フォロワー

2025年3月25日火曜日

ゼミ誌『研究調査シリーズ』No. 43,2024年度修士論文・卒業論文特集号によせて

  本号に収録するのは,2025年3月に大学院前期課程を修了する宋海倫さんの修士論文,同じく学部ゼミを卒業する朝倉悠希さん,鈴木義人さん,今本陽大さん,青木俊憲さん,上原景さん,大村雄基さん,奥野瑛紘さん,折原大介さん,菊永大夢さん,髙橋航平さんの卒業論文です。朝倉さんの論文は,2024年度東北大学経済学部みらい創造基金演習論文優秀賞を受賞しました。

 さて唐突ですが,私は毎年度のゼミ案内に「根拠のある自信をもって世界を語れるようになろう!」と書いています。それは,若いころの自分自身の社会に対する主張や行動が,十分な学問的根拠に支えられていなかったのではないかという反省に基づくものです。ですから,その力点は「根拠のある」にありました。しかし,同時に「自信」もまた必要ではないか,いや,もっと妥当な表現を使うと,価値判断と理念を自分のうちに持ち続けることにも重点を置くべきではないかと思う出来事がありました。日本被団協の2024年ノーベル賞受賞です。3月21日に,田中煕巳先生の東北大学国際功労賞表彰式・ノーベル平和賞受賞記念講演会に参加し,その思いを一層強くしました。これもまた唐突ですが,説明させてください。なお,田中先生は日本被団協代表委員として知られていますが,1960年から96年まで東北大学工学部の助手,助教授を務められ,博士(工学)の学位もお持ちですので,ここでは先生と呼びます。

 被爆者として核兵器廃絶を追求されてきた田中先生の歩みは決して平たんではありませんでした。まず,被爆者は1945年8月以来,健康被害や差別に苦しみながらも,当初は占領政策の下でその立場を訴えることを禁じられていました。ビキニ環礁での水爆実験で日本の漁船が放射性降下物を浴びたことを機会に原水爆禁止運動が生まれ,全国の被爆者が1956年に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を結成します。その訴えの柱は,核兵器の禁止と被爆者への補償・援護でした。その後,被団協の訴えは日本の世論ではかなりの拡大をみたものの,「核抑止力によって世界平和が維持されている」という主張が世界の主要国を支配する下で,国際政治の場ではなかなか正当性を認められませんでした。しかし,1994年の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)の成立,2017年の「核兵器禁止条約」の成立などの前進を経て,今回,ノーベル賞受賞に至ったのです。

 授賞理由には次のような言葉があります。「ノーベル賞委員会は約80年間戦争で核兵器が使われていないという,励みとなる一つの事実を認めたい。日本被団協と被爆者の代表らによる並外れた努力は,核のタブーの確立に大きく貢献してきた。それゆえ,今日,核兵器使用に対するこのタブーが圧力にさらされていることは憂慮すべきことだ」。「いつか歴史の目撃者としての被爆者はわれわれの前からいなくなる。しかし,記憶を守る強い文化と継続的な関与により,日本の新たな世代は被爆者の経験とメッセージを引き継いでいる。彼らは世界中の人々を鼓舞し,教育している。そうすることで彼らは,人類の平和な未来の前提条件である核のタブーを維持することに貢献している」(『日本経済新聞』2024年10月11日掲載の訳文より)。

 私の記憶では,「核のタブー」という言葉は,どちらかというとこれを揶揄し,否定する文脈で用いられてきました。タブーにとらわれず,国際政治の現実を直視し,核抑止力論に沿って防衛政策を整備せよ,果ては日本も核武装せよといった議論に沿ってです。しかし,ノーベル平和賞を選考する「ノルウェー・ノーベル委員会」は,「核のタブー」は「人類の平和な未来の前提条件である」としたのです。

 ここで私は,「核のタブー」が一つの価値観であることに注意を払いたいと思います。「核兵器は二度とつかわれてはいけないし,誰もこれを持ってはいけないし,廃絶しなければならない」という,自らの経験に基づく根源的価値判断,いわば信念が日本被団協の人々を突き動かしてきたのです。もちろん日本被団協は,この価値観が独善ではなく普遍的なものであることを確かめながら歩んできたし,また核兵器廃絶についても被爆者に対する補償についても,単なる自己主張ではなく日本と世界のために望ましいことであり,実行可能であることを訴える理論的根拠を持って活動してきました。しかし,たとえ理論があっても価値判断と信念がなければ,その運動は続かなかったでしょう。そして継続したからこそ,その価値観は,世界の滅亡を防ぐものとして認められるようになったのです。

 話を戻します。ここで言いたいことは日本被団協とこれを支持する私の見地に賛同せよということではありません。価値と理念を維持することの大切さです。

 ものごとを語り,願いや主張を持つうえで,根拠はもちろん大事です。それなしてでは単なる独善に陥るからです。しかし,「語りたい」こと,「実現したい」こと,「守りたい」ことを持ちつづけることもまた大事なのです。正しく価値あることであれば堅持しなければならない。あきらめてはならないのです。学問的根拠とは,それ自体では何も動かせず,人間の何らかの望ましい行為を支えることで世界を動かすのです。

 私は,修了・卒業の時に当たり,皆さんの一人一人が,それぞれの願いと主張を持ち,独善を戒めながらもこれを堅持し,社会人としても大学院生としても,世界に立ち向かっていくことを希望します。そのことにゼミでの研究が少しでも力になることを望みます。

2025年3月
産業発展論ゼミナール担当教員
川端 望

2025年3月22日土曜日

Jordan, K. H., Jaramillo, P., Karplus, V. J., Adams, P. J., & Muller, N. Z. (2025). The Role of Hydrogen in Decarbonizing US Iron and Steel Production. Environmental Science & Technologyを読んで

 Jordan, K. H., Jaramillo, P., Karplus, V. J., Adams, P. J., & Muller, N. Z. (2025). The Role of Hydrogen in Decarbonizing US Iron and Steel Production. Environmental Science & Technology.
https://doi.org/10.1021/acs.est.4c05756

 アメリカ化学会のジャーナルに載った論文「アメリカ鉄鋼業の脱炭素化における水素の役割」。この論文は,アメリカ経済全体でのCO2排出量ネットゼロ目標を念頭に置き,種々の条件下で鉄鋼業が2050年にネットゼロを達成しようとする場合の技術構成を検討する。その結果として,多くの研究や業界のテクノロジーマップで脱炭素の切り札と考えられている水素直接還元法(H2DRI)が,比較的限られた条件の下でしか大きな役割を果たさないことを示している。

 全文を読んでみたが,数々のシナリオでの技術構成の違いから見て,次のような選択が作用しているようだ。

 まず,全体としてスクラップ・電炉法(Scrap-EAF)が最大シェアを占めることは変わりない。さすがはすでに電炉比率7割のアメリカである。スクラップ供給制約がない場合はScrap-EAF法が2050年には100%になるとまでされている。他国では量的にも質的にも困難であるが,アメリカではこれに近いことも考えられるかもしれない。

 次に,高炉・転炉法(BF-BOF)法を脱炭素化する手立てとして最も低コストなのは炭素回収(CC)だと分析している。コスト最適なシナリオでは,2050年の製鋼はScrap-EAFとBF+CC-BOFがほとんどを占める。CCとその発展形である, バイオマス発電と結合した二酸化炭素回収(BECCS),大気からの二酸化炭素直接回収(DAC)が実用化すれば低コストになるというのがこの論文のポイントである。そしてこの条件はアメリカ以外では異なっているかもしれないとも指摘している。なお,日本等で開発中の高炉への水素吹込は考慮されていない。

 第三に,本稿では中央計画の観点から,水素をコスト効率の良い他のセクターに割り当てる結果になっている。限られた水素を,鉄鋼業だけでなく,他の産業でも活用することを視野に入れると,鉄鋼業での水素利用は不利という結果になるのである。「他の用途を考えると鉄鋼業で水素を使うのは適切とは言えないのでは」という疑問は,本学の冶金研究者からも発せられたことがあるが,本稿はアメリカについてそれを裏付ける結果となっている。

 第四に,本稿ではアメリカで開発中の溶融酸化物電解法(MOE。鉄鉱石を直接電気分解して製鋼する)が2040年ころには実用化されると想定している。そしてH2DRI法の強力なライバルと扱われている。

 CCの使用が制限された場合には,BF-BOF法は使えなくなる。そうするとH2DRIが拡大しそうなものだが,本稿では上記第3と第4の条件が入っているので,そうもいかない。H2DRIが大きな役割を果たすのは,CCが使えず,MOEが実用化されない場合に限られてしまうのである。

 この結論では,MOEの実用化想定が楽観的過ぎるように思える。しかし,それ以外はアメリカの条件を的確に反映している可能性がある。つまり,1)スクラップの入手可能性が高い,2)電力料金が安い,3)CCSの実行可能性,端的にCO2を安く埋め立てられるということである。他国の場合はどうなるかが気になるところである。

 なお,トランプ政権のように地球温暖化対策には極度に否定的な政権が続けば,そもそも2050年までのカーボンニュートラル規制が課せられなくなる可能性がある。これが本稿のすべてのシナリオにとって最大のかく乱要因だろう。


2025年3月7日金曜日

「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」完成版が研究年報『経済学』第81巻に掲載されました

  論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」が研究年報『経済学』第81巻に掲載されました。

 学説史的には二つのことを言っています。

*戦前から活躍していたマルクス経済学者である岡橋保の信用貨幣論は実は正しかった。近年唱えられている諸々の信用貨幣論よりも妥当なところが少なくない。

*日本銀行や全国銀行協会出身の研究者が,実務を論理化しようと出された著作群は,上記の岡橋説と類似しており,やはり基本的に正しかった。

 理論的には,以下のことを述べています。かなりの部分が,多数説に反しています。

*銀行の基本的機能は金融仲介ではなく,信用創造である。

*信用創造による貸し付けとは,商品流通に必要な貨幣の新規供給である。

*返済とは,商品流通に不要な貨幣の退出である。

*当座性預金は支払い手段として機能する限り貨幣の一種である。

*預金貨幣も中央銀行券も手形債務である。既に存在する現金を借りたことによる債務ではなく,支払い約束である。

*預金貨幣も中央銀行券も手形債務であり,信用貨幣である。金債務ではない。金債務ではないから,管理通貨制になっても信用貨幣のままである。

*預金は,誰かが現金を銀行に預けたときに生まれるのではない。銀行が貸付を行った際に生まれる。

*銀行券が発行されるのは,預金が引き出されることによってである。

*預金貨幣と銀行券は金貨でもないし兌換紙幣でもないが,商品流通の必要に応じて流通に入り,また出るという伸縮性を持つ。

*銀行部門全体にとっての準備金は,結局は中央銀行によって供給される。銀行が社会から集めた預金によって確保されるのではない。

*通貨価値が安定している限りにおいて,中央銀行は準備金を必要としない。

*民間金融システムによる信用の膨張だけでは,物価上昇は起きても厳密な意味でのインフレーションは起きない。

*マルクス経済学にも外生的貨幣供給説と内生的貨幣的供給説があり,金融システムについては内生的貨幣供給説が正しい。

researchmapからダウンロードいただけます
https://researchmap.jp/read0020587/published_papers/49303008

3/19追記。DOIが付き,東北大学機関リポジトリTOURからもダウンロードいただけるようになりました
https://doi.org/10.50974/0002003359






クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...