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2019年8月2日金曜日

大学院に行くのは個人の私的選択であるから支援する必要はないという文科省Q&A

「高等教育段階の教育費負担新制度に係る質問と回答(Q&A)(2019年7月3日版)」より。
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Q67 大学院生は新制度の支援対象になりますか。
A67 大学院生は対象になりません。(大学院への進学は 18 歳人口の 5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では 20 歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。)
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 政府の文書に頭を抱えるのは日常茶飯事だが,これほどはらわたが煮えくり返ったのは久しぶりだ。

 このQ&Aが言わんとすることは,「同年代の者には平均的に言って稼得能力があるのだから,大学院生を支援する必要性は低い」ということだ。通常,授業料等の免除は当人やその属する世帯の収入が高いか低いかを問題にする。いま教育無償化論は敢えて脇に置いて唱えないことにするが,ともあれ普通は当人や世帯が低所得だから支援するのだ。ところが,ここでは当人でなく,同年代の者に稼得能力があるかどうかを問題にしている。

 なぜ,そんな回りくどいことを言うのか。考えられるロジックはただ一つ。「稼ごうと思えば稼げる年になってるのに,大学院にわざわざ行くのは個人の私的選択であって,とりたてて国が支援すべきものではない」というものだ。大学院生を育てて,研究者や技術者やマネージャーや起業家や公務員にすることの社会的意義などないというのだ。

 10兆歩譲って,財務省が言うならば,嗚呼また始まったよといなしてもいい。だが,文部科学省が言っているのだ。

 学部と大学院で全く扱いを同じにする必要があるかどうかは議論があるだろう。しかし,ことは根本的な考え方の問題だ。何歳の人間が大学院に入学するかは関係ない。また,その院生の高校や学部の同級生が大企業の社長か政治家や高級官僚(の給料は大したことがないか)か何かで大儲けしていようが,それは関係ない。一定の優秀な院生を育成して社会に送り出すことが重要なのではないか?そのために,一定人数は,当人の経済状態にかかわらず研究できるように支援すべきではないのか。文科省は,そういう見地から大学院大学化を推進し,大学院出身者の多様な進路の開拓を活躍を目指してきたのではないのか?

 ところが今回のQ&Aは,いや,そんなことは重要ではない,大学院に行くのと趣味の有料サークルに入るのは同じ私的選択だと言っているのだ。くりかえすが,財務省の自己責任主義,財政赤字削減至上主義のプロパガンダでなく,修学支援制度に関する文部科学省の解説文書が!

注:この投稿はQ&Aの考え方を批判したものだが,大学院生に対する授業料免除が一切なくなると絶望的な解釈をしているわけではない。新修学支援制度の実施によって,大学院生を含んでいる従来の授業料免除制度が完全に上書きされてなくなってしまうのかどうか,まだ未解明かつ未決定な部分がある。はたの君枝議員(共産)は文科省の担当者に「文科省としては各大学の大学院生対象の授業料減免への国からの支援は続ける方向で検討していることを確認しました」とツイートしている。来年度予算で必要な措置がとられるように運動と働きかけを強める必要があるだろう。


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