『ゴジラ -1.0』米アカデミー賞視覚効果賞受賞。視覚効果で受賞したのは素晴らしいことだと思います。確かに今回の視覚効果は素晴らしく,また,アメリカの基準で見ればおそらくたいへんなローコストで高い効果を生み出した工夫の産物であるのだと思います。
けれど,私は『ゴジラ -1.0』のストーリーには複雑な気持ちがあります。それは「日本人のことだけ考えるならば感動できるけど,いまどきそれでいいのだろうか」ということです。このことは,いつかきちんと書こうと思っていたのですが,おそらくその時間が取れません。なので,昨日,戦前生まれの母に受賞の感想を聞かれて送ったメールを掲げます。いささか単純で政治的に過ぎるかもしれませんが,こう思ったことは間違いありません。
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今回の『ゴジラ -1.0』は視覚効果は素晴らしいのですが,ストーリーの作り方に一定のひずみがあります。簡単に言うと,戦後の日本の軍人たちを「人命軽視の戦時体制による被害者」「国民を守る使命を果たせなかった挫折者」と描いています。ゴジラとの戦いは,そのトラウマの回復行動として描かれています(今度こそ,俺たちはやるぞ,という風に)。このような描き方は,戦後しばらくならば,ある種もっともなのですが,加害者的側面の無視は,いまとなってはいささか身勝手でしょう。○○さん(注:母)なら,ご覧になるとすぐにお気づきになると思います。しかも,このような演出は自覚的になされているようで,この映画には外国人がほとんど出てきません。在日朝鮮人や中国人が出ないだけでなく,占領軍がほとんど町を歩いていないのです。日本人の日本人による日本人の心の傷の回復のための物語です。日本軍の人命軽視や特攻は批判されていますが,それは日本人の生命を軽んじたから批判されるのです。戦争とは外国人と殺し合うものであること,日本人以外の生命を奪うものであったことは忘れられたかのようです。
私は,ゴジラは,人間が身勝手なストーリーで自分を正当化することを否定する他者であろうと思います。だから決して死なずにまたやってきます。今回の映画でも,かろうじてラストシーンでそのような描写があり,ヒロインが「あなたの戦争は終わりましたか」と語る時に,そうではないことが暗示されてはいます。しかし,ここまでのトラウマ回復物語が強すぎて,人間の身勝手さを十分に相対化できていないように,私には思えます。