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2023年3月31日金曜日

「投資が同額の貯蓄を生む」ことの例解について:「貯蓄が投資の源泉」であるかどうかにも触れて

  講義でマクロ経済におけるY=C+I(所得=消費+投資),Y=C+S(所得=消費+貯蓄),よってI=S(投資=貯蓄)の恒等式を説明する。私のマクロ経済学理解では,これは「投資が同額の貯蓄を生み出す」と理解すべきであり,そのように話すのだが,学生が感覚レベルで納得しない。日常感覚では「貯蓄を原資にとして投資が行われる」と考えるから当然であろう。そこで,以下のような単純な例解を説明に使おうと思っている。ある社会で設備投資が行われる際に,どのように所得が発生し,消費と貯蓄に分解するかを確認するのである。

*前提

・設備投資に対応した生産財の生産は行われ,その際には原材料としての生産財が用いられるものとする。
・個人企業を想定し,企業所得は労働者の賃金と資本家の利潤に分解するものとする。
・労働者や資本家が消費すれば消費財が在庫から販売され,消費財の在庫が減少するものとする。
・生産財や消費財の在庫減を補充する生産は行われないものとする。つまり,波及効果は考慮しない。

 設例として,乗数の即時的理解を説明する際に伊東光晴氏が用いて来たものを援用する(宮崎・伊東,1974;伊東,1993)。ただし,典型的な投資を考えるために事例は宮崎・伊東が用いているダム建設ではなく設備投資とする。

 いま機械設備への投資額を1兆円としよう。そのために機械工業によって生産される機械生産額も1兆円である。こうして追加的生産能力を形成した新生産手段ストックの貨幣価値が「投資」であるが,社会的には「投資」は1兆円ではない。

 まず,機械が生産された際に,5000億円の部品や原材料の在庫が消費されるとしよう。このとき,部品や原材料の在庫5000億円分が用いられる。機械の付加価値は5000億円である。うち,機械工業に雇われた労働者たちが賃金として総額4000億円を得るものとする。そして労働者の消費性向は0.8であって3200億円を消費に充てる。このとき,消費財の在庫3200億円が取り崩される。800億円が労働者家計の貯蓄として残る。一方,資本家は利潤1000億円を得る。資本家の消費性向は0.1とし,100億円を消費に充てる。この時,消費財の在庫100億円が取り崩される。900億円が資本家家計の貯蓄として残る。

 さて,社会的な純投資額は,機械への設備投資から生産財・消費財の在庫減(マイナスの在庫投資)を引いたものであり,

I=1兆-5000億-3200億-100億=1700億円

である。他方,社会的な貯蓄額は労働者家計と資本家家計の貯蓄を合計したものであって

S=800億+900億=1700億

ともいえるが,所得から消費を差し引いたものであるから,

S=5000億-3200億-100億=1700億円

ともいえる。いずれにせよ,投資と貯蓄は等しい。そして,明らかにこの期の投資の結果としてこの期の貯蓄が生まれたのである(※1)。

 定性的に言うと,投資額をモノに即して見れば,生産された機械の付加価値から,減少した消費財在庫の価値を差し引いたものである。他方,貯蓄を貨幣に即して見れば,貨幣所得から消費支出を差し引いたものである。しかし,生産された機械の付加価値とそれによって生まれた貨幣所得は当然等しく,また減少した消費財在庫価値と消費支出は等しい。よって,生産手段ストックの新規増加額としての投資と,貨幣所得の支出されなかった残余としての貯蓄は等しいのである(※2)。

 これで,「Iが同額のSを生み出す」という因果関係は,感覚的に受け入れやすいように説明できた。では,日常感覚の「SがIの原資になる」という考えは間違いなのだろうか。

 実は「SがIの原資になる」というのは,ここで説明した投資から出発する例解とは別の因果関係を見ているのである。この例解を一社会のモデルだとすると(=他の社会は存在しないとすると),投資が行われるためには,前の期の生産の結果として部品・原材料と消費財の在庫が物として存在していなければならない。また正貨しか流通していないのであれば,前の期の活動の結果として,投資する貨幣を設備投資しようとする資本家が持っていなければならない。在庫が足りないか,貨幣が足りなければ,投資規模が制約されるのは当然である。「SがIの原資になり得る」というのは,この意味で正しいのである。

 ただし,そこで「I=S」は保証されていない。貯蓄から出発した場合は,それが全額投資に支出されるとは限らない(※3)。他方,投資から出発した説明では「I=S」が100%保証されているのである。

 このように考えると,「Iが同額のSを生み出す」は資本主義社会で常に妥当するのに対して,「SがIの原資になる」というのは,貨幣と財がともに不足している発展途上の経済に当てはまると言えそうである。まず貨幣形態の貯蓄と現物形態の富のストックを準備しないと生産が拡大できないという問題が深刻な経済である。もちろん現実の経済は多数の社会が貿易・投資で結びついているので,発展途上国が対外借り入れや直接投資受け入れによってこの不足を補うことも行なわれている。

 しかし,経済が発達すると,貨幣形態での貯蓄不足は投資の障壁にならなくなる。金融システムが安定すれば,銀行による信用創造で貨幣が前貸しされるからである。また財の不足も問題にならなくなり,むしろ発達した生産能力がフル稼働せずに遊休したり,生産したものが売れ残る方が問題になってくる。こうして「Iが同額のSを生み出す」関係のみが残るのである。

※1 ちなみに所得の総額(Y)は5000億円,社会的には限界消費性向は0.66,限界貯蓄性向は0.34である。さらに念のため言うと,乗数は限界貯蓄性向の逆数であるから,1/0.34=2.941176である。投資に乗数をかけると1700億×1/0.34=5000億で所得総額となる。つまり乗数理論も即時的に成り立っている。

※2 マルクス派の枠組みで考えるとわかりやすくなるところもある。この設例の前提を,労働者は賃金を全額消費し,資本家は利潤を一切消費しないという風に調整すればよい。そうすると,貯蓄が利潤に等しいことがわかる。Iとは生産手段ストックの増加額であるから,生産された機械の価値から原材料と賃金の価値を差し引いたものであり,つまり機械に体化された価値のうちの利潤相当部分である。Sとは機械工業部門の資本家が得た利潤である。したがって,両者は等しいことがすぐにわかるだろう。資本主義とは,「サープラスが利潤という形態をとる社会である」(都留重人)。社会的余剰はこの場合,ストックの純増分にあらわれており,その大きさは利潤に等しい。このことの応用として,資本家と労働者がともに消費し,貯蓄もする世界を理解すればよい。現代の資本主義は,サープラスが貯蓄という形態を取るのである。

※3 それが利子率によってどの程度調整されるかは,新古典派とケインズ派で意見が分かれる。ケインズ派に立てば,投資の期待利潤率と利子率の関係によって投資が決まる。しかし,期待利潤率は不確実なものであり,利子率も貨幣に対する資産選好と流動性選好という不確実性を伴う需要によって左右される。利子率の上下が投資の増減に単純には直結しないのである。

参考

宮崎義一・伊東光晴(1974)『コメンタール ケインズ一般理論』第3版,日本評論社。

伊東光晴(1993)『ケインズ』講談社学術文庫。






2023年3月25日土曜日

李捷生氏大阪公立大学退官記念講演会にオンライン出席して

  3月18日に,李捷生氏の大阪公立大学退官記念講演会にzoom参加した。

 私は大阪市立大学経済研究所において,氏の前任者であった。自分が転出することになった1997年のある日,後任をどうしたらいいだろうと,同僚の植田浩史氏(現・慶應義塾大学)と話し合ったときのことを覚えている。数分間,二人で考えた後,たぶん私の方からだと思うが,「李さんをお呼びすれば」と気がつき,そうだ,それがいいと早速準備に入ってもらった。ついこの間のことのようだが,もう25年も前の話だ。当時李氏は,松崎義編『中国の電子・鉄鋼産業』法政大学出版局,1996年に寄せた首都鋼鉄に関する論文で高い評判を得ていた。

 李氏の着任後,経済研究所はなくなって,氏は創造都市研究科に移られ(2018年度より経営学研究科),社会人大学院を担当されることになった。経済研究所は研究に専念できる場であったため,改組によって先生に過大なご苦労をかけることになったかと思ったこともある。しかし,講演会に参加して,実におおぜいの大学院修了者が各方面で活躍していることを知り,李氏が偉大な仕事をされたことが理解できた。

 記念講演は,「労働研究38年 -方法としての日本-」という題目で,李氏の研究の問題意識と理論的背景が語られた。

 まず,氏がご自身の中国での経験を背景として,マルクス派宇野理論の「労働力商品化の無理」規定を解釈し,「労働供給は組織コミットメントを通して初めて達成される」という観点で労働調査を行ってこられたことが理解できた。氏の経験からすれば,おそらくそれは「資本主義であれ,社会主義であれ」そうなのだということだ。氏が博士論文・単著において首都鋼鉄における従業員代表者大会によるガバナンスに注目されたのは,中国の国有企業においても,企業の運命は,労働者が組織にコミットする在り方によって左右されると考えられていたからであろう。

 また,李氏の調査の問題設定が,氏原正治郎氏の問題意識を継承したものであることも理解できた。日本企業は生活給的な年功賃金を正規労働者に支給している。熟練や成果に応じた賃金でないのであれば,いったいどうやって労働者のコミットメントを確保しているのか。また職務の曖昧さゆえに労働が「不定量」になる時に,企業はどうやって必要な「量」を確保するのか。それは,一方においては年功的なものを含みつつ様々な展開を遂げる賃金管理によって,他方において生産管理によって確保するということである。この二つが李氏の調査・研究領域となったのである。

 李氏は,詳細な実態調査において右に出る者のない研究者であるが,同時にその研究は,日本のマルクス派や労働問題研究の問題意識や着眼点を受け継ぎ,これを発展させるものでもあった。まさに「方法としての日本」であり,「故きを温ねて新しきを知る」である。

 1970-80年代中国において育まれた氏の鋭い問題意識が,日本の学問の中から自らの方法となり得るものをつかみ取ることを可能にした。私は,日本において積み重ねられてきた学問的伝統を自分がどう扱っているのかを自問せざるを得ない。理論が古くなったから役に立たないのではなく,単に私が漫然と生きているから,先人の蓄積から見つけられるものを見つけられていないのではないだろうか。いや,よく記憶をたどると,氏に初めて会った時からそう思い知らされていたのである。

2023年3月23日木曜日

岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記 増補改訂新版』航思社,2023年を読んで:マルクス学の商売,その歴史と現在

 岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記 増補改訂新版』航思社,2023年。一体,何が起こったのかと思った,まさかの復刊。旧青土社版(1983年)を買ってはいないが,渡辺寛氏との問答の記述が記憶に残っているから,たぶんちらちら見たことはあるのだろう。岡崎次郎と言えば,私の世代(1964年生まれ)にとっては国民文庫や『マルクス・エンゲルス全集』の『資本論』,岩波文庫版『金融資本論』など,マルクスやマルクス主義文献の翻訳者である。本書はその生涯を振り返って自ら書き記したものである。

 その生涯は,私には,ああ,こういう人もきっと昔のマルクス主義者にはいたよなあ,そんな名残は私の先生たちにもあったよなあ,と読めるものであるが,今の若者が読むとぎょっとするのかもしれない。極端に言えば遊民,やや穏やかに言って浮世離れしたところがあり,もっと穏やかに言って超マイペースな人生だからである。マルクスの翻訳だけでこんなにお金が入ったことも(大月書店からの『マルエン全集』と『資本論』各版の印税1億5000万円!=今の貨幣価値で2億6650万円),また当人が暴力革命以外ありえないだろうという思想を持っているのに,本書では社会に対する理想や思いよりお金や大学の人間模様や翻訳業務をめぐるドタバタに頁を費やしているのも,私の世代では,まだ「あるある」と思うが,今の若者には理解しがたく,もしかすると不快に思うかもしれない。とくに,著者は本書刊行後間もなく,奥方とともに旅立ち,消息を絶ったことで知られているだけに,初見の読者が本書をマルクスに殉じた歩みを記したもの,と考えて手に取ると,「何だこりゃ」となるおそれがある。

 しかし,本書はそういうものではないのである。では,どういうものか。資本主義社会で生きる以上,マルクスに携わる研究者も大学教員も翻訳家も,運動家さえも,原稿料や印税や給与や講演料を得てくらしていかねばならず,それなりに「商売」感覚を持たざるを得ない(持たない場合,すぐに野垂れ死ぬか,あるいは家族に多大な負担をかける)。これは,岡崎氏が,自らの生涯のうち,当時のマルクス業界の「商売」に関する部分を中心に記述した本だと思えばよいのである(そういう記述をした本として,他に野々村一雄『学者商売』がある)。そして,その「商売」感覚が,昔と今とでは相当に異なっているのだ。マイペースにお金を稼げるマルクス業界は,もうどこにもないからである。

 そんなわけで,本書はもはや一つの歴史であるが,どうしても,時代を超えて,いまこうす「べきだ」と言いたくところがひとつだけある。それは,岩波版『資本論』の翻訳について,向坂逸郎と岩波書店が岡崎氏にとった態度についてである。文庫版第2分冊以降をほとんど岡崎氏に訳させ,共訳とするはずの約束を「下訳」扱いして自分の単独訳とし,印税だけ折半するなどという行為が,なぜまかり通ったのか。マルクス業界にも,なぜこのような親分・子分関係が存在したのか。もちろん,このことも本書の他の内容とともに歴史として扱うべきかもしれない。しかし,岩波書店は,この出来事をなかったかのように扱い,『資本論』を向坂の単独訳として,今なお販売し続けているのである。それは,現在の問題として改めるべきであろうと,私は思う。



2023年3月14日火曜日

シリコンバレーバンク(SVB)の破綻:インフレと信用不安のジレンマ

  アメリカのシリコンバレーバンク(SVB)が経営破綻し,連邦預金保険公社(FDIC)の管理下に置かれることになった。総資産は2090億ドルであり,2008年以来の大型銀行破綻である(※1)。

 SVBは,スタートアップの成長を見込み,貸し出しを拡大しようとして預金を盛んに集めていたようである。13 日まで判明している限り,少なくとも一部の顧客との契約では,他の金融機関と取引しないことを条件としていた(※2)。ところが預金を集めたはいいが,貸し出し先を見つけられず,資金を不動産担保債券(MBS)で運用していたところ,金利上昇で債券価格が下落した(※3)。同時に,金利上昇で顧客のスタートアップも資金が潤沢でなくなり,預金を引き出す動きが出る。SVBは流動性を確保しなければならなくなった。MBSの含み損の表面化を避けるために短期国債を売却したが,やはり売却損が表面化。これを埋め合わせようと増資を発表したが,このニュースが株価暴落,預金の取り付けを招き,破綻に至ったとのことである。

 預金保険は,本来1口座あたり25万ドルまでしか保護しない。しかし,財務省・FRB・FDICは12日に,同行および同じく破綻したシグネチャーバンクの預金を,本来の預金保険の上限を超えて全額保護するとの内容を含む共同声明を発表した(※4)。信用不安が拡大するのを防ぐためであろう。考えられる限り最も素早い措置であるが,うまくいくという保証はない。

 この出来事は,かねてから予想されていたアメリカ金融政策のジレンマを現出させたと言える(※5)。連邦準備制度理事会(FRB)はインフレーション退治のために,不況になることも厭わず金利を引き上げる姿勢を示してきた。FRBが望んでいたのは,実物セクターの需要減,失業率の上昇,賃金上昇の停止である。しかし,それが実現しないうちにSVBが破綻し,金融セクターへの不安が広まっている。金融セクターでの破綻の連鎖が起これば,金融システムが崩壊し,FRBが最も望まない状態が現出することになる。しかし,本来実物セクターと金融セクターは密接に連携しており,不況を実物セクターのみにとどめるのは容易ではない。FRBは,金利を引き上げれば信用不安が高まり,引き上げを止めればインフレが続くというジレンマに直面している。

 さらに,IMF等によって指摘されているように(※6),金利引き上げは新興国が抱えるドル建て債務を重くしている。信用不安が国際的に連鎖すれば新興国に打撃を与え,その損失がまた,新興国に投資する先進国に打ち戻されることになりかねない。預金全額保護措置が当面は功を奏するかもしれないが,世界的な金融危機に対する警戒は,むしろ高めねばならないだろう。


※1 Natalie Sherman & James Clayton, Silicon Valley Bank: Regulators take over as failure raises fears, BBC News, March 12, 2023.

※2 Rohan Goswami, Silicon Valley Bank signed exclusive banking deals with some clients, leaving them unable to diversify, CNBC, March 12, 2023.

※3 アメリカで資産運用会社を経営するTak(qRealtyPnw)さんのTweet,20223月10-11日。

※4 Joint Statement by the Department of the Treasury, Federal Reserve, and FDIC, March 12, 2023.

※5 「金融危機のリスクと政策的ジレンマに直面する世界経済」Ka-Bataブログ,2022年10月20日。

※6 International Monetary Fund, World Economic Outlook: Countering the Cost-of-Living Crisis, October 2022.


2023年3月6日月曜日

ギソン・アイアン・アンド・スチール社の新工場建設計画から,VASグループの戦略を読み解く

  VIET JOの2023年3月1日付報道によれば,ベトナムのVASグループ傘下ギソン・アイアン・アンド・スチールの新工場建設計画がタインホア省政府に承認されたとのことです。VIET JOの元記事は,おそらくVietNam FINANCE2月28日付でしょう。これらによると,新工場は,先月私が見学したギソン経済区にほど近いタンチュオン区第4工業団地に建設される予定です。投資額は5.5兆ドン(約319億円,2.31億ドル)。

 注目されるのが,生産能力,原料,工程,製品です。本記事は,ここからVASグループの戦略を読み解こうというものです。

 報道によれば,第1フェーズでは,スクラップを用いて厚さ150ミリ,幅550-750ミリ,長さ7000ミリの半製品を製造し,そこから厚さ2.3-3.6ミリ,幅550-750ミリ,グレードQ345,Q235,Q195またはそれらに相当する98万トンの熱延コイルを製造します。

 また第2フェーズでは,3万トンの構造用鋼,30万トンの鋼管,角型鋼管,亜鉛メッキ鋼板を製造すると報じられています。

 これを工程の流れがわかるように言い換えますと,第1フェーズはスクラップを原料とし,アーク電炉法か誘導炉法によって溶解するものです。VASグループの履歴から見て,おそらく誘導炉でしょう。連続鋳造してスラブを製造し,これをナロー・ストリップ・ミルで狭幅の熱延コイルに圧延するのです(ちなみに中国規格で狭幅帯鋼の上限は600ミリ。大型一貫製鉄所で製造される広幅帯鋼は幅750-1600ミリが多い)。

 第2フェーズは造管機・冷間圧延機・亜鉛メッキラインを増設するもので,狭幅熱延コイルを用いて溶接鋼管,溶接角鋼管,亜鉛めっき鋼板を製造するものと思われます。構造用鋼の3万トンというのは数字が半端なこともありよくわからないのですが,狭幅帯鋼から鉄骨を加工するのかもしれません。

 ここで専門的な話ですが,VIET JOの日本語記事だけだと熱延コイルが狭幅であることがわからないために,アメリカの大型電炉メーカーが用いる薄スラブ連続鋳造とコンパクト・ストリップ・ミルを用いるかのように読めてしまいます。しかし,数字が少し詳しく出ているVietNam FINANCEを読むと,そうではないことがわかります。スラブが厚く,コイルの幅が狭いからです。これは,中国で民営企業が,中国製設備を用いて多数建設している,狭幅熱延帯鋼工場と同じようなスペックです。VASグループは,誘導炉はこれまでも中国から調達していましたが,今回は連続鋳造機と圧延機も中国製のものを用いるのではないでしょうか。

 このような工場であれば,投資額が5億ドル以下で実現できることは理解できます。とはいえ2.31億ドルはさすがに過小ではないかとも思います。ベトナムでは投資ライセンスを獲得しやすくするために,企業は投資額を過少に見積もる傾向があるので,これもそうした傾向の表れかもしれません。

 さて,ここから読めるVASグループの事業戦略は,従来の事業,つまり単圧工場へのビレット売り,建築用棒鋼・線材の製造・販売から多様化をはかり,鋼板類・鋼管類にも進出するというものです。ベトナムでは,高炉メーカー2社が出現したいまもなお,熱延コイルの輸入依存度は高く,国産化の余地があるからでしょう。

 ただし,VASは,独自の立ち位置をとろうともしています。自らの資金動員力の限界を踏まえつつ,技術的には自ら持つスクラップ選別能力と誘導炉の活用で対処できる範囲として,また事業ドメインとしては高炉メーカーと正面から競合しない狭幅の鋼板としているのでしょう。

 ベトナムの不動産・建設業がインフレ・金利の高騰によるバブル崩壊から立ち直っていない現在,VASグループの次なる野望が実現するかどうかは何とも断定できません。しかし,言えることはあります。

 ベトナムの建設用鋼材市場では,高炉,アーク電炉,誘導炉,単純圧延の各メーカーが入り乱れ,品質・価格の様々なセグメントを作り出しながら激しく競争しています。棒鋼や線材という一見等質的なコモディティの世界であるにもかかわらず,マイクロな異質化競争が起こっているのです。これは,建設用コモディディ鋼材はアーク電炉メーカーによって占拠され,したがって諸企業が同質的行動をとりやすい多くの諸国とは異なる状況です。この独特の状況を生み出した有力なプレーヤーの一つがVASグループなのです。VASグループが誘導炉を用いながら品質管理と環境管理においてほぼフォーマルな存在になったことによって,異質性を帯びた競争がとりわけ激しくなり,セグメントごとの顧客に異なる価格と品質で棒鋼・線材が供給されることにつながっています。そして,セーフガードの力を借りているとはいえ,ベトナム鉄鋼業はビレットや棒鋼において中国からの輸入品の浸透を許さずに,生産を拡大し続けているのです。

 VASグループのフォーマル化とマイクロな異質化競争行動は,ベトナム鉄鋼業条鋼部門の発展に寄与していると私は考えます。それ故に,今度は鋼板市場でも,同じようなマイクロな異質化競争を挑もうとしているVASグループの行動は注目に値するのです。

「タインホア省:DSTギーソン鉄鋼工場案件を原則承認、投資総額314億円相当」VIET JO,2023年3月1日。

Văn Tuân, Thanh Hóa có thêm nhà máy luyện cán thép 5.500 tỷ tại khu kinh tế Nghi Sơn, VietNam FINANCE, 28/02/2023.



2023年3月3日金曜日

VASグループ・ギソン(Nghi Son)製鉄所訪問記

  2月21日,ベトナムタインホア省のギソン経済区にあるVAS Steel ギソン(Nghi Son)製鉄所を訪問しました(※)。ハノイから約200キロメートル南下したことになります。

 VASグループの以前の主力企業は,1998年に創業したアン・フン・トゥオン(Anh Hung Tuong=AHT)であり,南部ビン・ズォン省で創業しました。AHTは誘導炉(IF)メーカーです。スクラップを誘導炉で誘拐し,連続鋳造機で鋳造してビレットをつくり,外販します。一部は自ら棒鋼に圧延して販売します。誘導炉はスクラップを溶解するだけで,アーク電気炉と異なり精錬し成分を調整することが十分にはできません。そのため,無思慮に操業すれば品質の悪いビレットやペンシルインゴットができます。これが「地条鋼」として中国で禁止されたものです。一方,標準的な技術である高炉・転炉法やアーク電気炉法に比べると,設備コストは極めて安くすみます。

 ベトナムでは,誘導炉による鉄鋼生産はインフォーマルセクター的なものであり,北部のチャウケー村ダホイ地区などで多数の小規模事業者によって行われていました。AHTはこれを,フォーマルなビジネスに高めました。内外のスクラップを丁寧に選別・配合すれば,規格に達する品質のビレットが生産できることを証明し,製品規格を取得し,会社の経営も現代的なものに整えました。アーク電気炉製よりも品質はやや劣るが,価格も安いというビレット事業のセグメントを作り出したのです。ベトナムの顧客は,品質と価格のバランスを考慮して,高炉・転炉ビレット,電気炉ビレット,IFビレットを選び分けることができるようになりました。

 このVASグループが,誘導炉製鋼を一気に拡大して,ギソン経済区の一角に建設したのがギソン製鉄所です。第1工場はIF製鋼80万トン,線材圧延60万トン,第2工場はIF製鋼80万トン,棒鋼圧延60万トンで既に稼働しています。第3工場はIF製鋼のみ130万トンで稼働のための準備中です。ということは,第3工場が稼働すればIF製鋼290万トン,圧延120万トンに達します。たいていの電炉製鉄所より大きく,小規模の高炉一貫製鉄所並みの製鋼能力です。

 日本を含む多くの諸国では,鉄鋼業は枝分かれ型の工程を持ち,川上に行くほど規模の経済性を生かした大型設備が用いられます。高炉,転炉,電炉は大型化する傾向を持っています。ところがギソン製鉄所では,確かにインフォーマルセクターのものよりは大型ではあるものの,おそらく第1-第3工場に30-50トン/ヒートの誘導炉を15機前後設置していると思われます。小型設備を多数並べているのです。これで設備コストを節約するとともに,需要に対応した生産調整を行っています。ちなみに大規模な集塵機とバグフィルターが設置されており,製鋼工場から煙が上がることもありません。圧延工場の圧延機は,イタリアのダニエリ社製の標準的なものです。

 IFによって規格を通る鋼を製造するための生命線は,スクラップの調達と選別です。VAS Nghi Sonは経済区内に港と広大な野外スクラップヤードを持っています。スクラップは国内から3割,輸入が7割ですが,見学時には3万2000トンを積んだアメリカからの船が荷下ろしをしていました。これはスクラップ取引では最大級の船です。また,VAS Nghi Sonの従業員は2500人程度とのことですが,うち400人はスクラップヤードで働いているとのことです。これも日本では考えられない規模です。

 無造作に行えば劣悪な無規格材を生み出してしまうIF事業を,フォーマルで競争力あるものに変えたのは,設備コストを抑えながら,スクラップへの徹底したこだわりによって品質を確保することなのです。

※種々の報道からみると,VAS Nghi Son Steel Co. Ltd.単一所有有限会社であり,その傘下にVAS Nghi Son Iron and Steel Joint Stock Companyがあり,後者が製鉄所を保有しているようです。






大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。  本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱...