本書は2022年に55歳で逝去された中山氏の博士論文(2001年学位取得)を出版したものである。
予約して5月1日に入手した。連休中は,5日までは論文作成に集中し,6-7日と温泉に行って,寝転びながら本書を読む予定であった。だが,実際には論文を書いてはへばり,へばったら本書を読み,叙述に引き込まれてつい読みふけり,温泉に行く前に読み終えてしまった。まっとうな市民や研究者の方には理解しがたいことであろうが,左翼崩れでアメリカ研究者のなりそこないである私には,本書はマンガや小説を読むようにすらすら面白く読めたのである。
短評を可能にするために単純化を許していただくとすれば,本書は「米国共産党史」を研究したものではなく,「アメリカの知識人による米国共産党研究史」を論じた書物である。言説分析の手法によって米国共産党研究史を解釈することによって,米国の政治史の重要な断面を観ようとするものである。米国共産党はソ連とコミンテルンの方針に忠実な党であり,またスターリン時代に定式化されたボリシェヴィズム,マルクス・レーニン主義に忠実な党であった。その姿勢を,1956年のフルシチョフによるスターリン批判以後も変えようとしなかったことが致命傷となり,現実のアメリカ政治にほとんど影響を与えない存在になってしまった。しかし,にもかかわらず,著者によれば,米国共産党をどう評価するかは,アメリカ知識人にとって重要な問題であり続けたというのである。なぜなら,米国共産党を評価することが,「アメリカの理念」の把握とそれに対する自らの態度表明に深くかかわっていたからである。
著者は,米国共産党史を三つに時期区分する。第一期は,1950-70年代後半の,ダニエル・ベル,セオドア・ドレーパーらによるものであり,いわば「反共リベラル」を中心にした研究である。多くの研究者が左翼からの転向を経験している。研究対象は共産党の幹部を中心にしたものであり,共産党がソ連のコントロール下にあったことを中心的に解明する。そして米国共産党は非アメリカ的なもの,アメリカにあってアメリカに属さないものとされる。
第二期は,1970年代後半以後の,モーリス・アイサーマンなど,ニューレフト世代の研究者によるものである。第一期の研究を批判し,共産主義よりも反共主義の排他性がアメリカにとって問題であるとする「反・反共主義」の立場をとる。著者はこの世代の研究者を「見直し論者」と呼んでいる。この期の研究は社会史の隆盛などを歩調を合わせ,党幹部や党の公式方針ではなく,一般党員による草の根の運動にフォーカスする。党とソ連との関係がどうあれ,草の根では社会の問題を解決するための活動が行われていたことを解明し,米国共産党は,実はアメリカ的であり,アメリカ・ラディカリズムの伝統の中にあったのだとされる。そのあらわれとしてブラウダー主義が再評価される。
第三期は,1980年代後半以後に目立ち始める,新保守主義を背景としたものであり,ハーヴェイ・クレア,ジョン・E・ヘインズらによるものである。反共主義の正統性を第一期以上に主張し,それをソ連の崩壊によって入手できるようになった旧ソ連側一次資料,さらにNSA(国家安全保障局)が保管していたヴェノーナ文書によって実証しようとする。端的に米国共産党をソ連に操作された陰謀組織とするものである。
これ以上本書の内容に立ち入ることは控えるが,上記の三つの時期区分を見ることで,米国共産党を論じることが,アメリカ社会の自己認識に関わる問題であるという,著者の見地が了解できるだろう。
私は本書によって説得される部分が大きかったし,本書によって扱われている問題を,たいへん親しみのあることとして読んだ。というのは,私は,キリスト教徒にして日本共産党支持者という両親の下で育った経験から,普遍性を求めることによって日本社会に独特な問題を超克することと,日本の歴史・習俗を尊重することによってその社会の一員となることの,二つの方向の間を振動しながら暮らして来たからである。日本にあって,日本のしがらみに属さないことを良しとするのか,それとも日本に属することで多くの人とつながろうとするのか,そして左翼であることとはそのどちらなのかは,ものごころついて以来,私が考えねばならないことであったし,いまもそうである。
また本書によって,ある研究者との邂逅において不可解であったことがようやく理解できた。1998-99年,ヘンダーソン大学のMartin Halpern氏がフルブライト基金を受けて来日され,東北大学経済学研究科の客員研究員として滞在された。その専門がアメリカ労働史,とくにUAW(全米自動車労働組合)の歴史ということで,私も大学院の授業に参加し,また何度か食事を共にして交流させていただいた。その際に驚いたのは,氏がアメリカにおける労働運動でコミュニストが積極的役割を果たした,コミュニズムはアメリカの精神に即していたと繰り返し強調したことであった。あまりのことに私は(私ですら),アメリカ共産党がソ連の方針に常に従っていたが故に大衆的支持を失ったのではないかと質問したが,氏はソ連は関係ない,アメリカの現場に根差していたことが肝心だと言われた。私は,当時腑に落ちないところを残した記憶があるが,本書を読んで,Halpern氏の研究も,この第二期の流れの中にあったのであろうと了解できた。
私は中山氏の政治学者としての活躍にまったく無知で,その訃報によって彼の存在を知ったほどであった。彼の生きた声に接する機会を持てなかったことや,もはや持つことができないことが残念でならない。
なお些細なことであるが,137ページでStudent Nonviolent Coordinating Committee. SNCCの訳が「学生暴力調整委員会」になっている。「学生非暴力調整委員会」であろう。解説者の押村高氏によれば出版に際して最低限の形式的な修正はしたとのことで,逆に言うと形式的な修正はするという編集方針なのであろうから,2刷りの際に訂正されることを希望する。もちろん,2刷りが発行されること自体も。
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