1.切り口としての「財政赤字と金利上昇圧力」
先に「財政赤字に伴う国債発行はクラウディング・アウト効果を持つか」,より原理的には「財政赤字に伴う国債発行は金利上昇圧力を発生させるか」という問題についての拙論を修正することを表明し,ブログにも掲載した(※1)。これは実は,金融・財政システムの双方を「通貨供給システム」と把握しようとする研究構想の基本部分とかかわっている。この研究構想は,通説・通念とも現代貨幣理論(MMT)とも異なる通貨供給システム論を提示しようとするものである。
問題を明瞭にする切り口として,財政赤字と国債発行のオペレーションが金融市場に与える影響を通説・通念,現代貨幣理論(MMT),拙論について対比すると以下のようになる。なお,ここでは追加の貨幣供給はともあれ有効需要を生み出すと仮定しており,その有効性を左右するより財市場や労働市場の具体的な条件は考察の外に置いている。
まず経済学の「通説・通念」において,国債発行とは,国が民間からお金を借りることである。財政赤字とは,借りたお金での支出である。この点だけを見れば,政府は国債発行により民間から資金を吸い上げ,財政支出によりまた民間に戻しているに過ぎない。それでも有効需要を増やせることがあるのは,民間の遊休資金を借り入れ,支出によって需要に転じる場合である。この時,金融市場は需要超過となって金利に上昇圧力がかかる。
続いてMMTにおいては,財政赤字とは統合政府による新規の預金貨幣発行である。赤字支出とは,貨幣の追加発行によって有効需要を生み出すものである。預金貨幣が増えれば準備預金も同額だけ増え,超過準備が生まれる。統合政府は通貨発行権を持つので,国債発行による資金調達は本質的には必要ではない。国債発行が果たしているのは,新規に生まれた超過準備に対して運用先を提供することである。金融市場の需給は変動せず,金利に上昇圧力はかからない。
最後に私見によれば,財政赤字とは中央政府による新規の預金貨幣発行である。赤字支出とは,貨幣の追加発行によって有効需要を生み出すものである。しかし信用貨幣を発行するのは中央銀行でなく政府であるため,政府はこの支出のために,国債を発行して中央銀行預金貨幣を調達しなければならない。政府は国債発行により,市中からは資金を吸収しないが,銀行の準備預金から中央銀行預金貨幣を吸収する。一方,財政支出により預金貨幣が追加供給されるので,連動して準備預金も増え,準備預金残高はプラスマイナスゼロに回復する。しかし,全体として預金残高が増えているため,準備預金所要額が増え,金利に上昇圧力がかかる。
2.三つの金融・財政システム論
この三つの考え方の背後には,国債発行をめぐる経済主体とその関係,より立ち入っていえば金融・財政システムを通貨供給の観点から理論化する方法に関する違いがある。ここではその違いを説明するとともに,なぜ,どのように私見が妥当であるかを説明する。
私見によれば,用いるべきは,信用で結ばれた「民間ー銀行ー中央銀行」と課税・支出で結ばれた「民間ー政府」が並立し,また政府も中央銀行に口座を持つことで両者が統合されるモデルである。これを仮に「二層の銀行・政府」モデルと名付ける(図)。
貨幣の流通は二つの領域で行われている。一つは市中であり,商品の流通界である。ここを流通するのがマネーストック(預金貨幣+銀行手持ち以外の中央銀行券+補助硬貨)である。マネーストックは本質的に銀行信用か財政支出によって生み出される。もう一つの領域は銀行間システムである。ここを流通するのはマネタリーベースから市中に出回っている中央銀行券を差し引いたものである(中央銀行当座預金+銀行手持ち中央銀行券)である。銀行間システムにおける貨幣は,本質的に中央銀行信用か,財政支出によって生み出される。
この「二層の銀行・政府」モデルを用いることによって,商品流通界を流通する貨幣と銀行間システムを流通する貨幣を区別することができる。それによって,政府が「銀行間システムから中央銀行預金貨幣を調達し,市中に(民間銀行の)預金貨幣を投じる」という仕組みが理解できるのである。
このモデルは,実務上の事実をほぼそのまま写し取ったものであり,何ら奇異ではない。経済理論の立場からすると,より抽象化して「民間ー政府」モデルや「民間―統合政府」モデルを設定したくなるであろうが,こと財政赤字と国債発行を論じる際には,それが間違いなのである。拙論が強調したいのは,「二層の銀行・政府」モデルからさらに抽象化をしてはならないということである。
通説・通念は「民間ー政府」というモデル設定を行っている。このモデルは例示するまでもないほど当たり前のように普及しているが,これこそが誤りの元なのである。「民間ー政府」モデルを用いる限り,国債発行は政府が民間資金を吸収するとしか理解しようがない。ところが,実際には国債発行は市中の通貨流通には関与せず,銀行間システムから通貨を吸収する。銀行間システムから吸収するということは,市中への影響は準備預金を介したものとなるということであり,また銀行信用で創造された預金貨幣でなく,中央銀行信用で創造された中央銀行預金貨幣の需給に影響を及ぼすということである。したがい,その調節はもっぱら中央銀行のタスクとなる。こうした関係が「民間―政府」モデルでは全く把握できない。
そもそも「民間―政府」モデルでは,誰が通貨供給を行っているのかが不明瞭であり,したがい通貨供給を論じるのにはなじまない。一方では漠然と,政府が何もしなくとも貨幣が流通しているかのように想定されている。国債発行が民間資金を吸収するというのはこの想定があるからである。他方では漠然と,管理通貨制だから政府が貨幣を供給すると想定しているかのようでもある。しかし,それでは国債発行などする必要がないだろう。政府と中央銀行の関係をモデル内に取り入れていないから,このような理路不明なことが起こるのである。
他方,MMTは,一次的接近として「二層の銀行・政府」モデルを採用しているところは妥当である。MMTが銀行のオペレーションについて通説を批判するのも妥当である。また政策論議でMMT論者が強調するように,財政赤字を追加の貨幣発行と見ることも正しい。
ところがMMTは,ここにとどまらず中央銀行と中央政府とを「統合政府」という単一主体とみなした「民間―統合政府」モデルを本質として強調する。ここから事実との不整合が生じる。MMTは「統合政府は通貨発行権を持っているので,財政赤字を出す際に資金調達は必要ではない」と本質論を主張して,国債発行を資金調達ではないとする。しかし,これは詭弁であり,MMTが重視するはずのオペレーション上の事実に反する。国債発行は超過準備に運用先を与えているだけではなく,これを資金調達のために吸収しており,だからこそ一般的には準備預金不足・金利上昇を誘発するのである。準備預金が不足せず金利が上昇しないようにするためには,統合政府のもう一方の主体である中央銀行が中央政府に協力して金融を緩和しなければならない。現に,21世紀の先進諸国では景気対策と金融危機対策により中央銀行が緩和基調で金融政策を運用しており,銀行は常に超過準備を保有している状態なので,国債発行による金利上昇は起こりにくい。つまり,現状分析としてはMMTの主張通りになっていることは確かであり,この点を指摘したのはMMTの功績である。しかし,MMTがこの状態を,超過準備がない状態でも通じる一般論として主張するのは誤りなのである。
MMTの「民間―統合政府」論は,実際には「統合政府は通貨発行権を持つ以上,資金調達は必要ない」という抽象命題を現実の中央政府に偏って適用している。中央銀行が政府に解消される存在であるかのようである。しかし,これはすでに説明したように,事実分析としてはオペレーション上の因果関係を無視した決めつけである。中央政府は,市中に対して預金貨幣を新規に投入できるが,預金貨幣は銀行債務であって政府債務ではない。だから,政府は債務を負わせた銀行に対して銀行間システムを用いて支払いをしなければならず,そのために中央銀行預金貨幣を必要とする。そして,これを自ら発行できない以上,国債発行によって調達せざるを得ないのである。このとき,中央銀行が中立的立場であれば金利に上昇圧力がかかる。それを防ぐためには,中央銀行による金融緩和という中央政府との協調政策が必要なのである。つまり,統合政府において中央政府と中央銀行は協調しなければならない。「民間ー統合政府」論の名のもとに,両者の関係をぞんざいに扱ってはならないのである(※2)。
3.まとめ
財政赤字に伴う国債発行という事態を正確に把握するためには「二層の銀行・政府」モデルを用いなければならない。これを無理に抽象して「民間ー政府」モデルや「民間―統合政府」モデルとすることは,事実認識を誤らせる不合理な抽象である。そして,私見によれば「二層の銀行・政府」モデルを用いた分析によってこそ,財政赤字と国債発行を含む,通貨供給システムとしての金融・財政システムが記述できる。その詳細な展開は他日を期したい。
注
※1 「「カネのクラウディング・アウト」再考:超過準備の存在という条件」Ka-Bataブログ,2024年11月23日。
※2 経済思想としてみれば,MMTのこの中央銀行を政府に解消するかのような把握は,貨幣発行は銀行信用や中央銀行信用に由来するのではなく徴税権に由来するのだという国定貨幣説に由来するのだと思われる。これは中央銀行に対する過小評価である。資本主義経済における貨幣発行は商品流通における価値尺度・交換手段・支払手段の必要性に由来する。しかし,実物としての貨幣の使用は,資本主義の発展にとって制約となる。金融システムとは貨幣流通に伴う諸問題を商業信用,銀行信用,中央銀行信用が解決することによって発展したものである。政府は通貨名の設定によってそれに関与する。通貨名は国家が制定するという点では国定貨幣説は正しい。しかし,政府が貨幣を自ら生み出しているわけのではなく,この点では国定貨幣説は誤りである。貨幣の発生は財政システムよりも金融システムに由来する。だから,中央銀行は政府に解消される存在ではなく,貨幣システムを安定させる使命を負った銀行として,中央政府から相対的に独自な役割を持っている。「中央銀行の政府からの独立性」が問題になることは根拠のあることなのである。以上の点は,財政赤字に伴う国債発行の理解という本稿の直接の課題と離れるため,問題提起にとどめる。詳しくは,川端(2024a,2024b)をご覧いただきたい。
<参照文献>
川端望(2024a)「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」TERG Discussion Paper, 489, 1-39, April.
https://researchmap.jp/read0020587/misc/46337895/attachment_file.pdf
川端望(2024b)「貨幣分類論」TERG Discussion Paper, 490, 1-19, September.
https://researchmap.jp/read0020587/misc/47763170/attachment_file.pdf