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2021年11月25日木曜日

MMTを含む信用貨幣論が「債務を増やす」というのは「手形を切ること」であり,「誰かの持っているお金を借りること」ではない:生産的討論のための解説

 MMTを含む信用貨幣論について議論すると往々にして食い違いが生じるのは,「債務を増やす」と言う時にイメージしている行為が異なるからだと思う。ここがボタンの掛け違いを生み,生産的な議論を困難にし,支持者と反対者が互いを非常識扱いするもとになる。この投稿は,この食い違いの理由を解きほぐした上で,信用貨幣論が「債務を増やす」ことをどのように理解してるかを説明することを目的としている。

 たいていの人は,「債務を増やす」と言う時に,「誰かが持っているお金を借りる」ことをイメージする。しかし,信用貨幣論が言っている「債務を増やす」とは,「手形を切る」ことである。信用貨幣とは,広範に流通することができて期限が特定されていない手形の一種である。

 手形を切って何ができるかと言うと,1)財・サービスを購入する,2)人を雇う賃金として支払う,3)手形をつかって貸し付ける,4)手形と別種の金融資産を交換することが可能である。

 既にこの世に存在していて,誰かが持っているお金を借りるのであれば,誰かが債務を増やしても流通する通貨は増えない。誰かが債務を増やそうとすればするだけ金融市場は需要超過になって金利は上昇する。

 一方,誰かが手形を発行し,その手形が受取人から別の人へと流通して通貨になるのであれば,債務が増えると流通する手形=通貨は増える。誰かが債務を増やしても金融市場は需要超過にはならず,直接には金利は上昇しない。ただし債務の信用度には高い低いがあるので,信用度が低くなれば金利は上昇する。

 「債務を増やす」とは主要には「手形を切る」ことだというのが,MMTを含む信用貨幣論の理解である。

 よく「MMTは無から有が生まれるように言っている」と非難する人がいるが,企業が商業手形を切り,銀行が銀行券を発券する時,商業手形や銀行券は無から生まれているのであって,それをおかしいという人はいない。同じように,信用貨幣論は,現代の通貨は手形なのであって,発行される時には無から生まれると言っているに過ぎない。

 もう少し具体的に言おう。手形を切って債務を増やすのは政府であり,中央銀行であり,民間の銀行である。政府が財政赤字を出して支出を行うのは本質的に上記分類の1)や2)であり,中央銀行が銀行に,銀行が企業に貸し付けを行うのが2)であり,中央銀行や銀行が国債や債券を購入するのが3)である。発行される手形とは、具体的には中央銀行当座預金、中央銀行券、民間銀行当座預金、現在日本にはないが民間銀行券である。

 信用貨幣論は「政府が財政赤字を出すと通貨供給量が増える」,「財政赤字は民間貯蓄を吸収しない」と主張している。この主張は,政府が「誰かが持っているお金を借りてきて支出する」と想定すると不合理に響くだろう。しかし,政府が「手形を発行し,手形で支払うことで支出する」と考えると理解できるだろう。

 信用貨幣論が,「銀行が貸し出しを増やすと通貨供給量が増える」,「社会全体では、預金量は貸し出しを制約しない」と主張するのは,銀行が「誰かが預けた預金をまた貸し出す」と想定すると不合理に聞こえるだろう。しかし,銀行が「預金と言う手形を発行し,手形で貸し付ける」と考えると理解できるだろう。

 MMTを含む信用貨幣論は以上のように考えている。支持者と批判者にはこの共通理解に立って討論して欲しいと思う。

※この話だけだとさらなる疑問が生じることはわかっているが,これ以上進むと少し専門的になるので,まずはここまでの話,つまり「すでに誰かが持っているお金を借りて来る」ことと「手形を切っている(振り出している,発行している)」ことのちがいをご理解いただきたい。より展開された論点については,別の機会に述べたい。一部は,これまでの私の投稿でも論じている。


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