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2025年9月22日月曜日

日銀による保有ETFの売却発表によせて

 日銀が,保有するETF(信託財産指数連動型上場投資信託)とJ-REIT(信託財産不動産投資信託)のゆるやかな売却を発表した(「日銀 ETF売却開始を発表 植田総裁「全売却に100年以上かかる」NHK NEWS WEB,2025年9月19日)。その保有残高は昨年度末(3月31日現在)でそれぞれ37兆1862億円と6657億円だ。これらは当初は信用緩和,後には質的金融緩和と称して白川総裁時代に始まって黒田総裁時代に加速,昨年3月までに買い付けられたものである。その目的はリスク・プレミアムの低下とされたが,私は不適切な政策であったと考えている。なぜならば,ETFやJ-REITに組み込まれる上場企業株式や大手不動産「のみ」を買い支える,特定企業,特定物件優遇策だったからであり,中立性が求められる日本銀行に許されない偏向であり,議会の決定を通さずに行う財政政策だったからである(※1)。もはや購入せず,むしろ売却するという植田日銀の決定は妥当であろう。

 ただし,ここで一言いいたいのは,いったん買ってしまったETFとJ-REITからは,日銀が最大の利益を追求すべきだということである。日銀が利益(剰余金)を出せば,それは国庫に納付され,日本全体のために使用されるからである。また,とくに金利がある時代に復帰したいま,日銀は財務リスク,正確には財務に関する評判リスクを抱えており,財務状態の悪化を避けた方がよいからである。少し詳しく言うと,日銀は銀行ではあるが,その主要収入は貸出利息ではなく,長期保有する国債の利息と,ETFの運用益である。現に昨年度決算では,それぞれ58億円,2兆774億円,1兆3826億円であった。他方,支出側には補完当座預金制度利息,つまりは銀行が預けている準備預金の一部に対する金利があり,これが1兆2517億円に上っている。国債の多くは固定金利であるため,金利が上がっても日銀が長期保有国債から受け取る利息は変わらない一方で,支払うべき預金利息は膨れ上がる。日銀は,原理的には準備資産を持たずとも運営できるが,日銀の財務状態の悪化は日本という国の信用悪化とみなされ,市場での円や国債の信用を揺るがしかねない(※2※3)。

 だから,ETFとJ-REITの売却に当たり,日銀は,市場にショックを与えないように配慮しつつも,日銀自身が(結局は国庫が)最大の利益を得られるように売却を行うのが妥当であろうと,私は考える。日銀は,ETFやJ-REITを買うべきではなかった。しかし,買ってしまったものからは利益を上げるべきである。倫理的にはねじれた話であるが,このように言うべきだと私は思う。

※1 川端「日銀のETF購入は上場企業優遇の財政政策ではないのか:日銀のETF購入(2)」Ka-Bataブログ,2020年4月16日。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf2.html

※2,3  川端「通貨供給システムとしての金融システム」研究年報『経済学』pp. 39-40 ( https://doi.org/10.50974/0002003359 )。また日銀総裁その人による植田和男(2023)「中央銀行の財務と金融政策運営 日本金融学会2023年度秋季大会における特別講演」。この講演の見地は,日本銀行企画局(2023)「中央銀行の財務と金融政策運営」として日銀公式見解となった( https://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2023/ron231212a.htm )。




2025年9月19日金曜日

ウルトラ兄弟の永遠と純粋,人間の有限性と美醜:『ウルトラマンタロウ』第24-25話が描いたもの

 『ウルトラマンタロウ』第24話「これがウルトラの国だ!」,第25話「燃えろ!ウルトラ6兄弟」は,脚本:田口成光,監督:山際永三,特殊技術:佐川和夫という,第1話と同じ黄金トリオによる前後編である。以前より書いているように,『タロウ』は第1話でタロウが生まれ,最終回にいなくなるという裏設定がつくりこまれているのだが,この前後編はウルトラの国とウルトラ兄弟という,堂々たる表の設定をパワー全開で振り切ったものである。ウルトラの国の設定は,劇中でも内山まもるのマンガまで挟んで解説されたが,放映前から小学館の学習雑誌等で大々的に宣伝され,小学生だった私を含む視聴者の期待を煽りに煽ったものである。

 しかし,痛快で楽しいの夢の国に見えて,よく見るとリアルな世界も描かれていて,両者が融合して成り立っているのが『タロウ』の特徴である。宇宙であり近未来にして1973年の日本なのだ。

 この前後編では,宇宙蛾の大群と怪獣ムルロアによって地球が襲われる。そして光を嫌うムルロアの吐いた黒煙によって地球は闇に包まれてしまう。このムルロアとたたかうタロウの物語が,怪獣に翻弄される岩森家の小学生6人兄弟や,タロウ不在のもとでムルロアに立ち向かうZATの物語と並行して進行するのである。

 本編に登場する岩森家の小学生6人兄弟は,家でも町内でも「ウルトラ兄弟」と呼ばれている。その両親(なぜか父親は石堂淑朗氏が演じている)は結婚以来初めての二人きりの旅行に出るが,宇宙蛾とムルロアに襲われて飛行機が遭難し,亡くなってしまうのである。兄弟たちは,ムルロアの黒煙で暗闇に閉ざされ,電気も水道も止まってしまった自宅に残される。その上,タロウ=東光太郎が下宿する白鳥家の井戸に水をもらいに行った長男は,蛾にとりつかれたトラックに轢かれてしまう。一方,宇宙科学警備隊ZATは神出鬼没のムルロアと宇宙蛾に苦戦するばかり。ついに,未完成の,推進装置もついていない新型爆弾AZ1974を生身で怪獣に飛び降りて取り付けるという奇策に出る。その役を買って出た上野隊員に荒垣副隊長は「ちゃんといのちだけは持って逃げるんだぞ」と声をかける。

 その頃,一度はムルロアに敗れたタロウは,ウルトラの母に導かれてウルトラの国に到着する。そこでは,バードンに倒されて死んだはずのゾフィーが復活した姿を目の当たりにする。タロウは兄弟と多重合体して,ウルトラタワーの奥深くに隠されたウルトラベルを取り出し,その神秘の音色で地球を取り巻く黒煙を一掃するのだ。

 ここで対比されているのは,永遠に近い命を持ち,一度死んでなお生き返るウルトラ兄弟と,限られた命しか持たない人間たちである。ついにムルロアは倒れ,岩森家の兄弟は,長男も回復して笑顔を取り戻すが,両親はもう帰って来ないのだ。たとえウルトラ兄弟たちが守ってくれるとしても,人間は限られた命を生きる以外にないのである。

 しかも,対比はそれだけにとどまらない。ウルトラベルは,地球を守ろうとするウルトラ兄弟の純粋な気持ちに反応して作動した。しかし,人間は純粋ではない。そもそも怪獣ムルロアは,「ヨーロッパの或る国」が行ったトロン爆弾の実験で破滅したムルロア星から襲来したのである(※1)。呼び寄せたのは人間の行為である。ムルロアと宇宙蛾は光に引き寄せられ,光を嫌う。ZATは電灯の使用を禁止したが,断水している街で一山当てようとした水売りは,ヘッドライトをつけてトラックを動かす。そこに宇宙蛾が群がって運転を誤り,岩森家の長男を轢いてしまうのだ。また,ムルロアに襲われた第3コンビナートは,他社との競争に負けたくないために,光をともして操業を再開する。コンビナートの従業員に至っては「アニマルだよ,アニマルになってがんばらなくちゃ,日本はだめになっちゃうんだ」とわめきながら蛾を払おうとして,再出現したムルロアの吐く液を浴び,骨まで溶けてしまう。ウルトラ兄弟は,どんな人間も命がけで守ってくれる。しかし,地球と日本には,優しい両親もいれば助け合う兄弟もいるし,勇気をもって怪獣に立ち向かう人々もいるが,私欲に捕らわれた人もいるのだ。

 こうしてこの前後編は,ウルトラ兄弟の永遠と人間の有限性,ウルトラ兄弟の純粋さと人間の美醜の交錯を対比した(※2)。私たちは永遠でも純粋でもないが,それでも生きているし,生き続けようとするのだ。

※1 実際にフランスがムルロア環礁で1966年から核実験を行っていたのであるから,そのまんまの名称である。しかも,ウルトラシリーズマニアの方ならすぐわかるように,ムルロアは『ウルトラセブン』第26話「超兵器R1号」のギエロン星獣と同じ立場なのである。田口氏が「超兵器R1号」の設定を借りたのは,ネタに詰まってのパクリではあるまい(私は,中高生の時はそう思っていたことを,このたび深く自己批判する)。この前後編は「超兵器R1号」と異なり,軍拡競争のもたらす破滅性を問うのではなく,そのかわりに,ムルロアに襲撃された日本に暮らす大人たちの,欲にまみれた姿を描いたのである。

※2 なお,この前後編は特撮のレベルも高く,本編とよく融合している。もちろん,アニメ合成の部分やウルトラの国のミニチュアなどにおもちゃ感はある。しかし,第3コンビナートに陽が昇るシーン,全身から黒煙を吐き出すムルロアの描写などがかもしだす画面の立体感はテレビとは思えない。そして,宇宙蛾の大群。ミニチュアで蛾の雰囲気を出すのは一般的にも難しい上に,円谷プロの人々にとって鬼門である。かつて『怪奇大作戦』第2話「人喰い蛾」で,人が溶けるシーンと蛾の飛び具合が円谷英二の不評を買い,撮り直しとなった大事件があった。当然,山際監督も佐川特撮監督も知っていたはずである。しかし,この前後編では同じ轍をふまなかった。まず,影絵のように大量の宇宙蛾が迫ってくる特撮シーンが実におぞましい。そして,どうしてもおもちゃっぽくになる本編の操演の蛾も,もっぱらナイトシーンで,人や電灯やコックピットガラスにまとわりつくことで,リアルなうっとおしさを醸し出していた。『怪奇大作戦』では,操演のおもちゃに人喰いという役割まで背負わせたのところに無理があったのであり,山際・佐川両氏はそこに気づいたのであろう。見事なリベンジであった。


2025年9月19日現在特別配信中

第24話「これがウルトラの国だ!」
https://www.youtube.com/watch?v=zOYdQS4u5qw

第25話「燃えろ!ウルトラ6兄弟」
https://www.youtube.com/watch?v=uKECUF5LDmg

2025年9月9日火曜日

マルクス経済学における世界経済論の出立:原田三郎論文の電子化公開に寄せて

 この夏,東北大学機関リポジトリTOURの遡及入力によって,古典的存在ともいえる著作が電子化されてDOI(デジタルオブジェクト識別子)が付き,ダウンロード可能となった。私にとっての古典と言えば,例えば以下の論文である。

原田三郎(1953)「いわゆる 「資本論のプラン」 と世界經濟論の方法」研究年報『経済学』27,24-51。
https://doi.org/10.50974/0002004563

原田三郎 (1957)「世界経済論の方法における根本問題―松井教授の批判に答える―」研究年報『経済学』43,29-63。
https://doi.org/10.50974/0002004651

 原田三郎教授(1914-2005)は,東北大学経済学部の経済政策論担当教授として,1977年まで勤務された。後に,岩手大学学長を務められた。私は『東北大学百年史』作成のための座談会を開催した際に,一度だけお目にかかった。

 この二つの論文は,マルクス経済学で世界経済論または国際経済論をどのように論じるかについての,戦後直後の模索の過程を表現している。またそれは,原田教授が宇野弘蔵氏による三段階論の提起と格闘され,一度はそれをおおむねうけいれながら,ついに別の道を選ばれた過程をも記している。

 今日,ほとんどの人は問題にすることはないが,よく考えてみれば,マルクス経済学には次のような理論問題がある。「マルクス経済学では国際経済や世界経済を,国民経済を単位とした関係論として論じるのか,全一体として論じるのか」という問題であり,また「マルクス経済学では国際経済論であれ世界経済論であれ,近代経済学と同じく一般理論として論じられるのか(理論的な教科書も書けるのか),それとも歴史的段階や局面としてしか論じられないのか」ということである。この問題を鋭く提起されたのは,宇野弘蔵氏である。そして,宇野氏その人は,前者に「国民経済を単位とした関係論」と回答され,後者に「歴史的段階としてしか論じられない」と回答されたと理解できる。宇野氏の後継者の純粋資本主義派の方々もおおむね同様と思われる。また宇野氏の後継者の世界資本主義派の方々や,海外であればイマヌエル・ウォーラーステイン氏であれば,前者に「全一体としての世界経済論(世界システム論)」と回答し,後者に「歴史的段階や局面としてしか論じられない」と回答するだろう。原田教授は宇野氏の提起を受けてこの問題に戦後直後から格闘され,前者に「全一体としての世界経済論」と回答され,後者に「一般理論として論じられる」と回答されたのである。この回答を引き継がれたのが私の師の一人,村岡俊三氏であった。また前者に「国民経済を単位とした関係論」と,後者に「一般理論として論じられる」と回答されたのが木下悦二氏であった。村岡氏や木下氏,また国際価値論研究に従事した研究者は,マルクス経済学の世界経済論や国際経済論の構築に努力された。

 原田教授が「世界経済論の出発点としての帝国主義の成立」『国際経済』2, 1-14,1951年(この号はJ-Stageに登載されているのだが,なぜか26ページ以降しか収録されていない)と,上記の研究年報『経済学』所収の二つの論文で最初から強調されているのは,マルクス経済学において論じるべきは「国際経済論」でなく「世界経済論」だということである。ただし,1953年論文までは宇野弘蔵氏の段階論の問題意識を半ば受け入れ,世界経済論は段階論として論じるべきものとされていた。例えば以下の文章は難解だが,そういうことを言っているのである。

「われわれが科學的経済學の一分科として世界経済論を研究する場合、「ブルジョア社會の内的編成」=「資本論」に對しては、国家論と全く同様、段階論規定によって媒介されるのであり、従って、「資本論」がすでに明かな形でもっている本源的蓄積についての段階論規定、「資本論」がただ含蓄されただけのものとしてもっている産業資本主義ないし資本主義一般についての段階論規定の再把握,さらに「資本論」が現にはもっていないが當然にもつべきであったし、また現に「金融資本論」ないし「帝国主義論」としてもたれているところの、帝国主義的資本主義についての段階論規定,に基づいて、これら諸段階に特有な世界経済に關する諸規定を打出すことでなければならない(原田,1953,pp. 45-46)。」

 その後の思索を経て,原田氏は1957年論文では宇野氏と別れ,世界経済論は一般理論として獲得可能と見るようになった。例えば以下の文章も難解であるが,そういう意味なのである。

「すでに前節で明らかにしたように、「国家」以降の後半の「体系」のもっこのような歴夊的性格は、あらゆる時代のあらゆるブルジョア社会に、歴史的に必然的な側面にかかわるものであって、まさしく、一般的理論体系のうちに獲得されうるし、獲得されなければならないものである(原田,1957,p. 63)。」

 かくて,マルクス経済学において,世界経済論を一般理論として獲得することの可能性は開かれた。この先に,国際価値論,国際分業と貿易論,国民的生産性格差論,賃金と物価の国際的相違論,対外直接投資論,外国為替論などが展開される。それらの一般論としての展開とともに,帝国主義論の適用範囲,戦後経済体制論などが段階の理論として具体化される。

 私を含むかつての村岡ゼミの院生は,少なくとも1980年代までは上記3本の論文を必読文献として,なぜ世界経済論なのか,なぜそれは段階論でなく一般理論として獲得できるのかについて,原田氏の理論的変遷のうちに学び取ろうとした。それから,国際価値論,国民的生産性格差論,国際分業と貿易論(比較生産費説のマルクス的理解),賃金の国民的相違論,対外直接投資論,国際労働移動論,外国為替論などの,より具体的な理論を学んでいった。もう遠い昔の話である。これらの勉強は空理空論ではなく,私が及ばずながら世界経済に対する自分の見方を構築していくうえでの根本的発想として,大いに役立つことになった。

「原田三郎教授近影・(退官記念号)刊行のことば・原田教授略歴および著作目録」38(4), 1977年。

https://hdl.handle.net/10097/0002004939

「【記念座談会】私の経済学修業 ―原田三郎教授を囲んで―」研究年報『経済学』38(4), 153-173, 1977年。
https://hdl.handle.net/10097/0002004938


クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...