1.問題の所在
この小論の目的は,「現金の金融仲介が金融の基本形である」という常識に疑問を呈し,金融仲介と信用創造という二つの信用形態を正しく位置付けることである。結論を先取りすると,正貨流通の下では現金の金融仲介は,信用創造と並んで独自の役割を果たす。しかし,正貨流通の停止=管理通貨制度の下では,信用創造がすべての金融仲介の前提となる。すなわち,金融の基本形は信用創造である。
現金の金融仲介とは,貸し手と借り手の間の仲介を行うことである。ある経済主体の手元で現金が差し当たり使い道がなく遊休しており,別の経済主体が経済活動のための現金を欲している時に,前者から後者への貸付を仲介することが金融仲介である。
このような金融仲介は,ほとんどの金融論の教科書で金融の基本形として扱われている。研究者を含めて多くの人は,金融仲介を実現しているのが銀行であると考える。
しかし,このような想念は正しくない。以下,そのことを説明する。なお,前提として,正貨流通の下でも銀行は存在し,発券を行っているものとする。また政府紙幣は存在せず,財政システムは捨象する。つまり財政赤字を通した貨幣発行はないものとする。これらはいずれも純粋な考察のための合理的単純化である。
2.銀行が行っているのは信用創造を通した新規の通貨発行である
まず,経済活動のための貨幣を欲している主体に対して金融を行う方法は,金融仲介だけではない。新たに通貨を発行し,これを貸し付けることによっても可能である。この,追加貨幣の発行というルートを考慮して金融の基本形を考える必要がある。
銀行がおこなっていることは,預金貨幣または銀行券という自己宛て債務を創造し,これを貸し付けることである。貸付を行った際には預金貨幣が増大する。借入者が預金を引き出せば預金貨幣の代わりに銀行券が発行される。つまり,企業が銀行から借り入れを行ったとき,新規に預金貨幣が発行されているのである。逆に,企業が銀行に返済を行う際には,預金貨幣が減少するのである。
この時,別の経済主体の手元で遊休し,預けられていた預金は,銀行にとって支払準備金として機能する。しかし,この預金がそのまま企業に貸し付けられたわけではない。貸付けられる預金貨幣は,その都度創造されているのである。
このように,銀行による融資は金融仲介ではなく,信用創造であり,信用創造を通した新規貨幣発行なのである。
3.現金の金融仲介は正貨流通の下で二通りに実現する
それでは,多くの人がイメージする現金の金融仲介とは何なのだろうか。それは二通りある。そして,ほとんど意識されていないが,実は,いずれも正貨流通の下で行われるものである。
ひとつは証券会社を通した金融仲介である。つまり,正貨を蓄積した主体が,社債発行などに応募することである。正貨は,これを必要とする社債発行企業等に融通される。銀行ではなく,証券会社を経由した融資こそが金融仲介である。
しかしもう一つ,特殊な場合がある。まず,正貨を蓄積した主体がこれを銀行に預金する。銀行は信用創造によって企業に貸し付ける。そして,借り入れを行った企業が,必要に迫られて預金を引き出して正貨に換え,正貨で自らの経済活動のための支払いを行う場合である。この時,銀行は預金引き出し要求に応じるために,蓄積しておいた準備金を取り崩して正貨を渡さねばならない。かくして正貨は,これを蓄積した主体から,これを必要とする主体に融通されるのである。
しかしこのようなケースがあるからと言って,銀行の貸付が信用創造でなく金融仲介だということにはならない。銀行はあくまで預金貨幣を発行して貸し付けを行った。このとき,貨幣流通量は増加したのであり,すでに信用創造が行われている。企業がこの預金を引き出したのは,流通する貨幣の一部を預金貨幣から正貨に置き換えることにすぎない。この時,貨幣流通量は変化しない。しかし,正貨は銀行内で遊休した状態から流通する貨幣へと転換するのである。
以上の二つが,正貨流通の下で行われる現金の金融仲介である。この二つのうち,前者すなわち証券会社を媒介にした金融は,信用創造とは全く独立に生じることができる。後者すなわち銀行融資の正貨による引き出しは,信用創造を前提とし,これに従属して生じるものである。だから,「現金の金融仲介が金融の基本形」として独立に成り立つのは,正貨流通の下での証券会社を通した金融だけなのである。
4.正貨流通停止の下での金融仲介
次に強調したいのは,このような,いわば純粋モデルとしての現金の金融仲介は,正貨流通の下でしか機能しないということである。正貨流通が停止された,管理通貨制度の下での金融仲介を見てみよう。
正貨停止の下では,経済主体が貨幣を蓄積するのは預金通貨か中央銀行券によってである。これが証券会社を通して,社債発行企業等に融通されることが金融仲介である。
また,管理通貨制度下では中央銀行券が現金化していることを想定すれば,もう一つの金融仲介ルートもあり得る。まず,中央銀行券を蓄積した主体がこれを銀行に預金する。銀行は信用創造によって企業に貸し付ける。そして,借り入れを行った企業が,必要に迫られて預金を引き出して中央銀行券に換え,中央銀行券で自らの経済活動のための支払いを行う場合である。この時,銀行は預金引き出し要求に応じるために,手元に保有していた(あるいは中央銀行に預け入れていた)中央銀行券を取り崩して渡さねばならない。かくして現金としての中央銀行券は,これを蓄積した主体から,これを必要とする主体に融通されるのである。
以上の二つが,正貨流通停止の下で行われる現金の金融仲介である。しかし,この金融仲介は信用創造から独立して行われることはない。
5.管理通貨制度下の金融仲介は信用創造を前提とする
どちらの金融仲介であれ,その前提は,ある経済主体が預金通貨または中央銀行券の形で貨幣を蓄積していることである。しかし,これらの預金通貨や中央銀行券は,どこで発生したのであろうか。正貨が産金業者の下で発生して流通に投じられたように,預金通貨や中央銀行券にも発生源がある。それは,この経済主体が蓄積する以前に,どこかの銀行がどこかの企業に貸し付けを行ったことである。それにより発生した預金通貨が点々とあるいは預金通貨のまま流通し,あるいは引き出されて中央銀行券に換えられてからさらに流通し,ついにある経済主体に対する支払いに用いられ,この主体の手元で蓄積されるに至ったのである。
つまり,ある経済主体の手元で預金通貨や中央銀行券が蓄積されるためには,それに先立ってどこかで銀行による企業への貸付が,したがって信用創造による預金貨幣の発行が行われていなければならない。どこかで発行された貨幣でなければ蓄積することはできないのである。
これは要するに,正貨流通停止=管理通貨制度の下では,すべての金融仲介は,それに先立つ信用創造を前提するということである。
既に存在する貨幣をもとに金融仲介を行うためには,その貨幣があらかじめ発行されていなければならない。管理通貨制度の下では貨幣とは預金貨幣か中央銀行券なのであり,貨幣の発行とは銀行による信用創造である。信用創造がなければ金融仲介はない。金融仲介は信用創造から独立に存在できないのである。
6.結論
研究者を含めて多くの人は,「現金が貸し手から借り手に融通されるしくみ」を金融の基本形と考えやすい。しかし,これが当てはまるのは正貨流通の下での証券金融だけである。もし,正貨が流通しない現代の銀行をイメージするときには,金融の基本形は「銀行融資によって預金貨幣が創造されること」なのである。金融の基本形は信用創造であり,金融仲介は派生形なのである。
以上のことは,企業の資金調達が証券発行を中心とするようになって,いわゆる「企業の銀行離れ」がいくら起ころうとも,揺らぐものではない。企業が証券発行をする際もお金のやり取りは銀行の要求払い預金の口座間で行われるし,企業が債券を発行して資金を調達しても,そのお金は投資かも証券会社も企業もどこかの銀行の要求払い預金に置くからである。そして,それらの要求払い預金は,どこかの銀行がどこかの企業に対して信用創造で供与したものが流通した結果だからである。財政の作用を捨象する限り,すべての預金貨幣や中央銀行券は,銀行による信用創造に由来する。逆に言えば,銀行セクターは,証券会社との競争においていかに不利になろうとも,貸し出し業務の利鞘がいかに薄くなり,手数料ビジネスに経営をシフトさせざるを得なくなっても,信用創造による通貨の供給者という役割を放棄することはできないのである。
注:2024年1月25日,1月29日。MMFに関する誤った記述を削除して書き換え。