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2023年10月25日水曜日

ウォルター・アイザックソン著(井口耕二訳)『イーロン・マスク(上)(下)』文藝春秋,2023年を読んで

 スティーブ・ジョブズの伝記と言い,今回のイーロン・マスクの伝記と言い,著者のウォルター・アイザックソンが考えていることは,次の箇所に集約されていると思う。

「自信満々,大胆不敵に歴史的な偉業に向けて突きすすむなら,ひどい言動や冷酷な処遇,傍若無人なふるまいも許されるのだろうか。くそ野郎であってもいいのだろうか。答えはノーだ。もちろんノーだ。同じ人でもそのいい面は尊敬し,悪い面はけなす。それはそんなものだろう。ただ,ひとりの人を形作る糸はより合わさっている。それこそ,きっちりとより合わさっている場合もある。布全体を全部ほどくことなく闇の糸を抜くことは難しかったりするのだ。」(邦訳,下,p. 435)

 ジョブズとマスクには具体的なところでは共通点も違いもある。マスクはエンド・ツー・エンドに仕上げようとするところはジョブズと同じだが,工学系の人間であり,エンジニアリングでも製造でも自ら現場指揮を執るところは違う。物理的なところも自ら見られるので,現場に行かないエンジニア,製造を知らない設計者を許さないという特徴もある。限界まで激しく,現場に詰めて寝ずに働くシュラバそれ自体を価値あるものとする点はジョブズより極端である。製品に対する美意識の強さは同じだが,マスクはコスト意識が極めて強く,無茶なほど設計簡素化と省略を強要するところが違う。家族に対する態度は,形は違うようでところどころ無茶苦茶なのは同じとも言えて,これは何とも言い難い。

 経営学の研究者からすると,マスクがエンジニアリングと製造のシームレス化や改善や激しい働き方についてやっていることは,ある意味ではかつての日本の企業人と似ていると考えることもできる。ただ,自分と優れたエンジニア数名が主役となり,現場を駆け回って命令しながら成し遂げようとするところは違う。上から下まで誰にでも合理的説明と工夫をさせようとする点はかつての日本企業と似ているが,それを自らの一方的命令で行い,うまくいかなければ速攻で解雇して人を入れ替えるところは違う。

 実は私は,何だかんだ言っても少量生産であるスペースXはとにかく,一般顧客向け大量生産のテスラをどうやって成り立たせたのかが不思議でならず,本書を買った。答えは,「自分と何人かの専門家が総出で現場で徹夜で監督する+説明と改善をすみずみまで強要する+能力不十分なら速攻で解雇して速攻で補充採用する」のように見える。それで何とかなるはずはないだろうと思う一方で,本書を読むと何とかなりそうにも思えてくるから不思議である。まだ半信半疑だが,確かにすごいと思う。

 スペースXやテスラに関する章に比べると,ツイッターに関する章は読んでいて気持ちが悪い。著者がカンパしたように,マスクはスペースXやテスラと同じようにツイッターもテック企業だと思い込んでいたが,実はコミュニケーション企業だったのだ。スペースXやテスラでは,マスクがダメだと思い込んだ人間をクビにして設計や製造の仕方を変えれば済むが(それでもどうかとは思うが),ツイッターの場合,マスクの不用意な言動で,轟轟たる中傷を浴びねばならなくなる人が発生するところは,本書で最も嫌な気持ちになった部分である。

 結局は冒頭に引用したアイザックソンの言葉に尽きるのだが,私の関心は上記のようなところにあった。それぞれの関心から読めば,きっと面白く,また考えさせられる本だと思う。


ウォルター・アイザックソン著(井口耕二訳)『イーロン・マスク(上)(下)』文藝春秋,2023年。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917306




2023年10月20日金曜日

Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigationを読む:日本鉄鋼業に難問を突き付けるシミュレーション

 Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigation. Energy Conversion and Management, 254, 115268.
https://doi.org/10.1016/j.enconman.2022.115268


 これは日本鉄鋼業に難問を突き付ける論文である。オープンアクセスなので,誰でも読める。

 本研究は,西オーストラリアのピルバラ地域において製造されるグリーン水素を,日本とオーストラリアのパートナーシップの下,両国のどちらかで水素直接還元製鉄・電炉製鋼(H2DRI-EAF法)に利用するとして,どの工程をどちらに立地した場合に,エネルギー消費と鉄鋼製造コストがどうなるかをシミュレーションしたものである。輸送やエネルギー転換の際に,水素を液化水素にするか,アンモニアにするかについても比較している。時点は2030年と2050年である。使用する鉄鉱石についてはどれも同じ条件である。

 研究結果を立地についてだけ紹介する。パターンは以下の3つである。

SC1:太陽光発電,水の電気分解による水素製造をピルバラで行ない,液化水素またはアンモニアとして日本に輸出。日本で水素製鉄と電炉製鋼を行う。

SC2:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄までピルバラで行い,海綿鉄(HBI),液化水素またはアンモニアを日本に輸出。日本で電炉製鋼を行う。

SC3:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄,電炉製鋼をピルバラで行い,鉄鋼半製品を日本に輸出する。

図解はFig.1にある

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr1_lrg.jpg

注1:日本で製鉄・製鋼を行う場合も,ピルバラで製造された水素や,そこから燃料電池で製造された電力を用いると想定。

注2:海上輸送においても,燃料電池を船用動力とし,動力源としてピルバラで製造された水素をもちいる。

 その結果は以下のFig. 3のとおりである。

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr3_lrg.jpg

 2030年でも2050年でも,また液化水素を用いてもアンモニアを用いてもSC1よりSC2,SC2よりSC3の方がエネルギー消費が小さく,鉄鋼製造コストも低い。つまり,ピルバラにグリーン水素製造から製鉄,製鋼まで集中立地した方が効果的だというのである。ただし,従来の化石燃料ベース,つまり石炭・コークスで鉄鉱石を還元する高炉・転炉法と比較すると,省エネにはなっているが,コストは高い。ピルバラでのグリーン水素製造を起点としたグリーンスチール生産のためには,一定のカーボンプライシングが必要である。ただし,2050年のSC3では,カーボンプライシングがなくとも高炉・転炉法と競争できるようになると予測されている。

 ここから私見である。本論文の通りであれば,このシミュレーションの前提に立つ限りにおいて,適度にカーボンプライシングがかけられた場合,オーストラリアから鉄鉱石と原料炭を輸入し,日本の製鉄所で製鉄,製鋼を行うという従来の日本鉄鋼業の方式は成り立ちがたいということになってくる。これは日本に立地するという意味での日本鉄鋼業にとっては,深刻な将来像と言わねばならない。もちろん,日本でピルバラよりも安価にグリーン水素が製造されれば,このシミュレーションと異なる将来像も描けるが,これまでのところ,その見通しはたっていない。

 このシミュレーションが妥当であるとした場合に,日本の鉄鋼企業や,水素製鉄のサプライチェーンに関わる諸企業(エネルギー企業,商社,海運業,そして,鉄鋼業の新規参入候補)の選択肢はどのようになるかを考える必要がある。

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0196890422000644?via%3Dihub

グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路(英語論文の日本語原稿を公開)

 論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」をThe Japanese Political Economy誌に発表いたしました。日本語原稿を以下で公開していますので、ご利用ください。

https://www2.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/paper/GreensteelAMJapanese.pdf


要旨

本稿は,日本の鉄鋼メーカーが環境に配慮した鉄鋼生産,すなわちグリーンスチールを追求するために選択した技術経路を検証した。この経路は、国際エネルギー機関(IEA),日本政府,公的機関,経済団体,鉄鋼メーカーの文書を分析することによって特定される。分析結果は,高炉・塩基性酸素転炉(BF-BOF)技術を利用する日本の銑鋼一貫メーカーは,グリーンスチールのための技術開発と設備投資で遅れをとっていることを示している。これらの企業は,自社の固定資本の価値や,高級鉄鋼メーカーとしての評判を維持するために,CO2排出量の多い高炉技術に固執してきた。その結果,CO2排出量の少ない電気炉(EAF)方式への移行が遅れ,またゼロエミッションが期待できる水素直接還元法の開発で遅れを取っている。しかし,パリ協定や日本政府によるカーボンニュートラル宣言によって,こうした姿勢の見直しが迫られている。このケースは,環境の政治経済学の理論や,大企業の新技術に対する保守的なアプローチに関する理論が,グリーンテクノロジーの出現の時代にも通用することを物語っている。

 正式の英語版は以下でダウンロードできます(オープンアクセス)

Nozomu Kawabata, Evaluating the Technology path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162



2023年10月11日水曜日

労働調査という先達:産業調査論の開講にあたって

 「産業発展論特論」という大学院講義科目で,産業調査論の授業を始めた。それにあたって,参考に「戦後日本の労働調査〔分析篇覚書〕」『東京大学社会科学研究所調査報告』第24集,1991年1月を通読した。1945-68年まで,東大社研を中心に行われた労働調査を,60年代末から70年代前半にかけて労働調査論研究会の研究者が振り返って考察したものである。

 残念ながら,私の不勉強により,この時期の調査の成果自体はほとんど未読である。そのため,この分析篇覚書に収録された報告も,理解できているとは言い難い。

 ただ,何となくわかることもある。山本潔氏が掲げた図(2枚目画像。本書220ページ)と,社研労働調査について,世代の異なる二人の研究者が私に話してくれたことのおかげである。一人は大阪市大で同僚であった何歳か年上の植田浩史氏である。私は1990年代に産業調査の方法を植田氏から教わったが,植田氏は山本氏から教えを受けたはずである。もう一人は東北大で同僚であった,さらに一世代上の野村正實氏であり,彼から聞いたことはいわば私にとって神々の領域である。

 東大社研の調査が労働調査であったのは,そこにいた研究者が社会政策・労働問題をたまたま専門としていたという事情によるのではない。戦後の状況の下で,社会生活を編成し,組織していくのが労働者であり,労働運動であり,労働組合であろうという問題意識を,研究者の多くが持ち得たからである。それは,程度の差や理解の仕方のバラエティがあったにせよ,マルクス派社会科学の枠組みに沿って当時の現実が理解されていたからである。

 しかし,戦後日本社会の現実の展開は,労働運動と労働組合の役割を限定的なものとした。本書の元になった報告が行われた1970年前後でさえそうであり,その後についてはなおさらであった。労働問題・労使関係は,日本社会の全体を規定するものとしてでなく,一つの専門領域として研究されるようになっていった。そして,社会生活を大きく規定する主体として立ち現れたのは,企業であり経営だったのである。経営が独立変数であり,労働は従属変数となっていた。社研調査のテーマの変遷は,そのことを承認して視点を企業へとシフトさせていったことを示しているように思う。

 このような変遷の中で,山本潔氏が行っていた労資関係研究と中小企業研究のうち,植田氏は後者を受け継いだ。それでも植田氏は『大阪社会労働運動史』の執筆や光洋精工社史の執筆において労働組合にも調査に行っていたはずである。しかし,彼にくっついて実態調査に入った私の場合,最初から調査に行くべき相手は企業であり,経営であった。「企業経営が,労働と生活をどのように規定しているか」という因果関係の調査を通してしか,現実に対する肯定も批判もしようがないと,当時の私には思われたのである。こうして,私のささやかな産業調査は始まった。






2023年10月4日水曜日

東北大学は,論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」の提出により,玉川寛治氏に博士(経済学)の学位を授与しました

  東北大学大学院経済学研究科は,2023年8月24日の教授会において,博士論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」の提出により,玉川寛治氏に博士(経済学)の学位を授与することを決定しました。審査は,結城武延(主査),川端望,阿部武司の3名が行いました。この学位論文は,10月2日に東北大学機関リポジトリTOURにて公開されました。シェア先で全文PDFをダウンロードいただけます。

 本論文は,歴史ミステリーもかくやと思わせるような謎解きとなっています。著者は「日本綿の繊維の短さが初期日本紡績業の困難の最大要因であった」というシンプルな命題の真実性を明らかにし,これを軸に,技術史,経済史上の謎を次々と解き明かしていきます。関心のある方はぜひご覧ください。審査の詳細は日本経済史専門の結城,阿部先生にリードしていただきましたが,本論文の審査に携われたことは,私にも大変な幸いであり,学びとなりました。

 「本論文は、著者の長年にわたる研究の集大成として執筆されたもので、極めて独創性が高く、実証的にも確度の高い研究成果である。すなわち、技術史及び産業考古学の観点から当時の紡績技術と生産工程を復元・再構成した上で、日本綿の繊維の短さが初期日本紡績業の困難の最大要因であったことを明らかにし、さらに紡績業者がその事実を認識して原料転換と新たな技術選択を行っていく過程を説明したことである。産業革命期日本の紡績業に関する先行研究はその重要性から膨大にあるが、意外にも始祖三紡績の実態や官営紡績所から大阪紡績会社をはじめとした民間会社への移行過程における技術・機械・原料選択に関する要因は不明な点が多く、それらを明らかにした本論文の学術的貢献は非常に大きいといえる。この研究が可能になったのは、元紡績技術者でもあった著者が独自に収集した広範な資料群を駆使したからにほかならない。」(審査報告より抜粋。この報告書も間もなくTOURに掲載されます)。


<目次紹介>

第1章 序論
第2章 日本における紡績業発達史の概要
第3章 始祖三紡績
第4章 官営愛知紡績所から大阪紡績会社へ
第5章 繭糸織物陶漆器共進会(第二区二類綿糸)で明らかにされた紡績技術
第6章 日本綿・中国綿からインド綿・米綿・エジプト綿へ
第7章 インド綿・米国綿・エジプト綿用の紡績機械
第8章 ミュール精紡機とリング精紡機の選択をめぐる諸問題
第9章 結論

 なお,玉川氏には以下の著書がありますので,併せてご紹介します。

玉川寛治『「資本論」と産業革命の時代―マルクスの見たイギリス資本主義』新日本出版社,1999年。
前田清志・玉川寛治編集『日本の産業遺産〈2〉―産業考古学研究』玉川大学出版部,2000年。
玉川寛治『製糸工女と富国強兵の時代―生糸がささえた日本資本主義』新日本出版社,2002年。
玉川寛治『飯島喜美の不屈の青春―女工哀史を超えた紡績女工』学習の友社,2019年。

本文ダウンロードページ
玉川寛治『日本における初期綿糸紡績技術の研究』


2023年9月28日木曜日

Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition (Open access)

 My new paper "Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition" was published on "The Japanese Political Economy" website.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162

 On October 19, Japan time, the paper became open access.

 新論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」オンライン版がJapanese Political Economy誌のサイトで発行されました。

 日本時間10月19日より,この論文はオープンアクセスになりました。

 日本語原稿は以下からダウンロードできます。

川端望「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」

28/09/2023投稿
20/10/2023修正



2023年9月8日金曜日

ディスカッションペーパー「1990年代ベトナムにおける日越合弁鉄鋼事業の成立過程-ビナ・キョウエイ・スチール社の事例研究-」を公表

 ディスカッションペーパー「1990年代ベトナムにおける日越合弁鉄鋼事業の成立過程-ビナ・キョウエイ・スチール社の事例研究-」を公表しました。

 本稿は,1990年代において,日越合弁鉄鋼企業ビナ・キョウエイ・スチール(VKS)社がどのように設立され,操業を開始し,急速に市場での地位を築いたかを明らかにしたものです。

・ベトナムの外資受け入れ環境がまだ整っていなかった1990年代前半に,VKS社はどのようにして設立されたのか。この事実関係を明らかにしました。
・VKS社はベトナム鉄鋼業の初期の発展にどのような役割を果たしのか。その意義を述べました。
・進出したのが大手高炉メーカーでなく中規模な普通鋼電炉メーカーの共英製鋼であったことは,どのような意味を持っていたのか。この点をとくに重点的に考察しました。
・理論的には,「後発性利益」論と「誘発機構」論,「確立技術と適正技術」論,「中堅企業」論との接点を重視しました。実証の先行研究はないのですが理論的には先行研究が重く,言わねばならないことが多くて,うまく書けたかどうかが問題です。

 共英製鋼には公刊された社史がありますが,今回は社内誌,記念誌(画像)の提供を受け,またVKS初代社長にインタビューを,さらに共英製鋼のベトナムにおける出資先をひととおりの訪問・見学をさせていただきました。心から感謝しています。20年間蓄積したベトナム鉄鋼業の調査記録も活用しました。むろん,すべての文責は私にあります。

 改訂してから雑誌に投稿します。ご意見をいただければ幸いです。

 PDFこちら。リポジトリがシステム更新中で新規登録できないため,個人サイトからお送りします。
http://www2.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/paper/terg479.pdf




2023年8月27日日曜日

E・H・カー(近藤和彦訳)『歴史とは何か 新版』岩波書店,2022年がずいぶん売れたらしいことについて

 E・H・カー(近藤和彦訳)『歴史とは何か 新版』岩波書店,2022年。『思想』7月号の特集を見て,清水幾太郎訳で読んだ内容をすっかり忘れていることを思い出し,なんぼ何でもまずいかと思い,買って読んだ。久しぶりに自覚したが「これを読んでおかないとまずい」という強要,いや教養マインドの残り火くらいは私の心にもあったようだ(※1)。

 新訳は昨年8月の時点で4刷り2万5千部出たそうで,この種の本では大変な売れぶりである。「なぜ,いま,カーなのか」というのが『思想』の特集号のテーマと思うが,一番分かりやすいことを,わが同僚の小田中直樹教授が書いている。いわく,「危機の時代には変化の歴史学が求められる」のだそうだ。

 私は彼の言うことに賛成である。ただし,それは「本日,みな腹が減っているから食事が必要だ」というのに賛成だというのと同じ意味においてである。文化や歴史に関心を持つものにとって,たいていの場合,「現代は危機の時代」である。したがい,我々はどこから来て,どこに行くのかということ関心をもつので,優れた歴史論に関心が集まる。これは,過去100年くらいはいつでもどこでもあてはまることなので,わざわざ言う必要はないのではないか。ちょうど,あらゆる政党が,選挙に当たっては必ず(無投票の場合を除き)「今度の選挙は歴史的なたたかい」であり「かつてない激戦」であるというのと似ている。

 では,なぜ,いま,この時に限ってカーなのか。およそ私などに深い理由はわからないが,カーが好意的に評した社会学の発想を借りて考察すると,こうなるのではないか。

 いまや,あまりにもろくでもない本ばかりが出回っているために,「『現代』の範囲でちょっと昔の名著の方がはるかにちゃんとしたことが書いてある!」と再発見され,世代を超え,新鮮さをもって広く読まれており,4万5千部に達している(※2)。

 ただし,これは楽観的に過ぎるかもしれない。以下のような可能性もある。

 いまや,活字の本それ自体が電子版を含めて読まれなくなったことに怒り心頭に達した中高年の研究者や本好きが,「本当に素晴らしい名著を読め,コラア」という共通の心情に駆られ,意地になって名著の新版を買い,再読しているが,中高年の研究者と本好きの域にとどまるので4万5千部である(※3)。

 さすがに悲観的過ぎるだろうか。

 私個人は,読むと改めていろいろな新しい発見があり,そうすると逆に「多少古い理論でも,十分これで行ける。これでいいじゃないか」と退行してしまいがちである。緩やかな実在論で,進歩の概念は一応想定するカーの議論で十分研究の導きの糸になるし,21世紀に研究する上でもとくに支障はないんじゃないか,当時の社会主義国を過大評価しているかもしれないけれど,という風に割り切りたくなるのである。これで本当にいいのか,よくわからないが。


<異次元の注>

※1 特撮・アニメオタクの世界でも,かつては自分の趣味の中核ではなくても,「この領域は一応全部抑えておかないと」と読んだり見たり買いそろえたりして,時間もカネも居住スペースも失っていったものである。

※2 さんざ特撮SF・ヒーロー番組を見たあげく,「やっぱり初代のウルトラマンがいちばんよかった」という人が後を絶たないようなものである。

※3 おたくがこぞって初代ウルトラマンのすばらしさを再発見して関連商品を買いあさり,評論を発表したところで,社会的影響力は極めて限られているというようなものである。



2023年8月24日木曜日

研究活動と就職活動が競合する前期課程院生の現実:当人の苦悩と教員の苦悩

 以前に大学教員を目指す博士課程院生の苦悩について書いたが,今回は田中圭太郎「「文系学生は門前払い」就活に苦しむ院生の嘆き:研究時間減少、企業の理解の少なさ等の問題も」東洋経済ONLINE,2023年8月17日を手掛かりに,就職活動をする修士課程院生の苦悩について書く。なお,当研究科では後期課程,前期課程という。

 当研究科の大学院前期課程修了生は,日本国内でさほど不利にはならずに就職できている。ただし高学歴で修士を持っていても有利にもならない。年功基準で,学部卒より2歳年上と扱われるのがせいぜいである。

 前期課程在学中の最大の問題は,院生が就職活動に時間を取られるために研究がさほどできず,逆に言えば研究に時間を取られるために就職活動に力を入れられないことである。

 2013年頃まで,私は「就活のためにゼミを休んでもよい。TAなどはしなくてもよい。ただし研究は計画通りするように」と指導していた。理工系,生命系の研究室とは違い「研究室の仕事」というものはほとんどなく,私がすべての雑用を自分でやる麗しき民主主義社会なので,これで大丈夫と思ったが,それでも院生にとっては苦しかったようで,勝手に東京に住んで帰って来ない学生,連絡を切り,研究が完全にストップする院生が出現した。「ふだんから関連する論文を読み,きちんと調べておくのは当然である」という指導に納得しない院生も現れた(それはできない時期もある,の意であろう)。

 そこでやむを得ず,後期課程進学に関するガイドラインを設定して共有し,後期課程に進む,進まないを,院生に自分から表明させ,「進まないで就職する」という学生には,研究スケジュールの中に就職活動期間を織り込むことにした。まず原則として,1)研究科が必要とする修士論文の基準は絶対に曲げないが,2)修士論文として合格するためには,何をどこまでやらねばならないかは節目節目で通知して理解できるようにする,3)「就活は自分の核心的利益だからなにをやってもよい」論と「その時になって見ないとわからないから計画しない」論を絶対に認めないので,就活で苦しくても連絡を切ったり,無断で授業を欠席したり,東京に引っ越したりしてはならないが,4)スケジュールは就活に配慮するから相談せよ,の四点を明確にした。そして,前期課程の2年間の間に,就職活動のために研究がまったくできない期間,あまり進まない期間を認める。そして,ーー本当は死んでもやりたくないがーー修士論文で到達すべき地点を最初から研究科の許容範囲内で低める,あるいは,研究時間が量的に少なくても到達しやすい性質のものに調整することとした。なお,これらの手法は普遍性を持つとは思うが,ゼミの過半数を占める中国人院生に対する解りやすさをとくに考慮したものである。

 これで,就活をめぐるゼミ内のトラブルはほぼ解消した。ただ,せっかく修士の学位を取っても優遇されない問題や,修士論文に自分の限界に挑戦するほどの労力は投入できないという問題は,解決していない。

(参考)「大学教員を目指す後期課程院生の苦悩」Ka-Bataブログ,2023年9月3日。

田中圭太郎「「文系学生は門前払い」就活に苦しむ院生の嘆き:研究時間減少、企業の理解の少なさ等の問題も」東洋経済ONLINE,2023年8月17日。


2023年8月21日月曜日

宝樹(中原尚哉訳)「金色昔日」(ケン・リュウ編,中原尚哉ほか訳『金色昔日 現代中国SFアンソロジー』ハヤカワ文庫,2022年)読後感

 宝樹(中原尚哉訳)「金色昔日」(ケン・リュウ編,中原尚哉ほか訳『金色昔日 現代中国SFアンソロジー』ハヤカワ文庫,2022年)。

 この本はケン・リュウが編集した中国SF集の2冊目である。私は書店で1冊目の『折りたたみ北京』とどちらを買おうか迷っていたが,本書を開いてぎくりとし,こちらを買うことにした。


「紫令は強硬すぎる」


という文字が目に映ったからである。もちろん,よく知られた実在の人物は紫玲であるが。

 表題作「金色昔日」の著者は,宝樹の作品で日本で知られているのは,『三体X 観想之宙』(原書2011年,日本語訳2022年)であろう。劉慈欣『三体』シリーズを著者公認の上で受け継いだスピンオフだ。彼は中国で活躍する作家だが,「金色昔日」は,2015年に英文誌に発表されたものであり,中国では出版されていない。中国の検索エンジン「百度」で「宝树 "金色昔日"」と入力しても,この日本語出版を紹介する記事しかヒットしない。

(以下,本作品のSF設定を明かします。知らずに読みたい方はここでおやめになることを勧めます。)

ーーーー

 「金色昔日」は時間小説である。登場人物たちは別の世界の中国を生きている。主人公は幼児期に北京オリンピックを見に行く。その後に経済停滞の時代が訪れ,高校時代には上海に住む幼馴染に紙の手紙を書くようになる。大学生になって天安門広場に立つ。やがて鄧小平は失脚し,毛沢東という人物が台頭する。そして文革が始まる。そう書いてもわけがわからないかもしれないから,イメージを喚起するために少しだけ主人公の言葉を引用しよう。

(引用)「ベルボトムのジーンズと鄧麗君の歌が大通りにあふれていた青年時代。香港四天王や台湾のテレビドラマが全国的に人気だった少年時代。ネットゲームやオリンピックや3D映画があった幼年時代。あれらは本当に存在したのだろうか。どこから来てどこへ消えたのか。すべては一場の夢だったのか。」(引用終わり)

 歴史は逆に流れているはずなのに,主人公が直面する状況はみなリアルである。また,個人の時間は読者と同じように流れ,主人公は出会いと別れに翻弄されながら生き,年老いていくのだ。

 SFにはなじみがなくとも,現代中国になじみがある人には一読をお勧めしたい。


出版社ページ
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015280/




大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...