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2019年3月21日木曜日

MMT(Modern Monetary Theory)についての覚書

最近,欧米リベラルの一部が依拠しているらしいMMT(Modern Monetary Theory)について。講義に関連するので興味はあるが,オリジナルの論文を読んで勉強する余裕は到底ない。さりとて新聞記事レベルでは「いくら財政赤字を出しても大丈夫」という話としてしか紹介されておらず,何だかよくわからない。幸い,主唱者の1人らしいビル・ミッチェル氏のブログが「経済学101」で訳されており,それをその他のブログの記述で補うと,おそらく以下のようなものであるらしい。

◇貨幣理論
*MMTは経済学的に貨幣理論とケインズに対する一定の理解を基礎としている。

*MMTは信用貨幣論を採る。現在流通している中央銀行券を政府債務と見るし,預金通貨を銀行の債務が通貨化していると見る。

*MMTは納税に利用されることが発券集中,つまり中央銀行券に通用力が集中した理由と見る。

*MMTは内生的貨幣供給論を採る。需要に応じて銀行が貸し出すことによって貨幣が供給されると見る。

*MMTが信用貨幣論と内生的貨幣供給論を採るということは,経済学の主流の見方である「銀行は,預けられた預金を貸し出している」というのは誤りであって,「銀行は,貸し付けることによって通貨を創造している」という見るのが正しいと主張していることを意味する。

◇非自発的失業
*MMTは,非自発的失業が発生するのは,民間部門が労働者を必要としてはいるが,貨幣を保有するために収入の一部を支出せずにおくためだと考える。純貯蓄需要と納税需要が失業を呼び起こす。

*MMTは,政府純支出によって失業を減少させることができると考える。

◇金融政策論
*MMTはヘリコプターマネーのように中央銀行が通貨を直接民間に供給することは,そもそもできないとする。中央銀行ができるのは,中央銀行が金融機関から金融資産を得て準備預金を増やしてやるという交換だけだ。

*MMTは,準備預金を増やすことと銀行が貸し出しを増加させることの間には関係がないとみる。民間の側に需要がない限り貸し出しは増えない。

*MMTが上記のような考えを取るのは,「銀行は準備預金を引き出して貸し付けている」とみておらず,「銀行は貸し付けることによって通貨を創造している」と見ているからである。

*MMTは,準備預金の量と金利を調節することを通じて望ましい金利の達成のために努力することは中央銀行の主要な機能だと認めている。つまり,中央銀行は金利を調節しているし,金利を調節することはできるが,通貨供給量を調節することはできないと考えている(4/13追加)。

◇財政政策論
*MMTはマクロ会計を重視し,政府,民間,海外のバランスがゼロになることを重視する。各部門の赤字・黒字は相殺されてゼロになる。政府の債務は,それと一致する民間が海外部門の債権と対応している。

*MMTは政府と中央銀行は一体である,またはあるべきと考える。政府と中央銀行が統合政府とみなされることの上にMMTは成り立つ。

*MMTは,通貨発行権を持つ(統合)政府であれば,自己ファイナンスが可能なのだと見る。つまり,財政赤字によって財政が破綻することはないし,政府収入のために租税が必要なのでもないとする。ここが直感や従来の諸理論ともっとも異なるところである。

*MMTは租税は政府の資金調達のために必要なのではないとする。資金調達は自己ファイナンスでいくらでも可能だからだ。

*MMTは,財政政策は完全雇用達成やインフラや社会保障システムの整備など,政策目的のために行われるべきであり,その際に財政赤字は制約にならないと見る。

*MMTは財政赤字の拡大はクラウディング・アウトを起こさないとする。民間銀行が国債を購入すると,銀行が中央銀行に持つ準備預金から政府預金に振り替えが起こるのであって,流通している通貨が減少することはない。中央銀行に預けられた預金の持ち主の構成が変わるだけである。そして,政府がその預金を引き出して支出すれば,それは誰かの銀行口座に振り込まれるのであって,民間の預金が増え,通貨供給量も増える。つまり,政府が財政赤字を拡大することが原因で政府の債務が増えて民間の資産が増える。経済学の主流のように,民間の貯蓄がまずあって,それを国債に投資してもらうのではない。だから,国債を大量に発行すると民間貯蓄が枯渇するというクラウディング・アウト論は間違いである。

*MMTは,需要が生産能力の限界に達するまでは,悪性インフレーションは起こらないと考え,そこまでは財政拡張が有効であるとする。生産能力の限界が財政政策の限界であって,生産能力がフル稼働している状態では,財政支出を行ってもインフレだけが生じると考える。

<最小限のコメント>
*MMTの政策的見地
 MMTの政策論的立場は「金融緩和にはさしたる効果がなく,財政政策こそ非自発的失業解消の王道」というものである。そこだけ見ればIS=LM分析によるケインジアンのようであるが,財政赤字という制約は一切ないと主張するところが異なる。
 MMTは通貨膨張による景気刺激というリフレーション政策を明確に否定する。そのため,金融政策においてはリフレーション派と全く異なり,正面から対立する。
 MMTは統合政府は財政的に破綻しない,自己ファイナンスが可能と主張する。この点は,リフレーション派の中の,財政政策は無効とするグループと対立し,財政政策活用も併用すべきで国債の日銀引き受けもすべきだとするグループと一致する。

*感想
 私個人は,MMTの貨幣・信用理論と金融政策論には全く違和感がない。私が,日本のマルクス経済学の貨幣・信用理論からたどりついた考えとほとんど同じである。リフレーション論がまちがっている理由,量的・質的金融緩和がいっこうにインフレを起こせない理由もMMTによって指摘できる。
 
 他方,MMTの財政政策論は,直観的に非常に分かりにくいが,その核心は中央政府と中央銀行が一体だとする統合政府論であると思われる。まだ理解できた自信がないが,政府を家計のような予算制約があるものと考えるとわからない。おそらく,政府を発券銀行のようなものと考えると理解可能になる(2019/5/8追記。どうもそうらしい。こちらをクリック)。

 発券銀行は,貸し付けも支払いも,自ら発行した自己宛債務=銀行券と預金通貨で行うことができる。銀行券は,その信用が保たれている限りにおいて,受け取り拒否や,額面以下へのディスカウントもなく決裁に用いられ,流通するだろう。
 MMTが想定している政府=中央銀行は,この発券銀行のように行動する政府である。よって,手元に現金がなくても自己宛小切手を切るなどの手段で支出できるし,支払い不能になることもない。赤字は自ら銀行券と預金通貨の創造か,せいぜい中央銀行からの債務増大,あるいは国債の中央銀行引き受けで補ってしまうというのだ。はっきり読み切れないのだが,こう言っているのだと思う。

 3点保留しておきたい。

 第1に,この統合政府論を受けて入れてよいかどうかである。日本を含む少なくない諸国で,中央銀行の政府からの独立性を保つ制度が取られていることには,一定の意味があるはずであり,そこを再検討する必要があると思われる。
 これに関連して,ブログを読んだだけではわからないのが,財政赤字は政府債務を生み出すはずであり,それは,統合政府とはいえ中央銀行と政府の勘定が別になっている時にどのように処理されるのかだ。私が思うには,中央銀行が政府に貸し付けるか,国債を購入することによってなされると思うのだが,それがミッチェルのブログではあまりはっきり書かれていない。
 そして累積した政府債務をどうするのかが,またよくわからない。政府発行の不換紙幣ならば政府自身が発行する紙幣で支払うことができるが,政府と中央銀行の勘定が分離して中央銀行券が通貨である以上,政府に債務,中央銀行に債権が累積していく。永久に借り換えすることで維持する,あるいは中央銀行の黒字を納付金として政府に戻すことで維持するのではないかと思うのだが,はっきり書かれていない。

 第2に,非自発的失業と遊休能力がある場合に,統合政府が通貨を増発して財政政策を行った場合にインフレが起こる可能性に無警戒なのは正しいか。財政支出で遊休生産能力と在庫と非自発的に失業している労働力だけをピンポイントで現行価格で購入できれば,インフレは起きないかもしれない。しかし,財政支出の一部は多方面に拡散してしまうし,寡占的市場も存在するので,財政支出の一部は生産増に向かわず価格上昇に向かってしまう。またこの形で投入された通貨は貸付=返済と異なり流通外に出てくるメカニズムがないので,増税による調整を行わない限り通貨量の一方的純増となり,インフレ要因となるのではないか(2019/5/6補足。おそらく,だからインフレ抑止のために課税をきちんと行わねばならない,という主張のようである)。

 最後に,この政府=中央銀行の限界は,発券銀行と同じく,いまや通貨となっている不換銀行券の信用維持にあると思われる。財政赤字を出していっても「支払えない」という意味での破綻は確かにしないだろう。しかし,通貨及び国債の信用が下落するリスクは大いにありうるのではないか。私は,財政赤字をゼロにする必要性は全くないが,通貨及び国債の信用維持が,その持続可能性を画すると思う。

 以上,私が初心者として理解できた限りのMMTは,1)信用貨幣論,内生的貨幣供給論という理論的基礎と,金融政策論については全く違和感がない。しかし,2)統合政府論と財政政策論が今一つ呑み込めないというのが正直なところだ。
→(2019/5/7追記。ある程度理解できました。以下の続編をごらんください)
「MMTが「財政赤字は心配ない」という理由:政府財政を中央銀行会計とみなすこと」Ka-Bataブログ,2019年5月7日。
(2019/5/11追記)
「MMT(現代貨幣理論)の経済学的主張と政治的含意」Ka-Bataブログ,2019年5月11日。
(2019/7/8追記)
「MMTではゼロ金利下において金融政策と財政政策の役割が入れ替わる」Ka-Bataブログ,2019年7月7日。
(2019/9/29追記)
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(1):信用貨幣,そして主権通貨の流通根拠」Ka-Bataブログ,2019年9月3日。
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ,2019年9月5日。
「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(3):財政赤字によるインフレーション(ヒトとモノのクラウディング・アウト)は重要な政策基準」Ka-Bataブログ,2019年9月22日。






<参照文献>
ビル・ミッチェル「中央銀行のオペレーションを理解する」(2010年4月27日)2019年2月12日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「貨幣乗数 ― 行方不明にて、死亡と推定」(2010年7月16日)2018年7月25日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「明示的財政ファイナンス(OMF)は財政政策に対するイデオロギー的な蔑視を払拭する」(2016年7月28日)2018年4月3日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「納税は資金供給ではない」(2010年4月19日)2018年3月4日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 1」(2009年2月21日)2018年1月31日 by erickqchan,経済学101。

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 2」(2009年2月23日)2018年2月2日 by erickqchan,経済学101。

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 3」(2009年3月2日)2018年2月15日 by 望月夜,経済学101。

ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げは信用を拡張しない」(2009年12月13日)
2018年3月16日 by 望月夜 

MMT 日本語リンク集,道草。

<関連投稿>
「リフレーション派の理論的想定と「異次元緩和」の実際は矛盾している」Ka-Bataブログ,2019年3月3日。
「森永卓郎さんとの対話を通して,新しい構造改革の必要性を考える」Ka-Bataブログ,2019年2月17日。
「稲葉振一郎『新自由主義という妖怪 資本主義史論の試み』を読む」Ka-Bataブログ,2018年11月1日。
「ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう』亜紀書房,2018年によせて (2018/6/21)」Ka-Bataアーカイブ。
「日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について(2018/6/16)」Ka-Bataアーカイブ。
「アベノミクスのどこを変えるべきか? 野口旭『アベノミクスが変えた日本経済』(ちくま新書,2018年)に寄せて (2018/5/13)」Ka-Bataアーカイブ。

(2019年5月2日追記。私の考えをまとめて示す以下のノートを公表しました)
「信用貨幣論と貸付先行説によって「非伝統的金融政策」とリフレーション論を批判する:MMT論議の準備を兼ねて」Ka-Bataブログ,2019年5月2日。
第1節
第2節
第3節
第4節
第5・6節(完)

(2019年4月8日にアンダーライン部分を加筆・修正→2019年5月2日,そこだけ強調していると誤解される恐れがあるのでアンダーラインを削除)

2019年3月3日日曜日

リフレーション派の理論的想定と「異次元緩和」の実際は矛盾している

 この小論は,リフレーション派が目指したのは「名目的物価上昇が引き起こす需要増加」のはずだったが,実行された「異次元緩和」が刺激しようとしたのは「需要増加に伴う実質的物価上昇」であるという矛盾を示して,リフレーション論の果たした役割を指摘する。

 ここでは,1990年代以後の日本経済を「不況だからデフレになったのではない。デフレだから不況だったのだ」と診断してきた人々,その裏返しとして「デフレを脱却すれば景気が良くなる」とも主張し,そのために通貨供給量を膨張させるリフレーション,それを達成するためのインフレ・ターゲティングを主張した人々をリフレーション派と呼ぶ。この人々の一部は政財界に影響力を行使することができ,ついに安倍首相・黒田総裁のもと「異次元緩和」で実行させた。

 「好況だからインフレになる」「不況だからデフレになる」は,常識的にわかりやすい。好況期の財・サービスの需要超過,不況期の供給超過で物価がそれぞれ上がり,また下がるからだ。この好不況が民間セクターによって自律的に起こったものとすれば,財・サービスの流通する市中の需要・供給超過に応じて,流通に必要な貨幣が増減する。それに応じて,銀行からの貸し付けが増えたり減ったりして,通貨量は調節されるのだ。その際に生じる「インフレ」「デフレ」は,実質的な物価上昇,実質的な物価下落である。

 リフレーション派が想定しているのは,このような事態ではない。不況になっていなくてもそれより先にデフレが,好況になる前でもまずインフレが起こるような事態を想定しているのだ。

 古典的な本位貨幣制度ならば,こうしたインフレ・デフレもありうることはすぐにわかる。価格の度量標準(1円=金750ミリグラムなど)が切り下げられれば物価が騰貴し,切り上げられれば下落する。財・サービスを流通させるために必要な金属自体の量は変わらないのだが,それに対応する価格標準が変わってしまったために,物価が騰貴したり,下落したりする。これは名目的な物価の上昇・下落である。

 管理通貨制のもとでは,価格の度量標準は公定されない。そのため,物価の変動が実質的なものか,名目的なものかの区別はわかりにくい。事実,日常用語ではインフレーションとは持続的な全般的物価上昇であり,デフレーションとは持続的な全般的物価下落だとしか理解されていない。しかし,財・サービスの流通する市中の需要・供給超過に対応して通貨量が増減し物価が上下するのか,通貨が投入されたり,必要なだけ投入されないために物価が上下するのかという区別は存在する。前者を実質的な物価の上昇・下落,後者を名目的な物価の上昇・下落と呼ぶこともできる。

 管理通貨制のもとで後者が生じるのは,例えば不換紙幣を政府が発行したり,政府が中央銀行に国債を直接引き受けさせたりして,財政支出を拡大した場合である。この時,財・サービスの流通量は変わらないのに通貨供給だけが増加するので,物価は上昇する。

 リフレーション派は,このように物価上昇・下落に実質的なものと名目的なものの区別が存在することを認識している。そこまではもっともである。

 その上で,リフレーション派は,1990年代以後の日本経済について,まず日銀が十分な金融緩和をせずに通貨供給を制限していたから,名目的物価下落としてのデフレになり,デフレだから不況になったと主張した。そして,その裏返しとして,通貨供給量を十分に増やせば,名目的物価下落としてのデフレがなくなり,不況もなくなると主張した。そして,この主張は安倍政権,黒田総裁のもとでの日本銀行に採用されるに至り,「異次元の金融緩和」が実行されたのである。

 「異次元緩和」で行われたことは,日銀による国債の無制限購入,ETF(上場投資信託)やJ-RIET(不動産投資信託)など金融資産の大量購入である。この代金が金融機関が持つ日銀当座預金に振り込まれる。しかし,これではまだ通貨供給をしたことにならない。日銀当座預金の増加が短期金融市場での供給を増やし,利子率を低下させて,それが銀行からの企業の借り入れ増につながった場合,あるいは日銀当座預金の低い収益性(今は部分的にマイナス金利やゼロ金利もある)に飽き足らない金融機関がより収益性の高い貸し出しや投資を行った場合,はじめて通貨供給量(日銀券や預金通貨)が増加する。

 リフレーション派はこの流れが円滑に進むだろうと考えていたが,実際にはマネタリーベース(日本銀行券発行高+貨幣流通高+日銀当座預金残高)は激増したもののマネーストック(M2ならば日本銀行券発行高+貨幣流通高+預金通貨+準通貨+CD)は過去のトレンドを超えては伸びなかったというのが,統計の示すところである。

 なぜ,こんな結果になったのか。ここで問いたいのは,リフレーション派は名目的物価下落に名目的物価上昇で対抗しようとしていたはずなのに,「異次元緩和」の具体的な政策で想定されているのが,実質的物価上昇だということである。

 「異次元緩和」は,銀行が企業からの借り入れ需要に応えやすくし,あるいは新規社債発行の希望を適えやすくしようとしているのだ。実現すれば,企業は投資を行う。市中では預金通貨が増える。あるいは日銀当座預金が減って市中に日銀券が出回る。これは,財・サービスを流通させるための必要通貨量の増大に,金融機関・日銀が応じていることに他ならない。ここで目指されているのは,リフレーション派が想定したよな,まず通貨供給量を伸ばしてインフレにし,それを刺激に需要を伸ばすということではない。需要を伸ばせばインフレになり通貨供給量も伸びる,ということに過ぎないのだ。

 リフレーション派は,ときに一般向け解説では,日銀券=不換銀行券を不換紙幣と同一視する。日銀が国債を買い入れれば通貨供給量が自動的に増えるかのように話をもっていくのである。しかし,これはおかしい。日銀券は政府発行の不換紙幣ではない。いくら日銀が国債を買っても,また銀行にお金を貸し付けても同じだが,銀行が日銀当座預金をそのままにしておくだけならば,通貨量は増えない。日銀の金融調節では,需要と関係なく通過を流通に投入することはできない。

 あるいはまたリフレーション派は,ここを「期待」の理論でお化粧する。名目金利が下がることに加えて人々の予想物価上昇率が上がれば,その合力として実質金利が下がるのだから,インフレ期待を高めて好況にするという因果関係だという。それがうまくいかなかったのは黒田総裁や岩田前副総裁が嘆いている通りである。しかし,期待は期待であって,実態が動かないと完結できない。期待の論理という皮を一枚はげば,より実態的な過程にあるのは,需要を刺激できれば好況になってインフレになるという単純な因果関係なのである。

 だからリフレ派は,理論と政策が矛盾している。リフレ派は,名目的物価上昇を起こして不況を好況に転換させるのだと主張した。しかし,実際に行なわれた「異次元の金融緩和」は,需要を刺激して,実質的物価上昇を伴う好況を呼び起こそうとするものだったのである。

 これは,理屈だけの問題ではなく,リフレーション理論が果たした役割に関わる。「異次元緩和」は確かに非伝統的な政策を繰り出しているものの,中央銀行による金融調節の本質を変えたわけではなかった。日銀当座預金を積み上げても通貨供給量が増えなかったという事実からくみ取るべきは,財・サービスの流通する市中からの需要がなければ通貨供給は増えないのであり,財・サービスの流通から全く独立に通貨供給を増やすことはできないということである。この金融調節の性質を歪めて伝え,日銀が自由に通貨供給量を調節できるかのように宣伝し,「異次元緩和」に過度な幻想を持たせたことがリフレーション理論の役割だったと,私は考える。

 残された論点であるが,リフレーション派が,自らの理論に整合した政策を行う可能性が二つだけある。ひとつは政府が発行する国債を,日銀が直接に引き受けることである。この場合,日銀が支払う代金は政府預金に振り込まれ,政府は必ずやそれを財政支出に用いるだろう。よって通貨供給量は増大する。もうひとつは,政府が不換紙幣を発行して財政支出に用いることである。これらの手段を使ったときのみ,日銀を従えた政府は,望むだけ通貨供給量を増やすことができる。ただし,減らすことは困難であろうことは,歴史が示している。

 小論は,「異次元緩和」をめぐるリフレーション派の矛盾とその実際的役割を論じた。日銀による国債引き受けや政府紙幣発行の是非,さらに金融緩和・財政拡張に過度に依存すること自体の問題については,残された課題である。

<関連投稿>
「2018年度卒業論文特集号によせて ーあの日のゼミー (産業発展論ゼミ誌『研究調査シリーズ』No.37所収)」Ka-Bataブログ,2019年3月11日。
「森永卓郎さんとの対話を通して,新しい構造改革の必要性を考える」Ka-Bataブログ,2019年2月17日。
「稲葉振一郎『新自由主義という妖怪 資本主義史論の試み』を読む」Ka-Bataブログ,2018年11月1日。
「ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう』亜紀書房,2018年によせて (2018/6/21)」Ka-Bataアーカイブ。
日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について(2018/6/16)」Ka-Bataアーカイブ。
「アベノミクスのどこを変えるべきか? 野口旭『アベノミクスが変えた日本経済』(ちくま新書,2018年)に寄せて (2018/5/13)」Ka-Bataアーカイブ。


2018年11月15日木曜日

「異次元緩和」への依存は邦銀をハイリスクな投融資に走らせていないか

大槻奈那「邦銀が「次の金融危機」の引き金を引くのか 投資家の暴走で世界でゾンビ企業が急増」東洋経済ONLINE,2018年11月12日。3ページ目に掲載されているグラフに驚いた。いつのまにか銀行の与信総額で邦銀が日,英,独を抜いている。融資先が順調に拡大しているならば邦銀のプレゼンスが上がっているということだが,そう喜んではいられない状況だ。アメリカは多少巻き戻したとはいえ日本の異次元緩和は続いているし,10年単位でみれば世界的な金利抑制傾向が続いている。それでもインフレ率は上がらないという傾向が世界的に続いている(福田慎一『21世紀の長期停滞論』平凡社,2018年)。世界の銀行は運用難に戸惑い,思い余ってハイリスク・ハイリターンの投資・融資に流れている。邦銀の与信もそうした融資で伸びているというのだ。
 もはや,通貨収縮によるデフレが問題という局面ではない。日本のアベノミクスが「方向は良いが不十分」とみる人は,利下げの余地がなくなっても日銀の国債買い上げによって金融機関にリスク資産へのリバランシングを促せるならばなお緩和の効果は期待できるというが(例えば野口旭[2015]『世界は危機を克服する』東洋経済新報社),それは資本の需要を無視して供給側からバブルを煽る行為ではないか。
 問題は,金利を下げて通貨供給を試みるだけでは,投資と消費の意欲が喚起されず,インフレ率が上がらないことだ。少なくとも日本では,金融ではなく実物的に考えることが必要だ。新市場を開拓する成長産業のタネをまき,芽を育て,キャッシュを眠らせずに賃上げと再分配で個人による支出に導き,成長を下支えする発想が必要な局面だ。金融政策から財政政策と社会政策に移す時だ。
 もちろん,それでも難題は残る。一つは財政赤字であり,もう一つは,これほど短期資金の浮動性が高いと,バブルを伴いながらでないと成長産業が現れないということだ。しかし,金融緩和一本やりで進み続けるよりははるかにましだろう。

大槻奈那「邦銀が「次の金融危機」の引き金を引くのか 投資家の暴走で世界でゾンビ企業が急増」東洋経済ONLINE,2018年11月12日。

関連投稿
日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について (2018/6/16),Ka-Bataアーカイブ。
アベノミクスのどこを変えるべきか? 野口旭『アベノミクスが変えた日本経済』(ちくま新書,2018年)に寄せて (2018/5/13)

論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」の研究年報『経済学』掲載決定と原稿公開について

 論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」を東北大学経済学研究科の紀要である研究年報『経済学』に投稿し,掲載許可を得ました。5万字ほどあるので2回連載になるかもしれません。しかしこの紀要は年に1回しか出ませんので,掲載完了まで2年かかる恐れがあ...