,あるいは預金通貨として使いたいから,預金として銀行に預け入れるのです。通貨が生まれて流通する始まりは,銀行から企業への貸付なのです。ちなみに,その終わりは企業から銀行への返済です。

図 7 預金は貸し付けの際に生まれる

 ですから,銀行の活動とは,誰かが銀行にお金を預けて預金が生まれるところから始まるのではなく,銀行が企業の預金を設定してお金を貸すところから始まるのです。

銀行は自分で預金を生み出せるのに,なぜ預金を集めようとするのか

 しかし,ここからはまた新たな疑問が生まれるでしょう。銀行が自分で預金を生み出せるならば,なぜ預金を集めようとするのかということです。その答えは,準備金の確保のためです。

 これまでお話ししたように,銀行が企業に貸し付ける行為自体は,手元に現金がなくてもできます。銀行は預金を創造できるからです。しかし,貸し付けを受けた企業は,預金を引き出して現金にするかもしれませんし,取引先への支払いのために預金口座から他の銀行の口座に送金するかもしれません。前者であれば,銀行は中央銀行券を渡さねばなりませんし,後者であれば自分の持つ中央銀行当座預金を取り崩して他行に送金しなければなりません。

 ですから,銀行はつねに一定額の中央銀行券と中央銀行当座預金を資産として持っておかねばならないのです。これが準備金です。正確には,預金が引き出される場合,銀行間取引で自行が支払い超過になる場合,貸付金が貸し倒れになるなど損失が発生した場合に備えて必要になります。

 ただ,ちょっと回り道をしますが,銀行の持つ準備金は,社会全体としてみれば中央銀行が供与するものであって,預金者から集めるものではありません。中央銀行当座預金は中央銀行が銀行に貸し出したときに発生します。また中央銀行券は,銀行が中央銀行当座預金を引き出したときに発行されます。いずれにせよ,もとは中央銀行が銀行に信用を与えたから発生しているのです。

 ところが,銀行全体としてはこうであっても,個々の銀行にとっては話が違います。中央銀行が供与した中銀当座預金や中銀券は,銀行の間では取引状況に応じて不均等に分布しています。個々の銀行の立場としては,資金繰りを安定させ,さらに貸し付けを拡大するために,自分のところに準備金を集めたいかもしれません。そういう銀行は,企業や個人から広く預金を集めようとするでしょう。預金を集めれば,手元に現金として持っておいて金庫やATMに入れておき,引き出しに備えることもできますし,中央銀行に当座預金として預けて,銀行間決済に備えることもできます。個々の銀行は,いわば市中に流れた中央銀行券を奪い合って,自行の準備金をとりわけ厚くしようとするわけです 。

■補足
*「銀行は預金をまた貸ししているのではない」という説明は,日常感覚に反するために聞く人が驚くところだが,実務的な説明はそれほど難しくない。
*理論的にややこしいのは,準備金について社会全体の視点と個々の銀行の視点が異なることである。個々の銀行にとっては,自行の準備金を増やすために,預金獲得に励む余地がある。しかし,銀行セクター全体としては,中銀当座預金+中央銀行券発行残高は,中央銀行でなければ供給できないのであり,全銀行が一斉に預金獲得に励んでも,社会全体としては増加しないのである。

2023年12月13日水曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その5)預金や中央銀行券は,今では金貨で返済してもらえないが,それでも債務として有効なのか?

 7 預金や中央銀行券は,今では金貨で返済してもらえないが,それでも債務として有効なのか?

 しかし,現代の銀行預金や中央銀行券が信用貨幣であるというと,疑問を持たれる方も少なくないと思います。金本位制の場合と異なり,預金や中央銀行券が兌換されない,つまり債務を金貨で返してもらうことができないからです。返してもらえない債務証書は債務証書として有効なのでしょうか。私の答えは,金貨で返してもらえないことは弱点ではあるけれど,債務証書としてはなお有効だというものです。その理由は,債務の返済には本位貨幣での返済の他に,あと二つ方法があって,それは管理通貨制でも有効だからです。

 債務の支払いは,実は三つの方法で行われます。一つは,金貨などの本位貨幣で支払うことです。二番目は,債務を負っている当人が,自分の債務よりも信用度の高い債務証書で支払うことです。三番目は,債権と債務を相殺することです。

 1番目を銀行や中央銀行がやっていたのが「兌換」です。例えば,日本銀行に日銀券を持ち込んで同額の金貨に変えてもらうわけです。これは,日銀の債務を金かで返済してもらったことに相当します。しかし,これは管理通貨制の下ではできません。これを極端に言えば,私たちは「本当のお金では債務を返済できない世界」に住んでいるのです。

 しかし,2番目の信用度の高い債務証書による返済と,3の債権債務の相殺は,いまでも日常的に行われています。

 では,例えばCさんがDさんから5000円借りて,5000円札で返したというのはどういうことでしょう。これは日常生活では普通に返済したとみなされます。では通販で先にゲーム機を受け取り,指定されたX銀行口座に,自分のY銀行口座からの振り込みで代金を払ったというのはどうでしょう。これも,日常生活では普通に後払いを遂行したとみなされます。しかし,実は最初の例では日本銀行の債務証書で返済したのですし,後の例ではY銀行の債務で返済したのです。なお,先ほど紹介した仕組みで日銀が両替してくれるので,ゲーム会社にはX銀行の債務で支払われています。

 日々行われている企業間の決済や,それを反映した銀行間の決済も,2番目と3番目の方法に拠っています。たとえば,A社,B社,C社の間の債権債務を銀行と中央銀行の口座振替で相殺し,差額は預金通貨で支払うとします。相殺の部分が3番目の方法であり,差額決済が2の方法です。

 借りたお金の返済は,前に述べたように債権債務の相殺ですから3番目の方法です。例えば,企業がX銀行から借りたお金を返済するというのは,X銀行の債権を,その銀行の預金,つまりX銀行の債務通貨で相殺しているのです。

 このように,本位貨幣での返済ができなくとも,上位の債務証書での返済,および債権債務の相殺ができるために,預金や中央銀行券は立派に信用貨幣として機能しているのです。

 しかし,そうはいっても,中央銀行に銀行が兌換を求めて押し寄せるということは起こらないのでしょうか。通常は起こりません。理由は二つあります。

 まず,中央銀行当座預金は,中央銀行が一般の銀行にお金を貸すことによって設定されるし,中央銀行券はそれが引き出されるときに発行されます。だから,一般の銀行は中央銀行から借りている立場です。中央銀行に求めるのは「お宅から借りたお金は,おたくの債務証書で返済するからな。受け取れよ」というものになります。中央銀行は当然,それを認めるでしょう。

 次に,中央銀行券は通貨になっています。なので,銀行は中央銀行に「金貨で支払え」と要求しなくても,市場で物を買って実物資産に換えることができます。もちろん金も買うことができます。兌換ができなくても実物資産には換えられるので,とくに支障がないわけです。

 もし,中央銀行券の価値が暴落するような事態になれば別ですが,その場合には,中央銀行に兌換請求が殺到して取り付け騒ぎになるのではなく,市場で物を買って実物資産に換えるさいに購買力が暴落してしまう,要するにインフレーションになるという形で現れるのです。ただし,これは経済危機に関する独自の分析を必要とする話で,機会を改めねばなりません 。


■補足

*「預金貨幣や中央銀行券は金兌換の下では信用貨幣だが,兌換停止下ではそうではない。国家の強制通用力で流通していると見るしかない」という説は,長い間多数説であった。最近の信用貨幣論の流行で少しは変わりつつあるが,いまなお通説であろう。そうではなく,兌換停止下でも信用貨幣として機能しているのだというのが拙論である。拙論は,古くからあるマルクス派の信用貨幣説の流れを応用したものである。「マルクス経済学はみな労働価値を持つ金だけを貨幣としている」などというのは誤解である。むしろマルクス派の貨幣・信用論とは,金属貨幣の代理物が発展する論理を明らかにしたものである。
*「兌換停止で信用貨幣は機能しなくなる」という人は,信用貨幣の機能のうち「金で返済してもらう」というところだけしか見ていない。そうではなくう,預金貨幣や中央銀行券が,1)どのように生まれて流通に入るのか,2)どのように流通するのか,3)どのように決済されて流通に出るのかを全面的に見なければならない。そうすれば,1)信用供与の際に生まれて流通に入り,2)個人や企業の債務より高度な債務証書として流通し,3)相殺による信用の解消によって流通から消えること,それらは基本的に,商品を流通させ,生産を維持・拡大する必要に応じてなされることがわかるだろう。これは流通外から一方的に投じられ,課税によらねば流通から出られない不換国家紙幣とは異なる運動なのである。
*債務の階層性論は現代貨幣理論(MMT)に倣ったものであり,相殺論はマルクス派信用貨幣説から継承したものである。
*しかし兌換されないことは,それはそれで重大な意味を持つ。ひとつは,準備金という制約なしに信用供与が拡大することであり,とりわけ商品流通や生産の維持・拡大と離れた借り入れ需要にも応じてしまうということである。つまりバブルの発生である。もう一つは,信用供与以外のルートで,商品生産を拡大できずに一方的に通貨だけが投入され,それが兌換で回収されなければどうなるかということである。つまり貨幣的な悪性インフレの発生である。この二つこそ,兌換停止の副作用なのである。

2023年12月12日火曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その4)手形が貨幣になると言ったが,預金や中央銀行券も手形の一種だということか

 6 手形が貨幣になると言ったが,預金や中央銀行券も手形の一種だということか

 私はまず,預金や中央銀行券が貨幣だと言いました。それから,手形が貨幣になるけれども,商業手形だと完全な貨幣とは行かないと言いました。この二つを合わせて次に言いたいのは,預金や中央銀行券は信用度の高い手形であって,だから貨幣として認められているということです。それでは,どうしてそれほど信用されるのでしょうか。

 まず一般銀行を登場させましょう。正確に言うと,民間銀行は存在するが,中央銀行は存在しない状態を考えてください。現代ではなじみのない状態ですが,かつては実在した状態です。なので,銀行券は民間銀行が発行します。

 さて,企業Aがビジネスのために銀行からお金を借りるとします。図 4をご覧ください。設備投資資金でも運転資金でもいいです。仮に1億円としましょう。この時,X銀行は,1億円の預金を企業Aの口座に設定してあげて貸し付けます。これは,日々,銀行が行っていることで,何の不思議もありません。そうでなければ,X銀行の銀行券を発行して窓口で企業Aの担当者に渡して貸すことも可能です。

 問題は,ここで銀行が無から預金や銀行券を作り出したということです。金貨や銀貨ならば,無から有にすることはできません。また銀行には国家権力はありませんから,強制的に預金や銀行券を使わせているのでもありません。では何をやっているのかというと,預金や銀行券は,いずれも銀行の手形,債務証書なのです。債務証書ならば,自分が発行することができますね。銀行は,預金または銀行券という名の,自分宛ての手形を発行しています。そして,商業手形の時のように,それで商品を買うのではなく,それを企業に渡して貸し付けているのです。企業と比べると銀行の取引範囲は広く,資金量も大きいです。預金は要求払いで銀行券に換えることもできます。なので,商業手形と比べると銀行手形,つまり預金や銀行券は,全社会に流通しやすいのです。銀行は,「私の手形はすごく信用があって,これでものは買えるよ。これで貸してあげる」ということをしているのです。

図 4 銀行の信用創造

 さて,A社はこれで設備投資なり原料の仕入れなりが可能になって企業活動を行います。うまくいけば利潤が獲得できて,銀行に利子を支払うことができます。そして返済期日になったら,A社は借りた1億円を銀行の預金口座に入金するか,そうでなければX銀行券を窓口にもっていって返済します。入金された1億円や手渡されたA銀行券は,銀行の資産にはなりません。破棄されます。正確に言うと,銀行券ならば価値のない紙切れに戻ります。なぜかというと,預金や銀行券は,A銀行の債務証書だからです。

 くりかえしますが,預金と銀行券は,いずれも銀行の債務証書であり,銀行はこれをゼロから発行できます。そして,銀行の手元に戻ってくれば消滅するのです。少し不思議かもしれませんが,手形発行の続きだと思えば理解できるでしょう。また,預金や銀行券での返済という行為は,実は手形を使った債権債務の相殺でもあります。企業AはX銀行から借り入れて1億円の債務を負っています。企業Aはこれを返済する際に,自らが預金または銀行券というX銀行に対する1億円の債権を持ち,両者を相殺しているのです。

 このように,預金と銀行券の運動は,手形の発行・流通,債権債務の相殺という手形原理を基礎にして,これに貸付・返済の原理を加えることで成り立っているのです。

 しかし,預金や銀行券で企業間の決済を行おうとすると,銀行だけではできる場合とできない場合とが出てきます。もう一度,中央銀行がなくて一般銀行だけある世界を考えてみましょう。図 5をご覧ください。今度は二つの銀行,三つの企業に登場してもらいます。A社とB社はX銀行に口座を持っていて,C社はY銀行に口座を持っています。A社がB社から商品を買って代金を払う場合は,X銀行の預金で払えるから簡単です。X銀行はA社からの指示を受けて,A社の預金を減らし,同額だけB社の預金を増やしてやればよいからです。しかしA社がC社から物を買ったときは厄介です。X銀行の預金はX銀行の債務,Y銀行の預金はY銀行の債務で,互換性がありません。C社にX銀行の口座を開いてもらえばいいのですが,C社がX銀行のサービスや経営の安定性に不安を抱いて拒否するかもしれません。かわりにY銀行にX銀行の口座を開いてもらい,X銀行がA社の預金を減らして同額だけY銀行がもつ預金を増やし,Y銀行にまた同額だけC社が持つ預金を増やしてもらえば何とかなりますが,やはりY銀行がX銀行に預金など持ちたくないと言い出したら終わりです。もうひとつ,A社が預金を下ろしてX銀行券を受け取り,これをC社に持参して支払うという手もありますが,C社がX銀行券など受け取れないと言ったら,やはりだめです。

図 5 銀行間決済の困難



 このように,銀行預金と銀行券のシステムは,異なる銀行間の決済に問題を抱えています。民間企業としての銀行の信用に限界がある限り,預金や銀行券は通貨になり切れません。

 これを解決するのが中央銀行の役割です。図 6をご覧ください。中央銀行とは,国内すべての銀行が当座預金の口座を持つような銀行です。これが中央銀行のいわゆる「銀行の銀行」という役割です。こうすれば,A社が商品の代金をC社に支払うのも簡単です。また,金額を1億円と定めましょう。まずA社の指示により,X銀行はA社の持つ預金を1億円減額します。そしてX銀行の依頼により中央銀行はX銀行が持つ預金を1億円減額し,Y銀行が持つ預金を1億円増額させます。そして,Y銀行はC社がもつ預金を1億円増額させます。これで,A社はX銀行の預金1億円を失い,C社はY銀行の預金1億円を受け取りました。そして,X銀行の預金とY銀行の預金は,中央銀行当座預金との交換性によって互換性が保たれているのです。また,X銀行,Y銀行,中央銀行は決済を仲介しただけで,資産債務は変動していません。

 このしくみがあれば,企業間の債権債務の決済は,銀行間の債権債務の決済として置き換えられ,それは中央銀行当座預金内での相殺と差額の振り替えで可能となるのです。

 さらに,各銀行が銀行券を発行する代わりに,中央銀行だけが銀行券を発行するようにします。これを発券集中と言います。A社がX銀行から預金を引き出すと,X銀行券でなく中央銀行券を受け取るようにするのです。中央銀行に一定の信用があれば,一般の銀行の間に信用度の差があっても,この中央銀行券は流通します。これで,多数の銀行券の間に互換性がない問題も解決します。 

図 6 中央銀行による支払い決済システム


 このように,一定の信用がある中央銀行が成立してすべての銀行に貸し付け,すべての銀行が中央銀行当座預金を持ち,また発券集中が行われると,銀行預金と中央銀行券が通貨として通用することができるのです。これが,紙切れとデジタル信号に過ぎないものが通貨となり,また民間の銀行が創造したに過ぎないデジタル信号が通貨となることができる根拠です 。

■補足

*銀行の貸付・返済・決済を,手形原理を基礎に,貸付け原理を加えて説明するのが最大の特徴である。手形による貸し付け説は,岡橋保に由来する。
*ただし,貨幣論の伝統では貨幣史の経過に引きずられて,預金・銀行券は商業手形割引によって発行されるという議論が強力であった。私はこれを採用せず,手形割引より貸し付けの方が本質的だとしている。ここは岡橋説を採用しておらず,村岡俊三説に近い。手形割引という取引形態は重視しないが,手形原理は重視するところがポイントである。ただし,貸し付けと蓄蔵貨幣の関連のさせ方が村岡説と異なる。
*また理論的説明に当たって,担保は本質的契機でないと考えてもいる。本質的なことは,通常,企業活動の拡大の維持・拡大のために貸し付けが行われるのであって,それと無関係に預金通貨や銀行券が発行されるのではないということである。
*中央銀行のもっとも本質的な役割を中央銀行当座預金による預金の通貨化,発券集中による中央銀行券の通貨化においている。この点は岡橋節,村岡説いずれとも異なる。



2023年12月11日月曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その3)紙切れや数字上の存在がどうして貨幣になるのか

 5 紙切れや数字上の存在がどうして貨幣になるのか

 ここまでの話から,また疑問がわくと思います。まず,金塊ならとにかく,紙切れや,数字上の存在に過ぎない預金が,どうして貨幣として認められ通用するのかということです。それも,民間銀行が発行した数字までもです。これの答えを一言で言うと,「手形だから」となります。別の言い方をすれば「信用できる支払約束だから」となります。もっと日常用語で言えば,支払われそうな債務証書,または借用証書だからと言ってもいいです。

 そう言ってもわかりにくいですから,まずは,何かが貨幣として認められる理由としてありそうなものをあげていきましょう。1番目は,それ自体価値がある商品であるから,です。これは金や銀などの貴金属に当てはまりますね。2番目は,それ自体は紙切れとかデジタル信号であっても,貴金属と交換できる場合です。これがいわゆる兌換紙幣です。銀行の窓口に持っていけば金貨などの本位貨幣と変えてくれるようなものです。3番目は,国家によって受け取りを強制されている場合。それによってみんながお金と認めることにした場合です。江戸時代の藩が発行していた藩札や,軍隊が発行する軍票にはこのような性格があると言われます。現在も,このような側面もあります。たとえば日本銀行法第46条第2項は,「日本銀行が発行する銀行券は,法貨として無制限に通用する」と定めています。また別の法律では,効果は額面価格の20倍までに限って法貨として通用すると書かれています。硬貨を21枚以上出して払おうとすると拒否されてもしかたがない,という話を聞いたことがあるでしょう。

 さて,これらのほかにもう一つ,根拠があります。それは,発行者に信用がある手形だからというものです。ここでおおざっぱには手形を債務証書と広く言い換えてもかまいません。実はこれが現代の貨幣には当てはまります。預金とは,実は銀行の債務証書なのです。また,中央銀行券とは,中央銀行の債務証書なのです。

 さて,現代の通貨制度は管理通貨制度であり,金本位制は停止されています。金本位制の場合は,いまあげた根拠の1番目と2番目が機能しますが,管理通貨制度では機能しません。中央銀行も銀行も,中央銀行券や預金を金と交換してくれないからです。

 なので,現代で現金や預金通貨が流通する理由としては,3番目と4番目が候補として残ります。実は,ここで経済学者の見解は大きく分かれていますので,両方を紹介します。3番目の,国家の強制通用力と,それを受けて人々が承認することが根拠になるという考えは,経済学では多数説を占めています。これを強制通用力説と言います。4番目の,信用ある手形だからというのを主要な理由,強制通用力を副次的な理由とする説は,経済学では少数派です。ただし,銀行業界ではおそらく多数説で,ねじれた状態にあります。こちらは信用貨幣説と呼ばれます。私はこちらの見地に立って,本日お話ししています。

 以下,少し長くなりますが,「信用のある手形,債務証書は貨幣になる」というすじみちを,説明していきます。

 図 1をご覧ください。いまAさんとBさんの二人がいて,それぞれ事業を営んでいるとしましょう。Aさんが,原料の仕入れなどビジネスのためにBさんから商品を買うとします。そして,現金ですぐ支払うのではなく,手形を発行してBさんにわたし,支払いを約束します。「Aは,何月何日まで1万円支払います」と言った約束をするのです。Bさんは期日になったらAさんにこの手形を提示します。Aさんは現金で支払い,BさんはAさんに手形を渡します。Aさんは自分のところに戻ってきた手形を破棄します。自分のところに自分の債務証書が戻ってきたのですから,もう支払う必要がなくて,無効にできるわけです。これが,手形取引のもっとも単純な原理の説明です。現在では紙の手形は電子手形に変わっていますが,このような取引は頻繁に行われています。



図 1 商業手形のしくみ

出所:川端作成の講演スライド。以下全て同じ。


 さて,手形取引がもう少し発展すると,信用のある手形は流通するようになります。図 2をご覧ください。今度は,やはり事業を営むCさんとDさんにも登場してもらいましょう。AさんがBさんから商品を買って,自分あての手形を渡すところは先ほどと同じです。今度は,BさんがCさんから物を買う必要があると想定します。この時,Bさんは,Aさんの手形をCさんに渡すことで商品を買います。Cさんが,「Aさんの手形ならば信用できるから,それでいいよ」と言ってくれれば取引は成立します。Cさんは,同じことを,Dさんから商品を買う際におこない,Aさんの手形で買います。Dさんがやはり「Aさんの手形なら信用できるからいいよ」と言ってくれれば取引成立です。そしてDさんは期日になったらAさんから代金を回収し,手形をAさんに戻します。Aさんは手形を破棄します。これが手形の第1の原理です。

 ここで大事なことは,BさんがCさんから,CさんがDさんから物を買う際には,貨幣なしで買った,正確に言うと手形が貨幣の代わりになったということです。なぜそんなことができるかというと,貨幣には支払い手段機能があるので,買う瞬間と支払う瞬間は分離できるからです。この分離を現実にする役割を手形が果たすのです。ここで見た,商品を流通させる手形の場合,手形は支払い手段機能を根拠にしつつ,ものを流通させる機能を代行しています。



図 2 商業手形の流通



 さて,もう一段階話を進めます。今度はAさんとBさんにだけ登場してもらいます。図 3をご覧ください。Aさんは手形でBさんから商品1万円を買います。しかしBさんも商売の都合上,Aさんから別な商品をやはり1万円分,Bさんが発行した手形によって買うとします。支払期日は同じです。この場合,AさんとBさんは,互いに自分の持っている手形と相手の持っている手形を交換すれば,支払いは済んだことになります。それぞれ自分の発行した手形を取り戻して破棄して,支払いは完了です。当たり前だと思われるでしょうが,ここで肝心なことは,結局,ほんらいの貨幣は全く登場せずに取引が完結したということです。裏返して言うと,手形は貨幣として機能しました。なぜそれができたかというと,債権と債務が相殺されたからです。債権・債務の相殺によって支払いを完結させるのが,第2の手形原理なのです。

 ここまでをまとめると,信用ある手形,支払い約束,債務証書が貨幣になるのは,購買と支払いを分離し,債権と債務を相殺するという手形原理のおかげです。

 まず,商品を買いたいという必要に応じて手形が発行されるます。信用がある主体ならば,自分あての債務証書を発行して受け取らせることができる。信用がある手形は商品を流通させ,債権債務が相殺される限りでは支払を完結させ,貨幣の代わりをするのです。

 ただ,一般の企業が発行する商業手形では,流通する範囲に限界があります。なので,商業手形は,今日,通貨としては認められません。しかし,もっと信用のある手形ならば,流通範囲が




図 3 手形を用いた債権債務の相殺


広がって,貨幣の代わりをより高いレベルでつとめ,貨幣そのものと認められるようになります。それはどんな手形なのかというのが,次の話です。(続く)

■補足

*私の信用貨幣論は,商品経済における手形から出発するものである。ここは,マルクス経済学の伝統的な信用理論と同じである。「いろいろ言われているが,結局,古い理論の方が正しい」最たる例だと考えている。

*信用貨幣の国定貨幣説はいきなり国家の課税からはじめて,人々が,納税に使えるものを貨幣と認めるところから貨幣一般と信用貨幣の成立を説明する。しかし,前資本主義社会からの歴史的経過ではなく,資本主義社会における信用貨幣の成立を説明するならば,「貨幣とは商品経済を成り立たせるもの」というところから始めなければならない。商品経済,あえて今風の用語でいうならば市場経済の発展とともに貨幣も発展するのであり,それと全く別に国家から貨幣を説明すれば,商品/市場/資本主義経済の発展と貨幣の発展は,まったく連関のないものになってしまうだろう。

*ただし国定貨幣説にも正しいところはある。それは,「わが国の通貨名は×××である」という価格標準の質的設定(そういってわかりにくければ「通貨単位の命名機能」)は国家によるものだ,というところである。ついでにいうと価格標準の水準設定(金○ミリ=1円だぞ)も国家によるものである。後者は現代社会で停止しているが,それで商品経済が成り立たないことはない。しかし,前者は現代も必須のものであり,それなしに商品経済は成り立つことができない。この点で国家は重要なのである。クナップ『貨幣の国家理論』は,「国家が単位名をつけるから貨幣が成り立つのだ」と言ったところが正しいが,「だから貴金属の価値と貨幣価値は関係ない」と言ったのは勇み足であった。



2023年12月9日土曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その2) 実際にどんなものが現代の貨幣なのか/お金は誰が発行しているか

 3 実際にどんなものが現代の貨幣なのか

 次の問題は,実際にどんなものが現代の貨幣なのかということです。これを一言で言えば,現金と預金ということになります。

 ここで大事なことは,貨幣とは,中央銀行券,日本で言えば日本銀行券と,硬貨だけではないということです。日本における通貨流通量の定義を見てみましょう。M1とかM2,M3とかいくつかの指標があります。


M1=現金通貨+預金通貨

現金通貨=日本銀行券発行高+硬貨流通高-金融機関保有現金

預金通貨=要求払預金(当座,普通,貯蓄預金など)-金融機関保有小切手・手形 

要求払い預金:預金者の要求によりいつでも払い戻される預金

M2またはM3=現金通貨+預金通貨+準通貨+CD

準通貨=定期預金,据置貯金,定期積金,外貨預金

預金通貨,準通貨,CDの発行者は,M2では国内銀行等,M3では全預金取扱金融機関

CD:譲与性預金(無記名で譲与可能な定期預金)


 まずいちばん簡単なM1を見ましょう。通貨とは現金通貨と預金通貨だと書いてあります。現金通貨とは,日本銀行券と硬貨です。預金通貨とは要求払い預金です。要求払い預とは,預金者の要求によりいつでも払い戻される預金のことです。次にM2とM3はだいたい同じで,M1に準通貨とCDが加わったものです。準通貨というのは,主に定期預金と外貨預金を含みます。いつでもすぐ引き出せる預金とは違いますが,預金の一種です。CDというのはコンパクトディスクではなく,無記名で譲与可能な定期預金で,やはり預金の一種です。M2やM3も,つまりは現金と預金が通貨だと言っているのです。

 では実際の通貨流通量を見てみましょう。2023年5月現在,現金通貨は115.5兆円,預金通貨は958.1兆円,準通貨は486.2兆円,CDが31.0兆円です。現金よりも預金の方がはるかに大きいのです。

 ここで知っておいてほしいのは,現代では預金も貨幣であるということです。預金は貨幣の機能のうち,支払手段機能を中心に果たします。銀行振り込みで代金を払うことや,クレジットカードで買い物をすると,月ごとに預金から代金が引き落とされることをイメージしてください。

 そしてもう一つ付け加えると,預金はデジタル通貨だということです。預金は現金とは別に存在する,数字の上だけでの存在です。だから,コンピュータ出現以前から存在したデジタル通貨なのです。最近になって初めてデジタル通貨が出現したかのようにマスメディアが報道しているのは間違いなのです。

お金は誰が発行しているか

 今度は,お金は誰が発行しているのかを考えてみましょう。一言で言うと,中央銀行と政府と一般の銀行となります。つまり,一般の民間の銀行もお金を発行しているのです。

 一つずつ確かめましょう。中央銀行券は中央銀行が発行していますね。日本ならば日本銀行が発行する日本銀行券,1万円札や千円札です。次に硬貨は,国により制度が違い,一律には言えません。しかし,政府が発行することが多いです。日本でも政府が発行します。ただし,日本銀行に交付して,日本銀行から流通させる仕組みになっています。そして預金通貨は,一般の銀行が発行します。準通貨も同様で,銀行などの預金金融機関が発行します。このように,民間の銀行もお金を発行しているのです 。

■補足
*ここは学問的には何も変わったことは行っていない。ただ,一般向け講演では,預金も通貨だということはよく説明しておく必要がある。実は,「デジタル通貨は,電子マネーや中央銀行デジタル通貨で初めて出現した」という誤った通念も,預金が通貨だということを忘れたところから来る。

2023年12月8日金曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その1) 貨幣とはどういうものか

一般向け講演原稿 

貨幣発行と流通のしくみ:お金はどこからきてどこへ消えるのか

1 はじめに

 この講義では,「貨幣発行と流通のしくみ」についてお話しします。それを通して,皆さんに考えていただきたいことは二つです。一つは,普段の生活の中で漠然とイメージしがちなことと,実際のお金の発行・流通のしくみにはかなりの違いがあることです。もう一つは,モノやサービスといった実物の世界が貨幣を動かす力と,貨幣が実物の世界を動かす力について知っていただくことです。そして,これらを通して,社会に向き合う力を少しだけ鍛えていただければと思います。

 なお,「貨幣」「通貨」「お金」という三つの言葉がしばしば出てきますが,ここでは大まかには同じ意味と考えていただいて構いません。

 さて,貨幣の話をすると言っておいて何ですが,経済の本体はモノやサービスです。モノを少し専門的に財とも言います。経済とは金儲けの話ではなく,むしろ人が働いて財やサービスを作り出し,それを享受するというしくみが経済の本体です。財やサービスを作り出す苦労と,それを享受して得られるうれしさや幸福感,専門的に言うと効用というものがバランスして,各人の生活が豊かになることが経済のテーマです。

 しかし社会は多数の人間からできていますから,そのためには社会の仕組みが必要です。それは時代によって異なり,奴隷制や封建制であったりもするわけですが,近代的な仕組みの代表は市場と交換です。そしてそれを円滑に回すためのツールが貨幣です。だから貨幣はツールに過ぎない。

 ところがツールは暴走します。「近代科学文明の暴走」というのは映画や,また現実でもよくある話ですが,貨幣も暴走します。貨幣は財やサービスを動かすツールに過ぎないのに,貨幣を獲得することやためること自体が目的になってしまうことがあります。それが資本主義社会です。こうなってしまう秘密について,ここではすべてお話しすることはできませんが,その一端として,貨幣の発行と流通の仕組みをお話ししようというわけです。

2 貨幣とはどういうものか

 さて,最初の問題は,貨幣とはそもそも何なのかという話です。一言で無理くり答えるならば,すべての商品と等価,つまりイコールなものだということです。しかし,具体的にはいろいろな機能があります。

 最も大事な機能は価値尺度機能です。これはモノやサービスが商品となっている世界で,商品の価値の大きさを図る機能です。たとえば商品1が貨幣1単位に等しく,商品2が貨幣10単位に等しいならば,商品2は商品1の10倍の価値があることになります。このように商品間の相対関係を図るのが価値尺度機能です。

 次に価格標準です。これはさらに二つに分かれます。一つは,貨幣に単位名をつけることです。「日本の通貨は円である」とか「アメリカの通貨はドルである」とかいう風に名前を付けることです。もう一つは,皆さんにはなじみがないと思いますが,貨幣と単位の数量関係をつけることです。たとえば,1933年に制定された日本の貨幣法は,もう無効になっていますが,「金750ミリグラムをもって1円とする」と決めていました。この二つは,いずれも国家が決めることです。

 三つめは流通手段機能です。これは簡単で,現金で物を買うことを想像してください。商品と交換されることで,商品を流通させる機能です。

 まだあります。四つ目は支払い手段機能です。これは,貨幣を使えば,商品を現に流通させることと分離して,支払いだけを行うこともできるという機能です。イメージしていただきたいのは,代金後払いや,借金の返済です。お金で支払うことだけを独立して行えますね。

 五つ目は蓄蔵手段です。お金で富を蓄えることができるという機能です。預金とか,タンス預金とかをイメージしてください。なお,モノやサービスでなく,金融資産,つまり株式とか社債とかポイントとかで富をためるのもこの機能の延長線上にあります。

 最後は世界貨幣です。さきほど,通貨単位は国家が定めると言いました。国家が違うと貨幣単位も違って互換性がありません。でも貿易をしますから,何とか貨幣を通用させねばなりません。その機能が世界貨幣です。これを完全に果たせるのは金などの貴金属だけでしょう。金が流通していない現在では,ドルやユーロなどがこの機能を一部代行しています。

 さて,これらの機能を全部一種類の貨幣が果たせれば,貨幣として万能だということになります。そのような貨幣であるためには,それ自体が価値を持った商品である貨幣ならばいいわけです。これを商品貨幣と言います。具体的には金や銀など,本位貨幣になれる貴金属がこれに該当します。金本位制というのが歴史的に存在したことはみなさんもご存じでしょう。

 しかし,万能な商品貨幣だからと言って,それだけを使っているわけにはいきません。貨幣流通量が貴金属の産出量に制限されるとお金が足りなくなります。また,現物のお金が常に手元にないといけないというのでは不便です。会社は黒字でも,今この瞬間に現金が手元にないから,払うべき代金を払えず倒産する,といったことになりかねません。

 本位貨幣が存在する世界では,一方で経済が順調な時に経済発展が制約され,他方で不況の時には経済の落ち込み方がひどくなります。非常に大雑把に言えば,これが歴史の一時期は実施された本位貨幣制が停止されていて,政府が通貨システムを管理する管理通貨制が実施されている根本的な理由です。

(続く)

■補足

*貨幣についての古典的な説明を踏襲しており,慣れている人には退屈だろう。しかし,漫然と踏襲しているのではなく,「いろいろ迷ったが,結局これでよい」と考えている。

*本当は深く論じなければいけない価値尺度機能をさらりと流している。もちろん,現在は代理貨幣しか使われていないので,価値尺度機能は間接的に,大きく誤差のある形でしか果たされていない。

*私は,古典的な「金などの商品貨幣=万能な典型的貨幣」説に立つ。この見解は,近年の貨幣史研究の進展により,旗色が悪くなっている。しかし,「前資本主義時代から現在に至る歴史的順序」と,「資本主義社会を説明するための論理的順序」は異なるというのが私の見解である。商品貨幣は「貨幣の歴史的起源」ではなく,資本主義社会における「論理的説明の起源」である。「昔は金貨が使われていて,いまはそうでなくなった」と貨幣史(歴史学)として説明するのでなく,「金貨ならば貨幣のすべての機能を果たせるのだが,それでは不都合が多すぎるので,実際には使われていない」というのが貨幣論(経済学)の説明である。

*なので,私はMMTやクナップのように,貨幣の生成そのものについての国定貨幣説をとらない。貨幣は商品経済から説明できると考えている。ただし,価格標準(貨幣の単位名付与,貨幣重量と単位名の関連付け)は国定であり,国家抜きに説明できない。この点を明確にしたことはクナップの功績だと認める。

大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...