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2021年3月30日火曜日

低所得で暮らす家計が増えた20年

 「日本経済」講義準備。日本では,20世紀末までは年間所得300-400万円の世帯が一番多かったが,所得の全般的低下の結果,いまでは200-300万円の世帯の方が多いという話(※)。

 世帯数の分布の推移を見るとグラフのようになる。1998-2013年までの傾向は一貫しており,低所得の側では年収100-400万の世帯比率が上昇する。高所得の側では多くの階層で比率が低下する。つまり,全体として所得が低下し,少なくない世帯が階層を降下した結果,100-400万の世帯が拡大したのだ。2013-2018年は曲がりなりにも好況となって雇用が拡大したためか,この傾向に多少の歯止めはかかったが,20年間の趨勢は変わらない。所得の中央値は1998年に544万円だったが,2019年には437万円となった。

 所得の集中については,傾向がはっきりしない。平均所得金額以下の世帯比率は60.6%から61.1%へとわずかに上昇した。

 それより明確なのは,困難にある家計の割合の増加だろう。1998年には所得200万円以下で暮らす家計は14.2%であったが,2018年には19.0%になった。逆に,富裕層と言えない程度の高所得であっても,得ることは困難になりつつある。1998年には所得800万円以上を得る家計が28.6%あったが,2018年には21%になった。

 これらの変化は,世帯あたりの人数の低下(2.81人から2.44人)を考慮しても著しいものだ。日本は過去20年の間に,全体として貧しくなった。

※ひとつ前に投稿したWIDによる所得分布とは切り口が異なる。WIDは国際比較可能な統計を整備するため,個人の税引き前所得を対象としている。これに対してここで使用した日本の厚労省統計からは,世帯の税引き前所得の分布がある程度わかる。他国と比較はできないが,これはこれで直観的に理解しやすい。

4/17追記。 当初この統計を「可処分所得」についてのものと記していましたが,正しくは「所得」でした。修正してお詫びします。





World Inequality DatabaseにみるG7諸国,日本,中国の所得集中(2013-2019年)

 「日本経済」講義準備。世界経済の動態と格差編。ピケティらのWorld Inequality Databaseを使った所得集中のグラフを更新。対象は個人の税引前所得。2年前に作図した後にデータが更新されており,日本の数値は WIDのチームが作成したMarc Jenmana; Rowaida Moshrif and Li Yang(2020),“Regional DINA update for Asia”にしたがっているようだ。

*日本の上位1%の高所得層(年収1392万円以上)への所得集中度は12.4%で,アメリカ,イギリス,ドイツ,カナダほどではなく,G7では5位。ちなみに中国は日本より高い。

*日本の上位10%高所得層への所得集中度は43.3%で,G7ではアメリカに次いで2位。ちなみに中国も日本より低い。

*今回は,下位50%のデータをとることができたのでグラフを追加。日本では年収が270万円以下の人々が成人個人の50%を占めており,その所得のシェアは19.5%に過ぎない。このシェアは1990年代以後,他の先進諸国とともに低下傾向にあり,G7諸国では4位。なお,G7諸国ではアメリカの極端な低さが目立つ。また中国は改革・開放の進行とともに急速にシェアが低下している。

 以前から指摘されているように,日本は1%集中度が低く,10%集中度が高い。そして上位10%とは最新のデータによると年収915万円以上であり,富裕層というほどではない。しかし,その水準に届かない個人が90%だということである。そして,今回確認できたのは,年収270万円以下の人々が全体の50%を占めていることだ。アメリカやイギリスと比べると,超富裕層に所得が集中する問題よりも,下位の低所得層の抱える困難の大きさという問題の比重が相対的に大きいことになる(※)。


※今回,データが2019年まで更新されたのは良いが,過去データもすべて見直された結果,1%や10%の閾値の数値は大きく変わっている。日本の上位1%の年収は,以前は2010年に2161万円以上とされていたが,最新データでは2010年に1193万円以上,2019年に1392万円以上と大幅に低下した。日本の上位10%の収入は,以前は2010年に960万円以上とされていたが,最新データでは2010年は789万円以上と大幅に減少し,2019年は915万円以上となった。なぜこんなに変動したのか,説明が欲しいところだ。

World Inequality Database
https://wid.world/





2021年3月21日日曜日

講義ノート:管理通貨制度下の貨幣流通,蓄蔵貨幣機能,遊休と金融的流通

I 課題

 貨幣流通を考える時に重要なのは,財・サービスの流通する商品世界の要求に応じて貨幣が流通に出入りする内生的貨幣供給の仕組みと,流通外から一方的に貨幣が投じられる外生的貨幣的供給の仕組みを区別し,それぞれどのような場合にあり得るか,どのような運動がみられるかを理解することである。これは,それ自体が価値を持つような正貨=商品貨幣が流通する場合については,比較的よく解明されている。しかし,それに比べると,今日の,中央銀行への発券集中を伴う管理通貨制度の下で,貨幣の流通への出入りがどのような姿をとるかについては,明快に整理され切っていないのではないだろうか (注1)。商品貨幣が流通している世界と管理通貨制度下の世界の関連と相違を明らかにしておく必要がある。


II 貨幣流通の基本モデル

 マルクス(1982-1989)の貨幣流通モデルから出発しよう。これを図解した大谷(2001)から図1を借用する。商品経済における購買を貨幣流通が媒介している。流通に必要な貨幣量は商品経済における,ある時点での度量標準に対応した商品の総価格と貨幣の平均流通速度によって決まる。流通に必要な貨幣には流通手段として流通する貨幣と支払い手段として流通する貨幣とがある。必要流通貨幣量が流通する商品世界の外側には蓄蔵貨幣の貯水池がある。貨幣が商品貨幣である限り,その供給は内生的になるので,必要な貨幣は蓄蔵貨幣の貯水池から商品世界に入って流通し,不要になれば流通から出て貯水池に蓄蔵される。蓄蔵貨幣の貯水池のそのまた外側には,一社会モデルなら産金部門,多社会モデルなら産金部門と外国があり,金取引によって貯水池とつながっている。

 

図1 蓄蔵貨幣貯水池等を通した貨幣流通量の調節
出所:大谷(2001, p. 120)。


 それでは,発券集中を伴う管理通貨制度下での貨幣流通においては,このモデルはどのように変容しているのだろうか。補助貨幣のことを脇に置けば,流通する貨幣は預金通貨と不換の中央銀行券である。そして,政府の財政赤字・黒字,および対外取引による通貨供給量の変動を捨象して考えよう。このもっとも抽象的なモデルにおいて,2種類の貨幣はどのように流通に出入りするのだろうか。また,管理通貨制度の下では,蓄蔵貨幣の機能はどうなるのだろうか。


III 預金通貨の生成と消滅:信用創造

 まず預金通貨について。学問的には内生的貨幣供給論が明らかにしているように(吉田, 2002, 松本; 2013),また実務的には銀行実務の素直な理解によって明らかであるように,預金通貨は銀行が企業に信用を供与することによって,当座預金として生まれる。これがすなわち信用創造である。ここで信用供与とは貸し付けと信用代位を含んでおり,具体的には貸し付け手形割引も含んでいる。これは預金通貨が発生する唯一の方法である (注2)。逆に言えば,預金通貨供給は信用創造によってのみ行われる。次に見るように中央銀行券の形で引き出されることはあっても,それ以前に貸し付けはいったん預金創造でなされる。つまり,預金が引き出されない限りにおいては,貸し付け総額=預金総額=流通貨幣量(通貨供給量)である。借り手企業は預金を設備投資なり運転資金なり賃金なりの支払いに用いる。預金通貨は他の持ち手に移転し,他の銀行に当座預金または定期預金として預けられる。しかし,社会的に見た総額は変わらない。そして最終的に企業が銀行に返済を行うと,銀行の貸付金と借り入れた企業の当座預金が同時に消滅する。預金は貸し付けによって生成して通貨となり,返済によって消滅するのである。手形割引の場合は,割引を行うと手形の譲度人の預金が創造され,期限が来ると取り立てによって銀行の債権と手形の振出人の預金が同時に消滅する。

 通貨供給の増加は信用の拡大とイコールであるため,そこに貸し倒れリスクも必ず伴う。借り手が企業の場合,資本形成や手形割引によって事業を円滑に遂行し,利子を伴って元本を返済してもなお手元に利潤を確保できるかどうかは不確実である。借り手が個人の場合,事後に入手できる収入によって,利子を伴って元本を返済できるかどうかは不確実である。つまり,預金通貨は商品経済の要求によって内生的に供給されるが,リスクを追加する形で供給される。

 ここで,銀行にとって準備金が必要ないのかという疑問に答える必要があるだろう。中央銀行券については後述するとして,預金通貨だけを想定した場合を考えておく。まず,貸し付けの原資としての準備金は必要ない。貸し付けは預金創造によって行うのであり,準備金を取り崩して貸し付けているのではないからである。次に,貸倒に備えた準備金が必要である。手形割引であれ貸し付けであれ,銀行は貸し倒れのリスクを取らねばならないからである。さらに,銀行間決済のリスクに備えた準備金が必要である。借り手が何らかの支払いをすることで,預金がある銀行から別の銀行に移動した場合,銀行間に債権債務が発生し,中央銀行当座預金で決済される。預金が流出した銀行では中央銀行当座預金が減少する。預金が流入した銀行では逆に,中央銀行当座預金が増加する。この動きは社会全体としてはゼロサムであるが,個々の銀行にとってはそうなるとは限らない。そのため,銀行全体としても,リスクヘッジに必要な規模だけ中央銀行当座預金が必要とされる。この中央銀行当座預金は,社会全体としては中央銀行が銀行に貸し付けるか,銀行に対して買いオペレーションを行うことで供給され,個々の銀行の間ではインターバンク市場での貸借によって調整される。


IV 中央銀行券の生成と消滅:預金からの形態転換

 次に中央銀行券について。中央銀行券は,企業や個人が預金を引き出す際に流通に入る。それ以外では入らない。すべての貨幣はいったん預金として生成されるのであり,中央銀行券はそこからの部分的な漏れと見るべきなのである(吉田, 2002,p. iii)。預金が引き出される時,直接には銀行の手持ち現金が預金者に渡されるが(注3),手持ち現金の減少は結局は中央銀行当座預金が減ることで支えられる。つまり,預金が引き出されるとその銀行にとっても社会全体にとっても預金と「準備金=銀行保有現金+中央銀行当座預金」が減少する。そしてこの中央銀行当座預金は,中央銀行が銀行に貸し付けるか,銀行に対して買いオペレーションを行うことで供給される。

 中央銀行券は,企業や個人が銀行に預金として預けることによって流通から出る。そして,一部は銀行で手持ち現金にとどまるが,多くは中央銀行当座預金として預けられる。中央銀行においては当座預金が増え,中央銀行券発券残高がその分だけ減少する(注4)。銀行の手元では,預金と準備金が増加する。

 中央銀行券は,預金の一部が引き出されたものであるから,その流通量の増減は,預金通貨の逆方向の増減と対応している。なので,銀行の貸付総額が変化しない限り,中央銀行券の流通量だけが変化しても,流通貨幣量全体を変化させることはない。

 中央銀行券の運動にとっては,準備金は,預金の一部を中央銀行券に転換させるために必要である。中央銀行券の流通量の増減は,準備金の逆方向の増減と対応している。したがって,預金が中央銀行券として引き出される割合に応じて準備金が必要である。この割合は企業や個人の流動性に対する需要によって左右される。そして,この需要は個々の銀行の経営不安,すなわち預金通貨に対する不安にも左右されることに注意が必要である。


V 経済成長に対応した通貨供給量の拡大=信用創造の拡大

 貸し倒れにならない限り,貸付金は期日になれば返済される。つまり貸し付けと返済は元本分についてはゼロサムである。よって,すべての預金通貨や中央銀行券は,流通に入っても恒久的にとどまることは決してなく,いずれは消滅することを運命づけられている。しかも銀行は割引料や利子を取り立てるので,流通に投入された預金通貨や中央銀行券よりも多くを回収する。なので,一定期間において,商品の流通に必要な貨幣量は確保されるためには,次々と連鎖的に信用創造が行われなければならない。また,経済成長によって商品の流通に必要な貨幣量が増加した場合は,信用創造が拡大していくこと,具体的には,銀行が回収(返済や取り立て)を上回る信用供与(貸し付けや手形割引)を行うことによって,必要な貨幣量が確保されねばならない。社会全体として見た場合に,債務が返済される以上に貸し付けが行われるという運動が連続的に生じることが,通貨供給量を増大させる。通貨供給量の増大イコール信用供与の増大であり,銀行債権とそれ以外の部門の債務の増大なのである。

 なお,このように説明すると,金融とは資金余剰主体から資金不足主体への融通ではないのかという疑問,言い換えると,金融とは遊休貨幣の信用仲介ではないのかという疑問が出てくるかもしれない。これについては,まず遊休貨幣ないし余剰資金の存在形態を確認しておく必要がある。銀行の持つ準備金については前述のように貸し付けの原資ではないので,その取り崩しによって通貨が供給されることはない。よって,信用仲介の対象になりそうなのは,流通内で支出されずに遊休している預金や中央銀行券である。しかし,これらについては,まず預金であり中央銀行券である以上,過去のある時点で信用創造によって生成した預金が持ち手を転換したり,引き出されたりしたものなのである。さかのぼって考えると,まず貸し付けによって預金が生まれる。そして,預金通貨のまま流通したり,中央銀行券に転換されたうえで流通したりする。そしてある時点で,支出されない定期預金や当座預金や手持ちの現金によるたんす預金となって遊休する。これが実際の順序なのである。銀行に関する限り,先ず余剰資金があって,それが貸し付けられるではない。まず信用創造が行われ,結果として遊休貨幣ないし余剰資金が発生するのである(松本, 2013, pp. 63-65)。


VI 管理通貨制度下における貯水池なき蓄蔵貨幣機能

 通貨は商品経済の要求により,まずは預金創造という形で流通に入り,預金消滅という形で流通から出る。その点では内生的に供給される。これをマルクスによる貯水池の比喩で言えば,必要に応じて通貨が流れ込み,流れ出る水路は存在している。ただし,水路の先には蓄蔵貨幣の貯水池がない。預金通貨は貸し付けられたら創造され,返済されると消滅するからである。物的な資源と異なり,通貨と購買力は無から創造され得るし,また消滅もし得る。信用創造とは,無から水が湧き,無に水が帰す水路なのである(注5)。この点が,正貨=商品貨幣の流通との重要な類似性と相違である。大谷(2001)のデザインを借りつつこれを図示すれば,図2のようになる。





図2 貸し付け・割引と返済・回収を通した預金通貨の流通量の調節
出所:著者作成。


 この図は,銀行が預金通貨を創造できることと,恣意的にそうするのではないことをともに意味している。企業が活動を拡大しようとし,社会的に商品の流通が拡大する行動がとられようとする時に,これを支えるのが信用創造なのである。

 ここで,銀行の「準備金=銀行保有現金+中央銀行当座預金」は貯水池ではないのかという疑問が出てくるだろう。準備金の機能は,預金通貨にとってと中央銀行券にとってとでは異なることに注意が必要である。

 まず預金通貨の運動にとっては,準備金は蓄蔵貨幣ではなく,貨幣流通量を調節する貯水池でもない。準備金は貸付けの原資ではなく,貸し倒れリスクに備えることと,個々の銀行間の預金振替を円滑に行うために必要なものだからである。

 中央銀行券の運動にとっては,準備金は,預金の一部を中央銀行券に転換させるために必要である。流通する中央銀行券が増えれば準備金が減り,流通内の中央銀行券が減れば準備金が増える。よって,中央銀行券として流通する分については,準備金が貯水池となるといってもよい。このことを図示すれば図3のようになる。ただし,注意すべき点が二つある。第一に,流通内における中央銀行券の増減は同額の預金が形態転換したものである。なので,預金の預け入れや引き出しを通して中央銀行券の流通量が増減し,それと逆方向に準備金が増減しても,貨幣流通量全体は変化しない。第二に,流通外にあっては,準備金の多くは中央銀行券の形態のままで蓄蔵されるのではなく,中央銀行当座預金という形態で蓄蔵される。

 以上のように,管理通貨制度下においては,蓄蔵貨幣の貯水池が存在しなくとも,内生的に流通貨幣量全体は調節されるのである。その意味では,銀行制度は信用創造により,実体としての蓄蔵貨幣が存在しないのに蓄蔵貨幣機能の一部,つまり必要な時に通貨を創造し,不要な時に消滅させる調整機能を果たすのである。その上で,流通貨幣量(通貨供給量)のうち中央銀行券という形で流通する部分についてのみ,準備金という特殊な形態での貯水池が存在しているのである。



図3 準備金の増減を通した流通する中央銀行券の調節。
出所:著者作成。


VII 遊休と金融的流通

 さて,流通貨幣量を変動させる入り口と出口は銀行による貸し付け・信用代位と返済だけである。これとは別の,流通から貨幣が完全に出る水路も貯水池もない。しかし,返済による消滅や準備金増以外にも,貨幣は財・サービスの流通媒介をしなくなってしまうことがある。

 一つは遊休である。企業の手元には直ちには投資されない現金や預金があり,これが遊休貨幣資本をなす。また,個人はただちに支出しない貯蓄を持っている。貨幣供給ルートに即していえば,貸し付けで生成された預金や,それが引き出されて発行された中央銀行券は,流通していくうちに企業や個人の手元で遊休する。具体的には,たんす預金,定期預金,あるいは当座預金のうち使用する当てがなく積み上がっている分という形をとる。企業や個人が購買や信用仲介にこれを投じれば商品流通の媒介に復帰し得るが,一定期間それがなされないこともあり得る。

 もう一つは,金融的流通である。企業も個人も現預金のまま貨幣を遊休させずに,株式や債券という金融資産で運用することがある。証券の流通市場で運用が行われた場合,預金や中央銀行券は,株式や債券などの金融資産の購入,販売によって持ち手を変える 。そして連続的に金融資産の売買が行われると,連鎖する売り手の銀行預金口座を次々と預金が移動する。また,証券会社を通して売買していれば,投資家たちの口座が置かれている証券会社が銀行に持つ預金口座内に残高が滞留する。これらの預金残高は,金融資産の売買が連続的に行われている間は,財・サービスの流通を媒介していない。金融資産の価格の変動によって,金融的流通にとどまる貨幣の額も変動する。

 遊休状態の貨幣,および金融的流通を媒介している貨幣は,商品経済から出て行ったわけではない。預金通貨や中央銀行券として存在し続けている。しかし,少なくとも一定期間,財・サービスの流通を媒介しないのである 。財・サービスの流通を媒介している通貨とも,貸付金の返済によって水路から出て消滅した貨幣とも性質が異なるこの二つの部分については,独自の立ち入った解明が必要である。


VIII 総括

 まとめよう。発券集中を伴う管理通貨制度のもとでの通貨は,政府財政と対外取引の影響を捨象すると,以下のように流通に出入りする。1)預金通貨も不換の中央銀行券も,内生的に供給される。つまり,商品流通の必要に応じて流通に入り,不要になると流通から出るのであって,商品流通の必要と無関係に外部から投入されるのではない。2)具体的には,銀行が預金を設定して信用を供与することによって流通に入り,貸付金が返済されて銀行が預金と貸し付けを両建てで消滅させることによって流通から出る。ここで預金通貨は内生的に,ただし貸し倒れリスクを伴う形で供給される。準備金は貸し付けの原資としては必要なく,貸し倒れリスクに備えるためと,個々の銀行間の預金振替を円滑に行うために必要とされる。3)中央銀行券は,預金が銀行から引き出されることによって流通に入り,預金として銀行に還流することで流通から出る。中央銀行券は,預金通貨の形で供給された流通貨幣量(通貨供給量)のうち,一部が引き出されたものであるから,その流通量の増減は,預金通貨の逆方向の増減と対応するだけであって,流通貨幣量全体を変化させない。準備金は預金通貨を中央銀行券に転換させる流動性需要に対応して必要とされる。4)商品流通に必要な貨幣量の供給は,連鎖的に信用創造がなされることによって確保される。必要な貨幣量の増大は,返済を上回る貸し付けが行われることによって実現される。5)通貨は流通に入る時に預金という形態で生まれ,流通から出る際に消滅する。必要に応じて水路を出入りするという意味では蓄蔵貨幣機能を果たすが,蓄蔵貨幣の貯水池を形成しない。6)流通に入る中央銀行券の量に対応して,「準備金=銀行の手持ち現金+中央銀行当座預金」という貯水池が存在する。準備金は,流通貨幣量の一部をなす中央銀行券の流通量にのみ対応するのであって,流通貨幣量全体の変化には対応しない。7)遊休したり金融的流通に回ったりする通貨は,商品経済の外に出てはいないが,財・サービスの流通を少なくとも一時的に媒介しないという,独自の状態にある。


<注>

1)このノートのIII,IVにおける信用創造論,預金通貨の流通論の本質的内容は,マルクス経済学の内生的貨幣供給論的理解を示した吉田(2002, 2008)や松本(2013)にしたがいつつ,派生的論理を展開したものである。一方,Ⅴ以降の蓄蔵,遊休,金融的流通に関する論点は,独自の思考によるものである。もっとも信用論の文献を十分にサーベイしたわけではないので,先行研究がすでに指摘しているかもしれない。

2)教科書的な信用創造理解では,本源的預金をもとに信用創造を行うことで,元の何倍もの預金が生成することになっているが,本源的預金論は説明不足であり,結果として論理が転倒している。本源的預金論は,最初に預けた中央銀行券がどこから来たのか説明していない。社会全体として見れば,この中央銀行券は,貸し付けによって生成した預金が引き出されることで流通に入ったのである。それを誰かが預金するというのは,すでに生成された預金と同額を(たいていは生成されたのとは別な銀行に,であるが)銀行に還流させるだけのことである。

3)銀行が手持ちしている現金は,流通内には入っていない。日本の実務においても,「現金通貨」に含まれていない。

4)中央銀行券は債務証書なので,債務者である中央銀行に還流すれば資産にならずに消滅する。

5)この論理をかなり直接的に明示したのはシュムペーター(1977)である。シュムペーターはすべての資源が有効活用されている均衡状態から経済発展へと移行する仕組みを考察している。なぜこのような移行が可能になるかというと,銀行の信用創造によって無から購買力が創造され,その購買力を利用して企業者が他の用途から希少資源を引き抜くからである。ものや人などの資源は,すでにすべて有効されているという想定の下では追加することはできず,既にあるものを別な組み合わせで用いることしかできない。だから企業者行動は創造でなく創造的破壊をもたらし,結合でなく新結合をもたらすと言われる。しかし,同じ条件下でも,信用貨幣による購買力は追加で創造され得るのである。

6)証券購入が発行市場で行われた場合は,投下された貨幣は設備投資や原材料購入や賃金支払いにまわる。証券の発行市場と流通市場は区別する必要がある。

7)この遊休貨幣は,先行研究において示されたより普遍的な概念では休息貨幣にあたる(岡橋, 1957, p. 76)。すなわち,蓄蔵貨幣ではなく,流通を一時休止している流通手段としての貨幣である。


<参考文献>

大谷禎之介(2001)『図解 社会経済学:資本主義とはどのような社会システムか』桜井書店,2001年。
岡橋保(1957)『新版貨幣論』春秋社。
シュムペーター, J. A.(1977)(原著1912年,塩野谷祐一ほか訳)『経済発展の理論―企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究(上)(下)』岩波書店。
松本朗(2013)『改訂版 入門金融経済:通貨と金融の基礎理論と制度』駿河台出版社。
マルクス, K. (1982-1989)(原著1867-1894年,社会科学研究所監修・資本論翻訳委員会訳)『資本論』新日本出版社。
吉田暁(2002)『決済システムと銀行・中央銀行』日本経済評論社。
吉田暁(2008)「内生的貨幣供給論と信用創造」『経済理論』45(2), 15-25。


2021年3月8日月曜日

日銀がETFを購入するとマネーストックは増えるのか

 講義用Q&A

Q:日銀のETF購入も金融緩和としてなされていますが,日銀がETFを購入するとマネーストックは増えるでしょうか。

A:場合によります。日銀がETFを購入する時には,信託銀行に対して金銭を信託することによって行います。なので,まず日銀は信託銀行が持つ日銀当座預金口座にお金を振り込みます。信託銀行はこれをいったん引き出し,預金とは別の信託勘定に移します。これを用いてETFを購入して保管しますが,これは日銀の資産として記帳されます。

 信託銀行がETFを購入するときは証券会社に発注します。証券会社は株式バスケットを入手し,運用会社に預けてETFを設定してもらいます。このとき,信託銀行の信託勘定にある現金は,証券会社に移動しなければなりません。
 ここで,証券会社が日銀に当座預金を持っていれば,証券会社名義の日銀当座預金として預け入れられます。結果として,日銀当座預金だけが増えていますからマネタリーベースは増えてマネーストックは増えません。もちろん,証券会社が増えた当座預金という資産を運用する仕方によっては増えます。

 証券会社が日銀に口座を持たない会社であれば,預金は以下のように移動します。

・信託銀行の信託勘定で現金減
・証券会社の持つ現金増。預け入れにより銀行に持つ当座預金増
・その銀行が日銀に持つ日銀当座預金増

 この場合,結果が異なります。日銀当座預金残高のみならず,証券会社が銀行に持つ当座預金という預金通貨も増えていますから,マネタリーベースとマネーストックは両方増えることになります。

Q:日銀のETF購入で株価が上がったとすれば,投資家の手持ちマネーは増えるわけですが,この時,マネーストックは増えるでしょうか。

A:直接的には,ある一つの場合を除いて増えません。日銀のETF購入で株価が上がったとして,上がった株は誰かが売って,誰かが買っています。この時,株式の買い手は買うお金を持っていたはずです。自分のものであったり,銀行以外の誰か(個人や証券会社やノンバンク)から借りた場合は,そのお金はもともと経済内部で流通していた,マネーストックに含まれていたお金です。なので,そのお金で株式を買ってもマネーストックは変動しません。株価が高くなるというのは,株式と交換されるマネーの金額が増えるだけです。
 ただし,投資家が銀行からお金を借りて株式を買った場合だけは,信用創造によって預金通貨が増えるので,直接的にマネーストックが増えます。
 また,株価の上昇が実物資産への投資を活発にし,それによって信用創造が盛んになった場合には,間接的にマネーストックが増えます。

 ETFの購入は金融緩和としての効果は限られています。むしろその役割は,上場企業の株価を底支えすることであって,そういうものとして是非を考えるべきと思います。これについての私の意見は以下の記事をご覧ください。


「日本銀行がETFを買うお金はどこから来るか?:日銀のETF購入(1)」2020年4月16日。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf1.html

「日銀のETF購入は上場企業優遇の財政政策ではないのか:日銀のETF購入(2)」2020年4月16日。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf2.html

「日銀がETFで損失を出すとはどういうことか:日銀のETF購入(3)」2020年4月16日。
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf3.html

※2024年1月30日。ETFが信託であることを踏まえて記述を訂正。


大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...