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2020年8月23日日曜日

「日本経済」講義におけるマクロ経済政策論の反省

 メモ。今回の「日本経済」講義内容で不足していた点の反省。

 アベノミクスが,事実上金融緩和一本やりで景気を浮揚させようとして,どこまで効果があり,どこから効果がなかったのかは明確にした。ケインズの流動性選好論と資本の限界効率の不確実性論を用いて,企業が投資をせずに現金・有価証券を積み上げ,個人が消費をしない(ただし低所得層については,端的に消費するお金がない)現状を示した。

 これ以上のことは金融政策ではできず,「低成長・人口減少・高齢社会」への不確実性と不安を和らげるような財政・社会政策が必要になる。財政は常時赤字でも問題はなく,プライマリー・バランス黒字化という政策目標にこだわる必要はない。ただし,それにかわって悪性インフレとバブルを起こさないための政策目標が必要である。

 ここまでは丁寧に講義した。問題はこの先だ。

 財政政策を用いるとしても,財政の量的拡張と質的組み換えは異なる。たまたまコロナ危機が襲来したために量的に拡張するしかない情勢となったが,コロナ危機以前の状態で,本来はどちらが重要なのかは重要な論点であった。そこがうまく言えなかった。

 注意しなければならないのは,アベノミクス下の「実感なき景気回復」では完全雇用は達成されていないのに,有効求人倍率は失業率は低いということだ。これは日本社会が高成長期以来一貫して「全部雇用」であることによる。大企業の雇用保蔵,家庭とパートを行き来する女性や高齢者,先進国最大の比率を持つ自営業セクターのため,不況になっても,景気回復が不十分でも失業率は低いのである(野村正實『雇用不安』)。

 失業率が低いということは,雇用の量的拡大策が有効に作用しないということを意味する。だから,ダムが無駄がどうかは別にしても,公共事業を拡大しても効果は薄い。現に昨年までそうなっていたように,人手不足なのに賃金が上がらず,非正規の賃金で生計を立てざるを得ない世帯は増え続け,貧困は拡大してしまう(これは雇用対策として効果が薄いという意味であって,老朽インフラのメンテなど有意義な公共事業もあることを否定していない)。

 こうなると,MMTが主張する雇用保障プログラム(JGP)も容易ではない。失業対策事業を政府が行なうと言っても,そもそも失業者があまりいなかったからだ(もっともコロナ危機で増えるとすれば,この方策は有効性を持つかもしれない)。

 このような状態では,財政政策を拡張するにしても,有効なのは公共事業による雇用創出策ではない。そうではなく,教育や医療や介護の負担を下げることや,非正規労働者の状態を改善することや税の累進性による再分配強化などにお金を使わねばならない。となれば,財政は量的にも拡張するとしてもそれは結果であり,むしろ重要なのは質的転換である。そういう風に理解するならばワイズ・スペンディングという言葉も的外れではない。

 せっかく全部雇用論や非正規拡大の傾向について論じたのだから,それによって有効な財政政策の中身が決まってくることを,もっと労働市場論と財政政策論を整合させる形で言うべきであった。そこが不十分だった。

 もう一つの問題は,このような政策による支出増と歳入の関係であった。必要な政策が公共事業拡張ではないとすると,(コロナ対策の給付金やや一時的減税は別として)むしろ恒常的な医療・教育・福祉・労働改革としてやるべきことが多い。そこに追加支出を伴うとすれば,それは景気対策としての一時的支出でなく,恒常的な支出になるということに注意しなければならない。景気循環に関わらない恒常的な支出と歳入の関係をどう設計するかだ。これは,MMTの財政赤字容認論に立つとしても,考える必要がある。

 なぜか。政府債務が存在し,増え続けること自体は問題ではない。債務を完済する必要もない。しかし,インフレ(為替レート下落を含む)とバブルは,歳入増・支出減によってチェックしなければマクロ経済は安定しない。MMTに立つとしても,財政を緩めるべき時に緩め,引き締めるべき時に引き締めるという必要性は変わらないのである。とすれば,恒常的な支出増を赤字国債で賄うことは慎重であるべきだ。景気循環を通して赤字を構造化させてもよい範囲というのは,理論的には存在する。しかし,実際にその許容水準をどう設定するかは非常に難しく,その検討を慎重に行わねばならない。

 この問題の難易度を下げるためには,反循環的税制により,好況期の税収増/支出減・不況期の税収減/支出増というビルト・イン・スタビライザーを強く作用させる必要がある。税の累進性や資産課税を議論する際に,再分配効果とともに景気循環への作用も考えねばならない。

 財政赤字容認論に立つにしても,景気対策の一時的支出増と恒常的支出増を区別した次元で論じることが不十分であった。

 もっとも,ここまでの答えを講義で述べていないからこそ,今後の財政・金融政策を考えさせるレポート課題を出すことができたともいえる。唯一正解のない話でも,授業で教員が自分の思う答えを言いすぎると,学生はその通りに答案を書いてしまう。あるところから先は自分で考えてもらう方がよい。その見極めが難しい。

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