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2021年11月15日月曜日

行き過ぎた財政赤字が悪性インフレを招く理由は、「貯蓄を吸収するから」なのか:標準的マクロ経済学と信用貨幣論(MMTを含む)の対比

 *課題:財政赤字をどこまで拡大すると悪性インフレになるのか

 財政赤字とは,政府が債務を背負ってでも財政支出を拡大することを意味する。それが必要なのは,失業減少,景気回復や,市場メカニズムでは達成されない社会的目標の実現のために必要とされるからである。だから財政赤字には望ましい効果があるが,望ましくない効果もある。後者があまり大きくなった場合は,それ以上財政赤字を拡大すべきではない。望ましくない効果に含まれるのは,成長率を上回る金利による債務の発散,悪性インフレ(※1),バブル,為替レート急落である。ここまでは,ほぼすべての研究者,実務家にとって共通了解である。

 では,どのような時にこの望ましくない効果が表れやすいか。一番典型的な場合として,財政赤字をどこまで拡大してしまうと悪性インフレになるのか。この投稿では,この論点についての標準的なマクロ経済学と,私が依拠する信用貨幣論(MMT=現代貨幣理論もその一種)との違いを説明したい(※2)。


*標準的なマクロ経済学の見解:貯蓄を吸収し過ぎた時

 リンク先の齊藤誠教授の論稿「国家財政は破綻するのか、神学論争回避への提言 財務省・矢野次官の「財政破綻」投稿を考える」が指摘されるように,標準的なマクロ経済学は,「財政規律を遵守せざるを得ない」環境,もし遵守しなければ悪性インフレが生じてしまうような環境が生じるのは,国債発行が大量になりすぎて国内の貯蓄の多くを吸収してしまい,国債・貨幣需要が消えてしまう時だと考える。歪曲でない証拠に引用しておく。

「標準的なマクロ経済学が用意している解答は、「旺盛な国債・貨幣需要は、いつか消えてしまう」となる。(見出し替えをはさんで)おそらく、そのきっかけとなるのは、大規模な自然災害や経済危機が起き、国内の貯蓄水準をはるかに上回る財政支出をせざるをえない事態だろう。その結果、内外の金融市場で円建ての長短金利が跳ね上がり、国内の物価水準が高騰すると、それまで旺盛な国債・貨幣需要を支えていた要因が一挙に失われてしまう」。


*信用貨幣論(MMTを含む)の見解:財政赤字は貯蓄を吸収しない

 実は,ここに標準的マクロ経済学と信用貨幣論の違いがある。信用貨幣論のモデルでは,国債発行は民間貯蓄を吸収しない。正確に言うと,日銀に口座を持つ民間銀行が国債を引き受ける限り,貯蓄を吸収しないとする。そして信用貨幣論は,それが実務に即しても事実だと主張するのである。これは国債発行と財政のモデルの非常に基本的なところで両者が異なっていることを意味する。両者の議論がしばしばすれ違い,互いに相手を非常識扱いする物言いになりやすい理由は(※3),深いところでの前提が異なるからなのである。

 信用貨幣論の立場から,国債発行の仕組みを説明しよう。政府が国債を発行し,民間銀行がこれを引き受けると,政府への貸付金(国債という証券の代金)は,銀行が日銀に持つ準備預金から,同じく日銀に政府が持つ政府預金に払い込まれる。政府が財政支出を行うと民間の企業や個人がもつ銀行預金が増加する。企業や個人の預金が増えると,その分だけ銀行が日銀に持つ準備預金も増加する。このプロセスが完結してみると,銀行の準備預金は増えても減っておらず,財政赤字の分だけ通貨供給量は増え,そして民間全体の預金も増えている。従って金利上昇圧力は,国債発行と政府支出のタイムラグによるもの以外は発生しない。ただし,法人や個人が手持ち現金を増やし,また銀行が手持ち現金を増やそうとすれば,準備預金はその分だけ減額される。以上である。

 この説明は何ら特定の価値判断によるものではなく,単に実務に即した事実である。しかし,国債発行で民間貯蓄が吸収されるという標準的マクロ経済学の説明とは異なっている。標準理論は,この事実をどう受け止めるのかについて説明を求められると,私は思う。


*政府は「既にあるカネを借りる」のではなく「手形を切る」

 しかし,日常感覚からすると上記の説明は不思議に思われるだろう。なぜ政府がお金を借りるのに,借りるもとでになるはずの民間貯蓄が減らないのか。貸す側のお金が減らずに借りる側のお金が増えるのは変ではないかと感じる人が多いだろう。この疑問に対する信用貨幣論からの答えは,ここで起きていることの本質は「既に存在するカネを借りる」ことではなく,「手形を切ること,その手形が流通すること」だということである。政府の赤字支出とは手形を切る行為であり,管理通貨制度下の通貨流通とは,手形(信用貨幣)が流通している状態なのである(※4)。

 ただし,日本の統合政府は日銀と政府の二つからなっており,政府は直接に政府手形を発行するのではないから,お金の流れはやや複雑である。政府が小切手または日銀券で赤字支出を行うことが,いわば政府手形による支払に相当する。このとき,政府の債務は増える。企業や個人は政府が支出した分だけ預金という銀行に対する債権を増やす。振込先となった民間銀行では,預金者宛ての債務と,日銀向けの債権が同時に増える。日銀から見れば準備預金と言う名の債務が増える。これが本質的なプロセスである。単純化して言えば、統合政府が手形を切って支払いを行って債務を増やし,民間部門が統合政府に対して持つ債権も増えたのである。

 しかし,日本では発券集中が行われており,しかも国債の日銀引き受けは禁止されている。そのため,政府は,直接に自己名義の手形を切れず,同額の日銀債務証書を入手して自己の支出の裏付けとしなければならない(※5)。だから国債を発行する。銀行がこれを引き受けると,銀行が持つ準備預金は増えるのではなくプラスマイナスゼロになる。こうして全プロセスが完結する。

 いささか複雑であるが,このように財政赤字=政府債務増とは,「発行された手形が流通する」ことであるから,発行された分だけ通貨供給量を増やすし,貯蓄を吸収はしないのである(※6)。


*民間貯蓄の規模は財政赤字の限界を画さない。では何が画すのか

 したがって,信用貨幣論によれば,民間貯蓄の規模は,財政赤字の限界を画さない。ここが標準的マクロ経済学との相違点なのである。齊藤教授が指摘されるように,1995年以降の超低金利環境は現金や国債に対する需要を旺盛なものにしていた。その分だけ消費需要や投資需要が盛り上がることがなく,景気はなかなか回復しないが悪性インフレにもならないような状態が続いてきた。これが齊藤教授の言う「財政規律を棚上げにしてもできる」環境である。齊藤教授が依拠される標準的マクロ経済学は,この「財政規律を棚上げにできる」環境から「「財政規律を順守せざるをえない」環境への移行を画すのが民間貯蓄の枯渇だと考えるが,信用貨幣論はそれは関係ないというのである。

 しかし,民間貯蓄の枯渇が関係ないとすれば,何が関係あるのだろうか。これは信用貨幣論の側が問われる問題である。1990年代後半以来,日本政府は財政赤字を拡大してきたが,悪性インフレは発生しなかった。その理由は「民間貯蓄が豊富にあったから」ではないとすれば,何なのだろうか。これまでの条件と何がどう変化すると悪性インフレが発生し得るだろうか。

 さしあたり理論的には,第一に,「政府の課税能力に対する信認」には関係あるとするのが妥当であろう。債務は全額返済する必要はないが,コントロール可能でなければならない。課税能力に対する信認が失われると通貨への信用も失われ,悪性インフレとなる。第二に,財政支出と動員可能な生産能力・経営資源の関係である。財政支出が過大であり,程よく生産を刺激するのではなく,生産能力や経営資源が追い付かない状況となれば悪性インフレとなる。この場合,総量として追いつかない場合も,ボトルネックが生じて重要物資が不足して価格が特別に高騰し,生産や生活の危機が生じる場合もあり得る。貯蓄というカネが枯渇することは問題ではないが,機械や原料や労働力というモノが足りないことは問題なのである(※7)。第三に,海外との相対価格の変動によって原燃料輸入価格が高騰し,それを財政支出による需要刺激が実現させてしまうような場合である。この場合は価格ショックが生じるが,景気の実物的要因との関係では,良性インフレが維持されることも悪性インフレになることもあり得る。1990年代以来の日本では,以上の三点までは生じていなかったため,悪性インフレは生じなかったのだと考えられる。逆に言えば,この三点での悪化が疑われると悪性インフレは起こりうる。

 いずれにせよ,「財政規律を棚上げにできる」環境から「「財政規律を順守せざるをえない」環境への移行を画す要因の理論的・実証的分析は,低成長期突入以後,これまでの日本経済を総括するためにも,今後の日本経済において,景気・雇用,インフレをにらみながら財政政策のあり方を決めていくためにも重要な課題である。信用貨幣論の立場からも解明していかねばならない。ただし,悪性インフレ以前に,財政支出が景気回復と良性インフレを刺激できなかった理由の解明,逆にこれができるようになる条件の解明も必要であることは言うまでもない(※8)。

※1 悪性インフレとは,所得や雇用を拡大する効果がなく,物価だけが引き上がっていくようなインフレのことである。良性インフレとは,その逆である。端的に好況を反映したインフレと,インフレと好況の量循環を刺激するようなインフレである。

※2 ここでは信用貨幣論をより包括的な概念とし,MMTをその一種としている。私はマルクス派信用貨幣論に依拠しているが,本稿の論点についてはMMTと同意見である。念のため記しておくと,私の信用貨幣論とMMTが異なる点は大きくは二つである。一つは,私は金本位制度などにおける正貨は価値物であり,信用貨幣論が全面的に妥当するのは管理通貨制度の下でであると考えるが,MMTはすべての通貨制度について信用貨幣と見なす傾向があることである。もう一つは,私は中央銀行は統合政府の一部であると同時に銀行資本が発展した「銀行の銀行」であると見ており,その信用が銀行原理に依拠している度合いを高く見る。MMTは根本では「信用ピラミッド」論によりこの考えを採用しているように見えるのだが,具体的な議論になると統合政府論を強く主張し,中央銀行を政府の一部と見る傾向が強いと思う。

※3 ただし,齊藤教授は冷静に理論的な説明をされている。だからこそ,碩学にコメントすることにためらいはあったが,ここでとりあげたのである。

※4 ちなみに,日銀の信用供与とは,日銀が日銀当座預金と言う自分の債務証書を用いて貸し付けを行う行為である。そして,その債務証書が流通するのが,日銀当座預金を用いた銀行間の支払決済であり,銀行と政府預金との間での支払い決済である。

※5 国債の代金を振り込んでもらうならば,「既に存在するカネを借りる」のではないかという指摘があるかもしれない。しかし,そうではない。準備預金(日銀当座預金)はマネタリーベースを構成するが,マネーストックを構成しない。まだ流通に出て行っていない,そのいみではまだ流通内に存在しないお金なのである。銀行の持つ準備預金が政府預金に移動しても,通貨供給量は変動しない。

※6 なお,国債は銀行からさらに転売される。転売により生損保など日銀に口座を持たない金融機関や年金基金,民間企業や個人によって購入された分については,貯蓄が吸収される。しかし,ここで言いたいのは,このような機関投資家や個人が購入する以前の銀行引き受けの時点において金融はひっ迫せず,民間貯蓄が枯渇したから銀行が国債に応札しないという因果関係は存在しないということである。生損保や年金基金が国債を購入するかどうかはポートフォリオ選択の問題である。なお,2021年6月末の国債保有割合は日銀48.2%,銀行等14.7%,生損保等20.6%,海外7.2%,その他9.2%である(財務省サイトにおける速報値)。

※7 発展途上国が経済危機に陥ると,この最初の二つの要因によるインフレが起こりやすい。その際も,標準理論の立場からはしばしば「貯蓄不足」が指摘されるが、信用貨幣論から見れば,この場合もカネとしての貯蓄が不足しているのではなく,政府の課税能力と,モノやヒトとしての資源を動員する能力が不足しているのである。

※8 この課題はMMTを含む信用貨幣論にとって重要なものだと私は思う。しかし,なぜか日本におけるMMTの政治的支持者たちは,従来の政権下で悪性インフレが生じなかった理由についてはあまり探求せず,単純に政府の財政支出が少なすぎたからだと決めつける傾向がある。私は,これは行き過ぎた単純化だと思う。同規模の財政赤字であっても,インフレを起こさないか,良性インフレを起こすか,悪性インフレを起こすかは支出内容や様々な経済主体の振る舞いとの関係による。これらを研究しておくことは,MMTの政治的支持者が,MMTに依拠した財政政策を実施しようとするときにも重要なはずである。

<参考>

齊藤誠「国家財政は破綻するのか、神学論争回避への提言 財務省・矢野次官の「財政破綻」投稿を考える」東洋経済ONLINE,2021年11月2日。

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