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2025年8月31日日曜日

日本製鉄傘下のUSスチールによる電炉製鉄所の建設計画について

 日本製鉄傘下となったUSスチールが、40億ドルを投じて年産300万トン規模の電炉法による新製鉄所を建設すると報道された。この計画について、今の段階で注目すべきいくつかの点がある。

 まずは技術選択の評価である。日本製鉄はカーボン・ニュートラルに向けた電炉法の適用拡大に一歩踏み込んだ。パリ協定から脱退したトランプ政権のアンチ気候変動対策に甘えて、高炉一貫製鉄所を建設しないかという懸念があったのだが、一安心といえる。日本製鉄は、日本の広畑地区や八幡地区で適用するために自ら進めている技術開発と、すでにUSスチール傘下にあるビッグ・リバー・スチールからの技術吸収をともにすすめることができる。同社における電炉技術の発展が期待できる。

 もっとも日本製鉄は、電炉法適用拡大と、高炉・転炉法での生産維持という二つのテクノロジーパスを併用している。カーボンニュートラル達成期限が2070年であるインドでは、アルセロール・ミタルとの合弁事業AM/NSインディアで高炉一貫製鉄所の建設を進めており、また日本国内でもアメリカでも主力生産基地として高炉一貫製鉄所は維持しようとしているからだ。しかし、高炉の脱炭素技術(水素吹込みとCO2回収・貯留)はなお未確立である。社としてのカーボンニュートラルに向かうためには、電炉比率を上げ、できる限り量産高級鋼まで適用できるようにし、高炉一貫製鉄所の扱いという問題を軽減させることが得策なのは確かだ。

 次に、この製鉄所計画の課題についてである。一つは市場の獲得だろう。40億ドルというのは、発展途上国では中規模高炉一貫製鉄所を建設できる規模の金額であり、採算をとるためには高い稼働率が必要だ。アメリカは人口増のおかげで鉄鋼需要が減ってはいないが増えてもいない。日本製鉄は、USスチールの他の製鉄所を閉鎖しないとトランプ政権に約束したので、新製鉄所はトランプ関税を利用して輸入品を代替するか、あるいはクリーブランド・クリフスのような他社から顧客を奪ってくる必要がある。関税利用もクリフス社との対抗も、政治問題化しやすい話題であるから、一筋縄ではいかないだろう。

 もう一つの課題は、労使関係であり人事労務管理だろう。これは込み入った話なので少し詳しい説明を要する。USスチールの買収経過から言って、日本製鉄はUSW(全米鉄鋼労働組合)に対して敵対的態度をとることはできない。その上、ノン・レイオフ経営を求められる。買収に際してレイオフを行わないと約束したが、その後もアメリカ政府の監視下にあってレイオフは難しいだろう。となると、組合に組織化されたノン・レイオフ経営を実行しなければならないが、そのためには日本的雇用慣行を導入することが必要になる。具体的には、職務ベースではなく人ベースで雇用し、人の配置を柔軟にすることで合理化を進め、さらに、少なくとも正社員には目標管理に参加して経営計画に組み込まれた働きをしてもらわねばならない。しかし、これをアメリカで、労働組合の協力を得て実施することは極めて難しい。というか、そのように、会社の人事管理を補完してくれる労働組合を、日本以外で見つけることは難しい。

 実は、アメリカでも人ベースの雇用、そこまでいかなくても大ぐくりに設定された職務グレードに基づく雇用を行い、正社員に目標管理に参加してもらう可能性はある。ただし、そのためには通常はノン・レイオフ経営が必要になる。経営者の側から一方的に、柔軟な配置、経営成果に基づく給与、ヒューマン・リレーションズを導入し、組合組織化よりこの方が得だと多数の労働者に納得してもらうのである。実はこれこそ、アメリカでミニミル(アメリカでの電炉メーカーはこう呼ばれる)が行ってきた人的資源管理である。USスチール内部でも、もともとスタートアップだったビッグ・リバー・スチールはUSWに組織されていない。ここでの人的資源管理を新しい製鉄所に適用できれば、日本製鉄とUSスチールは、ヌーコアに始まる電炉メーカーの軌跡を再現できるかもしれない。しかし、USWやトランプ政権がそこに介入せずにすむとは思われない。日本製鉄とUSスチールが、新製鉄所にUSW組織化の下での日本的雇用管理を導入するか、ノン・ユニオンの人的資源管理を導入するかは、重要な注目点である。

 このように、USスチールを買収した日本製鉄は、早くもそのグローバル戦略を実行しつつあり、しかしその行く手には、様々な壁が立ちはだかっているのである。

「日本製鉄、米国に大型電炉新設 USスチールが6000億円規模投資」、日本経済新聞電子版、2025年8月29日。



2025年8月28日木曜日

なぜ国立大学法人の財政は苦しくなるのか:自助努力で対処し切れない収入減と支出増

  島根大学が2024年度,人事院勧告相当の教職員給与引き上げを4月から実行できず,12月からの改定にとどめたと報道されている。

 私が勤務する東北大学はもともと規模が大きいうえに,国際卓越研究大学に指定されたので一息ついているが,人事院勧告相当の給与引き上げもできない国立大学法人が出現していることは深刻である。どうしてこうなるのかというと,簡単に言えば,自助努力ではどうにもならない形で収入が減って支出が増えているからである。

 まず収入面。2004年の国立大学法人化以来,主要な収入源の運営費交付金を政府は削減し続けてきた。それも毎年X%という風に機械的に問答無用で削減されるのである。

 もちろんどの大学も別の収入源を模索してきたし,政府も科研費については増額させてきた。だから,研究費については,科研費,寄附金,民間との共同研究費,委託研究費も含めて様々な形で確保する努力を行ってきた。しかし,一般企業の方にはわかりにくいかもしれないが,外部から獲得した研究費は,その目的とする研究にしか使えない。何にでも使ってよい研究費とか,正規教職員の基本的給与財源にするということはできないのである(あんまりだという声が届いたのか,最近,一部を給与上乗せに使える研究費が出現しているが)。そして,授業料を勝手に引き上げることもできない。これが収入源の状況である。

 一方,支出の方は,物価も賃金も上がらなかった,いわゆる「デフレ」停滞期にはそれほど増加しなかった。それでも消費税の引き上げはきつかった。授業料に価格転嫁できないからである。そして,コロナ明けあたりから物価,とくに水光熱費の上昇が起こり始め,名目賃金もついに上昇を始めた。繰り返すが,価格転嫁はできない。さらにいうと,大学病院も価格転嫁はできない。

 こうして,長年の収入減による財政難が,物価・賃金の上昇によって一気に加速したというのが,多くの国立大学法人の状況である。

<参考>

「島根大、給与の引き上げできず 財政難で人事院勧告に対応困難 24年度4~11月分 国の経費減など影響」山陰中央新報→Yahoo!ニュース転載,2025年8月20日。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d46a6c072d3772b980040f536bc36c622406fa9




2025年8月19日火曜日

波多野澄雄『日本終戦史1944-1945:和平工作から昭和天皇の「聖断」まで』中央公論新社,2025年を読んで

 本書は日本が「大東亜戦争」と呼んだ戦争が「日米戦争」「日英戦争」「日中戦争」『日ソ戦争』の複合戦争であったとしたうえで,その終戦史を論じるものである。問いは二つであり,一つは「ポツダム宣言の発表から二度目の『聖断』まで,きわめて重大な二週間余りのあいだに,なぜ最高指導者たちは戦争終結の決断ができなかったか」(ⅳ頁),もう一つは「『徹底抗戦論』が国内に横溢するなか,なぜ二度の『聖断』で終戦が可能であったか」(同上)である。その回答は「『複合戦争』の収集が対米戦争の終結に絞られたことで早期の終戦が可能になり,戦後の日米同盟を導く伏線ともなる」(同上)というものである。著者の紹介による本書の構成は,1941年12月8日の対米英戦の開始から始まっての太平洋戦線と大陸戦線の展開を叙述する第1部,小磯国昭内閣と鈴木貫太郎内閣における様々な和平論の行き詰まりを描く第2部,ポツダム宣言発出から終戦までのか知恵を論じる第3部に分かれる。しかし,読者としての受け止めでは,第2部と第3部はほとんど連続していると感じられるだろう。背景として戦局の展開,序論として小磯内閣期が論じられた後,本書の約半分が本論としての鈴木内閣の終戦指導に費やされ,その後に8月15日以降に関する記述が補足されて,結論に入ると読むほうが素直である。少なくとも政治史の専門家以外の読者が読めば,鈴木内閣が主人公だと思える。このことは本書全体の評価に関わるが,それは最後に述べる。

 以下,本書で関心をひかれた論点を列挙していこう。

 第一に,本書が正面から取り上げた鈴木の終戦指導への評価である。著者はその特徴を「早期終戦を念頭に置きつつも,『軍の士気,国民の士気』を温存しながら,徹底抗戦論を排除しない閣議や戦争指導会議の運営に腐心したこと」(269頁)とする。そして「こうした迂遠な終戦指導は,降伏決定を遅らせたことは確かである」(同上)としつつ,「国体護持という究極的な目的を貫徹するために,もっとも有効な選択肢を探り続けたことも事実である(269-270頁)」とする。「その鈴木に聖断の発動を決意させたのは,8月6日の原爆以降であったと思われる」(270頁)。「さらにソ連参戦が追い打ちをかける」(同上)。

 本書は,鈴木の行動原理について,納得のいく見通しを与えている。「国体護持」を前提にしつつ「終戦」を実現する。しかし,そのためには,内閣の瓦解や軍のクーデターを防止しなければならない。したがい,徹底抗戦論を取る阿南惟幾陸相を閣議をもって説得しつつ,閣議の結果をもって陸相に陸軍をまとめてもらわねばならない。

 この行動原理が「聖断」という手段に結び付く具体的契機は,結局のところ「本土決戦を推進してきた陸軍に,この機に及んで『国策転換』は期待できず,米内ら海軍首脳部にも『転換』の意欲は薄れていた」(170頁)ことが1945年6月8日の「戦争指導の基本大綱」をめぐる動きで明らかになったことである。そこで木戸幸一内大臣が「時局収集対策試案」で天皇の「御勇断」による終結という路線を打ち出し,「軍部より和平提案がなされない限り,『聖断』によって終戦に運ぶほかはないという『試案』の考え方を,6月22日の御前会議にいたる過程において,構成員会議(六巨頭会談)のメンバーや高木,松平,富田らの『サブリーダー』が共有した」(178頁)という。この時点の『御勇断』とは天皇の親書を携えた使者がソ連に飛んで和平仲介を求めることであったが,その希望がソ連参戦でついえたのちはポツダム宣言の受け入れに関する「聖断」へと変わっていく。本書からはこのように読み取れる。

 陸軍の本土決戦論が内閣での合意形成によって克服できないとみなされたときに「聖断」要請へと転換するというすじみちはたいへん明快であり,納得できる。ただ気になるのは,それならば「聖断」方式への舵切りにおいて重要な役割を果たしたのは木戸であって,鈴木は「聖断」要請という選択肢を得たうえで合意形成方式の内閣運営を続けただけではないかと思えることである。確かに,それでも鈴木の終戦指導なくしては,ポツダム宣言受諾をめぐる最後の局面で内閣が瓦解し,宮城事件よりはるかに深刻なクーデターが「成功」してしまったかもしれない。とはいえ,木戸の工作なくして,鈴木の内閣運営だけでは「聖断」にたどり着かなかったかもしれないとも言えるのではなかろうか。

 第二に,本書の後半では鈴木内閣の動向が精緻に分析されているが,その分だけ昭和天皇の動きがよく見えないことである。「聖断」に頼る方式は昭和天皇が即時終戦の意志を持っていることを前提としているのであって,その意思を天皇がどの時点で,何を根拠に持ったかという疑問である。この点についても本書は「昭和天皇に限ってみれば,内外を通した本土決戦体制の不備,それを糊塗する統帥部に対する不信感などが終戦を決意させる要因であったことが判明している」(276頁)とだけ述べており,掘り下げはない。それまで御前会議は意思決定の場ではないという建前を守っていた天皇が「それでは国体も国民も救えないと考え,肝胆あい許した鈴木と運命をともにすることを決断する」(170頁)というのであるが,この過程を実証していない。木戸による工作と昭和天皇自身の姿勢については既に多くの研究があるのだろうが,たとえ先行研究に依拠するのであっても,実証的な叙述に加えておくべきだったのではないか。

 第三に,古くからの問題であるが,降伏・終戦は遅かったか,早かったかの問題をどう扱うかである。著者はこの問題を明瞭に立てたうえで,アメリカの戦争指導者と他の連合国にとっては,想定よりも『早かった』とする。一方,敗戦国日本では「早かった,遅かったを明確に発言していた戦時指導者は少ないが,前線の将兵には『遅かった』と見なす発言が多い」(274頁)とする。第33軍参謀野口省己が言うように「終戦がもう1か月早かったら,2万人近い将兵の命は助かったであろう」(同上)からである。一方,ソ連の介入が避けられたことをよしとする阪急電鉄創業者小林一三と昭和天皇の発言も紹介されている。そして著者自身は「終戦の決断のタイミングという問題は,それを議論する人々の戦後の立場によって,また戦争のゆくえと,戦後をどのように見通していたかによっても異なっていた」(275-276頁)という記述にとどめ,必ずしも切り込んでいない。

 これは,歴史の記述で「if」を論じることがどのくらい可能かという,これまた古くからの問題にかかわる。論じるとしても,当時,政治指導を行っていた人々にとっての選択肢の範囲で論じるべきか,それを越えてより超越的に論じるかという問題があるかもしれない。しかし,このように慎重に扱うのであれば,そもそも「遅かったか,早かったか」という風にではなく,「何が終戦工作を妨げていたか」と問題を立てるべきであったように思える。本書冒頭では,その問いをポツダム宣言発表以後に限って発しているが,「遅かったか,早かったか」の問いと同じく,より長いスパンで発するべきだったろう。しかも,本書は叙述内ではその回答を事実上出しているように思える。鈴木内閣成立時に「陸軍中堅層の強硬な抗戦論の封殺や排除は,ただちに政変やクーデターにつながる一触即発の政治情勢にあったこと」(112頁)である。これは常識と化している回答であるのかもしれないが,結論部で改めて確認すべきことであったのではないか。

 第四に,ポツダム宣言受諾とは結局,日米戦争を終結させるものであり,そういう限定されたものとして戦後政治を規定していくという著者の観点である。ポツダム宣言受諾の論理とは,武装解除や戦争犯罪処罰には条件を付けず(つけるべくもなく)降伏するが,「国体」は護持されるものと(一方的に)解釈するというものであった。「国体」とは,世界に通じる政治の言葉で言えば天皇制である。そう翻訳した上で,受諾の論理は,連合国の中核として日本を占領したアメリカによって採用されることになった。「アメリカが『妥協的和平』に応じず天皇制の将来をあいまいにしたまま,『紛争原因の根本的解決』に固執したがために,他の選択肢の余地を閉ざしたのである」(278頁)と指摘している。著者が千々和泰明氏の表現を借りているためにわかりにくいが,アメリカに反抗する武装や戦争の正当化は許さないが,天皇制は残したということであろう。そして,昭和天皇のみならず戦前・戦時に日本の中枢にいた人々が,一部は歴史の表舞台から消えながらも一部は残存して戦後も日本の政治を動かしていったために,受諾の論理は,国体と民主主義は両立するという「一君万民論」に展開して戦後日本政治を規定していく。こうして,ポツダム宣言受諾の論理が戦後の日本政治と対米関係の論理の起源となっていくという著者の分析は精緻である。もっとも,「二度の聖断によって日本が必死に護ろうとした国体は,占領軍とのせめぎ合いの中で,その『尊厳的機能』に導くことで戦後も生き延びたのである」(273頁)というのは,いささか「国体」という言葉に引きずられているように思われる。

 最後に,本書が大日本帝国が遂行した戦争を「日米戦争」「日英戦争」「日中戦争」「日ソ戦争」の「複合戦争」としていながら,ポツダム宣言発表から8月15日までに限った問題設定を行い,叙述の約半分は鈴木内閣の動きに置いたことをどう見るかである。鈴木内閣が,軍事力の激突で圧倒的に負けている対米戦争に対象を集中したがゆえに降伏できたというのは,わかりやすい話である。しかし実際には複合戦争なのであるから,ポツダム宣言を受諾し,終戦の詔勅を発しただけでは戦争は終わらなかった。著者も,終戦の詔勅をもって戦争終結とするような記述を取らず,「百万の大軍を擁する支那派遣軍を降伏させ,始まったばかりの日ソ戦争を停戦に導くのは容易ではなかった。南方軍もまた,三外征軍(関東軍,支那派遣軍,南方軍)が一致して徹底抗戦を大本営に訴えるよう提案していた」(254頁)と指摘して,実際に停戦するまでの困難と,その在り方が戦後政治に残した影響を記述している。中国については「大戦末期には,国連創設に力を尽くすなど戦勝国としての立場の確立に努めたが,内戦の中で著しくその国際的地位を低下させ,戦犯や賠償問題で責任追及の先鋒に立ちえなかった。一歩,日本にとっては,そのことは日中戦争の責任という問題を正面から受け止める機会が失われ,中国との戦争の記憶が遠ざかることを意味したのである」(263頁)と指摘する。またソ連については,「日本の降伏プロセスにおいてソ連の参戦はもっとも重要な要因の一つであったが,戦後の日ソ関係の展開という観点からすれば,むしろ8月15日以降も続いた『日ソ戦争』が大きな意味を持った」(267頁)という。いずれももっともな指摘である。

 しかし,著者の言うとおりであるならば,日中戦争や日ソ戦争については,ポツダム宣言受諾の仕方ではなく,それとは独自に進行した戦闘終結のあり方の方が,戦後を規定したということになる。となると,鈴木内閣に焦点を当て,とくにポツダム宣言発表以降の動きに最大の紙幅を割くという方法では,「日本終戦史」を描ける範囲が限られてしまうのではないか,という疑問が湧いてくる。これが本書の全体構想に対して残った疑問である。

 私は波多野澄雄氏の研究に通じておらず,本書のみを孤立的に取り上げた。それ故に読み方が浅い点や,他の著作で書かれていることを知らないだけの点もあるかもしれない。本書は,全体として手堅い政治史的な記述がたいへん勉強になり,また検討すべき論点を深める手掛かりとなる書物であった。


版元ページ
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2025/07/102867.html



2025年8月13日水曜日

USスチールモンバレー製鉄所クレアトン工場での爆発事故について:背景としての設備老朽化

  8月11日午前11時前(日本時間8月12日午前0時前),アメリカペンシルバニア州にあるUSスチールモンバレー製鉄所のクレアトン工場コークス炉で爆発事故が発生した。8月12日午後6時41分の報道では,2名が死亡,10名が負傷しており,1名が行方不明となっている(※1)。これ以上の被害が出ないことを祈る。

 爆発についてUSスチールは,コークス炉団(battery)13と14のreversing roomで生じたと発表した(※2)。reversing roomとは,コークス炉に供給される燃焼ガスおよび空気の流れ方向を一定間隔で切り替えるための弁および関連配管を収容する区画である。石炭に均一に熱を加えるためにこのような弁が必要とされる。日本語ではroomという表現を使わずに機械そのものを「変更弁」,「ガス切替弁」などというらしい。

 爆発の原因はなお不明であり,確かなことを言うには調査結果を待たねばならない。しかし,コークス炉自体の老朽化と関係があるのではないか,と疑ってみる必要がある。コークス炉が老朽化すると,構造上のゆがみから予期せぬ隙間が生じて可燃性のガスが漏れだすことや,換気装置が十分に性能を発揮しないことがありうる。もともと高温の環境であるところで熱の遮断が不十分になったりすることや,電気系統から火花が飛び散ることも考えられる。なので,ここでは公開情報に基づいて,事故の背景としてのクレアトン工場のコークス炉老朽化の度合いを確認しておこう。

 クレアトン工場には,最盛期の1948年には22の炉団があり,800万トン/年の生産能力があった。2021年には10の炉団があり,生産能力は430万トンであった(※3)。もっとも新しいC炉団は2012年に新設されたものであるが,それ以外は1970-80年代に設置または再建されたものである。その後,4つの炉団が閉鎖されて,現在残っているのは6炉団である(※4)。

 今回事故を起こした13および14炉団は,1979年と1989年に再建(rebuild)され,2010-2020年に耐火物の大規模な修理がなされたものである(※5)。つまり耐火物の経過年数は5-15年であるが,炉体の経過年数は36-46年に及んでいる。

 クレアトン工場は安全・環境問題を継続的に抱えている。2025年6月にも,押出過程での粉塵排出によって民事制裁金91万8500ドルを課されている(※6)。炉内で石炭を蒸し焼きにしてできたコークスは,片方から押し出されてもう片方に待機している貨車に落ちる。このとき,カバーをつけていれば粉塵が軽減できるが,USスチールはつけていなかったとのことだ。さかのぼると(※7),2025年2月には火災を起こして2名が病院に搬送された。2024年2月にも押出過程での粉塵排出によって200万ドルの罰金を科された。2018年12月24日のクリスマスイブには火災を発生させた。

 また,クレアトン工場では,押し出されたコークスを消火する方法が,消火塔で水をかける湿式である(※8)。略してCWQという。正常に操業している時の映像・画像でもスチームがただよっているのは,消火塔から出ているものだ。しかし,このとき粉塵が発生するし,スチームを大気に放出してしまっているので,熱回収ができない。より現代化されたコークスではCDQと呼ばれる乾式消火を行う。チャンバー内にコークスを入れて密閉し,ガスで冷却して熱を回収・再利用するのだ。

 アメリカでは,鉄鋼業衰退とともにコークス炉も閉鎖されて来た。クレアトン工場はUSスチールがアメリカ国内に持つ唯一のコークス工場である(※9)。しかし,USスチールは,最後の拠点であるクレアトン工場の設備も最新鋭の状態に保つことができていないのである。このことが今回の事故の直接または間接の原因となっているかどうかは,まだわからない。しかし,その可能性を疑うべき理由はある。そう思わせるほどにクレアトン工場は老朽化している。

 日本製鉄がUSスチールを買収して獲得したのは,このようなコークス工場である。日本製鉄はクレアトン工場を含む高炉一貫方式のモンバレー製鉄所を維持し,刷新していくと約束したが,これは容易ならざる課題である。その上,石炭を用いて製鉄を行う高炉一貫方式は地球温暖化の一つの深刻な原因であって,今後コークスをできる限り使用しない製鉄法が求められている。このことが日本製鉄にさらなる複雑な課題を課しているのである。


※1 Raquel Ciampi and Caitlyn Scott, Officials: 2 dead, 10 injured after explosions at US Steel Clairton Coke plant, WTAE Pittsburgh, August 11, 2025.
https://www.wtae.com/article/us-steel-clairton-plant-explosion/65654312

※2 同上。

※3 United Stats Steel Corporation, MON VALLEY WORKS Clairton Plant Welcomes ACCCI –Fall 2021 MESH, American Coke and Coal Chemicals Institute.
https://accci.org/wp-content/uploads/2021/11/RHOADS-Presentation.pdf

※4 ALLEGHENY COUNTY HEALTH DEPARTMENT AIR QUALITY PROGRAM, In the Matter of: United States Steel Corporation Clairton Plant 400 State Street Clairton, PA 15025 Violation No. 250601 Violations of Article XXI (“Air Pollution Control”) at property: United States Steel Corporation Mon Valley Works   400 State Street  Clairton, PA 15025, June 2025.
https://www.alleghenycounty.us/files/assets/county/v/1/government/health/documents/air-quality/enforcement/actions/2025-actions/us-steel-2024-pec-signed.pdf

※5 ※3に同じ。

※6 ※4に同じ。

※7 Mike Darnay, A look at past incidents reported at U.S. Steel's Clairton Coke Works,   CBS News(KDKA News), August 12, 2025.
https://www.cbsnews.com/pittsburgh/news/clairton-coke-works-explosion-us-steel-past-incidents/

※8 United States Steel Corporation, Mon Valley Works Clairton Plant Operations and Environmental Report 2019.
https://www.ussteel.com/documents/40705/71641/U.%2BS.%2BSteel%2BClairton%2BPlant%2B2019%2BReport.pdf/85d6a51b-ca26-f924-5bab-50f9b892c95c?t=1605294761747

※9 LOCATIONS. U. S. STEEL'S FOOTPRINT, United States Steel Corporation.
https://www.ussteel.com/about-us/locations

※インターネットリソースは2025年8月12日に最終確認した。


クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...