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2021年8月10日火曜日

2021年8月3日火曜日

「目の前には資本主義しかない」:ブランコ・ミラノヴィッチ(西川美樹訳)『資本主義だけ残った:世界を制するシステムの未来』は何を語るか

 ブランコ・ミラノヴィッチ(西川美樹訳)『資本主義だけ残った:世界を制するシステムの未来』みすず書房,2021年。本書は,骨太な現代資本主義論であり,様々な角度から検討すべき論点を含んでいる。一度に整理できないので,何度かに分けてノートしたい。

 まず今回はタイトルについて。現代はCapitalism, Alone: The Future of the System That Rules the Worldである。このメインタイトルに「だけ残った」というニュアンスはあるのだろうか。「だけ残った」というのは,端的に「社会主義が消えて」ということのように思えるのだが,本書の趣旨は「残った」と言う「過去から現在へ」の視線ではないと思う。副題が示すように,「現在から未来へ」の視線で資本主義を捉えているのだ。直訳すれば「資本主義だけがある」であり,ニュアンスとしては「資本主義だけの世界」「資本主義しかない現実」「ただ資本主義だけが存在する、いま」ではなかろうか。

 われわれの目の前には資本主義しかない。なぜなら中国も資本主義だと著者は考えているからだ。資本主義の主要なタイプを著者は「リベラル能力資本主義」(liberal meritocratic capitalism)と「政治的資本主義」(political capitalism)に二分する。一方において,著者はいわゆる西側の資本主義国における従来の分類,たとえばアングロサクソン型,ライン型などの分類をとらず,アメリカを代表として欧米先進諸国はみなリベラル能力資本主義であるとする。さほど明確に述べていないが,日本もここに含まれるのだろう。他方において,著者は中国は資本主義であり,政治的資本主義の典型であると断言する。そして,シンガポール,ベトナム,ビルマ,ロシアとコーカサス諸国,中央アジア,エチオピア,アルジェリア,ルワンダにも政治的資本主義が存在するという。

 ここで著者は資本主義について独特な定義をしているのではなく,マルクスとヴェーバーによって,社会で生産の大半が民間所有の生産手段を用いて行われ,労働者の大半が賃金労働者であり,生産や価格設定についての決断の大半が分散化した形でなされているのが資本主義だというだけである。だから著者にとっては,アメリカも市場経済化した中国も資本主義なのだ。

 二つの資本主義には違いもある。リベラル能力資本主義は,古典的資本主義や社会民主主義的資本主義と区別されるものである。キャリアが才能ある者に開かれているという点で「能力主義」であり,社会的移動性が存在するという意味で「リベラル」とされる。しかし,リベラル能力資本主義は,資本主義一般と同じく不平等をもたらす傾向がある,その上二つの独自性,つまり資本所得の金持ちが労働所得の金持ちでもあること,金持ち同士が結婚することにより,いっそう不平等を強化するのだという。他方,政治的資本主義は,支配政党やイデオロギーがどうあれ資本主義である。ただし政治的資本主義は「優秀な官僚」「法の支配の欠如」「国家の自律性」というシステム的特徴を持つのだという。こちらにも不平等はあるが,システムに独自な問題はむしろ腐敗である。

 目の前には資本主義しかない。ただし,大きな違いを持つ二つのタイプの資本主義がある。そして,資本主義しかないことそれ自体はしばらく変わらないだろうが,二つのタイプの資本主義には,重点は違えどともに不平等と腐敗という問題があり,それぞれ独特の矛盾も存在する。二つの資本主義が,今後はどのような資本主義になるかは,いろいろな選択肢があり得る。ただし,資本主義とはいずれもエリート層が支配するものであるから,その変化とは,効率の良いものへの自動的変化ではない。エリート層が,あるいはその支配に対する他の人々が,自らの立場を貫徹しようとする選択と行動の結果である。

 以上は本書が描く大まかな世界像の紹介である。あえて言えば,邦題によって,とくに私を含む一定以上の年齢層の読者が「資本主義しかないよなあ,そうだよなあ,しかたないよなあ。社会主義って何だったんだろうなあ」という本だと思い込んでしまわないための紹介である(そういう話もあるがメインではない)。そうではなく「気がつけばどこを見てもおおむね二つの資本主義しかないんだけど,一体,これからどうしろというんだ」という本なのだ。だから面白い,と私は思う。もちろん,面白いということと,著者の分析に賛同するということは異なる。考察と評価は,他日を期したい。

https://www.msz.co.jp/book/detail/09003/

2022年8月4日追記:読み終えてのノート
「資本主義は私的領域まで商品化・市場化し,経済的ユートピアと人間関係のディストピアを築くのか:ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』最終章によせて」Ka-Bataブログ,2022年8月4日。






2021年7月16日金曜日

脱炭素時代に日本鉄鋼業はどう変わるか(『Value One』No.73,株式会社メタルワン,2021年7月15日掲載原稿)

  メタルワン社の広報誌『Value One』No.73,2021年7月に寄稿した原稿を,許諾を得て公開します。

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脱炭素時代に日本鉄鋼業はどう変わるか

 2020年から2021年にかけて,日本の地球温暖化・気候変動に対する取り組みは新段階に突入した。すなわち,日本政府は2050年カーボンニュートラルを宣言し,温室効果ガス(GHG)排出を2030年度に2013年度比46%削減するという目標を設定したのである。地球温暖化対策推進法も改正され,「我が国における2050年までの脱炭素社会の実現」が明記された。これらの目標は,パリ協定に基づく取り組みに立ち遅れた日本がキャッチアップを図るものであるが,鉄鋼業にとっては,これまでよりレベルの高い脱炭素の方策を迫られることを意味している。

 すでに高炉メーカー3社は2050年カーボンニュートラル達成を方針化しており,コミットメントを明確にしている。問題は,カーボンニュートラルやゼロカーボンを達成するための様々な技術が様々な段階にあり,かつ全体としてまだ見通しがついていないことである。当面どのような既存技術を用い,中長期にはどの技術をどのようなペースで開発し,どのように組み合わせて実機化するかの戦略的な選択が求められている。

 現在,革新的高炉用原料であるフェロコークス,部分的水素還元とも言うべき革新的高炉技術COURSE50が開発中であるが,直接のCO2排出削減効果は10%にとどまる。そのため,さらなる超革新技術の開発も求められており,水素還元比率を向上させるSuper COURSE50,さらに石炭を用いない水素直接還元製鉄が構想されている。しかし,COURSE50でさえ実機化されるのは2030年とされており,次々世代技術の開発にはいっそう時間がかかる上,不確実性も伴う。開発を進めるとともに既存技術も活用するのが現実的な方法であって,CO2排出原単位の低い電炉法の適用を拡大することが不可避である。日本製鉄が大型電炉での高級鋼製造を目指すと明言したことは,柔軟な技術ミックスへの第一歩となろう。

 カーボンニュートラル,そしてゼロカーボン実現をめざして変化するのは製鉄技術だけではない。再生可能エネルギーによる電力のゼロエミッション化はもちろん,廉価な水素の大量製造,CCS/CCU(二酸化炭素回収・貯留・利用)の実用化など関連技術の発展,それとの結合が必要である。したがって,鉄鋼事業と他の事業との連結性にも変化が生じる。すでにヨーロッパで鉄鋼メーカーと電力会社との提携が始まっているように,業種を超えたプロジェクトが有効となるだろう。

 制度設計に由来する課題も発生する。一方において,鉄鋼業はカーボンプライシングや排出キャップの設定という政策課題に向き合わねばならない。また,製造プロセスからのCO2排出が残る間は,カーボンニュートラルのためにオフセットへの取り組みが必要となる。他方において,鉄鋼業の立場からは,水素還元という未踏の領域に挑むための公的支援,またエコプロダクトや海外へのエコソリューションの貢献を排出削減にカウントする手法と制度が求められるだろう。

 事業が変化し,事業と事業の連結性が変化し,制度が事業を必要とする。地球温暖化防止への取り組みが,鉄鋼業の姿と境界線を変えていくだろう。そこに,商社の貢献すべき空間も生まれる。温暖化防止が人類的課題となった時代の経営理念を探ること。GHG排出削減と事業発展が両立するビジネスモデルを構想し,鉄鋼業と関連産業の融合を図ること。GHG削減の貢献が制度と市場で評価されるような,ファイナンスや取引の仕組みを作ること。やるべきことは多い。カーボンニュートラルに貢献しながら付加価値を生み出していくための,事業創造が求められるのである。



2021年7月15日木曜日

Book review: Matthew C. Klein and Michael Pettis, Trade Wars Are Class War: How Rising Inequality Distorts the Global Economy and Threatens International Peace, Yale University Press, 2020

Matthew C. Klein and Michael Pettis, Trade Wars Are Class War: How Rising Inequality Distorts the Global Economy and Threatens International Peace, Yale University Press, 2020 (The reviewer read the Japanese version translated by Eri Kosaka, published by Misuzu Shobo). This book has two theoretical backbones. One is "The General Theory of Employment, Interest and Money" by J. M. Keynes. The other is "Imperialism" by J. A. Hobson. Especially the author respects the latter. The book opens with a quote from Hobson, and the preface praises Hobson's insights.

 Why Hobson? Using the examples of China and Germany (and with Japan in mind), the author unravels the secret of the persistence of current account surpluses by using the term I-S balance, but differently than in conventional macroeconomics.

 The logic of the book, with some interpretation of mine, can be summarized as follows.

 A persistent savings surplus cannot be explained as the result of individuals saving and depositing. It should be seen as the result of the suppression of consumption in the country due to distributional inequality.

 The persistent current account surplus cannot be understood from the perspective of merchandise trade itself. First, excess savings are invested outward. Excess savings is what Hobson calls an "excess capital”. They create excess demand as unhealthy investment projects are carried out abroad. Excess demand, in turn, creates excess exports at home. Capital exports support commodity exports, not the other way around.

 Therefore, it is essential to raise people's income and revise inequality in countries with current account surplus, such as China, Germany, and Japan, to eliminate structural imbalances. Such measures increase domestic consumption and eliminate excess savings. This solution is just what Hobson emphasized.

 The arguments in this book are clear and persuasive. In particular, the reviewer thinks that the perspective of excess capital leads to meaningful insight. First, capital with no domestic investment destination is invested overseas, and then the purchasing power generated by that investment leads to commodity exports. This perspective reverse traditional thinking that commodities are exported first, and then the surplus is invested overseas. This book gives us a new approach to analyzing the world economy based on macroeconomic balance.

 Of course, some points need to be reconsidered. The emphasis on the active role of outward investment from surplus countries may lead to undervaluation of the role of financial institutions and corporations in organizing investment for unsound projects in deficit countries, such as the United States. Theoretically speaking, excess savings wandering around in search of investment is not a sole financing measure for investment. Money creation by bank loans is also an important measure.

 In addition, the author may be torn between the view that "investment generates the same amount of savings" and the view that "volume of saving limits investment." 

 However, even those questionable points are stimulant for readers. This book makes us aware of the importance of these theoretical issues to analyze the current world economy. It will be the mission of subsequent studies to solve the remaining puzzles.




マシュー・C・クレイン&マイケル・ペティス(小坂恵理訳)『貿易戦争は階級闘争である:格差と対立の隠された構造』みすず書房,2021年を読んで

 マシュー・C・クレイン&マイケル・ペティス(小坂恵理訳)『貿易戦争は階級闘争である:格差と対立の隠された構造』みすず書房,2021年。本書を理論的に導くのはJ・M・ケインズ『雇用,利子および貨幣の一般理論』とともにJ・A・ホブスン『帝国主義論』,とくに後者である。私が勝手に言っているのではない。本書冒頭にはホブスン(訳書表記はホブソン)からの引用が掲げられ,序文ではホブスンの洞察力が称えられている。

 なぜホブスンか。著者は,中国とドイツを例に(日本も念頭に置いて),経常収支黒字が継続することの秘密を,I-Sバランスの用語を用いて,ただし通常のマクロ経済学とは異なる仕方で用いて解き明かしているのだ。

 本書の論理を,多少の解釈を加えて強引に要約すると以下のようになる。

 継続的な貯蓄余剰は,個人がせっせと節約して預金した結果としては説明できない。分配の不平等により,その国の消費が抑圧された結果と見るべきである。

 継続的な経常収支黒字は,商品貿易それ自体からでは理解できない。まず過剰貯蓄が対外投資される。ホブスンの言う「資本の過剰」である。それによって不健全な投資プロジェクトが海外で実行されることで超過需要が生まれ,それによって自国の輸出超過が生じる。資本輸出が商品輸出を支えるのであって,逆ではないのだ。

 したがって構造的不均衡をなくすためには,中国,ドイツ,日本など経常収支黒字国での賃金抑圧をはじめとする不平等な分配を改善して国内の消費を高め,過剰貯蓄を解消することが不可欠である。これもホブスンが強調したことにほかならない。

 本書の主張は極めて明快であり,説得力は強力だ。とりわけ,「まず商品が輸出され,その黒字が海外投資される」のではなく,「まず国内に投資先のない資本が海外投資され,そこで生み出された購買力が商品輸出をもたらす」という視点は,マクロバランスに基づく世界経済分析を刷新するものだと思う。

 むろん検討すべき点はある。経常収支黒字国側の対外投資の能動的役割を強調し過ぎると,アメリカを代表とする経常収支赤字国の側において,不健全なプロジェクトへの投資を組織する金融機関と企業の役割を過小評価することになるかもしれない。理論的に言えば,投資をファイナンスするのは,投資先を求めてさ迷う貯蓄だけではない。信用創造を通した借り入れによる通貨膨張によってもファイナンスされるはずだ。さらに言えば,著者は「投資が同額の貯蓄を生み出す」と見る見地と「現存する貯蓄が投資の量を制約する」という見地の間で迷っているようにも見える。

 しかし,これらの問題点すら読者の思考を刺激してくれる美点である。これらの理論的諸問題が現状分析にとって持つ重要性に気づかせてくれること自体が,本書の功績なのだ。残されたパズルを解くのは後に続く研究が負うべき使命である。



2021年7月1日木曜日

『未来をつくる!日本の産業(全7巻)』ポプラ社のうち2巻を産業学会が監修しました

 『未来をつくる!日本の産業(全7巻)』ポプラ社刊。一体何事だとお思いでしょうが,産業学会で「4 軽工業」と「5 重化学工業・エネルギー産業」の2冊を監修したのです。でも,私がやったわけではなく,他の理事の先生が苦労されました。

出版社サイト
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/7223.00.html





2021年6月27日日曜日

川端望・銀迪「現代中国鉄鋼業の生産システム: その独自性と存立根拠」を『社会科学』(同志社大学人文科学研究所)に発表しました

 同志社大学人文科学研究所発行の『社会科学』誌に,院生の銀迪さんとの共著論文を発表しました。極度の鉄鋼オタク論文ですが,一応,生産システムの理論的考察を深めたつもりです。また実証的には,21世紀初めの中国鉄鋼業の爆発的成長は大型高炉一貫システムだけによって担われたものではなく,むしろその中心には,中低級品の需要に対する中小型高炉一貫システムによる供給があったこと,誘導炉によるインフォーマル極小ロット生産も相当な寄与をしていたことを明らかにしました。それは技術水準が低かったことをあげつらっているのではなく,その逆で,これらの中小型システムが需要に応えたのだから経済的には合理的だったと評価しています。

 次の問題は,企業・産業レベルで視た場合にはどのような企業が鉄鋼生産を担っていたかということです。そして,このように建設用を中心とした中低級品の需要に民営企業が応えようとしていた時に,政府が実行した産業政策はどのような目的と内容を持ち,どのような役割を果たしたかです。これらは,銀さんが主要著者となって論じる予定で,前者はディスカッション・ペーパー,後者は学会報告までできています。私は,これらの研究が論文として仕上がるように,ここからは支援に徹します。


川端望・銀迪(2021)「現代中国鉄鋼業の生産システム: その独自性と存立根拠」『社会科学』51(1), 同志社大学人文科学研究所,1-31。 

こちらが続編のDP版
銀迪・川端望(2021)「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造 ―巨大企業の市場支配力と小型メーカーの成長基盤の検証―」TERG Discussion Paper, 452, 1-34。



2021年6月15日火曜日

日本製鉄における国際競争の論理:伸びる市場と縮む市場

  日本製鉄の橋本英二社長が中国鉄鋼業との競争の厳しさを盛んに訴えているが,日本国内では反応が鈍い。これは,他の産業と異なり,中国製鋼材に日本市場にあふれているわけではないからだろう。実は,中国政府自体も貿易摩擦を警戒するのと脱炭素のため,鉄鋼輸出を抑制しているの現実だ。

 それでは中国鉄鋼業との競争とは虚構の煽り文句なのかというと,そうではない。中国製品が海外にあふれるというのとは違う形で起こっているのだ。以下のグラフでお分かりの通り,コロナ以前から鉄鋼需要は中国とインドで伸びていて,日本やその他の地域計では伸びていない。そして,中国とインドの鉄鋼業は,すでに伸びた需要の分を国産化するくらいの競争力は持っている。ということは,他国の鉄鋼業が,拡大する中国とインドに割り込みにくくなっているということである。しかし,それ以外の地域は成長していない。これが,中国およびインド鉄鋼業との競争である。

 この壁を超える方法はクロスボーダーM&Aである。つまりインドか中国で生産拠点と販売ルートを手に入れてしまえばいい。しかし,中国は鉄鋼業への過半数出資禁止を解除したばかりであり,政治情勢から見ても入りにくい。だからこそ日鉄はアルセロール・ミタルと共同でインドのエッサールを買収して,AM/NS Indiaを設立したのである。これにより合弁ながら粗鋼生産能力960万トンを獲得した。一方,コロナ危機を経て日本では2025年度までに1000万トンを削減すると発表している。瀬戸内製鉄所(旧呉製鉄所)は丸ごと廃止され,九州製鉄所八幡地区小倉(旧小倉製鉄所)も非一貫化する。鹿島も高炉1基が止まる。伸びる市場を獲得し,すぼむ市場からは足を抜いていく。日鉄の目指すところは国内生産4400万トン,海外生産5000万トンという内外逆転である。



『産業学会研究年報』第36号刊行

 『産業学会研究年報』第36号,発行されました。今号は,査読制度改革後の最初の号です。「招待論文」「投稿論文」のそれぞれの性格を明確にしました。また書評選考プロセスを改革し,NDL-ONLINEを用いて会員著作を見逃さないようにしました。論文10本,書評15本が掲載されています。

 編集委員長になってから3冊目を無事に発行出来て一安心です。なお,昨年発行の第35号はJ-Stageで公開されました。
■ 招待論文
□ ふくしま医療機器クラスターの現状と課題,今後の動向(石橋毅)
■ 投稿論文
□ 日本における介護ロボットの普及課題-ビジネス・エコシステムの視点に基づいて-(北嶋守)
□ 医療機器におけるAM技術の普及-中小製造業を事例にして一(藤坂浩司)
□ テスラの事業戦略研究・序説(佐伯靖雄)
□ カーエレクトロニクス部品の国内需要に関する試算-産業連関表におけるデバイス製品からの推計-(太田志乃)
口 自動車部品ビジネスにおけるトップ・セールスの有効性について-人脈による企業間関係構築の媒介性と速度感の視点からの考察-(宮川正洋)
□ 日本の法人向け自動車販売における企業間関係(岸田淳)
□ 周辺地域における航空機部品受注と次世代航空機への対応一秋田県を事例として一(山本匡毅)
□ ファーストリテイリングのSDGsに向けての未来戦略(畑中艶子)
□ デザイン経営における感性のマッチング-岩手県内中小企業における実験的取組みに基づく実証研究からの考察-(三好純矢・近藤信一)
■書評
塩地洋・田中彰編著『東アジア優位産業:多元化する国際生産ネットワーク』中央経済社,2020年3月(赤羽淳)
前田啓一・塩地洋・上田曜子編著『ASEANにおける日系企業のダイナックス』晃洋書房,2020年10月(肥塚浩)
明石芳彦『進化するアメリカ産業と地域の盛衰』御茶の水書房,2019年3月(川端望)
公文溥・糸久正人編著『アフリカの日本企業:日本的経営生産システムの移転可能性』時潮社,2019年3月(小林哲也)
中島裕喜『日本の電子部品産業』名古屋大学出版会、2019年2月(佐伯靖雄)
山﨑朗編著『地域産業のイノベーション・システム:集積と連携が生む都市の経済』学芸出版社,2019年2月(松原宏)
奧山雅之『地域中小製造業のサービス・イノベーション : 「製品+サービス」のマネジメント』ミネルヴァ書房,2020年5月(山﨑朗)
加藤秀雄・奧山雅之『繊維・アパレルの構造変化と地域産業 : 海外⽣産と国内産地の行方』文眞堂,2020年8月(杉田宗聴)
赤松裕二『フルート製造の変遷 : 楽器産業の製品戦略』大阪公立大学共同出版会,2019年11月(中道一心)
久保隆行『都市・地域のグローバル競争戦略-日本各地の国際競争力を評価し競争戦略を構想するために-』時事通信社、2019年1月(杉浦勝章)
李澤建『新興国企業の成長戦略: 中国自動車産業が語る"持たざる者"の強み』晃洋書房,2019年11月(上山邦雄)
石鋭『改革開放と小売業の創発:移行期中国の流通再編』京都大学学術出版会,2020年3月(田中彰)
十名直喜『人生のロマンと挑戦 : 「働・学・研」協同の理念と生き方』社会評論社,2020年2月(熊坂敏彦)
中瀬哲史・田口直樹編著『環境統合型生産システムと地域創生』文眞堂,2019年3月(中山健一郎)
日野道啓『環境物品交渉・貿易の経済分析 : 国際貿易の活用による環境効果の検証』文眞堂,2019年12月(堀井伸浩)

2021年5月21日金曜日

銀迪・川端望「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造 ―巨大企業の市場支配力と小型メーカーの成長基盤の検証―」を公表しました。

 ゼミ生の銀迪さんが第一著者のディスカッション・ペーパーを発刊しました。このペーパーは,私を第一著者としてまもなく『社会科学』(同志社大学人文科学研究所)に出る論文と対をなし,高成長期中国鉄鋼業の生産システムと企業・産業構造を論じます。画像は本稿の分析枠組みを示すもので,6ページに掲載されています。



銀迪・川端望(2021)「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造 ―巨大企業の市場支配力と小型メーカーの成長基盤の検証―」TERG Discussion Paper, 452, 1-34。



岡橋保信用貨幣論再発見の意義

  私の貨幣・信用論研究は,「通貨供給システムとして金融システムと財政システムを描写する」というところに落ち着きそうである。そして,その前半部をなす金融システム論は,「岡橋保説の批判的徹底」という位置におさまりそうだ。  なぜ岡橋説か。それは,日本のマルクス派の伝統の中で,岡橋氏...