NRIの石川純子氏が,「若年層はCBDCに経済的メリット、高齢者層はユニバーサルアクセスを求める」と指摘している。これは重要な点であるため,私なりに少し敷衍したい。言いたいことは,「CBDC(中央銀行デジタル通貨)はユニバーサルでニュートラルでなければならない。しかし新決済手段は,特定個人・企業に経済的メリットを与える方式でないと普及しにくい」ということである。
あまり使われる用語ではないが,決済手段には1次,2次と言った階層性がある。個人や企業が直接支払いに用いるのが1次決済手段であり,例えば現金であり,預金振り込みであり,電子マネーであり,QRコード決済である。2次と言うのは1次決済手段を支える決済手段であり,たとえば電子マネーにクレジットカードでチャージしていればクレジットカードが2次決済手段となる。この階層性をたどって最後に行きつくのが最終決済手段である。その重要性は,研究者・実務家によってもファイナリティの問題として概念化されている。管理通貨制のもとでは,最終決済手段になりうるのは現金であり,預金通貨であり,中央銀行当座預金である。預金通貨が最終決済手段になるのは,債務者と債権者が同一銀行の口座を用いている場合であり,異なる銀行となると中央銀行当座預金が必要になる。たとえば1次決済は電子マネーで行い,それは2次決済としてのクレカに支えられており,それは3次決済としての預金貨幣に支えられており,それはまた最終決済手段としての中央銀行当座預金に支えられている,などと考えればよい。
さて,CBDCにはホールセール型とリテール型があるが,ここで話題とするのはリテール型である。リテール型CBDCとは正式な通貨であり,中央銀行券をデジタル化したものである。現在のチャージ式電子マネーやQRコード決済のような感覚で用いることができるが,制度的には現金払いのデジタル化を実現するものであり,最終決済手段である。
中央銀行が提供する最終決済手段は,その国の誰もが使うことができるという意味でユニバーサルアクセスを実現しなければならない。また,特定個人・企業のみに超過利得をもたらすようなものであってはならないという意味でニュートラルでなければならない。これが石川氏が話題にしている事柄の半面である。
しかし,1次決済手段は,制度上認められているものの中から個人が自由に選択できる。そして日本を含む多くの諸国では,この分野にクレカ,電子マネー,QRコードなど民間企業による,いわゆる「キャッシュレス決済」手段が入り込んでいる。これらを運営する企業は,割引,クーポン,ポイント,その運用,ネットショッピングやオンラインゲームでの便宜など,さまざまなメリットを個人に与えて,自己の経済圏に囲い込もうとする。それは正当な取引でもあるし,古典的寡占やネットワーク外部性を利用した寡占によって超過利潤を得る場合もある。しかし,いずれにせよ個人に経済的メリットを感じさせるものになっていることは事実である。
そこで問題は,ここにCBDCが入り込み,最終決済手段のみならず1次決済手段として,個人に選択してもらえるかどうかである。現金使用比率が高く,かつその現金取引に不便の多い社会ならば選んでもらえるだろう。たとえばニセ札が多く出回っていたり,激しいインフレに見舞われていたり,現金取引でごまかしが行われやすい社会である。しかし,さほど現金取引に不便がない上に,種々の「キャッシュレス決済」が1次決済手段として個人を取り込もうとしのぎを削っている日本においてはどうであろうか。人々がユニバーサルでニュートラルだからCBDCを使うということには,なりにくいおそれがある。これが石川氏が話題にしている事柄のもう半面である。
CBDCは最終決済手段でもあり1次決済手段でもある。そしてユニバーサルでニュートラルでなければならない。しかし,そうであるがゆえに1次決済手段として選択されにくい。このジレンマを超えて行けるかどうかが,導入にあたっての課題であろう。
(私は上記の観点から経済学部4年生,奥野瑛紘氏の卒論指導を行った。そのため,ここで述べたことの一部は,奥野氏の東北大学経済学部2024年度演習論文「キャッシュレス決済の将来像」に一部表現されていることを明記しておく)
<参考>
石川純子「中央銀行デジタル通貨「CBDC」、日本での導入は進むのか」NRI Journal,2025年2月3日。https://www.nri.com/jp/media/journal/20250203.html