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2018年10月7日日曜日

これまでの研究ノート

 これまでの研究ノートはGoogle+に投稿して,公式サイトからリンクしておりました。関心のある方は,以下をご覧ください。今後のノートも,事後に公式サイトからリンクします。

公式サイトの研究ノート集
http://www.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/arekore.htm

2018年10月6日土曜日

経団連会長の就活ルール廃止発言について:新卒一括採用の改革か,たんなる大学教育軽視か 

 2021年4月入社の就職活動は,採用面接を6月解禁にするなど現行ルールが維持される見通しだ(『東京新聞』2018年9月22日)。

 就活ルール廃止を言い出した経団連の中西会長は,9月3日の定例会見で「「終身雇用など基本的なところが成り立たなくなっている。(活動を)一斉にやることもおかしな話だ」と発言したという(『朝日新聞』2018年9月22日)。つまり,就活ルールの廃止が終身雇用の弱体化と連動しているし,新卒一括採用を廃止することと連動させたいというのだ。これをめぐってあれやこれやのコメントが飛び交っている。

 だが中西会長も,また多くのコメンターも肝心なことを語っていない。それは,経団連加盟企業のほとんどは,新卒規一括採用の廃止意向など表明していないということだ。

 新卒一括採用とは,「経団連加盟企業が同じ時期に採用活動をすること」だけではない。一番肝心なのは,「新規学卒者だけを対象にして,やるべき職務を明示せずに,「入社」させること」である。これこそが本質であり,これをやめない限り,いくら採用活動を前倒し使用が各社各様にしようが,新卒一括採用をやめたことにはならない。

 新卒一括採用では,学卒者を組織の一員として「入社」させる。そして,就くべき職務は会社が割り当てる。就くべき職務を労働契約で取り決めていないので,配置転換や転勤は基本的に会社の裁量だ。その代わり,ある職務が組織再編で消滅しても,会社は別の職務を割り当てる義務を負う。特定の職務で成績が悪くても「組織の一員」として失格とまで言えなければ解雇はされないので,希望すれば定年まで終身雇用される確率が高い。逆に,解雇とは,特定の仕事だけでなく「組織の一員」として働くことができない,極端に問題のある者とみなされる。これが新卒一括採用と終身雇用の関係であり,濱口桂一郎氏の言うメンバーシップ型雇用である。

 経団連が本当に新卒一括採用をやめる、または縮小するのであれば,採用の大きな部分を特定の職務を指定したものとし,職務遂行能力のみを基準として採用しなければならない。新卒であるかどうかや年齢で応募を制限してはならない(すでに新卒採用を例外として,年齢指定の禁止が雇用対策法で定められている)。そこまでやる気があるのか。そこまでやるというならば,経済界,政府,大学は制度・慣行の改革について真剣に協議すべきだ。容易ではないし,漸進的にしかできないだろうが,大学も汗をかいて前向きに取り組む価値がある。

 しかし,経団連にも多くの加盟企業にもそこまでやる気は観られない。このままでは,経団連は,ただ採用活動の開始時期を各社の好き放題にしたいだけなのだとみなさざるを得ない。それは雇用改革でも何でもない,ただのわがままである。そして,そこには,大学教育を軽視しながら社員に大卒の肩書だけは求めるというねじれた認識を読み取らざるを得ないのだ。大学など頼れない,採用してから社内で育成すればいいと考えているのだろうが,その方式では企業成長がおぼつかなくなっているから「終身雇用など基本的なところが成り立たなくなっている」のではないか。

 労働市場の入り口を改革するために,やらねばならないことは大学にもあるが,企業にもたくさんある。改革に挑むのか,改革に見せかけて単にわがままを押し通したいのか,経団連の見識が問われている。

2018年9月22日のFacebook投稿を転載。

製鉄所に刻まれたアメリカ鉄鋼業衰退の歩み

 『ワシントンポスト』10月3日の記事に寄れば,アメリカ高炉メーカーはトランプ政権の保護関税のおかげで,一息ついている。しかし,経営側・労働側ともに長期低落傾向を食い止める戦略を持たない限り,いくら保護をかけても一時的な効果しかないであろう。
 記事にあるように,高炉メーカーは海外メーカーだけとではなく,国内の電炉メーカーとも競争しなければならない。電炉メーカーの多くはノンユニオンで,最新技術を取り入れて,製品構成を鋼板類に広げている。対して高炉メーカーは,一部,拠点になりそうな製鉄所(USスチールゲイリーとかアルセロールミタルUSAインディアナハーバーとか)もあるにはあるが,多くはリストラして生き残った設備を継ぎ合わせて使用しており,組織率も組合員数も低落傾向にあるとはいえUSWA(全米鉄鋼労働組合)に組織されている。
 それでも,倒産したことのないUSスチールはまだましな方かもしれない。破産法第11条を申請して経営破綻した多くのアメリカ高炉メーカーは,労働協約を無効化し,年金債務を帳消しにし,設備簿価を極度に切り下げて再生された。だから,技術・設備が十分現代化されていないのに,コストが安いということになっている。それでも,輸入鋼材の圧力に耐えられないのだ。
 この写真を手掛かりにしてみよう。クレアトン市長リチャード・ラッタンツィ氏が背にしているのはUSスチールクレアトン工場だ。クレアトン工場は,モン・バレー製鉄所の一部である。モン・バレー製鉄所は全体としては銑鋼一貫製鉄所,すなわち原料処理(コークス,焼結)-製銑-製鋼-圧延-表面処理を行うコンプレックスだ。しかし,その実態は,モノンガヒラ川沿いに点在する四つの工場である。クレアトン工場がコークスを生産し,エドガー・トムソン工場が製銑・製鋼(精練・連鋳)を行ってスラブを作り,アーヴィン工場が薄板熱延,冷延,亜鉛めっきを行い,フェアレス工場もまた亜鉛めっきを行う。だが,かつてはクレアトン工場,エドガー・トムソン工場も,フェアレス工場もみな一貫製鉄所であった(アーヴィン工場だけは初めから圧延工場だった)。度重なる工場閉鎖,相対的に優位な工場だけを残す生産システム再編成の結果,四つの工場を河川輸送でつないで,かろうじて一貫体制を維持するようになったのである。四つの工場の航空写真をグーグルマップでみると,アーヴィン工場以外では空き地が多い。とくにフェアレス工場は空き地が面積の過半を占める。そこにはかつて,高炉,平炉や転炉,圧延機が並んでいたのだ。



2018年10月5日のFacebook投稿を修正のうえ転載。

派遣労働者の「同一労働同一賃金」

 派遣労働者の「同一労働同一賃金」実現のための給与決定方法の設定が難航しているようだ(『朝日新聞』2018年10月3日)。詳しく調べていないが,かなりの難問だと思える。

 企業ごとに同一職務は正規・派遣を同一賃金にすることをめざした場合,派遣先正社員が年功給だったら,派遣労働者の給与設定に年齢や勤続(どうやって測る?)を加味するのかという難題がありそうだ。

 また派遣会社の労使協定で決めるというのは,一方ではかなり大胆だ。派遣会社において労使協定で賃金を決めるのならば,他業種でやってもおかしくないという議論になりうる。が,そのように連合や全労連が主張したという話も聞かないのは,実際にどう機能させるかというイメージを持てないからだろう。

 過半数組合がない会社の労働者過半数代表制というのは,多くの場合,法が想定するようには機能していない。過半数代表が民主的な方法で選ばれているのかということについても労基署のチェックはほとんど入らず(入れようとしたらいまの何倍の監督官が必要になるか),早稲田大学の非常勤講師の問題のように裁判にでもならない限り放置されている。まして,登録型社員を多数抱える派遣会社の過半数代表制をどうやって機能させたらよいのか。

 ここで,なぜこういう風に壁にぶち当たってしまうのかを考えておいた方が良い。

 一つには,労働市場において企業横断的な職務別または職種別賃金が成立していないからだ。企業内労働市場が強く,賃金は会社の私事であって会社の外から口をはさむことではないという慣行・価値観が強力だ。だから,直接雇用の労働者とその雇用主(派遣先会社),派遣労働者とその雇用種(派遣会社)の「均等」とは何かと問われたときに,「会社が違えば別世界だったから,どうしたらいいかわからない」となるのだと思う。

 そしてもう一つには,建前としては労働者は労働(力)を契約によって会社に売っているのだけれど,実態は「正社員は会社の一員」だからだ。正社員は会社と取引するのではなく,会社の一員として,何らかのグレードに応じた処遇を得ている。グレードは,正社員に配慮しながら会社が決めている(例えば解雇したら激怒するが,早期退職提案と出向命令なら摩擦なくできるだろう,など)。形としても過半数組合がない会社も多い。そこで,「労使代表が交渉して賃金を決める」という近代的形式を貫こうとすると,実態との齟齬が甚だしくなるのだ。

 派遣問題は派遣問題としても難題だが,それは「同一価値労働同一賃金」を日本で実現しようとした場合の困難さを集中的に表現しているように思える。

「「同一賃金」仕組み作り難航 派遣会社と労使協定結ぶ場合」『朝日新聞』2018年10月3日。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13706374.html


2018年10月3日のFacebook投稿を転載。

顔の見える人としての右翼:安田浩一『「右翼」の戦後史』

 安田浩一『「右翼」の戦後史』が面白いのは,著者が右翼と呼ばれる人々のもとに足繁く通い,右翼と呼ばれる人々の中にあった多様性,背景,そして何よりも個人としての紆余曲折を浮き彫りにしていくところだと思う。
 右翼というのは政治勢力であり,政治勢力は,政治という人間生活のほんの一側面においてしか存在しない。しかし,その実態は,仕事も生活もある一人一人の人間なのだ。人間は歴史を背負い,思想とともに感情を持ち,お互いに向き合って,相手も人間であることを感じながら暮らす。本書はそういう感覚を呼び起こさせる。
 しかし同時に,本書は右翼思想には,そうした個人の多面性,人々の多様性を押し流す強い傾向があること,さらに右翼の現代的潮流,すなわち日本会議やネット右翼が,その傾向を露骨に拡大しつつあることに警鐘を鳴らしている。薄っぺらで憎悪に満ちた書き込みの集積,群衆的行動による罵倒,民族差別,性差別,思想差別。威圧。排除。顔の見える者同士,いろいろな側面を持つ個人同士ならばためらうことが,容赦なく行われ,広がりつつあるのだ。

安田浩一『「右翼」の戦後史』講談社,2018年。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210915

2018年9月29日のFacebook投稿を転載。

産業革新投資機構の行方を危惧する

 産業革新機構の産業革新投資機構への再編。効率が悪く,望ましくないことにお金を使い,民業を圧迫するおそれが強いので,やめた方がよかった。これまであった産業革新機構は,ベンチャーに投資すると言いつつ,既存企業をむやみに救済し,むやみに日本企業の所有下にとどめようとするばかりであり,ベンチャーファンドとしての成績は惨憺たるものであった。その総括はきちんとなされていない。

 会員記事なのでシェアしなかったが,『日本経済新聞』2018年9月26日の記事も指摘しているように,官製ファンドとは「政府や産業界の意向に翻弄されやすい体質」を持っている。そのことが経済的に重大なのは,「産業界」とはすでにその地位を確立している大企業のことだからだ。

 日本経済が停滞を脱するために,新技術・新産業は必要だ。しかし,新技術の開発と実用化は,既存大企業だけでできるものではない。既存大企業には既に行った膨大な固定資本投資があり,そこそこの利潤を上げている既存事業があるからだ。対して,新産業は小さく生んで大きく育てるものであり,参入当初は規模も小さければ利潤率も低い。既存大企業にしてみれば,参入するインセンティブが弱い。参入しても,お付き合い程度,他社をけん制する程度になってしまい。本気で,社運をかけてやることにはなりにくい。

 だから,新産業の担い手として重視すべきは,新規参入企業なのである。新規参入者は,失うものを持っていないので,小さい市場,低い利潤率からでも出発することができるからだ。C.クリステンセンが繰り返し言うように,このインセンティブの非対称性がもっと重視されねばならない。新規参入企業のトライアル数が多くなるような支援が望まれるし,ある程度成長したベンチャーに対しては,それが既存大企業を脅かしそうであれば脅かしそうであるほど,支援することが望まれる。それが産業の新陳代謝だからだ。

 もう一度,別の表現で言う。与党の政治家や経済産業省に影響力をもっている既存大企業を追い抜き,ひっくりかえしそうなベンチャーを応援することこそが,日本経済を救うのだ。これは産業革新機構の後継組織に向いた仕事ではない。産業革新機構は,既存企業を救済し,むやみに日本資本の所有にこだわることで,日本経済の将来をかえって曇らせたのである。このことの総括がなされないままに設立された産業革新投資機構の行方は,大いに懸念される。
複数ファンドで新ビジネス創出 産業革新投資機構が発足 AIなど照準『ITmediaエグゼクティブ』2018年9月26日。
http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1809/26/news073.html

2018年9月27日のFacebook投稿を転載。

研究年報『経済学』第76巻第1号出ました

 1年に1度しか出なくなってしまった紀要,研究年報『経済学』。第76巻第1号,猿渡啓子教授退職記念号が発行された。ご退職から1年半もたってしまった。ポスドク研究員の章胤杰君による研究ノート「コンビニエンスストアの成長にとってのカウンターコーヒーの意義」も,同じく採択から1年半待たされたが,ようやく掲載された。次は大滝精一教授退職記念号で,論文や研究ノートは10本ほど採択されて早期公開されているのだが,発行はまたまた来年になってしまうのか。

2018年9月21日のFacebook投稿を再録。



ブログ開設

 川端望です。東北大学大学院経済学研究科で産業発展論を担当しています。このブログは研究ノートを公開するものですが,ほとんどはFacebookからのそのまま,または一部修正したうえでの転載です。Facebookでは日常生活のこと,個人的なこと,趣味のこと,研究のことなどをごたまぜに投稿していて,公開範囲も記事によってまちまちなのですが,その中で研究ノートとして公開できるものを選んで転載します。研究というのは,産業論・企業論をはじめとする経済学・経営学・社会科学の研究ですが,時々,特撮映画・ドラマやアニメの研究が混じるかもしれません。

論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」の研究年報『経済学』掲載決定と原稿公開について

 論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」を東北大学経済学研究科の紀要である研究年報『経済学』に投稿し,掲載許可を得ました。5万字ほどあるので2回連載になるかもしれません。しかしこの紀要は年に1回しか出ませんので,掲載完了まで2年かかる恐れがあ...