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2025年1月14日火曜日

クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。

「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」

「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年から何も学んでいない」

だそうだ。TBS NEWS DIGより。

 私は事実にのみ忠実であるべき研究者なのでむやみに「日本が正しい」と言い張る気持ちはまったくない。しかし,逆に根拠なく「日本が悪い」と言うのもおかしいと思う。なので一応,コメントする。

 ゴンカルベスCEOは会社のサイトによるとカリフォルニア・スチール・インダストリーズ(CSI)のCEOを5年間務めたそうだ。CSIは,旧カイザースチールの閉鎖された製鉄所を,旧川崎製鉄とブラジルのヴァーレが投資して再生させた会社である。「邪悪な日本」の投資によって設立された会社を自ら経営していたのだ。

 また,クリーブランド・クリフス社がM&Aで得た資産の中には,インディアナハーバー製鉄所がある。旧新日鉄が旧インランドスチールに10%資本参加して技術協力した製鉄所である。旧I/N Tek, I/N Kote社だったニューカーライル冷延・亜鉛メッキ工場もある。旧インランドと合弁した旧新日鉄が,広畑製鉄所の当時最新だった技術を投入して建設した工場である。元アームコ,その後AKスチールと呼ばれた会社のミドルタウン製鉄所もある。旧川崎製鉄が50%資本参加することによって存続した製鉄所である。「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続しなかった製鉄所を,クリーブランド・クリフス社は,いままさに運営しているのである。

 これが私だけの意見でない証拠に,もう一言,ミドルタウンに住んでいた著者による本から引用しておこう。「カワサキとの合併は、不都合な真実を象徴する出来事だった。『ポスト・グローバル化の世界では、アメリカの製造業は厳しい状況下にある』という真実だ。アームコのような企業が生き残ろうと思えば、再編が必要になる。カワサキはアームコに、そのチャンスを与えた。ミドルタウンを代表するこの企業は、おそらく合併がなければ生き残れなかっただろう」。J・D・ヴァンス著(関根光宏・山田文訳)『ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~』 (光文社未来ライブラリー) (p.82). 光文社. Kindle 版より。 副大統領閣下もご承知のことだ。

参考
「「1945年から何も学んでいない」 USスチール買収めぐり「クリーブランド・クリフス」CEOが日本を激しく批判」TBS NEWS DIG,2025/1/14。リンク

川端望「アメリカ鉄鋼業のリストラクチャリング:衰退と転換のプロセス」金田重喜編著『苦悩するアメリカの産業 -その栄光と没落・リストラの模索-』創風社,1993年。ダウンロード

前記事
「バイデン米大統領による,日本製鉄のUSスチール買収計画中止命令に接して」Ka-Bataブログ,2025/1/5。リンク

2025年1月7日火曜日

「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」ディスカッション・ペーパー版公開にあたって

 「物価変動分類論:インフレ,デフレ,遊休,バブルと金融・財政政策」をTERG Discussion Paper 492として発表しました。このブログでも書き連ねてきた内容ですが,考察を重ねて修正し,先行研究との対話を加えて学説的位置を明確にしました。researchmapからダウンロードいただけます。

 本稿は,マルクス派貨幣論に基づいて,物価変動の種別を解説しています。教科書的解説ですが,念頭に置いているのは「物価は上がっているがデフレから脱却していない」「コストプッシュインフレが続いているが,物価上昇目標は大事」といった混乱した議論を解きほぐしていく基準を設定することです。

 私は,「いろいろなことが一回りして,昔の理論の良いところが再評価されるべき時に来ている」と思っています(もちろん,だめなものがだめなままなところもあります)。マルクス派貨幣論,とくに信用貨幣論はその一つです。それは政治的価値観の問題ではありません。インフレ,デフレを名目的な物価上昇と物価下落として厳密に定義することが,そうではない物価上昇,物価下落との区別を明確にして,それぞれの真のメカニズムを探る道を拓くと思うからです。

 しかし,マルクス派貨幣論による物価論を再評価するには,二つの議論を乗り越えねばなりません。それは信用インフレーション論と独占価格インフレーション論です。もともとマルクス派の物価論は,代用貨幣の外生的投入によってインフレーションが起こるという貨幣的インフレ論でした。持続的物価上昇ならすべてインフレと呼ぶ日常用語とは異なっていたのです。ところが年輩の方ならご記憶のように,高度成長期に,財政赤字の額は大きくないのに物価が持続的に上昇するという現象が起こりました。このとき,近代経済学だけでなくマルクス経済学でも,これらを新種のインフレーションとして定式化しようとする動きが起こったのです。その中でもっとも理論的に整っていた議論の一つが,川合一郎氏の信用インフレーション論でした。銀行信用の拡張からもインフレーションが起きるという説です。もう一つは,高須賀義博氏の独占価格インフレーション論でした(高須賀氏自身は,当初は「生産性格差インフレーション」,後には「相対的価格調整機構」と呼んでいました)。一般商品部門での価格引き上げによる事実上の価格標準切り下げと,金生産部門での公定価格水準の据え置きによる不等価交換が新たなインフレの本質だとする議論です。両者は鋭い現実感覚と理論的体系性によって一世を風靡しましたが,結果として,マルクス経済学のインフレーション概念を広げ過ぎて,日常用語の「持続的物価上昇はみなインフレ」論に近づけてしまったと思います。

 私は日本経済論の講義をしてアベノミクスを扱っているうちに,「金融緩和ではインフレは起きないのではないか」「そもそも日本はデフレだったのか」と疑い,古い貨幣的インフレーション論の方が正しく,政策的論争の混乱を解きほぐすのに役に立つのではないかと考えるようになりました。とはいえ,いまどき古いマルクス派の議論に注目して,わざわざ説明しなおす人はほとんどいませんし,信用インフレ論や独占価格インフレ論にわざわざ反論する人もいません。だから私がやろうということです。ご笑覧いただければ幸いです。


PDF直リンク(researchmapサイト)
https://researchmap.jp/read0020587/misc/48869037/attachment_file.pdf

関連論文

「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」TERG Discussion Paper, 489, April 2024.
https://researchmap.jp/read0020587/misc/46337895/attachment_file.pdf

「貨幣分類論」TERG Discussion Paper, 490, September 2024.
https://researchmap.jp/read0020587/misc/47763170/attachment_file.pdf






2025年1月5日日曜日

バイデン米大統領による,日本製鉄のUSスチール買収計画中止命令に接して

  1月3日,バイデン米大統領は,日本製鉄によるUSスチール買収計画に対して中止命令を発した。その全文日本語訳は『日本経済新聞』サイトで無料で読める。日本製鉄は対米外国投資委員会(CFIUS)の手続きに瑕疵ありとして提訴する意向であるが,中止命令そのものを覆すことは難しい。ここでは,実際に日鉄がUSスチール買収を中止せざるを得ないというシナリオに沿って,その影響を考える。

*アメリカ鉄鋼業への影響

 バイデン大統領やトランプ次期大統領の思惑に反し,この中止はアメリカ鉄鋼業へのリノベーション投資の機会を阻止し,鉄鋼生産とそれに伴う雇用の一層の縮小をもたらすだろう。USスチールは,何らかの経営再編を余儀なくされるだろう。日鉄の救済を得られなかったモン・バレー製鉄所は,遅かれ早かれ高炉一貫製鉄所と言う姿を保てなくなるだろう。

 しかし,その後に待つものは,さらなる意図せざる結果であるかもしれない。USスチール傘下の製鉄所のうち,最新鋭の電炉製鉄所であるビッグ・リバー・スチールだけは,誰が保有するにしても拡張されるだろう。政治介入などなくともコストが安いからである。すでに65%を超える電炉製鋼比率を持つアメリカ鉄鋼業は,総生産量を縮小するとともにますます電炉比率を高めるだろう。トランプはパリ協定から脱退する方針であるが,それでも鉄鋼業からのCO2排出量は減るだろう。雇用を失う人々の怨嗟がどこに向かうかは政治次第であるが,投資は市場の力により電炉と他の産業に向かうであろう。


*日本製鉄への影響

 日本製鉄は,USスチール買収の頓挫により,二つの方面でグローバル戦略に重大な支障をきたすことになる。一つは,経営資源と市場の獲得という点からである。ゲイリー製鉄所が供給を支える自動車用鋼材市場,ビッグ・リバー・スチールの持続可能性の高い生産力,鉄鉱石鉱山の権益を獲得できなくなることは痛い。

 しかし,もう一つの側面がある。あまり評論されることがないが,アルセロール・ミタル(AM)に依存しないグローバル戦略の挫折である。日本製鉄がめざすのは連結生産能力を現在の5000万トン前後から1億トンに倍増させ,うち海外の比率を40%にすることである。しかし,これを独力で行うことは難しいため,これまではAMとの合弁事業によって海外生産を拡張してきた。最大の海外事業であるインドの高炉・還元鉄一貫メーカーAM/NSインディアも,これまでアメリカで最大の拠点であった電炉メーカーAM/NSカルバートもAMとの合弁である。今のところ良好なAMとの関係に,いつ緊張が発生しないとも限らない。だからこそ,日鉄は独力でUSスチールを買収し,フリーハンドでアメリカ市場に臨みたかったのである。この点での挫折は,経営戦略として深刻である。


*政治介入・余談

 確かに今回のUSスチール買収計画中止命令は,政治介入の産物である。それゆえ,政治介入に関する余談で締めよう。

 日本製鉄のグローバル戦略の行方に立ちふさがる様々な障壁の一つは,AMが2000年代のようにM&A戦略を活発化させ,日本メーカーに買収を提案する可能性である。今回,日本製鉄のUSスチール買収計画に声援を送った日本政府関係者や日本の経済評論家が,日本メーカーが買収されようとしたときに激高して「安全保障上の懸念がある」「日本の鉄鋼メーカーは日本人によって所有され経営されるべきだ」「日本も黙っているわけにはいかない」などと叫んだりしないことを,希望する。

<過去ポスト>

日本製鉄のUSスチール買収によってアメリカの安全保障が脅かされるのか?:ミッタル・スチールという前例から(2024/9/6)

日本製鉄がUSスチール買収完了後のガバナンス方針を発表:買収が成立しても種々の問題は続く(2024/9/5)

日本製鉄はUSスチール買収への反対にどう対処するのか(2024/2/10)

日本製鉄によるUSスチール買収の狙いと課題:過去からの声,未来への声(2023/12/19)

製鉄所に刻まれたアメリカ鉄鋼業衰退の歩み(2018/10/6)




2024年12月30日月曜日

Carliss Y. Baldwin, Design Rules, Vol. 2: How Technology Shapes Organizations, The MIT Press, 2024(カーリス・Y・ボールドウィン『デザイン・ルール 第2巻 技術はどのように組織を作り上げるか』)の破壊力

 ついにCarliss Y. Baldwin, Design Rules, Vol. 2: How Technology Shapes OrganizationsがThe MIT Pressより発売された。冊子体が日本に届くまで1か月かかるので,私はKindle版を購入した。SSRNとResearchgateに公開されているDP版は結論だけが欠けていて25章あるのだが,完成版は結論を含めて17章だ。出版事情に応じて圧縮したのかもしれない。

 第1巻はボールドウィン教授とクラーク教授の共著として2000年に出版され,日本でも『デザイン・ルール:モジュール化パワー』として2004年に翻訳された。第1巻はビジネスを変革するモジュール化の意義を理論化したが,事例研究がIBM360で終わっていたことにより,影響力は今一つであるように思える。しかし,ゼミでDP版を22章まで読んだ者として言うが,第2巻の破壊力は第1巻の比ではない。まず,デザインとアーキテクチャの理論を経済学の根源にまで突き詰めて展開している。例えば経済活動の究極の分析単位は「タスクと移動」であり,しかる後に「取引」があるのだという。これは取引費用理論批判であり,著者の社会科学がモノや情報の代謝の過程と経済的過程の双方を見据えていることを示している。また,著者はチャンドラー的な近代大企業における相互依存的ステッププロセスの統合型(インテグラル型)管理の歴史的意義を十分強調する。その上で,デジタル技術の出現が,それに適合したプラットフォームエコシステムによるプラットフォームとモジュラー・オプションのセットと言う,新たな組織を生み出したことを論じている。事例研究はMackintoshとIBM PCにWINTEL,iPhoneにGoogleとAndroidプラットフォーム,ムーアの法則とのその限界,半導体産業におけるファブレス・ファウンドリモデルとその変容に及んでいる。

 現代のビジネスをを論じる上での必読文献となることは間違いなかろう。

Carliss Y. Baldwin, Design Rules, Vol. 2: How Technology Shapes Organizations, The MIT Press, 2024 (Amazon.co.jpのページ)
https://www.amazon.co.jp/Design-Rules-Technology-Organizations-English-ebook/dp/B0CYYYDN4B

2024年12月14日土曜日

大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年を読んで

 大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。構成は「Ⅰ 山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」「Ⅱ 向坂逸郎の理論と実践 その功罪」である。

 本書は失礼ながら完成度が高い本とは言いにくい。出版社の校閲機能が弱いのであろうが,校正ミス,とくに脱字が目立つし,引用されている山川均や向坂逸郎の著書・論文の書誌情報が落ちていたりする。著者の主張も,若き日の新左翼活動家としての経験の反省に立っているとはいえ,固まった見地から山川や向坂を裁断するようなところがある。ただし,その分だけ読み進めやすく,わかりやすいので,非専門家でも苦労なく読める。

 山川と向坂についてまとまった評伝を読んだことがなく,また向坂の著書は読んだことはあっても山川のそれにまったく不案内である私にとっては,本書は有意義であった。

 山川論と向坂論を一書に収録した本書の中心的メッセージは,「向坂は山川イズムの継承者ではない。山川と向坂の思想と運動は大きく異なる」ということであるように思う。評者なりに強引に要約すると,思想においては,山川はそれぞれの社会において異なる社会主義の運動や体制の在り方を創造的に模索した。一方,向坂はマルクス・レーニンの教えを金科玉条とし,さらにソ連の体制を賛美し,硬直したマルクス・レーニン主義を臆面もなく唱道し続けた。実践運動においては,山川は共同戦線党など創造的な提唱を行ったが,実践における指導力・推進力は強力ではなく,現実の政治過程では挫折の連続であった。一方,向坂はエネルギッシュであり組織化に優れており,限られた時期とはいえ社会党の運動を左右する社会主義協会をけん引した。

 著者はこのように山川と向坂を鮮やかに対比しているが,両者に対して中立なわけではない。著者は「向坂・社会主義協会を含めて,虚妄のソ連『社会主義』像を鼓吹して民衆を誤導したマルクス主義的社会主義諸勢力の罪過は測り知れない」(220頁)とする一方で,「山川のマルクス主義的社会主義の思想・運動は,様々の方面において未来形である」(121頁)とする。未来は向坂の道ではなく,山川の道にあるという主張である。

 著者の評価する山川イズムの内容は,社会民主主義でなくマルクス主義を堅持する一方で,コミンテルンや共産党の「上意下達関係の思想・運動スタイル」(112頁)とは一線を画し,旧ソ連の体制を「国家資本主義」と批判的にとらえるとともにその外交政策にも侵略性を認めるなど冷静な評価をし,「社会主義への道は一つではない」として平和的民主主義革命を主張したことである。山川のソ連批判を知らず,山川と向坂をなんとなく連続において捉えていた私には,これらの指摘は実に新鮮であった。

 他方,著者の山川イズム評価には,未解決の困難が残されているように思われる。それは社会主義政党の組織の在り方である。著者によれば,山川は前衛政党の必要性を否定しなかった。山川なりに日本の現実に即した党の在り方として戦前は共同戦線党を主張したが,戦後はむしろ社会党から独立してでも社会主義新党を創設しようとした。だが,共産党の組織的あり方を否定した上でマルクス主義政党を作るのであれば,その組織原理はどうなるのだろうか。おそらくレーニン的民主集中制ではないだろう。しかし,それならばどうなるのかが,本書によっても明らかではない。山川ら同人たちによる属人的指導ではないのか,という疑問がぬぐえなくなる。社会主義協会への個人的指導という側面においては,向坂は山川イズムを継承したのではないのかと思えてくる。これはかつて,日本共産党の立場から山川と福本和夫の著作を詳細に検討した関幸夫が指摘したことである(関幸夫『山川イズムと福本イズム』新日本出版社,1992年)。とはいえ,それでは日本共産党の民主集中制によって問題が解決し,党組織が拡大しているのかと言えば,今日の現実は厳しい答えを突き付けている。

 少しばかり敷衍する。2024年の日本において社会主義政党を自覚するのは共産党と,社会主義協会の一部を継承した新社会党だけであり,その勢力は強いとは言えない。いささか枠を拡大し,資本主義への批判度が高い政党をあげるならば社会民主党とれいわ新撰組であろう。それらの組織はどのようになっているのか。新社会党については情報が少なすぎて観察しにくいが,社会民主党とれいわ新撰組については,日本共産党よりも構成員の活動や発言の自由度が高いことはわかる。しかし,その分だけ,組織としての活動が属人的リーダーシップに依存していることも見て取れる。とくにれいわ新撰組はそうであろう。共産党の民主集中制では解決できない問題があるとすれば,それは属人的リーダーシップで解決するのだろうか。共産党に変化の余地はあるのだろうか。ラディカルな資本主義批判政党に,民主集中制以外のどのような組織がありうるのだろうか。あるいは政党に関心を集中する発想を変える必要があるのか。この問題に対して山川イズムは未来形なのか過去形なのか。ないものねだりであるかもしれないが,山川イズムの未解決問題の一つは,本書によってもまだ投げ出されたままであると,私には思える。しかし,そのように思わせてくれることもまた,本書の意義の一つである。

大藪龍介『検証 日本の社会主義思想・運動1』社会評論社,2024年。
https://www.shahyo.com/?p=13978




2024年11月25日月曜日

財政赤字に伴う国債発行をどのように把握するか:「二層の銀行・政府」モデルの提示

 1.切り口としての「財政赤字と金利上昇圧力」

 先に「財政赤字に伴う国債発行はクラウディング・アウト効果を持つか」,より原理的には「財政赤字に伴う国債発行は金利上昇圧力を発生させるか」という問題についての拙論を修正することを表明し,ブログにも掲載した(※1)。これは実は,金融・財政システムの双方を「通貨供給システム」と把握しようとする研究構想の基本部分とかかわっている。この研究構想は,通説・通念とも現代貨幣理論(MMT)とも異なる通貨供給システム論を提示しようとするものである。

 問題を明瞭にする切り口として,財政赤字と国債発行のオペレーションが金融市場に与える影響を通説・通念,現代貨幣理論(MMT),拙論について対比すると以下のようになる。なお,ここでは追加の貨幣供給はともあれ有効需要を生み出すと仮定しており,その有効性を左右するより財市場や労働市場の具体的な条件は考察の外に置いている。

 まず経済学の「通説・通念」において,国債発行とは,国が民間からお金を借りることである。財政赤字とは,借りたお金での支出である。この点だけを見れば,政府は国債発行により民間から資金を吸い上げ,財政支出によりまた民間に戻しているに過ぎない。それでも有効需要を増やせることがあるのは,民間の遊休資金を借り入れ,支出によって需要に転じる場合である。この時,金融市場は需要超過となって金利に上昇圧力がかかる。

 続いてMMTにおいては,財政赤字とは統合政府による新規の預金貨幣発行である。赤字支出とは,貨幣の追加発行によって有効需要を生み出すものである。預金貨幣が増えれば準備預金も同額だけ増え,超過準備が生まれる。統合政府は通貨発行権を持つので,国債発行による資金調達は本質的には必要ではない。国債発行が果たしているのは,新規に生まれた超過準備に対して運用先を提供することである。金融市場の需給は変動せず,金利に上昇圧力はかからない。

 最後に私見によれば,財政赤字とは中央政府による新規の預金貨幣発行である。赤字支出とは,貨幣の追加発行によって有効需要を生み出すものである。しかし信用貨幣を発行するのは中央銀行でなく政府であるため,政府はこの支出のために,国債を発行して中央銀行預金貨幣を調達しなければならない。政府は国債発行により,市中からは資金を吸収しないが,銀行の準備預金から中央銀行預金貨幣を吸収する。一方,財政支出により預金貨幣が追加供給されるので,連動して準備預金も増え,準備預金残高はプラスマイナスゼロに回復する。しかし,全体として預金残高が増えているため,準備預金所要額が増え,金利に上昇圧力がかかる。


2.三つの金融・財政システム論

 この三つの考え方の背後には,国債発行をめぐる経済主体とその関係,より立ち入っていえば金融・財政システムを通貨供給の観点から理論化する方法に関する違いがある。ここではその違いを説明するとともに,なぜ,どのように私見が妥当であるかを説明する。

 私見によれば,用いるべきは,信用で結ばれた「民間ー銀行ー中央銀行」と課税・支出で結ばれた「民間ー政府」が並立し,また政府も中央銀行に口座を持つことで両者が統合されるモデルである。これを仮に「二層の銀行・政府」モデルと名付ける(図)。




 貨幣の流通は二つの領域で行われている。一つは市中であり,商品の流通界である。ここを流通するのがマネーストック(預金貨幣+銀行手持ち以外の中央銀行券+補助硬貨)である。マネーストックは本質的に銀行信用か財政支出によって生み出される。もう一つの領域は銀行間システムである。ここを流通するのはマネタリーベースから市中に出回っている中央銀行券を差し引いたものである(中央銀行当座預金+銀行手持ち中央銀行券)である。銀行間システムにおける貨幣は,本質的に中央銀行信用か,財政支出によって生み出される。

 この「二層の銀行・政府」モデルを用いることによって,商品流通界を流通する貨幣と銀行間システムを流通する貨幣を区別することができる。それによって,政府が「銀行間システムから中央銀行預金貨幣を調達し,市中に(民間銀行の)預金貨幣を投じる」という仕組みが理解できるのである。

 このモデルは,実務上の事実をほぼそのまま写し取ったものであり,何ら奇異ではない。経済理論の立場からすると,より抽象化して「民間ー政府」モデルや「民間―統合政府」モデルを設定したくなるであろうが,こと財政赤字と国債発行を論じる際には,それが間違いなのである。拙論が強調したいのは,「二層の銀行・政府」モデルからさらに抽象化をしてはならないということである。

 通説・通念は「民間ー政府」というモデル設定を行っている。このモデルは例示するまでもないほど当たり前のように普及しているが,これこそが誤りの元なのである。「民間ー政府」モデルを用いる限り,国債発行は政府が民間資金を吸収するとしか理解しようがない。ところが,実際には国債発行は市中の通貨流通には関与せず,銀行間システムから通貨を吸収する。銀行間システムから吸収するということは,市中への影響は準備預金を介したものとなるということであり,また銀行信用で創造された預金貨幣でなく,中央銀行信用で創造された中央銀行預金貨幣の需給に影響を及ぼすということである。したがい,その調節はもっぱら中央銀行のタスクとなる。こうした関係が「民間―政府」モデルでは全く把握できない。

 そもそも「民間―政府」モデルでは,誰が通貨供給を行っているのかが不明瞭であり,したがい通貨供給を論じるのにはなじまない。一方では漠然と,政府が何もしなくとも貨幣が流通しているかのように想定されている。国債発行が民間資金を吸収するというのはこの想定があるからである。他方では漠然と,管理通貨制だから政府が貨幣を供給すると想定しているかのようでもある。しかし,それでは国債発行などする必要がないだろう。政府と中央銀行の関係をモデル内に取り入れていないから,このような理路不明なことが起こるのである。

 他方,MMTは,一次的接近として「二層の銀行・政府」モデルを採用しているところは妥当である。MMTが銀行のオペレーションについて通説を批判するのも妥当である。また政策論議でMMT論者が強調するように,財政赤字を追加の貨幣発行と見ることも正しい。

 ところがMMTは,ここにとどまらず中央銀行と中央政府とを「統合政府」という単一主体とみなした「民間―統合政府」モデルを本質として強調する。ここから事実との不整合が生じる。MMTは「統合政府は通貨発行権を持っているので,財政赤字を出す際に資金調達は必要ではない」と本質論を主張して,国債発行を資金調達ではないとする。しかし,これは詭弁であり,MMTが重視するはずのオペレーション上の事実に反する。国債発行は超過準備に運用先を与えているだけではなく,これを資金調達のために吸収しており,だからこそ一般的には準備預金不足・金利上昇を誘発するのである。準備預金が不足せず金利が上昇しないようにするためには,統合政府のもう一方の主体である中央銀行が中央政府に協力して金融を緩和しなければならない。現に,21世紀の先進諸国では景気対策と金融危機対策により中央銀行が緩和基調で金融政策を運用しており,銀行は常に超過準備を保有している状態なので,国債発行による金利上昇は起こりにくい。つまり,現状分析としてはMMTの主張通りになっていることは確かであり,この点を指摘したのはMMTの功績である。しかし,MMTがこの状態を,超過準備がない状態でも通じる一般論として主張するのは誤りなのである。

 MMTの「民間―統合政府」論は,実際には「統合政府は通貨発行権を持つ以上,資金調達は必要ない」という抽象命題を現実の中央政府に偏って適用している。中央銀行が政府に解消される存在であるかのようである。しかし,これはすでに説明したように,事実分析としてはオペレーション上の因果関係を無視した決めつけである。中央政府は,市中に対して預金貨幣を新規に投入できるが,預金貨幣は銀行債務であって政府債務ではない。だから,政府は債務を負わせた銀行に対して銀行間システムを用いて支払いをしなければならず,そのために中央銀行預金貨幣を必要とする。そして,これを自ら発行できない以上,国債発行によって調達せざるを得ないのである。このとき,中央銀行が中立的立場であれば金利に上昇圧力がかかる。それを防ぐためには,中央銀行による金融緩和という中央政府との協調政策が必要なのである。つまり,統合政府において中央政府と中央銀行は協調しなければならない。「民間ー統合政府」論の名のもとに,両者の関係をぞんざいに扱ってはならないのである(※2)。

3.まとめ

 財政赤字に伴う国債発行という事態を正確に把握するためには「二層の銀行・政府」モデルを用いなければならない。これを無理に抽象して「民間ー政府」モデルや「民間―統合政府」モデルとすることは,事実認識を誤らせる不合理な抽象である。そして,私見によれば「二層の銀行・政府」モデルを用いた分析によってこそ,財政赤字と国債発行を含む,通貨供給システムとしての金融・財政システムが記述できる。その詳細な展開は他日を期したい。

※1 「「カネのクラウディング・アウト」再考:超過準備の存在という条件」Ka-Bataブログ,2024年11月23日。

※2 経済思想としてみれば,MMTのこの中央銀行を政府に解消するかのような把握は,貨幣発行は銀行信用や中央銀行信用に由来するのではなく徴税権に由来するのだという国定貨幣説に由来するのだと思われる。これは中央銀行に対する過小評価である。資本主義経済における貨幣発行は商品流通における価値尺度・交換手段・支払手段の必要性に由来する。しかし,実物としての貨幣の使用は,資本主義の発展にとって制約となる。金融システムとは貨幣流通に伴う諸問題を商業信用,銀行信用,中央銀行信用が解決することによって発展したものである。政府は通貨名の設定によってそれに関与する。通貨名は国家が制定するという点では国定貨幣説は正しい。しかし,政府が貨幣を自ら生み出しているわけのではなく,この点では国定貨幣説は誤りである。貨幣の発生は財政システムよりも金融システムに由来する。だから,中央銀行は政府に解消される存在ではなく,貨幣システムを安定させる使命を負った銀行として,中央政府から相対的に独自な役割を持っている。「中央銀行の政府からの独立性」が問題になることは根拠のあることなのである。以上の点は,財政赤字に伴う国債発行の理解という本稿の直接の課題と離れるため,問題提起にとどめる。詳しくは,川端(2024a,2024b)をご覧いただきたい。

<参照文献>

川端望(2024a)「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」TERG Discussion Paper, 489, 1-39, April.
https://researchmap.jp/read0020587/misc/46337895/attachment_file.pdf

川端望(2024b)「貨幣分類論」TERG Discussion Paper, 490, 1-19, September.
https://researchmap.jp/read0020587/misc/47763170/attachment_file.pdf




2024年11月23日土曜日

「カネのクラウディング・アウト」再考:超過準備の存在という条件

  従来,私は赤字財政に伴う国債発行は,カネのクラウディング・アウト(金融市場ひっ迫による金利高騰)は起こさず,モノとヒトのクラウディング・アウト(財・サービス・人材の供給ひっ迫とインフレ)は起こすという見地を採ってきた。これは現代貨幣理論(MMT)と同じ見解である。しかし,「一般論としては,カネのクラウディングアウトはある程度起こる。ただし,通説が言うほどではない。また,超過準備が一定以上あるという条件の下では起こらない」と修正しなければならないように思う。

 通説は,「財政赤字は民間貯蓄を吸収するので,金利を高騰させる。財政支出によって通貨供給量が増えるとしても,貯蓄が吸収されるためにプラマイゼロになってしまう。財政支出は需要を増やすが,貯蓄の吸収は民間の投資・消費をクラウド・アウトして,需要を減少させる」と考えるものである。対して,MMTは「財政赤字は民間貯蓄を吸収しない。国債は市中を流通する通貨ではなく準備預金(中央銀行当座預金)によって購入されるからだ。その際,準備預金は減るものの,国債発行額と同額の赤字支出が行われると預金貨幣が増え,同額の準備預金が増える。通貨流通量は一方的に増えるし,需要を拡大する。準備預金はプラスマイナスゼロなので金利は上昇しない。なので,クラウディング・アウトは起こらない」と主張している。

 中央銀行ー銀行の二重システムのオペレーションを踏まえている点では,MMTの方が現実に近い。しかし,このオペレーションによって金利が上昇しないということは,一般論としては問題をはらむ。

 なぜか。まず理論的考察のために,銀行が準備預金を,金融市場の状態に適応して過不足なく持っている状態を考えよう。成熟した資本主義国では預金準備率は規制されていないので,必要な預金準備率は銀行の経営判断として,預金の種類や金融市場の状態に応じ,幅を持って設定されている。しかし,一定の率で設定されると仮定することは許されるだろう。ここで,国債発行前の準備預金が,銀行セクター全体として,預金支払準備金として過不足ない水準で確保されるような準備率を必要準備率と想定する。また必要額を超えて保有される準備預金を超過準備と呼ぶ。

 さて,銀行が必要準備率だけ準備預金を持っている状態で政府が赤字支出のために国債を発行したとする。MMTが説明する上記のオペレーションにより,銀行預金は増加して,準備預金(中央銀行当座預金)はプラマイゼロとなる。しかし,この時,プラマイゼロの準備預金は,国債発行前よりも大きな額の預金と対応しているので,銀行セクター全体として「銀行預金増加額×必要準備率」だけ準備預金不足になる。この時,中央銀行が介入しなければ,インターバンク市場での金利上昇が起こり,and/or銀行セクター全体として貸出しの縮小が生じる。これを補うべく,インターバンク市場での中央銀行預金貨幣の流通速度上昇,市中の遊休貨幣を動員しての預金の増額が生じるかもしれない。

 このように,準備預金額がプラマイゼロでも,預金額そのものが増えているので,準備預金不足の分だけ金利が上昇するか,銀行貸し出しが減少するか,またはその両方が置き,民間の投資・消費を抑制するクラウディング・アウト効果が生じるのである。

 ただし,その程度には幅がある。もし,銀行が必要準備率の回復のためにもっぱら貸出しを減少させると,国債発行額=預金増加額と同額だけ貸出額が減らなければならない。通貨供給量は国債発行前と同じになってしまう。この場合は,クラウディング・アウトがもっとも激しく生じるだろう。しかし,短期金利の上昇によるインターバンク市場の効率化(中央銀行預金通貨流通速度の拡大),市中での遊休資金動員による預金増加が起こるならば,クラウディング・アウト効果は小さくて済むだろう。預金増加は国債発行額ほどでなくても済み,通貨供給量は国債発行前より増加するからである。つまり,通説が抽象的にイメージしているような,金融市場において国債発行額と同額の資金を市中から引き抜くようなことは,極端な場合,つまり超過準備がない状況下で,準備預金所要額の回復がもっぱら貸出し減によって実現する場合にのみ生じるのである。

 さて,超過準備が存在するという条件を加えると話は変わってくる。現実の先進諸国の銀行セクターは,基本的には金融市場の発展により,また特殊には経済の成熟に対応して中央銀行が金融緩和基調をとらざるを得ないことにより,さらに特殊には金融危機のリスクに備えて流動性の供給を多目にすることにより,超過準備を確保している。この場合,国債発行前後で準備預金所要額が「預金増加額×必要準備率」だけ増加しても,超過準備が多少減少するだけで,金利への影響はほとんどない。かてて加えて,これもまた現実の先進諸国で起こっているように,中央銀行が政府と協調し,国債発行時に金利を低め誘導したり,銀行が購入した国債を事後に買い上げて金融緩和を行えば,金利上昇が抑えられる。

 まとめるとこうなる。一般論としては,国債発行はカネのクラウディング・アウト効果を持つ。ただし,通説が想定するように国債発行額と同額の民間貯蓄を吸収する,ということによってではない。国債発行額と同額の銀行預金増分に必要とされる準備預金が追加で必要とされる,ということによってである。したがい,クラウディング・アウト効果も通説が想定するほど大きくはない。そして,超過準備の存在によってクラウディング・アウト効果は緩和され,超過準備の拡大とともにほとんどなくなる。また,中央銀行が国債発行時に金融緩和を行えば,やはりクラウディング・アウト効果はなくなる。


 MMTの主張については,次のように言える。1)財政赤字が通貨供給量を増やすことについては正しい。2)「クラウディング・アウト効果はない」という主張は,一般論として主張するのは誤っている。3)この主張は,超過準備が一定以上存在する下では妥当する。3)また,この主張は,中央銀行が政府と協調して金利を低め誘導するという条件下でも妥当する。


関連過去記事

「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ,2019年9月5日。

「財政赤字は貨幣を追加で生み出すのか,それとも国債消化と相殺されるのか:米山隆一氏の山本太郎氏への批判によせて」Ka-Bataブログ,2024年2月15日。

2024年11月8日金曜日

ジェームズ・バーナム『経営者革命』は,なぜトランピズムの思想的背景として復権したのか

 2024年アメリカ大統領選挙におけるトランプの当選が確実となった。アメリカの目前の政治情勢についてあれこれと短いスパンで考えることは,私の力を超えている。政治経済学の見地から考えるべきは,「トランピズムの背後にジェームズ・バーナムの経営者革命論がある」ということだろう。

 会田弘継氏が『破綻するアメリカ』岩波書店,2017年から『それでもなぜ,トランプは支持されるのか』東洋経済新報社,2024年まで訴えてこられたことを私なりにまとめるならば,トランプ台頭の客観的背景はアメリカにおける資産・所得の絶望的な格差拡大であり,格差の下方に追いやられた人々が民主党に絶望したことであった。そこに対して,長年,財政均衡,金融引き締め派であった共和党を,財政拡張・金融緩和論に逆転させ,またMake America Great Againで豊かな白人中間層再建を最優先とする政策を,種々の差別,マッチョイズム,反エリート主義のイデオロギーに乗せたトランプとその取り巻きが,主体的に働きかけたのである。

 経済政策と党派という角度から単純化して言えば,経済的地位が転落した人々,とくに白人男性が民主党でなく共和党につき,共和党が財政・金融緊縮派から拡張派に転換したことが,トランプ台頭時代の特徴である。

 そこまでは分かる。謎なのはバーナムである。会田氏の上記二著や論文「ジェームズ・バーナム思想とトランプ現象」『アメリカ研究』52,アメリカ学会,2018年5月によれば,バーナム『経営者革命』(原書1941年,武山泰雄訳,東洋経済新報社,1965年)の予言が,エリート支配の文脈で保守的政治思想の世界で復権させられたのだとという。一体,どういうことか。

 身もふたもない言い方ができる可能性はある。エリート支配,階級分裂,貧富の格差を右から批判する潮流が,自分たちには使いようがないマルクス主義や左派思想の代わりに,バーナムを利用したのかもしれない。

 しかし,結論を急がないようにしよう。経済・経営学者としては,バーナムのそのような活用が妥当なのか,そこに落とし穴や見落としはないのかということを理論的に考えていきたい。

 第一に,バーナムの経営者革命論は経営者というよりテクノクラートによるエリート支配をペシミスティックに予言したが,その後発展した経営学の経営者革命論はどちらかと言えばホワイトカラー主導の安定した社会をオプティミスティックに描いたということである。バーナムは,資本主義でも社会主義でもなく,管理能力を基礎にしたエリート支配が到来すると予言した。元トロツキストらしい着眼点とも言える。しかし,経営学の世界では,経営者革命論は,高生産性と高所得,ホワイトカラー職務の拡大・多様化と,それによる安定的雇用とキャリア形成を保証するものと受け取られた。それが経営史の強力なパラダイムとなったアルフレッド・D・チャンドラー Jr.『経営者の時代』(原書1977年,鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳,東洋経済新報社,1979年)の「見える手」の理論である。チャンドラーはバーナムを自身の理論形成のヒントとしたことを明言している。またジョン・ケネス・ガルブレイス『新しい産業国家』(原著1967年,都留重人監訳,河出書房,1968年)は,社会に対しては批評的姿勢を崩さなかったものの,大企業については技術発展を体現するものとしたし,その具体的担い手としてテクノクラートとそれが形成する構造としてのテクノストラクチュアの生産性を高く評価した。ホワイトカラーの世界の経営者革命論は,ブルーカラーの世界のフォーディズムとともに,20世紀アメリカ資本主義の繁栄を描写する思想・理論となったのである。現代の保守派は,バーナム理論の構造に即した活用よりも,価値判断だけの引用に走っていないだろうか。

 第二に,バーナムにせよチャンドラーにせよガルブレイスにせよ,経営者革命論であって産業資本家論や株主支配論や金融資本主義論ではなかった。しかしアメリカの現実は経営者革命,つまりテクノクラート支配という一面だけを持っているのではない。それはむしろ1970年代の話であり,以後は株主反革命,株式ファイナンスによるハイテク産業創出,金融市場の肥大化の時代とされている。一方においてITプラットフォームを利用した大企業支配があり,株式保有を通した少数のハイテク資本家支配が復権している。他方において,金融資産を保有すればするほどさらに蓄積できる,金融機関と金融資産家の世界が存在する。トマ・ピケティ『21世紀の資本』(原著2013年,山形浩生ほか訳,みすず書房,2014年)が明らかにしたように,アメリカの資産保有者は,確かに専門家として高額の労働所得も得ているが,異常に高額の経営者報酬をも得ており,これは偽装された資本所得と言ってよい。そして労働所得を上回る資本所得を得ており,その多くはキャピタル・ゲインなのである。現代のエリート支配はテクノクラート支配であると同時に株主産業資本家支配であり,また金融資産家支配でもある。保守派はバーナムを利用することで,株主資本主義と金融資本主義による格差から人々の目をそらしてはいないだろうか。エリートを批判するのに不動産資本家トランプがボスであって,ハイテク資本家イーロン・マスクが味方でよいのだろうか。

 これらは漠然とした問題提起に過ぎない。30年以上前に読んだきりのバーナム『経営者革命』を書棚から出した。今後,テキストに即して確かめていく必要がある。トランプの背後でバーナムが政治思想として復権した今,その理論を経済・経営学の見地から再検討することも意味があるだろう。




2024年11月3日日曜日

『少年忍者部隊月光』における戦争

  私はまもなく60歳で,特撮ドラマと言えば『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を再放送で,『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』をオリジナル放映で見た世代です。現代ではほぼ老人会に属しますが,それでも,『忍者部隊月光』(1964-66年放映)は伝説的存在でした。いまでこそ『月光』をYouTubeで見かけることもありますが,私の若い頃にはインターネットがないだけでなく,ビデオデッキも選ばれたエリートしか持っておらず,昔のモノクロ特撮テレビドラマを見る機会はほとんどなかったからです。

 『忍者部隊月光』を初めて見たのは,80年代にテレビ埼玉で再放送していたのを録画されたビデオを,SF研の部長が取り寄せて見せてくれた時でした。ただ,CMで「君は埼玉のどんなところが好き?」とインタビュアーが聞くと子どもが「クルマが少ないところー!」と『翔んで埼玉』みたいな応答をしていたので,本当に80年代の再放送だったのかと不思議に思っています。

 ある時,『忍者部隊月光』の原作は,かのタツノコプロダクションの創設者である吉田竜夫先生の漫画『少年忍者部隊月光』であり,そこでは設定が違うと聞いて驚きました。テレビの『忍者部隊月光』の舞台は現代で,伊賀流・甲賀流忍者の末裔によって編成された忍者部隊が,「あけぼの機関」のもと,世界の平和のために戦うという設定です。しかし,原作の『少年忍者部隊月光』の時代は太平洋戦争中であり,少年忍者部隊は山本五十六連合艦隊司令長官直属の秘密部隊だったというではありませんか。

 以後,原作を読む機会がないままに,私はずっと気になっていたことがありました。

「このマンガの結末はどうなるのか?」

ということです。太平洋戦争を日本側で戦っているという設定である以上,戦いに勝ってハッピーエンドとなりようがないからです。

 数年前に『少年忍者部隊月光』復刻版全4巻のうち,1巻と4巻を比較的安価に入手することができて,ようやく謎が解けました。これからご覧になるかもいらっしゃるかもしれないので詳細は明かしませんが,最初は威勢よく珊瑚海海戦に参戦して空母レキシントン撃沈に貢献などしていた少年忍者部隊は,やがて,たたかってもたたかっても,戦争を終わらせることも,犠牲をなくすこともできない現実に直面していくのです。空想とはいえ,山本五十六連合艦隊司令長官との会話には重いものがあります(画像2)。敵のウラン研究所を爆破しても問題は解決しないことを知り(画像3),敵の新兵器の威力を理解せず,若い命を戦場に平然と投入する軍の司令たちに絶望する(画像4)。そしてついに巨大なキノコ雲が……(この絵は,ぜひ実物でご覧ください)。

 私の偏った読みでない証拠として,画像も少しだけ貼りました(論評のために許される範囲の引用と判断します)。ここで私は特定の思想を主張したいのではなく,活劇の中に戦争の過酷さを描き,少年忍者部隊の苦闘を描き切った吉田竜夫先生に心より敬意を表したいのです。

画像1 吉田竜夫『少年忍者部隊月光〔完全版〕』第4巻,マンガショップ,2006年。

画像2 同上書,105頁。

画像3。同上書,235頁。

画像4。同上書,250頁。














2024年10月12日土曜日

幸福への道か,底なし沼か:中国製の日常系アニメ『呼喚少女Call Up ・Girls』のPVが超絶ハイクオリティという話

 中国の日常系アニメ『呼喚少女Call Up ・Girls』のPVがすごいという話。2019年からマンガとしてネット配信されていた作品がアニメ化されたという局面らしい。一瞬,日本のアニメかと思うがセリフも背景の文字も簡体字であるし,制服がジャージっぽいので間違いなく中国である。デザインと言い動きと言い,中国のオタク界隈が,ここまで萌えに習熟したとは恐るべき進化である。ただし,それが幸せへの道であるか,底のない沼であるかは,わからない。


YouTube。もとはBiliBili動画。
https://www.youtube.com/watch?v=O9ABD1oKlsQ&t=1s


おそらくこれが原作。テンセント漫画。原作/凳小氷 円小劉。作画/羅克ROKとある。 

https://ac.qq.com/ComicView/index/id/642826/cid/1657




クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...